2011年05月10日
振り切るな!(2182)
スマッシュの練習では、強いボールを打つために「もっとラケットを振り切れ!」とか「ヘッドを利かせろ!」なんていうアドバイスを良く耳にする。
たしかに鋭いボールを打つためには大変重要なことだ。
しかし、よくよく聞いてみると、「振り切るにはフォロースルーを長く大きくするんだ!」なんていうちょっとおかしなアドバイスもあったりする。
スマッシュのときに必要なのは鋭く振り切ることであって、大きく振ることではない。
大きく振ろうと意識することで体勢が崩れたり、次の動作に対する対応が遅れたりすることも多い。
ではどうすれば良いのかというと、すばり「振り切るな!」ということである。
鋭く振り切れといっているのに、「振り切るな」とは矛盾しているように思うかもしれない。
正確に言えば、「上腕を振り切るな」ということであり、そう意識することでラケットを鋭く振りきれるようになるということである。
サービスの解説のときに、「体を止める」ことの大切さを解説した。
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正面を向いて、腕の力を使ってラケットを振ろうとすると前かがみになって腰が引けたようなフォームになる。
テニスではよく「軸」という言葉が使われる。
とても大切な考え方であるが、「軸」は身体の程良い緊張を「意識的」に作り出すことであり、胴体の動きを過剰に使って腕を振っていて「軸」が作れるはずはない。
それを矯正するために、インパクトで「体を止めるように意識」してラケット振ってみよう。
以前に「姿勢が前かがみになっていたりすると、うまく背中の筋肉を使うことができず、鋭くスイングできない」と書いたが、逆に背中の筋肉を適度に緊張させれば前かがみの姿勢にはなりにくく、腕を鋭く振り抜くことができるということを示している。
「体を止めるように意識」してラケットを振れば、正しい姿勢で鋭く腕を振ることができる。
間違いなくあなたのスイングスピードは上がる。
もちろん、「軸」を作ることにも役立つはずだ。
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とうことである。
もちろん、スマッシュにおいても体を止める感覚、背筋を使って打つ感覚は大変大切であるが、スマッシュは次の動きを素早くしなければならないことに加えて、難しい体勢でラケットを振り切らなければならないことがあるので、サービスよりもよりもコンパクトに振り切って、バランスを崩さないようにしなければならない。
そのためにサービスよりも身体の動きを小さくしながらラケットを加速するために「上腕を止めること」を強く意識しなければならないのである。
そのように意識してスイングすると、上腕が肩のあたりの高さにあって前腕とラケットが前方に残っているような姿勢でフィニッシュする。
そんな写真を見たこともあるだろう。
ここがサービスとスマッシュの大きな違いでもある。
「上腕を振り切らずに止めるように意識して、前腕とラケットを鋭く振り切る」、これがバランスを崩さずに鋭いスマッシュを打つ秘訣である。
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2008年10月20日
書く喜び(1459)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -185-
「強くなりたい100ぐらいの法則-ブログ版-」も一応の最終回を迎えることとなりました。
一応の、というのは、テニスジャーナルの場合は本の内容が変わって連載打ち切りという形になりましたが、ブログ版の場合はまだまだ書こうと思えば書くことができるわけです。
しかし、テニスジャーナルに書いていた時もそうですが、私はあまり書くということが得意ではなく、ひとつのトレーニングとして続けてきたというのが本当のところです。
5年半も続いた連載が終わってさみしい気持ちもありましたが、正直ほっとしたという気持ちのほうが大きかったですね。
でも、こうして書くということを続けてきたことで、自分自身が発見できたこともたくさんありますし、子どもたちに伝えたいことも少なからず伝わったのではないかと思っています。
ブログ版でも多少の修正をしながら、連載の内容を伝えてきて、雑誌とは違う多くの読者の方も読んでくれるようになり、書く喜びのようなものも感じることができるようになってきました。
だいたい2日に1回ぐらいのペースで法則のようなことについて書いてきたものが、185話になったということは、これだけでも1年以上は続いたということです。
そして、振り返って読み直してみても、「強くなるためには絶対に必要なこと」と素直に思えるものなので、これからも伝え続けていかなくてはならないと思っています。
新しく法則について書く、ということもありますが、もう一度はじめから伝えなおしていくということも大切なことだと感じています。
私のブログは、平均すると毎日1500ぐらいのアクセスがあり、それが書くことに対する励みになっています。
熱心に読んでくださっている方はどう思っているのでしょうか。
何か意見などがあればいただいて、これからどうしていこうか考えてみたいと思います。
一応の最終話として、本のあとがきにを載せておきます。
強くなった自分を素直に表現していると思います。
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コーチとして一番うれしい瞬間(トキ)は、試合に勝つことではない。
もちろん、それも、うれしい瞬間には違いないが、もっとも嬉しいのは、子ども達が前を向いて歩こうとする姿を見るときだ。
大切な試合で自分の力を発揮できずに負けてしまうと、気持ちも落ち込んで、今までやってきたことがムダに思えてテニスをやめたくなる。
でも、そこから一歩前に踏み込んで、「これからがんばるぞ!」と進み始めるエネルギーを感じるときに「心が揺さぶられる」のだ。
高校生最後の試合に敗れ、「今まで指導していただき、ありがとうございました。」とメールをくれた子がいます。
「もう、やめてしまうのかな?」と思い、ねぎらいの言葉をかけ、「みんなが待っているから」と返信しました。
彼は、翌日、照れくさそうにコートに現れました。
そして、「今まで一生懸命にやってきた結果だから満足しています。でも、まだやり足りないと感じるので、上を目指してがんばります。」と力強く宣言した。
前に進もうとする「強さ」を感じて、とても嬉しくなる。
これが「本当の強さ」なのかもしれない。
この連載では「強くなるための法則」を紹介してきた。
絶対の法則があるはずはないが、今までより少しでも「強くなった!」と言ってもらうことができればとても嬉しく思う。
私自身もこの連載を通して「強く」なった気がする。
私は「書く」ことが得意ではない。
いつも締め切り間際になると気持ちが詰まってくる。
でも、「書く」ということを続けてきたことで、感じ方や考え方が変わって、いろいろなことを深く洞察できるようになってきた。
そして、今は「書く」という訓練が、「強くなるため」の感性を高めるためには最も良い方法であると確信を持って言うことができる。
そんな「強さ」を身につけたと思う。
・・・子ども達がエネルギーをくれました。
・・・応援のメッセージが後押ししてくれました。
もっと多くのことを伝えていきたい、今は素直にそう思う。
本当にありがとうございました。
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2008年10月17日
気迫を持って打つ(1456)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -184-
試合中にミスに気持ちを捉われたり、相手のプレッシャーを受けたときは、自分のプレーに自信が持てなくなり、迷います。
こういうときに「自分のプレーをする」、「ボールに集中する」、「思い切って攻める」などと、こころに言い聞かせることも多いかと思いますが、日頃からの訓練が少ないと、そうした場面で本当に勇気を持って決断することは難しいものです。
これは性格にもよります。
大変攻撃的な子は、そうした場面でも勇気を持って攻撃しています。
しかし、そうでない子はやはり訓練が必要です。
特に「勇気」と「決断」が必要な場面は、以前のこの連載でも書きましたが、チャンスボールです。
特にゲームポイントとか、マッチポイントでは大きな緊張が襲います。ポイントが取れれば問題ありませんが、ミスをするととても大きくこころに残ります。
当然次のポイントを取る確率は下がります。
そうならないために、ミスをしても出来るだけこころに残らないような訓練をしなければなりません。
それは、チャンスボールの練習で「気迫」を持ってボールを打つことです。
意外とこれが出来ません。
「気迫」を表現することが出来ないのです。
多分、多くの子供はやっているつもりかもしれません。
しかし、私にはほとんど伝わってきません。
それは相手に対しても同じです。
人間は相手の打球する姿に「気迫」を感じると、たじろぐものです。
そうすると、ミスヒットした打球でも簡単にエースになります。
最高のショットを打たなくてもポイントを取る確率が上がるのであれば、できる限り利用したほうが得です。
では、どうすれば「気迫」を出すことができるのでしょうか。
方法は簡単です。「声を出す」ことです。
どうしてもこのポイントがほしいとき、多くの一流選手はすごい「気迫」を見せます。
そのとき、めいっぱいの力と気持ちをボールにぶつけるために、大きな声を上げます。
それは、気持ちを奮い立たせるためにはどうしても必要な行為です。
「声を出す」ことには、ほかにも筋力を増大させる、身体の疲労を軽減させる、力の発揮をスムースにするなどの効果が科学的に検証されています。
いままで静かにチャンスボールを打つ練習をしてきたのなら、声を出して打ってみてください。
「声を出すのが恥ずかしい」
「これでミスしたらかっこ悪い」
などと考えてしまう人は、ここ一番で絶対に力を発揮することはできません。
自分の気持ちを高め、最高のショットを打つために最高の努力をすることが自信あるプレーにつながることを忘れてはいけません。
素質はあるがいまいち成績の上がらない人は、このように自分の気持ちを高めることができないひとに多いのです。
そういう人は、すぐに自分に限界を設けます。
「自分はここまでで良い」
「テニスは趣味だ」
「それだけやっても意味はない」
などの言い訳をいつも探しています。
大変もったいない話ですが、その限界を打ち破るためには、自分を表現する力を身に付けることが大変有効です。
そして、そういう人も本心では「強くなりたい」、「勝ちたい」と強く思っています。
それを人に表現することを怖がったり、恥ずかしがったりしているだけなのです。
そのような気持ちは必ずコーチには伝わります。
そんなとき、「もっと自分を変えて、テニスに賭ける思いを強く持って取り組まなければならない!」と強い口調で言うこともあります。
そうすると、自分は十分にやっているのに、なぜコーチは認めてくれないのだと感情的になる場合もあります。
でも、本当のところは自分でもわかっています。
それを行動や言葉で伝えたり、表現しなければ認めてもらえないことは頭では理解しています。
表現することをためらって一歩進むことができないのです。
そんな子供たちに対して、私は「もう教えることは出来ない」と突き放すことがあります。
強くなるためにはどうしても越えなければならない壁があり、それを打ち破るためには、厳しい指導によって「強さ」を身に付けなくてはならないと考えるからです。
一方で、そうすることが子供を傷つけているのではないか、子供を苦しめているのではないか、単にやさしく接すれば良いではないかと思う葛藤もあります。
本当のところはどうすれば良いのかはわかりませんが、「突き放す勇気を持てたときは、その子が成長するチャンスだ。」と思うようにしています。
私は自分の「信念」に従って行動するしかないのです。
その子が成長するために必要であれば、ほかのクラブに変わることも厭いませんし、突き放した時に私に対して憎しみしか感じないようなら、それは私の接し方や取り組み方に問題がるので、それを見つめ直してよりより方法を探そうとします。
何が子供にとって必要なのか、どうすれば子供が成長するのかを真剣に考えて行動すること、それが「信念」です。
その「信念」が揺らぐことはありません。
私の「信念」が揺らげば、子供たちにメンタルタフネスを説くことは出来ません。
話が少しそれてしまったようですが、「声を出し」、「気迫」を持ってボールを打つ練習をしてほしいのです。
「気迫」のこもったプレーというのは難しいかもしれませんが、あなたが練習をしているときに、回りにいる友人やコーチが声をかけにくいような雰囲気を作り出すことが出来れば最高です。
意識してやり続けていれば雰囲気は作り出せます。
そのとき、きっと「生きた力強いボール」を打っていることでしょう。
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2008年10月15日
自分の持っている力を出す(1454)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -183-
自分の持っている力を試合で十分に発揮するためには「何が一番大切」なのだろうかと考える時がある。
誰もが「絶対に勝ちたい!」と思って試合に臨んでいるが、ちゃんと力を出す選手とそうでない選手がいるのは不思議だ。
「気が強い」とか、「闘争心」があるとか、「開き直れる性格」とか、いろいろな要因があるとは思うが、一番大切なのは自分のやってきたことに対する「自信」があるということだ。
相手のレベルが低ければ自信満々にプレーできる選手が、相手のレベルが上がってくると、焦って明らかなチャンスボールをミスして自滅する場合も多い。
そのショットに対して「自信」がないことが一番の原因だ。
よく、基本的な練習で集中力を欠いたようなプレーをする人がいるが、簡単なボールほど集中して絶対にミスしないように繰り返し練習する必要がある。
例えば球出しによるボレーの基本練習で、出されたボールを100%狙ったところに打てるのであれば実際の試合でもミスはしない。
逆に、練習でたくさんミスをするショットを確実にコントロールすることは難しい。
<自信がない選手は基本練習を繰り返し練習すべきである。>
<絶対にミスしないという気合と集中力を持って練習すべきである。>
<自分で納得し、自信がつくまで練習すべきである。>
それが練習だ。
そんな練習を繰り返していると、なんとなく「自信」が芽生えてくる。
レッドソックスの松坂投手の言葉ではないが、「自信が確信に変わる」時、きっと「強く」なっている。
自分の力を試合で十分に発揮できる選手になっているはずだ。
そんな選手を目指して練習してほしい。
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2008年10月12日
落ち着いた構えとはなにか(1451)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -182-
「構え」とは「静」であることが重要視され、微動だに動かないことが良いように思われているが、これは間違いである。
「静」ではないとはどういうことであろうか。
すばやく動くことができるような、また無理なく力強い打球を行うことができるような身体姿勢は、「静的な状態」ではなく、「動的に安定している状態」なのである。
つまり、適切な筋肉の緊張感とメンタル的な緊張感を併せ持ちつつ、微妙に身体が動揺している状態が良い「構え」なのである。
しかし、この動揺が外から見てわかるようでは失格である。
独楽が回転している状態のように、外見上は静かに落ちついた雰囲気を保ちつつ、微妙にしかもリズムよく動きがあることが重要である。
武道のなかに「内剛外柔」という言葉がある。
落ち着いた良い「構え」とは、まさにこのことを指している。
今回は「構え」にスポットをあてて、その身体的な要素について述べてきた。
「構え」は息遣いや目線も含め全身全霊でプレーヤーの「質」を表現するものであると考えている。
このような「質」は単に「形」をまねただけで身に付くというものではない。
そこには意識や集中力など、メンタルの状態が大きく関係している。
また、このような「構え」は、日常の生活や日常の練習のなかで常に意識して、身に付くものであると思う。
日々努力して、歩く姿だけで「むむっ!あいつは、なかやるな」と思わせてみたいものである。
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2008年10月10日
力は抜いて構えるのが良い?(1449)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -181-
さて、身体の前傾と深さ、両腕の位置などが良い「構え」を作るためには大切であることを説明してきたが、次に「力」の面に目を向けてみよう。
良い「構え」とは、力を抜けるだけ抜けば良いものなのであろうか。
よく、コーチからは「力を抜け」とか「力を抜いて構えろ」と指導されるので、なんだか完全に力を抜いたほうが良いように思ってしまう。
もちろん完全に脱力したり、目いっぱい力んだ「構え」が良い「構え」でないことは分かっているが、具体的にどれくらいの「力」の入れかたが適切なのであろうか。
このことについて、実際のテニスの「構え」について調べた研究結果があるわけではないが、身体の関節を適度に保持するために適切な筋肉の緊張の程度は、出すことができる最大筋力の約20%から30%であるといわれている。
これくらいの「軽い緊張」を伴って「構える」ことが望ましいのである。
上肢に関しては、もう少し低い値で10%から20%程度であるかもしれない。
しかし、「20%の力で構えるように」と言っても、よくわからない。
グリップについて言えば、我々の実験では「支えるように」という指示がもっとも適した筋肉の緊張状態を作ることがわかった。
このことから、同じような感覚が良い「構え」をつくるための最適な力の入れ具合だと考えられるので、ここでは「支える感覚で構えることが大切である」と言ってしまおう。
●「だらっと構える」でもなく
●「ふんばって構える」でもなく
●上体の前傾を両足と膝で軽く支えるような感覚
●上腕でラケットと前腕を支えるようにそっと差し出す感覚
●支えるようにラケットを持つ(握る)感覚
が良い「構え」を作る条件なのだ。
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2008年10月06日
膝は深く曲げる、は間違いだ!(1445)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -180-
身体の軽い前傾によって良い「構え」ができることがわかったと思うが、その「深さ」についてはどうだろうか。
「構え」の中心は腰であるといわれ、腰は文字どおり体の要であり、テニスおいても身体のひねりを産み出す大変重要な身体部位である。
この腰のひねり動作を容易にするためにもやや重心を低めに落とすことが重要だ。
そのためには膝を曲げることが大切であるが、この膝の関節角度については、曲げすぎても伸ばしすぎても動きのスピードは鈍ることが示されている。
パワーの面から考えると、130度から160度くらいの間で膝を曲げることが望ましいといえる。
昔は90度神話がまかり通っていたので(今でもそうかもしれない)、「膝の角度は90度!」と厳しく指導されてきた。
わざわざ動きのスピードを落とすようなものであったが、その時この話を聞いていればと、ちょっと悔しい気持ちになる。
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2008年10月04日
腕はリラックスして構える(1443)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -179-
当然、前傾が大きすぎてつま先よりに重心が掛かりすぎていても良い「構え」とは言えない。
前傾姿勢を作るとき、両腕を前方に突き出せば重心位置は前方に移動するので、あまり深く前傾しなくても軽く腕を前において置けば重心をやや前方に持ってくることは易しい。
しかし、あまり大きく腕を前に突き出すように構えるとテイクバックが遅れてしまう。
上肢に関する動きでもっとも重要なのが肘なので、この肘が後方にもっともすばやく引きやすい位置に準備しておくことが大切である。
そのために、肘は身体の前傾に合わせるのではなく、やや力を抜いて重力方向、つまり地面に向かって楽に降ろすようにかまえることが肝心である。
武道の世界では「沈肩墜肘」といって、文字通り、肩を沈めて肘を下げる構えが重視される。
これはすばやい動きと力強い動きを両立させるためには必要な「構え」なのだ。
肘の動きを容易にすばやく行うことができるように、手首を強く曲げて構えてはいけない。
そのことによって過度の筋肉の緊張を生み、すばやくテイクバックすることができないからだ。
また、両腕を同時に動かすことによって、姿勢の安定を図ることができることがわかっている。
スプリットステップを行うとき、両腕は同時に動かすようにしたい。
そうすればジャンプ動作を行いながらでも、身体の前傾姿勢を安定的に保持して着地後のすばやいターン動作を可能にする。
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2008年09月30日
ふんばって構えるな(1439)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -178-
しかし、いくら安定した「構え」が良いといっても、いわゆる「ふんばって構える」のが良いのかという疑問が残る。
もし、そうであるならば、相撲の四股のように「構える」ことが良いことになる。
これでは俊敏な動きができないことは容易に想像できる。
では、テニスに適した「構え」とはどのようなものだろうか。
それは、ひとことでいえば、「不安定な安定状態」ともいうべきもので、ちょっとしたことで安定が崩れてしまう限界点での安定状態で「構える」というのが良い。
具体的には、足の長さ(かかとからつま先まで)を100%として、かかとの位置から60%ぐらいの位置に重心がくるように軽く前傾した状態がその限界点であるといわれている。
要するに、ちょっとしたことで身体が動きだせるように前傾を保って「構える」のが良いということだ。
かかと寄りに重心のかかる(どっしりと安定した)姿勢で構えてはいけない。
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2008年09月28日
かかとはあげて構えたほうが良いか?(1437)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -177-
よく「かかとをあげて構えるように」と指導される場合がある。
私もテニスを習いはじめのころ、かかとをあげないで構えていて、先輩から「なんてだらしない構えだ!」とお叱りを受けた記憶がある。
また、トレーニング法としてもかかとをあげて歩くことが良いといわれ、そのための特別な靴も市販されているので、何となく「かかとをあげて構える」ことが良い「構え」であるように感じているものだ。
個人的な話ではあるが、漫画のドカベンで山田太郎が電車の中でかかとをつけないトレーニングをしているのを読んで、少しの間試したことがある。
結構きついトレーニングであったような気がする。
このように、トレーニングや健康を維持するためにかかとをあげて歩くことや動くことは効果があるといわれている。
しかし、かかとをあげて「構える」ことがすばやい動きにつながるかどうかは確かではない。
そこで、いくつかの文献を整理してみると、陸上のように直線的に動く運動についてはそれほど問題ではないが、テニスのように相手の打球に応じて、前後左右に瞬間的に動かなければならないスポーツでは「かかとをあげて構える」ことはどうもあまり良くないようだ。
かかとをあげてつま先立ちでいると、反応時間が遅れるという実験結果がある。
この理由については考察が深くまで進んでいないが、つま先立ちという不安定な状態では身体の安定を図るために、姿勢保持のプログラムが大きく働くために次の瞬時の動きに対して反応が遅れるのではないかといわれている。
つまり、不安定な状態で「構える」ことは姿勢保持のために脳が積極的に使われ、次の動作変化への切り替えが遅くなるということだ。
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2008年09月26日
日本伝統の「構え」(1435)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -176-
能では基本となる「カマエ」というただ舞台に立っている行為で、周りの空気の動き、緊迫感を醸し出さねばならない。
そのためにはいわゆる「形」や「型」はほとんど関係なく、身体で「ある特殊な状態」を作ることだといわれている。
この身体で作り出す「ある特殊な状態」とは何なのか、それこそがいわゆる正しい「構え」につながると思う。
しかし、それは現代のスポーツ科学をもってしても解明はできない。
少し経験のあるテニスプレーヤーなら、あるプレーヤーを見たとき「むむっ、こいつはできるな」と感じることがあるし、経験あるコーチならぱっとみただけである程度その人のテニスの技量を推し量ることができる。
このとき、そのひとの「姿勢」とか「表情」も参考になるし、さらにいえば「話し方」や「呼吸の仕方」からも力量を察することができる。
膨大な情報をもとにして、そのプレーヤーの「質」の状態を探っているのだ。
そして、極めて優れたパフォーマンスを示すことができる段階まで能力を高めることができたとき、人はその動きに「美」を感じる。
フェデラーのテニスが「美しい」と評されるのは、極めて優れた「構え」を持っているからだ。
「美」を形成する要素として、動きの「正確性」、「流動性」、「リズム」、「力動性」、「調和」をあげることができるといわれる。
それを数値に置き換えることがどれ程大変なことであるかおわかりになるだろう。
あえて言えば、素晴らしい絵画を客観的な数値に置き換えて、その数値が高いほど良い絵であると判断するようなもので、そんなことは不可能である。
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2008年09月23日
「構え」で勝つ(1432)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -175-
「目の表情」と同じように、「構え」から「こころの状態」を探ることができる。
「構え」で相手を威圧することもできる。
先にも述べたように武道の世界では、「すきのない構え」ということがある。
武道の達人と対峙したときには「構え」にその強さを実感できる。
それに威圧された相手は「まいった!」となるわけだ。
テニスの場合でも、強い選手かそうでないかを見極めるとき、打っているボールやプレーの内容だけで判断するではない。
その選手の「歩き方」や「姿勢」、「立居振る舞い」などから強さが実感できる。
以前、「強い選手の行動や振る舞いを訓練することで、テニスの実力を引き上げることができる」と書いたが、「行動」を訓練することでテニスのレベルは格段に上がる。
その訓練のはじめとして、これから実際のプレーに入る前の「構え」をどうすればよいのかについて考えることは大変大切である。
どのような状況でも常にこのような「構え」を作ることを指導している。
「構え」はたんなる「姿勢」のコントロールではない。
自分の「こころの状態」をあらわすものである。
自分の気持ちを整理し、相手に立ち向かう気持ちや集中力を高め、「姿勢」と「表情」の良いしっかりとした「構え」を作る、このような一連の行動すべてが「構え」であることを覚えておいてほしい。
強い選手と同じような「構え」の「型」だけを真似ても、相手にはこころの状態が丸分かりになる。
自分の「こころの状態」を最適にすることがなによりも大切だ。
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2008年09月21日
良い「表情」で闘う(1430)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -174-
「目は口ほどにものを言う」といわれる。
また、スポーツの場面では、練習中や試合中に「表情を変えるな!」という指示が与えられる場合も多い。
このことは、「表情」には意味があり、それがプレーに影響するものであることを示している。
しかし、意外と自分の「表情」の変化が相手に有利な条件を与えていることに気づいていない場合や、気づいていても実行することを訓練していないために、十分に遂行することができない人は多い。
テニスコートの上で、自分の「感情」、特に自信喪失や不安の「感情」を相手に隠しておくことは大変重要なことだ。
私は、表情の中でも特に「目の表情」を大切にするように指導している。
相手のほうを怒りに満ちた目で突き刺すように見るのでもなく、不安げにきょろきょろするのでもなく、自分が最も集中した「良い目」で相手を見ることだ。
動物は、相手と対峙したとき、その「表情」、特に「目の表情」で自分との力の優劣を判断し、自分が不利だと感じると戦わずして退散していく。
人間も、動物と同じように「表情」によって相手の状態を無意識のうちに探っている。
相手に無意識のうちにプレッシャーを与えることができる「表情」は、試合を有利に進めるためにとても大切な要因である。
そして、そのような「表情」はトレーニングによって培うことができることを覚えておいてほしい。
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2008年09月19日
行動目標を設定する(1428)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -173-
前回、「話をする時間の大切さ」について述べた。
実際にミーティングで話をした内容についてもいくつか報告した。
その中で、最も多くの時間を割くのが「行動目標」を設定し、その目標が本当に達成できたかを何度も確認することだ。
「行動目標」とは、
「特定の結果を導くために必要な具体的行動や競技内容など、自分の競技能力を高めることを重視した目標であり、相手の行動やレベルにかかわりなく、選手自身がコントロールできる性質を持っている。」
と定義されている。
具体的には、
・集中力を高めるためにストリングを見る。
・気合を入れるために足をたたく。
・ミスをしても下を向いたり、ラケットを下げない。
・うまくいかなくても表情を落とさない。
・相手をしっかり見据えて構える。
・エースをとったらガッツポーズをする。
などの「行動」を目標として設定することだ。
すべて自分の能力を高めるために行う「行動」である(プラスの自己表現)。
自分でコントロールすることができ、相手の「行動」には左右されない。
こう書いてみると簡単そうにみえる。
しかし、自分自身の試合での「行動」を思い起こしてみてほしい。
意外とこれらの「行動」を続けることは難しいことが実感できるだろう。
スコア的には追い詰められても、常にこのような「行動」をとることができる選手にはプレッシャーを受けるものだ。
それだけでも勝つチャンスは大きくなる。
このような「行動目標」について、具体的な方法をアドバイスすることもあるが、選手自身に決めさせることある。
コーチに言われたのではなく、「自分で決めたこと」を「自覚」することでより強く目標が意識されるからだ。
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2008年09月16日
「行動」を変えて、「こころ」を変える(1425)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -172-
私たちの「姿勢」や「行動」は「こころの状態」、「感情」を反映している。
このことは「こころの状態」が変わることで「姿勢」や「行動」が変化することをあらわしている。
ということは、逆に「行動」や「姿勢」を変えることで「こころの状態」が変化するということだ。
ここで、ひとつ実験をしてみよう。
はじめに頭の中に悲しいことを思い浮かべてほしい。
きっと頭を垂れて、視線はうつむき加減で、背中は丸くなってなんとなく哀愁(?)が漂っているだろう。
次に、わくわくするような楽しいことを思い浮かべてみよう。
明日、好きな人とデートに出かける、ディズニーランドでミッキーと遊ぶなんてのが良いかもしれない。
表情には笑みが浮かび、視線は前を向き、ぴんと姿勢良く立っているはずだ。
このように、こころの有り様によって「行動」や「姿勢」、「表情」は変化する。
このことは別に学校で習うわけでも、家庭でのしつけの一環として習得されるものでもない。
全世界の人類が、「感情」によって「姿勢」や「表情」は同じようにコントロールされるのだ。
では、うれしいとき、楽しいときの「姿勢」や「表情」を変えないで、悲しいことを思い浮かべてみてほしい。
反対に、悲しいときの「姿勢」や「表情」で楽しいことを思い浮かべても構わない。
どうだろうか、これはかなり難しい。
もし簡単にできるのなら、あなたは詐欺師か役者の素質が十分にあるかもしれない。
このように、「こころの状態」と「身体」は密接に結びついているので、その人の「姿勢」や「行動」を見ると「こころの状態」を探ることができる。
スポーツの場面では、「感情」を乱されたり、悲しい思いや、くやしい思いをすることは頻繁にある。
その時、身体的にはどのような変化が現れるだろうか。
筋肉が硬直したり、逆に力が入らなかったり、「姿勢」が崩れていることも多い。
歩き方も弱々しくなっているかもしれない。
これでは自分の能力を最大限に発揮して戦うことは困難だ。
しかし、自分の「こころ」や「感情」が乱されたときに、「姿勢」や「行動」を崩さずに闘い続けることができたらどうだろうか。
おそらく、「こころ」の乱れは小さく、「集中力」を欠くことも少なくなる。
楽しいときの「姿勢」や「表情」を変えないで、悲しいことを思い浮かべることが難しいように、正しい行動をとることは、プレーのマイナスになる「こころの状態」を作り出しにくくする。
ただし、このような行動を実際の試合場面で行うことは、口で言うほど簡単ではない。
何度も繰り返しトレーニングを行うことが大切である。
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2008年09月15日
勝負弱い日本人(1424)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -171-
今年もATF韓国大会に参戦した。
この戦いの中での印象は、やはり日本人は「勝負弱い」ということだ。
技術のレベルに大きな違いがあるとは思えない。
しかし、勝負に対する「執着心」と「気迫」が違うと感じる。
そして、「それ」が勝敗を決めるというのが現実だ。
今まで何度かそのような経験を通じて、メンタル(この場合「根性」という言葉が最も的確な表現かもしれない)の重要性を説き、トレーニングを積んできたつもりであるが、「壁」はまだ打ち破れない。
日本人は「ファイトするこころ」を失ってしまったのか、と悲観するときもある。
もちろん、同じ日本人でありながら素晴らしいファイトを示す選手もいる。
ただ、多くの日本人選手がファイトできないで敗れ去っていくのは事実だ。
この点を改善する最適な方法は何か?
コーチはいつもその答えを探していくものなのかもしれない。
日本の選手は大変よく練習する。
朝早くから夜間の練習まで、私たちが練習に行くと、日本のチームの誰かは必ず練習している。
外国のコーチにも、
「どうして日本人はそんなに練習するんだ?」
と聞かれることもある。
こう書くと、
「海外に試合に行ってまで練習しすぎるからいけないのだ!」
と批判される方もおられるかもしれないが、私が見る限り、身体的な疲労が蓄積して、コンディションを崩し、本番で息切れするほどの練習をしているというわけではない。
ごく当たり前のこととして練習をしている。
もちろん外国の選手も練習するが、練習時間は日本の選手のほうが多い。
でも、試合になるとその力を十分に発揮できないのは、何かその取り組み方に問題があるのかもしれない、と考えさせられる。
他のコーチと試合を観ながら話をしたが、
「最近の子供たちは、テニスはとてもうまいが強い選手は少ない」
というのは共通の認識のようだ。
では、なぜ「勝負弱い」とか「闘争心がない」と感じてしまうのだろう。
それは「構え」に大きな問題がある、と考えている。
勝負事においては、「構え」は大変重要である。
時代劇で剣豪同士がじっとにらみ合ったまま対峙し、しばらくの時が流れた後、相手の気迫ある、スキのない「構え」に動揺した方が「まいった」と言って刀を置くシーンがあるが、これが「構え」の「極意」である。
武道では「構えで押す」などと言うこともあるが、ぎりぎりの戦いの場では、「そこ」から戦いが始まっており、さらにいえば「そこ」で勝敗が決まってしまうこともあるということだ。
日本人は本来、「構え」に関しては伝統的な「優美さ」や「強さ」を持っていた。
相撲の仕切りなどにその伝統は残っているものの、多くの場面ではそれが衰退してしまったと感じられる。
ここでいう「構え」とは単にレシーブの時などの「構え」についてのことだけではない。
強さを感じさせる「姿勢」や「行動」など、「気構え」も含め、相手と戦う時の自分の状態を高めることができる「構え」について話をしていこうと思っている。
読み終えてコートに立った時、相手が「うむむ!こやつ、できるな」と思わせることができるような「構え」を身につけて強くなってほしい。
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2008年09月13日
弱音を吐く(1422)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -170-
諸富祥彦(「生きていくことの意味」PHP新書)は、
辛くなったら弱音を吐こう。
小さな見栄やプライド、世間体にこだわっていないで、まわりの人に助けを求めよう。
早めに“弱音”を吐き、“人に助けを求めること”は、
この困難な時代をタフに生き抜いていくのに必要な“能力”である。
と言っている。
スポーツ選手は、「弱音を吐くな」、「常に前進し続けろ」、「苦しくてもがんばれ」ということを「美学」として叩き込まれてきた。
そうすると、「弱音を吐くこと」、「苦しい時に休むこと」などは「悪いこと」であると考え過ぎてしまって、
「成績が上がらないのは自分の努力が足りないせい」
「親やコーチが期待してくれているのに、思うような成果が上げられない自分は情けない」
「弱音を吐いたら自分に負けることになる」
とますます自分を追い込んでしまう。
感受性が高く、やさしい「こころ」を持った人間ほどこうした考え方を持ち、苦しくて、耐え切れなくて、どうして良いのか分からなくて、すべてのことがうまくいかなくなってしまう。
これが「スランプ」に陥ってしまう一番の原因かもしれない。
そんな時は、思い切って「弱音」を吐こう。
今までの(不適切な考え方に基づく)「思い」を「切る」ことで、「こころ」は自由になる。
そして、「弱音」を「吐く」ことで、「強い」とはどういうことが理解できるようになる。
そうして、大きな「エネルギー」を蓄える準備が整っていくものだと思う。
「弱音を吐く」ことは、「弱い」からではなく、「強さ」を手に入れるための「能力」であることを忘れないでほしい。
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2008年09月06日
エネルギーを奪う思考をするな!(1415)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -169-
成長ための「エネルギー」を作り出す「スランプ」ではあるが、その「エネルギー」を奪ってしまう考え方がある。
この考え方に強く意識を支配されてしまうと、「エネルギー」が高まっていかない。
「エネルギー」を奪ってしまう考え方、それは、「どうせ思考」と「べき思考」である。
伊藤順康(「自己変革の心理学」講談社現代新書)は、
どうせ、という思考は、未来に向けて積極的に事態を打開しようとする意欲を放棄してしまうのである。
つまり、未来に向かっての努力を放棄し、自分で自分の可能性を断ち切ってしまうことになるわけである。
と言っている。
また、
絶望的な不幸感の背後には、ねばならないとかあるべきであるといった『べき思考』が存在しているのである。
とも言っている。
「どうせ、自分にはできるはずはない」
「どうせ、私なんかあの子に勝てるはずはない」
「私は絶対に勝たなくてはならない」
「チャンピオンでなければ意味はない」・・・・
こんな考え方は自滅や不幸に導く不適切な考え方である。
エネルギーは奪われて先へは進めない。
私は、
「不適切な思考に基づく不適切な自己評価をしない」
「仮想は仮に想うことであり、未来にそれが手に入らないことを恐れたりしない」
「過去のことを想い、後悔しない」
ということを話した。
そして、「そんな考え方が持てるようになればいいね」とにっこり笑って見せた。
そんなアプローチが良いと思っている。
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2008年09月02日
マイナスの感情を転化する(1411)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -168-
このことは、「マイナスの感情がよくないということではなく、それをどう活かしていけば良いのかという考え方をもつことが重要である」ことを教えてくれる。
ここでは、「スランプ」についてまわる「不安」について考えてみよう。
試合前に「不安」になったことがないという人はいないだろう。
なんとも不思議なものである。
好きで始めたテニスで、自分の力がもっとも発揮される最高の晴れの舞台である試合を前に「不安」になる。
なぜか考えてみた人も多いだろう。
五木寛之(「不安の力」集英社)は、
不安とは、電車を動かすモーターに流れる電力のようなものだと、いつからかそう思うようになってきたのです。
不安は生命の母だと感じる。
それは、いいとか、わるいとか、取りのぞきたいというようなものではない。
不安は、いつもそこにあるのです。
人は不安とともに生まれ、不安を友として生きていく。
不安を追いだすことはできない。
不安は決してなくならない。
しかし、不安を敵とみなすか、それをあるがままに友として受け入れるかには、大きなちがいがあるはずです。
自分の顔に眉があり、鼻があり、口があるように、人には不安というものがある。
不安を排除しようと思えば思うほど、不安は大きくなってくるはずです。
不安のない人生などというものはありません。
人は一生、不安とともに生きていくのです。
そのことに納得がいくようになってきてから、ぼくはずいぶん生きかたが変わったような気がしています。
と言っている。
我々は、「不安」は、嫌なもの、あってはならないもの、自分の力を妨げるものとして、それをいかにして排除すべきかについてのみ考えすぎてはいないだろうか。
「不安が本当の自分に直面させる」という側面を忘れて、ただ取り除こうとすれば、「不安」大きく抵抗し、あなたの中でさらに力を増すかもしれない。
確かに、
「不安というのは緩慢に人の心を萎えさせていく働きを持つ」
けれども、
「不安は人間を支えていく大事な力である」(五木寛之(同))、
そんなふうに考えていくべきだと思う。
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2008年09月01日
マイナスの心理を生かす(1410)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -167-
本当に強い人、本当の強さを手に入れた人は、屈強な精神力の持ち主であると思われるかもしれないが、実際はそうではない。
恐れや不安などの感情など一切持たず、自らの目標達成のためにひたすら前進する人(ターミネーターみたいな人かな?)などいやしない。
嶋田出雲(同)は、
大冒険家、大登山家、大監督、大選手、勝負師は、一般に、「貪欲」「欲張り」でより高い所へ昇りたい、また何でも吸収したいと望む。
一方、彼らは「小心」「心配症」「臆病」で「完璧主義者」で、それをバネにして頑張っている。
というのは、彼らは、勝負の怖さを知っており、責任転嫁は許されない。
また、言い訳の通じない結果責任(accountability)の世界であることを自覚している。
そのため、人一倍の「不安感」「恐怖心」「不足感」を持ち、また、失敗した時の痛みを忘れない。
この場面の時はこうした、あの時はこうであった、いろいろな場面、状況を明確に、しっかり記憶している。
つまり、彼らは「恐い場面」を体験しているから失敗を恐れる。
この痛みを憶えていると憶えていないでは大きな違いである。
そのため、大監督、大選手は不安と期待が交錯する中で、成功あるいは勝利を得るために、人一倍の努力と多くを準備する。
また人は恐い場面と遭遇して、頑張る意欲、勇気が湧き、自分が自信、確信が得られるまで徹底する。
つまり、これは安全性確保のための集中力を得るためである。
つまり、トップ・プレーヤーの多くは、この自覚があってはじめて練習に打ち込める。
と言っている。
自信を持って取り組んでいる心理の裏には、不安や恐怖などのマイナスの感情をうまく活かしているということである。
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2008年08月29日
今が強くなるチャンスだ!(1407)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -166-
磯貝芳郎と福島脩美(「自己抑制と自己実現-がまんの心理学-」講談社現代新書)は、
今は、周囲に何でもある。
そんな中で前向きな希望のある目標を探し出して、粘り強く自分を成長させる我慢をするのが、本当の我慢である。
とすれば、今ほど我慢する心を作るのにこんないい時代はない。
と言っている。
テニスに当てはめてみれば、競争のはげしくない世界だからこそ、自ら進んで競争し(戦いを挑み)、忍耐力を磨くことで誰よりも強くなるチャンスは大きくなるということだ。
そんな時に「スランプ」に出会うことができれば、大変大きな試練となり、こころに大きなインパクトを与えるはずだ。
くじけてしまうかもしれない。
しかし、そこを乗り越える大きな「エネルギー」を自分自身の中に作り出すことでしか強くはなれない。
島田出雲(「スポーツに強くなる法」不味堂)は、
人間が感情を押さえる心、我慢の心を持つためには、偉大なエネルギーが必要である。
そして、この耐える力が、向上のエネルギーに変わるのである。
と述べている。
耐えて、ぐっと我慢し、「エネルギー」を蓄え、強くなってほしい。
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2008年08月27日
今、自分にできることだけに目を向ける(1405)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -165-
私の「ものの考え方」を変えるきっかけになった出来事がある。
それも、以前紹介したものであるが、次のようなことだ。
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私がアメリカに渡って数ヶ月が経った頃、私の妻が子どもを連れてアメリカにやってきたときのことだ。
家族に会うことができた喜びと緊張から解き放たれた安堵感で満たされたときに、それまで休みなく働いてきた疲れがでたのだろう、私はドライブに出かけた帰りの高速道路で居眠り運転をして、事故を起こしてしまった。
時速120km以上のスピードでの事故では命の補償はない。
ところが、いくつかの幸運が重なり、車は大破したが、妻が軽い擦り傷を負った程度で済んだのである。
事故直後は、道路封鎖をしたパトカー、駆けつけたレスキューや救急車などで騒然としていたので、無傷でぴんぴんしている自分がなんとなく恥ずかしく思えて、命が助かったことに対する感謝の気持ちを持つどころではなかった。
ところが、ホテルに帰ってから事故を振り返ったときに、その恐怖がよみがえってきて震えが止まらなかったのを覚えている。
そして、疲れて眠っている子どもを抱きしめて生きていることに感謝した。
そのときに私は「死」を明確に意識した。
「人間はいつか死ぬ、それが明日かもしれない」と強く思うようになった。
そして、「もし、明日死ぬとしたら、お前は満足して死ぬことができるのか?」と問い続けるようになった。
宗教には「死生観」というものがある。
これは簡単に言うと、「「死」を意識することで「生」を活き活きとしたものにすることができる」という教えである。
「悔いのないように今を生きる」、この考えが私の情熱を生み出しているし、自発的な行動力の源になっている。
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ということだ。
こういう「ものの考え方」が「自分のもの」になると、「今」に強く目を向けるようになる。
テレビドラマ「女王の教室」で阿久津真矢先生は、
「ありもしないことや将来のことを考えすぎて、今やるべきことに意識を向けないのはおろかです。」と言っている。
人間が「強さ」や「忍耐力」を身につけていくためには「絶対的な法則」であることを忘れてはならないと思う。
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2008年08月25日
ものの考え方を少し変える(1403)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -164-
最近の子ども達は「弱い」と言われることが多くなった。
子どもばかりか、大人でもストレスに対する耐性が落ちて、ちょっとしたことで調子を落としたり、感情をコントロールできなくなっている。
それを克服するには、「ものの考え方」を少し変えなくてはならない、
これが「法則」である。
以前、こんなことを書いた。
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V・E・フランクル(「夜と霧」みすず書房)は、第二次大戦下のドイツ軍強制収容所における人間の心理を克明に記している。
その中には、「どのような過酷な状況でも人間としての尊厳を失わず、自分に与えられた仕事を誇りを持ってやり遂げようとする人がいた」と書かれている。
生き残った多くの人は、このような尊厳を持ち続けることができた人なのだ。
もちろん、そのような人でも惨殺された人は何万もいるだろうが、少なくとも、絶望に打ちひしがれ、生きる気力を失ってしまった人にはそのチャンスは少なかったと思われる。
また、その本の中で、「苦しむことはなにかをなしとげること」という言葉が大変印象に残っている。
なにかを本気になって成し遂げようとすれば、苦しみは避けては通れない。
その苦しみの中でもプライドを失わず、それにかける思いを持ち続けることで強くなれることを教えてくれているように思う。
<本当の苦しさ>を味わったとき、この言葉の<本当の意味>が見えてくるのかもしれない。
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「苦しい」と感じる時、このことを何度も何度も頭に思い浮かべるようにしている。
今の「苦しさ」の「意味」を見つけようとすることで、すべてが自分にとって「必要なこと」なのだと思えるようになってくる。
そう思えるとき、「苦しさ」が「エネルギー」に変わる。
これが「強さ」だ。
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2008年08月23日
スランプとプラトー(1401)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -163-
上手くなるのは大変なことだ。
どんなに練習をしても、思うように成果が出ないときは誰にでもある。
そんな時、やる気がなくなったり、感情的になったり、人の上達や成果をねたむような気持ちが芽生えたりする。
そのような時期を「スランプ」ということが多いが、多くの場合それは「スランプ」ではない。
スポーツの技術は、数学の直線方程式のように毎日毎日練習した分だけ上達するというわけではなく、階段のステップのように停滞している時期(プラトー)があるかと思えば、あるとき突然に見違えるような上達を示すものだ。
なかなか上手くなれなくて、それでも一生懸命練習して、あるとき突然上手くなっていたという経験がある人も多いだろう。
技術的に上達するときには、何らかの「変化」がある。
その変化に対応して新しい技術を身に付け、それを活用できるようになるまでにはある一定期間技術が停滞したり、低下したりすることがあるのは当たり前のことだ。
この時期は「次の成長を生み出すチャンス」だと考えてほしい。
飛行機は離陸する時に一番「エネルギー」を必要とする。
人間も停滞している時期や下降している時期から上方に向かう時に多くの「エネルギー」を必要とするが、人間は外から「エネルギー」を取り入れることはできないので、自分の中でそれを蓄える時期を作らなければならない。
その時期が「プラトー」だったり「スランプ」だと思ってほしい。
もちろん、そのときは精神的にも身体的にも「苦しい思い」をするだろう。
しかし、ここに「チャンスがある」という「ものの考え方」を持つことができれば、きっと強くなる。
これが「法則」である。
単なる「ポジティブ・シンキング」や「プラス思考」で乗り切るというのではない。
本当は避けて通りたいもの、自分を暗闇の方へ引っ張っていくような力に対して、逃げる方法や消し去る方法を考えるのではなく、ぐっと踏み込んで、その「意味」を深く理解することで自分の「エネルギー」に変える。
そんな姿勢で臨んでほしい。
練習してもその分だけ帰ってくることを期待してはいけない。
今、ここで練習していることだけに集中して取り組んでほしい。
「スランプは逃げて脱出すべきものではなく、挑むべきもの」(「スランプに挑む」長田一臣著、文化書房博文社)である。
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2008年08月21日
チャンスボールを決めろ!(1399)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -162-
「ボレー」のチャンスボールのミスは大変多い。
これはなぜだろうか。
もちろんストロークのチャンスボールでもミスをするケースは多いが、
・ボレーは一発で決めたいという意識がより強く働く
・小さなスイングで強いボールを打とうとして力みが大きくなる
などの理由でミスが多くなると考えられる。
では、どうすれば良いのか?答えは簡単である。
チャンスボールを打つ練習をすることだ。
この練習は意外と少ない。
ポーチ・ボレーの練習の中でのチャンスボールを打つ練習はやるかもしれないが、より単純なチャンスボールを確実に決める練習をすべきである。
チャンスボールは、リズムが変わるのでタイミングを合わせることがむつかしいものだ。
よく、ラケット面をボールに合わせるようにと言われることがあるが、合わせるだけで強い「ボレー」が打てるほど甘くはない!
合わせるのでなく、うまく「リストを解放する感覚」を身につけることが大切である。
グリップをリラックスして握り、脇を締めすぎずに軽くあけ、背筋を少し緊張させて姿勢を保持し、上腕の振りだしをスムースに行い、前腕をインパクトで軽く引き戻すようにして手首をスッと前に「解放」する、ということだ。
言葉にして表現するとむつかしいが、要はリラックスして腕全体でできるだけスムースにスイングし、楽にインパクトするように心がければよい。
この「感覚」をつかむことはそれほど簡単ではないが、繰り返しの練習の中でうまく「ひらめき」を得ることができれば、驚くほどするどい「ボレー」が打てるようになる。
「それ」を目指してほしい。
今回は「ボレー」の話をした。
ネットプレーヤーになることを薦めるのではないが、相手を追い込んだ時にネットで相手にプレッシャーをかけるプレーを心がければ、今までよりも格段に攻撃力は向上し、相手の嫌がるプレーヤーになれるに違いない。
怖がらずに前に出て、思い切って「ボレー」で攻撃してほしい。
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2008年08月19日
ドライブボレーで攻めろ!(1397)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -161-
「ボレー」というと、いわゆる「壁」を作ってラケット面をコントロールするブロックボレーのような技術を真っ先に思い浮かべるかもしれないが、他にも「ドライブボレー」という大切な技術がある。
「ドライブボレー」はスイングが大きいので、とてもむつかしい技術のように思うかもしれないが、実は「ドライブボレー」の方が技術的にはやさしい。
というのも「ドライブボレー」はストロークの技術の応用なので、テニスの練習でもっともたくさん練習するストロークの技術向上が直接的に「ドライブボレー」の技術向上につながるからである。
しかも、ボールはワンバウンドで打つことよりもノーバウンドで打つことのほうがボールの変化が小さいのでインパクトの誤差は少ない。
これは初心者の打球実験でも明らかにされている。
もちろん打つことに関して簡単だからといって、相手の距離が近くなり、ボールに対する対応速度を速くしなければならないなど、他にむつかしい要素もあるので、「ドライブボレー」が簡単な技術であると言うつもりはない。
しかし、対応する速度がそれほど要求されないゆっくりとした中ロブのようなボールに対しては、「ボレー」で攻撃するよりも「ドライブボレー」で攻撃する方が効果的である。
特に動きのスピードがそれほど速くはなく、バックの高い打点での処理が苦手な女性のプレーヤーにはお勧めである。
プロでも女子のプレーヤーの方が「ドライブボレー」を使うケースは多い。
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2008年08月12日
動きのスピード、バランスを高める(1390)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -160-
ネットプレーの中での「ボレー」については、動きの「スピード」と「バランス」が何よりも大切である。
ここではネットプレーでの動きを高めるための「ステップ」について話をしよう。
もっとも大切なことは、遠くのボールを大きく横に跳んで打ったり、ネット近くにふわっと上がったボールを大きく踏み込んで打った後にすぐに次の体勢に入ることができるようにすることだ。
ネットプレーでは相手との距離が近いので、攻撃したボールをリターンされると時間的な余裕がなく、たいしたボールでなくても簡単に追い込まれる。そうならないためには早く「構え」る必要がある。
大きく動かした身体を確実に止め、次の動きへの切り返しをスムースに行うためには、ステップした足とインパクトの「タイミングを合わせること」が大切だ。
動きのバランスが崩れてしまうもっとも大きな原因は、頭が下がってしまい姿勢が崩れてしまうことにある。
急激にブレーキがかかるので、身体の中でもっとも重い頭が前に突っ込み、前かがみになってしまう。
そのボールをうまく打球することができたとしても次の体勢に入ることはできない。
そうならないために「背筋で支える感覚」を強く意識し、頭を下げないように「バランス」を保つことをこころがけよう。
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2008年08月11日
ネットプレーがうまいとボレーがうまいは違う(1389)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -159-
「ネットプレーがうまい」、ということと「ボレーがうまい」ということは違う。
「ボレー」対ストロークの練習などでたくみに「ボレー」をコントロールできる選手が優れたネットプレーなのかというと、必ずしもそうではない。
「ネットプレーがうまい」というのは、相手のパスのコースを読み、瞬発的な動きができ、とっさのラケットコントロールに優れるなど総合的な能力の高さが要求される。
「ボレー」の能力を磨き、優れたネットプレーヤーになることを目指すのであれば、単純な「ボレー」練習だけではなく、ネットプレーの中で「ボレー」を練習することが大切である。
1面のコートを使ってヒッティングパートナーを相手にがんがんネットプレーを練習することができれば良いが、実際にはなかなかそうはいかないのが現実だ。
ひとつの練習のアイディアとして、ベースラインからネットにアプローチしてネットプレーを練習する方法を取り入れてみよう。
これには2つの練習方法がある。
「チャンスボールの打ち込みからのネットプレーのパターン」と「アプローチボールを打ってネットをとるパターン」である。
どちらも最終的にネットプレーでポイントを奪うことを目的としている。
ポイント練習として得点を競わせることで、ベースラインのプレーヤーもポイントをとられないようにがんばるだろうからより練習効果は上がる。
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2008年08月08日
グリップは握るな(1386)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -158-
前にグリップのことについて書いたことがあるが、ここでもう一度確認しておこう。
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指導書に解説があるように、『インパクトでぎゅっと握る』ことによってスピードが増す、ラケットの面がぶれないのでコントロールが良くなるとことはあまり期待出来ないという結果になった。
出来るだけグリップの力は抜いておいて、体全体を使ったスイングを行うようにすることが望ましい。
そして、くりかえし打球しているうちに反射的に、適確なグリップ力を発揮できるようになってくるのである。
******************************************************
ということだ。
どの指導書を見ても「ボレーの威力を増すためにインパクトでグリップを握ることが大切である」と書いてある。
そういう「感覚」や「意識」が功を奏する場合もあるだろうが、より華麗なネットプレーヤーを目指すためには手首や腕はリラックスして、正確にボールをヒットし、楽そうに相手を追い込んでみようではないか。
そのためにも「グリップを握るな」としっかりと頭に入れておこう。
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2008年08月07日
距離感をつかめ(1385)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -157-
「ドロップボレー」の練習でテイクバックの矯正に成功し、ある程度「ボレー」の形ができてきたら次のステップに進もう。
「ボレー」で最も大切なことはコースを狙うことではなく、「距離感」を養うことである。
これは、左右のターゲットを狙って「ボレー」をした場合の得点と前後のターゲットを狙った場合の得点では前後のばらつきの方が圧倒的に大きいことからも分かる。
前後の距離感がなくコントロールするのがむつかしいからだ。
ネットに近いところで打てるので角度がつけやすく、比較的容易に相手を追い込むことができるので、そのことが重要であると解説される場合が多いが、正確なコントロールのためには前後の「距離感」を養うことが大切である。
この感覚を養うことができれば、コートをより広く使って攻撃することができるので、ネットでの攻撃力は飛躍的に向上する。
ネットでの攻撃を主体とするプレーヤーを目指すのであれば、左右だけではなく、前後の攻撃力を高め、相手に大きなプレッシャーをかけることができるように訓練しなければならない。
その基本となるのが「距離感」をつかむ練習にある。
といっても何もむつかしい練習ではない。
サービスラインとベースラインの間にコーンなどのターゲットを置いて、それを狙って繰り返し練習を行うことだ。
ターゲットをおいて練習するとコントロール性能は格段に向上する。
もちろん、「カットボール」は禁止だ。
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2008年08月04日
ボールを強く打つという意識をなくせ!(1382)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -156-
「ボールを強く打つという意識をなくす」というのは何だかむつかしいことのよう思えるかもしれないが、練習の方法はいたって簡単である。
「ドロップボレー」の練習をすれば良い。
「ドロップボレー」を分析した研究では、何も意識しない「ボレー」に比べてテイクバックが小さくなることが確認されている。
ただ「ドロップボレー」を打とうとするだけでストロークの「クセ」を矯正することができるであるからこれを練習しない手はない。
もちろん、注意すべき点はある。
それは「カットボール」を打たないことだ。
「カットボール」とは、ボールが弾んでから手前に跳ね返ってくるように強いスライス回転をかける技術のことだ。
「ドロップボレー」はネットのすぐ近くにボールを落とす技術なので、できるだけボールが相手の方に飛ばないようにスライスの回転をかけてボールを止めようとする意識が働くことが多い。
それに加えて「テニスの王子様」の手塚国光が華麗に「ゼロ式」なる「ドロップボレー」を決めるのをイメージして、それが簡単にできると思ってしまっているので(誰が?)、いきなりそれを目指す方も多いだろう(本当に?)。
しかし、前述の「ドロップボレー」の研究ではスライスの回転はかかるものの、その程度はそれほど大きくはなく、むしろ「フラットに当てる」という表現のほうが近いという結果が示されている。
「ドロップボレー」は、ボールの勢いを殺し、ネットの近くに正確にボールを落とすことだ。
そのためにはラケット面をまっすぐに正確にインパクトして、ボールの勢いを殺すためにできるだけスイングを小さくしなければならない。
テイクバックを小さくすることが何よりも大切だ。
だから、「ドロップボレー」を練習するだけで簡単にテイクバックの矯正ができてしまう。
ん~、これは素晴らしい。是非チャレンジを。
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2008年08月01日
ボレーで攻めろ!(1379)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -155-
「ボレー」は攻撃なショットだ。
だからこそ、
「一発で決めてやるぜ!」
「チャンスボールだ!叩き込め!」
と思いすぎて力が入り、簡単なチャンスボールをミスってしまうことはよくある。
明らかなチャンスボールであっただけにミスをしたことで大きくこころが動揺し、それがターニングポイントになって負けてしまうこともあるだろう。
また、ネットに近いところで打つので、うまく相手を追い込めなければ簡単に相手の逆襲にあうことになる少しリスクの高い攻撃だ。
しかし、この「ボレー」を自分のものにすれば攻撃力は格段に上がり、せっかく素晴らしいショットで相手を追い込んでも、「ボレー」に自信がないので相手から返されたチャンスボールをネットで攻め切れず、振り出しに戻ってラリー合戦というような単調なプレースタイルから抜け出すことができる。
「ボレー」が苦手な人は、ストロークの感覚が強くてテイクバックやスイングが大きくなり正確にインパクトすることができない場合が多い。
なぜそうなるのかというと、「ボレー」とストロークのイメージを上手く使い分けることができなくて、頭の中で切り替えできないからだ。
「ボレー」がうまくなりたければまず「ボレー」のイメージをしっかりと頭の中にきざむことから始めよう。
「ボレー」とストロークのスイングのもっとも大きな違いは、テイクバックの大きさにある。
「ここ」を変えることができなくては前に進まない。
テイクバックの大きさを変えるには、「ボールを強く打つという意識をなくす」ことから始めるのがいいだろう。
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2008年07月29日
「想像力のない奴は強くなれない」の法則(1376)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -154-
自分の成功をリアルにイメージできない人は成功しないと言われる。
スポーツではこれが顕著に現れる。
まったくの夢のようなイメージも必要であるが、具体的に自分の力量を把握しながら、今の自分が最大限に力を発揮したときにはどんなふうになることができるのかについて「想像力」を働かせることができる選手は強くなる。
これが法則である。
「想像力」を鍛えるには方法がある。
ひとつは強い選手の試合を「見る」ことだ。
この前、指導している子どもと一緒にある選手の試合を見た。
この子にとって「見る」必要があると強く思った選手の試合だ。
試合の後、その子は「試合を見るのって大変疲れますね。これなら試合をやっていた方がいいです。」と私に言った。
「ようやくわかってくれたか!」という思いである。
よく「コーチは試合を見ているだけだから疲れないでしょ。」と言われることがある。
「ふざけるなあ!」と言いたい気持ちをぐっと堪える場合も多く、「忍耐力」を発揮して「そうだね」とニコッと笑う自分を褒めていた。
実際に試合を「見る」というのは大変疲れる。
特に「この試合」という思いがあるときは感情移入の度合いも強いので、実際に試合をやったかのようにドッと疲れが出る。
しかし、そのような試合ほど自分にとっていろいろな「想像力」を駆り立ててくれる機会になる。
「どんな練習やトレーニングをすれば良いのか」
「この選手の優れたところや課題は何か」
「どのレベルにまで成長できるか」
など、頭の中に鮮明にイメージが沸いてくる。
下手な練習をするよりも、脳が活性化されているので、筋肉レベルの活性も高まって素晴らしい効果を生むことも多い。
しかし、日ごろから「想像力」を働かせていない人は、
「この試合、面白かったね」
「あのショットはすごいね」
などの感想しか記憶されない。
当然、脳の活性レベルも低いので、「見る」効果が十分に発揮されることもない。
是非、豊かな「想像力」を身につけていただきたい。
そのための具体的な方法を示しておこう。
1.本を読む
本を読む習慣は、自分を現実とは違う世界にいざなうことができるという意味で大変効果がある。
文章や絵から自分なりのイメージを膨らませ、主人公と同じように、「嘆き」、「悲しみ」、「怒り」、「喜び」、「涙する」ことが大切である。
ここで、「本を見て泣くなんてバカじゃないの」と少し覚めた目でみるのはやめましょう。
感動している自分を素直に表現できない人は強くはなれませんよ。
これは、映画やドラマを見たときでも同じ。
大いに泣きまくりましょう!(ちょっと違うかも)
2.素振りをする
脳の中に鮮明なイメージが描けているときは、実際に筋肉の活性レベルも上がっている。
その時に実際に筋肉を動かしておくのは大変効果的だ。
ボクサーがたくさんの時間をかけてシャドーボクシングをするのはその効果を狙っている。
その時のボクサーの頭の中は、自分のパンチが相手を確実にヒットした場面が鮮明に描かれている。
テニスも同じである。
しかし、なかなかそれを行う機会は少ないだろう。
そんな時は、順番待ちで打っている選手の後ろにいるときに、小さくでも良いから実際にスイングしてみることである。
あなたが「想像力」豊かであれば効果はある。
3.記憶する
いい試合を見た後は、鮮明にイメージが浮かんでいるので、もちろん脳の活性レベルも高く、その機会を逃さず練習をすれば効果がある。
しかし、ちょっと時間が経つとイメージは薄れ、何が自分にとって良いと感じたことすら忘れてしまう。
実際には、このように「忘れては思い出す」を繰り返して、だんだんと「自分のもの」になっていくのであるが、もし「忘れる」ことが少なければもっと効果が上がるだろう。
本から鮮烈なヒントやイメージを受けたのであれば、その本を定期的に「みる」(読むというのではない)ことを薦める。
私もお気に入りの本を持ち歩きはしないが定期的に「みる」ようにしている。
そこには線が引いてあったり、いろいろなことを書き込んであるので、一目みただけで、その時の状況が浮かんできて、脳の中がリフレッシュされて、イメージがより強くわいてくる。
試合などの後にひらめきがあったのであれば、それをノートなどに書き残しておくと良いだろう。
文章の体裁などはどうでもよい。
感じるままの殴り書きの方が望ましいだろう。
きちんと整理しすぎると時間がかかり過ぎるという問題があり、パッとひらめいたのであれば、パッとその記憶を残すようにした方が良い。
何かうまくない時などがあったら、ときどきノートを開いて「みる」といいだろう。
その時に感じたひらめきやイメージがよみがえってきてあなたを救ってくれるかもしれない。
その時あなたは強くなる。
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2008年07月26日
「自立できない奴は強くなれない」の法則(1373)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -153-
テニスは「孤独」なスポーツであると書いた。
プロでもコーチをつけてツアーを回るケースはほとんどない。
お金がないからだ。
だから、何から何まで自分でやらなければならない。
大会の申し込み、宿泊の確保、交通手段の確認などの事前の準備はもちろん、練習コートの確保、練習パートナーやダブルスパートナーの確保は言うに及ばす、食事や体調の管理も自分の責任で行うのが当たり前である。
こうしたことは大変なことであると思うかもしれないが、私が指導してきたプロやトップ選手は「たいしたことない」と平然と言ってのける。
小さい頃から「自分でやる」という意識が強いからこそ、プロやトップ選手になったのであるから、その意識が強ければ何でも「自分でやる」というのが当たり前の感覚なのだろう。
だから、どんな時でもその時「自分が何をすべきか」を総じて分かってることが多い。
それができる選手を「自立」できていると評する。
橋本治(「橋本治の男になるのだ」ごま書房)は、
「『戦いに勝つ』は、『なれあいの群れから離れて、自分の信念に従って生きる-そのことを押し通せる』です。このことこそが『自立』で、『自立』とは『戦い』が成り立たなくなった現代に唯一残された『戦い』なんです。」
と言っている。
そう「自立」とは「戦い」なんです。
テニスとはもちろん相手と戦うスポーツであるが、それ以外にもいっぱい闘わなくてはならない「もの」がある、ということだ。
それが「自立」するということであり、それなくして「強くなる」ことはできない。
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2008年07月23日
「忍耐力のない奴は強くなれない」の法則(1370)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -152-
もっとも大切な法則、それは、「忍耐力のない奴は強くなれない」である。
テニスというスポーツは、プロスポーツとしては大変市場の狭いスポーツである。
ゴルフであれば、日本ツアー、アメリカツアー、ヨーロッパツアーなど、あるまとまったエリアでプロスポーツとして成り立っていて、多くのプロがそれで「食って」いる。
野球にしてもしかりである。
しかし、テニスは「ワールドツアー」しか存在しない。
そして、そのツアーでトップ100しか「食えない」という狭き市場なのである。
当然、そこに行き着き、生活をプロとして支えるためには、とてつもなく厳しい戦いを勝ち抜いていかなくてはならない。
当然、行き着くまでの間は食うことはむつかしい。
それでもそこに挑むには、並大抵の「忍耐力」では耐えられないことは想像に難くない。
また、テニスは一人で戦わなくてはならない。
ゴルフではキャディーというサポーターが近くにいるし、試合の最中にも声を掛けることができる。
野球やサッカーのような団体スポーツでは仲間とともに戦うので孤独感はないだろう。
試合に入ったらまったくの一人きり(団体戦を除いて)、何のアドバイスも、協力も求めることができないもっとも孤独なスポーツなのである。
だから、歌でも
♪コートではひとり、ひとりきり
という歌がじ~んとこころに沁みて泣けてくるのである(えっ、私だけ?)。
それくらい孤独なスポーツなので、それに耐えられない選手はそもそもテニスには向かない。
これは相当に大変なことだ。
まだまだあるぞ。
テニスはもっとも「しんどい」スポーツだということだ。
試合時間は、長いときでは3時間や4時間以上にもなる。
大きな大会になれば、2週間も試合をし続けることになる。
1週間は当たり前である。
しかも、その大会に向けて調整という意味で、少なくとも3、4日は試合会場で練習することになるし、今やっている大会と次に出場する大会でサーフェイスが違えば、調整期間はもっと長くなる。
野球やサッカーではサーフェイスが問題になることはほとんどないだろう。
気候の違いや時差などによる調整が必要ということはあるが、それとてテニスでも同様であるので、テニスは2重3重に苦しい思いをしなくてはならないということだ。
「もう、やめだ!」と思いたくなる気持ちはよくわかる。
これはもちろんプロ、もしくはプロを目指している人のことであるが、ジュニアの選手でも同じような「忍耐力」が求められるのがテニスの世界である。
テニスではプロのツアーの仕組みもジュニアのツアーの仕組みもそれほど変わるわけではない。
ポイントを稼いでランキングをあげるために世界中の大会に参加し、グランドスラムを目指す。
プロとなんら変わることはない。
ということは、ジュニアのときからもの凄い「プロ意識」がなくては戦ってはいけない舞台なのである。
しかし!日本ではちょっと事情が違い、特殊なルールに則って試合が行われることが多い。
練習無し、ワンセットマッチ(私はノーアドバンテージの4ゲーム先取の試合を知っている)、休業中の過密日程などなど。世界から見れば異様な世界がそこには広がっている。
かくいう私も海外に出る前までは、「この世界」が当たり前であると思っていた。
そこでは本物の「世界」で戦う凄まじいまでの「忍耐力」を必要としない。
だからこそ「忍耐力」のある選手は素晴らしい成績を修めるチャンスが大きい。
まだあるぞ。
テニスでは多くの場合「セルフジャッジ」である。
もめごとがないわけがない。
しかし、ルール上も、倫理上もネットを飛び越えて相手に殴りかかる、というわけにはいかない。
ひたすら「そのこと」を耐え忍ばなければならないのだ。
そんなときに人間としての「耐性」が試される。
現状が自分に不利に働いて、それをどうすることもできないとき人間が絶望する。
そんな機会がもっとも多いのがテニスというスポーツなのである。
いかに「忍耐力」が必要なのかは理解できるだろう。
これだけでは終わらない。
実はテニスは大変お金がかかる。
レッスン費、クラブに練習に通うための交通費、ガットはぶちぶち切れる。
強くなればなったで、遠征にかかる費用はばかにならない。
ツアーに出なければポイントを稼ぐことができないので、国内だけでの遠征では済まなくなる。
当然何万円ものお金がかかるのだ。
それを支えているのはもちろんほとんどの場合「親」だ。
お金を出すスポンサーだと考えても良い。
スポンサーであればいろいろなことに口出しをする。
その最たるものは「強くなれないんだったら、お金はださない。」という「脅し」である。
これは結構強力である。
プロであったら、それを否定することはできず、ひたすらお願いしてお金を出してもらうか、他のスポンサーを探すことになる。
それが「強くなる」ためのモチベーションにもなっている。
しかし、実際に親となると「うっとうしい」存在であると考えてしまうのが普通である。
いろいろといわれると「感情的」になるのが当たり前なのだ。
この感情的になった自分をコントロールするのは大変な「忍耐力」が必要とされる。
私に言わせれば、これは「訓練」としては良い機会だと思うのであるが、小さい頃から送り迎えが当たり前で、言うがままにお金を出してもらうのが当たり前で育ってきて、その成果が思うように出ないときにはお互いが「感情的」になることは避けられない。
ここに本当に必要な「忍耐力」の訓練の場があるのであるが、それに耐えられない子は(もちろん親も)大変多い。
テニスとはこんなスポーツである。
あらゆるスポーツの中でもっとも「忍耐力」が必要なスポーツのひとつであることは分かってもらえただろうか。
だからこそはじめに大きな声で叫んでおきたいのである、「忍耐力ない奴は強くなれない!」・・・と。
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2008年07月20日
次の攻撃に移る意識を高く持て!(1367)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -151-
スマッシュは一発で決まれば問題ないのだが、それがリターンされたときに体勢が大きく崩れていると簡単に追い込まれてしまう。
サービスでもリターンに対して素早く構えることは重要であるが、スマッシュほど打った後に体勢は崩れにくいし、ベースラインに位置しているので比較的対応しやすい。
体勢が崩れないようにバランス良くスイングするコツは解説してきたが、何よりも次の攻撃に対しての「気構え」が大切である。
スマッシュに自信がない人は、スマッシュがちゃんと打てるかどうか、コートに入るかどうかに強く意識を向けてしまう。
運良くきちんと打てると安心して「次へ」の意識を高く持つことができない。これでは攻撃を連続することができない。
スマッシュは一発で決めるための最大の武器であるが、「次の攻撃への意識」というバックアップがあればさらに強力な武器になることを忘れないでほしいと思う。
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2008年07月19日
ジャンピングスマッシュを練習しろ!(1366)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -150-
スマッシュの基本は、後ろに下がって前に踏み込みながら打つことではない。
こんなボールよりも後ろに下がって打つケースの方が多いはずだ。
後ろに下がって打つことができなければ、スマッシュを打てる範囲は狭く、前にいてもその攻撃で相手にプレッシャーを与えることはできない。
だから後ろに下がりながらジャンプして打つスマッシュをたくさん練習しなければならないのだ。
もちろん、初心者の方が頭の上でボールを打つための距離感を練習するにはそれでも構わないが、強くなるためにはジャンピングスマッシュの練習は避けては通れない。
段階的に練習していこう。
まずは、右足でためを作ることが大切だ。
後方にジャンプするには後方に下がったときに体を止め、その力を利用して上にジャンプするためにきちんと足をセットしよう。
ジャンプ動作がきちんとできれば、背筋があまり緩まないので軸が安定し、バランスの良いスイングができる。
次に大切なことは、ジャンプの力を体の回転にうまく使うことだ。
そのためには、着地の足を鋭く「引く」ことが大切である。
これは静止した状態から引き足を使うと鋭く前にダッシュできるのと同じことだ。
この「引き足」と着地動作がうまくできれば、体はスムースに回転し、次の動作が速くなる。
重心が後方に大きく傾くのを防いで、次の動きがスムースになる。
「股関節」をうまく使うことも大切なポイントだ。
両手を頭の後ろに組んで両足を限界まで広げ、その姿勢からできるだけ上にジャンプしないように両足の位置を入れ替えるトレーニングがある。
私のクラブのプレーヤーズコースでは定期的に行わせているトレーニングであるが、これがスムースにできないと、ジャンプした足と、着地する足の切り替えがうまくできないのでスムースに体を回転させることは難しい。
何となく回転動作がギクシャクしていると感じたら、少しこのトレーニングを導入してみよう。
「ジャンプバックトレーニング」で確認する、というのも面白い。
これはネットからベースラインまで下がりながらスマッシュ動作を繰り返すというトレーニングである。
ただし、ステップは右足を準備するのに1回、着地に1回しか使えない。
何度も小刻みにステップをして動作を繰り返してはいけない。
スイングのバランスが良くないと、1回1回の動作がふらふらして、まっすぐに後ろに下がっていくことができない。
実際のスマッシュ動作でもきちんとスイングできるはずはない。
これらのトレーニングは、筋力アップを狙いとするトレーニングではないので、ちょっとしたきっかけでびっくりするくらいスムースに回転動作が行えるようになり、鋭いスマッシュが打てるはずだ。
もちろん「軸」をしっかりと作ることも大切なことだ。
そのためには「背筋を使って打つ」ように意識することが重要であることは何度も言ってきた。
腕を振ろう振ろうと意識しすぎると、腕、特に上腕が早く下にさがってしまい、上体も前に折り曲がるような姿勢になるので、バランスも崩れ、鋭く腕を振ることができない。
ジャンプ動作の最中も、着地してからも、背筋が緩まないように(もちろん腹筋も)意識して打ち込んでほしい。
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2008年07月15日
振り切るな!(1362)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -149-
スマッシュの練習では、強いボールを打つために「もっとラケットを振り切れ!」とか「ヘッドを利かせろ!」なんていうアドバイスを良く耳にする。
たしかに鋭いボールを打つためには大変重要なことだ。
しかし、よくよく聞いてみると、「振り切るにはフォロースルーを長く大きくするんだ!」なんていうちょっとおかしなアドバイスもあったりする。
スマッシュのときに必要なのは鋭く振り切ることであって、大きく振ることではない。
大きく振ろうと意識することで体勢が崩れたり、次の動作に対する対応が遅れたりすることも多い。
ではどうすれば良いのかというと、すばり「振り切るな!」ということである。
鋭く振り切れといっているのに、「振り切るな」とは矛盾しているように思うかもしれない。
正確に言えば、「上腕を振り切るな」ということであり、そう意識することでラケットを鋭く振りきれるようになるということである。
サービスの解説のときに、「体を止める」ことの大切さを解説した。
*****************************************************
正面を向いて、腕の力を使ってラケットを振ろうとすると前かがみになって腰が引けたようなフォームになる。
テニスではよく「軸」という言葉が使われる。
とても大切な考え方であるが、「軸」は身体の程良い緊張を「意識的」に作り出すことであり、胴体の動きを過剰に使って腕を振っていて「軸」が作れるはずはない。
それを矯正するために、インパクトで「体を止めるように意識」してラケット振ってみよう。
以前に「姿勢が前かがみになっていたりすると、うまく背中の筋肉を使うことができず、鋭くスイングできない」と書いたが、逆に背中の筋肉を適度に緊張させれば前かがみの姿勢にはなりにくく、腕を鋭く振り抜くことができるということを示している。
「体を止めるように意識」してラケットを振れば、正しい姿勢で鋭く腕を振ることができる。
間違いなくあなたのスイングスピードは上がる。
もちろん、「軸」を作ることにも役立つはずだ。
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とうことである。
もちろん、スマッシュにおいても体を止める感覚、背筋を使って打つ感覚は大変大切であるが、スマッシュは次の動きを素早くしなければならないことに加えて、難しい体勢でラケットを振り切らなければならないことがあるので、サービスよりもよりもコンパクトに振り切って、バランスを崩さないようにしなければならない。
そのためにサービスよりも身体の動きを小さくしながらラケットを加速するために「上腕を止めること」を強く意識しなければならないのである。
そのように意識してスイングすると、上腕が肩のあたりの高さにあって前腕とラケットが前方に残っているような姿勢でフィニッシュする。
そんな写真を見たこともあるだろう。
ここがサービスとスマッシュの大きな違いでもある。
「上腕を振り切らずに止めるように意識して、前腕とラケットを鋭く振り切る」、これがバランスを崩さずに鋭いスマッシュを打つ秘訣である。
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2008年07月13日
素早く構えろ!(1360)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -148-
スイングの形はサービスと似ているが、スマッシュは相手がボールを打つので、そのボールに対応しなければならない。
だから「素早く構える」ことが大切だ。
「素早く構える」ためにはフットワークの問題とか意識の問題とかいろいろあるので、どれがもっとも大切なのかと言うことはできない。
ここではテイクバックについて考えてみよう。
サービスのときに「フロントバック」式のテイクバックを紹介した。
******************************************************
スムースなスイング動作を行うにはテイクバックの構えが大変大切である。
これを実行するために昔教えられた両手を「バンザイ」するようなテイクバックではうまくいかないことが多い。
特に肩の弱い女性やジュニア選手ではこのようにテイクバックすると上腕がうまく引きあがらず、正しい形に準備することができない。
そんな時、両手を顔の前から引いてくる「フロントバック」という方法を試してほしい。
これは両手を顔の前に持ってきて、そのまま肘を肩の後ろに引くようにテイクバックする方法だ。
このようにすると肩の筋力の弱い女性やジュニア選手でも楽に正しい形にテイクバックすることができる。』
******************************************************
ということである。
サービスよりも「対応の素早さ」を必要とするスマッシュではこの方法以外でうまくいくことはむつかしい。
是非身につけてもらいたい。
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2008年07月11日
ヒッティングゾーンをつかめ!(1358)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -147-
ある程度の打ち分けができるようになったら、正確にヒットできるように訓練をしよう。
正確にヒットするためには自分がもっとも楽に強く打つことができる「ヒッティングゾーン」をつかむことが大切だ。
よくスマッシュの練習では「指の先にボールを見て」とか「ボールを指差して」などと指導されることがある。
どちらも正確にヒットすることができるようにするアドバイスであるが、効果はあまりない。
実際にスマッシュの映像を確認すると、指先にボールがないことが多い。
ボールを打つポイントを見ると、身体の軸の延長線上(中心軸のほうがわかりやすいかな)からあまり大きくずれてはいない。
ということは、ボールは頭の上あたりで打つことになるのだが、そこを指差そうと思うと手をまっすぐに上に伸ばさなければならない。
そんな風に腕を上げるのは窮屈だろう。
そして、腕をそのように窮屈に上に伸ばすと反対側の腕、つまりラケットを持っている側の腕もスムースにスイングすることはできない。
あまりうまい方法とはいえない。
では、どこでボールを打っているのかというと、上げた腕と身体の軸線で作るエリアの中だ。
あなたがもっとも楽に強くボールをヒットできるポイントは必ずそのエリアの中にある。
これを「ヒッティングゾーン」と呼んでいる。
もし肩の筋力などが弱くて腕を十分に高く引き上げることができなくても、このゾーンで打つことができれば強いボールが打てる。
また、頭の後方に上がったボールに対しても身体を少し反らして軸線を後方にずらしてきちんとゾーンの中で打つことができればフェデラーのスマッシュも夢ではない。
常にゾーンで打つことを心がければ、その中でも自分がもっとも強く正確にヒットできる「ポイント」が見つかるはずだ。
そうすればいつでもスマッシュを「武器」にできる。
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2008年07月09日
スマッシュはワイドに打て!(1356)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -146-
そのためには「ワイドへ打つ」ことを練習しよう。
もちろん角度をつけることが必要なので「回転」を意識した方が良いだろう。
サービスでスピンサービスやスライスサービスをある程度打つことができるのであれば、基本的な要領は同じである。
ただスマッシュでは練習しないだけだ。
センターライン上に立って、スライスで左サイドへ、スピン回転で右サイドに(※右利きの場合)打つ練習をしよう。
決してフラットの強いボールを打つことだけに意識を向けてはいけない。
意識するのは「回転」と「コース」である。
その打ち分けがうまくできるようになれば、フラット系のスマッシュを打ち込むことなど簡単にできるようになる。
信じて練習してほしい。
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2008年07月08日
スマッシュの方が簡単!(1355)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -145-
サービスとスマッシュではどちらが難しいだろうか。
スマッシュと答える人のほうが多いだろう。
しかし、実際のミスショットはスマッシュの方が圧倒的に少ない。
まあ、スマッシュの場合は相手がボールをあげるので、どこに来るのか分からないボールに対して対応する技術が必要であるのに対して、サービスは自分でトスをあげるので一概に比較することはできないが、スマッシュの方がミスは少ないのは事実だ。
ミスショットと言っても、ここではコートに入るかどうかだけを比較している。
なんせサービスは、コート全体の4分の1弱のエリアにしか入れることが許されないのであるから、ミスが多くなるのは当たり前といえば当たり前の話である。
このミスを空振りのミスに限定すれば、スマッシュの方が多いに決まっている。
サービスで空振りする人が、スマッシュを確実にヒットできるとは到底思えない。
ここで私が言いたいのは「スマッシュは入れるべきエリアが広い」ということだ。
それを活かしていないケースが多い。
そして、そのことを意識して練習しているのといないのでは、その後のスマッシュの技術の習得に大きな差が出てくる。まずはそのことを頭にしっかりと入れよう。
「スマッシュは打つエリアが広い」、これがとても大切な考え方である。
スマッシュ=強いボールでエースをとる、と思い込みすぎていると、こういう発想は出てこない。
確かに威力あるスマッシュを豪快に決めるのはかっこいい。
でもその確率が5本に1本ではわざわざ相手にポイントをやるためにスマッシュを打つようなものだ。
強くなるためには、確実にポイントのとれる方法を選択しなければならない。
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2008年07月04日
リカバリーのスピードを上げる(1352)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -144-
サイドに大きく振られた状況でうまく返球したのはいいが、リカバリーが遅れると何の意味もなくなってしまう。
特に両手打ちのバックハンドでは、リーチが短い分だけ遠いところに打たれたボールを返球しようとすると胴体が大きく外側に移動するので、その動きをカバーし、リカバリーのスピードを上げるためのフットワークを手に入れなくてはならない。
最近は遠くのボールに対してもオープンスタンスで返球する選手が多くなってきた。
素早くリカバリーするには最適なスタンスである。
「インパクトゾーンが狭くなり、少しのタイミングのずれが大きなミスを引き起こす」などの問題点もあるが、強くなるには手に入れておかなければならないテクニックである。
是非トライしてほしい。
しかし、まだまだクローズドスタンスで返球する選手が多く、このスタンスでのリカバリースピードを上げる練習しておくことはバランスの良い両手打ちバックハンドを打つためにも大切なことだ。
このスタンスで打つときに特に注意してほしいのは膝の角度と向きである。
以下の解説をよく読んで実践していただきたい。
足を大きく踏み込んだときに曲げた右膝(右利きの選手の場合)に体重を乗せすぎてしまうと、返球したあと、重心が外側へ逃げるため、左足をサイドへ大きくステップさせないと、次への準備ができない(これをステップアウトという)。
これではリカバリーが遅くなるのも仕方ないだろう。
股関節を広げて膝の曲げる角度を小さく、体重をやや後ろに残すような感覚で返球すれば、重心が踏み込んだ方向へ大きく移動しないので、素早くセンターへ戻ることができる。
また、その時膝を進行方向よりも少し内側に向けることがポイントである。
こうすることで膝関節や股関節が大きな力を発揮することができ、筋肉に無理な負担をかけることがないので素早い動きができるとともに、長時間のハードな試合でも体力維持に貢献できる。
これは素晴らしい効果だ。
このスタンスでバランス良くスイングができるようになった上に、さらにリカバリースピードを上げる方法として「ジャンプリターン」をマスターしてほしい。
これは、返球すると同時に軽くジャンプしてターンし、両足を着き、そのまま地面を蹴ってセンターへ戻る方法である。
バランスよくスイングできていないと、踏み込んだ足のつま先の位置よりも重心位置が外側に大きくずれてしまう。
つま先の位置に重心位置がくるか、さらに内側にくるように身体コントロールすることができれば、あなたのリカバリースピードは格段に上がるはずだ。
強くなるに決まっている。
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2008年07月01日
鋭く切り返せ(1349)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -143-
遠いところに大きく振られた場合、両手打ちバックハンドで打つ人も片手で返球することになる。
この返球が弱いと簡単に打ち込まれポイントを失ってしまう。
やむを得ず行うシングルバックハンドであるが、その返球を鋭くしなければ強くなることは難しい。
問題は「グリップ」だ。
近いところのボールを打つときには厚いグリップでも問題は少ないが、遠い位置からシングルハンドで返球する場合、厚いグリップではボールは返らない。
シングルハンドでとれるような薄めのグリップで握る必要がある。
薄いグリップで握ると、シングルハンドでも力が入るため打球をブロックすることができ、さらに厚いグリップで握ったときよりもより遠くに手が届く。
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2008年06月30日
バックで攻める!(1348)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -142-
私達の時代はバックハンドが弱点だった。
勝とうと思ったら「とりあえずバックに打っとけ」が当たり前の作戦だった。
しかし、今やバックハンドは弱点どころか大きな武器となっている。
その武器を持って世界で戦っている選手も多いが、苦手とするショットであることも多い。
ここでは、その苦手を克服して、バックハンドを更なる武器として磨く方法を伝授しよう。
●高い打点で打つ
苦労してラリーをつなげ、相手の攻撃を凌いでやっと来たチャンスボール、高い打点からバシッと決めて試合に勝ちたい。
誰もがそう思うが、高い打点から打ち込むことはそれほど容易なことではない。
ましてや両手打ちバックは片手のフォアに比べればスイングも小さくなり、高い打点で打ち込むことはより以上に難しくなる。
しかし、チャンスボールを打ち込むことができなくては強くなることはできない。
ここではそのための方法を解説する。
高い打点でボールが打てない人は、高いところに腕を上げられない。
ラケットを普通に持ち、いつも通りのテイクバックの形から肩より上に腕を上げようとしたとき、肩が緊張して腕に不自然な力が入っているようなら、高いバウンドのボールも打ちにくいはずだ。
肩より上に腕を上げようとするとき、肩周りの筋肉を緊張させず、腰あたりのインパクトの形と同じ腕の感覚で上げるようにすると、ラケットは「オープンフェース」になる。
これが楽に腕を上げられる形だ。
そのかわり、オープンフェースに構えてから、高い打点からフラット気味の打球を打ち込むには、打点は腰の高さでとらえるときよりも前になる。
軸は崩さずに、その軸を斜め前に傾けるようなフォームになる。こうすることで腕を使いすぎることなくスムースに高い打点でスイングすることができる。
トッププロでも小柄な選手には必須のテクニックで、マルセロ・リオスなどがこのテクニックを使って高い打点で鋭いバックハンドを打っていた。
これをマスターすれば、高いバウンドのボールもうまく処理できるはずだ。きっと強くなる。
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2008年06月29日
視線をコントロールする(1347)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -141-
姿勢が悪かったり、軸が作れていないことがミスの原因のひとつであることはすでに説明した。
姿勢がうまくコントロールできないのはボールを打とうとするときに顔が大きく動いてしまうからだ。
頚を左右に傾けると、傾けた方の腕は伸び、反対側の腕は縮もうとする。これを「頚反射」というが、頸の傾きによって動きは制限されることを示している。
よくジュニアの選手などで打球する際に頸を大きく傾けて打つのを見ることがあるが、そのことによってスイング中の重心動揺が大きくなったり、自分の感覚とは違った動きをしているにもかかわらず、それをフィードバック情報として的確に受け取ることができないために傍から見るとぎこちないスイングになっていたりすることは多い。
できるだけ腰から頭の先まではまっすぐにした方がバランスの良いスイングができるはずだ。
そのためには先に述べたように背中の筋肉を意識してスイングすることの他に、きちんと「前を見る」ということが大切だ。
まっすぐに「前を見る」ように意識すれば頸の傾きは小さくなり、感覚のずれも少なく、姿勢の崩れも小さくなる。
「ボールをよく見る」ことはより良いスイングをするためにとても重要なことだ。
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2008年06月28日
背中の筋肉を使って打つ(1346)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -140-
手を使って打とうとすると、インパクトでラケット面をうまくコントロールすることができずミスが生じることはわかっていただけただろうか。
では、安定した強いスイングを生み出すにはどこの筋肉を使えば良いのかというと、それは「背中」の筋肉だ。
背中の筋肉で腕(上腕)を引き寄せ、背中と腰の筋肉を使って胴体のスムースな回転動作を引き出すことができれば、必要以上に腕を使わないシンプルなスイングになる。
また、背中が丸くなったり、身体が過度に前傾すると、軸が保てず、大きなスイングもできないため小手先で打つスイングになってしまうが、背中の筋肉を意識して使うことで姿勢の崩れを防ぎ、自然と軸を保った姿勢を作ることができる。
このようなスイング感覚を手に入れることができれば楽に大きなスイングをすることができ、鋭い打球を打てるようになるばかりか、スイングバランスが良くなるので素早いコートリカバリーにもつながっていく。
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2008年06月22日
悪いクセを矯正しよう!(1340)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -139-
悪いクセは、シンプルに矯正することができる。
そのポイントを解説していこう。
●胴体の回転動作で打つ
手を使わずに打つとすると、どのような動きでボールを打てば良いのかを考えてみよう。
筋力が弱く関節の自由度が大きな腕を大きく使ってスイングするとラケット面が崩れやすく、安定した打球にならないので、できるだけ手を使わずに胴体の回転運動でボールを打つことが基本となる。
ラケットと腕をひとつの「ユニット」として胴体の回転運動でスイングすることを「ユニットターン」などというが、胴体は腕ほど簡単に大きくは動かないので安定した動きを作り出すことができる。
「ユニットターン」では、動きの中心が胴体にあることから、腕がリラックスし、いつも同じ動き、誤差の少ない動きで打つことができるため、ミスが少なくなる。
また、胴体の回転運動で打つもうひとつのメリットは、インパクトの衝撃力に対して強いということである。
腕だけで打とうとして、インパクトの瞬間にグリップがその衝撃に負けてずれたりした経験はないだろうか。
相手からの強打を受けた場合、腕だけで打とうとすれば衝撃も強く、打ち負けてしまうが、「ユニットターン」を使い、胴体の回転運動で打てば腕の筋力はスイングすることには使われずに、インパクトのときにラケット面を把持することだけに使うことができるので、少々の強いボールに対しても打ち負けることはない。
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2008年06月19日
理想的な両手打ちバック(1337)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -138-
まずは両手を「ユニット」として動かすように心がけることから始めよう。
特に両腕の前腕とグリップで作る三角形をスイング中に崩さないように動かすことが大切である。
この三角形が大きく崩れる原因は、
・上腕が止まってしまって腕を楽に大きく振れないこと
・手首を極端に使いすぎること
にある場合が多いので、これらのことに注意を払ってスイング動作を繰り返し練習すれば「ユニット」動作を習得することができる。
●胴体や下半身の使い方が悪い
さて、スイングバランスが悪いのは何も腕の使い方だけではない。
胴体や下半身の使い方が悪くてミスを繰り返す場合も多い。
次にそのような問題点を探っていくことにしよう。
[問題その④] 膝を伸ばすタイミングが早い
膝の曲げ伸ばしを大きく使って体を上下に動かし、トップスピンのボールを打とうとする人がいるが、膝を伸ばすタイミングが早いと、身体が伸び上がった状態でボールを打ってしまい、打球はネットすることが多くなる。
テニスで下半身は大切であるが、必要以上に膝の上下運動を使うと打球は不安定になる。
身体の余計な動きを使わず、胴体の回転運動で打つようにすると良い。
[問題その⑤] 打球時の姿勢が悪い
背中が丸くなったり、身体が過度に前傾すると必然的にラケットを十分な高さに振り上げることができない。
このようなスイングになっているときは、フィニッシュで脇が締まって窮屈なスイングになっているはずです。
すでに解説したように、きつく脇が締まった状態では小さなスイングになってしまい、ラケット面をうまくコントロールできないのでミスしやすくなる。
楽に大きくスイングするためにも身体は起こすように意識することが大切だ。
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2008年06月18日
ミスの原因を突き止める(1336)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -137-
バックハンドをミスする原因を理解しておくことは、技術向上に大変役に立つ。
ここでは、その原因を探りながらその対処法を示すことで、より効率的な技術の習得・向上を目指していこう。
●両手の使い方のバランスが悪い●
両手打ちバックがうまく打てない原因の中で、もっとも大きな原因は両手の使い方のバランスが悪いことにある。
両手打ちバックはもちろん両手でスイングするので、両手の使い方のタイミングが合わなかったり、左右どちらかの腕の使い方に問題があってスムースにスイングできないとミスにつながる場合が多い。
※右利きの場合について説明しています。
[問題その①]右肘を引いて打つ
本来はインパクトゾーンで打ちたい方向にまっすぐスイングするべきところを、右肘を引いてスイングしてしまうと、
・右方向への小さなスイングになり、ボールは右方向へ飛んでいくことが多くなる
・気持ちよくスイートスポットに当たらず、ラケットの先端で打ってしまうことも多い
右方向へのサイドアウトが多い人は、このようなフォームになっていないかチェックした方が良いだろう。
また、このような打ち方になっている人は、フィニッシュで脇が強く締まって縮こまっているようなスイングになっているので、ラケットを肩の後ろまで大きく引き上げることができない。
[問題その②]右手の動きが止まり、左手がかぶさる
右手の動きを止めて左手でボールを打とうとすると、左手が右手にかぶる形になってしまい、インパクトゾーンでラケット面を正しくコントロールできないばかりか、バランスの良いスイングを妨げる結果になる。
このようなスイングでは、
・ラケット面がかぶってしまうことで、ネットミスをする
・また、打球を右へひっぱってしまい、右方向へサイドアウトする
・ラケットの先端で打ってしまう
という問題が起こることが多い。
[問題その③]左の肘が下がる
両手打ちバックの右手と左手は「ユニット(一体)」として動き、両腕の前腕とラケットで作る三角形はスイング中に大きく変わらないほうが望ましいが、左手の肘が下がってこの形が崩れると、インパクトゾーンでラケット面は不安定になりやすい。
左肘が下がるとラケット面は開いてしまうので、
・ベースラインをオーバーするアウトが多くなる
・左右のブレが大きくなる
両手打ちバックがうまく打てない人は、これらの問題点のうち、ひとつやふたつは当てはまるはずだ。
これらの問題点で共通しているのは、「手を使いすぎる」ということだ。
対策はずばり!「手を使うな」ということである。
テニスはラケットという道具を使って行うスポーツなので、「手を使うな」と言われるとちょっと不思議に感じるかもしれないが、手は自由度が大きいだけに動かすことができる範囲が大きいかわりに筋肉が小さく大きな力を出しにくいので、手を動かしすぎるとちょっとしたことでラケット面が崩れやすい。
インパクトの衝撃力に負けてラケット面をうまく調整できないことも多く、そのために大きくコントロールを乱すことになる。
「テニスは足ニス」と言われるのは、フットワークが大事であるということを示唆するだけではなく、「手を使いすぎてはいけない!」ということを示しているのである。
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2008年06月17日
主流の両手打ちバックを極める(1335)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -136-
私がテニスを始めた頃は、多くの選手は片手打ちのバックハンドであった。
なんせ最初に習うのは片手打ちのスライスのロブだ。
今考えると無茶な教え方だとは思うが、当時はそんなものだった。
しかも教える(大いに?)のは素人の先輩だ。
そして、技術レベルの低い片手打ちバックはあまり攻撃的なショットを打てないことから、ひたすら相手のバックを狙うように教えられ、その戦術ひとつで勝ちあがる選手も少なくなかった。
かくいう私もその一人だ。
その当時、両手打ちバックハンドで世界ナンバーワンになったジミー・コナーズもいたが、どちらかというと異端視されていた。
しかし、ビヨン・ボルグがウィンブルドンで5連覇する頃からバックハンドの両手打ちが高く評価され、その後多くの選手が両手打ちのバックハンドを武器に戦うようになったと思う。
ただ、ボルグが全盛期の頃は、多くの素人さんがFILAのウェアに身を包み、DONNEYのラケットに80ポンドでストリングを張って両手打ちバックハンドを打っているのを見るのはちょっと気持ち悪かった。
もちろん、今でもエナンやモーレスモ、フェデラーのような鋭い片手打ちのバックハンドを武器にしている選手はいるが、両手打ちの選手の方が圧倒的に多いことに変わりはない。
そこで、この両手打ちのバックハンドを武器にするための秘伝を伝授していく。
あなたが「強くなるため」に少しでもお役に立てるのなら幸いである。
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2008年06月14日
体を武器に変えろ!(1332)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -135-
いくらサービス力を高めようと思っても、肩の筋力が著しく劣っていたり、柔軟性に欠けているようであれば無駄な努力に終わることも多い。
だからといって今から必死にトレーニングするというのも考えものだ。
そこで秘策を授けよう。
ひとつは腕の自然な回内動作や肩の回旋動作を身につけるためにスローイングの練習をすることだ。
野球のグラブとボールを容易して、サービス練習の前にキャッチボールをしているのを見たことがあるが、これも効果的である。
実際に竹内庭球研究所におじゃましたときに女子のプロ選手がグローブ片手にキャッチボールを結構長い時間行っていた。
私は高校野球のトレーニングを指導しているのでもちろんグローブは「マイグローブ」である。
しかも、イチローモデル!
なんて自慢している場合ではないが、この方法は少し広いスペースが必要であったり、例え軟式ボールでも当たれば痛い。
他には柔らかいアメリカンフットボールの後ろに矢のような羽がついた道具がある。
アメリカンフットボールのキャッチボール練習用に作られたものだと思うが、なかなかの優れものである。
この道具を投げたときに手首をへんにこねたり、肘が早く下がったりするとまったく前に飛んでいかない。
しかも前腕の回内動作をスムースに行わないとボールはゆらゆらと揺れて飛距離が出ないばかりか、全くコントロールできない。
逆にその動作がうまくできたときはびっくりするぐらい「シュパッ」とまっすぐ飛んでいくので、動作がちゃんとできているかどうかがはっきりとわかるのである。
丸いボールではそのあたりが確認しにくいのでこちらの方がお勧めである。
もちろんスペースもそれほど必要ないので、テニスコートくらいの広さを使ってトレーニングするにはもってこいの商品である。
私がトレーニングを指導するプロ選手もサービス練習のときにこの道具を使ってトレーニングを行っている。
ただし、これは筋力を高めるのではなく、腕や肩のスムースな動きを習得するためのトレーニングなので、そのあたりの筋肉がうまく動くように柔軟性を高めておいた方が効果は高い。
そう、次にやっていただきたいのはこの「柔軟性」を高めるトレーニングである。
通常のストレッチを丹念に行うというのでも良いが、ここでは肩甲骨の柔軟性を高めるマッサージを紹介しよう。
これは前にも紹介したことがあるが、サービス動作の向上には欠かすことはできないので、敢えてもう一度確認しておこうというわけだ。
腕を大きく振るためには、肩胛骨が柔軟に動かなくてはならないのだが、背中の筋肉は普段意識して使うことがない上に、上体を支えるために常に緊張状態にあるので、知らず知らずのうちに硬くなってしまい、その結果、肩胛骨を柔軟に使うことができなくなっている。
もし、肩胛骨が柔軟に動かないと、上腕の付け根に負担がかかり肩を痛めることにもなるし、スムースな腕のスイングができなければ、ぎくしゃくしたぎこちない動きになり、イメージ通りに身体を動かすどころではないだろう。
そこで、腕をスムースに振ることができるように肩胛骨の柔軟性を回復する訓練をする必要がある。
肩胛骨は、上腕骨や前腕の骨のように、長細い構造を持っているのでははく、扁平な三角形のちょっと変わった形の骨である。
そして、胸郭の後ろ側とは薄い筋でもって分離しているので、あげたり、さげたり、前に引っぱったり、後ろに引き寄せたりと、かなり柔軟に動くようになっている。
そしてさらに、肩胛骨が回旋することによって腕の可動域は大きくなる。
肩胛骨は扁平な三角形のちょっと変わった形の骨であるので、ウィング(羽)と呼ばれることもある。
私は密かに「天使の羽」と呼んでいるのだが、この羽をうまく羽ばたかせることができるように訓練しなければならない。
この訓練は残念ながら一人ではできないので、誰かきちんと取り組んでくれるパートナーを探してほしい。
これを機会に愛を深めることもできれば最高だ。
ただし、真剣にやってくれないと肩を痛めることになるかもしれないので慎重にパートナーを選んでほしい。
順番に詳しく見ていこう。
①まずは手を腰の後ろに当ててリラックスして準備する。
②マッサージをする人は、一方の手で肩を下に軽く押し、もう一方の手を肩胛骨の下の端に当てる。
③そして、肩胛骨の下端をつかんで、軽く揺らしながら胴体から引き離すように徐々に力を入れていく。
④ある程度、肩胛骨が柔軟に動くようになったら、掴んだ指を肩胛骨の下に滑り込ませていく。
このマッサージをうまく行うと、柔軟性が十分にある人は、指がほとんど見えなくなるくらいまで肩胛骨の下に滑り込ませることができる。
このマッサージを行った後、肩を大きく回してみてほしい。
今まで、筋肉が硬く肩胛骨を柔軟に使うことができなかった人は、肩が驚くほどスムースに大きく回すことができるようになっているはずだ。
このようなトレーニングであなたの体は武器になる。
ラケット振ることばかりに気持ちがいっているといつまでも武器は磨かれない。
「体を武器として使えるようにする」、この意識がなくてはサービス力は高まらないことを強く自覚してほしい。
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2008年06月12日
フロントバックを試してみよう!(1330)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -134-
どの方向に振ればもっともラケットが振りやすいのかは、人によって多少違うものの、身体から少し離れていく方向に腕を振るのが振りやすい。
「おばさんサービス」では腕は体の近くに引き寄せるように振ることになるので、この意味からも自然なスイングとは言い難い。
真正面よりも少し横を向く位置で体を止めるように力を発揮し、そこから腕を身体から離す方向に振ろうとすれば、右利きであればやや右方向に振られることになる。
そのスイング動作でボールを打てば、ボースにはややスライス回転がかかるはずだ。
この回転のかかったボールをコントロールすることから練習するほうが自然である。
フラットが自然だというのも、ストローク同様迷信である。かならずスライス回転のサービスから練習していただきたい。
みなさんは「セカンドサービスの方がスイングスピードは速い」というのをご存知だろうか?
このことはスポーツ科学の研究で明らかにされている。
ただしこれはトップ選手の場合である。
初級者、中級者のレベルではセカンドサービスのほうがスイングスピードは遅い場合が多い。
トップ選手のセカンドサービスでは、スライスやスピンを打つことが多い。
ファーストサービスを同じように全力でスイングをするが、フラット系のファーストサービスに比べてラケット面が正面を向かないので抵抗が少ないことやインパクトの衝撃力が大きくないことなどの理由により、インパクト前後のヘッドスピードは若干速くなる。
それに対して初級者レベルの方のサービスは回転も弱く、打点も低いことが多いので、サービスを入れるためにはスイングスピードを緩めるしか方法がない。
それなのに速いボールを打つ練習ばかりをしているのが目に付く。
スイングスピードを高める、というは大切な練習ではあるが、そのスイングスピードできちんとコートに入れることができなければ実践では役に立たない。
もしあなたが100%セカンドサービスを入れることができ、しかもそのサービスは相手に攻撃されない十分な威力があれば(例えスピードは低くても変化が大きい)、いつでもファーストサービスで勝負にいける。
強くなるためにはこれが「絶対の条件」である。
スムースなスイング動作を行うにはテイクバックの構えが大変大切である。
これを実行するために昔教えられた両手を「バンザイ」するようなテイクバックではうまくいかないことが多い。
特に肩の弱い女性やジュニア選手ではこのようにテイクバックすると上腕がうまく引きあがらず、正しい形に準備することができない。
そんな時、両手を顔の前から引いてくる「フロントバック」という方法を試してほしい。
これは両手を顔の前に持ってきて、そのまま肘を肩の後ろに引くようにテイクバックする方法だ。
このようにすると肩の筋力の弱い女性やジュニア選手でも楽に正しい形にテイクバックすることができる。
サービス力というと200キロを超えるスーパーサービスを思い浮かべるかもしれないが、こうしたサービスが打てれば素晴らしいに違いないが、まずは相手に攻撃されにくく、自信を持って確実に入るサービスを身につけるようにしよう。
また、サービスは試合の勝ち負けを大きく左右する大切な技術であるので、他の技術よりも高い集中力を持って練習に取り組まなければならない。
みなさんに高い集中力が備わっていることを期待したい。
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2008年06月11日
ダブルフットを試してみよう!(1329)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -133-
正面を向いて、腕の力を使ってラケットを振ろうとすると前かがみになって腰が引けたようなフォームになる。
テニスではよく「軸」という言葉が使われる。
とても大切な考え方であるが、「軸」は身体の程良い緊張を「意識的」に作り出すことであり、胴体の動きを過剰に使って腕を振っていて「軸」が作れるはずはない。
それを矯正するために、インパクトで「体を止めるように意識」してラケット振ってみよう。
以前に「姿勢が前かがみになっていたりすると、うまく背中の筋肉を使うことができず、鋭くスイングできない」と書いたが、逆に背中の筋肉を適度に緊張させれば前かがみの姿勢にはなりにくく、腕を鋭く振り抜くことができるということを示している。
「体を止めるように意識」してラケットを振れば、正しい姿勢で鋭く腕を振ることができる。
間違いなくあなたのスイングスピードは上がる。
もちろん、「軸」を作ることにも役立つはずだ。
もうひとつの方法として「ダブルフット」を試してみよう。
これは、サービス動作を行うときに右利きの場合であれば右足を前に動かさないで、両足で地面を蹴るようにしてスイングする方法である。
軸が安定し、トスの乱れも少なくなる。
アンディー・ロディックなどはこの方法を用いてサービスを行っている。
軸を保ちながら強くスイングするのには有効な方法である。
どうもスイングスピードが鈍く、サービスに威力がないと感じるときに試してみると良いかもしれない。
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2008年06月10日
力を抜いてスイングしよう!(1328)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -132-
グリップを厚く握り、ラケット面が上を向いて準備する人は、脇が閉まったテイクバックの形になる。当然スイングでも脇が閉まり、インパクトで肘が下がってしまう。
それに対して、正しいグリップで「シャットフェイス」に構えることができる人は、自然と脇があいた構えになる。
なぜ脇をあけたほうが良いのかは、今までの解説を読んだ方ならお分かりいただけると思うが、その方が上腕をスムースに振りやすく、スイングスピードは速くなるからだ。
これはサービスでは最も大切なポイントだ。
「自分で意識的に力を発揮することはあまりよくない」とストロークの解説のときに説明した。
「手首を強く固定する」とスムースなスイングを妨げてしまうのはサービスでも同じである。
サービスでは特に構えのときに手首の力を抜くように注意してほしい。
ボールを持って構えたときに、上から見て打つほうのラケット面が見えていれば良いが、反対の面が見えている人はグリップが悪いか、手首を強く曲げてしまっている。
ここではできるだけ手首をリラックスさせて構えるようにしたい。
もちろん、テイクバックのときも力が抜けている方が望ましいのは言うまでもないだろう。
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2008年06月08日
ラケットを開くな!(1326)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -131-
このようなサービスを矯正するもっとも大切なポイントは「グリップ」である。
「おばさんサービス」を打っている人は、間違いなく厚いグリップで握っている。
これはそのように持たないとラケット面をまっすぐに相手のほうに向けられないので、そうするしかないのだ。
もちろん、このままではボールに回転をかけることも、高い打点で打つことも難しいだろう。
また、肩の内旋動作を使って前腕を振ることができないので速いサービスを打つこともできない。
一般愛好家としてテニスを楽しむのであれば問題ないが、「強くなるため」にはここを矯正しなくては先へは進めない。
グリップの厚い人は、テイクバックをしたときにラケット面が上を向いているはずだ。
これを「オープンフェイス」という。
正しいグリップで握るとラケットの面は上を向かず、少し下を向くようになる。
これを「シャットフェイス」いう。
自分で意識的に「シャットフェイス」にしようとすると、グリップを厚く握っている人は大変不自然な手首の形なるので、だんだんとグリップを薄く握りかえるようになる。
まずはここから始めてほしい。
「グリップはこうです!」と無理に矯正しなくても、「ラケット面が上を向かないように少し下を向けましょう」とか、「まっすぐにラケットが立つように準備してください」
と指導するほうが楽に強制できる。
サービスの能力が格段に上がる可能性がある。
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2008年06月07日
おばさんサービスはやめよう!(1325)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -130-
サービスでやってはいけないことは、
・テイクバックでラケット面が開く
・正面を向いたままでボールを打つ
・肘を下げて打つ
・腰を引いて打つ
などであるが、これらすべての要素を含んでいるサービスを「おばさんサービス」と呼んでいる。
実際に指導していると、中高年の女性の方にはこのようなサービスを打たれる方は大変多い(もちろん、そうでない方も多いですよ)。
そして、この「クセ」はなかなかに矯正しにくい。
小さいうちにこのような「クセ」が体に染み込んでしまうと、サービス力がより重要になる年齢になってから矯正するのは大変難しいので、特にジュニアの選手はしっかりとしたフォームを習得してほしい。
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2008年06月06日
サービスが弱くて負ける(1325)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -129-
さて、今回はサービスについて話をしたい。試合に負けた後に子ども達の感想を聞くと、
「サービスが入らなかった」
「大事なところでダブルフォールトとした」
「弱気なサービスを打ち込まれた」
などの感想が返ってくることが多い。
負けた原因の多くがサービスにあることをわかっているようだ。
しかし、そのための練習に真剣に取り組んでいるのかというと少々疑問である。
いくつか原因はあるだろう。
・真冬のサービス練習は凍えてできない
・サービス練習ばかりしているとコーチはサボっているように見られる
・サービス練習では仲間と話す時間ができるので集中できない
・ファーストサービスとセカンドサービスの違いを理解せずに練習している
などの理由で、試合の勝ち負けを大きく左右する大切な技術であるにも関わらず、その練習が十分にできていないことが多いようだ。
これらを改善すれば簡単に効率的なサービス練習ができそうであるが、実際の指導場面では、これらをうまくコントロールしてサービス練習に取り組むのは大変難しい。
コーチの皆さんであればお分かりいただけると思う。
そのような状況を踏まえつつ、何としてでもサービス力強化に取り組みたいという諸君にとっておきの法則を紹介したいと思う。
サービスが武器になる、そんな選手を目指してほしい。
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2008年06月03日
スピンの量を変えてみる(1322)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -128-
手出しのような簡単なボールならクロスコートにほぼ確実に打てるようになったら、同じ方向に、同じようなフォームで打ちながらスピンの量を変えてみよう。
スピンの量が多いときはサービスライン付近にボールが落ち、スピンの量が少ないときはベースライン付近にボールが落ちることが多いはずなのだが、実際はそれほど簡単ではない。
スピンの量を変えるといってもその違いはほんのわずかである。
それを感覚的に把握し、コントロールすることは容易ではない。だからこそ練習に励むのだ。
スピンの量を意識的に変えて打つ練習をしていると、そのほんのわずかな違いを感覚として身につけてくる。
この感覚が高まれば、自分にとってより自然なスイングはどういうものなのかというようなことも何となくわかってくる。
「センス」が良いとはこういうことである。
そのためにはこの練習は大変大切である。
「自然」という言葉が何度も出てきたが、「自然」なスイングというのは「こういうスイングだ!」と規定できるものではない。
まさに自分の「感覚」や「感性」に合ったスイングのことである。
「無理なく」、「楽に」、「いきいきと」ラケットを振ることができる、自分自身の「ナチュラルスイング」を探してほしい。
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2008年06月02日
クロスコートに打つ(1321)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -127-
素振りを繰り返し、ある程度「自然」なスイングができるようになってきたら実際にボールを打ってみよう。
効率良く技術を習得するためには、段階的に練習のカリキュラムを組むほうが良い。
分かりやすく言えば、簡単な方法から難しい方法へと順番に練習するほうが良いということである。
ちょっと打てるようになるとすぐに難しい練習やゲーム練習のような実践的な練習法に移ってしまうことがあるが、素晴らしい感覚や感性がなければ、そういう練習だけで効率的に技術を習得することは難しい。
ここでもやはり強くなるには「忍耐力」が必要だ。
一歩づつ確実に上達を目指し、「気がつけば強くなっていた」なんていうのが一番かっこいい、と思うのだがどうだろうか。
さて、練習の始めの段階は、クロスコートにボールを打つ練習から始めよう。
なぜならクロスコートのほうが「自然」だからだ。
クロスコートについてはいろいろ言われる。
・ネットが低いので入れやすい
・対角線方向は距離が長いので(ストレートに比べれば)アウトになりにくい
・テニスのスイングは回転運動なのでクロスコートへ打つほうが感覚的に自然なスイングができる
・相手の足元に打つのが容易である
・打った後のコートリカバリーのために戻る距離が短く守りやすい
などである。
5番目の特長については近いうちに詳しく解説するが、ここでは、「テニスのスイングは回転運動なのでクロスコートへ打つほうが感覚的に自然なスイングができる」というのは大変気になるところである。
まあ、それほど難しく考えるまでもなく、「自然」にラケットを振って、普通にボールを打てばクロスコートにとんでいくものである。
初心者を対象に何のアドバイスも与えずにボールを打球させたところ、「90%以上クロスコートに打球した」という実験結果もある。
小さな子ども達に打球させてみるとそれはさらに顕著になる。
レッスンでは真横に飛んでくることもあるので要注意だ。
ただし、極端なクロスコートを狙うのではなく、サイドライン付近から相手コートのセンターマークとサイドラインの間に深く狙うように心がけよう。
ショートクロスを狙うと極端なスピンをかけたりすることもあるので、その方向にばかりいってしま人は少しスピンの量を減らすようにするなどの工夫が入るかもしれない。
ストレート方向にばかりいってしまう人でも、ボールに順回転がかかっていればそれほど問題ではないが、少し打点を前にすることを意識すると「楽に」クロスコートに打てるようになる。
クロスコートへ打つことは強くなるためには大変大切な技術なので、できるだけクロスコートに打つことができるように技術を磨いてほしい。
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2008年05月31日
「フィニッシュ」で決めろ!(1319)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -126-
「フィニッシュ」の形が良いことが素晴らしいスイングに結びつくことが多い。ポイントを解説していこう。
(肘は軽く曲がる)
スイング中に肘を(自分の力で)伸ばすような動きは上級者ではほとんど(というかまったく)見られない。
スイング動作の最中に腕が若干伸びるのは、身体の回転動作でラケットが外側に振られるからだ。
自分の力で(腕の後ろ側の筋肉の力を使って)腕を伸ばすように打っているのではない。
このことは、筋電図といって筋肉がどれくらいの力を発揮しているのかを調べる機械を使って測定した実験結果からもわかっている。
特にインパクト前後では肘は固定するように筋肉は働いていて、決して腕を伸ばすようには力を使っていない。
そして、インパクトの後に力が抜ければ、筋肉はラケットの重さと動きで外側に引っ張られるのを引き戻すように「自然」に力を発揮するので、腕は「自然」に軽く曲がるのである。
腕が「自然」に、楽にフィニッシュで曲げられずにつっぱって(伸び切って)しまうような打ち方になってしまう人は、少しクロスコートに打つ練習をしよう。
ただし、強くスピンをかけてショートクロスに打つのではなく、センターベルトあたりを狙って深いドライブボールを打つように心がけると、楽に腕が曲がって「自然」に「ドライブボール」が打てるようになる。
(肘は少し引きあがる)
腕が「自然」に曲がるためにはある程度上腕が胴体から離れていなくてはならない。
上腕を胴体に強く引き付けて腕を曲げようすると腕は曲げにくい。
上腕を少し胴体から離して(脇を軽くあけて)腕を曲げるとかなり楽に曲がるのが分かるだろう。
この「脇をあける」感覚はとても大切である。
これも神話のひとつだ。
「膝を曲げる」、「脇を締める」、「手首を固定する」という神話が強く信じられてきた。
良く考えると間違いとまではいえないことなのだが、間違って理解してきたことで技術が向上しなかった人も多いだろう。
私はこの「脇をあける」ことがうまくできない人に対して「打ち終わった後に脇のにおいを嗅ぐように」と指導している。
夏場にはちょっと厳しい(?)指導法であるが、上腕を引き上げ、楽に腕が曲がる感覚を掴むには良い方法である。
ただし、脇はただあければ良いというものではない。
胸の前、肩の前の筋肉を軽く締めるように打つことが大切である。
その時、膝の上下動をあまり大きく使わないように心がけたい。
膝の上下動が大きいと身体のバランスをとるために上腕が胴体のほうに強く引き付けられてしまう。
これでは上腕がうまく振り抜けずに肘を「自然」に引き上げるようなスイングができない。
(手首の力が抜ける)
インパクトの衝撃に耐えるために「手首を固定」するほうが良いと教えられてきたが、自分で「意識的」に力を発揮することはあまりよくないことは解説した。
また、「手首を強く固定する」とスムースなスイングを妨げてしまうのである。
手首を強く曲げると身体はどのように動くだろうか。
手首を強く曲げると上腕が胴体に強く引き付けられて脇が強く締まる。
これは、私が「演歌歌手打法」と呼んでいる、あまり好ましくないスイング動作である(実は私はこの打ち方が身についてしまっている)。
上腕を胴体から離してスイングすることが大切だと解説してきた。
それができなくなるのでスイングは当然不自然になりやすい。
このようなポイントに注意してスイング動作を繰り返すことで、皆さんが素振りでやっているような「自然」なスイングができるようになる。
このスイングで打球すれば、ボールは「自然」と順回転の「ドライブボール」になっている。
この打球の感覚を身に付けることで、「会心のショット」が打てることも多くなるだろう。
そして、腕の力を抜いてスイングすることが(感覚的に)できるようになってきたら、少し意識して上腕を大きく振ることを練習してみよう。
鋭いスイングができるようになっているはずだ。
「自然」という言葉が何度も出てきたが、「ナチュラルスイング」、これが「基本」のスイング動作である。
強くなるためには身につけなくてはならない。
実際に打球するときに素振りのようにリラックスしてスイングすることは難しいと思うが、何度も素振りを繰り返し、意識しなくても力の抜けた「自然」で「基本的」なスイングができれば、きっと強くなる!間違いない。
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2008年05月30日
基本のドライブを身につけろ(1318)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -125-
こう考えてくると、「ドライブボール」がいかに「自然」で「基本的」であるかがわかる。
もちろん、人によっては「フラット」にこだわる人もいるだろう。
しかし、実際には純粋な「フラットボール」は存在しない。
テニスは限られたコートに入れなくてはならないスポーツなので、より確率良くインコートに打ち込むためには順回転をかけるほうがはるかに有利である。
実験的に調べた結果でも、「フラットで打ってください」と指示して打球してもらったボールのほとんどは順回転のボールであった。
「フラット」を打つように心がけてうまくいくことと、実際に「フラットボール」を打つこととは違うのである。
さて、ここまで説明して「ドライブボール」がより「基本的」であることは理解できたと思うので、それを効果的に練習する方法を解説していこう。
練習の内容は体力や技術レベル、年齢などによって変わってくるが、テニスをある程度はやっている方たちを対象とする方法を解説していくことにする。
まずはグリップであるが、以前に解説した「自分のグリップ」でより「自然」に握ってほしい。
そして、前に解説した「振り切るスイング」を何度か行ってみよう。
その時「フィニッシュ」の姿勢がどうなっているのかを確認してほしい。
肘が軽く曲がって少し上に引きあがり、手首の力が抜けてラケットヘッドは少し下がっているだろう。
ほとんど方はこの形になる。
それが「自然」だからだ。
もし、そうでないならば、ストレッチやリラクゼーションのようなトレーニングを熱心にした方が良い。
そのフォームで打つことを練習するよりもはるかに効果的だ。
この「フィニッシュ」の形が良いことが素晴らしいスイングに結びつくことが多い。
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2008年05月29日
基本のスイングとは(1317)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -124-
ボールに順回転をかける「ドライブボール」がより「自然」で「基本的」であるというなら、同じように順回転をかける「トップスピン」は「基本」ではないのか、という疑問があるだろう。
実際に「トップスピン」全盛の時代があった。
多くの選手が「トップスピン」を武器に戦っていた時代である。
もちろん今も「トップスピン」は大切な武器となっている。
そのことは否定しないが、より「自然」で「基本的」なスイングは「何か」というのであれば、「トップスピン」は「ドライブボール」ほど「自然」ではない。
「トップスピン」を打つためには、肩と前腕の強い捻りが必要である。
確かにこのような動きは力を抜いて振り切ることができれば「自然」と起こってくる。
だが、より強い順回転のボール(これを「トップスピン」という)を打つためには、それを意識的に強く大きく行うように訓練しなくてはならない。
「ドライブボール」から発展的に習得できる技術といってもよいだろう。
勘違いしないでほしいのは、「トップスピンを打つな」ということではなく、より「自然」なスイングを求めて練習する過程で、自分の体力や戦術に適した技術を身につけることが大切なのであって、なんでもかんでも「基本」にまとめてしまうことは大変危険である。
「基本」は「基」になるものであるが、そこから変化していく過程で自分に最も適した形へと進化していくと考えてほしい。
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2008年05月28日
自然なスイングとは(1316)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -123-
小さい子に何も言わずに「ラケットを持ってごらん」というと、間違いなく「ウェスタングリップ」で握る。
床に転がっているラケットを上からむんずと掴み、そのまま振り回す。
ボールを打つときもそのままのグリップで器用に打つ子が多い。
その時、「基本」といわれる「イースタングリップ」などで打たそうものなら、ボールはとんでもない方向に飛んでいく。
これは「イースタングリップ」で握ろうとすると、前腕を少し内側に捻らなければならないが、この動作は人間だけが行うことができる動作であり、後天的に学習によって身に付けていく動作だ。
だから、身体動作が大人ほど学習され、洗練されていない子ども達にとって「ウェスタングリップ」のほうが「自然」なのである。
また、テイクバックをするときも、ラケットや腕を素早く後方に引くためにはうまく肩の捻りを使わなければならないが、この動作も後天的に学習されるものなので、子ども達にとってはちょっと難しい動作である。
ラケットを下に下げるほうが「自然」だ。
この状態からラケット面がぶれることなく(グリップを握る力が弱いので難しいと思うが)スイングすれば、ボールには「自然」と軽く順回転がかかる。
また、「力を抜いて」腕を振ることができれば、筋肉の伸張性反射が起こって筋肉は縮もうとするので、腕は「自然」に振れば「下から上へ」に振られることになる。
人間にとってより「自然」な動きが「基本」の動きであるとすれば、少し厚めのグリップで下から上にスイングすることで順回転がかかる「ドライブボール」がより「基本的」であるといえる。
この「基本的」な「ドライブボール」をより「自然」に打つことができるスイングを身に付けるためには「力を抜く」ことがもっとも大切である。
「力をうまく抜けば」インパクトで的確なグリップ力が発揮できるし、筋肉の反射の機構もうまく使えるので余分な筋力が必要なく、より「自然」に「ドライブボール」を打つことができる。
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2008年05月27日
会心のショットを放つ(1315)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -122-
ラケットを振り切り、抜群のタイミングでインパクトし、完璧にスイートスポットでボールをとらえると、じつに気持ちの良い余韻が手や腕だけではなく、全身に残る。
これを「会心のショット」と呼ぶ。
この「会心のショット」を打ったときに、何か自分の中の「感覚」が変わることもある。
ハンマー投げの金メダリスト室伏広治選手が自分の技術を追求する試行錯誤の中で「会心の一投」を放ったとき、何かが変わったような「感覚」を覚えたそうだ。
「感覚」が変わる、というのは難しい表現であるが、自分のイメージした通りに身体が動き、身体に心地よい余韻が残る、ということだ。
自分の能力がすべて凝縮された結果である。
イチローのいう「選球体」でボールを捉えて、それが会心であった時もそんな感じだろう。
これを何度か経験するうちに、自分の能力が磨かれ、高められていく。
そして、ある時突然の「ブレークスルー」が起こるのである。
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2008年05月25日
背中の感覚を磨く(1313)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -121-
人間は普段背中を意識することは少ない。
なので、力を入れるときには、つい前側の筋肉に力を入れる。
上腕の動きにしてもそうだ。
力を入れようとすると胸の前に腕を引き寄せるように(ボクシングのガードのように)する。
それとは反対の動きを意識してコントロールしようとするのであるから、はじめからうまくいくわけはない、と開き直って練習するのが良い。
また、感覚が鈍いのであるから、ボールを打つ練習だけではなく、その感覚を磨き、高めるための訓練が必要なのも当たり前の話である。
次に挙げる具体的なトレーニングを行いながら、繰り返し練習し、「振り切れる」スイングを体得してほしい。
具体的に説明しよう。
ひとつめは前に背筋の筋感覚を高めるためのトレーニングで紹介した方法である。
もう一度確認しておこう。
***************************************
ソファーかベンチを使って、後ろに(背中側に)腕を広げて体を支えます。
その姿勢から腕を曲げて沈み込み、引き上げるという動作を何回か繰り返すだけです。
簡単そうに見えますが、背中の筋肉がうまく使えないと、腕がすぐにへばって身体を持ち上げることができなくなります。
コツは、背中の筋肉をぐっと引き寄せて、上腕を身体に引き付けるように身体を引き上げることです。
そうすれば、何回でも繰り返し行うことができます。
***************************************
ということだ。基本のトレーニングとして何度も行っておこう。
次に筋肉の反応を高めるためのトレーニングである。
うつ伏せになり、両手を頭の後ろに組んで、できるだけ肩甲骨と肩甲骨の間の筋肉を強く縮めて肘を高く持ち上げる。
その姿勢から誰かに肘を上から軽く押してもらって、その力に負けないように、肘が下がらないように精一杯力を入れる。
6秒くらい力を入れて、それを5回くらい繰り返すと、腕が軽く大きく回るようになる。
関節を動かす範囲が広がり、また背中に力を入れやすくなるので、うまく腕を止められるようになるだろう。
せっかく背中の感覚を高め、腕も動かしやすくなったのだから、これをうまくいかして素早くテイクバックすることを覚えてほしい。
その時も、腕の力に頼るのではなく、背中の筋肉を使って腕を後方に引くように意識することが大切である。
「背中で引いて、背中で止める」、この感覚がつかめれば、間違いなくあなたのスイングスピードは上がる。
鋭く「振り切る」ことができる。強くなるに決まっているのだ。
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2008年05月24日
上腕を止める(1312)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -120-
先に説明したように、上腕を止めることで前腕、ラケットを素早く振ることができる。
上腕を止めるためには、肩の後ろの筋肉と背中の筋肉を「ぎゅっ」と縮めることだ。
腕の力を使ってラケットを振ろうとすると、上腕の前の筋肉(上腕二頭筋といいます)を強く縮めようとするのが普通であるが、それとは全く反対の動作になるので注意してほしい。
胴体の回転の力で振り出された腕を背中の筋肉を使って止める感覚は、始めのうちはなかなかつかみにくいが、とにかく力を抜いて、姿勢に注意してラケットを「振り切る」ことだけを考えて素振りを繰り返すことだ。
姿勢が前かがみになっていたりすると、うまく背中の筋肉を使うことができず、上腕を強く止められないのでしっかりと意識するようにしてほしい。
もちろん、ボールを打つときはできるだけ簡単なボールを何度も打つことが大切だ。
早く習得しようとして焦る気持ちのままで練習することがもっとも上達を遅らせる。
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2008年05月23日
力を抜け!(1311)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -119-
理屈は分かっただろうか。
では、実際の動作でどのようにすればスイングスピードを高めることができるのかを説明しよう。
まずは肘から先の力はできるだけ抜いておこう。
ここに力が入っていると関節を素早く動かすことができないし、タイミング良く力を発揮することができないのでとても大切なことだ。
特に手首に力が入りすぎていると「開放動作」(前腕が止まることで自然と手首が後方から前方へ動くこと)がうまくできずにラケットのスイングスピードが遅くなる。
この「できるだけ」というのは個人差もあり、一概に「これくらいだ!」ということは難しいが、グリップのときに説明したように、ラケットを素早くスイングしてもすっぽ抜けない程度に軽く握るとだけ言っておこう。
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2008年05月21日
腕を止める?(1310)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -118-
「振り切れ!」などのアドバイスがうまく効果を発揮しないのは、多くのコーチが「腕を振る」、「振り切る」ということがどういうことなのかをよく分かっていないからだ。
そこで、素晴らしいボールを安定して打ち続けることができるために、「振り切る」というのはどういうことかを解説していこうと思う。
以前の連載を思い出してほしい。
「グリップはインパクトの瞬間に強く握るのではなく、出来るだけグリップの力は抜いておいて、体全体を使ったスイングを行うようにすることが望ましい。そして、くりかえし打球しているうちに反射的に、適確なグリップ力を発揮できるようになってくるのである。」
と書いた。実践できているだろうか。
この考え方は、「振り切る」ことについてもまったく同じである。
インパクトを強く意識しすぎて、その時に最大のスイングスピードを出すことができるように腕に力を入れすぎるのは、「インパクトでグリップをぎゅっと握るように打つと強いボールが打てる」という迷信(?)と同じであまり効果はない。
では、どうやってスイングスピードを高めるのかというと、それはずばり「腕を止める」ことである。
「えっ、腕を振り切るためになんで腕を止めるの?」という声が聞こえてきそうであるが、この後の話を聞いていただければ納得できると思うので少し私の話にお付き合いいただきたい。
少し実験をしていただこう。
まずは腕の力を目いっぱいに使ってラケットを振り回してほしい。
その時のラケットのスイングスピードを覚えておこう。
それが今あなたのできる最大のスイングスピードである。
次に誰かに長い棒を立てて持ってもらおう。
その棒の後ろに立ってしっかりと構え、棒に向かって思いっきりラケット振ってみよう。
その時、ラケットを棒に当てるのではなく、肘の少し上あたりの上腕部をぶつけてほしい。
「そんなことしたら痛いじゃないか!」と思われるだろうが、素晴らしいスイングスピードを体感するためには仕方ないことなので少し我慢してほしい。
そうするとどうだろうか。
腕が棒に当たった後、肘から先の腕が「びゅっ!」と振られ、ラケットを「しゅぱっ!」と、自分では信じられないくらいのスピードで振り切ることができる。
自分が目いっぱいの力を使ってラケットを振った時の何倍ものスピード(ちょっと大げさかもしれないが、それくらいに感じる)でラケットを振ることができるはずだ。
まあ、実際にやってみると、腕の痛みのほうが強くて、そんなことを感じている余裕はないかもしれない。
実際にやるやらないは別としても(本当にやらないでくださいね)、腕を止めることでラケットを信じられないくらいのスピードで振ることができることは科学的に証明されている。
これを少し説明しよう。
投球動作における各部の速度を見ると、腰の前進が遅くなる時点から肩・肘が加速され、肩・肘の速度が遅くなると手首が急速に加速されていることが分かっている。
つまり、ラケットを速く振るためには、手首の関節を素早く振ることが大切で、そのためには腰、肩、肘の関節を順番に速度を落としながら、次の関節の速度を高めるように動かさなければならないということだ。
身体を「ムチ」のように動かすといえば分かりやすいだろうか。
特にラケットのスイングスピードを高めるためには、上腕を止めること(止めるように力を発揮すること)で、前腕を鋭く「振り切る」ことが重要である。
実際には難しいが(というか絶対無理である)、もし、実際に棒に腕をぶつけるようにして上腕のスピードを完全にゼロにできるのであれば、前腕はすごいスピードで振られ、ラケットをトッププロも顔負けのスピードで振ることができる。
その上で、ちゃんとインパクトとでラケット面をコントロールできるのであれば、あなたは間違いなく強くなる
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2008年05月20日
「振り切れ!」のアドバイスがうまくいかないわけ(1309)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -117-
テニスのアドバイスで「もっと腕を振れ!」とか「振り切れ!」というのは良く聞くアドバイスである。
そうアドバイスをすると、見事に鋭いボールが打てて、「よし、いいぞ!」ということになる、なんてことは少ない。
どうしてうまくいかないのかというと、「振り切れ!」と言われるとやたら腕の力で振ろうとしてバランスを崩したり、インパクトのタイミングがずれたりするからだ。
腕の力でラケットを振り回しても偶然うまくいくこともある。
それを見て、「おっ、いいぞ!」ということになるのだが、良いボールを「打ち続けること」が強くなるためには重要なので、たまにしか良いボールが打てないのでは勝つことも強くなることも難しい。
ゴルフのドライビングコンテストのように一発の強さだけを競うような競技であればそれでも良いかもしれないが、強くなるためには何よりも続けられる「安定感」が大切だということは忘れないでほしい。
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2008年05月16日
神のくれた手(1305)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -116-
しかし、そうはいっても、できるだけ早くその感覚を身につけたいと思うのが人情である。
そこで、グリップ感覚を高めるための方法をいくつか提示してみたい。
1.できるだけ素手で握る
先ほど述べたように、手は高度に発達した感覚器官である。手袋などしていては、その機能を低減させてしまうので、出来るだけ素手でラケットを握るようにしていただきたい。日焼けなどが、どうしても気になるご婦人は、手の甲側だけを覆う手袋があるので、それを使用していただきたい。手に出来たまめを愛しく思えるようになってこそ本物であると思うのが、いかがであろうか。
2.幼児期にできるだけ手を使うトレーニングをする
幼児期は神経系の発達が著しい。7歳で成人の神経系の約90%にまでに発達する。この時期までに基本的な手の運動パターンを習得していなくてはならない。ぞうきんを絞るとか、指先を合わせてお互いに押し付けるように指を伸ばす運動は、手の感覚を向上させるのに大変効果がある。
3.練習前のエクササイズ
練習前に体のストレッチなどは良く行うのに、指や手の運動を行なうことは大変に少ない。思いっきり握ることと、指を思いっきり伸ばしてパーの状態にすること、指先を合わせてお互いに押し付けるように指を伸ばす運動は大いに効果がある。これを数回繰り返すことによって手の代謝活動を促し、手の関節の動きが良くなり、適確な力を発揮しやすくなることが知られている。
4.グリップに過度に力を加えないようにスイングすること
インパクトでぎゅっとグリップを握るように意識しても、コントロールやスピードに良い影響を及ぼさないことがわかった。大切なのは、手の反射機能が効率的に発揮されるように、適切グリップ力でラケットを保持することである。力を入れすぎることはもちろんのこと、抜きすぎても良くないことを理解した上で指導を行なっていただきたい。実際にはどのようなアドバイスが良いのかは断言できないが、「ラケットを支えるように持ってください」を指示したときに良い結果が得られたことを報告しておく。
グリップの機能を高め、適切な力を発揮する方法について解説した。
テニスはラケットという道具を使うスポーツである。
道具を扱う以上、手の機能を上手く発揮させることが強くなるための秘訣である。
他の動物にはない、まさに「神のくれた手」を磨いてさらに上のレベルを目指していただきたい。
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2008年05月14日
グリップを握るな(1303)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -115-
実際の指導場面では、グリップを握る形を矯正するためのアドバイスとともに、「インパクトでぎゅっと力を入れて打ちなさい」とか、「もっとグリップの力をゆるめて」というようにグリップを握る「力の入れ方」をアドバイスする場合が多い。
「力の入れ方」については、インパクトでグリップを強く握ることによって「打球速度が速くなり」、ラケット面がぶれないので「コントロールも良くなる」と解説されている場合が多い。
つまり、「インパクトでグリップを強く握ること」は、テニスのパフォーマンスを向上させるのには不可欠ということである。
しかし、「インパクトでグリップを握り締めること」が、本当にパフォーマンスの向上に役立つのかについては疑問な点がある。
上級者と初級者のグリップ把持力を比較してみると、上級者ほどインパクト前後におけるグリップ力の集中性が高く、ばらつきが少ないことが多くの実験結果から導き出されている。
また、インパクト以外では、上級者よりも初級者の方が大きな力を出しており、上手く力が抜けないことが示されている。
これらの結果から、「インパクトでグリップを握るように打つべきである」と主張されることが多い。
「インパクトでぎゅっとラケットを握るように打ちなさい」とか「ラケットをインパクトでぎゅっと握って面がぶれないようにしなさい」というアドバイスはやはり正しいのだ。
「ふーん、そうか、やっぱりインパクトでグリップをしっかり握るように打つ方がいいのか。上級者はそうしてるからやっぱりその方が良いんだよな」
「よーし、インパクトでぎゅとグリップを握るように意識してボールを打つようにするぞ」
と思われた方、ちょっと待っていただきたい。
いくら上級者だからといって、インパクト前後のほんの短い間にこれほどまでに見事に力の大きさをそろえ、また力を発揮するタイミングを合わせることができるものであろうか。
しかも、それを意識して行うことなどは神業に近いものがある。
また、コーチの方も自分が実際にボールを打っているところを冷静に考えていただきたい。
はたして、インパクトでグリップを握るように意識して打っているのであろうか。
インパクトの瞬間にグリップを握るように意識して打つことは大変に少ないと思う。
確かにそういうことを意識して練習することはあるが、プレー中はほとんどそんなことを考えて打つことはない。
では、上級者と初級者の違いは何であろうか。
それを探るキーワードは「反射」である。
筋肉が動くとき、生まれつき備わっているメカニズムで発生する筋肉の動きが「反射」である。
生まれたばかりの赤ちゃんは両手を握り締めており、手のひらに触ってやると握る力がさらに強くなる。
これを「把握反射」という。
ラケットをスイングして、その遠心力が手に伝わると、その力で指を伸ばそうとするが、それに抗するように握る力を強める反射の働きを上手く利用してスイングをしているのが上級者なのである。
つまり、「グリップを握る」ということは、
1.自分から能動的に(意識して)グリップを握る力
2.スイングの遠心力に抗して反射的に発揮される力
の2つがある、ということである。
そこで、いままでの指導を振り返ってみると、「自分で能動的に発揮する力」のことだけを考えてアドバイスを行っていたのである。
しかし、手を上手に使うには反射の機構を上手く利用することが重要であり、その運動を繰り返して行っているうちにはじめて運動を上手に遂行することができるようになる。
しかし、「実際に、インパクトでぎゅっと握るように打つとコントロールが良くなり、スピードも上がる。」と、反論される方もいるだろう。そこで、
A.普通に打ってください
B.インパクトでグリップをぎゅっと強く握るように打ってください
C.力を抜いて打ってください
D.ラケットを支えるように持って打ってください
E.力を入れて打ってください
という5つのアドバイスにしたがって打球したときの、グリップ力とボールコントロール、ラケットのスイングスピードを調べてみた。
この実験で得られた結果をまとめると、次のようになる。
1.力を入れるように意識して打つと、インパクト時点やインパクト前の力のばらつきが大きくなる。力を入れて打つと、常に緊張状態にあるので、インパクト時に適正な力を発揮することが困難で、また力発揮のタイミングも取りづらくなると考えられる。
2.上級者は各アドバイスごとでグリップ力の変化があまり見られないのに対して、初級者はグリップ力の変化が大きい。初級者ほどアドバイスの影響を受けやすく、それに対して上級者はインパクト時にグリップをどれくらいの力で握ればよいのかという運動プログラムが作られていて、反射的にグリップ力を調整していると考えられる。
3.力を入れすぎはもちろんのこと、リラックスしすぎても良くない。適切な力でグリップを握ることが重要である。「力を抜いて」のアドバイスは指導に際して注意を要する。
4.アドバイスによってスイング速度にあまり差は生じない。インパクトの瞬間に、グリップをぎゅっと握るようにアドバイスすることは、スイング速度を高めるのにそれ程有効なアドバイスではないと思われる。
指導書に解説があるように、「インパクトでぎゅっと握る」ことによってスピードが増す、ラケットの面がぶれないのでコントロールが良くなるとことはあまり期待出来ないという結果になった。
出来るだけグリップの力は抜いておいて、体全体を使ったスイングを行うようにすることが望ましい。
そして、くりかえし打球しているうちに反射的に、適確なグリップ力を発揮できるようになってくるのである。
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2008年05月11日
手の感覚を高める(1300)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -114-
「自分に最適なグリップ」を見つける方法について解説した。
もう見つかっただろうか。
そう簡単ではないと思うが、毎日毎日グリップを握り続けることできっと見つかるはずだ。
まだ見つかっていない人のために、もう少しヒントを与えよう。
上手く自分のグリップが見つからない人は、手の感覚が少し鈍っている場合が多い。
この感覚を高める訓練をすることで、最適なグリップが見つかるだけではなく、テニスのパフォーマンスが格段に上がる可能性がある。
強くなるには大変大切なことだ。
まず、手の構造と機能について少し学習しよう。
はじめに、自分の手のひらをじっと見つめてほしい。
人それぞれに形が違い、指の太さやしわの数などは同じものどないし、自分の手であってもその日の体調や気温などによっても変わるのが普通である。
まあ、最近はなかなか自分の手をじっと見つめることなどないかもしれないので、しばらく見つめてやってほしい。
「ああ自分の人生が刻み込まれた、ごわごわだけど愛しい手だなあ」と感心するのは私だけかな。
一見何ごともないかのように見える手であるが、道具を作り、道具を扱うのに大変適した構造を持っている。
手には全部で27個の骨があり、深い溝の直下に骨の継ぎ目(関節)があり、曲げたり、伸ばしたりという運動を助けている。
また、紋は凹凸状になったものが何重にもあり、凸部分には小さな穴が一列に並んでいて物をつかんだときに滑らないように滑り止めの役割を担っている。
最近は手袋をしてラケットを握る人が多い(特に中高年の女性)。
確かに日焼けを防いだり、怪我を防ぐことはできるかもしれないが、滑り止めの機能や感覚器としての働きを失うことになる。
感覚を研ぎ澄まし、手の持つ機能を高めることができればテニスのレベルは向上するはずである。
そのためにもできるだけ素手でラケットを握ってほしいものである。
私たちに時代は、手につばをぺっぺっとはきかけてプレーをする人も多かったが、実はこういう人は手を上手に使える人なのである(ちょっと汚そうなのでまねしなくていいですよ)。
手を動かす筋肉は全部で25個あるが、これらの筋肉が微妙に動くことで複雑な手の動きが実現されている。
その基本的な運動パターンは、
手首を手のひらの側と手の甲の側に曲げ伸ばす(屈曲と伸展)
手首を親指側と小指側に曲げる(橈屈と尺屈)
前腕を内側と外側に捻る(回内と回外)
親指を他の指に近づける(対向)
の4つである。
このパターンのうち、手の回内、回外がうまくできないと運動を器用に行うことができないといわれる。
グリップを強く握り締めすぎたり、不適切なグリップでは回内、回外をスムースに行うことはできない。
上級者はインパクト前後で回内や回外をはじめ、橈屈や尺屈などを最適に行うことによりスイングスピードを高めたり、スムースな動きを生み出したりするのである。
また、「対向運動」は人間だけが行うことができる運動である。
ドアを開けるとき、人間は手のひらが取手に触れないように包むように握ってノブを回すが、ゴリラやチンパンジーは「対向運動」ができないのに加えて、親指が短く、なおかつ親指を内側に曲げる筋肉が弱いので、取手を4本の指で握り、手首を曲げたり伸ばしたりしてドアを開ける。
みかんを握らせても、人間は5本の指を同時に曲げて包むようにして持つことができるが、サルやチンパンジーは非常に不安定で、すぐに落ちそうな印象を受ける。
このことから、「握る」という運動に関して「親指」が大変重要な役割を果たしていることがわかる。
グリップのどの位置を握るのがもっとも良いのかについては一概には言えないが、親指の位置だけはチェックしておいた方が良いだろう。
指導していると、親指を他の指には触れないように、ラケットの上に置く人、わかりやすくいうと、高島忠男の「イエーイ!」の形(知っている人は少ないだろうなあ)でグリップを握る人が多いのには驚かされる。
この点はきちんと指導しなくてはならない。
このような人は、「握る」という訓練をあまりしていない人なので、グリップを強く握ったり緩めたりする運動を練習前に行うことが必要である。
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2008年05月09日
自分のグリップを探せ(1298)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -113-
自分の最高のパフォーマンスを引き出すためには「グリップ」は大変大切である。
要はどんなグリップでも良いから、自分に最も合うグリップを探し出せばよいのである。
まあ、この問題もそう簡単ではないが、私なりの提案を聞いてもらいたい。
1.自分の最も力の入るインパクト位置を決める
実際にボールを打つのではなく、壁などにラケットを押し当てて、どの位置でラケットを押せばもっとも力が入るのかを確かめてみる。
2.グリップを少し変えてみる
インパクト位置が決まったら、その位置で少しグリップを変えてみる。
最初に握っていたグリップが最もしっくりいっているのであればよいが、ちょっとグリップを変えてみてさらに「おっ」と感じるようなグリップに出会えれば最高だ。
3.インパクト位置を上下に変えてみる
一番力の入るインパクト位置でのグリップを探し出したら、そのインパクト位置を上下にずらしてみる。
テニスの上達にはトップスピンのテクニックは必須であり、低い位置や高い位置で鋭い打球を打つことが大切なので、高さを変えてもそのグリップが最もしっくりくるのかを確かめてほしい。
高さが違うと、最高のグリップは変わるのが普通であるが、実際にはその度ごとにグリップを変えるのは難しい。
全ての高さで満足できるグリップを見つけ出さなくてはならない。
4.インパクト位置を変えないで打球を繰り返す
「自分のグリップ」を決めたら、インパクト位置ができるだけ変わらないように何度も繰り返し打球することが大切だ。
ネット越しにボールを送球してもらうのでは、トップ選手ならともかく、初心者では正しくインパクトすることは難しい。
当然、「自分のグリップ」で打球し、その感覚を高めることはできない。
ここでは、その場でボールを落としてもらい、その跳ね上がってきたボールを打つ練習のほうが望ましい。
5.ミスの傾向を探る
基本的に4の練習方法では、インパクト位置はそれほど変わらないので、ミスショットをする確率は低い。
それでも、同じようなミスが続くのであれば、自分では適していると思ったグリップに実は問題があるのかもしれない。
グリップを変えないで、腕の使い方や全身の動きを少し変えて修正するか、グリップそのものを少し変えて、同じようなミスが続かないように修正してほしい。
このような段階を踏んでグリップを調整していくと、あるとき突然に、「おっ、このグリップだ!」と感じるグリップにめぐり合うはずだ。
ジャンボ尾崎(最近、破産してちょっと元気がありませんが)は、練習中に「このグリップだ!」と感じると、それを忘れるのが嫌でグリップを握ったままガムテープでクラブごとぐるぐる巻きにしてしばらく過ごしたそうである。
私も高校生のとき、グリップの感覚を忘れないように、グリップだけを切り取って暇さえあれば握っていたのを思い出す。
グリップは単にラケットを持つだけではなく、身体動作やパフォーマンスに大きな影響を及ぼす大切な技術である。
形にこだわらずに、自分の感覚に従って「自分のグリップ」を見つけること、これが強くなるためには必要である。
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2008年05月07日
グリップが違うと何が変わるのか(1296)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -112-
私は、フォアハンドストロークにおけるグリップの違いがどのように身体動作に影響を及ぼすのかを調べてみたことがある。その結果、グリップが違うと次のような影響が出ることが分かった。
1.インパクト位置が違う
グリップの違いよってインパクト位置は異なる。
しかし、前後方向や左右方向(ネットに対して)については違いが見られず、高さのみに違いが見られた。
ウェスタン系のグリップではインパクトの位置が低くなる。
これは、トップスピンをかけようと自然と下から上へのスイングを意識するからだ。
実は、この調査をする前は、前後方向にも違いがあるのではないかと予想していた(指導書にはそのような違いがあると書いてあるものが多い)が、この予想は見事に裏切られたわけだ。
未発表の資料であるが、上級者のサービスについては、グリップに違いがあっても、それほどインパクト位置に違いが無いことが確認されている。
たぶん、上級者は自分がもっとも打ちやすいインパクト位置を感覚として感じ取り、それに対応するように動きを調節する能力が高いのである。
フォアハンドストロークについても同じように、上級者はそれまで自分が培ったインパクトの距離感を無意識のうちに調節するのに対して、初心者は、どのグリップでもインパクト位置は一定しない。
この点では、コンチネンタル系のグリップが極めて優れているなどとはいえない。
2.身体の向き(傾き)が変わる
上空からのカメラから両肩を結んだ線とネットの角度(体の開き)、両肩と上腕との角度(脇のあき具合)、両肩がどれくらい下がるかなどを調べてみると、体の開きや脇のあき具合は、どのグリップでもそれほど大きな違いは見られない。
これについては、関節の角度とパワーとの関係を調べた研究がひとつの示唆を与えてくれる。
これらの研究では、すべての関節において、ある関節の角度でもっともパワーが高くなることが知られている。
特に上腕と肩のなす角度は体幹のパワーを上腕に伝達するために大変に重要である。
そこで、上級者のレベルになると、たとえグリップが違っても、もっともパワーの出やすい角度を身体が覚えていて、無意識のうちにその角度になるように調節するのである。
卓球においても、持ち方の違いがこの角度に影響を及ぼさないことが確認されている。
ただ、ウェスタン系のグリップでは肩が大きく傾く(下がる)ことが観察されている。
これもトップスピンをかけようとして下から上へのスイングを意識するからである。
3.インパクトでの手首や肘の角度が変わる
これらの関節角度については、グリップの違いが直接的に影響を及ぼすので、少なからず違いが見られる。
特にウェスタン系のグリップでは脇が締まり、肘や手首が強く曲がる傾向が見られている。
4.スイングの方向が変わる
ウェスタン系のグリップではスイングの方向は下から上になる。
トップスピンを打とうとして、手首や肘を強く曲げ、無意識的に身体を動かした結果である。
このようにグリップが全身の動きに及ぼす影響を見てくると、少なからず影響を及ぼすものの指導書にあるような大きな違いは見られない。
ゴルフの実験結果でも3種類のグリップ(オーバーラッピング、インターロッキング、テンフィンガーグリッピ)について検討した結果、クラブフェースの方向性やスピードなどに対する影響は観察されず、グリップの形は問題でないように考えられている。
しかし、同じようなグリップに見えても、個人個人で違う微妙な差が大切なのである。
その微妙な差は、個人の骨格や体格、筋力等の身体的な要素のみならず、考え方や好みといったメンタル的な要素をも含んで、感覚を頼りに形成されてくるものである(だから一概にどのグリップが良いとは言えない)。
また、上級者はグリップの違いがあっても自分がもっともうまく打球することができるように身体の動きを調節している。
このような自動化(無意識化)された動きが優れたパフォーマンスには必要で、グリップの形だけにとらわれるのではなく、全体の動作がスムースに連動するようにトレーニングする必要があるだろう。
「人間にとってもっとも自然なグリップとは何か?」という問いに対して、今回の調査だけで断定できるものではないが、初心者であっても自分の感覚にしたがってグリップを握るので、それをはじめから矯正するべきではないということは間違いない。
ただ、これは観察だけの結果であるが、幼児に異なるグリップでボールを打球させてみると、意外にもフルウェスタングリップがもっともスイング動作がスムースで安定しており、その結果良いボールが打球できる確率が高いことが確認されている。
これは、コンチネンタル系のグリップは前腕の回内動作が必要となるが、この動作は後天的に獲得される動作なので、その動作が獲得されていない、もしくは未熟な幼児ではそうした回内動作を伴わないウェスタン系のグリップのほうが自然だということができるかもしれない。
最近のプレーヤーは小さい頃からテニスを始めるケースが圧倒的に多く、その時、「何も考えずに」ラケットを握っていたのがそのまま「自分のグリップ」となったというケースは多い。
そう考えると、フルウェスタンのグリップは決して特別なグリップではなく、実は最も自然なグリップかもしれない。
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2008年05月05日
基本のグリップとは何か(1294)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -111-
グリップについては指導書やコーチによって指導する内容が大きく異なる。
名前だけ取り上げてみても、「コンチネンタル」、「イースタン」、「セミウェスタン」、「フルウェスタン」などがあり、オリジナルグリップを提唱する人までいる。
そして、どれを推奨するのかについては、まさにコーチの気持ちひとつというところだ。
そこで、実際にたくさんの指導書を調べて(めちゃめちゃ本読みました!)、グリップの違いによってどのような違いが生じるのかについて整理してみると、
1.インパクト位置が違う
2.身体の向きが変わる
3.スイングの方向が変わる
4.インパクトでの手首や肘の角度が変わる
が代表的なところである。
そして、それらの指導書では、おおむねトップスピンにはセミウェスタンやフルウェスタン(ウェスタン系)が適しており、フラットやスライス、ボレーなどのショットにはコンチネンタルやイースタン(コンチネンタル系)が適しているという解説が多い。
なので、グリップの種類としては、このウェスタン系とコンチネンタル系の2種類であると言っても良い。
しかし、グリップによって動きが変わることには間違い無いのだが、トップスピンを打つにはセミウェスタンかフルウェスタンでなければならいことも無いだろうし、実際にグラフやサンプラスは、それほど厚くないグリップでトップスピンを打っているように思う。
好意的に解釈すれば、スペインや南米の選手によくみられる、いわゆるハードトップスピンを打つにはウェスタン系のグリップがもっとも適しているということであろう。
確かに最近のテニスでは、ヘビーなトップスピンを自在にコントロールすることはトッププレーヤーにとって必須の技術であるように思う。
それが自分のベースのストロークとなるかどうかは別として、少なくともパッシングショットや攻撃的なトップスピンロブなどでポイントをとるか、有利な展開に持ち込むには、「ここぞ」というところでハードなトップスピンが打てなくてはトップになれないであろう。
では、そのようなトップスピンの技術が必須であるならば、初心者やジュニアにもその技術は教えなくてはならないはずである。
しかし、初心者やジュニアのスクールで厚いウェスタン系のグリップを指導する場面はあまりみたことがない。
その理由をさきほどの指導書に探してみると、「初心者(ジュニア)は、基本であるフラットから教えるべきである。そのためには正しいコンチネンタルグリップ(イースタングリップ)を指導することが望ましい」と解説してある場合が多く、その理由として、
1.インパクトの感覚を覚えやすい
2.グリップに無理が無く、もっとも自然なグリップである
3.他の技術に応用がしやすい
4.早くラリーができるようになる
などとしている。
果たしてそれは本当なのだろうか。
インパクトの感覚は、それぞれに適したグリップがあり、初心者であっても無意識的に自分の感覚に従って、自分がもっとも握りやすいように握るわけで、それをはじめから矯正するべきではないと考える。
ましてやコンチネンタル系のグリップがその人にとって良いグリップかどうかはわからないし、多くの人にあてはまるかどうかも定かではない。
それが自然かどうかなどどうやってわかるのだろうか。
「基本がコンチネンタルグリップである」というのは納得いかないし、「早くラリーができるようになる」というのもかなり怪しい説のようにも思える。
しかし、「どのグリップが人間にとって自然なのか?」と問われると、返答に困ってしまうのも事実である。
そこで、グリップの違いがどう人間の全身運動にどう影響を及ぼすのかについて整理しながら、この難解な問題に私なりの解答を導きだしていこうと思う。
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2008年05月02日
こころのプロ意識(1291)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -110-
よく、「どうしたら強くなれますか?」と質問されることがある。
もし特効薬のようなものがあれば、きっと私は大金持ちになっているだろう。
でも、現状そうではない(まあ、それほど貧乏でもないので良しとしましょう)。
そんなとき多くの人は何を期待しているのかというと、「こうすればいいんですよ」という衝撃的なアドバイスである。
でも、結局はこれを「期待」する人は、強くはなれない。
愛工大名電高校野球部の寮には、「野球は生活だ。生活が野球だ。」という標語がかかっている。
私は、それを見るたびにこれが真実だと思う。
強くなりたかったら、いつでも強くなることを考え、強くなるための訓練をし、生活の全てをそのために費やす覚悟が必要である。
昔の剣豪は「いつ何時でも刀が抜けるように意識を配りながら歩く」ことを日常の訓練として行っていたそうである。
「そんなこと無理だ!」と思ってしまう人は、そもそも強くなることは難しい。
食べること、寝ること、歩くこと、その全てが強くなるために必要なことであるとは考えない。
だから、「特効薬」を求めるのである。
前に遠藤愛選手のコラムを紹介したことがある。
「その時、私はプロではありませんでしたが、プロとして意識を持っていました」と、「心のプロ意識」について書いていた。
誰もがプロになれるわけではないが、「プロとしての意識」を持つことはできる。
これが唯一の方法だと信じている。
質問する前に、どれだけテニスのことを真剣に考えているのかを考えてほしい。
自分の甘さに気づいたのなら、あなたはもっと強くなれるかもしれない。
そして、たった今からその訓練を始めたものだけが強くなれる。
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2008年04月29日
さあ、はじめよう!ランニング(1198)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -109-
障害予防のためにもシューズを選ぼう。
良いシューズは、歩行や「ランニング」のときの動きや姿勢のサポートしてくれるだけではなく、効率的に推進力を高めてくれる。
最近は、マイクロチップを埋め込んだシューズも開発されていて、圧力によってマイクロチップが空気圧を調整し、最適な状態を作り出すという。
まあ、びっくりな発明であるが、こうした科学の恩恵を受けることで効率の良いトレーニングを行うことができるのなら、積極的に活用するほうが良いだろう。
イメージとしては、やはりトップランナーの走っている姿を見るということが大切だ。
マラソンのテレビ中継なんて退屈だと思っていたが、観点を変えてみると、「このフォームには少し無理があるな」、「筋的に厳しい状況になってきたな」、「今この選手はこんなことを考えながら走っているんだろうな」とかが何となくわかってきて楽しくなってくる。
そうしてじっと見ているうちに、体がもぞもぞと動き出したくなってくるだろう。
そんなときは躊躇せずに外に飛び出してみよう。
きっと、今までよりも自分のイメージ通りのフォームで「ランニング」できるようになっているはずだ。
さあ「ランニング」だ!でも、いったいどれくらい走ればよいのだろう?
2時間走れといわれてもきついよな。
10分では効果なさそうだし、などといろいろと考えてしまう。
心配いらない、時間はずばり20分だ。
「ランニング」によるトレーニング効果が引き出されるために必要な時間がちゃんと科学的に証明されている。
もちろん、20分以上でも良いのだが、毎日のコンディショニングとして「ランニング」を行うことを考えれば、20分程度の「ランニング」を毎日行うことがもっとも望ましい。
しかし、それほどトレーニングをする時間がない人は、1週間に2度ほど40分程度の「ランニング」を行ってほしい。
他のトレーニングを規則的に行っている人であれば、同じような効果が得られるはずだ。
ただし、どのような「ランニング」を行うにせよ、LSDが効果的である。
LSDとは、「ロング・スロー・ディスタンス」の頭文字をとったものである。
何か麻薬の名前みたいであるが、力を抜いて、ゆっくりと、長い時間走ることが大切であるという考え方に基づいて提案されているトレーニング方法である。
実際に効果は高い。お試しあれ。
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2008年04月28日
筋肉を意識しろ(1197)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -108-
「ランニング」は単純といえば単純なトレーニングなだけに、身体を上手くコントロールしないとそのトレーニング効果は出にくい。
体幹や股関節を鍛えても、それをうまく使うことができなければ効果は半減するだろう。
むしろ害になるかもしれない。
そうしたことを防ぐには、「意識」を持つことである。
深代千之氏(「「新・走る革命」突然、足が速くなるVol.2」、MCプレス刊)は、
「普段の走りのトレーニング・練習でも、どこに意識をおくかで、筋の発達、体形は変わってきます。ただ走るトレーニングをするのではなく身体のある特定の筋を意識しながら走ることで、体形を変えられるということです。本気で意識を変えていけば、3ヶ月でカラダの変化に気づくようになるはずです。」
と言っている。
この「本気」でというのが大切であることは間違いないが、「意識」にはそれだけの力があることは覚えておかなければならない。
そして、それはメンタルトレーニングにもつなかながっていく。
ではどこを意識するのか。どの筋肉を意識するのかというと、それはずばり!腸腰筋である。
腸腰筋とは、大腰筋と腸骨筋を合わせたインナーマッスルのことで、太ももを引き上げたり、お尻の筋肉を引き上げたり、骨盤の位置を保つために働く。
つまり、走ったり、歩いたりするために最も大切な筋肉である。
ただ、インナーマッスルというくらいなので、表面から確認することはできない。
そんなものどうやって意識するんだ!と言われそうであるが、集中して意識すれば、間違いなく筋肉を意識することができる。
さあトレーニングをするぞ!と意気込んでみても、それまでにトレーニングの経験がなければ、いきなり「ランニング」を始めても挫折する確率のほうが高い。
はじめは無理をせず徐々にトレーニングの量を多くするというのはトレーニング処方の定石である。
はじめのトレーニングとしてはウォーキングが適している。
ウォーキングは「ランニング」とは親子兄弟のような関係であり、正しいフォームや筋の感覚を確かめるにはもっとも良い方法である。
これがきちんとできれば、「ランニング」の効率は驚くほどあがる。
負荷は大きくないが、ウォーキングを行っているときに、姿勢や筋肉を意識しながら「ランニング」に適したフォームを作っていくことは決して回り道にならないはずだ。
ウォーキングを始めるときには、京都大学の小田先生の「常足(なみあし)感覚を手に入れるための歩行」は良いトレーニングになるだろ(ATHRA03、2002 Vol.011)。
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2008年04月27日
ヒトは走るのに向いている(1196)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -107-
人は走ることに向いていると言われる。
Tarzan(マガジンハウス刊、2005年10月26日号、No.252)には、
「ヒトは速度こそ遅いが、30分くらいは誰でも走れる。きちんとトレーニングを積めば100kmでも24時間でも、ほとんど休まずに走れる優秀な長距離ランナー。こんな動物はどこを探しても他にはいない。ヒトのランニングには、速く走っても遅く走っても、燃費というか、運動効率がほぼ一定だという際立った特徴がある。他の動物たちには、それぞれにもっとも運動効率の良いベストな走行速度がある。だが、ヒトはギアが1速でも5速でも、運動効率は変わらない。のんびりペースでも燃費が落ちない点からも、長く走るのに向いていると言えそうである。」
と書いてある。これは驚きだ!
動物のほうが走るのに適していると考えるのが普通であるが、なんと「人間のほうが走るのに向いている」というのである。
この能力を活かさないのはもったいない。
では、どうすれば効果的な「ランニング」トレーニングを行うことができるのか、それを具体的に知らなければならない。
「ランニング」を始める前に、プレトレーニングとして体幹のトレーニングを行ってもらいたい。
なぜなら、体幹部の筋力がある程度のレベルにないと、走っているときに胴体を支えることができずに不安定なフォームになり、走ることであちこち痛んだりするからだ。
普通の腹筋や背筋トレーニングが1回もできない人は、まずはここからトライしてほしい。
金哲彦氏は(「カラダ革命ランニング」、講談社)、
「市民ランナーのフォームが悪い一番の原因は何でしょうか。一言で言うと、それは体幹の筋肉を使っていないせいです。体幹とは体の中心、すなわち背中、腹部、臀部の筋肉です。ふくらはぎの下の足の筋肉だけを使って走っていると、途中で苦しくなり、ケガの原因にもなってきます。体幹が自然に使えるようになると、走りがスムーズになって、確実に楽に走れるようになるでしょう。」
と体幹の筋肉を使った走りを習得するように薦めている。
はっきりと「足で走るな、背中で走れ!」とも言っている。
これはあらゆるトレーニングに共通することであり、体幹の筋肉を上手く使うことでランニングの効果はあがる。
また、「ランニング」前には十分に股関節をストレッチし、効果的なエクササイズを行う方がいいだろう。。
「ランニング」の効果を高めるエクササイズについては、原田康弘氏(「「新・走る革命」突然、足が速くなるVol.2」、MCプレス刊)が詳しく解説しているので一度目を通しておくと良い。
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2008年04月26日
ランニングの目的(1195)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -106-
「ランニング」にはいろいろな目的がある。
●心肺持久力の向上
●筋力強化
●柔軟性の向上
●ダイエット
●ボディバランス
●メンタルトレーニング効果
などである。
今どきであれば、「メタボリック」にも効果があると言うこともできる。
ということは、その目的に応じてプログラムは変わるということである。
これは素晴らしい!
「ランニング」のトレーニングを上手く使いこなせば、さまざまなトレーニング効果が期待できるのだ。
しかし、ことはそう簡単にはいかない。
トレーニングプログラムがオーバーラップするところは多いが、期待するトレーニング効果を得るためにはけっこう細かなプログラムを用意しなければならない。
これが面倒くさい。
だから、多くの人が「早く足がつったり、へばるのでランニングしてます。」といいながらいっこうに改善されないことも多い。
これは、心肺持久力と筋持久力を思い違いしているからなのだが、「ただ走ればからだが強くなる」などとは思わないでいただきたい。
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2008年04月25日
「ランニング」しない奴は強くなれない!(1194)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -105-
スポーツ選手で「ランニング」したことない人っているだろうか。
それくらいメジャーな、というよりも当たり前のトレーニングになっている「ランニング」である。
私たちの時代は(そして今も)、何かあれば「走って来い!」という命令に従って、延々と何時間続くかわからない「ランニング」へと追い立てられた。
走っているうちに苦しくなって、その苦痛に顔がゆがんでくる、それを冷ややかに見守る先輩たちに対して憎悪がめらめらと燃え上がる。
「なんで一年生だけがランニングなんだ。トレーニングしなければいけないのはあんたたちだろう。俺はこんな先輩にはならんぞ。俺が2年生になったらランニングは廃止だ。」
などといつも考えながら走っていたが、2年生になって気がつけば冷ややかに見守る先輩になっていた。
まあ、こんなものかな。
そう、「ランニング」にはそんな暗い過去(?)がある。
つまり、トレーニングとしての「ランニング」ではなく、しごきやいじめ、罰ゲームの種目としての「ランニング」である。
だから、多くの人は「ランニング」と聞くと、「くっ!」と嫌なつらい顔をする。
もちろん、今もその伝統(?)は続いているだろう。
そこで、そうした現状を打破すべく登場したのが「スポーツ科学」である。
こうした「ランニング」は非科学的であまり効果がなく、むしろ害があるなどと宣伝してくれたおかげで、多くの選手が苦しいだけの「ランニング」から開放された。
まあ、その代わりにそれよりも苦しいトレーニングが開発されたり、測定機器の開発がすすんで数値的に身体の状況が把握できるので、サボることができなくなったというデメリットもある。
とにかく、「ランニング」によるしごきがなくなったことは選手にとっては嬉しいことであったに違いない。
しかし、そのようなことがあり、「ランニング」を行うクラブが少なくなったか、というとそうでもない。
実は今でもちゃんと行われているのである。
ただ、そのイメージが変わり、しごきからトレーニングへと変わったのである。
では、しごきの「ランニング」とトレーニングの「ランニング」では何が違うのかを整理してみよう。
【しごきのランニング】とは、
●何が何でも走り続ける。
※時間や量が決まっていないことが多い。
●顔がゆがむくらい苦しいスピードで走る。
※曲がり角ごとに先輩や先生が竹刀を持って立っていて、遅いとたたかれたり蹴られたりする。
●順位によってその後のトレーニング(しごき)がかわる。
※どべ(最後の人という意味です。名古屋弁かな?)には悲惨なしごきが待っている
●何かへまをしたときに必ずセットで付いてくる。
●途中の飲水は認められない。
※水が飲めるポイントにも先輩や先生が立っている。
ってな感じだろう。それに対して、
【トレーニングとしてランニング】では、
●段階的にプログラムされている。
●強制される部分が大変少ない。
●走るスピードが心拍数などを目安に決められる。
●時間はレベルによってきちんと決められる。
●トレーニング効果を引き出すために組み合わされるトレーニングが適当である。
●適当な飲水をすすめる。
という感じだ。随分違うでしょ?
しごき編の項目を見ると、私なんかはつらい過去が思い出されて思わず涙ぐんでしまうが、トレーニング編では、読むだけで強くなっていくような気がする(私だけ?)。
そう!「ランニング」はちゃんとした(?)トレーニングである。
ただ、今までは、というか私たちの時代では、もっとも簡単に取り組むことができると思われていたトレーニングだけに、いい加減な知識や経験でプログラムされ、それがアホな先輩や先生の気分次第でしごきへと変わっていったのだ。
今でも少なからずそういう風潮はあるだろう。
でも、最近ではランニングブームということもあり、「ランニング」の効果的なプログラムなどが書籍や雑誌などに発表されるようになり、「ランニング」をトレーニングとして捉える意識が大変高くなってきたことは大変良いことだ。
次回はテニスが強くなるためのランニングについて詳しく解説していこうと思う。
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2008年04月21日
人間の能力を伸ばす環境とは(1190)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -104-
私たちが海外への遠征をできるだけ低年齢のうちに経験し、それを継続的に続けていくことができるような「環境」を作ろうとしているのは、何度も言っているように、「強くなるには海外で戦うのが当たり前、それがスタンダードな考え方である」、ということを誰もが「意識」できるようになってほしいからだ。
トレーニングジャーナルという雑誌に、「指導の際に「あれをしろ、これをしろ」と言わなくても、ある刺激を与える、ある環境を与えるだけで、ほおっておいても目的とする動きに誘導させられます。ヨーロッパなどでは、この生態的な動きを「エコロジー(ecology)」と表現し、「エコ」という言葉をつかっています。」とコオーディネーション能力について紹介されている。
無事に閉幕した愛・地球博でも「エコロジー」がテーマで、あちこちでそのテーマなり、スローガンを目にしたので、私も大変興味深く読んだが、「こういう意味でも使うのか、なるほどね」、と思った次第である。
そして、その時ふっと、ある心理学の先生が書いた「心が大事というのはいいけれど、すべてを揺さぶるものは「場」です。「場」が全部を揺さぶるわけです。」という文を思い出した。
人間は「環境」によって「心」が揺さぶられる。
だから、素晴らしい施設環境を作らなければならない、というのではない。
「環境」とは「意識」の集合体のようなものであり、施設などの建造物はその一部である。
だから、素晴らしい施設を作っても、「意識」がそのレベルで伴っていなければ、素晴らしい「環境」とはいえない。
私は、もし、すべての子どもたちが、「スタンダードな考え方」を持つことができたときにはどんな風になるのか、ということを良く考える。
施設などが何も変わらなくても、きっと素晴らしい「環境」ができるに違いない。
また、「環境」とは「全体」である。
個々の「もの」が素晴らしくても、「全体」としてバランスを失っているようでは、素晴らしい「環境」とはいえない。
さきに紹介したトレーニングジャーナルには「コオーディネーションはいろいろな領域で展開されていますが、その原点は「人間の動き」そのものです。全体を見ていくことです。」と書いてある。
トレーニングの指導現場では、この「全体を見る」ことが欠けているように感じる。
それが日本におけるトレーニング指導のもっとも大きな問題点であると指摘する声も多い。
より良い「環境」を作るためには、常に「全体」を見て、バランスを取りながら、いろいろなものを「柔軟」に取り入れることが重要であることは間違いない。
そのためには、私たち指導者は、子どもたちに必要なものは「何か」をいつも探し続け、その「感性」を磨く努力をしなくてはならない。
「これでいい」と言い切れるものは見つかりはしないのだから、「探し続けること」、「今、必要なことは何か」を真剣に問いかける姿勢が何よりも大切だと思う。
同じくトレーニングジャーナルに、「自分がやってきたことを否定するし、否定できるから、平気な顔をして今の技術指導ができるのです。」というスケートの指導者のインタビューが載っている。
「柔軟性」の大切さを説いているように思う。
こうした「意識」が大きく広がりを見せたとき、きっと素晴らしい「環境」はできてくる。
そういう意味で、愛知万博はいろいろと私に考えるきっかけを与えてくれる素晴らしいイベントであった。
「環境」が変われば、きっと素晴らしい選手にめぐり合うことができるはずだ。
「時代が変わり、環境が変わっても、人間が根本から変わることはない。変わるとは「意識」が変わるということだ。意識が変われば新しい人間が生まれる。人間が変わらないで、どうして新しい局面、新しい世界が展開するだろうか。」
と私の好きな心理学の先生は言っている。
そんな「新しい世界」で子どもたちがテニスをするのを想像するのは楽しいものだ。
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2008年04月18日
試行錯誤の力(1187)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -103-
たまに、テニスのコーチなのになぜ野球のトレーニングを教えているのか?とか、なぜ野球部のトレーナーをしているのか?などと質問されることがある。
ん~、なぜ?と聞かれると、ちょっと返答に困るが、理由は3つほどあるように思う。
ひとつめは、成り行きである。
たまたま私のトレーニングの教室に通ってきていた方が倉野監督の奥さんの知り合いで、私のことを紹介していただいた、というのが直接的なきっかけである。
倉野監督が監督に就任したばかりで、強化のためにトレーニングを指導してくれる人を探していたのと、私が各学校宛に「トレーニングの指導しますよ!」みたいな案内状を出していたこと、トレーニングの教室を開講したばかりでいろいろな方法を模索していたことなどが「偶然重なった」、ということだ。
まあ、出会いなんていうのはこんなことが多い。
正直、はじめのうちは野球のことをよく知らなくて、時間さえあればグランドに足を運んでいた。
それでも、あの「泥んこまみれ」、にはなかなか慣れませんでしたね。
子どもたちは、土の上で平気で寝転がったり(土と仲良くなるトレーニングといって、グランドでごろごろするトレーニングもあったそうだ)、どろどろの手で平気で何かをほおばるのに抵抗があった(今も少なからずある)。
また、強風が吹くと、耳の中が真っ黒になり、タオルで耳の中を拭くと泥や砂がこびりつくこともある。
テニスの世界では考えられないことが多かったように思う。
でも、そんなことを続けていくと、何となくペースをつかみ、自分なりのポジションをみつけて、無理をせずに楽しみながらトレーニングを教えることができるようになってきた。
もちろん、そこにたどり着くまでは「試行錯誤」の連続で、野球や野球のトレーニングに関する専門書などを何十冊も買い込んで、毎日のようにメニューを考え、気がつけば450種目ぐらいのトレーニングを指導してきた。
今は、その中から、時期に合わせて適切なトレーニングを選択し、できるだけ楽に効果が上がる方法を自分なりに構築している。
たまにはサッカーなども取り入れる余裕もある。
そして、パーソナルなトレーニングを指導する機会も作ることができるようになってきたことが、比較的怪我の少ないチームを作ることに貢献できているように思う。
また、愛工大名電高野球部は、OBのプロ野球選手などから寄贈されたトレーニング機器が充実していることも強くなった大きな要因である。
しかし、私がトレーニングの指導に来る前は、屋外にさびだらけで放置されていたり、トレーニングルームとして使用する部屋が物置と化していたりして、機能的に使われていたわけではない。
それを監督と相談しながら、徐々にトレーニング室を整備し、トレーニング講習などを行って、トレーニング機器を使って適切にトレーニングを行うことができるように環境を作ってきたことが子どもたちの能力を向上させるために大いに役立った。
そのトレーニングカリキュラムも、まさに「試行錯誤」の連続で、色々なトレーニングを自分自身でも試しながら、無理なく筋力や機能の向上がはかれるように作成していった。
こうした「試行錯誤」は、選手にとって「本当に必要なトレーニング」を作り出していくためには大変重要なことだ。
選手の才能を伸ばすためには、ありきたりのトレーニング論では通用しない。
選手の体格や体力、考え方はもちろん違う。
また、できる限り環境に合わせたメニューを考えなくては、継続的にトレーニングを行うことは難しい。
これからも「試行錯誤」は続きます・・・より良い環境を作るために・・・。
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2008年04月16日
心拍数(1185)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -102-
心拍数を目安にトレーニングを考えるというのはとても大切なことだ。
心拍数は何を教えてくれるのであろうか。
まずは、その選手がどれくらいのレベルで運動を行っているのかが一目瞭然である。
疲労困憊にいたるときの心拍数を知っておけば、どれくらいまで追い込んでよいのか、どこで休息が必要なのかも検討がつくし、選手に対して目標レベルを設定しやすくなるので、モチベーションを引き上げる効果も期待できる。
なによりも「サボることが出来ない!」のがコーチとしては良いと思う(笑)。
その他にも回復度合いを知ることが出来るので、どれくらいのリカバリー能力が備わっているのかがわかる。
それを元に、練習プログラムの強度を設定することも可能である。
このような便利なものを利用しない手はないだろう。
最近では、心拍数の測定器も手ごろな値段で購入できるので、1つ2つ持っていても良いと思う。
ところで、トレーニングをすれば心拍数はどう変化をするのだろうか?
じつは、トレーニングをしても心拍数はあまり変わらない(もちろん、トレーニングを繰り返していけば、心拍数は減少する)。
その代わりに一回の拍動で送り出される血液の量は増えていく。
同じ心拍数で多くの血液を送り出せるようになるのだ。
だから、運動を長く続けることができるし、リカバリーの能力も高くなる。
シドニーオリンピックで金メダルを獲得した女子マラソンの高橋尚子選手は普段の心拍数が約35拍らしい。
一般の人の半分しかない。
単純に考えれば、1回の拍動で2倍の血液を送り出せるようになっているということだ(血液中の酸素の運搬能力も通常では考えられないほど高いらしい)。
かつての世界チャンピオン、ビヨン・ボルグ選手も心拍数が40程度であったとの報告もあるように、テニス選手もマラソン選手並みの心肺持久力が要求されるのかもしれない。
そして、呼吸によって取り入れられた酸素を身体の隅々まで届ける循環機能、その酸素を効率良く使う筋肉の機能の向上が大変重要である。
これらの能力は、「最大酸素摂取量」によってあらわされる。
「最大酸素摂取量」とは、1回の呼吸でどれくらい酸素を取り込むことが出来るのかという能力のことだ。
「最大酸素摂取量」が大きいほどタフな選手ということができる。
この能力は、トレーニングによって各段に向上していく。
そのためには、ただ走るだけではなく、筋肉の機能向上や呼吸法の改善などのトレーニングを合わせて行うことが大切である。
もちろん筋力トレーニングも併せて行うことが重要だ。
がんばってトレーニングをして、テニスに適した身体を手に入れてほしい。
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2008年04月13日
テニスにとって理想的な体力とは(1182)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -101-
テニスにとって「理想的な体力」とは何かを考えてみよう。
テニスは「瞬発力」を必要とするスポーツである。
威力のあるサービスを打ち、相手の打った角度のあるボールに対して全力でダッシュして打球し、すばやく身をひるがえしてオープンコートをカバーする、などの動きに対しては「瞬発力」がなければ対応することはできない。
また、テニスは「持久力」を必要とするスポーツでもある。
デ杯やグランドスラム大会のように5セットの試合をフルに戦うためには相当の「持久力」が必要であるし、ジュニア選手が夏場の多くの大会を勝ち抜くためにも相当の「持久力」が必要となる。
「持久力」と「瞬発力」の両方を兼ね備えていれば問題無いのであるが、ことはそう簡単ではない。
人間の筋肉はどちらかのタイプに分かれるからだ。
瞬発力がありスピードもあるが、持久性には乏しい筋肉(速筋)と、逆にスピードは無いが運動を長く続けることができる筋肉である(遅筋)。
人間は生まれながらにある程度その筋肉の割合が決まっている(もちろん、トレーニングによってある程度は変化することも証明されている)。
だから、持久性の高い筋肉の多いひとが100m走ですごい記録を作ることは困難であるし、逆に瞬発力のある筋肉を持っている割合が高い人は、長い距離を走るのが不得意である。
次のような計算式で、ある程度筋のタイプの割合を計算することができるので、試しにやってみよう。
(計算式)
69.8×(50m走の秒速÷1200m走の秒速)-59.8
例えば50m走が8秒だとすると、秒速6.25m。その人の12分間走が2800mだった場合、秒速3.89m。6.25÷3.89=1.61だから、69.8×1.61-59.8=52.6%が速筋である。
また、走タイムを記録することや簡単な測定器具で血液中の乳酸という物質を測定することでもある程度推測することができる。
ハードな全力運動をすると、血液中に乳酸という疲労物質がたまり、筋肉が動かなくなってしまうのであるが、筋肉の持久力が高い人はこれを除去する能力が高いことがわかっている。
この血液中の乳酸を測るために、以前は大掛かりな装置を必要としたが、最近では簡単に測ることが出来る機器が開発されている。
私が指導しことのあるトップジュニア選手は、運動直後の疲労困憊で動けない状態から、わずかな時間で完全に回復するのに対して、ある学生選手は、いつまでも数値が戻らず、くたびれた身体が長く続いてしまう。
これをリカバリー能力というが、全力運動のスピードもまずまずあり、なおかつリカバリー能力の高い人は、速筋のなかでも持久的な能力に優れている中間筋とよばれる筋のタイプが多いことが分かっている。
この筋のタイプを多く持つ選手が、タフな選手であり、テニス向きであると言うこともできる。
しかし、この能力を高めるためのトレーニングがもっとも過酷で、厳しいトレーニングである。
そういう覚悟がある人だけが取り組むべきトレーニングであるかもしれない。
あなたにはその覚悟がありますか?
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2008年04月10日
得意なパターンを練習する(1179)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -100-
それで、ある程度ショットに「自信のようなもの」(自信ではない)が出てきたのなら、そのショットを使ったパターン練習をお勧めする。
パターン練習とは、例えば、フォアの回り込みの逆クロスが得意であれば(私のこと?)、
1球めに回り込みの逆クロス、
2球めにフォアのワイドボールに対するクロスコート、
3球めにもう一度回り込みの逆クロス、
4球めにフォアのワイドボールに対するダウンザライン、
5球めに回り込みのダウンザライン、
6球めにフォアのチャンスボールの打ち込み、
というようなパターンを決めて実戦形式のドリル練習を行うことだ。
この練習では、何よりも、「得意なショットを使って相手を攻める」ということをイメージしながら行うことが大切である。
この練習を繰り返し行って、実際の試合でそのパターンでポイントを取ることができると、「よしっ!」という強い気持ちになれるものだ。
何よりも、自分の得意なショットが相手にとって有効だと思えることは、失いかけた自信を取り戻すきっかけになるだろう。
調子の崩れを取り戻すことは容易ではない。
ましてやメンタル的なことが原因で崩れたものを立て直すのは本当に難しい。
しかし、何もしないで、マイナスに向く意識をさらに助長するような環境を作ってはいけないと思う。
そのためには、できるだけ自分が心地良く感じることができるような練習の方法を工夫することは大切な対処法である。
コーチも「人間は弱い」、そのことを常に頭において練習の方法を考えるようにしたい。
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2008年04月09日
得意なショットを練習する(1178)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -99-
そうはいっても、いつもゲームばかりはしていられないだろう。
やはり練習によって調子を上げる工夫をしなければならない。
子どもたちに「調子が悪いときはどんな練習をするの?」と聞いてみると、「基本練習」と答える場合が少なくない。
「課題練習」と答える場合もある。
どちらも間違った答えではない。
しかし、1週間後に迫った大切な試合を前に調子を落としてしまっているような場合はどうだろうか。
調整の意味で練習するのではなく、「不安」から焦り、「なんとかこのショットの調子を上げなくてはならない」と思って練習に取り組んでいて、果たして調子を取り戻すことができるだろうか。
答えは「ノー」だ。
「~しなければならない」という考えこそが自分を追い込んでいることに気づくべきだろう。
また、人間はマイナスのほうに意識を向けやすい。
「基本練習」をやっていて、うまくいったショットよりもミスショットのほうに強く意識を向けてしまうものだ。
「基本」であるだけに、「ミスをしてはいけないと思い込んでしまう」こともある。
そういう子の練習を見ていると、「おっ、なかなかいいショット打つなあ」とこちらが感心しても、当の本人はいつでも不満げだ。
なぜなら、「1本のミスショットも許されないよう」に「心を縛っている」ので、一本でもミスショットがあるうちは「自分自身を許すことができない」からだ。
「自分自身を許す」ことができなくて、はたして「調子が良いと感じる」ことがあるだろうか。
そんなことはあるはずがないのだ。
「一流のプロだってミスはする」、という「あたりまえの考え方」を持てない限り、その呪縛から逃れることはできない。
「ミスをしてしまう自分を許せるようになる」ためにも、あまり「基本練習」というものに縛られることのないようにしたい。
ただし、勘違いされては困るのだが、「基本練習」は大切な練習である。
でも、これには「改善する」、「矯正する」ということが目的である場合が多い。
「改善する」ためには、多くの時間を必要とする場合が多いので、次の試合までに時間があるとか、次の試合はいいから将来のために今この改善に取り組む必要がある、という場合には絶対に必要な練習である。
しかし、間近に迫った大切な試合を控えて、メンタル的なことが原因で調子を落としているような場合には、取り組み方を間違えないようにしてほしいということだ。
では、どんな練習が適しているのだろうか。
それは「得意なショットを練習する」ということだ。
サービスが得意であれば、サービスの練習を多めに、時にはサービスの練習だけをすれば良いのだ。
調子が悪いから(悪いと思い込んでいるから)、今までのように上手く行くとは限らないが、少なくとも不得意なショットよりは「上手く打てる」、「上手く打てると感じる」場合は多いであろう。
得意なショットというものは、そのショットを打ったときに「(チョー)気持ちいい!」と感じる「何か」があるのだ。
でも、その得意であるショットが調子悪くて落ち込んでいるときにはどうすれば良いのか、という疑問が浮かんでくるが、何度も書いたように、「少しでも気持ちよいと感じるように自分(の気持ち)を持っていくことが大切」だということを忘れないで頂きたい。
実際の話、試合のことを意識しすぎて調子を落としている選手は、何をやってもうまくいかないと感じてしまうものだ。
だからこそ、少しでも練習に対して、心地よいと感じ、意欲をもてるような練習方法を考えることが大切だと思う。
もし、練習をやっていて、どうしても気持ちよく思えないのであれば、練習を一旦打ち切って、気晴らしに行くのも良いだろう。
何をやっても良い。
何よりも良くないのは、「練習しなければならない」など、「~しなければならない」という考え方に「自分自身を縛ってしまう」ことである。
ちょっとしたものの考え方を変えて、「思考の呪縛」から抜け出せた時、きっとあなたは強くなっています。
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2008年04月07日
調子の悪いときのものの考え方(1176)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -98-
努力をしていても、なかなか成果が上がらないばかりか、調子を落とし、やる気をなくしてしまうこともある。
特にジュニアの最後の年に、その「落とし穴」に落ち込んでしまうことが多いように思う。
「最後の年だから良い成績を残したい」
「悔いのないようにしたい」
「自分のテニスの集大成だ!」
と意気込むのは構わないが、意識しすぎて「不安」や「恐怖」、「焦り」に飲み込まれてしまい、結局自分の力を出すことなく悔しい敗戦を喫し、それがきっかけでテニスをやめていく子どもたちもいる。
もちろん、人間は誰でも調子の良い悪いはある。
そのことを認めたうえで、「調子の悪いときにどうしたら良いのか」、を考えておくことは大変重要だと思う。
「これは!」という方法があるわけではない。
座禅を組んだり、呼吸法を学んだり、メンタルトレーニングに取り組むのも良いだろう。
しかし、日ごろの練習の中でどう対処するのかが最も大切である。
基本的な「ものの考え方」として、「テニスはこれからも続けていく」と決めることだ。
「もうこれで最後だ」と思うとその緊張感は大きくなる。
人間は弱い、「最後に賭ける」という緊張感を打ち破る強さを持った人それほど多くはないのだ。
でも、「負けても次があるじゃないか」という気持ちの余裕があれば、「落とし穴」をかわすことができるはずだ。とても難しい問題であるが…...。
次に「ゲームを嫌がらない」ということだ。
調子が悪くなると、「負けに強くこだわるよう」になり、そのことを意識して、それを避けようとする気持ちが強くなる。
マッチ練習が調整に役立つかどうかはよく分からないが、「戦うことを避けようとする弱き心」はやはり調子を崩す原因になることを覚えておいてほしい。
私のアカデミーでは、小学校1年生から高校生まで練習しているが、小学生の頃は、「よし今日はゲームをするぞ!」というと「やったー!」と雄叫びを上げるほどなのに、中学生になる頃からだんだんとゲームを嫌がるようになり、「ダブルスならやるけど、シングルスはしたくない」などと言うようになる。
本来、テニスではゲームが一番楽しいはずである。
ある程度の緊張感もあり、真剣にボールを打つことができる。
だから、ゲームをすることを素直に喜ぶ子どもの頃は成長が早いとも言えるだろう。
「戦う気持ち」を持ち続けていればきっと調子を崩すことは少ない。
そういう意味でも積極的にマッチ練習に取り組むというのは悪くはない・・・と思う。
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2008年04月05日
身体の感覚を磨く(1174)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -97-
トレーニングにおいて、もっとも大切なことは、「身体の感覚を磨く」ことだ。
このトレーニングを行う時に、どのような「身体感覚」になっていることが良いのかというと、一言で言うのは難しいが「体が張っている」というような状態で行うことが望ましい。
「体が張る」というのは、多くの方が誤解していると思うのだが、これは、筋肉に力を入れて、筋肉がぎゅっと盛り上がっている、というような状態のことをいうのではない。
もし、そうだとしたら、相撲の世界で、「今日の○○は、体が張ってますねえ。」というとき、その力士は、ぎんぎんに力んでいる、ということになってしまい、それでは、「調子が良いというバロメーター」として表す「体が張る」とはまったく逆に、調子の悪さを表すことになる。
だいたい、「今日は力んでますねえ。」なんていう言葉が、調子の良さを表すなんてことはないでしょ。
では、「体が張る」とはどういう状態なのかというと、まず体が十分に「リラックスしている」ことだ。
「力が抜けている」というのとは違う。
「リラックスしている」というのは、筋肉の活動レベルは、十分に高いレベルにありながら、余分な力が入っていない状態であり、「力が抜ける」とは、活動レベルが低下して、すぐに戦闘体制に入ることができない弛緩しきったような状態のことをいう。
もちろん、これから戦いに行くので十分に気合が入っている、が、体はその内在するエネルギーを大きくしながらも、静かに、十分に「リラックス」し、「ゆるんで」いる状態のことを「体が張っている」と表現する。
もっと分かりやすくいうと、「北斗の拳」のケンシロウの「無想転生」の如く(分からない人は、是非読んで!)、極限の戦闘状態、緊張状態にありながらも、なんとなく涼しげで、静かに、しなやかに身体を動かすことができるような身体の感覚を持つ、ということだ。
トレーニングでは、高い負荷によって大きな緊張状態になるが、呼吸をゆっくり行い、胸の前の筋肉や腕の後ろ側の筋肉をリラックスさせ、背筋と腹筋に力を凝縮させるような感覚をつかみとってほしい。
私が提唱するトレーニングは、こうしたトレーニングを通して、テニスが強くなるための身体感覚、「コツ」を体得するように工夫されている。
ただ単に、筋肉を強めるだけでは、「強くなるための体」は手に入らないので、そこのところはよく理解して訓練してほしい。
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2008年04月03日
腹筋は毎日鍛える(1172)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -96-
腹筋のトレーニングであるが、とりあえずはじめてみようかと思っている人は、小難しいことは考えずにどんな腹筋のトレーニングでも構わないから、毎日続けることだ。
「えっ、毎日トレーニングしてもいいの?」と疑問に思った人も多いだろう。
多くのトレーニングの指導書には、「トレーニングをしたら一日以上は必ず回復期を設ける」、「3日に一度くらいの頻度でトレーニングを行うほうが効率的である」などという説明が多いからだ。
トレーニングによって大きな負荷を筋肉にかけると筋肉は傷つくが、それが回復することで筋肉はだんだんと強く、太くなっていく。
しかし、筋肉が十分に回復しないうちにまた同じような負荷をかけると、(筋肉は弱っていて)大きな力が出せないので、筋肉の持っている力を最大限に発揮することができずに効率的でないばかりか、無理をしてその筋肉を使い続けると傷が大きくなって、本当の障害になってしまうからやめたほうが良い、というのは理解できる。
ある説によると、トレーニングを行って筋肉が傷ついた場合、普通の筋肉はだいたい48~72時間程度で回復する。
もちろん、トレーニングの強度にもよるが、2~3日程度で回復するので、これくらいの期間を回復期として間隔をあけたほうがトレーニング効果は出やすいということになる。
また、激しいトレーニングをおこなった場合、トレーニングの負荷による疲労からの回復過程において、もとのレベル以上に達することもある(これを超回復という)。
だから、「毎日トレーニングをしろ!」と言われても納得できるものではない。
しかし、どうも腹筋は他の筋肉とは違うらしい。
腹筋は他の筋肉よりも疲労回復が早く、1日程度で回復するというのだ(私の場合は、もはや筋肉の修復機能が失われているのか、何日も筋肉痛が続く。くっ、情けない!)。
なぜそうなのかについては、いくつか意見があるが、あまり詳しくはわからない。
ただ、同じような構造を持つ心臓の筋肉は、年がら年中動いていても平気なので(ちょっと今日は回復期にしよう、などということになったら大変だ!)、そうした筋肉と同じように生理学的に疲労に強い性質を持っていると考えられる。
また、他の筋肉とは構造的にも違い、筋と腱が交互に並ぶような形をしていることにも関係があるらしい(だから、腹が6つに割れたりするが、私の腹はまん丸だ)。
そのような構造は他の筋肉にはない。
単に力を発揮するというだけではなく、内臓を守るという重要な役目を担って発達してきたことで、疲労の回復を早める機能を高めたのかもしれない(えらいぞ!腹筋!)。
まあ、どちらにしても回復が早いので、通常の筋トレよりは頻度を多くしても良い、ということになる。
ボディービルダーのように、筋肥大を目指す負荷の高いトレーニングを行う場合は、一日置きぐらいに回復期を設けたほうが良いと思うが、そうでなければ、毎日トレーニングを行ったほうが良いというのは、そういう理由による。
そうそう、腹筋は回復が早いのは良いのだけれど、ほっとくと早く弱りやすいということもお忘れなく。
中年になって腹が出てくるのは、腹筋が弱り、内臓の代謝レベルが低下し、エネルギーの放出が弱まって無駄に脂肪がつくことで、ぽっこりとお腹が出てくるのだ。
筋肉そのものも弱っているので、皮下の脂肪を燃焼させる能力も低くなっていて、ますます脂肪は溜まりやすくなる。
だから、年齢がいっても腹筋のトレーニングを毎日欠かさないほうが良いのだ。
でも、一説によると、中年になって脂肪がつくのは一種の防衛機能らしく、ある程度脂肪がつくことで、身体の免疫機能などを維持できるらしい。
私はそれを信じてせっせと脂肪を蓄えるようにしよう。
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2008年04月01日
メンタルウォーミングアップ(1170)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -95-
漫画「はじめの一歩」(少年マガジン)の幕ノ内一歩は言っている。
「敗けるはずがない! というところまで身体(カラダ)と精神(こころ)を作り込んでいくんだ!」・・・と。
そう、この「精神(こころ)を作り込んでいく」という考え方は大変に重要である。
ウォーミングアップも同じである。
ただ単に身体的な準備ができているというだけでは、試合でその持てる力を存分に発揮することはできない。
ウォーミングアップで精神の状態をも高めなくてはならない。
イメージトレーニングを行ったり、サイキングアップの手法を取り入れて気合を入れたり、呼吸法を駆使してリラックスを深めたり、など具体的な方法が提案されているが、どの方法が良いのかをここで断言することは難しい。
それぞれの人に合った方法というのがあるからだ。
ただ、ひとつだけいえることは、試合の前には、できるだけ「ひとりになる時間」を持つようにすることだ。
私は、ボクサー漫画が好きだが、試合のときの描写よりも、控え室で試合の恐怖と戦っている姿や、減量の苦しさに耐える姿を描いている場面が好きだ。
そこでは、「鬼気迫る」といった表情が描かれることもある。
本当は、それほどまでに「恐怖」や「不安」と戦うことは困難で勇気のいることなのだ。
しかし、多くの選手はその現実から「逃避」するような行動ばかりする。
以前「仲間とつるむな」と提言したことがあるが、多くの試合ではいまだ現実である。
それは、仲間といることや繋がっている安心感がほしいのであって、「戦う」現実をその仲間意識でごまかそうとしている(その仲間は、すぐに戦う相手なのだよ。そこでは、誰がなんと言おうと、「倒すべき相手」なのだということを忘れている)。
強くなるには、その現実をしっかりと見つめ、そのための準備に手を抜いてはならない。
強くなりたかったら、試合前に「自分ひとりの時間を作れ!」・・・これが法則である。
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2008年03月30日
筋肉の機能を高める(1168)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -94-
練習や試合に入る前に簡単にストレッチをして、「さあ、これでウォーミングアップは十分だ。いつでも試合で全力を出し切ることができる!」、なんてことはまったくない(絶対にない!)。
ストレッチは、障害を予防し、身体ケアの意識を少なからず高めることを目的として行うトレーニングとしては大変有効なものであるが、強くなることを望むのであれば、さらに身体機能の向上を目的としたウォーミングアップを行わなければならない、これが法則である。
全日本などの大きな大会において、トップ選手は、試合前のウォーミングアップで、ストレッチだけにとどまらず、様々な体操やジャンプのトレーニングを組み入れて、入念にコンディショニングの調整を行っている場合が多い。
ジュニアの大会でもトレーナーが同行する学校やクラブがあり、ウォーミングアップやトレーニングの指導をきちんと行うケースが増えてきた。これは大変良い傾向だと思う。
しかし、具体的にウォーミングアップとしてどのようなことを行えば良いのか、ということについては、諸説まちまちで、日本舞踊や活花のように、何々流みたいなものまであって、「これだ!」と言えるものがないので、自分の思い思いに勝手にやっているというのが実情である。
もちろん、それでも成果が出ているのであれば何も文句を言う筋合いではないが、中には「おいおい、それはいくらなんでもひどいんではないの?」ということもあるので、科学的な見識をバックボーンに、実際の指導経験として十分に成果を上げている私なりの方法を述べて、参考にしていただきたいと考えている。
まず、ウォーミングアップは「順序」が大変大切だ。
はじめにストレッチなどをして関節の可動域を拡げ、次にランニングや軽体操を取り入れるなどして筋温を高めて筋肉の活動レベルを上げ、筋の収縮スピードを高めるための軽いトレーニング(時には少しハードなトレーニング)を行ってから試合に臨む、というのが有効な方法である。
ここでは、ランニングの方法や取り入れる軽体操については解説しないが、このあたりは、多くの試合を見る限り、結構しっかりやられているようなので、自分のその方法を信じてしっかりとやっていただきたい。
これすらやらない人は、これから先を読んでも無駄だと思うので、他の記事でも読んでいただくことをお勧めする。
ちょっとだけ付け加えておくと、ストレッチとランニングの順序は、気温や環境(屋内か、屋外か)などによって変わることもある、ということだ。
時折、寒風吹きすさぶ中、がちがちと歯を鳴らしながらストレッチしているクラブ活動を目にすることもあるが(しかも短パンで….。そんなあほな!)、そんな状態でストレッチなんかしても、ほとんど効果なんぞありませんよ。
それなら、少し走って身体を早く温めたほうが良いと思いますが….。
逆に、灼熱の太陽が輝く炎天下に、いきなり、かなりの時間ランニングさせる場合もあるらしいが、死んでも知りませんよ。
まあ、良識ある諸君なら、その点は理解してウォーミングアップを行っていると信じたいものだ。
テニスのような瞬発力を必要とするスポーツでは、基本的にランニングとストレッチで筋肉の活動レベルを上げてから、筋肉の瞬発力やスピードを高めるためのトレーニングを行うことで、そのパフォーマンスに良い影響を与えることがわかっている。
しかし、この「ウォーミングアップでトレーニングをする」、ということがあまり理解されていない、ということが問題なのだ。
中にはストレッチさえしていれば良い、という「ストレッチ神話」やランニングだけで十分だ、という「ランニング神話(?)」を信じている方がいる(多い?)のも事実である。
ある研究データでは、瞬発力を必要とするスポーツでは、ストレッチをすることで(ウォーミングアップにストレッチのみを行った場合)、そのパフォーマンスが低下する、という報告まである。
よく考えてみれば、ストレッチとは、筋肉をリラックスさせ、その柔軟性を高め、そのことによって関節の可動域を高め、障害などを予防しようとするものであるので、筋肉は基本的に弛緩していて、すぐに活動をおこす状態になっていない。
そのままの状態で試合に入れば、筋肉はすぐに100%は動かない、ということなので、試合のはじめから全力でその力を発揮することは難しい、ということは理解できるはずだ。
特に、ジュニアの試合では、その多くは(全国大会に出場が決まるというような大切な試合でも)1セットマッチで勝負が決まる(こんなことは日本だけよ)。
だとしたら、はじめから全力で体を動かす準備をしなければならないのだ。
そのために必要なトレーニングを「プレトレーニング」と言うが、(その重要性を認識していないので)このトレーニングを十分に行っていない選手を多く見かける。
そんなことで、自分の身体を存分に動かせると思うのはおかしな話である。
「プレトレーニングで筋肉の機能を高める」、これが強くなるためのウォーミングアップに欠かすことができない、ということをよく理解してほしい。
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2008年03月27日
左手をうまく使う(1165)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -93-
左手はバランスをとるのが役目だとよく言われます(もちろん右利きの場合)。
確かに、ラケットを持っているわけではないので(片手打ちの場合)、スイング動作がスムースに行われるようにバランスをとることは大変重要な役目です。
しかし、左手にはもっと大切な働きがあるのです。
この機能を生かせば、もっと楽にボールが打てるようになります。
多くの人はボールを打つとき、左手を前に差し出すでしょう。
「左手でボールを指差せ!」とよく言われたものです。
中には、左手を上に上げて打つ人もいますが(実際にいたので、笑ってしまいました)、普通は前に差し出すはずです。
このとき左手の前腕を少し内側に捻ってみましょう。
どんな違いがありますか。
それに気づくことができれば、あなたの身体感覚はかなり向上しています。
実は、左手を内側に捻ると、背中の筋肉が緊張して、胸を張ることができるようになるのです。
そうすると、ラケットをより後方に楽に準備することができ、体も捻りやすくなるので、そのパワーを利用してスイング動作を速くすることができるのです。
野球のピッチャーが、前に差し出したグローブを内側に捻りながら投げていることに気づいていましたか。
これは、胸を張って速いボールを投げるための工夫なのです。
捻りやすい角度に左手を差し出すことも、もちろん大切です。
肘を伸ばして、ボールを指差してはいけません(ちょっとかっこ悪いかも)。
この姿勢は、最も左手を捻りにくい形だからです。
軽く肘を曲げ、手首の力も抜いて軽く内側に捻る、これだけでスイングスピードは速くなるのです。
決して左手を上にあげないでくださいね。
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2008年03月23日
最適な膝の角度を知る(1161)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -92-
「もっと膝を曲げて打て!」、「膝の曲げ伸ばしでトップスピンを打て。」というようなアドバイスは良く耳にします。
テニスではこの膝神話(?)も結構根強い人気を誇っています。
しかし、膝を曲げるといっても、いったいどれくらい曲げれば良いのでしょう。
最大に筋力を発揮できる最適な関節角度が実験的に測定されています。
膝は140度くらいが最も力を発揮しやすい角度です。
けっこう伸びた状態の方が力は発揮できるものです。
私がテニスを始めた頃は、膝は90度、肘も90度、手首の角度も90度と、90度神話がまかり通っていた時代ですから(この頃は、本当そう思い込んで打っていました)、それに比べると、ずいぶん楽になったなあと思います。
しかし、実際のプレー中に膝をこの角度でコントロールすることはできるのでしょうか。
できないと思う人は手を上げてください(ここでは、話を上手く進めるために手を上げてください)。
残念でした!答えは<できます>です。
そのためには、膝の捻りのコントロールが大切になります。
トレーニングしてみましょう。
軽く足を上げて片足で立ってみてください。
そうしたら、そのまま体を捻ります。
つま先が内側を向くように捻ってください。めいっぱい捻ったら、そのままでできるだけ膝を曲げてみましょう。
どうです、そんなには曲がらないでしょう。
そのときの膝の角度を見てください、だいたい140度くらいになっていませんか。
すごいでしょう、膝を内側に捻るだけで、最も力を発揮しやすい角度に自動的に調節できてしまうのですから。
ストロークの練習で、着地のとき膝を内側に捻ると、全力で走ってきても楽に体を止めることができます。
常に膝の内側への捻りを意識していると、筋力を鍛えなくても、大きな力が発揮できるのでバランスを崩すことなく、安定したスイングを行うことができるのです。
オンコートでは、「スライディング」というトレーニングを行います。
全力で走っていって切り返しを行ったり、スイング動作を取り入れながら行うトレーニングです。
膝をやや内側に捻り、つま先が開かないようにできるだけ長い距離をスムースにすべることができるように何度も繰り返し行います。
それだけで、あなたのスイングバラスや切り返しのスピードが高まるはずです。
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2008年03月14日
ノート(1152)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -91-
最近のジュニアの指導現場で、ノートに試合後の感想や練習の内容などを書くように指導するコーチが多くなってきた。
ただ、その活用の仕方については、少し疑問を感じる点もあるので、私なりの考え方を示しておこう。
これは、あるコーチから「ジュニアの選手にノートを書かせるのですが、日記みたいに書かせた方がいいのですか?それとも試合の後に反省文みたいに書かせるのがいいのですか?」という質問に対する私の回答である。
***************
よくわからないというのが本当のところです。
まず、当たり前の話として、子どもたちがちゃんと本当の気持ちを書くことができるのかどうか、ということがもっとも大きな問題です。
素直に書くことはもちろんですが、気持ちを文章として表現することができなければ、それをどう活かすかがわかりません。
ただ、コーチに言われたから書くのか、その意味をきちんと理解して書いているのかによって効果も違うでしょう。
ということは、活用の仕方はそれの意味づけをどう行っているのかによって変わってくるということです。
私の例で言うと、試合のときの気持ちで印象に残ったことを書き、試合の前にそれを見直すことで気持ちを高めて強くなった子がいます。
その子のノートはとてもきたくて読めませんが、最も効果のあった活用法です。
ある子は、試合後の反省を箇条書きにし、それを練習の課題として整理して、自分の問題点を確認しながら練習を行うことで成果が上がった場合もあります。
逆に、きちんと試合後の反省や練習の記録をつけていたのですが、そこには本当の気持ちが書かれることはなく(あきらかにコーチに見せるためだけに書かれていた)、あまり効果が無かった場合もあります。
このように、ノートを効果的に活用するためには、「記録する」ということを自分の中で意味づけできているかどうかが鍵になります。
なので、私はあまりノートに記録することをうるさく言わなくなりました。
本人たちにその意味を理解して書こうとする意志がなければ、あまり効果がないと思うからです。
もちろん、どう活用すればよいのかについての示唆は与えますが、その子まかせです。
ただし、ミーティングなどでどうしても記憶してほしいことについては記録することを強制します。
そして、練習中に何度か確認するようにします。
時には、試合後のミーティングに合わせて、試合の感想と発見した課題などを書かせることもあります。
少しでも課題を明らかにして、それを克服するための方法を自分なりに考えてほしいからです。
もちろん、ノートに試合後の感想を書く場合には、その感想を読みながら、どうすればもっと強くなれるのか、についてのヒントを探ることはできると思います。
試合で負けたときなどにその原因についてよく話をして、その中でお互い納得し、共感できる内容があり、それが向上につながるという確信を得ることができたときは、それは忘れないようにきちんと記録することが大切だと思います。
また、コミュニケーションの道具のひとつとしてノートを活用することも良いと思います。
一種の交換日記的な活用といえばわかりやすいでしょうか。
この方法は時として役に立つ場合もあるし、そうでない場合もありますが、少しでも理解を深めようとするためのもっとも手近な方法としてはお勧めできます。
ただし、書かれている内容を鵜呑みにしないこと、それがすべてであるかのように短絡的に判断しないこと、自分の考えと比較して断定的に判断しないことなどが大切なポイントです。
要はコーチに鋭い洞察力とそれを支える知識が備わっていればとてもよい道具となり得るという話です。
どの方法がよいというのではなく、自分(コーチ)と子どもたちの間でよりよい関係を築くことができるような方法をとるべきです。
まあ、一般的にいえば、試合の感想を書いて、それについて話し合うのが良いと思います。
そして、どうしても記憶してほしい内容についてそれを記録することです。
しかし、それでメンタル面が強化できるなどと短絡的に考えてはいけません。
市販のメンタルトレーニング本にはそのようなことが書いてある場合もありますが、人間のメンタル特性についての知識と洞察力を兼ね備えていなければはあまり役に立ちません。
人間のメンタルが簡単に理解できたり、その特性を変えることなどはほとんどできないと考えたほうがよいでしょう。
人間の本質がそれほど簡単に変わることはないのです。
***************
きちんと記憶してもらいたいことについては、やはりきちんと記録することが効果的だ。
しかし、それを強くなるために活用できるかどうかは、やはり指導者の力量にかかっている。
まずは自分の力を磨くことから始めたい。
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2008年03月10日
姿勢で元気!(1148)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -90-
姿勢をコントロールすることは覚えましたか?
その訓練をしている人は、ふと気づいたはずです。
今までとはなんとなく気持ちが違うことに・・・・・。
なんとなく、晴れ晴れとしたような、すがすがしいような気持ちになることが多くなったでしょう。
これは、姿勢は感情のコントロールと大変深い関係があるからです。
ちょっと簡単なテストをやってみましょう。
まずは悲しい気持ちになってください(なれない人は、悲しい物語のビデオを借りて見ましょう)。
そのときはどんな姿勢になっていますか。
次にうれしい気持ちになってみましょう。
どんな姿勢になりましたか。
その他にも、怒ったり、甘えてみたり(そんなのありか?)したときに自分がどんな姿勢になるかを観察してみましょう。
多くの人が同じような姿勢になるはずです。
悲しいときは、頭を下げて、胸を沈めて、背中を丸くします。
うれしい時は、頭を上げて、背中がぴんと伸びてきます。
これはどんな民族であれ、人種であれ、世界共通です。
また、テニスのゲームを見ていると、どっちが勝っているか、負けているか、スコアを見なくても、その人の姿勢や、歩き方、表情でわかりますよね。
このように姿勢(筋肉の働き)と感情は大変深いつながりがあるのです。
うれしい姿勢や表情をしながら、悲しい気持ちになるように努力してみてください。
大変難しいことに気づくはずです。
姿勢によって感情がコントロールされるのです。
ミスをした時に気持ちが落ち込んで、悲しい姿勢のままプレーをすると、筋肉の働きが悪くなって十分に能力を発揮できる可能性は低くなります。
そんな時、胸を張って堂々とプレーするようにすると、気分も変わって良いプレーを持続できるようになるはずです。
良い姿勢を保つ効果はこんなところに現れるのです。
良い選手はプレー中の姿勢が良い人が多いものです。
ミスをしたときほど、胸を張って次のプレーに備えるようにしてください。
訓練すると、緊張や、あがりなどメンタル面も強化され、身体感覚も向上します。
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2008年03月08日
骨で立つ(1146)
合宿期間中はブログのアップができないので、今回は2話続けてのアップになります。
興味のある方は、前話も読んでみてください。
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -89-
中心位置で立つことができるようになったら、この位置でできるだけリラックスすることを覚えなければなりません。
一度立ってみてください。
太もも前部の筋肉の力を抜いてみましょう。
次はふくらはぎの筋肉の力を抜いてみましょう。
どうです、力が抜けましたか。
「力が抜けた!」と言う人は、それまでは、余分な力が入って立っていたわけです。
力が入っていると、力の感覚が伝わりにくいことは書きました。
スポーツでは「下半身のそなえ」が大切なことはわかっていても、それを見ながら修正することはできません。
感覚を頼りに修正するしかないのです。
その感覚が鈍くなっていてはうまく情報をキャッチすることはできません。
リラックスして立つ訓練をしてください。
まず中心位置で立ちます。
もちろんできるだけリラックスしてください。
そうしたら、かかとを浮かさないように軽く、本当に軽く上下に体を動かします。
いいですか、ふくらはぎの筋肉のトレーニングではありませんので、大きく体を動かしてはいけません。
何度も繰り返してみましょう。
かかとの骨が地面にあたる感覚(といっても微妙ですが)が頭の先まで伝わりますか。
伝わらない人は、どこかの筋肉が強く緊張して感覚を遮断しています。
過度に緊張している筋肉がないか探してみましょう。
衝撃が「骨」を伝わっていくような感覚を感じることができれば最高で~す(ちょっとあぶないなぁ)。
これを私は「骨で立つ」と表現します。
決して筋肉の力で立つのではありません。
この感覚をつかむことができたら、次にトランポリンを使って、大きなジャンプでも「骨で立つ」感覚がつかめるように訓練してください。
腰痛や背筋痛の改善にも効果があります。
いつも地べたに座り込んでしまう人(最近の若い人は多いですねぇ)は、筋肉の力が弱いのではなく、バランスの悪い筋肉の使い方をしているからすぐに疲れてしまうのです。
テニスを愛する人は、こうあってほしくないものです。
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2008年03月05日
姿勢のコントロールを覚える(1143)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -88-
力を抜くことがどれほど大切なのか身に沁みてわかったことと思う。
しかし、テニスは止まってボールを打つ競技ではない。
常に動いて、コート上を駆け回って、ボールを返球しつづけなければならないのだ。
しかも、ネットをはさんで行う競技の中で、最もコートが広い競技なのでなおさら厄介だ。
もう少し狭ければ、こんなにしんどい思いをしなくて済むのにと思ったことのある人は多いはずである。
私は、自分のコートは狭くて、相手のコートは広ければ良いと思っている(みなさんもそうでしょう!)。
そんな競技なので、走らされて、バランスを崩すことも多いはずだ。
そのとき、うまく姿勢をコントロールできれば、基礎的訓練法で学んだ「脱力の極意」が活かされるのだが、逆にできなければ、何の意味もなくなってしまう。
それほど「姿勢のコントロール」は重要である。
-自分の重心位置を知る訓練-
「もっと重心を落として!」
「重心が高いからバランスよくラケットが振れないんだ!」
「重心をもっと前に移動して打って!」
このようなアドバイスを受けた経験は誰もがあるはずです。
テニスに限ったことではありません。
あらゆるスポーツで使われる言葉です。
なんとなくわかるような気もしますが、いったい何のことなのかをはっきりと理解しているわけではなさそうです。
重心とは、「物体の各部分に働く重力の合力が作用すると見なせる点。質量中心と一致する。」だそうです。
何の事やらよくわかりませんが。簡単に言うと、やじろべえ(若い人は知っているかな?)のように、バランスがとれる点のことです。
この点を意識して運動を行うことの重要性を表しているのが先のアドバイスなのです。
しかし、具体的に「重心はどこ?」と聞いても、「ここだ!」とすぐさま答えられる人はいないでしょう。
そう、重心は目に見えるものではないので、その点を指摘することは難しいのです。
でもこのトレーニングをすればあなたも重心の位置を知ることができます。
もちろん重心は3次元空間に位置しているので、普通は腰のあたりにあるものですが、この位置を知ることは難しいので、今回は2次元的に重心位置を知る方法を教えましょう。
前後左右のどこに重心位置があるのかを知る方法です。
まず、足裏をリラックスさせることが大切です。
裸足になり、足裏を十分にマッサージを行ってください。
そうしたら、できるだけリラックスして立ってください。
上半身に力が入っていると力の感覚が伝わりにくいので、特に肩の力は抜いてください。
はじめに体をやや前傾させ体重をつま先にかけるように立ってください。
次に体をやや後傾させるように体重をかかとよりに移動させます。
何度か繰り返してください。
何度か繰り返していると、足裏の体重がかかるラインがわかるようになってきます。
くるぶしの下あたりに重心位置を感じることができるように立ってください。
同じように左右のラインも感じることができるように練習します。
まずは右足に体重をかけるように移動します。
大きく移動してはいけません。
左にも体重を移動します。
何度か練習していると、右足と左足を結ぶラインが意識できるようになります。
このラインの中心で立つようにしてください。
前後左右の中心点、そこが重心です。
彼女との待ち合わせで立っている時、ディズニーランドで並んでいる時などにいつもこの点で立つように意識してトレーニングして下さい。
この位置で立つことを訓練していると、この位置からの重心のずれを感知する能力が上がり、身体のバランスの崩れを素早く修正できるようになります。
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2008年03月02日
手のひらの感覚を高める(1140)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -87-
手の感覚器官は大変発達しています。
脳の中でも手の情報処理のために多くの範囲が活用されるそうです。
この手の感覚が鈍くなっていると、力が入っているのに、それに気づかず、つい力んで打ってしまうことも多くなります。
特に、毎日のようにテニスをやっている人は、ラケット握るための筋肉が知らず知らずのうちに疲労して、筋肉の硬化が起こっています。
筋肉が硬化していると、感覚はどうしても鈍くります。
そんな時はストレッチとマッサージをしましょう。
練習の前や後、お風呂の後などに行うとより効果的です。
やり方は簡単です。
両手の指を大きく開いて肘を張り、互いに押し付けるようにして指を伸ばします。
マッサージは、親指と人差し指の付け根を中心に、反対の親指の腹で、軽く押しつけるようにしながら行います。
指が硬くなっていると、手首もうまく動かせないので、手首の力がうまく抜けなくて強いボールが打てない人などは一度試してください。
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2008年02月29日
言葉で身体をコントロールする(1138)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -86-
音を言葉にして表すことはよくあります。
例えば、強く打つときには「バシッ!と打つ」などと表現します。
柔らかい感じの打球を表せば「ポワーンと打つ」といったような表現になるでしょうか。
力のうまく抜けない人は、強くボールを打つイメージしか思い浮かべることができない人が多いのです。
そのような人に、「今どんな感じで打ったの?」と聞いてみると、「バシッとボールを打ちました」と答えることも多いでしょう。
そんな時、できるだけリラックスして、スムースにスイングができるような言葉をつぶやきながら打ってみるのです(心に思っても構いません)。
もちろん「ポワーン」では、余りに迫力のない打球になってしまいます。
ここでは「スパーンと振り抜く!」をお勧めします。
この言葉を思い浮かべながら(もしくは、実際に言葉に出しながら)、一度素振りをしてみてください。
なんとなく無理に力を入れないでもスムースにスイングができるような気になってきたでしょう。
ずばり、このような言葉をうまく思い浮かべることで、力が抜けるのです。
人間は、言葉の力によって、身体をコントロールできる唯一の生き物ですからね、
これは試してみる価値が高そうです。
バシッ!よりもスパーン!です。
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2008年02月25日
思い切るということ(1133)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -85-
春休みが始まると、全国大会や全国大会に繋がる試合が行われるので、戦う選手はもちろん、コーチも自然と力が入る。
当然、プレッシャーは大きくなるので、勝ち負けを過剰に意識したプレーも時折見られる。
「ん~、なんでかなあ」、
日頃まじめに(?)指導にあたっている私は思い悩むのである。
「練習ではあんなに素晴らしいプレーができていたのに」
そう、練習では素晴らしいプレーができるのだ。
「もっと、思い切れればいいのになあ」
と思うことが多い。
指導力のなさを実感するときでもある。
しかし、ことは言葉で言うほど簡単ではないことも知っている。
「言ってることはわかるけどさあ」
「わかっててもできなんだよなあ」
ということである。
そう、わかってはいるけど、思い切ることができない。
だから力を存分に発揮できないのだ。
***** 思い切るとは?
「「思い」を「切る」ことであり、その「思い」とは、負けるかも知れないという不安だったり、ミスを恐れる気持ちだったり、親の期待や周りの期待に応えなくてはならないというプレッシャーです。
その圧力に押されて「思い」を切れないと、良いプレーはできませんが、「思い」があってそれを「切る」ことで最高のプレーができるものなのです。
実際、最高のショットは、切羽詰った、苦しい場面で思い切ったショットを打ったときに放たれるものです。
つまり、「思い」がないと最高のショットは打てないのですね。
ミスを恐れながら、負けるかもしれないという不安を背負いながら、なんとかそれを振り払って最高のショットを打つ、そんなプレーヤーに多くの人は感動するのではないでしょうか。」
ということらしい(って、この文は私が書きました)。
そして、「思い切る」ということを考えていたとき、「捨てる技術」という本があることを思いだした。
巷ではベストセラーになっているらしい(すいません、私はまだ読んだことがありません)。
「思いを捨てる技術」というのがあるかもしれないなどと、試合を見ながら考えていた。
パソコンでも、不要なファイルを溜めていると動きが遅くなり、システムに異常が頻発するらしい。
だから私は、長い時間使っていないファイルやプログラムはできるだけ捨てるようにして、できるだけスリムな状態に保つようにしている。
大事な試合だと意識しすぎて、がちがちになっている状態というのは、(不要な)「思い」がありすぎて、システムに異常を期待している状態と言えるのではないだろうか。
さてさて、どんな不要なファイル(思い)が溜まっているのだろうか?
「全日本に行かなくてはならない」
「この試合は、勝たなくてはいけない」
「こいつだけには負けられない」
などの「思い」だろうか。
いろいろな「思い」、こいつは少し厄介だ。
なぜなら、パソコンのファイルと同じで、見ることができない。
だから、どれくらいたまっているのが実感できない。
しかも、それは「少しは必要」なものだ。
だから、それが原因でシステム異常を起こしていても、原因として特定することが難しい。
だから、「捨てる技術」が必要になってくるのだ。
一昔前のパソコンは、容量も小さいので、不必要なプログラムを無尽蔵にしまっておく余裕などなかった。
本当に必要なプログラムやファイルを選択して、効率よくパソコンを使うためには、必要のないものを「捨てる技術」が必要だったのだ。
その選択ができるかどうかで、できる人間かそうでないかが決定されると言っても良かった。
スポーツとパソコンという対象は違えど、勝負強い人というのは、同じような感性(捨てる技術)が備わっているものだと思う。
「捨てる技術」が高ければ、システム異常は起きにくく、必要なファイルをあっさりと記憶できる。
さらに仕事の効率は上がるはずである。
「捨てる技術」について考えてみよう。
なんでもかんでも捨ててしまえばよいというものではないだろう、ことくらいはわかる。
まったく必要のないファイルは、あっさりと捨ててしまえば良い。
少しは必要かもしれないものは、圧縮でもして必要なときだけ見ることができるように小さく固めておけば良い。
そして、必要なファイルは、いつでも取り出せるようにディスクトップなどに貼り付けておくのだ。
このように、できるだけ無駄なファイルを増やさないようにするとともに、効率よく、使いやすい環境を作ることが、総合的に見て「捨てる技術」というのではないだろうか。
本を読んでいないので比較はできないが、このような内容なら、きっと私は素晴らしい「捨てる技術」を持っているということになる。
テニスでも同じである。
単に捨てるというのは脳がない。
「必要なものとそうでないものを選択すること」
「今必要なものに焦点を当てられること」
これができれば、きっともっと「思い切った」プレーをすることができ、ほしかったものを手に入れることができるに違いない。
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2008年02月21日
柔軟なスイングのために(1129)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -84-
「柔流」の測定実験の話のところで、「肩甲骨」の重要性について話をした。
なめらかでありながら力強いスイングを実現するためには、この「肩甲骨」の働きを高めなければならない。
呼吸の機能を回復し、ある程度身体の柔軟性を取り戻したら、もっとも重要なポイントである「肩胛骨」の柔軟性を回復しよう。
テニスは、「腕を振る」ことでボールを打つ競技であるが、「腕を振る」ということは、実は腕そのものを使うのではなく、背中の筋肉を使って腕を後方に引き寄せ、その腕を身体の回転のパワーによって前方に引き出す動作であることを意識できない(していない)人は多い。
その時、上腕を十分に後ろに引き(前腕を引いてもあまり意味はありません)、腕を大きく振るためには、肩胛骨が柔軟に動かなくてはならないのだが、背中の筋肉は普段意識して使うことがない上に、上体を支えるために常に緊張状態にあるので、知らず知らずのうちに硬くなってしまい、その結果、肩胛骨を柔軟に使うことができなくなっているのだ。
もし、肩胛骨が柔軟に動かないと、上腕の付け根に負担がかかり肩を痛めることにもなるし、スムースな腕のスイングができなければ、ぎくしゃくしたぎこちない動きになり、イメージ通りに身体を動かすどころではないだろう。
そこで、腕をスムースに振ることができるように肩胛骨の柔軟性を回復する訓練をする必要がある。
肩胛骨は、上腕骨や前腕の骨のように、長細い構造を持っているのでははく、扁平な三角形のちょっと変わった形の骨である。
そして、胸郭の後ろ側とは薄い筋でもって分離しているので、あげたり、さげたり、前に引っぱったり、後ろに引き寄せたりと、かなり柔軟に動くようになっている。
そしてさらに、肩胛骨が回旋することによって腕の可動域は大きくなる。
肩胛骨は扁平な三角形のちょっと変わった形の骨であるので、ウィング(羽)と呼ばれることもある。
私は密かに「天使の羽」と呼んでいるのだが、この羽をうまく羽ばたかせることができるように訓練してみよう。
**************************************************
この訓練は残念ながら(?)一人ではできませんので、誰かきちんと取り組んでくれるパートナーを探してください。
これを機会に愛を深めることもできます(本当かなあ?)。
ただし、真剣にやってくれないと肩を痛めることになるかもしれないので注意してくださいね。
この訓練は柔軟性を回復するためのマッサージといっても良いでしょう。
マッサージを受ける人は、手を腰の後ろに当ててリラックスして準備します。
マッサージをする人は、一方の手で肩を下に軽く押し、もう一方の手を肩胛骨の下の端に当てます。
そして、肩胛骨の下端をつかんで、軽く揺らしながら胴体から引き離すように徐々に力を入れていきます。
ある程度、肩胛骨が柔軟に動くようになったら、掴んだ指を肩胛骨の下に滑り込ませていきます。
あわてず、そして、あまり大きな痛みを感じないように行ってください(ある程度の痛みは我慢してください)。
柔軟性が十分にある人は、指がほとんど見えなくなるくらいまで肩胛骨の下に滑り込ませることができます。
このマッサージを行った後、肩を大きく回してみてください。
今まで、筋肉が硬く肩胛骨を柔軟に使うことができなかった人は、肩が驚くほどスムースに大きく回すことができるようになっています。
是非、トライしてみてください。
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多くの人は、筋肉を知らず知らずのうちに硬くしてしまっているのだが、それに気づかないと、身体を柔軟に使うことはできず、当然イメージ通りに身体を動かすことなどできはしない。
まずは、身体をリラックスさせ、その機能が十分とまでは行かないまでも、ある程度は使えるようにしておかないと、技術の向上などは夢のまた夢である。
残念ながらこればっかりは「読むだけでうまくいく!」というわけにはいかないので、地道に努力してほしい。
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2008年02月19日
話をする時間の大切さ(1127)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -83-
試合前に調子を落としたり、試合で十分に力を発揮できなかったりする子が多かったので子ども達とミーティングをした。
試合の後や雨の時などに簡単にミーティングをすることはある。
もちろん、合宿や遠征では毎日ミーティングを行うが、通常の練習時間内に十分に時間を取って話をする機会はあまりない。
といっても、何も「緊急事態」というわけではない。
今、調子が悪かったり、試合で力を発揮できなかったりすることの「意味」を考える時間が必要だと思っただけである。
調子がちょっと悪かったりすると「今、スランプなんだよなあ」とか言ったりすることがある。
しかし、「スランプ」の意味を知っているわけではない。
調子が悪いことの原因として「スランプ」という言葉を使い、その言葉に振り回されて事態はさらに悪くなることも多い。
しかし、実際に調子が悪い時に「調子が悪い=スランプ」ではないことを理解し、「スランプ」の本当の意味を知ることで、気持ちが前向きなったり、気分が楽になったり、すっと力が抜けたりすることがある。
そのためには何よりも子ども達と「話をする時間」が大切だと思っている。
久しぶりにそういう時間を持つことができて、とても有意義だったと思う。
まあ、子ども達にとっては学校の授業みたいな少し退屈な時間だったかもしれないが、少しは気持ちがすっきりとしたかもしれない。
それがとても大切な気がする。
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2008年02月16日
「想像力のない奴は強くなれない」の法則(1124)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -82-
自分の成功をリアルにイメージできない人は成功しないと言われる。
スポーツではこれが顕著に現れる。
まったくの夢のようなイメージも必要であるが、具体的に自分の力量を把握しながら、今の自分が最大限に力を発揮したときにはどんなふうになることができるのかについて「想像力」を働かせることができる選手は強くなる。
これが法則である。
「想像力」を鍛えるには方法がある。
ひとつは強い選手の試合を「見る」ことだ。
この前、指導している子どもと一緒にある選手の試合を見た。
この子にとって「見る」必要があると強く思った選手の試合だ。
試合の後、その子は「試合を見るのって大変疲れますね。これなら試合をやっていた方がいいです。」と私に言った。
「ようやくわかってくれたか!」という思いである。
よく「コーチは試合を見ているだけだから疲れないでしょ。」と言われることがある。
「ふざけるなあ!」と言いたい気持ちをぐっと堪える場合も多く、「忍耐力」を発揮して「そうだね」とニコッと笑う自分を褒めていた。
実際に試合を「見る」というのは大変疲れる。
特に「この試合」という思いがあるときは感情移入の度合いも強いので、実際に試合をやったかのようにドッと疲れが出る。
しかし、そのような試合ほど自分にとっていろいろな「想像力」を駆り立ててくれる機会になる。
「どんな練習やトレーニングをすれば良いのか」
「この選手の優れたところや課題は何か」
「どのレベルにまで成長できるか」
など、頭の中に鮮明にイメージが沸いてくる。
下手な練習をするよりも、脳が活性化されているので、筋肉レベルの活性も高まって素晴らしい効果を生むことも多い。
しかし、日ごろから「想像力」を働かせていない人は、
「この試合、面白かったね」
「あのショットはすごいね」
などの感想しか記憶されない。
当然、脳の活性レベルも低いので、「見る」効果が十分に発揮されることもない。
是非、豊かな「想像力」を身につけていただきたい。
そのための具体的な方法を示しておこう。
1.本を読む
本を読む習慣は、自分を現実とは違う世界にいざなうことができるという意味で大変効果がある。
文章や絵から自分なりのイメージを膨らませ、主人公と同じように、「嘆き」、「悲しみ」、「怒り」、「喜び」、「涙する」ことが大切である。
ここで、「本を見て泣くなんてバカじゃないの」と少し覚めた目でみるのはやめましょう。
感動している自分を素直に表現できない人は強くはなれませんよ。
これは、映画やドラマを見たときでも同じ。
大いに泣きまくりましょう!(ちょっと違うかも)
2.素振りをする
脳の中に鮮明なイメージが描けているときは、実際に筋肉の活性レベルも上がっている。
その時に実際に筋肉を動かしておくのは大変効果的だ。
ボクサーがたくさんの時間をかけてシャドーボクシングをするのはその効果を狙っている。
その時のボクサーの頭の中は、自分のパンチが相手を確実にヒットした場面が鮮明に描かれている。
テニスも同じである。
しかし、なかなかそれを行う機会は少ないだろう。
そんな時は、順番待ちで打っている選手の後ろにいるときに、小さくでも良いから実際にスイングしてみることである。あなたが「想像力」豊かであれば効果はある。
3.記憶する
いい試合を見た後は、鮮明にイメージが浮かんでいるので、もちろん脳の活性レベルも高く、その機会を逃さず練習をすれば効果がある。
しかし、ちょっと時間が経つとイメージは薄れ、何が自分にとって良いと感じたことすら忘れてしまう。
実際には、このように「忘れては思い出す」を繰り返して、だんだんと「自分のもの」になっていくのであるが、もし「忘れる」ことが少なければもっと効果が上がるだろう。
本から鮮烈なヒントやイメージを受けたのであれば、その本を定期的に「みる」(読むというのではない)ことを薦める。
私もお気に入りの本を持ち歩きはしないが定期的に「みる」ようにしている。
そこには線が引いてあったり、いろいろなことを書き込んであるので、一目みただけで、その時の状況が浮かんできて、脳の中がリフレッシュされて、イメージがより強くわいてくる。
試合などの後にひらめきがあったのであれば、それをノートなどに書き残しておくと良いだろう。
文章の体裁などはどうでもよい。
感じるままの殴り書きの方が望ましいだろう。
きちんと整理しすぎると時間がかかり過ぎるという問題があり、パッとひらめいたのであれば、パッとその記憶を残すようにした方が良い。
何かうまくない時などがあったら、ときどきノートを開いて「みる」といいだろう。
その時に感じたひらめきやイメージがよみがえってきてあなたを救ってくれるかもしれない。
その時あなたは強くなる。
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2008年02月14日
「自立できない奴は強くなれない」の法則(1122)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -81-
テニスは「孤独」なスポーツであると書いた。
プロでもコーチをつけてツアーを回るケースはほとんどない。
お金がないからだ。
だから、何から何まで自分でやらなければならない。
大会の申し込み、宿泊の確保、交通手段の確認などの事前の準備はもちろん、練習コートの確保、練習パートナーやダブルスパートナーの確保は言うに及ばす、食事や体調の管理も自分の責任で行うのが当たり前である。
こうしたことは大変なことであると思うかもしれないが、私が指導してきたプロやトップ選手は「たいしたことない」と平然と言ってのける。
小さい頃から「自分でやる」という意識が強いからこそ、プロやトップ選手になったのであるから、その意識が強ければ何でも「自分でやる」というのが当たり前の感覚なのだろう。
だから、どんな時でもその時「自分が何をすべきか」を総じて分かってることが多い。
それができる選手を「自立」できていると評する。
橋本治(「橋本治の男になるのだ」ごま書房)は、
「『戦いに勝つ』は、『なれあいの群れから離れて、自分の信念に従って生きる-そのことを押し通せる』です。このことこそが『自立』で、『自立』とは『戦い』が成り立たなくなった現代に唯一残された『戦い』なんです。」
と言っている。
そう「自立」とは「戦い」なんです。
テニスとはもちろん相手と戦うスポーツであるが、それ以外にもいっぱい闘わなくてはならない「もの」がある、ということだ。
それが「自立」するということであり、それなくして「強くなる」ことはできない。
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2008年02月11日
「忍耐力のない奴は強くなれない」の法則(1119)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -80-
もっとも大切な法則、それは、「忍耐力のない奴は強くなれない」である。
テニスというスポーツは、プロスポーツとしては大変市場の狭いスポーツである。
ゴルフであれば、日本ツアー、アメリカツアー、ヨーロッパツアーなど、あるまとまったエリアでプロスポーツとして成り立っていて、多くのプロがそれで「食って」いる。
野球にしてもしかりである。
しかし、テニスは「ワールドツアー」しか存在しない。
そして、そのツアーでトップ100しか「食えない」という狭き市場なのである。
当然、そこに行き着き、生活をプロとして支えるためには、とてつもなく厳しい戦いを勝ち抜いていかなくてはならない。
当然、行き着くまでの間は「食う」ことはむつかしい。
それでも「そこ」に挑むには、並大抵の「忍耐力」では耐えられないことは想像に難くない。
また、テニスは一人で戦わなくてはならない。
ゴルフではキャディーというサポーターが近くにいるし、試合の最中にも声を掛けることができる。
野球やサッカーのような団体スポーツでは仲間とともに戦うので孤独感はないだろう。
試合に入ったらまったくの一人きり(団体戦を除いて)、何のアドバイスも、協力も求めることができないもっとも孤独なスポーツなのである。
だから、歌でも ♪コートではひとり、ひとりきり という歌がじ~んとこころに沁みて泣けてくるのである(えっ、私だけ?)。
それくらい孤独なスポーツなので、それに耐えられない選手はそもそもテニスには向かない。
これは相当に大変なことだ。
まだまだあるぞ。
テニスはもっとも「しんどい」スポーツだということだ。
試合時間は、長いときでは3時間や4時間以上にもなる。
大きな大会になれば、2週間も試合をし続けることになる。1週間は当たり前である。
しかも、その大会に向けて調整という意味で、少なくとも3、4日は試合会場で練習することになるし、今やっている大会と次に出場する大会でサーフェイスが違えば、調整期間はもっと長くなる。
野球やサッカーではサーフェイスが問題になることはほとんどないだろう。
気候の違いや時差などによる調整が必要ということはあるが、それとてテニスでも同様であるので、テニスは2重3重に苦しい思いをしなくてはならないということだ。「もう、やめだ!」と思いたくなる気持ちはよくわかる。
これはもちろんプロ、もしくはプロを目指している人のことであるが、ジュニアの選手でも同じような「忍耐力」が求められるのがテニスの世界である。
テニスではプロのツアーの仕組みもジュニアのツアーの仕組みもそれほど変わるわけではない。
ポイントを稼いでランキングをあげるために世界中の大会に参加し、グランドスラムを目指す。
プロとなんら変わることはない。
ということは、ジュニアのときからもの凄い「プロ意識」がなくては戦ってはいけない「舞台」なのである。
しかし!日本ではちょっと事情が違い、特殊なルールに則って試合が行われることが多い。
練習無し、ワンセットマッチ(私はノーアドバンテージの4ゲーム先取の試合を知っている)、休業中の過密日程などなど・・・。
世界から見れば「異様な世界」がそこには広がっている。
かくいう私も海外に出る前までは、「この世界」が当たり前であると思っていた。
そこでは本物の「世界」で戦う凄まじいまでの「忍耐力」を必要としない。
だからこそ「忍耐力」のある選手は素晴らしい成績を修めるチャンスが大きい。
まだあるぞ。
テニスでは多くの場合「セルフジャッジ」である。
もめごとがない・・・わけがない。
しかし、ルール上も、倫理上もネットを飛び越えて相手に殴りかかる、というわけにはいかない。
ひたすら「そのこと」を耐え忍ばなければならないのだ。
そんなときに人間としての「耐性」が試される。
現状が自分に不利に働いて、それをどうすることもできないとき人間は絶望する。
そんな機会がもっとも多いのがテニスというスポーツなのである。
いかに「忍耐力」が必要なのかは理解できるだろう。
これだけでは終わらない。
実はテニスは大変お金がかかる。
レッスン費、練習に通うための交通費、ガットはぶちぶち切れる。
強くなればなったで、遠征にかかる費用はばかにならない。
ツアーに出なければポイントを稼ぐことができないので、国内だけでの遠征では済まなくなる。
当然何万円ものお金がかかるのだ。
それを支えているのはもちろんほとんどの場合「親」だ。
お金を出すスポンサーだと考えても良い。
スポンサーであればいろいろなことに口出しをする。
その最たるものは「強くなれないんだったら、お金はださない」という「脅し」である。
これは結構「強力」である。
プロであったら、それを否定することはできず、ひたすらお願いしてお金を出してもらうか、他のスポンサーを探すことになる。
それが「強くなる」ためのモチベーションにもなっている。
しかし、親となると「うっとうしい」存在であると考えてしまうのが普通である。
いろいろといわれると「感情的」になるのが当たり前なのだ。
この「感情的」になった自分をコントロールするのは大変な「忍耐力」が必要とされる。
私に言わせれば、これは「訓練」としては良い機会だと思うのであるが、小さい頃から送り迎えが当たり前で、言うがままにお金を出してもらうのが当たり前で育ってきて、その成果が思うように出ないときにはお互いが「感情的」になることは避けられない。
ここに本当に必要な「忍耐力」の訓練の場があるのであるが、それに耐えられない子は(もちろん親も)大変多い。
テニスとはこんなスポーツである。
あらゆるスポーツの中でもっとも「忍耐力」が必要なスポーツのひとつであることは分かってもらえただろうか。
だからこそ大きな声で叫んでおきたいのである「忍耐力ない奴は強くなれない!」と。
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2008年02月05日
強さはどこから生まれてくるのか(1113)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -79-
昨年から本格的に「寮」の生活がスタートし、今年も新たに3名の入寮者がいる。
管理する方は大変であるが、そこで生活する子ども達もそれなりに大変だと思う。
私が寮を作り、そこで生活しながらテニスをすることを薦めるのは、いろいろな理由があるが、何よりも「強くなるために」は「絶対に必要」だと強く思うからだ。
寮の生活は今の子ども達にとっては息苦しいだろう。
親の庇護の元でわがままに育ってきた子どもが、他人との共同生活を行うことは難しいことだと思う。
当然、寮の生活では制限は多い。
私のところの寮では、基本的に携帯は禁止、時間厳守、整理整頓、ごみの管理などをきちんと指導している。
徹底できているとは言えないところもあるが、子ども達は怒られながらそれなりに生活できているように思う。
新たに寮生になる選手は、それが「日常」になる、「ここ」が苦しいところだ。
トレーニングでも、1日か2日だけがんばれば良いと思うのであればなんとかがんばれるかもしれないが、それが毎日続くとなると気が滅入る。
苦しいと思う気持ちが強くなって、続かなくなる。
それが人間であり、弱いところだ。
しかし、それを乗り越えてなお「テニスが強くなりたい」という強い意志に支えられて行動できるものだけが強くなる。
これがスポーツの「本質」である。
だから寮生活を選んだ。
苦しいからだ。
嫌なことはいっぱいある。
掃除も面倒くさい、自炊も面倒くさい、好きなテレビも見られない、人間関係がうまくいかない、勉強に集中できない、ゆっくり寝られない、そんなことが当たり前の生活である。
それを乗り越えてくる「力」を持っているもの、その選手は間違いなく強くなる。
それを信じて疑わない。
私が愛工大名電高校野球部のコーチとなり、強くなるチームの過程を見てきて、一番感じたことが「それ」だった。
野球部は全寮制である。
しかも、全員が同じ大部屋に寝泊りする。
寮の管理も基本的には子ども達が分担して行う。
ハードな練習をして疲れていても、生活をするためにはそこを避けては通れない。
そんな生活の中で、朝早くから起きて素振りをする、就寝時間ぎりぎりまでトレーニングする、ちゃんと勉強する、そんなことが当たり前になってきている。
野球をすることが「生活」になっている強さを感じる。
強くなるに決まっているのだ。
私の大学時代の友人達にも、汚くて狭い寮(人間が住むことができるぎりぎりだと感じていた)でこき使わされながら、貧しい食事を我慢し、スポーツでも勉強でも立派な成績を修めた奴がいる。
これが「強さ」だ。
「人間の『強さ』はどこから生まれてくるのだろう」、と考えることがある。
それは「苦しさ」の中か生まれると思う。
どうしようもないほど悩み、苦しみ、逃げ出したくなる瞬間に「強さ」の原点がある。
私がアメリカに渡った時も大変苦しかった。
英語はうまくしゃべれない、知った人はいない、寮の生活に馴染めず、生活のリズムはうまく作れない、部屋に閉じこもっていることが多かった。
そして、「元大学教員である」という変なプライドが、一歩踏み出すことを拒んでいたように思う。
そんな中から、「どうしてもここで自分の仕事見つける」という強い意志が芽生えた。
そこから一歩踏み出すことができた。
一歩踏み出す「勇気」と「強さ」を自分の中に感じたとき、「これでこの世界でやっていける」という「自信」もついた。
自分が強くなった瞬間だと思う。
それ以降、あまり怖いもの、嫌なものはなくなった。
それはすべて自分にとって必要なことだと思えるようにもなった。
「強さ」はこうして生まれてくるものだと思う。
子ども達も親も、不安や恐れがあるだろう。
しかし、「強くなる」ためにはとても良い経験になる、それを信じてがんばってほしい。
心から・・・そう思う。
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2007年12月24日
痙攣はなぜ起こるのか?(1076)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -78-
なぜ痙攣が起こるのか、ということについて考えてみよう。
その原因は、「これだ!」とは言い切れない。
その原因は様々なものがあるので、原因を特定するにはきちんとした検査も必要だということだ。
ただ、一般的には、疲労によって筋肉が局所的に強く収縮した状態になるということで、「つる」と言うこともある(名古屋弁じゃないですよね?)。
もう少し詳しく、痙攣とは何かをおさらいしてみると、
「痙攣とは、筋肉の局所的な強い収縮であり、痛みを伴う。一般的に、激しい運動による筋肉の疲労や脱水症状により引き起こされるが、ストレスや不安によって引き起こされることもある。」
ということだ。
筋肉の痙攣は、筋肉の疲労によってのみ引き起こされるのではなく、ストレスや不安によって筋肉の収縮をコントロールする神経のバランスが崩れて痙攣が起こることもある。
実際に、トーナメントなどに出て緊張した試合をすると、たとえ運動量が少なくても普段の練習試合とは比べものにならないくらい疲れる。
不安やストレスによって神経のバランスが崩れて筋肉が正常に機能せず、過度の筋収縮が起こり、筋肉が早く疲労するとともに、その感覚が鈍くなってくることが原因である。
もし、このような状態がいつも起こるのなら、いくら練習しても筋肉の機能が十分に働かず、痙攣の不安を抱えながら試合をしなくてはならない。
このような人は、長時間の試合や夏場の試合などにおいては不安も大きくなるので、早く決めようとあせったり、無理をしたりすることも多いので、試合で自分の力を十分に発揮することはできない。
では、どうすればそのような身体の機能を改善し、痙攣の不安なく戦える身体を手に入れることができるのであろうか。
もちろん、一生懸命にトレーニングして、身体を長時間の運動に耐えるようにトレーニングすることは素晴らしい。
もし、そう決断したのなら迷うことはない!私の研究所の門を叩くが良い。
きっと素晴らしき肉体に改造してあげよう(キャシャーンのように?)。
しかし、実際問題として、身体機能を改善するためのトレーニングは相当に厳しい。
それに耐える自信がないのなら、他の方法を考えよう。
答えはいたって簡単である。
それは、「力を抜く」ことを覚えるのである。
ストレスや不安によって神経の機能が低下し、筋肉が早く疲労するということは、筋肉が過度に緊張するということである。
痙攣を起こしやすい人というのは、筋肉の柔軟性が乏しく、力みがちで、ついでに言えば怒りっぽい人かもしれない。
すぐに焦る人もそうだろう。
このような人は、筋肉が緊張しやすいという特徴を持っている。
詳しく説明などしなくても、怒っているときは誰でも顔や肩に力を入れて、筋肉を硬くし、その緊張ゆえに体は小刻みに震え、こぶしを握り締め、脇にはじわっと汗をかくというような状態になっているだろう。
また、不安で怖いときは、体をこわばらせて、動きもぎくしゃくとぎこちなく、体の特に前面を過度に緊張させて、身をかがめて、恐る恐る歩を進めるに違いない。
緊張しやすく、痙攣を起こしやすい人というのは、普通の人よりもすぐにこのような状態になってしまう人だ。
それが無意識的に起こってしまうので、自分では落ち着こう、落ち着こうと思っても、身体は言うことを聞かず、それを思えば思うほどさらに緊張は高まり、気がつけば足は張り、今にもつりそうか、実際につってしまい、十分に動けず、悔しい負けを喫する、というようなことも多い。
こんな人は、筋肉が緊張しやすいのだから、力を抜くことを訓練して、精神的には緊張しても筋肉が過度に緊張しないような身体を手に入れる必要がある。
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なぜ痙攣が起こるのか、ということについて考えてみよう。
その原因は、「これだ!」とは言い切れない。
その原因は様々なものがあるので、原因を特定するにはきちんとした検査も必要だということだ。
ただ、一般的には、疲労によって筋肉が局所的に強く収縮した状態になるということで、「つる」と言うこともある(名古屋弁じゃないですよね?)。
もう少し詳しく、痙攣とは何かをおさらいしてみると、
「痙攣とは、筋肉の局所的な強い収縮であり、痛みを伴う。一般的に、激しい運動による筋肉の疲労や脱水症状により引き起こされるが、ストレスや不安によって引き起こされることもある。」
ということだ。
筋肉の痙攣は、筋肉の疲労によってのみ引き起こされるのではなく、ストレスや不安によって筋肉の収縮をコントロールする神経のバランスが崩れて痙攣が起こることもある。
実際に、トーナメントなどに出て緊張した試合をすると、たとえ運動量が少なくても普段の練習試合とは比べものにならないくらい疲れる。
不安やストレスによって神経のバランスが崩れて筋肉が正常に機能せず、過度の筋収縮が起こり、筋肉が早く疲労するとともに、その感覚が鈍くなってくることが原因である。
もし、このような状態がいつも起こるのなら、いくら練習しても筋肉の機能が十分に働かず、痙攣の不安を抱えながら試合をしなくてはならない。
このような人は、長時間の試合や夏場の試合などにおいては不安も大きくなるので、早く決めようとあせったり、無理をしたりすることも多いので、試合で自分の力を十分に発揮することはできない。
では、どうすればそのような身体の機能を改善し、痙攣の不安なく戦える身体を手に入れることができるのであろうか。
もちろん、一生懸命にトレーニングして、身体を長時間の運動に耐えるようにトレーニングすることは素晴らしい。
もし、そう決断したのなら迷うことはない!私の研究所の門を叩くが良い。
きっと素晴らしき肉体に改造してあげよう(キャシャーンのように?)。
しかし、実際問題として、身体機能を改善するためのトレーニングは相当に厳しい。
それに耐える自信がないのなら、他の方法を考えよう。
答えはいたって簡単である。
それは、「力を抜く」ことを覚えるのである。
ストレスや不安によって神経の機能が低下し、筋肉が早く疲労するということは、筋肉が過度に緊張するということである。
痙攣を起こしやすい人というのは、筋肉の柔軟性が乏しく、力みがちで、ついでに言えば怒りっぽい人かもしれない。
すぐに焦る人もそうだろう。
このような人は、筋肉が緊張しやすいという特徴を持っている。
詳しく説明などしなくても、怒っているときは誰でも顔や肩に力を入れて、筋肉を硬くし、その緊張ゆえに体は小刻みに震え、こぶしを握り締め、脇にはじわっと汗をかくというような状態になっているだろう。
また、不安で怖いときは、体をこわばらせて、動きもぎくしゃくとぎこちなく、体の特に前面を過度に緊張させて、身をかがめて、恐る恐る歩を進めるに違いない。
緊張しやすく、痙攣を起こしやすい人というのは、普通の人よりもすぐにこのような状態になってしまう人だ。
それが無意識的に起こってしまうので、自分では落ち着こう、落ち着こうと思っても、身体は言うことを聞かず、それを思えば思うほどさらに緊張は高まり、気がつけば足は張り、今にもつりそうか、実際につってしまい、十分に動けず、悔しい負けを喫する、というようなことも多い。
こんな人は、筋肉が緊張しやすいのだから、力を抜くことを訓練して、精神的には緊張しても筋肉が過度に緊張しないような身体を手に入れる必要がある。
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2007年12月22日
「観る」ということ(1074)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -77-
コーチングで一番難しいこと、それは目に見えないものを感じ取ることです。
フォームの問題点を指摘することはそれほど困難ではありません。
しかし、そのフォームを形づくる根本的なものは、その人の「ものの考え方」や「身体感覚」です。
もちろん自分とは違います。
それを理解できるかどうかで、効率的な指導ができるかどうかが決まってしまうといっても過言ではありません。
指導する立場の人間が、指導される立場の人間に対して、いかに「洞察」できるか、つまりは、目に見えないものを感じ取ろうとする努力をするかどうかにかかっているのです。
そのためにもっとも大切なことは「観る」ということです。
「観る」は、「見る」とは違います。
「観る」は、まさに「洞察する」ということ、目で見るだけではなく、その心理状態をも「察するように深く見る」ということです。
だから私は、極力試合を見に出かけます。
大変疲れます。
でも、そこから見えてくることは大変大きいと思います。
そして、その「洞察」を指導に結びつけるための「アイディア」を持つことです。
そのためにはやはり「知識」が役に立ちます。
「知識」は絶対のものではないけれど、「洞察」を効果的に補完するものだと思っています。
選手の理解の仕方は千差万別だと言ってもよいでしょう。
その理解を深めるためには、多くの「知識」があることは大変有効です。
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コーチングで一番難しいこと、それは目に見えないものを感じ取ることです。
フォームの問題点を指摘することはそれほど困難ではありません。
しかし、そのフォームを形づくる根本的なものは、その人の「ものの考え方」や「身体感覚」です。
もちろん自分とは違います。
それを理解できるかどうかで、効率的な指導ができるかどうかが決まってしまうといっても過言ではありません。
指導する立場の人間が、指導される立場の人間に対して、いかに「洞察」できるか、つまりは、目に見えないものを感じ取ろうとする努力をするかどうかにかかっているのです。
そのためにもっとも大切なことは「観る」ということです。
「観る」は、「見る」とは違います。
「観る」は、まさに「洞察する」ということ、目で見るだけではなく、その心理状態をも「察するように深く見る」ということです。
だから私は、極力試合を見に出かけます。
大変疲れます。
でも、そこから見えてくることは大変大きいと思います。
そして、その「洞察」を指導に結びつけるための「アイディア」を持つことです。
そのためにはやはり「知識」が役に立ちます。
「知識」は絶対のものではないけれど、「洞察」を効果的に補完するものだと思っています。
選手の理解の仕方は千差万別だと言ってもよいでしょう。
その理解を深めるためには、多くの「知識」があることは大変有効です。
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2007年12月19日
柔軟なスイングのために(1072)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -76-
呼吸の機能を回復し、ある程度身体の柔軟性を取り戻したら、もっとも重要なポイントである「肩胛骨」の柔軟性を回復しよう。
テニスは、「腕を振る」ことでボールを打つ競技であるが、「腕を振る」ということは、実は腕そのものを使うのではなく、背中の筋肉を使って腕を後方に引き寄せ、その腕を身体の回転のパワーによって前方に引き出す動作であることを意識できない(していない)人は多い。
その時、上腕を十分に後ろに引き(前腕を引いてもあまり意味はありません)、腕を大きく振るためには、肩胛骨が柔軟に動かなくてはならないのだが、背中の筋肉は普段意識して使うことがない上に、上体を支えるために常に緊張状態にあるので、知らず知らずのうちに硬くなってしまい、その結果、肩胛骨を柔軟に使うことができなくなっているのだ。
もし、肩胛骨が柔軟に動かないと、上腕の付け根に負担がかかり肩を痛めることにもなるし、スムースな腕のスイングができなければ、ぎくしゃくしたぎこちない動きになり、イメージ通りに身体を動かすどころではないだろう。
そこで、腕をスムースに振ることができるように肩胛骨の柔軟性を回復する訓練をする必要がある。
肩胛骨は、上腕骨や前腕の骨のように、長細い構造を持っているのでははく、扁平な三角形のちょっと変わった形の骨である。
そして、胸郭の後ろ側とは薄い筋でもって分離しているので、あげたり、さげたり、前に引っぱったり、後ろに引き寄せたりと、かなり柔軟に動くようになっている。
そしてさらに、肩胛骨が回旋することによって腕の可動域は大きくなる。
肩胛骨は扁平な三角形のちょっと変わった形の骨であるので、ウィング(羽)と呼ばれることもある。
私は密かに「天使の羽」と呼んでいるのだが、この羽をうまく羽ばたかせることができるように訓練してみよう。
(訓練その2-羽を広げる)
この訓練は残念ながら(?)一人ではできませんので、誰かきちんと取り組んでくれるパートナーを探してください。
これを機会に愛を深めることもできます(本当かなあ?)。
ただし、真剣にやってくれないと肩を痛めることになるかもしれないので注意してくださいね。
この訓練は柔軟性を回復するためのマッサージといっても良いでしょう。
マッサージを受ける人は、手を腰の後ろに当ててリラックスして準備します。
マッサージをする人は、一方の手で肩を下に軽く押し、もう一方の手を肩胛骨の下の端に当てます。
そして、肩胛骨の下端をつかんで、軽く揺らしながら胴体から引き離すように徐々に力を入れていきます。
ある程度、肩胛骨が柔軟に動くようになったら、掴んだ指を肩胛骨の下に滑り込ませていきます。
あわてず、そして、あまり大きな痛みを感じないように行ってください(ある程度の痛みは我慢してください)。
柔軟性が十分にある人は、指がほとんど見えなくなるくらいまで肩胛骨の下に滑り込ませることができます。
このマッサージを行った後、肩を大きく回してみてください。
今まで、筋肉が硬く肩胛骨を柔軟に使うことができなかった人は、肩が驚くほどスムースに大きく回すことができるようになっています。
是非、トライしてみてください。
多くの人は、筋肉を知らず知らずのうちに硬くしてしまっているのだが、それに気づかないと、身体を柔軟に使うことはできず、当然イメージ通りに身体を動かすことなどできはしない。
まずは、身体をリラックスさせ、その機能が十分とまでは行かないまでも、ある程度は使えるようにしておかないと、技術の向上などは夢のまた夢である。
強くなることはむつかしいと思う。がんばってトレーニングしてほしい。
次回も身体の機能を回復し、向上させるための訓練法について解説してみたい。
その時までに、できるだけ今回紹介した訓練法を実践していただきたい。
残念ながらこればっかりは「読むだけでうまくいく!」というわけにはいかないので、地道に努力してほしい。
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呼吸の機能を回復し、ある程度身体の柔軟性を取り戻したら、もっとも重要なポイントである「肩胛骨」の柔軟性を回復しよう。
テニスは、「腕を振る」ことでボールを打つ競技であるが、「腕を振る」ということは、実は腕そのものを使うのではなく、背中の筋肉を使って腕を後方に引き寄せ、その腕を身体の回転のパワーによって前方に引き出す動作であることを意識できない(していない)人は多い。
その時、上腕を十分に後ろに引き(前腕を引いてもあまり意味はありません)、腕を大きく振るためには、肩胛骨が柔軟に動かなくてはならないのだが、背中の筋肉は普段意識して使うことがない上に、上体を支えるために常に緊張状態にあるので、知らず知らずのうちに硬くなってしまい、その結果、肩胛骨を柔軟に使うことができなくなっているのだ。
もし、肩胛骨が柔軟に動かないと、上腕の付け根に負担がかかり肩を痛めることにもなるし、スムースな腕のスイングができなければ、ぎくしゃくしたぎこちない動きになり、イメージ通りに身体を動かすどころではないだろう。
そこで、腕をスムースに振ることができるように肩胛骨の柔軟性を回復する訓練をする必要がある。
肩胛骨は、上腕骨や前腕の骨のように、長細い構造を持っているのでははく、扁平な三角形のちょっと変わった形の骨である。
そして、胸郭の後ろ側とは薄い筋でもって分離しているので、あげたり、さげたり、前に引っぱったり、後ろに引き寄せたりと、かなり柔軟に動くようになっている。
そしてさらに、肩胛骨が回旋することによって腕の可動域は大きくなる。
肩胛骨は扁平な三角形のちょっと変わった形の骨であるので、ウィング(羽)と呼ばれることもある。
私は密かに「天使の羽」と呼んでいるのだが、この羽をうまく羽ばたかせることができるように訓練してみよう。
(訓練その2-羽を広げる)
この訓練は残念ながら(?)一人ではできませんので、誰かきちんと取り組んでくれるパートナーを探してください。
これを機会に愛を深めることもできます(本当かなあ?)。
ただし、真剣にやってくれないと肩を痛めることになるかもしれないので注意してくださいね。
この訓練は柔軟性を回復するためのマッサージといっても良いでしょう。
マッサージを受ける人は、手を腰の後ろに当ててリラックスして準備します。
マッサージをする人は、一方の手で肩を下に軽く押し、もう一方の手を肩胛骨の下の端に当てます。
そして、肩胛骨の下端をつかんで、軽く揺らしながら胴体から引き離すように徐々に力を入れていきます。
ある程度、肩胛骨が柔軟に動くようになったら、掴んだ指を肩胛骨の下に滑り込ませていきます。
あわてず、そして、あまり大きな痛みを感じないように行ってください(ある程度の痛みは我慢してください)。
柔軟性が十分にある人は、指がほとんど見えなくなるくらいまで肩胛骨の下に滑り込ませることができます。
このマッサージを行った後、肩を大きく回してみてください。
今まで、筋肉が硬く肩胛骨を柔軟に使うことができなかった人は、肩が驚くほどスムースに大きく回すことができるようになっています。
是非、トライしてみてください。
多くの人は、筋肉を知らず知らずのうちに硬くしてしまっているのだが、それに気づかないと、身体を柔軟に使うことはできず、当然イメージ通りに身体を動かすことなどできはしない。
まずは、身体をリラックスさせ、その機能が十分とまでは行かないまでも、ある程度は使えるようにしておかないと、技術の向上などは夢のまた夢である。
強くなることはむつかしいと思う。がんばってトレーニングしてほしい。
次回も身体の機能を回復し、向上させるための訓練法について解説してみたい。
その時までに、できるだけ今回紹介した訓練法を実践していただきたい。
残念ながらこればっかりは「読むだけでうまくいく!」というわけにはいかないので、地道に努力してほしい。
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2007年12月17日
身体をストレッチする(1070)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -75-
さて、みなさんは、
「テニスで最も大切な「訓練」、「トレーニング」は何だと思いますか?」
と質問されたとき、どう答えるだろうか。
数え切れないぐらいのトレーニング法がある中で、その答えと見つけるのはむつかしいかもしれないが、それは「ストレッチ」である。
「ストレッチ」という言葉を聴いて、意外に思う方もいるかもしれない。
ただし、ここでいう「ストレッチ」とは、「筋肉を柔軟に保つために筋肉を伸ばす」ということではなく、身体を「自分の意のままに動かす」ことができるように、筋肉の柔軟性を回復してリラックスした身体を取り戻すとともに、「身体感覚」を高めてその機能が十分に発揮できるような状態にするということだ。
ちょっと表現がむつかしいかもしれないが、「意のままに動かすことができるように」というのがポイントである。
実は、人間はその身体機能を十分に使っているとはいえない。
無意識のうちに、筋肉にこわばりを作ってしまい、身動きできないように身体を硬くしているのである。
論より証拠。今から下に示す訓練をやってみよう!
(訓練その1-呼吸の機能を回復する)
トレーニングに入る前に、自分の呼吸数を計ってみましょう。
時間は1分間です。
深呼吸ではなく、普段あなたが行っている呼吸をしてください。
吸って、吐いてを1回として数えます。
何回呼吸をしたでしょうか。
中には20回以上呼吸した人もいるかもしれません。
このような人は、呼吸の機能をほとんど使えていない状態です。
筋肉の緊張も強く、身体もうまくコントロールできない人が多いはずです。
まずはこの機能を改善することから始めましょう。
具体的には、胸の筋肉と横隔膜を使えるように訓練します。
手のひらをわき腹の肋骨の上において強く押します。
その手を外側に押し出すように大きく息を吸い込んでください。
次に胸の中心を押して、同じように手を前に押し出すように大きく呼吸をします。
最後に、背中の肩胛骨あたりを誰かに押してもらって、その手を押し上げるように大きく呼吸をします。
相手がいなければ、少し体を丸くして、肩胛骨と肩胛骨の間を広げるようにストレッチした状態で行ってください。
どの呼吸も3回から5回ぐらい、できるだけゆっくり大きく呼吸をしてください。
さあ、訓練が終わったら、もう一度呼吸数を計ってみましょう。
今度はどうですか。
呼吸数が格段に下がったはずです(びっくりするぐらい)。
手を押し付けながら大きく呼吸することで、肋骨と肋骨の間(肋間)の筋肉がストレッチされ、肋間を大きくひろげることができるようになるので、胸が大きく楽に膨らみます。
当然、肺も大きく膨らみ、それだけ少ない呼吸数で必要な酸素を取りこむことができるのです。
ところが、筋肉の緊張がいつも強い人は、肋間の筋肉が十分に使えないので、胸を大きく膨らませることができません。
だから、呼吸の数を多くすることでしか必要な酸素を取り入れることができないのです。
肋間の筋肉を柔軟にほぐして、胸を大きく膨らますことがある程度できるようになったら、次は腹式呼吸に挑戦してみましょう。
腹式呼吸をうまく行うためには、横隔膜のコントロールが大切です。
まず、できるだけ胸を膨らませないように、腹を膨らませながら大きな呼吸を行います。
この呼吸がうまくできない人は、下腹部に手を軽く押し当てて、その手を押し上げるように呼吸してみてください。
腹が膨らんだら息を留めて、今度は大きく腹をへこませ、胸を膨らませます。
2、3回繰り返して行ってください。
最後にもう一度大きく腹を膨らませたら、ゆっくりと息を吐きます。
3回から5回ほど行ってください。
横隔膜の収縮と弛緩をうまく行うことができるようになって、肺をさらに大きく膨らますことができるようになります。
当然、呼吸数もさらに下がります。
胸式呼吸と腹式呼吸がどちらもうまく行えるようになったら、両方を同時に使って大きな深呼吸を繰り返して行ってください。
リラックスできる環境で行えば、呼吸数は1分間に2、3回で済むはずです(場合によってはもっと少なく)。
そのとき、身体の感じはどうでしょうか。
だるいような重さと、暖かい感覚があるのではないでしょうか。
その感覚を感じることができれば、身体は十分リラックスしています。
リラックスは、メンタルトレーニングの基本であり、身体感覚を高めるための基本でもあるので、しっかりとマスターしてほしいと思います。
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さて、みなさんは、
「テニスで最も大切な「訓練」、「トレーニング」は何だと思いますか?」
と質問されたとき、どう答えるだろうか。
数え切れないぐらいのトレーニング法がある中で、その答えと見つけるのはむつかしいかもしれないが、それは「ストレッチ」である。
「ストレッチ」という言葉を聴いて、意外に思う方もいるかもしれない。
ただし、ここでいう「ストレッチ」とは、「筋肉を柔軟に保つために筋肉を伸ばす」ということではなく、身体を「自分の意のままに動かす」ことができるように、筋肉の柔軟性を回復してリラックスした身体を取り戻すとともに、「身体感覚」を高めてその機能が十分に発揮できるような状態にするということだ。
ちょっと表現がむつかしいかもしれないが、「意のままに動かすことができるように」というのがポイントである。
実は、人間はその身体機能を十分に使っているとはいえない。
無意識のうちに、筋肉にこわばりを作ってしまい、身動きできないように身体を硬くしているのである。
論より証拠。今から下に示す訓練をやってみよう!
(訓練その1-呼吸の機能を回復する)
トレーニングに入る前に、自分の呼吸数を計ってみましょう。
時間は1分間です。
深呼吸ではなく、普段あなたが行っている呼吸をしてください。
吸って、吐いてを1回として数えます。
何回呼吸をしたでしょうか。
中には20回以上呼吸した人もいるかもしれません。
このような人は、呼吸の機能をほとんど使えていない状態です。
筋肉の緊張も強く、身体もうまくコントロールできない人が多いはずです。
まずはこの機能を改善することから始めましょう。
具体的には、胸の筋肉と横隔膜を使えるように訓練します。
手のひらをわき腹の肋骨の上において強く押します。
その手を外側に押し出すように大きく息を吸い込んでください。
次に胸の中心を押して、同じように手を前に押し出すように大きく呼吸をします。
最後に、背中の肩胛骨あたりを誰かに押してもらって、その手を押し上げるように大きく呼吸をします。
相手がいなければ、少し体を丸くして、肩胛骨と肩胛骨の間を広げるようにストレッチした状態で行ってください。
どの呼吸も3回から5回ぐらい、できるだけゆっくり大きく呼吸をしてください。
さあ、訓練が終わったら、もう一度呼吸数を計ってみましょう。
今度はどうですか。
呼吸数が格段に下がったはずです(びっくりするぐらい)。
手を押し付けながら大きく呼吸することで、肋骨と肋骨の間(肋間)の筋肉がストレッチされ、肋間を大きくひろげることができるようになるので、胸が大きく楽に膨らみます。
当然、肺も大きく膨らみ、それだけ少ない呼吸数で必要な酸素を取りこむことができるのです。
ところが、筋肉の緊張がいつも強い人は、肋間の筋肉が十分に使えないので、胸を大きく膨らませることができません。
だから、呼吸の数を多くすることでしか必要な酸素を取り入れることができないのです。
肋間の筋肉を柔軟にほぐして、胸を大きく膨らますことがある程度できるようになったら、次は腹式呼吸に挑戦してみましょう。
腹式呼吸をうまく行うためには、横隔膜のコントロールが大切です。
まず、できるだけ胸を膨らませないように、腹を膨らませながら大きな呼吸を行います。
この呼吸がうまくできない人は、下腹部に手を軽く押し当てて、その手を押し上げるように呼吸してみてください。
腹が膨らんだら息を留めて、今度は大きく腹をへこませ、胸を膨らませます。
2、3回繰り返して行ってください。
最後にもう一度大きく腹を膨らませたら、ゆっくりと息を吐きます。
3回から5回ほど行ってください。
横隔膜の収縮と弛緩をうまく行うことができるようになって、肺をさらに大きく膨らますことができるようになります。
当然、呼吸数もさらに下がります。
胸式呼吸と腹式呼吸がどちらもうまく行えるようになったら、両方を同時に使って大きな深呼吸を繰り返して行ってください。
リラックスできる環境で行えば、呼吸数は1分間に2、3回で済むはずです(場合によってはもっと少なく)。
そのとき、身体の感じはどうでしょうか。
だるいような重さと、暖かい感覚があるのではないでしょうか。
その感覚を感じることができれば、身体は十分リラックスしています。
リラックスは、メンタルトレーニングの基本であり、身体感覚を高めるための基本でもあるので、しっかりとマスターしてほしいと思います。
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2007年12月16日
自分のフォームを知る(1069)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -74-
強くなるための技術を手に入れるためには、少なくとも自分のフォームをきちんと知らなくてはならない。
読者の皆さんは、ビデオを見たことがあるだろうか。
えっ、そっちの(?)ビデオじゃないよ。自分のフォームを撮ったビデオのことですよ。
私は、時々フォームをビデオに撮って見せることがある。
ビデオを見ることによって、実際に自分がどのように打っているのかを確認してもらうためだが、はじめて自分のフォームを見た生徒さんや子どもたちは、誰もが、
「私はこんなフォームで打ってるの?」
と驚きの声を上げる(恥ずかしくて叫ぶ場合もある)。
私もはじめて8mmフィルム(8mmフィルムといってもわかってもらえるかな?)で撮影した自分のフォームを見たときは、
「誰だよ、これ。変な打ち方やなあ、かっこわりい。」
と言って笑っていて、それが自分だと気づいて大変恥ずかしい思いをしたことを覚えている。
ということは、自分で<打っているつもり>と、実際に<打っているフォーム>には大変大きな違いがあるということだ。
ところが、何度かそういう経験をしてくると、ビデオに写ったフォームと自分のフォームに「ずれ」を感じなくなってくる。
だいたいイメージ通りに打つことができるようになってくる、ということだ。
もちろん、イメージ通りといっても、誰もがアガシのフォアハンドそっくりに打てるというのではなく、自分の姿勢やバランスなどを感覚としてきちんと捉え、自分の頭の中で、外からビデオを撮っているように自分自身のフォームをイメージできるということである。
つまり、ここでいう「自分のフォームがわかってくる」というのは、そういうことだ。
じつは、これが大変にむつかしい。
感覚の鈍い人はいくらやってもイメージとのずれが修正できない。
例えば、この感覚の鈍いコーチは、生徒の真似が大変下手である。
「あなたは今、こんな感じで打ってますよ。」
と指摘して、その人のフォームを再現したときに、あまりにそれが似ていないので、爆笑することもある。
感覚の鋭いコーチはそうではない。
例えば私(?)は、生徒さんのフォームを真似るのが非常にうまい。
その時指摘したフォームで打って見せると、その生徒さんは「むっ!」とするが、周りにいる人たちは、よく似ているので大笑いできる。
形態模写の優れている人は、そのイメージを掴むこと、そして、それを身体で表現できる感覚に大変優れているということだ。
この身体感覚に優れている人は、「よし、こんなふうに打ってみよう!」と思って、案外その通りに身体を動かして打つことができるので、色々と試しているうちに、感覚的に「ぴたっ!」と合う打ち方を発見できることも多い。
しかし、残念ながらそうではない人は、そもそも「こんなふうに打ってみよう」と思って打ってみても、それがまったくイメージとは違う打ち方なので、感覚的に「ぴたっ!」とくるようなことは起こりにくい。
ということは、技術を習得したり、高めたりする前に、まず自分の体をきちんとコントロールできるように、そして自分のイメージ通りに身体表現できるように訓練しておかなくてはならないということだ。
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強くなるための技術を手に入れるためには、少なくとも自分のフォームをきちんと知らなくてはならない。
読者の皆さんは、ビデオを見たことがあるだろうか。
えっ、そっちの(?)ビデオじゃないよ。自分のフォームを撮ったビデオのことですよ。
私は、時々フォームをビデオに撮って見せることがある。
ビデオを見ることによって、実際に自分がどのように打っているのかを確認してもらうためだが、はじめて自分のフォームを見た生徒さんや子どもたちは、誰もが、
「私はこんなフォームで打ってるの?」
と驚きの声を上げる(恥ずかしくて叫ぶ場合もある)。
私もはじめて8mmフィルム(8mmフィルムといってもわかってもらえるかな?)で撮影した自分のフォームを見たときは、
「誰だよ、これ。変な打ち方やなあ、かっこわりい。」
と言って笑っていて、それが自分だと気づいて大変恥ずかしい思いをしたことを覚えている。
ということは、自分で<打っているつもり>と、実際に<打っているフォーム>には大変大きな違いがあるということだ。
ところが、何度かそういう経験をしてくると、ビデオに写ったフォームと自分のフォームに「ずれ」を感じなくなってくる。
だいたいイメージ通りに打つことができるようになってくる、ということだ。
もちろん、イメージ通りといっても、誰もがアガシのフォアハンドそっくりに打てるというのではなく、自分の姿勢やバランスなどを感覚としてきちんと捉え、自分の頭の中で、外からビデオを撮っているように自分自身のフォームをイメージできるということである。
つまり、ここでいう「自分のフォームがわかってくる」というのは、そういうことだ。
じつは、これが大変にむつかしい。
感覚の鈍い人はいくらやってもイメージとのずれが修正できない。
例えば、この感覚の鈍いコーチは、生徒の真似が大変下手である。
「あなたは今、こんな感じで打ってますよ。」
と指摘して、その人のフォームを再現したときに、あまりにそれが似ていないので、爆笑することもある。
感覚の鋭いコーチはそうではない。
例えば私(?)は、生徒さんのフォームを真似るのが非常にうまい。
その時指摘したフォームで打って見せると、その生徒さんは「むっ!」とするが、周りにいる人たちは、よく似ているので大笑いできる。
形態模写の優れている人は、そのイメージを掴むこと、そして、それを身体で表現できる感覚に大変優れているということだ。
この身体感覚に優れている人は、「よし、こんなふうに打ってみよう!」と思って、案外その通りに身体を動かして打つことができるので、色々と試しているうちに、感覚的に「ぴたっ!」と合う打ち方を発見できることも多い。
しかし、残念ながらそうではない人は、そもそも「こんなふうに打ってみよう」と思って打ってみても、それがまったくイメージとは違う打ち方なので、感覚的に「ぴたっ!」とくるようなことは起こりにくい。
ということは、技術を習得したり、高めたりする前に、まず自分の体をきちんとコントロールできるように、そして自分のイメージ通りに身体表現できるように訓練しておかなくてはならないということだ。
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2007年12月13日
読めばうまくなる?(1066)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -73-
今回からは、少しトレーニングや技術のことについて話を進めていくことにする。
この連載は、「強くなるための法則」を解き明かすことなので、ストロークの技術がどうのこうのと言う前に、「強くなるためのストローク」を打つにはどうしたら良いのかということを解明しておかなくてはならない。
よく市販の指導書には、「ストロークはこう打て!」みたいなことが書いてあるが、そのように打って、果たして良いボールが打てるのかについては、はなはだ疑問?である。
そもそも、そのように打てるかどうかも怪しいものだ。
しかし、ある指導者では、読者からの反響として、
「いやあ、この本を読んでその通りに打ってみたらすごいボールに伸びがでて、見違えるようなボールが打てるようになりました。」
「本を読んだだけで、今までとはまったく違うボールが打てるようになって、周りのみんなはびっくり!で、その秘密は何?としつこく聞かれますが、この本のことは内緒にしておくつもりです。」
「今まで試行錯誤で捜し求めていたものが、こんなに身近にあったなんて。なんて遠回りをしてきたのだろうかと、後悔ばかりが先にたちます。それほどの感動をこの本は与えてくれました。」
と、なにか怪しげな通信販売の広告のような文句が並んでいる。
そして、そのほとんどのコメントの最後には、
「ありがとう!私の一生の宝物にします!」
なんていうようなことが書いてあって、こっちまで照れくさくなってしまう。
確かに、本を読んで今までと違うやり方を試してみたときに、今までよりもスムースにスイングすることができて、何となくうまくなったような気がすることもあるし、実際にその瞬間にうまくなることはある。
以前、テニスがどのようにして上達していくのかについて解説したことがあるが、もう一度ここでおさらいしてみよう。
「テニスに限らず、スポーツはやればやっただけ成果がでるというものではない。まったくの初心者であれば別だが、ある程度のレベルに達した選手は、練習をやってもやってもうまくなれず、成績も伸びないことを経験するものだ。それでもあきらめずにがんばって練習し続けていると、あるとき何かのきっかけで、ふっと強くなる瞬間がある。これを私は「強さの降臨」と呼んだ。」
ということである。
その「何かのきっかけ」さえ与えれば、上達上昇ポイント(私が造った言葉であるが、上達のためのエネルギーが噴火する直前のマグマのようにその身体に蓄積されているような状態のことを言う)にいる選手が、このような本を読むことによってもすっと上達することは確かにある。
しかし、そんなことはそれほど多くはない。
まあ、どんなレベルの選手でも「これさえ読めば強くなる!」という本が出版されれば、爆発的に売れるはずだから、きっとお金持ちになれるに違いない。
でも、うたい文句どおりに売れていないところを見ると、やはりそれが真実とは思えないというのが私の感想である(決してひがみじゃありませんよ)。
この連載も、実はこのような「読めば強くなる!」ということを少しは(?)目指している。
単行本として出版されるとき、サブタイトルとして「読めば強くなる!」なんて文句を入れようかなとひそかに計画していたが、やはり躊躇した。
実際には、努力、努力が必要なわけで、それなくして強くなることはありえないというのが真実だ。
ただ、「どのように努力すれば良いのか?」、というヒントについて述べた本が今まであまり多くはなかったので、新しい試みとして、多くの方に役立つようなヒントを提供していこうと思っている。
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今回からは、少しトレーニングや技術のことについて話を進めていくことにする。
この連載は、「強くなるための法則」を解き明かすことなので、ストロークの技術がどうのこうのと言う前に、「強くなるためのストローク」を打つにはどうしたら良いのかということを解明しておかなくてはならない。
よく市販の指導書には、「ストロークはこう打て!」みたいなことが書いてあるが、そのように打って、果たして良いボールが打てるのかについては、はなはだ疑問?である。
そもそも、そのように打てるかどうかも怪しいものだ。
しかし、ある指導者では、読者からの反響として、
「いやあ、この本を読んでその通りに打ってみたらすごいボールに伸びがでて、見違えるようなボールが打てるようになりました。」
「本を読んだだけで、今までとはまったく違うボールが打てるようになって、周りのみんなはびっくり!で、その秘密は何?としつこく聞かれますが、この本のことは内緒にしておくつもりです。」
「今まで試行錯誤で捜し求めていたものが、こんなに身近にあったなんて。なんて遠回りをしてきたのだろうかと、後悔ばかりが先にたちます。それほどの感動をこの本は与えてくれました。」
と、なにか怪しげな通信販売の広告のような文句が並んでいる。
そして、そのほとんどのコメントの最後には、
「ありがとう!私の一生の宝物にします!」
なんていうようなことが書いてあって、こっちまで照れくさくなってしまう。
確かに、本を読んで今までと違うやり方を試してみたときに、今までよりもスムースにスイングすることができて、何となくうまくなったような気がすることもあるし、実際にその瞬間にうまくなることはある。
以前、テニスがどのようにして上達していくのかについて解説したことがあるが、もう一度ここでおさらいしてみよう。
「テニスに限らず、スポーツはやればやっただけ成果がでるというものではない。まったくの初心者であれば別だが、ある程度のレベルに達した選手は、練習をやってもやってもうまくなれず、成績も伸びないことを経験するものだ。それでもあきらめずにがんばって練習し続けていると、あるとき何かのきっかけで、ふっと強くなる瞬間がある。これを私は「強さの降臨」と呼んだ。」
ということである。
その「何かのきっかけ」さえ与えれば、上達上昇ポイント(私が造った言葉であるが、上達のためのエネルギーが噴火する直前のマグマのようにその身体に蓄積されているような状態のことを言う)にいる選手が、このような本を読むことによってもすっと上達することは確かにある。
しかし、そんなことはそれほど多くはない。
まあ、どんなレベルの選手でも「これさえ読めば強くなる!」という本が出版されれば、爆発的に売れるはずだから、きっとお金持ちになれるに違いない。
でも、うたい文句どおりに売れていないところを見ると、やはりそれが真実とは思えないというのが私の感想である(決してひがみじゃありませんよ)。
この連載も、実はこのような「読めば強くなる!」ということを少しは(?)目指している。
単行本として出版されるとき、サブタイトルとして「読めば強くなる!」なんて文句を入れようかなとひそかに計画していたが、やはり躊躇した。
実際には、努力、努力が必要なわけで、それなくして強くなることはありえないというのが真実だ。
ただ、「どのように努力すれば良いのか?」、というヒントについて述べた本が今まであまり多くはなかったので、新しい試みとして、多くの方に役立つようなヒントを提供していこうと思っている。
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2007年12月10日
マナーの良い選手になれ(1064)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -72-
「マナー」についても同様に、多くの誤解があるように思う。
「マナー」とは、単に礼儀正しいということではない。
対戦した相手に、「この子と試合をして良かった」と思わせることができるような態度で試合に臨むということだ。
普通なら相手の嫌がる派手なガッツポーズや大声を出しても、相手が「こいつ、真剣勝負でやっているな。よおし、負けてなるものか。」という気合いが生じてくるような雰囲気を作り出すことができる態度や振る舞いを総じて「マナー」と考えたい。
武士道では、死を賭けた戦いの場でも礼節を重んじるのは、どちらが死することになっても未練なく死んでいくことができるように、敗れたほうにあっても「良い戦いであった」と思うことができるようにするためだ。
単にきちんと挨拶できたからといって、このような気持ちで死んでいくことはむつかしいだろう。
実際の試合では、セルフジャッジであれば大きな声でジャッジする、そして、できるだけ感情のぶつかり合いが起こらないように毅然とした態度で試合を行うことが最も大切である。
また、間を取り、きちんと構え、リズミカルに体を動かすなど、集中して試合を行うことができるような行動を「一定のリズム」でとるように心がけることだ。
心がけて訓練を積んでいけば、感情を大きく乱すことなく、毅然とした態度で、集中して試合に臨むことができるようになる。
自然とマナーの良い素晴らしい選手に成長していくにちがいない。
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「マナー」についても同様に、多くの誤解があるように思う。
「マナー」とは、単に礼儀正しいということではない。
対戦した相手に、「この子と試合をして良かった」と思わせることができるような態度で試合に臨むということだ。
普通なら相手の嫌がる派手なガッツポーズや大声を出しても、相手が「こいつ、真剣勝負でやっているな。よおし、負けてなるものか。」という気合いが生じてくるような雰囲気を作り出すことができる態度や振る舞いを総じて「マナー」と考えたい。
武士道では、死を賭けた戦いの場でも礼節を重んじるのは、どちらが死することになっても未練なく死んでいくことができるように、敗れたほうにあっても「良い戦いであった」と思うことができるようにするためだ。
単にきちんと挨拶できたからといって、このような気持ちで死んでいくことはむつかしいだろう。
実際の試合では、セルフジャッジであれば大きな声でジャッジする、そして、できるだけ感情のぶつかり合いが起こらないように毅然とした態度で試合を行うことが最も大切である。
また、間を取り、きちんと構え、リズミカルに体を動かすなど、集中して試合を行うことができるような行動を「一定のリズム」でとるように心がけることだ。
心がけて訓練を積んでいけば、感情を大きく乱すことなく、毅然とした態度で、集中して試合に臨むことができるようになる。
自然とマナーの良い素晴らしい選手に成長していくにちがいない。
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2007年12月08日
メンタル面だけを強調するな(1062)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -71-
スポーツの世界は「礼儀」がとても大切だ、と説かれることは多い。
福田和也(「悪の対話術」講談社現代新書)は、
「なぜ、礼儀が大事なのか。挨拶が大事なのか。それは礼儀が、油断していないということの証しであるからです」と言っている。
私には、それが証しなのかどうかはわからないが、クラブにおいて「きちんと挨拶をしなさい!」と、ことさら強調されることに対してはどうも納得できない。
そんなことは親や学校がきちんと教育するべきものであり、あまり面識のない人に対して、いつでもきちんと挨拶することばかり気にしていたら、肝心の練習に身が入らないだろうし、挨拶しまくっている子供がいたら気持ち悪い。
もちろん、挨拶しなくて良いということではない。
面識のある人に、身近であったら挨拶することは当然だと思うし、ただし、それをことさら強調しすぎないほうがよいということだ。
斎藤孝(同)は、その点に関して室伏重信先生のコメントを紹介しながら、次のように述べている。
「技術か人間性か。この二項対立図式もまた、リアリティを見失わせ易いものだ。技術を離れて人間性だけを説けば、発展性がない。一方、技術偏重主義に陥れば、不毛感が残る。室伏重信は、礼儀の重要性はもちろん認識しつつも、「礼儀あってこそ技術が育つ」という主張に対して、次のような批判的見解を述べている。
「その流儀ではストレスが溜まってしょうがない。こうやったら伸びる、という技術の ヒントを教えるのが指導者であり、自分の器以上のものになってもらうことが前提です。 その厳しさと向き合ってこそ、人間が育つ。高い技術を追求する人間に、精神は後からついてきます。逆に精神から入ったら、競技者としての壁は越えられもせんね。」(同)
ただし技術の追求が、精神的な成長を完全に保証するわけではない。技術の追求をめぐって対話的な関係が成立していることが、精神的な成長をより促す。漠然とした人生論的指導を漫然と繰り返すのではなく、具体的な技術に対する認識を一つ一つ共有していく。このプロセスと通じて、人間性に厚みが増してくる。軽く方向性を示す一言でも成長にとっては重要だ。室伏の指導は言葉少なだと先に言ったが、それでも時折「よくなっている」といった言葉はかける。この一言だけでも選手の力になる。」
このことは、きちんと自分の技術を振り返ってみることが大切で、その技術レベルが低いのにメンタル面を強化することばかりに捉われることはあまり意味がないということを示している。
これは大変難しい問題である。
私はコーチの役目として、技術についてきちんと対話をしながら、「礼儀」を尽くすことで選手としての資質をどう高めることができるのか、ということを教えていきたいと思っている。
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スポーツの世界は「礼儀」がとても大切だ、と説かれることは多い。
福田和也(「悪の対話術」講談社現代新書)は、
「なぜ、礼儀が大事なのか。挨拶が大事なのか。それは礼儀が、油断していないということの証しであるからです」と言っている。
私には、それが証しなのかどうかはわからないが、クラブにおいて「きちんと挨拶をしなさい!」と、ことさら強調されることに対してはどうも納得できない。
そんなことは親や学校がきちんと教育するべきものであり、あまり面識のない人に対して、いつでもきちんと挨拶することばかり気にしていたら、肝心の練習に身が入らないだろうし、挨拶しまくっている子供がいたら気持ち悪い。
もちろん、挨拶しなくて良いということではない。
面識のある人に、身近であったら挨拶することは当然だと思うし、ただし、それをことさら強調しすぎないほうがよいということだ。
斎藤孝(同)は、その点に関して室伏重信先生のコメントを紹介しながら、次のように述べている。
「技術か人間性か。この二項対立図式もまた、リアリティを見失わせ易いものだ。技術を離れて人間性だけを説けば、発展性がない。一方、技術偏重主義に陥れば、不毛感が残る。室伏重信は、礼儀の重要性はもちろん認識しつつも、「礼儀あってこそ技術が育つ」という主張に対して、次のような批判的見解を述べている。
「その流儀ではストレスが溜まってしょうがない。こうやったら伸びる、という技術の ヒントを教えるのが指導者であり、自分の器以上のものになってもらうことが前提です。 その厳しさと向き合ってこそ、人間が育つ。高い技術を追求する人間に、精神は後からついてきます。逆に精神から入ったら、競技者としての壁は越えられもせんね。」(同)
ただし技術の追求が、精神的な成長を完全に保証するわけではない。技術の追求をめぐって対話的な関係が成立していることが、精神的な成長をより促す。漠然とした人生論的指導を漫然と繰り返すのではなく、具体的な技術に対する認識を一つ一つ共有していく。このプロセスと通じて、人間性に厚みが増してくる。軽く方向性を示す一言でも成長にとっては重要だ。室伏の指導は言葉少なだと先に言ったが、それでも時折「よくなっている」といった言葉はかける。この一言だけでも選手の力になる。」
このことは、きちんと自分の技術を振り返ってみることが大切で、その技術レベルが低いのにメンタル面を強化することばかりに捉われることはあまり意味がないということを示している。
これは大変難しい問題である。
私はコーチの役目として、技術についてきちんと対話をしながら、「礼儀」を尽くすことで選手としての資質をどう高めることができるのか、ということを教えていきたいと思っている。
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2007年12月06日
指導者の眼を信じる(1060)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -70-
強くなるには、よい指導者にめぐり合うことがとても大切だ。
しかし、なかなか自分に合う優れた指導者に出会うことはむつかしい。
どのような指導者が優れているのかを一言で言うことはできないが、斎藤孝(同)が、その著書の中で、室伏重信先生のコメントを紹介しているので、少々長いが、引用してみたいと思う。
「指導者の<コメント力>は、選手を見る眼力にかかっている。ハンマー投げでアジアの鉄人と言われた室伏重信が息子の室伏広治の指導をしているときの意識は、研ぎ澄まされている。余計な言葉がはさまれる余地のない沈黙が、場を支配する。室伏重信は、ひたすら見つめる。そして、こう言う。「言うことではなく、見る、ことこそ指導者の役目なのです。思ったことを未消化のまま言うことはあってはならない。技術は、日によって、時間によって、ハンマーにおいては一本一本変わるのかもしれない。それくらい繊細なものの中で安定を築くのです。しっかり見極めねばならないのです。」(「ナンバー」472号)
彼にとっては、指導とは「静観すること」だ。しかし、「静観とは見るだけではない。見て、チャンスを待つという意味です。仮に選手が間違った動きをしていても、それが後にどういう形で技術に効いてくるのか、これは瞬時にダメだと判断できないからです。何を、いつ言うのか、そのタイミングを待つ」(同)のである。
そのタイミングとは、選手本人に潮が満ちるように課題が見えてきたときだ。それまで自分から話すことはない。「自分からハンマーの話をしたことは一度もない。一方、選手本人が何かを聞いてきた時には、すべてを答えてやらなくてはなりません。(そうしたアドバイスのチャンスが来るまでは)仮に1年かかったとしても待ちます。指導者として問われるべきは、私自身が、いかに適切な準備をし続けているかなのです」(同)と言う。」
このような姿勢で指導に臨んでいる指導者はそう多くはないかもしれないが(私も志してはいるが、自分の未熟さを痛感するばかりである)、少なくともあなたの問いかけに対して、あなたが納得できる答えをいつでも示すことができる指導者でなければ、あなたの力を引き出すことはできない。
また、試合会場で、真剣に選手の試合を見続けている指導者を選択するのもよい方法だと思う。
多くの指導者は、「言うことではなく、見る、ことこそ指導者の役目」であることを忘れている。
「見る」、ことは指導者として「適切な準備をし続けている」ことの証しなのだ。
その証しをきちんと示すことができている指導者は、きっと優れた感性であなたを導いてくれるに違いない。
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強くなるには、よい指導者にめぐり合うことがとても大切だ。
しかし、なかなか自分に合う優れた指導者に出会うことはむつかしい。
どのような指導者が優れているのかを一言で言うことはできないが、斎藤孝(同)が、その著書の中で、室伏重信先生のコメントを紹介しているので、少々長いが、引用してみたいと思う。
「指導者の<コメント力>は、選手を見る眼力にかかっている。ハンマー投げでアジアの鉄人と言われた室伏重信が息子の室伏広治の指導をしているときの意識は、研ぎ澄まされている。余計な言葉がはさまれる余地のない沈黙が、場を支配する。室伏重信は、ひたすら見つめる。そして、こう言う。「言うことではなく、見る、ことこそ指導者の役目なのです。思ったことを未消化のまま言うことはあってはならない。技術は、日によって、時間によって、ハンマーにおいては一本一本変わるのかもしれない。それくらい繊細なものの中で安定を築くのです。しっかり見極めねばならないのです。」(「ナンバー」472号)
彼にとっては、指導とは「静観すること」だ。しかし、「静観とは見るだけではない。見て、チャンスを待つという意味です。仮に選手が間違った動きをしていても、それが後にどういう形で技術に効いてくるのか、これは瞬時にダメだと判断できないからです。何を、いつ言うのか、そのタイミングを待つ」(同)のである。
そのタイミングとは、選手本人に潮が満ちるように課題が見えてきたときだ。それまで自分から話すことはない。「自分からハンマーの話をしたことは一度もない。一方、選手本人が何かを聞いてきた時には、すべてを答えてやらなくてはなりません。(そうしたアドバイスのチャンスが来るまでは)仮に1年かかったとしても待ちます。指導者として問われるべきは、私自身が、いかに適切な準備をし続けているかなのです」(同)と言う。」
このような姿勢で指導に臨んでいる指導者はそう多くはないかもしれないが(私も志してはいるが、自分の未熟さを痛感するばかりである)、少なくともあなたの問いかけに対して、あなたが納得できる答えをいつでも示すことができる指導者でなければ、あなたの力を引き出すことはできない。
また、試合会場で、真剣に選手の試合を見続けている指導者を選択するのもよい方法だと思う。
多くの指導者は、「言うことではなく、見る、ことこそ指導者の役目」であることを忘れている。
「見る」、ことは指導者として「適切な準備をし続けている」ことの証しなのだ。
その証しをきちんと示すことができている指導者は、きっと優れた感性であなたを導いてくれるに違いない。
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2007年11月28日
自分の世界に浸る(1057)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -69-
雰囲気を変えてしまうぐらいの力を持った選手はそうはいないので、どのような状況でも集中力を高めることが出来るような訓練をすることのほうが実際的なのかもしれない。
メンタルトレーニングの世界では、じつに様々な方法が提唱されているので、それらを色々と試してみて、気に入った方法を実践すればよいのである。
私は、実際的なメンタルトレーニングとは違うが、「自分の世界に浸れる時間」を大切にすることをお勧めする。
一流選手が、ヘッドフォンでお気に入りの音楽を聴きながらリラックスしている場面をよく目にするが、音楽や映画に感情移入して、どっぷりとその世界に浸り、時間を忘れるのはとても脳のためにもいいらしい。
もちろん、練習や試合の前にそうした音楽などを聞くことで集中力は高まる。
私の場合、落ち込んだりしたときにふっと頭に浮かぶ音楽がある。「カントリーロード」がそれだ。
アメリカにいたとき、言葉も通じず、離れて暮らす子供のことが思い出されて悲しい気持ちになったときなどは、いつもこの曲を聴いていた。
そうしたことがこころの安らぎを生んだという経験が強く染み付いているので、なにか嫌なことがあったりすると、自然反応的に頭に浮かんでくるのである。
これを専門的には「不安軽減の強化」というらしいが、不安や恐怖に襲われたとき、ただ呆然と立ち尽くすのではなく、自分の心地よい居場所を作り出すことで、うまくやっていけるような気になるはずである。
私は、そうした心地よい場所や時間を持つことで、ひどく落ち込まずにがんばっていられるような気がする。
そして、「自分の世界に浸っているとき」はとてもよい表情になり、きっと自分のまわりに良い雰囲気を作り出していることだろう。
そのようなよい雰囲気を持続的に保ちながら練習や試合にはいっていくことで、よい集中力が生まれるはずだ。お試しあれ。
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雰囲気を変えてしまうぐらいの力を持った選手はそうはいないので、どのような状況でも集中力を高めることが出来るような訓練をすることのほうが実際的なのかもしれない。
メンタルトレーニングの世界では、じつに様々な方法が提唱されているので、それらを色々と試してみて、気に入った方法を実践すればよいのである。
私は、実際的なメンタルトレーニングとは違うが、「自分の世界に浸れる時間」を大切にすることをお勧めする。
一流選手が、ヘッドフォンでお気に入りの音楽を聴きながらリラックスしている場面をよく目にするが、音楽や映画に感情移入して、どっぷりとその世界に浸り、時間を忘れるのはとても脳のためにもいいらしい。
もちろん、練習や試合の前にそうした音楽などを聞くことで集中力は高まる。
私の場合、落ち込んだりしたときにふっと頭に浮かぶ音楽がある。「カントリーロード」がそれだ。
アメリカにいたとき、言葉も通じず、離れて暮らす子供のことが思い出されて悲しい気持ちになったときなどは、いつもこの曲を聴いていた。
そうしたことがこころの安らぎを生んだという経験が強く染み付いているので、なにか嫌なことがあったりすると、自然反応的に頭に浮かんでくるのである。
これを専門的には「不安軽減の強化」というらしいが、不安や恐怖に襲われたとき、ただ呆然と立ち尽くすのではなく、自分の心地よい居場所を作り出すことで、うまくやっていけるような気になるはずである。
私は、そうした心地よい場所や時間を持つことで、ひどく落ち込まずにがんばっていられるような気がする。
そして、「自分の世界に浸っているとき」はとてもよい表情になり、きっと自分のまわりに良い雰囲気を作り出していることだろう。
そのようなよい雰囲気を持続的に保ちながら練習や試合にはいっていくことで、よい集中力が生まれるはずだ。お試しあれ。
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2007年11月26日
場を作る力(1055)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -68-
強いチームを指導していていつも思うことは、「良い雰囲気を持ったチームは強い」、ということである。
傑出した選手がいなくても、チームとしての「雰囲気」を高めることで、そのチームとしての力を最大限に引き出し、強くなれることを教えてくれる。
山下富美代(「集中力」講談社現代新書)は、
「意欲を中断することなく集中力を持続させる状況づくりが大切である。」と言い、
斎藤孝(「「できる」ひとはどこがちがうのか」ちくま新書)は、
「私たちの身体は、場の雰囲気の影響を受けやすい。」
と言っている。
また、長田一臣(「勝者の条件」春秋社)は、
「心が大事というのはいいけれど、すべてを揺さぶるものは「場」です。「場」が全部を揺さぶるわけです。」
と述べている。
これらは、場の雰囲気や状況が、メンタルだけにとどまらず、人間の能力にとても大きな影響を与えることを示している。
できるだけ自分の集中力や意識が高まるような状況を作り出すことが大切なのである。
もしできるのであれば、そういう雰囲気を作り出すことができる選手と練習やトレーニングをすることだ。
その選手がコートで練習を始めると、まわりの雰囲気がガラッと変わって、高い緊張感に包まれるような選手がいる。
そのような選手と練習していると、知らず知らずのうちにその雰囲気に融合し、自分でも信じられないくらいの集中力を発揮することもある。
逆に、まわりの雰囲気を乱し、他の選手の集中力を阻害してしまうような選手も多い。
そうした選手がトップで練習しているクラブは、他の選手にとって心地よく集中できる雰囲気を作り出すことは大変にむつかしい。
トップになる選手は、高い実績を誇っているので、クラブとして手放したくないという事情もあるだろうが、本当に強いクラブを作りたいのなら、こうした選手には出て行ってもらう方が良いだろう。
それくらいの決断ができないようでは、他の強くなる資質を持った子の才能を伸ばすことはできはしない。
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強いチームを指導していていつも思うことは、「良い雰囲気を持ったチームは強い」、ということである。
傑出した選手がいなくても、チームとしての「雰囲気」を高めることで、そのチームとしての力を最大限に引き出し、強くなれることを教えてくれる。
山下富美代(「集中力」講談社現代新書)は、
「意欲を中断することなく集中力を持続させる状況づくりが大切である。」と言い、
斎藤孝(「「できる」ひとはどこがちがうのか」ちくま新書)は、
「私たちの身体は、場の雰囲気の影響を受けやすい。」
と言っている。
また、長田一臣(「勝者の条件」春秋社)は、
「心が大事というのはいいけれど、すべてを揺さぶるものは「場」です。「場」が全部を揺さぶるわけです。」
と述べている。
これらは、場の雰囲気や状況が、メンタルだけにとどまらず、人間の能力にとても大きな影響を与えることを示している。
できるだけ自分の集中力や意識が高まるような状況を作り出すことが大切なのである。
もしできるのであれば、そういう雰囲気を作り出すことができる選手と練習やトレーニングをすることだ。
その選手がコートで練習を始めると、まわりの雰囲気がガラッと変わって、高い緊張感に包まれるような選手がいる。
そのような選手と練習していると、知らず知らずのうちにその雰囲気に融合し、自分でも信じられないくらいの集中力を発揮することもある。
逆に、まわりの雰囲気を乱し、他の選手の集中力を阻害してしまうような選手も多い。
そうした選手がトップで練習しているクラブは、他の選手にとって心地よく集中できる雰囲気を作り出すことは大変にむつかしい。
トップになる選手は、高い実績を誇っているので、クラブとして手放したくないという事情もあるだろうが、本当に強いクラブを作りたいのなら、こうした選手には出て行ってもらう方が良いだろう。
それくらいの決断ができないようでは、他の強くなる資質を持った子の才能を伸ばすことはできはしない。
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2007年11月22日
「謙虚」であることの強さ(1052)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -67-
私がトレーニングを指導する愛工大名電高校野球部の秋の大会は、東海大会まで駒を進めたものの残念ながら初戦敗退し、春の選抜出場はりならなかった。
しかし、私が指導し始めて、秋の大会ではほとんどの年で東海大会に出場し、夏の県大会も今年で4年連続出場を果たし、毎年ベスト8以上に勝ち進む安定した「強さ」を発揮している。
多くの学校がその成果を求めて強化を進めている中にあって、しかも全国でも最多の参加校を誇る愛知で勝ち続けることは大変難しいことだと思う。
その「強さ」はどこにあるのかを考えることは、強くなるためのヒントを与えてくれると思う。
野球の名門校は、それこそ中学時代は4番でピッチャーのエリートばかりが入学を希望してくる。
しかも、愛工大名電高校野球部では、そんなエリートの中で10人に1人程度しか入学を許可されない、大変な狭き門なのである。
だから、それぞれの選手は大変「プライド」が高い(ここでは単に「自己顕示欲」という意味で)。
そして、その「プライド」が邪魔をして、ときには自己中心的な振る舞いや、自分を追い込むことに対する「ごまかし」などが横行するときもある。
私は、このチームを直接率いているわけではないので、そんなときでも「私は、君たちに必要なことは教える。それをやるかやらないかは君たち次第だ。」といつも言い続け、決してそれを非難したり、是正したりしないようにしている。
そして、「自分はやっています!」と大きく主張はするが、実際にはやっていないだろうと思われる選手に対しては、「思い」はかけないようにする(だって、そんな選手に思いをかけても虚しいだけでしょ)。
彼らは、そう主張すれば、自分たちを評価してくれるだろうと思っているかもしれないが、「プロの眼」から見れば、どれくらいのトレーニングを積んでいるのかは、一目見れば大体わかる。
まあ、「プロ」としては、大体では困るので、練習の状況を良く観察したり、「どうだ、調子は?」とか言いながら、肩を叩いたり、背中を叩いたりしながら、筋肉の状態を確認したりする。
女の子に、あまり頻繁にこのような行為をすると、セクハラを疑われそうであるが、その点、男の子は安心である(危ないこともあるかも?)。
例年は、そのような「謙虚でない」選手が何人かいて、しかも、その選手が主力だったりすると、そういうチームは大変指導しにくい、というか、「思い」をかけにくいので、同じ時間を指導しても大変疲れるものだ。
今風に言うと、「ムカつく」時も多い(決して怒りはしませんが…)。
ところが、最近のチームは誰一人として、そのような選手は見当たらない。
それどころか、トレーニングに対しての知識を深めようと私に何度も質問したり、トレーニングの指導が終わってから、自分の課題について納得するまで確認したりする選手が多い。
だから、指導する側としては大変「楽なチーム」であるといえる。
じつは、これが彼らの「強さ」であり、多くのスポーツ選手が学ばなければならない「資質」である。
人間は、誰も完璧ではない。
「足りない何か」を感じているから、それを「謙虚」な気持ちで求めていかなくてはならないと思うのだが、少しの成果で有頂天になり、「謙虚さ」を忘れて、自己中心的な振舞いをする選手は大変多い。
このような選手は(もちろん指導者も)、きっと自分の人生において、感動する機会は少ないだろうと思う。
自分の持っている力を最大限まで引き出すことはできない。
私の尊敬する指導者に、ハンマー投げの室伏重信先生がいる。
知っての通り、室伏広治選手の父であり、コーチでもある人だ。
彼は、まさに求道者である。
どんなときでも、自分の投法には満足せず、いろいろな情報を得るために、積極的に実験にも参加されて、自分の投法を完成させ、飛距離を伸ばすためにはどうしたら良いのかを常に考え続けた人だ。
もちろん、今も考え続けているだろう。
先生と話をすると、つねに「謙虚」に自分に足りないものを探し続けることの大切さを確認できた。
「足りないから努力する」、という当たり前のことを実行し続けた人だからこそ、誰もが彼の言葉に感嘆するのである。
このチームは、そんな「謙虚さ」を「強さ」に変えたチームである。
監督から頂いた、甲子園の優勝記念ボールは私の一生の宝物となった。
「謙虚さ」を忘れないシンボルでもある。
自分の信じることを納得するまでとことんやりきるには、「謙虚」でなくてはならない。
「謙虚」であることは、「弱さ」ではなく、「弱さを知ることから生まれる強さ」を引き出すためのキーワードである、そんなことをトレーニングを指導しながら考えていた。
私は、そんな「強さ」を持った選手を探しているのかもしれない。
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私がトレーニングを指導する愛工大名電高校野球部の秋の大会は、東海大会まで駒を進めたものの残念ながら初戦敗退し、春の選抜出場はりならなかった。
しかし、私が指導し始めて、秋の大会ではほとんどの年で東海大会に出場し、夏の県大会も今年で4年連続出場を果たし、毎年ベスト8以上に勝ち進む安定した「強さ」を発揮している。
多くの学校がその成果を求めて強化を進めている中にあって、しかも全国でも最多の参加校を誇る愛知で勝ち続けることは大変難しいことだと思う。
その「強さ」はどこにあるのかを考えることは、強くなるためのヒントを与えてくれると思う。
野球の名門校は、それこそ中学時代は4番でピッチャーのエリートばかりが入学を希望してくる。
しかも、愛工大名電高校野球部では、そんなエリートの中で10人に1人程度しか入学を許可されない、大変な狭き門なのである。
だから、それぞれの選手は大変「プライド」が高い(ここでは単に「自己顕示欲」という意味で)。
そして、その「プライド」が邪魔をして、ときには自己中心的な振る舞いや、自分を追い込むことに対する「ごまかし」などが横行するときもある。
私は、このチームを直接率いているわけではないので、そんなときでも「私は、君たちに必要なことは教える。それをやるかやらないかは君たち次第だ。」といつも言い続け、決してそれを非難したり、是正したりしないようにしている。
そして、「自分はやっています!」と大きく主張はするが、実際にはやっていないだろうと思われる選手に対しては、「思い」はかけないようにする(だって、そんな選手に思いをかけても虚しいだけでしょ)。
彼らは、そう主張すれば、自分たちを評価してくれるだろうと思っているかもしれないが、「プロの眼」から見れば、どれくらいのトレーニングを積んでいるのかは、一目見れば大体わかる。
まあ、「プロ」としては、大体では困るので、練習の状況を良く観察したり、「どうだ、調子は?」とか言いながら、肩を叩いたり、背中を叩いたりしながら、筋肉の状態を確認したりする。
女の子に、あまり頻繁にこのような行為をすると、セクハラを疑われそうであるが、その点、男の子は安心である(危ないこともあるかも?)。
例年は、そのような「謙虚でない」選手が何人かいて、しかも、その選手が主力だったりすると、そういうチームは大変指導しにくい、というか、「思い」をかけにくいので、同じ時間を指導しても大変疲れるものだ。
今風に言うと、「ムカつく」時も多い(決して怒りはしませんが…)。
ところが、最近のチームは誰一人として、そのような選手は見当たらない。
それどころか、トレーニングに対しての知識を深めようと私に何度も質問したり、トレーニングの指導が終わってから、自分の課題について納得するまで確認したりする選手が多い。
だから、指導する側としては大変「楽なチーム」であるといえる。
じつは、これが彼らの「強さ」であり、多くのスポーツ選手が学ばなければならない「資質」である。
人間は、誰も完璧ではない。
「足りない何か」を感じているから、それを「謙虚」な気持ちで求めていかなくてはならないと思うのだが、少しの成果で有頂天になり、「謙虚さ」を忘れて、自己中心的な振舞いをする選手は大変多い。
このような選手は(もちろん指導者も)、きっと自分の人生において、感動する機会は少ないだろうと思う。
自分の持っている力を最大限まで引き出すことはできない。
私の尊敬する指導者に、ハンマー投げの室伏重信先生がいる。
知っての通り、室伏広治選手の父であり、コーチでもある人だ。
彼は、まさに求道者である。
どんなときでも、自分の投法には満足せず、いろいろな情報を得るために、積極的に実験にも参加されて、自分の投法を完成させ、飛距離を伸ばすためにはどうしたら良いのかを常に考え続けた人だ。
もちろん、今も考え続けているだろう。
先生と話をすると、つねに「謙虚」に自分に足りないものを探し続けることの大切さを確認できた。
「足りないから努力する」、という当たり前のことを実行し続けた人だからこそ、誰もが彼の言葉に感嘆するのである。
このチームは、そんな「謙虚さ」を「強さ」に変えたチームである。
監督から頂いた、甲子園の優勝記念ボールは私の一生の宝物となった。
「謙虚さ」を忘れないシンボルでもある。
自分の信じることを納得するまでとことんやりきるには、「謙虚」でなくてはならない。
「謙虚」であることは、「弱さ」ではなく、「弱さを知ることから生まれる強さ」を引き出すためのキーワードである、そんなことをトレーニングを指導しながら考えていた。
私は、そんな「強さ」を持った選手を探しているのかもしれない。
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2007年11月21日
仲間とめぐりあう(1051)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -66-
私は、「ライバル」といえる存在にもめぐり合うことができたし(そいつは今でも私のライバルである)、お互いに励ましあう「仲間」にもめぐり合うことができた。
「仲間」とは、単なる友人ではなく、「こいつらのためなら何でもやってやるぜい!」と思える強い仲間意識で結ばれた友人関係である。
「過去の栄光会」という変な会がある。
これは、私の世代と一つ下の世代で、高校時代に全国大会などに出場するなどの輝かしい栄光(?)を持つものたちの集まりである。
この会を始めて15、16年になるらしい(誰もはっきりとその開始を覚えてはいない)。
それほど活発に活動しているわけではないし、また、会っても昔の話をするだけで発展的な会話などないのだが、これが実に楽しい。
そう、我々は確かにその時、青春時代を送っていた(もちろん、今も.....)。
何もかも忘れてすべてをテニスに賭けていた、そうした「仲間」たちなのだ。
試合ではもちろん戦う「ライバル」ではあるが(試合中に相手をののしることなども時にはあった)、コートを離れればよき友人として、ときには恋人として強い「仲間意識」で結ばれていた。
テニスを通した素晴らしき「仲間」の集いなのである。
そんな会の中でこんな話が出た。
「今のジュニアの子達は、こうして何年か経って集まり、テニスをやり、昔の話に花が咲き、年甲斐もなくわいわい騒ぐ(私だけか....)ことがあるだろうか」と。
ん~、これは難しいかもしれない。
彼らがテニスを一所懸命にやっていることは認めるが、テニスを通して強い「仲間意識」で結ばれているとは思えないからである。
我々の時代とはテニスをやる環境が違うし、社会的な環境も違うので良い悪いを言うつもりはないが、「仲間」がいること、これは何ものにも変えがたい素晴らしき財産であると思う。
「素晴らしき仲間」、私はこれさえ手に入れることができれば、きっとすべてはうまくいく、きっと充実した人生を歩むことができると信じて疑わない。
梶原しげる(「口のきき方」新潮新書)は、
「今の日本の若者の多くが「本人がよければ本人の自由でよい」と思う傾向があることが気になります。「本人の自由」とは、他人の自由を尊重しているようで、実は、他人に無関心なだけなのではないでしょうか。関心の中心は常に自分。自分以外への無関心や、他人との親密な関係を「うざったい」と感じてしまう、対人関係の未成熟さの現われが「本人の自由」などというわけ知りな言葉を口走らせるのではないかと、電車の中の化粧に精出す女の子達を見て心配しております。」
と言っている。
他人に無関心で本当の「仲間」が見つかるとは到底思えない。
他人と親密な関係を持つことで、自分のこともいろいろと見えてくることが多いものだ。
それは「自分自身を高める」ことに他ならない。
「仲間」は、それほどまでに尊いものであることを子どもたちにわかってほしいと心から思う。
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私は、「ライバル」といえる存在にもめぐり合うことができたし(そいつは今でも私のライバルである)、お互いに励ましあう「仲間」にもめぐり合うことができた。
「仲間」とは、単なる友人ではなく、「こいつらのためなら何でもやってやるぜい!」と思える強い仲間意識で結ばれた友人関係である。
「過去の栄光会」という変な会がある。
これは、私の世代と一つ下の世代で、高校時代に全国大会などに出場するなどの輝かしい栄光(?)を持つものたちの集まりである。
この会を始めて15、16年になるらしい(誰もはっきりとその開始を覚えてはいない)。
それほど活発に活動しているわけではないし、また、会っても昔の話をするだけで発展的な会話などないのだが、これが実に楽しい。
そう、我々は確かにその時、青春時代を送っていた(もちろん、今も.....)。
何もかも忘れてすべてをテニスに賭けていた、そうした「仲間」たちなのだ。
試合ではもちろん戦う「ライバル」ではあるが(試合中に相手をののしることなども時にはあった)、コートを離れればよき友人として、ときには恋人として強い「仲間意識」で結ばれていた。
テニスを通した素晴らしき「仲間」の集いなのである。
そんな会の中でこんな話が出た。
「今のジュニアの子達は、こうして何年か経って集まり、テニスをやり、昔の話に花が咲き、年甲斐もなくわいわい騒ぐ(私だけか....)ことがあるだろうか」と。
ん~、これは難しいかもしれない。
彼らがテニスを一所懸命にやっていることは認めるが、テニスを通して強い「仲間意識」で結ばれているとは思えないからである。
我々の時代とはテニスをやる環境が違うし、社会的な環境も違うので良い悪いを言うつもりはないが、「仲間」がいること、これは何ものにも変えがたい素晴らしき財産であると思う。
「素晴らしき仲間」、私はこれさえ手に入れることができれば、きっとすべてはうまくいく、きっと充実した人生を歩むことができると信じて疑わない。
梶原しげる(「口のきき方」新潮新書)は、
「今の日本の若者の多くが「本人がよければ本人の自由でよい」と思う傾向があることが気になります。「本人の自由」とは、他人の自由を尊重しているようで、実は、他人に無関心なだけなのではないでしょうか。関心の中心は常に自分。自分以外への無関心や、他人との親密な関係を「うざったい」と感じてしまう、対人関係の未成熟さの現われが「本人の自由」などというわけ知りな言葉を口走らせるのではないかと、電車の中の化粧に精出す女の子達を見て心配しております。」
と言っている。
他人に無関心で本当の「仲間」が見つかるとは到底思えない。
他人と親密な関係を持つことで、自分のこともいろいろと見えてくることが多いものだ。
それは「自分自身を高める」ことに他ならない。
「仲間」は、それほどまでに尊いものであることを子どもたちにわかってほしいと心から思う。
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2007年11月11日
ライバルを持つ(1048)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -65-
「先達」と同様に「自分を高めてくれる存在」として、「ライバル」の存在を忘れてはならない。
相撲の世界では、栃若や柏鵬など、両雄並び立つことでその技量を高め、素晴らしい技の極地に達することができるといわれている。
「ライバル」とは単に倒すべき目標ではない。
その存在を認め、自分にはない高い技量や精神力を敬い、それを超えるべく努力する気にさせるような尊い存在である。
もちろん、自分だけが「ライバル」と認めたのでは意味がない。
お互いにその存在を認め合ったときにはじめて、「ライバル」ということができる。
よく、今は大きく成長した選手に対して、「昔、俺たちはライバルだったのさ。競った試合を何度もやった。」と過去の経験を大げさに語り、さも「ライバル」であったかのようなことを言う奴を見かけることがあるが、みっともない話である。
こういう奴は、彼らと戦ったという経験が自分の価値を高めてくれるだろうことを期待してこのような行動をとる。
その人の栄光を自分に反映させて、自分は価値ある存在であることを認めてもらいたがっているのである。
これを後光効果(ハーロー効果)というが、そんなことで価値が高まるはずがないことをそろそろ気づいてもらいたいものである。
「こいつにだけは負けたくない」とお互いに(ここが肝心)心から思える(憎しみの心なしで)存在があれば、あなたは成長をやめようとすることはない。
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「先達」と同様に「自分を高めてくれる存在」として、「ライバル」の存在を忘れてはならない。
相撲の世界では、栃若や柏鵬など、両雄並び立つことでその技量を高め、素晴らしい技の極地に達することができるといわれている。
「ライバル」とは単に倒すべき目標ではない。
その存在を認め、自分にはない高い技量や精神力を敬い、それを超えるべく努力する気にさせるような尊い存在である。
もちろん、自分だけが「ライバル」と認めたのでは意味がない。
お互いにその存在を認め合ったときにはじめて、「ライバル」ということができる。
よく、今は大きく成長した選手に対して、「昔、俺たちはライバルだったのさ。競った試合を何度もやった。」と過去の経験を大げさに語り、さも「ライバル」であったかのようなことを言う奴を見かけることがあるが、みっともない話である。
こういう奴は、彼らと戦ったという経験が自分の価値を高めてくれるだろうことを期待してこのような行動をとる。
その人の栄光を自分に反映させて、自分は価値ある存在であることを認めてもらいたがっているのである。
これを後光効果(ハーロー効果)というが、そんなことで価値が高まるはずがないことをそろそろ気づいてもらいたいものである。
「こいつにだけは負けたくない」とお互いに(ここが肝心)心から思える(憎しみの心なしで)存在があれば、あなたは成長をやめようとすることはない。
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2007年10月28日
先達に学ぶ(1035)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -64-
悩んでいるときは、誰かにすがりたくなったり、話を聞いてほしいと思うこともあるだろう。
「悩み」や「葛藤」は、自分ひとりで解決できないことも多いし、落ち込みがひどく冷静に考えられないときや、自信が揺らいで「迷い」が生じるときには、「先達」の智恵に頼ることが良いと思う。
斎藤孝(「「できる人」はどこがちがうのか」ちくま新書)は、
「先達は、自分にとって道の方向を照らしてくれる存在である。そうした道案内がいるかどうかで、上達の速度は格段に変わってくる。よい先達を得る努力をせず、また自分自身の才覚で道へのヴィジョンを立てることもできなければ、上達をやめてしまうことにもなる。先達は、こうした思い上がりを防いでくれるだけには留まらず、上達への不要な不安をも取り除いてくれる。」
と言っている。
ひとりですべきことをきちんとすることはとても大切なことで、それなくして大成することはないのだが、ひとりでできることには限度があるのも事実だ。
限界を感じたとき、「先達に学ぶ」ことで、それを超えられることも多い。
私は今まで、フェド監督の小浦猛氏、元フェド監督の本井満氏、現フェド杯監督の植田実氏、安田女子大学教授の友末亮三氏、竹内庭球研究所の竹内映二氏、亜細亜大学テニス部監督の堀内昌一氏、名古屋高校テニス部監督の宮尾英俊氏、湘南スポーツセンターの笠原康樹氏など、多くの方から本当にたくさんのことを学ばせてもらった。
彼らの存在がなければ、きっと今コーチとしての道は歩んでなかったであろう。
それほど大きな影響を受け、自分の力となっているのだ。
これらの人たちに共通するのは強烈なリーダーシップを持っているということだ。
たとえて言うと、スタートレックのカーク船長のような存在だ(わかるかな?)。
まわりにいるものをぐいぐい引きつける強烈な個性と、強い信念に従って行動することができる。
自分にないもの、自分よりも優れたものを持っている人には惹きつけられるものだ。
一度会いに行き、話をするだけで良いだろう。
きっとその魅力のとりこになるに違いない。
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悩んでいるときは、誰かにすがりたくなったり、話を聞いてほしいと思うこともあるだろう。
「悩み」や「葛藤」は、自分ひとりで解決できないことも多いし、落ち込みがひどく冷静に考えられないときや、自信が揺らいで「迷い」が生じるときには、「先達」の智恵に頼ることが良いと思う。
斎藤孝(「「できる人」はどこがちがうのか」ちくま新書)は、
「先達は、自分にとって道の方向を照らしてくれる存在である。そうした道案内がいるかどうかで、上達の速度は格段に変わってくる。よい先達を得る努力をせず、また自分自身の才覚で道へのヴィジョンを立てることもできなければ、上達をやめてしまうことにもなる。先達は、こうした思い上がりを防いでくれるだけには留まらず、上達への不要な不安をも取り除いてくれる。」
と言っている。
ひとりですべきことをきちんとすることはとても大切なことで、それなくして大成することはないのだが、ひとりでできることには限度があるのも事実だ。
限界を感じたとき、「先達に学ぶ」ことで、それを超えられることも多い。
私は今まで、フェド監督の小浦猛氏、元フェド監督の本井満氏、現フェド杯監督の植田実氏、安田女子大学教授の友末亮三氏、竹内庭球研究所の竹内映二氏、亜細亜大学テニス部監督の堀内昌一氏、名古屋高校テニス部監督の宮尾英俊氏、湘南スポーツセンターの笠原康樹氏など、多くの方から本当にたくさんのことを学ばせてもらった。
彼らの存在がなければ、きっと今コーチとしての道は歩んでなかったであろう。
それほど大きな影響を受け、自分の力となっているのだ。
これらの人たちに共通するのは強烈なリーダーシップを持っているということだ。
たとえて言うと、スタートレックのカーク船長のような存在だ(わかるかな?)。
まわりにいるものをぐいぐい引きつける強烈な個性と、強い信念に従って行動することができる。
自分にないもの、自分よりも優れたものを持っている人には惹きつけられるものだ。
一度会いに行き、話をするだけで良いだろう。
きっとその魅力のとりこになるに違いない。
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2007年10月24日
迷う(1032)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -63-
「開き直れず」、「気分転換」もできず、何もかもうまくいかないときに人間は大いに「迷う」。
「迷う」だけならまだ良いかもしれないが、テニスをやめてしまおうか、何か違うことにチャレンジしたほうが良いのかなどと「悩み」、「葛藤」することもある。
そんなときは、何をどうしてよいのかわからずに、悶々としてなにもかも面白くなく、どうして自分だけが、と被害妄想的に考え込んでしまうこともあるだろう。
こう考えると、「迷う」、「悩む」、「葛藤」はマイナスのイメージが強いのであるが、じつは成長するためのプロセスとして、誰もが通らなければならない道なのである。
桑子敏雄(「わたしがわたしであるための哲学」PHP研究所)は、
「人間にとって葛藤があるということが非常に重要なことで、迷いとか葛藤とかのなかで、選択肢の探索が行なわれるのである。自分の行なうべき振る舞いにはどういう選択肢があるのかと考えるときに、十分に思慮が尽くされている場合もあるが、多くの場合、必ずしもそうではないから、どういうふうにしたらいいかわからない。しかし、迷ったり、悩んだりしていくなかから、いままで気がつかなかった選択肢というのが現れる可能性がある。葛藤や迷いというものがなくなってしまったときには、そういう新しい選択肢が出現してくる可能性も失ってしまうということだ。」
と述べている。
そう、「迷う」こと、「悩む」こと、「葛藤」することは新たな選択や発見を生み出すためにはなくてはならないプロセスなのである。
ここでは「大いに迷え」と言っておきたい。
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「開き直れず」、「気分転換」もできず、何もかもうまくいかないときに人間は大いに「迷う」。
「迷う」だけならまだ良いかもしれないが、テニスをやめてしまおうか、何か違うことにチャレンジしたほうが良いのかなどと「悩み」、「葛藤」することもある。
そんなときは、何をどうしてよいのかわからずに、悶々としてなにもかも面白くなく、どうして自分だけが、と被害妄想的に考え込んでしまうこともあるだろう。
こう考えると、「迷う」、「悩む」、「葛藤」はマイナスのイメージが強いのであるが、じつは成長するためのプロセスとして、誰もが通らなければならない道なのである。
桑子敏雄(「わたしがわたしであるための哲学」PHP研究所)は、
「人間にとって葛藤があるということが非常に重要なことで、迷いとか葛藤とかのなかで、選択肢の探索が行なわれるのである。自分の行なうべき振る舞いにはどういう選択肢があるのかと考えるときに、十分に思慮が尽くされている場合もあるが、多くの場合、必ずしもそうではないから、どういうふうにしたらいいかわからない。しかし、迷ったり、悩んだりしていくなかから、いままで気がつかなかった選択肢というのが現れる可能性がある。葛藤や迷いというものがなくなってしまったときには、そういう新しい選択肢が出現してくる可能性も失ってしまうということだ。」
と述べている。
そう、「迷う」こと、「悩む」こと、「葛藤」することは新たな選択や発見を生み出すためにはなくてはならないプロセスなのである。
ここでは「大いに迷え」と言っておきたい。
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2007年10月21日
うまく休む(1030)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -62-
「強くなりたい」、「勝ちたい」と強く思いすぎると、「休む」ことがうまくできなくなってくる。
「試合の前になると不安から練習し続ける選手がいた」、ということを報告したが、このような心理状態では、素晴らしいショットを打っても満足することができなくなって、「スポーツ型の完全主義者」になっていく。
この「完全主義者」はいたって厄介な存在である。
1.どんなに素晴らしいショットでも満足できないので、つねに憂鬱な顔をしている。
2.自分のミスに過度に腹を立てることが多い。
3.相手のショットをほめるなど余裕がないので、楽しく練習をすることができない
このような症状の選手を見かけたら要注意である。あまり近づかないようにしよう。
なぐさめも激励も何の効果もないので関わるだけ損である。
ただ、選手として「強さ」を求める以上、このような状況に陥ることは多い。
そうならないためには、目標をしっかりと定め、挑戦し続ける意欲を持ち続けることが大切なのは言うまでもないが、もう一つの方法は、「うまく休む」ことだ。
「うまく休む」とは、テニスのことを忘れて楽しむことができる時間を持つことである。
かつての世界ナンバーワンプレーヤーのイワン・レンドルは、大会の最中にゴルフに出かけ、「気分転換」することでテニスに集中することができたと語っている。
「不安」にとらわれていると(不安がないというのではなくて、不安を過度に意識しすぎて自分を見失わないということ)、この「気分点転換」がうまくできない。
何をやっても面白くなく、「不安」はますます大きくなるという悪循環に陥る。
そんなときは無理やりにでも何か「気分転換」になるようなことをしてみることが大切だ。
気分が乗らなくても、面白いと思わなくても結構。とにかくテニスとは違う何かをやってみることだ。
そうした行動を続ける中で、なんとなく「不安」が小さくなったと感じることができれば、症状は改善に向かっている。
もちろん、何もせずに「ぼおっと休む」というのもある。
しかし、トレーニング用語に「積極的休息」というのがある。
これは、疲れたときになにもしないでただ休息するよりも、軽いジョギングなどを行ったほうが疲労の回復がはやいということだ。
メンタル的にも同じことが言える。
ただ「ぼおっと休む」のではなく、何かアクションを起こしてみることできっとあなたの疲れたこころがはやく回復していく。
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「強くなりたい」、「勝ちたい」と強く思いすぎると、「休む」ことがうまくできなくなってくる。
「試合の前になると不安から練習し続ける選手がいた」、ということを報告したが、このような心理状態では、素晴らしいショットを打っても満足することができなくなって、「スポーツ型の完全主義者」になっていく。
この「完全主義者」はいたって厄介な存在である。
1.どんなに素晴らしいショットでも満足できないので、つねに憂鬱な顔をしている。
2.自分のミスに過度に腹を立てることが多い。
3.相手のショットをほめるなど余裕がないので、楽しく練習をすることができない
このような症状の選手を見かけたら要注意である。あまり近づかないようにしよう。
なぐさめも激励も何の効果もないので関わるだけ損である。
ただ、選手として「強さ」を求める以上、このような状況に陥ることは多い。
そうならないためには、目標をしっかりと定め、挑戦し続ける意欲を持ち続けることが大切なのは言うまでもないが、もう一つの方法は、「うまく休む」ことだ。
「うまく休む」とは、テニスのことを忘れて楽しむことができる時間を持つことである。
かつての世界ナンバーワンプレーヤーのイワン・レンドルは、大会の最中にゴルフに出かけ、「気分転換」することでテニスに集中することができたと語っている。
「不安」にとらわれていると(不安がないというのではなくて、不安を過度に意識しすぎて自分を見失わないということ)、この「気分点転換」がうまくできない。
何をやっても面白くなく、「不安」はますます大きくなるという悪循環に陥る。
そんなときは無理やりにでも何か「気分転換」になるようなことをしてみることが大切だ。
気分が乗らなくても、面白いと思わなくても結構。とにかくテニスとは違う何かをやってみることだ。
そうした行動を続ける中で、なんとなく「不安」が小さくなったと感じることができれば、症状は改善に向かっている。
もちろん、何もせずに「ぼおっと休む」というのもある。
しかし、トレーニング用語に「積極的休息」というのがある。
これは、疲れたときになにもしないでただ休息するよりも、軽いジョギングなどを行ったほうが疲労の回復がはやいということだ。
メンタル的にも同じことが言える。
ただ「ぼおっと休む」のではなく、何かアクションを起こしてみることできっとあなたの疲れたこころがはやく回復していく。
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2007年10月19日
開き直る(1028)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -61-
スポーツは残酷である。
努力しても報われないことのほうが圧倒的に多い。
努力しても、努力しても、成果が上がらずスポーツをやめていく選手も多い。
しかし、このへんは本当に不思議なのだが、成果が上がらないことに対して落ち込み、練習にも熱が入らず、傍から見ていて「もう選手としては難しいかもしれない」と思っていた選手が、突然に蘇り、飛躍的に成績を伸ばすことがある。
練習の中で何かきっかけをつかんで、それがターニングポイントになって強くなるというのとは少し違う。
そういう選手は、強くなることをあきらめていないから、苦しくてもがむしゃらに練習し、何かのきっかけをつかんで強くなるのに対して、強くなること、勝つことを半ばあきらめたかのような態度でいながら、突然に強くなることがあるのだ。
こういうようなことを「開き直る」という言葉で表現することがある。
いったい、「開き直る」というのはどういうようなことだろうか。
「不安」になると「焦り」、やたらと練習する選手がいる。
私が指導してきた選手の中にも、試合の前になると「練習していないと不安になるから」と言って、疲れていても、痛みがあっても練習し続ける選手がいた。
しかし、それだけ練習したからといって、「不安」なく試合に臨めるのかというと、決してそうではない。
かえって「これだけやったのに負けたらどうしよう」という「不安」が大きくなる場合のほうが多い。
その「不安」に打ち勝つことができなくて負けたときにはひどく落ち込み、さらに「焦り」の行動をとってしまうこともある。
これでは、ますます苦しくなるばかりで、試合でも自分の力を十分に出すことはできない。
そんなときに、「勝つときは勝つし、負けるときは負ける、勝ち負けにこだわらずに気楽にいこう」と開き直ることができればよいのだが、なかなかそうはいかないのがスポーツの世界である。
長田一臣(「日本人のメンタルトレーニング」スキージャーナル)は、
「考えるべきは徹底的に考えて、最後は捨てねばならぬ。スポーツマンにとってスポーツは「たかがスポーツ、されどスポーツ」である。スポーツマンにとってスポーツとはおよそ歯切れの悪い存在である。スポーツそのものはきわめて明快であるが、スポーツに携わるスポーツマンの性格は必ずしも明快とはいえない。一般にスポーツマンの性格を称して「竹を割ったような気性」というが、なかなかもってそれとは裏腹なものである。アッケラカンとした心のありようでは勝負に勝つことはむつかしい。怨みっぼく、殺されたら化けて出るくらいの執念がスポーツには要求されるのである。考えるべきときには考え抜いて、事に臨んではその考えをいっさい棄てるのでなければならぬ。考えることは重要だが、その考えを棄てることも重要だ。そうしないと迷いが生じ、こだわりとなって集中を妨げることになる。」
と述べている。
「考えを捨てる」とは「開き直る」と同じことだと考える。
だが、ここにあるようにスポーツマンの性格は、「怨みっぽく」かつ「執念深い」ので、なかなか「開き直れない」ということだ。
しかし、大舞台で最高の成績を挙げたアスリートは「開き直る」ことで力を存分に出すことができたのだ。
勢子浩爾(「こういう男になりたい」ちくま新書)は、
「レース前は恐怖を感じるが、泳ぐ直前にはやる気の塊に変身する。その過程で「マナ板のコイ」状態になり、「どうだぁ!」と開き直る瞬間がある。まるで自分が別の生き物になったように戦闘的な気持ちになり、怖いものは何もなくなる。」
という水泳の金メダリスト鈴木大地のコメントを紹介している。
「勝つ」ことについては徹底的に考えなくてはならないが、いざ勝負が始まってしまったら、「ただ自分の力を出すこと」のみに意識が向けられるようにならなければならないことを教えてくれる。
「開き直る」とは、まさにいろいろな考えにがんじがらめになっている自分を解放し、無心にテニスというものと向き合ったときに、すがすがしい開放感とともにテニスをすることを心の底から楽しむことができるような心境になることである。
そのような心境で臨むとき、自分でも信じられないくらいリラックスして、自分のもっている力を思う存分に発揮することができる。
残念ながら、「開き直る」にはどうしたら良いのかということはわからない。
ただ、「開き直る」ためには、徹底的に何かに打ち込んだという「経験」がなくてはならないことだけはわかっている。
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スポーツは残酷である。
努力しても報われないことのほうが圧倒的に多い。
努力しても、努力しても、成果が上がらずスポーツをやめていく選手も多い。
しかし、このへんは本当に不思議なのだが、成果が上がらないことに対して落ち込み、練習にも熱が入らず、傍から見ていて「もう選手としては難しいかもしれない」と思っていた選手が、突然に蘇り、飛躍的に成績を伸ばすことがある。
練習の中で何かきっかけをつかんで、それがターニングポイントになって強くなるというのとは少し違う。
そういう選手は、強くなることをあきらめていないから、苦しくてもがむしゃらに練習し、何かのきっかけをつかんで強くなるのに対して、強くなること、勝つことを半ばあきらめたかのような態度でいながら、突然に強くなることがあるのだ。
こういうようなことを「開き直る」という言葉で表現することがある。
いったい、「開き直る」というのはどういうようなことだろうか。
「不安」になると「焦り」、やたらと練習する選手がいる。
私が指導してきた選手の中にも、試合の前になると「練習していないと不安になるから」と言って、疲れていても、痛みがあっても練習し続ける選手がいた。
しかし、それだけ練習したからといって、「不安」なく試合に臨めるのかというと、決してそうではない。
かえって「これだけやったのに負けたらどうしよう」という「不安」が大きくなる場合のほうが多い。
その「不安」に打ち勝つことができなくて負けたときにはひどく落ち込み、さらに「焦り」の行動をとってしまうこともある。
これでは、ますます苦しくなるばかりで、試合でも自分の力を十分に出すことはできない。
そんなときに、「勝つときは勝つし、負けるときは負ける、勝ち負けにこだわらずに気楽にいこう」と開き直ることができればよいのだが、なかなかそうはいかないのがスポーツの世界である。
長田一臣(「日本人のメンタルトレーニング」スキージャーナル)は、
「考えるべきは徹底的に考えて、最後は捨てねばならぬ。スポーツマンにとってスポーツは「たかがスポーツ、されどスポーツ」である。スポーツマンにとってスポーツとはおよそ歯切れの悪い存在である。スポーツそのものはきわめて明快であるが、スポーツに携わるスポーツマンの性格は必ずしも明快とはいえない。一般にスポーツマンの性格を称して「竹を割ったような気性」というが、なかなかもってそれとは裏腹なものである。アッケラカンとした心のありようでは勝負に勝つことはむつかしい。怨みっぼく、殺されたら化けて出るくらいの執念がスポーツには要求されるのである。考えるべきときには考え抜いて、事に臨んではその考えをいっさい棄てるのでなければならぬ。考えることは重要だが、その考えを棄てることも重要だ。そうしないと迷いが生じ、こだわりとなって集中を妨げることになる。」
と述べている。
「考えを捨てる」とは「開き直る」と同じことだと考える。
だが、ここにあるようにスポーツマンの性格は、「怨みっぽく」かつ「執念深い」ので、なかなか「開き直れない」ということだ。
しかし、大舞台で最高の成績を挙げたアスリートは「開き直る」ことで力を存分に出すことができたのだ。
勢子浩爾(「こういう男になりたい」ちくま新書)は、
「レース前は恐怖を感じるが、泳ぐ直前にはやる気の塊に変身する。その過程で「マナ板のコイ」状態になり、「どうだぁ!」と開き直る瞬間がある。まるで自分が別の生き物になったように戦闘的な気持ちになり、怖いものは何もなくなる。」
という水泳の金メダリスト鈴木大地のコメントを紹介している。
「勝つ」ことについては徹底的に考えなくてはならないが、いざ勝負が始まってしまったら、「ただ自分の力を出すこと」のみに意識が向けられるようにならなければならないことを教えてくれる。
「開き直る」とは、まさにいろいろな考えにがんじがらめになっている自分を解放し、無心にテニスというものと向き合ったときに、すがすがしい開放感とともにテニスをすることを心の底から楽しむことができるような心境になることである。
そのような心境で臨むとき、自分でも信じられないくらいリラックスして、自分のもっている力を思う存分に発揮することができる。
残念ながら、「開き直る」にはどうしたら良いのかということはわからない。
ただ、「開き直る」ためには、徹底的に何かに打ち込んだという「経験」がなくてはならないことだけはわかっている。
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2007年10月12日
正しいコンプレックスを持つ(1021)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -60-
一般的なマイナスの感情とは違うが、「コンプレックス(劣等感)」という厄介なものもある。
コンプレックスとは、「自分が、なんらかの点で他人より劣っていると思い込むこと(思い込んだ時の感情の反応)」ということだ。
これは大変に個人的なものであって、他人から見れば、「えっ、なんでこんなことを気にしているの?」というようなことが、気になって気になって仕方がない。
そう思うことは良くない、気にするのはおかしいと思っても、どうしようもなくそういう感情が湧いて出てくるので始末が悪い。
もし、対戦相手に対してコンプレックスを抱えていたとしたら、果たして勝負になるのだろうか。
小浜逸郎(「頭はよくならない」洋泉社)は、
「上には上があることを知ることには、ただ劣等感にさいなまれるだけではなくて、そのこと自体を仲立ちにして、自分の仕事の支えにするという側面もある、と思うようにしています。言い換えると、言葉の正しい意味での「コンプレックス」の状態をそのまま見つめておこうということです。」と述べている。
スポーツの世界は、優劣がはっきりと成績として現れるので、劣等感にさいなまれて、挫折して、もう追い越せない、とあきらめてしまうケースは大変多い。
そのコンプレックスを「自分自身を高めるためのエネルギー」に変えられなかったことの結末である。
「そのまま見つめる」ということは、コンプレックスをエネルギーに変えるためには、まず受け入れなくてはならない、ということだ。
それができないと(自分の考え方の問題であると気付かない)、クラブの環境が悪い、親が悪い、練習相手が悪いなど、まわりに責任を添加してしまうことが往々にして起こりうる。
そのような考え方では、自分の精神状態を安定的に保つことも難しいだろう。
「正しくコンプレックスを持つ」ということは、そうである事実を受け入れ、それをエネルギーに変える考え方を持つことに他ならない。
それができなければ、その相手は永遠に超えられないライバルとなっていくに違いない。
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一般的なマイナスの感情とは違うが、「コンプレックス(劣等感)」という厄介なものもある。
コンプレックスとは、「自分が、なんらかの点で他人より劣っていると思い込むこと(思い込んだ時の感情の反応)」ということだ。
これは大変に個人的なものであって、他人から見れば、「えっ、なんでこんなことを気にしているの?」というようなことが、気になって気になって仕方がない。
そう思うことは良くない、気にするのはおかしいと思っても、どうしようもなくそういう感情が湧いて出てくるので始末が悪い。
もし、対戦相手に対してコンプレックスを抱えていたとしたら、果たして勝負になるのだろうか。
小浜逸郎(「頭はよくならない」洋泉社)は、
「上には上があることを知ることには、ただ劣等感にさいなまれるだけではなくて、そのこと自体を仲立ちにして、自分の仕事の支えにするという側面もある、と思うようにしています。言い換えると、言葉の正しい意味での「コンプレックス」の状態をそのまま見つめておこうということです。」と述べている。
スポーツの世界は、優劣がはっきりと成績として現れるので、劣等感にさいなまれて、挫折して、もう追い越せない、とあきらめてしまうケースは大変多い。
そのコンプレックスを「自分自身を高めるためのエネルギー」に変えられなかったことの結末である。
「そのまま見つめる」ということは、コンプレックスをエネルギーに変えるためには、まず受け入れなくてはならない、ということだ。
それができないと(自分の考え方の問題であると気付かない)、クラブの環境が悪い、親が悪い、練習相手が悪いなど、まわりに責任を添加してしまうことが往々にして起こりうる。
そのような考え方では、自分の精神状態を安定的に保つことも難しいだろう。
「正しくコンプレックスを持つ」ということは、そうである事実を受け入れ、それをエネルギーに変える考え方を持つことに他ならない。
それができなければ、その相手は永遠に超えられないライバルとなっていくに違いない。
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2007年10月10日
マイナスの感情を転化する(1019)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -59-
このことは、「マイナスの感情がよくないということではなく、それをどう活かしていけば良いのかという考え方をもつことが重要である」ことを教えてくれる。
ここでは、「不安」について考えてみよう。
試合前に不安になったことがないという人はいないだろう(ターミネーターは別だ!)。
なんとも不思議なものである。
好きで始めたテニスで、自分の力がもっとも発揮される最高の晴れの舞台である試合を前に不安になる。
なぜか考えてみた人も多いだろう。
五木寛之(「不安の力」集英社)は、
「不安とは、電車を動かすモーターに流れる電力のようなものだと、いつからかそう思うようになってきたのです。不安は生命の母だと感じる。それは、いいとか、わるいとか、取りのぞきたいというようなものではない。
不安は、いつもそこにあるのです。人は不安とともに生まれ、不安を友として生きていく。不安を追いだすことはできない。不安は決してなくならない。しかし、不安を敵とみなすか、それをあるがままに友として受け入れるかには、大きなちがいがあるはずです。
自分の顔に眉があり、鼻があり、口があるように、人には不安というものがある。不安を排除しようと思えば思うほど、不安は大きくなってくるはずです。
不安のない人生などというものはありません。人は一生、不安とともに生きていくのです。そのことに納得がいくようになってきてから、ぼくはずいぶん生きかたが変わったような気がしています。」
と言っている。
また、生月誠(「不安の心理学」講談社現代新書)は、
「不安と人間の本質との関係については、二つの意見がある。
①不安は、本当の自分に直面する場合に起こる反応である。不安を感じるのは、本当の自分がわかりかけている証拠である。不安こそ、人間の本質に迫る王道である。
②不安は技能や能力を発揮するのを妨げる。人間の本当の豊かさは、不安を解消することによって初めて実現可能となる。
哲学者ハイデガーは、『存在と時間』で、「恐怖は、恐いものに直面して、それを避けようとするときの心境であるが、不安は、自分が慣れ親しんでいる日常的なあり方を不可能にし、自分自身の本来的なあり方に直面させる」と述べている。
また、哲学者メルロ=ポンティは、その著書『知覚の現象学』の中で、「自己を認識するのは、ただ脅かされた場合の限界状況においてだけ、たとえば、死の不安とか、私に対する他者のまなざしの不安とかにおいてのみである」と述べ、いずれも、不安が本当の自分に直面させることを強調している。
一方、不安を訴える人の相談、指導に当たっているカウンセラーは、少なくとも、カウンセリングの場では、②の立場に立つことが多い。」
と述べている。
我々は、「不安」は、嫌なもの、あってはならないもの、自分の力を妨げるものとして、それをいかにして排除すべきかについてのみ考えすぎてはいないだろうか。
「不安が本当の自分に直面させる」という側面を忘れて、ただ取り除こうとすれば、「不安」大きく抵抗し、あなたの中でさらに力を増すかもしれない。
確かに、「不安というのは緩慢に人の心を萎えさせていく働きを持つ」けれども、「不安は人間を支えていく大事な力である」(五木寛之(同))、そんなふうに考えていくべきだと思う。
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このことは、「マイナスの感情がよくないということではなく、それをどう活かしていけば良いのかという考え方をもつことが重要である」ことを教えてくれる。
ここでは、「不安」について考えてみよう。
試合前に不安になったことがないという人はいないだろう(ターミネーターは別だ!)。
なんとも不思議なものである。
好きで始めたテニスで、自分の力がもっとも発揮される最高の晴れの舞台である試合を前に不安になる。
なぜか考えてみた人も多いだろう。
五木寛之(「不安の力」集英社)は、
「不安とは、電車を動かすモーターに流れる電力のようなものだと、いつからかそう思うようになってきたのです。不安は生命の母だと感じる。それは、いいとか、わるいとか、取りのぞきたいというようなものではない。
不安は、いつもそこにあるのです。人は不安とともに生まれ、不安を友として生きていく。不安を追いだすことはできない。不安は決してなくならない。しかし、不安を敵とみなすか、それをあるがままに友として受け入れるかには、大きなちがいがあるはずです。
自分の顔に眉があり、鼻があり、口があるように、人には不安というものがある。不安を排除しようと思えば思うほど、不安は大きくなってくるはずです。
不安のない人生などというものはありません。人は一生、不安とともに生きていくのです。そのことに納得がいくようになってきてから、ぼくはずいぶん生きかたが変わったような気がしています。」
と言っている。
また、生月誠(「不安の心理学」講談社現代新書)は、
「不安と人間の本質との関係については、二つの意見がある。
①不安は、本当の自分に直面する場合に起こる反応である。不安を感じるのは、本当の自分がわかりかけている証拠である。不安こそ、人間の本質に迫る王道である。
②不安は技能や能力を発揮するのを妨げる。人間の本当の豊かさは、不安を解消することによって初めて実現可能となる。
哲学者ハイデガーは、『存在と時間』で、「恐怖は、恐いものに直面して、それを避けようとするときの心境であるが、不安は、自分が慣れ親しんでいる日常的なあり方を不可能にし、自分自身の本来的なあり方に直面させる」と述べている。
また、哲学者メルロ=ポンティは、その著書『知覚の現象学』の中で、「自己を認識するのは、ただ脅かされた場合の限界状況においてだけ、たとえば、死の不安とか、私に対する他者のまなざしの不安とかにおいてのみである」と述べ、いずれも、不安が本当の自分に直面させることを強調している。
一方、不安を訴える人の相談、指導に当たっているカウンセラーは、少なくとも、カウンセリングの場では、②の立場に立つことが多い。」
と述べている。
我々は、「不安」は、嫌なもの、あってはならないもの、自分の力を妨げるものとして、それをいかにして排除すべきかについてのみ考えすぎてはいないだろうか。
「不安が本当の自分に直面させる」という側面を忘れて、ただ取り除こうとすれば、「不安」大きく抵抗し、あなたの中でさらに力を増すかもしれない。
確かに、「不安というのは緩慢に人の心を萎えさせていく働きを持つ」けれども、「不安は人間を支えていく大事な力である」(五木寛之(同))、そんなふうに考えていくべきだと思う。
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2007年10月09日
マイナスの心理を生かす(1018)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -58-
本当に強い人、本当の強さを手に入れた人は、屈強な精神力の持ち主であると思われるかもしれないが、実際はそうではない。
恐れや不安などの感情など一切持たず、自らの目標達成のためにひたすら前進する人(ターミネーターみたいな人かな?)などいやしない。
嶋田出雲は、「大冒険家、大登山家、大監督、大選手、勝負師は、一般に、「貪欲」「欲張り」でより高い所へ昇りたい、また何でも吸収したいと望む。一方、彼らは「小心」「心配症」「臆病」で「完璧主義者」で、それをバネにして頑張っている。というのは、彼らは、勝負の怖さを知っており、責任転嫁は許されない。また、言い訳の通じない結果責任(accountability)の世界であることを自覚している。そのため、人一倍の「不安感」「恐怖心」「不足感」を持ち、また、失敗した時の痛みを忘れない。この場面の時はこうした、あの時はこうであった、いろいろな場面、状況を明確に、しっかり記憶している。つまり、彼らは「恐い場面」を体験しているから失敗を恐れる。この痛みを憶えていると憶えていないでは大きな違いである。そのため、大監督、大選手は不安と期待が交錯する中で、成功あるいは勝利を得るために、人一倍の努力と多くを準備する。また人は恐い場面と遭遇して、頑張る意欲、勇気が湧き、自分が自信、確信が得られるまで徹底する。つまり、これは安全性確保のための集中力を得るためである。つまり、トップ・プレーヤーの多くは、この自覚があってはじめて練習に打ち込める。」と言っている。
自信を持って取り組んでいる心理の裏には、不安や恐怖などのマイナスの感情をうまく活かしているということである。
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本当に強い人、本当の強さを手に入れた人は、屈強な精神力の持ち主であると思われるかもしれないが、実際はそうではない。
恐れや不安などの感情など一切持たず、自らの目標達成のためにひたすら前進する人(ターミネーターみたいな人かな?)などいやしない。
嶋田出雲は、「大冒険家、大登山家、大監督、大選手、勝負師は、一般に、「貪欲」「欲張り」でより高い所へ昇りたい、また何でも吸収したいと望む。一方、彼らは「小心」「心配症」「臆病」で「完璧主義者」で、それをバネにして頑張っている。というのは、彼らは、勝負の怖さを知っており、責任転嫁は許されない。また、言い訳の通じない結果責任(accountability)の世界であることを自覚している。そのため、人一倍の「不安感」「恐怖心」「不足感」を持ち、また、失敗した時の痛みを忘れない。この場面の時はこうした、あの時はこうであった、いろいろな場面、状況を明確に、しっかり記憶している。つまり、彼らは「恐い場面」を体験しているから失敗を恐れる。この痛みを憶えていると憶えていないでは大きな違いである。そのため、大監督、大選手は不安と期待が交錯する中で、成功あるいは勝利を得るために、人一倍の努力と多くを準備する。また人は恐い場面と遭遇して、頑張る意欲、勇気が湧き、自分が自信、確信が得られるまで徹底する。つまり、これは安全性確保のための集中力を得るためである。つまり、トップ・プレーヤーの多くは、この自覚があってはじめて練習に打ち込める。」と言っている。
自信を持って取り組んでいる心理の裏には、不安や恐怖などのマイナスの感情をうまく活かしているということである。
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2007年10月07日
ただプライドを持って取り組む(1016)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -57-
確かに、悲しみや苦しみから立ち上がってきた人は、立ち上がるたびに自分の「弱さを自覚」しつつ、「強さ」を身につけてくる。
しかし、打ちのめされた時には自信が揺らぎ、誰かにすがりたくなるような気持ちになることも多い。
そんなときは本当にどうしていいのかわからなくて、苦しくて苦しくて仕方ないのだが、残念ながらだれも助けることなどできない。
そのために「コーチという存在」があるのではないかといわれるかもしれない。
しかし、コーチは選手と同じ方向を向き、その方向に向かって一緒に歩くためにいる。
助けを求める気持ちは、コーチと向き合ってしまうことだ。
これでは、一緒には進めない。
自分の力で向きを変えなくては、進めないのである。
私に何かしらの救いを求める声もたまにはある。
私は、そのような気持ちは十分に理解できるし、できれば私の力で何とかしてあげたいとは思うのであるが、それほどの力があるわけではない。
私は、そんな時、こんな話をすることがあった。
「私は、Vフランクルの「夜と霧」という本にとても影響を受けました。ドイツの収容所では、人間の尊厳や希望が根こそぎ奪われていきます。でも、自分に尊厳を持って生き抜いた人がいます。もし、その人たちが収容所での事実に目をそむけ、否定し続けていたなら、自分のプライドや希望が失われていくことに耐えられなかったと思います。そうではない、そうではない、と言い続け、でも事実は変わらないとき、そしてそれを受け入れらないとき、人間は心底絶望するのではないでしょうか。そうなると人間は生きてはいけないのかもしれません。私は、そのような経験をしてきたわけではないのでえらそうなことはいえませんが、チャンピオンになれないという事実は否応なくそこにはあります(もちろんそうなることもあります)。そんなはずはない、そんなはずはない、と言い続けて、それを否定し続けているうちに希望が薄くなっていることは感じるはずです。それが、テニスが何となく楽しくないという感覚につながっていくのではないでしょうか。しかし、その事実を認めてもなお、プライドを持って練習に取り組むことができる人がいるのも事実です。その人たちは、事実を受け入れ、そしてその先にある人間の本当のプライドに気づき、何をもってしても崩されない自己が確立されているのです。そうなったとき、あなたは本当に輝くのではないのですか?何ものにも捉われず、ただテニスに取り組んでいく、そんな姿の中に人間の本当のプライドが見えてくると信じます。なんか難しいことを書いているようですが、強くなるために、ただプライドを持って取り組むことがとても大切だと思います。」
「どうしようもない事実を受け入れてもなお、ただプライドを持って取り組む」
ということがどういうことなのかを文章で伝えるのは難しいが、そういう気持ちになれたとき、人間は本当の「強さ」を手に入れると思う。
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確かに、悲しみや苦しみから立ち上がってきた人は、立ち上がるたびに自分の「弱さを自覚」しつつ、「強さ」を身につけてくる。
しかし、打ちのめされた時には自信が揺らぎ、誰かにすがりたくなるような気持ちになることも多い。
そんなときは本当にどうしていいのかわからなくて、苦しくて苦しくて仕方ないのだが、残念ながらだれも助けることなどできない。
そのために「コーチという存在」があるのではないかといわれるかもしれない。
しかし、コーチは選手と同じ方向を向き、その方向に向かって一緒に歩くためにいる。
助けを求める気持ちは、コーチと向き合ってしまうことだ。
これでは、一緒には進めない。
自分の力で向きを変えなくては、進めないのである。
私に何かしらの救いを求める声もたまにはある。
私は、そのような気持ちは十分に理解できるし、できれば私の力で何とかしてあげたいとは思うのであるが、それほどの力があるわけではない。
私は、そんな時、こんな話をすることがあった。
「私は、Vフランクルの「夜と霧」という本にとても影響を受けました。ドイツの収容所では、人間の尊厳や希望が根こそぎ奪われていきます。でも、自分に尊厳を持って生き抜いた人がいます。もし、その人たちが収容所での事実に目をそむけ、否定し続けていたなら、自分のプライドや希望が失われていくことに耐えられなかったと思います。そうではない、そうではない、と言い続け、でも事実は変わらないとき、そしてそれを受け入れらないとき、人間は心底絶望するのではないでしょうか。そうなると人間は生きてはいけないのかもしれません。私は、そのような経験をしてきたわけではないのでえらそうなことはいえませんが、チャンピオンになれないという事実は否応なくそこにはあります(もちろんそうなることもあります)。そんなはずはない、そんなはずはない、と言い続けて、それを否定し続けているうちに希望が薄くなっていることは感じるはずです。それが、テニスが何となく楽しくないという感覚につながっていくのではないでしょうか。しかし、その事実を認めてもなお、プライドを持って練習に取り組むことができる人がいるのも事実です。その人たちは、事実を受け入れ、そしてその先にある人間の本当のプライドに気づき、何をもってしても崩されない自己が確立されているのです。そうなったとき、あなたは本当に輝くのではないのですか?何ものにも捉われず、ただテニスに取り組んでいく、そんな姿の中に人間の本当のプライドが見えてくると信じます。なんか難しいことを書いているようですが、強くなるために、ただプライドを持って取り組むことがとても大切だと思います。」
「どうしようもない事実を受け入れてもなお、ただプライドを持って取り組む」
ということがどういうことなのかを文章で伝えるのは難しいが、そういう気持ちになれたとき、人間は本当の「強さ」を手に入れると思う。
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2007年10月05日
自己確信できる(1014)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -56-
多くの敗戦を経験し、テニスを辞めたくなるような思いを振り払ってがんばってきた人は、自己確信できるようになる。
それは、自信がつくということではない。
自分という「弱き存在」を自覚することだ。
嶋田出雲(「スポーツに強くなる法」不味堂)は、「自覚の力」として次のように述べている。
「人間はすべてに不完全であり、欠陥だらけの者で、そして、不純な世界に生きている。決して強い者ではないことをまず自覚する。「人間は考える葦である」とパスカルが言っているように、人間は「弱いもの」「傷つきやすいもの」で、自分を守るために心身を鍛えなければならない。しかし、人間は自分の身の丈を忘れ、身の程を考えずに行動する傾向がある。また、人間は人を傷つけ、人と争い、人の言葉にだまされやすい「愚かなる者」である。だから人間は楽をしたいと愚かな行動を繰り返す。また、人間は失敗して、失恋して、挫折して原点に戻り、一からやり直して育んでいく。だから、人間は成功経験よりも失敗経験から多くのことを学ぶものである。スケートやスキーの上達過程に見られるように、人は転んで転んで、失敗して失敗して、傷ついて傷ついて、悩んで苦しんで成長していくのである。また、人間は頭からふけ、目から目糞、耳から耳糞、鼻から鼻糞、口から痰、身体からあか、下から大と小の便を排泄する汚い者で、風呂に入り清潔、綺麗にする必要がある。そして、人間はパチンコ玉のように弾かれて弾かれて、また、雑草のように踏まれて踏まれて育つ。そのため、人間は強くなりたい、美しくなりたい、楽しみたい、自由になりたい、人より卓越したい、力量を高めたい、目立ちたい、輝きたい、立派になりたいと願い、その実現のために、努力し、苦しみ、悩み、勉強し、練習し、トレーニングして自己を鍛練、修業するのである。これらは人間が生きている証拠であり、人間は「悩むパワー」が必要である。人間が普通に生きていくということは容易なことではない。要するに、「弱さを知ることが強さ」につながる。つまり、人間は「知る」ことによって自由になれるということである。もし知らなければ何もできないのである。人間はこれらと向かい合って生きていかねばならないと自覚する必要がある。」
ということである。
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多くの敗戦を経験し、テニスを辞めたくなるような思いを振り払ってがんばってきた人は、自己確信できるようになる。
それは、自信がつくということではない。
自分という「弱き存在」を自覚することだ。
嶋田出雲(「スポーツに強くなる法」不味堂)は、「自覚の力」として次のように述べている。
「人間はすべてに不完全であり、欠陥だらけの者で、そして、不純な世界に生きている。決して強い者ではないことをまず自覚する。「人間は考える葦である」とパスカルが言っているように、人間は「弱いもの」「傷つきやすいもの」で、自分を守るために心身を鍛えなければならない。しかし、人間は自分の身の丈を忘れ、身の程を考えずに行動する傾向がある。また、人間は人を傷つけ、人と争い、人の言葉にだまされやすい「愚かなる者」である。だから人間は楽をしたいと愚かな行動を繰り返す。また、人間は失敗して、失恋して、挫折して原点に戻り、一からやり直して育んでいく。だから、人間は成功経験よりも失敗経験から多くのことを学ぶものである。スケートやスキーの上達過程に見られるように、人は転んで転んで、失敗して失敗して、傷ついて傷ついて、悩んで苦しんで成長していくのである。また、人間は頭からふけ、目から目糞、耳から耳糞、鼻から鼻糞、口から痰、身体からあか、下から大と小の便を排泄する汚い者で、風呂に入り清潔、綺麗にする必要がある。そして、人間はパチンコ玉のように弾かれて弾かれて、また、雑草のように踏まれて踏まれて育つ。そのため、人間は強くなりたい、美しくなりたい、楽しみたい、自由になりたい、人より卓越したい、力量を高めたい、目立ちたい、輝きたい、立派になりたいと願い、その実現のために、努力し、苦しみ、悩み、勉強し、練習し、トレーニングして自己を鍛練、修業するのである。これらは人間が生きている証拠であり、人間は「悩むパワー」が必要である。人間が普通に生きていくということは容易なことではない。要するに、「弱さを知ることが強さ」につながる。つまり、人間は「知る」ことによって自由になれるということである。もし知らなければ何もできないのである。人間はこれらと向かい合って生きていかねばならないと自覚する必要がある。」
ということである。
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2007年10月03日
敗戦から学ぶ(1012)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -55-
高いレベルの選手を目指す方はもうすでに計画を実行されているにちがいない。
しかし、いくらしっかりと計画を立ててもすべてがうまくいくとは限らない。
計画が間違っていることもあるだろうし、成長のタイミングが思い通りにいかないこともある。
だから、目標とする試合で負けることも多い。
しかし、真に強くなるものは、この敗戦を次のステップにできるということを忘れないでほしい。
「敗戦から学ぶ」ことができれば、次の計画を立てることにも大いに役立つ。
では、敗戦から何を学べばよいのだろうか。
負けることで、自分に足りないことや変えていかなくてはならないことが明確になる。
また、悔しい思いを持ち続けることで苦しい練習に耐えるモチベーションも高まるはずだす。
そう考えれば、「敗戦から学ぶ」ことがいかに大切であり、そこに成長のための大きなきっかけがあることがわかる。
しかし、「敗戦から学ぶ」ためには「2つの条件」がある。
ひとつは、この試合までにはこの課題を克服するとか、対戦相手を想定して戦術を立てながら練習するとか、明確な目標に向けて「ひたむきに努力すること」ができていたかどうか、ということだ。
意識を高く持って試合の臨むことができなくては、敗戦から何かを学び取ることはできない。
もうひとつは、「心の底から悔しいと思う」ことだ。
勝負に賭ける気持ちが強ければ強いほど、負けたときの悔しさは大きいものだ。
気持ちが高まっての敗戦は、冷静に物事を考えるまでに時間がかかるだろうし、場合によってはテニスを辞めてしまうかもしれない。
これはつらいことではあるが、それくらいの悔しい思いを持てなくては強くはなれないということだ。
私は、敗戦によってテニスに対する情熱をなくしてしまった選手やテニスをやめていった選手を何人も見てきた。
そんな選手を見るとき、冷静を装ってはみても私の心は大きく動揺する。
そこまで追い込まなくても良かったのではないか、と自問することもある。
なにも悲しむのは選手だけではない。
「強く思えば、強く悲しむ」、これは表裏一体ではあるが、どこまで求めるのかは、結局自分で決めるしかない。
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高いレベルの選手を目指す方はもうすでに計画を実行されているにちがいない。
しかし、いくらしっかりと計画を立ててもすべてがうまくいくとは限らない。
計画が間違っていることもあるだろうし、成長のタイミングが思い通りにいかないこともある。
だから、目標とする試合で負けることも多い。
しかし、真に強くなるものは、この敗戦を次のステップにできるということを忘れないでほしい。
「敗戦から学ぶ」ことができれば、次の計画を立てることにも大いに役立つ。
では、敗戦から何を学べばよいのだろうか。
負けることで、自分に足りないことや変えていかなくてはならないことが明確になる。
また、悔しい思いを持ち続けることで苦しい練習に耐えるモチベーションも高まるはずだす。
そう考えれば、「敗戦から学ぶ」ことがいかに大切であり、そこに成長のための大きなきっかけがあることがわかる。
しかし、「敗戦から学ぶ」ためには「2つの条件」がある。
ひとつは、この試合までにはこの課題を克服するとか、対戦相手を想定して戦術を立てながら練習するとか、明確な目標に向けて「ひたむきに努力すること」ができていたかどうか、ということだ。
意識を高く持って試合の臨むことができなくては、敗戦から何かを学び取ることはできない。
もうひとつは、「心の底から悔しいと思う」ことだ。
勝負に賭ける気持ちが強ければ強いほど、負けたときの悔しさは大きいものだ。
気持ちが高まっての敗戦は、冷静に物事を考えるまでに時間がかかるだろうし、場合によってはテニスを辞めてしまうかもしれない。
これはつらいことではあるが、それくらいの悔しい思いを持てなくては強くはなれないということだ。
私は、敗戦によってテニスに対する情熱をなくしてしまった選手やテニスをやめていった選手を何人も見てきた。
そんな選手を見るとき、冷静を装ってはみても私の心は大きく動揺する。
そこまで追い込まなくても良かったのではないか、と自問することもある。
なにも悲しむのは選手だけではない。
「強く思えば、強く悲しむ」、これは表裏一体ではあるが、どこまで求めるのかは、結局自分で決めるしかない。
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2007年09月30日
計画を実行することで得られるもの(1009)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -54-
もちろん、計画どおりに実行しても目標を手に入れることができるとは限らないが、目標を達成できなければ、計画を実行したことは無駄になってしまうのかというとそうではない。
その計画を徹底的にやり通したということで「自信」と「プライド」を高めていくのである。
S.ロバーツ(「グズ病が完全に治る本」三笠書房)は、「プライドとは、自分には能力も価値もやる気もあるのだと、自分に向かって宣言することだ。」と言っている。
計画を実行することで、きっと「自信」と「プライド」を手に入れることができる。
それを手に入れることができれば人生はきっとうまくいく、間違いない!
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もちろん、計画どおりに実行しても目標を手に入れることができるとは限らないが、目標を達成できなければ、計画を実行したことは無駄になってしまうのかというとそうではない。
その計画を徹底的にやり通したということで「自信」と「プライド」を高めていくのである。
S.ロバーツ(「グズ病が完全に治る本」三笠書房)は、「プライドとは、自分には能力も価値もやる気もあるのだと、自分に向かって宣言することだ。」と言っている。
計画を実行することで、きっと「自信」と「プライド」を手に入れることができる。
それを手に入れることができれば人生はきっとうまくいく、間違いない!
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2007年09月28日
決断を迫られるとき(1007)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -53-
計画を実行し、力をつけてくると大きな目標を掲げるようになる。
さらに上を目指すには、練習やトレーニング内容の修正も必要であるし、コーチやクラブを変えることも考えなくてはならない。
すべては計画にもとづいて遂行されるものだ。
その計画を遂行するには、大きな決断を迫られるときもある。
高いレベルを目指すのであれば、進学をどうするのかという問題まで考えなくてはならない。
松島徹のサイトに、不田涼子プロのインタビューが載っていたので紹介しよう。
「プロになる事を選んだ理由は、誰でもプロにはなれるけれど自分は世界で通用するようなプロになりたかったから、そうなる為には学校に行っている時間がもったいなく思えてきたんです。ジュニアの頃から世界を回っていて、自分にとって必要な勉強は、英会話と経済観念だと言う事が分かったからです。英語の日常会話はほぼ大丈夫なので、あとは、科学や物理の授業をボーと受けているより、もし時間があればスペイン語やフランス語などの語学を勉強した方が私にとっては価値があると思ったからです。それに、なにより昼間に練習出来ると言う事が大きいです。毎日ゆっくりと集中した練習ができるしトレーニングもきっちりできる。その事が将来に向けて理想の体を作って行く事ができるからです。」
大変強い決意を持ってプロの道に進み、目標に向けてしっかりとした計画が立てられていることがわかる。
これが「強くなる」ために必要な法則なのだ。
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計画を実行し、力をつけてくると大きな目標を掲げるようになる。
さらに上を目指すには、練習やトレーニング内容の修正も必要であるし、コーチやクラブを変えることも考えなくてはならない。
すべては計画にもとづいて遂行されるものだ。
その計画を遂行するには、大きな決断を迫られるときもある。
高いレベルを目指すのであれば、進学をどうするのかという問題まで考えなくてはならない。
松島徹のサイトに、不田涼子プロのインタビューが載っていたので紹介しよう。
「プロになる事を選んだ理由は、誰でもプロにはなれるけれど自分は世界で通用するようなプロになりたかったから、そうなる為には学校に行っている時間がもったいなく思えてきたんです。ジュニアの頃から世界を回っていて、自分にとって必要な勉強は、英会話と経済観念だと言う事が分かったからです。英語の日常会話はほぼ大丈夫なので、あとは、科学や物理の授業をボーと受けているより、もし時間があればスペイン語やフランス語などの語学を勉強した方が私にとっては価値があると思ったからです。それに、なにより昼間に練習出来ると言う事が大きいです。毎日ゆっくりと集中した練習ができるしトレーニングもきっちりできる。その事が将来に向けて理想の体を作って行く事ができるからです。」
大変強い決意を持ってプロの道に進み、目標に向けてしっかりとした計画が立てられていることがわかる。
これが「強くなる」ために必要な法則なのだ。
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2007年09月26日
計画を修正する(1005)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -52-
計画は「柔軟性」を持っていなくてはならない。
基本的には、高みの方向に向かって修正することが大切であるが、場合によっては、下方修正することによってうまく計画が実行される場合もある。
ひとつのことを決めて、とことん打ち込むことが大切だというのはわかるが、人間は本当に「弱い生き物」である(もちろん私自身も大変弱い人間である)。
だから、できるだけ、弱音を吐いてもいいように、多少の「言い訳」は許してもらえるように計画することが必要であると言いたいのである。
どれくらいの周期で計画を見直すのが良いのかというと、あまり期間を空けすぎず、だからといってあまり頻繁に修正するのも困る、というところから考えて1ヶ月ごとに計画を見直すのが適当であると考える。
ジュニアに関しては、先に述べたように3月頃に大きな大会の予選が始まるので、1月、2月、3月の計画を作っておくのが良いだろう。
はじめの1ヶ月だけの計画を作っておいて、修正時期に新たに計画を作るのではなくて、あらかじめ3ヶ月分の計画を作っておいて、修正時期にその計画を見直すようにしたい。
そうすることで、はじめに計画を立てたときの自分と、今その時点にいる自分との意識の違いも確認できるからである。
はじめはあまり自信がなくて、低い目標の計画を立てたが、1ヶ月経って、計画以上に実行できたとすれば、次の1ヶ月の目標は意欲的に上方修正できるだろうし、計画どおりにできなかった場合には、次の1ヶ月は必ず実行できるような目標を立てることで、挑戦する意欲を再び駆り立てることができるようになるかもしれない。
人間は、自分の弱さを知らされた(この場合は、計画どおりに実行できなかった)とき、意欲を駆り立てるきっかけになることも多い。
だからこそ、適当な時期での修正が必要なのである。
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計画は「柔軟性」を持っていなくてはならない。
基本的には、高みの方向に向かって修正することが大切であるが、場合によっては、下方修正することによってうまく計画が実行される場合もある。
ひとつのことを決めて、とことん打ち込むことが大切だというのはわかるが、人間は本当に「弱い生き物」である(もちろん私自身も大変弱い人間である)。
だから、できるだけ、弱音を吐いてもいいように、多少の「言い訳」は許してもらえるように計画することが必要であると言いたいのである。
どれくらいの周期で計画を見直すのが良いのかというと、あまり期間を空けすぎず、だからといってあまり頻繁に修正するのも困る、というところから考えて1ヶ月ごとに計画を見直すのが適当であると考える。
ジュニアに関しては、先に述べたように3月頃に大きな大会の予選が始まるので、1月、2月、3月の計画を作っておくのが良いだろう。
はじめの1ヶ月だけの計画を作っておいて、修正時期に新たに計画を作るのではなくて、あらかじめ3ヶ月分の計画を作っておいて、修正時期にその計画を見直すようにしたい。
そうすることで、はじめに計画を立てたときの自分と、今その時点にいる自分との意識の違いも確認できるからである。
はじめはあまり自信がなくて、低い目標の計画を立てたが、1ヶ月経って、計画以上に実行できたとすれば、次の1ヶ月の目標は意欲的に上方修正できるだろうし、計画どおりにできなかった場合には、次の1ヶ月は必ず実行できるような目標を立てることで、挑戦する意欲を再び駆り立てることができるようになるかもしれない。
人間は、自分の弱さを知らされた(この場合は、計画どおりに実行できなかった)とき、意欲を駆り立てるきっかけになることも多い。
だからこそ、適当な時期での修正が必要なのである。
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2007年09月22日
宣言する(1002)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -51-
このような計画ができたのであれば、できるだけ多くの人に知ってもらうのが良い。
そうすることで、ますます「言い訳」できなくなるように自分を追い込むことができるからだ。
よく、「恥ずかしいから」と言って、なにも公言できない人がいるが、自信がなくて、いつかは「言い訳」に支配されてしまう可能性は高い。
そうならないためにも、ちょっとの勇気を持って高らかに宣言してほしい。
私が指導する子どもたちには自分の計画をみんなの前で宣言してもらった。
そして、子どもたちに「これは強くなるための計画だ。自分で宣言したのだから必ずやり続けなくてはならない。もし、それが途中でやりきれないことがあれば、それは目標を手に入れることを断念することだ。そう覚悟して取り組んでほしい」と強く言った。
どれくらいがんばるのかはわからないが、子供たちのがんばりを信じたいと思う。
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このような計画ができたのであれば、できるだけ多くの人に知ってもらうのが良い。
そうすることで、ますます「言い訳」できなくなるように自分を追い込むことができるからだ。
よく、「恥ずかしいから」と言って、なにも公言できない人がいるが、自信がなくて、いつかは「言い訳」に支配されてしまう可能性は高い。
そうならないためにも、ちょっとの勇気を持って高らかに宣言してほしい。
私が指導する子どもたちには自分の計画をみんなの前で宣言してもらった。
そして、子どもたちに「これは強くなるための計画だ。自分で宣言したのだから必ずやり続けなくてはならない。もし、それが途中でやりきれないことがあれば、それは目標を手に入れることを断念することだ。そう覚悟して取り組んでほしい」と強く言った。
どれくらいがんばるのかはわからないが、子供たちのがんばりを信じたいと思う。
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2007年09月17日
課題克服のための具体的な計画を作る(999)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -50-
さて、課題がうまく整理できたら、次はそれを克服するための具体的な計画を作ってみよう。
もちろん、根本的な課題を克服することから取り組んでいかなくてはならない。
次に書いてあるのは、ある選手の計画である。
・体重を落とすためにランニングする
・体力強化のために腹筋をする
・フォアのスイングを安定させるために素振りをする
この計画はごくあたりまえの計画であり、特に問題があるとは思えないかも知れないが、具体的な数値目標がないので実行される確率は低い。
「3日前にランニングしたから今日はいいや」
「疲れているときに腹筋しても効果ないから今日はやめだ」
「んっ、素振り?5回ぐらいはやったよ」
という「言い訳」もしやすい。
多分、多くの方が「ちっ、痛いところを突かれたな」という思いと自責の念が交錯していることだろう。
私は、このような「言い訳」をものすごくたくさんした経験がある(皆さんも絶対にあるはずだ!)。
しかし、良く考えてみれば、このような計画は、具体的な数値目標がないので「言い訳」に付け入る隙を与えている。
つまりは、計画そのものに問題があるのであって、私自身に問題はなかったのである(ほっ、よかった)。
では、「言い訳」に付け入る隙を与えない計画づくりとはどのようなものであろうか。
それは、上のような計画に対して、
・体重を落とすためにランニングする
→毎日10キロ走る
・体力強化のために腹筋をする
→毎日腹筋を200回する
・フォアのスイングを安定させるために素振りをする
→フォアの素振りを毎日300回する
などの具体的な数値目標を立てて計画を作ることだ。
こうすれば、「言い訳」に付け入る隙を与えない素晴らしい計画ができあがる、っと言いたいところであるが、この計画も注意しなければ、三日坊主で終わる。
最初の3日くらいは、気合も入っているし、掲げた目標もしっかりと自覚できているのでモチベーションも高く、これくらいの内容はきっとこなせるだろう。
しかし、人間は弱いものだ。
その意識レベルは日ごとに低下していき、3日後には、「まあいいか」という「言い訳」に支配されている。
だから三日坊主という(私なら、この計画は1日坊主で終わる。場合によっては、0日坊主かも)。
もちろん、高い意識レベルを維持して、継続的に計画を実行できる人もいるだろう。
きっと目標を手に入れる可能性は高い。そのままがんばっていただきたい。
でも、そうではない多くの方(私を含めて)は、もう一度良く考えてみてほしい。
頭の中で、何度もその計画を実行している姿を思い浮かべてみよう。
明日の自分、あさっての自分、1週間後の自分、1ヵ月後の自分、3ヵ月後の自分、そこまで思い浮かべてみて、それでも実行する自信があるのなら、この計画はあなたにとっては素晴らしい計画になるはずだ。
もし、自信がなくなっていくようであれば、もっと低い行動計画に修正したほうが良い。
ここで、私なみに意志が弱く、実行力が乏しい方であれば、この計画は、
・毎日10キロ走る
→3日に1度、5キロは走る
・毎日腹筋を200回する
→毎日腹筋を50回はする
・フォアの素振りを毎日300回する
→フォアの素振りを毎日50回はする
というように修正される(私より意志の弱い方は、もっと低い目標になる)。
ここでもっとも大切なことは、自分が「絶対に達成できる目標」を挙げることだ。
毎日10回は腹筋をするという計画を立てたとしよう。
1日10回と聞くとたいしたことなさそうであるが、1ヶ月続ければ300回になるし、3ヶ月続けば、なんと900回腹筋をすることになる。
たとえやるべきことが少なくても、それを毎日続けることで、今よりも目標に近づくことは間違いない。
また、ここに挙げた計画の「みそ」は、「・・・は」の「は」である。
自分が「絶対に達成できる目標」をあげることがもっとも大切で、それは絶対にやり遂げなければならないのだが、それ以上を目指して、自分を高める意欲は時として湧いてくるものだ。
その時に、回数を限定していると、それに捉われて、その回数を超えることに対する挑戦を制限してしまう。
自分をさらに高める機会を失ってしまうことにもつながっていく。
これも私が言うところの「目標の弊害」のひとつである。
だからこそ、良い計画は必ずある程度の「柔軟性」を備えていなくてはならない。
このような計画を作ることで、「言い訳」の付け入る隙は少なくなっていくはずである。
そこまでしても、なおかつ付け入ろうとする「言い訳」はかなりの強者である。
いきなり戦いを挑んでは、敗戦は目に見えている。
少しずつ基礎体力をつけて、戦うことができるまでにじっくりと待つしかない。
つまり、できるだけ低い目標を達成しながら、ステップアップできるような計画を準備しなければならない、ということだ。
皆さんが、言い訳野郎に屈することなく、計画を確実に実行し、目標に近づくことができるように祈るばかりである。
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さて、課題がうまく整理できたら、次はそれを克服するための具体的な計画を作ってみよう。
もちろん、根本的な課題を克服することから取り組んでいかなくてはならない。
次に書いてあるのは、ある選手の計画である。
・体重を落とすためにランニングする
・体力強化のために腹筋をする
・フォアのスイングを安定させるために素振りをする
この計画はごくあたりまえの計画であり、特に問題があるとは思えないかも知れないが、具体的な数値目標がないので実行される確率は低い。
「3日前にランニングしたから今日はいいや」
「疲れているときに腹筋しても効果ないから今日はやめだ」
「んっ、素振り?5回ぐらいはやったよ」
という「言い訳」もしやすい。
多分、多くの方が「ちっ、痛いところを突かれたな」という思いと自責の念が交錯していることだろう。
私は、このような「言い訳」をものすごくたくさんした経験がある(皆さんも絶対にあるはずだ!)。
しかし、良く考えてみれば、このような計画は、具体的な数値目標がないので「言い訳」に付け入る隙を与えている。
つまりは、計画そのものに問題があるのであって、私自身に問題はなかったのである(ほっ、よかった)。
では、「言い訳」に付け入る隙を与えない計画づくりとはどのようなものであろうか。
それは、上のような計画に対して、
・体重を落とすためにランニングする
→毎日10キロ走る
・体力強化のために腹筋をする
→毎日腹筋を200回する
・フォアのスイングを安定させるために素振りをする
→フォアの素振りを毎日300回する
などの具体的な数値目標を立てて計画を作ることだ。
こうすれば、「言い訳」に付け入る隙を与えない素晴らしい計画ができあがる、っと言いたいところであるが、この計画も注意しなければ、三日坊主で終わる。
最初の3日くらいは、気合も入っているし、掲げた目標もしっかりと自覚できているのでモチベーションも高く、これくらいの内容はきっとこなせるだろう。
しかし、人間は弱いものだ。
その意識レベルは日ごとに低下していき、3日後には、「まあいいか」という「言い訳」に支配されている。
だから三日坊主という(私なら、この計画は1日坊主で終わる。場合によっては、0日坊主かも)。
もちろん、高い意識レベルを維持して、継続的に計画を実行できる人もいるだろう。
きっと目標を手に入れる可能性は高い。そのままがんばっていただきたい。
でも、そうではない多くの方(私を含めて)は、もう一度良く考えてみてほしい。
頭の中で、何度もその計画を実行している姿を思い浮かべてみよう。
明日の自分、あさっての自分、1週間後の自分、1ヵ月後の自分、3ヵ月後の自分、そこまで思い浮かべてみて、それでも実行する自信があるのなら、この計画はあなたにとっては素晴らしい計画になるはずだ。
もし、自信がなくなっていくようであれば、もっと低い行動計画に修正したほうが良い。
ここで、私なみに意志が弱く、実行力が乏しい方であれば、この計画は、
・毎日10キロ走る
→3日に1度、5キロは走る
・毎日腹筋を200回する
→毎日腹筋を50回はする
・フォアの素振りを毎日300回する
→フォアの素振りを毎日50回はする
というように修正される(私より意志の弱い方は、もっと低い目標になる)。
ここでもっとも大切なことは、自分が「絶対に達成できる目標」を挙げることだ。
毎日10回は腹筋をするという計画を立てたとしよう。
1日10回と聞くとたいしたことなさそうであるが、1ヶ月続ければ300回になるし、3ヶ月続けば、なんと900回腹筋をすることになる。
たとえやるべきことが少なくても、それを毎日続けることで、今よりも目標に近づくことは間違いない。
また、ここに挙げた計画の「みそ」は、「・・・は」の「は」である。
自分が「絶対に達成できる目標」をあげることがもっとも大切で、それは絶対にやり遂げなければならないのだが、それ以上を目指して、自分を高める意欲は時として湧いてくるものだ。
その時に、回数を限定していると、それに捉われて、その回数を超えることに対する挑戦を制限してしまう。
自分をさらに高める機会を失ってしまうことにもつながっていく。
これも私が言うところの「目標の弊害」のひとつである。
だからこそ、良い計画は必ずある程度の「柔軟性」を備えていなくてはならない。
このような計画を作ることで、「言い訳」の付け入る隙は少なくなっていくはずである。
そこまでしても、なおかつ付け入ろうとする「言い訳」はかなりの強者である。
いきなり戦いを挑んでは、敗戦は目に見えている。
少しずつ基礎体力をつけて、戦うことができるまでにじっくりと待つしかない。
つまり、できるだけ低い目標を達成しながら、ステップアップできるような計画を準備しなければならない、ということだ。
皆さんが、言い訳野郎に屈することなく、計画を確実に実行し、目標に近づくことができるように祈るばかりである。
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2007年09月14日
根本の原因を探る(997)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -49-
まだ、この時点では、目標は「こうなったらいいな」という願望に過ぎない。
何もしていないのだから、このままでそれが手に入るはずもない。
テニスがもっとうまくなり、今よりも高いレベルの力をつけない限り、その目標はかなうはずがない。あたりまえの話であるが、強くなるためには自分の課題を克服しなければならないのだが、その課題があいまいであることは多い。
課題があいまいであれば、何を改善すればよいのかという、具体的な練習計画は立てようもないので、課題の克服に時間がかかることになり、目標を達成する可能性は低くなるだろう。
そうならないためにも「課題を明確にする」ことが必要だ。
自分の課題はなにかをよく考えてみよう。
フォアハンドで正確にコースを狙うためにスピンの能力をあげる、サービスでセカンドサービスの確率を上げる、体力をつける、などの課題がいくつか浮かんでくるだろう。
できるだけ、具体的に課題を書き出して、できれば自分なりに優先順位をつけて整理してみると良い。
この課題が克服されれば今よりも強くなるに決まっているのだが、この課題もただ挙げているだけでは意味は無い。
その課題がうまくいかないもっとも根本的な原因を探っていかなくてはならない(これを「根因」という)。
その課題の奥深くには、あなたが本当の意味で克服しなければならない課題が埋もれているのである。
それを探り出すのに何も特別に難しい方法があるわけではない。「どうして?」という質問を次々にぶつけていけばよいのである。
ここにひとつの例を示すので、それに従って自分の課題の根因を探っていってほしい。
「フォアハンドのワイドに振られたときに、バランスを崩し、うまくリターンできない」という課題があったとしよう(これは実際に私が指導する選手が挙げた課題であり、質問に対する答えもほぼそのとおりである)。
O「どうしてバランスを崩すのか?」
U「スタンスがうまく取れずに、体が前傾するから」
O「どうしてスタンスが取れないの?」
U「股関節が硬くて、また筋力も弱いのでふらつく」
O「どうして股関節が硬くて、筋力が弱いの?」
U「ストレッチをしていないのと、筋力の割りに体重が重い。ちょっと太りすぎかな?」
O「どうして太りすぎなの?」
U「ランニングをサボっているのと、間食が多いから」
O「どうして間食が多いの?」
U「ひまだから」
O「どうしてひまなの?」
U「………..。」
というような展開が見られる。
最後の「ひまだから」は余計なことだとして、この選手の課題の根本的な原因は、股関節が硬いことと体重オーバーであることが何となくつかめてくる。
この課題を克服するためには、股関節のストレッチと、ランニングと筋力トレーニングなどで体重を落とすことが課題克服のためにはもっとも大切なことだということがいえる。
一見、体重の増加と技術の関係というのは見落としてしまいがちではあるが、根本の原因がそこにあるとすれば、それを克服せずして、技術的な改善にいたることは少ない。
根本的な原因は、それがもっとも大きな問題であるということが意識されていない場合が多いが、このように質問を次々と投げかけていくことで明らかにされていく。
その時に、指導者の思惑どおりに答えを引き出すようなテクニックもあるのだが、そうした操作をしないでも素直に質問を投げかけていくことで、その選手のもっともおおきな問題が浮き彫りにされ、これを克服しなければその目標を達成することは難しいという強い自覚を促すこともできるようになる。
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まだ、この時点では、目標は「こうなったらいいな」という願望に過ぎない。
何もしていないのだから、このままでそれが手に入るはずもない。
テニスがもっとうまくなり、今よりも高いレベルの力をつけない限り、その目標はかなうはずがない。あたりまえの話であるが、強くなるためには自分の課題を克服しなければならないのだが、その課題があいまいであることは多い。
課題があいまいであれば、何を改善すればよいのかという、具体的な練習計画は立てようもないので、課題の克服に時間がかかることになり、目標を達成する可能性は低くなるだろう。
そうならないためにも「課題を明確にする」ことが必要だ。
自分の課題はなにかをよく考えてみよう。
フォアハンドで正確にコースを狙うためにスピンの能力をあげる、サービスでセカンドサービスの確率を上げる、体力をつける、などの課題がいくつか浮かんでくるだろう。
できるだけ、具体的に課題を書き出して、できれば自分なりに優先順位をつけて整理してみると良い。
この課題が克服されれば今よりも強くなるに決まっているのだが、この課題もただ挙げているだけでは意味は無い。
その課題がうまくいかないもっとも根本的な原因を探っていかなくてはならない(これを「根因」という)。
その課題の奥深くには、あなたが本当の意味で克服しなければならない課題が埋もれているのである。
それを探り出すのに何も特別に難しい方法があるわけではない。「どうして?」という質問を次々にぶつけていけばよいのである。
ここにひとつの例を示すので、それに従って自分の課題の根因を探っていってほしい。
「フォアハンドのワイドに振られたときに、バランスを崩し、うまくリターンできない」という課題があったとしよう(これは実際に私が指導する選手が挙げた課題であり、質問に対する答えもほぼそのとおりである)。
O「どうしてバランスを崩すのか?」
U「スタンスがうまく取れずに、体が前傾するから」
O「どうしてスタンスが取れないの?」
U「股関節が硬くて、また筋力も弱いのでふらつく」
O「どうして股関節が硬くて、筋力が弱いの?」
U「ストレッチをしていないのと、筋力の割りに体重が重い。ちょっと太りすぎかな?」
O「どうして太りすぎなの?」
U「ランニングをサボっているのと、間食が多いから」
O「どうして間食が多いの?」
U「ひまだから」
O「どうしてひまなの?」
U「………..。」
というような展開が見られる。
最後の「ひまだから」は余計なことだとして、この選手の課題の根本的な原因は、股関節が硬いことと体重オーバーであることが何となくつかめてくる。
この課題を克服するためには、股関節のストレッチと、ランニングと筋力トレーニングなどで体重を落とすことが課題克服のためにはもっとも大切なことだということがいえる。
一見、体重の増加と技術の関係というのは見落としてしまいがちではあるが、根本の原因がそこにあるとすれば、それを克服せずして、技術的な改善にいたることは少ない。
根本的な原因は、それがもっとも大きな問題であるということが意識されていない場合が多いが、このように質問を次々と投げかけていくことで明らかにされていく。
その時に、指導者の思惑どおりに答えを引き出すようなテクニックもあるのだが、そうした操作をしないでも素直に質問を投げかけていくことで、その選手のもっともおおきな問題が浮き彫りにされ、これを克服しなければその目標を達成することは難しいという強い自覚を促すこともできるようになる。
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2007年09月12日
ちょっと先の目標を掲げる(995)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -48-
実際に計画を立てて、それを実行することで目標を達成することを目指してみよう。
まずは、身近な大会(あまり近すぎても計画の立てようがないので、3ヶ月くらい先の大会などが良い)の目標を設定する。
ジュニアの選手であれば、全国大会の予選大会での目標などをあげてみるといいだろう。
「○○大会でベスト4にはいって、全国大会に出る」とか「○○大会で優勝して、全国大会に出場しベスト8にはいる」というような目標を具体的に挙げてほしい。
ここで挙げる目標は、少しがんばらないと手にいれるのは難しい目標でなければならない。
クリアするのがやさしすぎる目標でも、グランドスラムで優勝する(いきなりそんな目標挙げる奴はいるのかなあ)などという、とても今の時点では(あくまでも今の時点で)達成できない目標を立てても意味は無い。
例えば、昨年の全日本14歳以下でベスト8に入ったのであれば、今年は優勝するとか、もし16歳以下に出場するのならベスト4を目指すというように、少し(かなり)がんばらないと達成できない目標ではあるが、決して無理な目標ではないというのが望ましい。
目標を立てたのであれば、それを何にでもいいから大きく書いておくことを勧める。続く・・・。
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実際に計画を立てて、それを実行することで目標を達成することを目指してみよう。
まずは、身近な大会(あまり近すぎても計画の立てようがないので、3ヶ月くらい先の大会などが良い)の目標を設定する。
ジュニアの選手であれば、全国大会の予選大会での目標などをあげてみるといいだろう。
「○○大会でベスト4にはいって、全国大会に出る」とか「○○大会で優勝して、全国大会に出場しベスト8にはいる」というような目標を具体的に挙げてほしい。
ここで挙げる目標は、少しがんばらないと手にいれるのは難しい目標でなければならない。
クリアするのがやさしすぎる目標でも、グランドスラムで優勝する(いきなりそんな目標挙げる奴はいるのかなあ)などという、とても今の時点では(あくまでも今の時点で)達成できない目標を立てても意味は無い。
例えば、昨年の全日本14歳以下でベスト8に入ったのであれば、今年は優勝するとか、もし16歳以下に出場するのならベスト4を目指すというように、少し(かなり)がんばらないと達成できない目標ではあるが、決して無理な目標ではないというのが望ましい。
目標を立てたのであれば、それを何にでもいいから大きく書いておくことを勧める。続く・・・。
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2007年09月11日
計画がいる(994)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -47-
プロ選手になることや大きな大会で勝つことなどの大きな目標ではなくても、「地域大会で優勝する」、「全国大会に出場する」などの目標は持っているはずだ。
しかし、このような目標は掲げているだけでは意味がない、ということを前に書いた。
確かにその通りであるが、その目標を達成するために、きちんとした「計画」があるのならば「目標を設定する意味はある」、ということを今回は言いたいのである。
多くの優れたコーチは、周到な計画のもとに育成を行っている。
適切な育成計画を作るには多くの情報を必要とするが、多くの情報を持つことで、実力をつけるためにもっとも適切な計画をつくることができるようになる。
きちんとした計画にもとづいた育成を行うことは、モチベーションを高め、挑戦意欲を駆り立てるためにも大変効果的である。
もし、あなたが「全国大会に出場する」という目標を持っているならば、どのようにしてその目標を達成したらよいのであろうか。
「現在は、まだ地域大会の県予選の決勝ぐらいまでしか勝ち進むことができないので、一生懸命に練習して、まずは地域大会の出場を目指す。その後、トレーニングもしっかりして、さらに勝ち進む力をつけて全国大会に出場したい。」と思っているとしよう。
確かにそうなればよいのだが、どれくらい一生懸命に練習するのか、何を練習するのか、どんなトレーニングが必要なのかなどが具体的ではないので、計画性は乏しいといわざるを得ない。
これでは、いくらそういう思いはあっても実現することは難しい。続く・・・。
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プロ選手になることや大きな大会で勝つことなどの大きな目標ではなくても、「地域大会で優勝する」、「全国大会に出場する」などの目標は持っているはずだ。
しかし、このような目標は掲げているだけでは意味がない、ということを前に書いた。
確かにその通りであるが、その目標を達成するために、きちんとした「計画」があるのならば「目標を設定する意味はある」、ということを今回は言いたいのである。
多くの優れたコーチは、周到な計画のもとに育成を行っている。
適切な育成計画を作るには多くの情報を必要とするが、多くの情報を持つことで、実力をつけるためにもっとも適切な計画をつくることができるようになる。
きちんとした計画にもとづいた育成を行うことは、モチベーションを高め、挑戦意欲を駆り立てるためにも大変効果的である。
もし、あなたが「全国大会に出場する」という目標を持っているならば、どのようにしてその目標を達成したらよいのであろうか。
「現在は、まだ地域大会の県予選の決勝ぐらいまでしか勝ち進むことができないので、一生懸命に練習して、まずは地域大会の出場を目指す。その後、トレーニングもしっかりして、さらに勝ち進む力をつけて全国大会に出場したい。」と思っているとしよう。
確かにそうなればよいのだが、どれくらい一生懸命に練習するのか、何を練習するのか、どんなトレーニングが必要なのかなどが具体的ではないので、計画性は乏しいといわざるを得ない。
これでは、いくらそういう思いはあっても実現することは難しい。続く・・・。
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2007年09月07日
修羅場をくぐる(991)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -46-
こう考えると、やはり「経験」がもっとも大切である。
「修羅場をくぐる」とも言うが、理屈ではなく、そのような場面を何度も経験することだ。
苦しくて苦しくてどうしようもない状態を経験したものは、「先(勝つこと)を考えすぎる」ことは少ない。
「今、自分がすべきこと」に意識を向けられるようになってくる。
大きな経験をして成長した選手として、何年か前の全日本で準優勝に輝いた佐伯美穂選手のことが思い出される。
彼女は、一度は引退を決意しテニス界(選手としての)を去ったのだが、その後見事にカンバックを果たした。
じつは彼女とは15年ほど前に、アメリカのアカデミーで2ヶ月ほど一緒にいたことがある。
彼女はプロになったばかりであったが、足の故障のために、じっくりとキャンプで調整を行っていた。
ときどき調整やトレーニングを指導していたのだが、足の故障にもめげることなく、元気に練習に励んでいた姿が思い出される。
大変明るい性格で、学校にあるオブジェを使って(このアカデミーは、夏の間だけ大学の施設を使ってキャンプをする)いたずらを仕掛けられ、私はまんまとはめられたりした。
そんな彼女が突然の引退、そして復活。
なにがあったのかはよくわからないが、陽気で前向きな彼女をもってしてもテニスから離れたくなるような「もの」が「この世界」にはあるということだ。
でも、彼女のテニスを見ていると、以前に比べて迷いがないというか、確かなメンタルコントロールを身につけているようなたくましさを感じた。
テニスを辞めて、テニスの楽しさに気づく、そんな心境でテニスを「楽しんで」いるのかもしれない。
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こう考えると、やはり「経験」がもっとも大切である。
「修羅場をくぐる」とも言うが、理屈ではなく、そのような場面を何度も経験することだ。
苦しくて苦しくてどうしようもない状態を経験したものは、「先(勝つこと)を考えすぎる」ことは少ない。
「今、自分がすべきこと」に意識を向けられるようになってくる。
大きな経験をして成長した選手として、何年か前の全日本で準優勝に輝いた佐伯美穂選手のことが思い出される。
彼女は、一度は引退を決意しテニス界(選手としての)を去ったのだが、その後見事にカンバックを果たした。
じつは彼女とは15年ほど前に、アメリカのアカデミーで2ヶ月ほど一緒にいたことがある。
彼女はプロになったばかりであったが、足の故障のために、じっくりとキャンプで調整を行っていた。
ときどき調整やトレーニングを指導していたのだが、足の故障にもめげることなく、元気に練習に励んでいた姿が思い出される。
大変明るい性格で、学校にあるオブジェを使って(このアカデミーは、夏の間だけ大学の施設を使ってキャンプをする)いたずらを仕掛けられ、私はまんまとはめられたりした。
そんな彼女が突然の引退、そして復活。
なにがあったのかはよくわからないが、陽気で前向きな彼女をもってしてもテニスから離れたくなるような「もの」が「この世界」にはあるということだ。
でも、彼女のテニスを見ていると、以前に比べて迷いがないというか、確かなメンタルコントロールを身につけているようなたくましさを感じた。
テニスを辞めて、テニスの楽しさに気づく、そんな心境でテニスを「楽しんで」いるのかもしれない。
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2007年09月05日
ゲームの流れをつかむ(989)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -45-
試合には「流れ」があり、その「流れ」を変える「ターニングポイント」がある。
もちろん、誰でもその「流れ」にうまく乗りたいと思っているが、ちょっとした油断やあせり、体力的な問題や意識の変化などで相手に押し込まれることもある。
そのようなときに「勝つことばかりを考えるな」とか「先をみるな」と言い聞かせてみてもあまり効果は無いだろう。
そのようなことは十分理解しているが、コントロールできないからこそターニングポイントで流れが変わったとき、その流れを食い止めることができずに苦しい思いをするのである。
流れをうまく引き寄せるにはいくつか方法がある。
まず、「強気のプレー」を心がけること。試合は、押し合いなので「強気のプレー」はあたりまえのことであるが、ちょっとしたことで弱気になるのも人間である。これは常に心がけて試合を経験していくしか克服の道はない。
次に、自分の流れが悪いときには「間を取る」こと、インジュリータイムをそのような目的で使うのはほめられることではないが、「間を取る」ことによる効果は期待できる。
そして、「作戦を立てる」こと、じつはこれが「流れを作る」うえでもっとも大切なことである。
流れが相手にあるときには、あせりや不安、恐怖などで、冷静な判断ができなくなっているはずだ。
そんなときに、ただ「がんばろう!」とか、「強気で攻めるぞ!」と言ってみたところで、何をがんばるのか、何をどう強気で攻めるのかが明確ではないので、思ってみても、そうならない自分に苛立つだけであまり効果は期待できない。
自分の現状を冷静に分析して、相手の流れをくずすための具体的な作戦を少なくとも一つは明確に立てなくてはならない。
作戦がうまくいくケースばかりではないだろうが、少なくとも作戦を立てることで冷静にものごとを考える時間は増える。
やみくもにプレーをして、相手の流れにさらに深く引きずり込まれることは少なくなるだろう。
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試合には「流れ」があり、その「流れ」を変える「ターニングポイント」がある。
もちろん、誰でもその「流れ」にうまく乗りたいと思っているが、ちょっとした油断やあせり、体力的な問題や意識の変化などで相手に押し込まれることもある。
そのようなときに「勝つことばかりを考えるな」とか「先をみるな」と言い聞かせてみてもあまり効果は無いだろう。
そのようなことは十分理解しているが、コントロールできないからこそターニングポイントで流れが変わったとき、その流れを食い止めることができずに苦しい思いをするのである。
流れをうまく引き寄せるにはいくつか方法がある。
まず、「強気のプレー」を心がけること。試合は、押し合いなので「強気のプレー」はあたりまえのことであるが、ちょっとしたことで弱気になるのも人間である。これは常に心がけて試合を経験していくしか克服の道はない。
次に、自分の流れが悪いときには「間を取る」こと、インジュリータイムをそのような目的で使うのはほめられることではないが、「間を取る」ことによる効果は期待できる。
そして、「作戦を立てる」こと、じつはこれが「流れを作る」うえでもっとも大切なことである。
流れが相手にあるときには、あせりや不安、恐怖などで、冷静な判断ができなくなっているはずだ。
そんなときに、ただ「がんばろう!」とか、「強気で攻めるぞ!」と言ってみたところで、何をがんばるのか、何をどう強気で攻めるのかが明確ではないので、思ってみても、そうならない自分に苛立つだけであまり効果は期待できない。
自分の現状を冷静に分析して、相手の流れをくずすための具体的な作戦を少なくとも一つは明確に立てなくてはならない。
作戦がうまくいくケースばかりではないだろうが、少なくとも作戦を立てることで冷静にものごとを考える時間は増える。
やみくもにプレーをして、相手の流れにさらに深く引きずり込まれることは少なくなるだろう。
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2007年09月03日
ターニングポイント(986)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -44-
偶然にせよ波に乗ったときは良いが、そのきっかけを逃して波に乗り損ねることも多いし、間違った流れに乗って失敗することもあるだろう。
「成功する」、「強くなる」にはこのターニングポイントで上手く良い流れに乗らなくてはならない。
そのためには、常にそのことについて、つまり「強くなること」について「思考」している「習慣」が必要である。
ここでは2つのターニングポイントについて考えてみよう。
ひとつめは、自分がテニスを通して「どんな風に生きていけばよいのか」という考えを持つに至る、人生におけるターニングポイントである。
私が教員を辞めてアメリカに渡ったという話は以前にもしたと思うが、そのきっかけは「些細な」ことであった。
ある時、愛知県の国体強化のための合宿が行われ、活躍が期待できるジュニア選手が10名程度集められていた。
合宿では毎晩ミーティングが行われるのだが、そのとき「あなたの将来の夢は?」という質問に対して答える、ということが目標設定の課題として与えられた。
そして、参加者のほぼ全員(女子選手は全員)が「プロ選手になる」、「世界で活躍できる選手になる」と答えていた。
今ならば、なぜそう書いたのかについて考察し、目標設定の意味を取り違えていることに気づき、目標はどうあるべきなのかを説くところであるが、その時は、ただ驚くばかりであった。
「この子たちは、そんなことを夢見てテニスに取り組んでいるのか!」と感動すら覚えていた。
その頃、私は大学の監督をしていたのだが、選手のモチベーションの低さや、学校における選手育成に対してやる気が萎えていた時期でもあったので、より一層新鮮に感じられ、「大きな夢に向かって、熱い心を持ってがんばっている選手にテニスを教えたい!」と硬く心に決めてしまったのである。
半年後には、調査のためにアメリカに2ヶ月間ほど出向き、その半年後には、教員を辞めて渡米していた。
もちろん、その間に紆余曲折もあったが、このときに感じた「思い」が私を「行動」に駆り立てた。
まさに、私にとっては「ターニングポイント」だったのである。
人生において、なかなかこのように「強く心に刻む」という出来事は少ないと思う。
しかし、そのとき私は、教員としてのテニス選手の育成には限界を感じていたし、本当の意味での(こころが揺さぶられるような思いを持って、といったほうが良いかもしれない)選手育成に携わっていきたいという気持ちが強かった。
その気持ちをずっと強く持ち続けていたことによって、ちょっとした「きっかけ」で考え方(意識)が大きく変わったのである。
ということは、強くなりたければ、どれくらいこころに「強く刻む」出来事に「めぐり合う」ことができるのか、が鍵となる。
以前、「人間が飛躍的に大きくなるためには、死ぬような大病をすること、浪人すること、破廉恥罪ではなく刑務所に入ることだ」(東山紘久「悩みのコントロール術」岩波アクティブ新書)と書いた。
大きな意識の変革をもたらすには、それくらい強いインパクトが必要なのである。
多くの選手はただ「強くなりたい」といっているだけで、それを強く心に刻んではいない。
自分の人生を賭けても惜しくないほどの「刻み」は、やはり強くなるには必要である。
かといって、このような衝撃的な出来事は、あまりあっては大変だ(大病ばかりしていたら、意識は変わってもテニスどころではないだろうし、刑務所で自由にテニスができるとは考えにくい)。
実際には、大きな出来事ではなくても、「心に大きく響く」出来事は多い。
ちいさなきっかけでも、それを大きな出来事として捉えるかどうかは、先にも書いたがどれくらい「深く思考」しているかによるのである。
ニュートンではないが、物理法則について考えに考えていたからこそ、りんごが落ちたという(些細な)ことを見たときに、絡んだ紐を解くがごとく明快に方程式を整理することができたのである。
「深く考えること」、このことなくしてこのようなターニングポイントは、「そこ」にあってもあなたを揺さぶりはしない。
また、ターニングポイントをその後の成功に結びつけるためには、すぐに「行動」することだ。
またしても私の好きなテレビ番組で申し訳ないが、おすぎとピーコが司会をする「金持ちA様、貧乏B様」という番組があったのだが、その番組では、成功にむすびついたターニングポイントと失敗に結びついたターニングポイントを紹介していた。
正直、どちらに結びつくのかは、やってみなくてはわからないというのが本当のところだろうが、成功した場合は、すぐにそのアイディアを実行に移し、そのことについてじつに深く考えていたことが、成功者のインタビューから読んで取れる。
「熟考し、行動する」、これがまさに成功への、強くなるための「法則」なのである。
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偶然にせよ波に乗ったときは良いが、そのきっかけを逃して波に乗り損ねることも多いし、間違った流れに乗って失敗することもあるだろう。
「成功する」、「強くなる」にはこのターニングポイントで上手く良い流れに乗らなくてはならない。
そのためには、常にそのことについて、つまり「強くなること」について「思考」している「習慣」が必要である。
ここでは2つのターニングポイントについて考えてみよう。
ひとつめは、自分がテニスを通して「どんな風に生きていけばよいのか」という考えを持つに至る、人生におけるターニングポイントである。
私が教員を辞めてアメリカに渡ったという話は以前にもしたと思うが、そのきっかけは「些細な」ことであった。
ある時、愛知県の国体強化のための合宿が行われ、活躍が期待できるジュニア選手が10名程度集められていた。
合宿では毎晩ミーティングが行われるのだが、そのとき「あなたの将来の夢は?」という質問に対して答える、ということが目標設定の課題として与えられた。
そして、参加者のほぼ全員(女子選手は全員)が「プロ選手になる」、「世界で活躍できる選手になる」と答えていた。
今ならば、なぜそう書いたのかについて考察し、目標設定の意味を取り違えていることに気づき、目標はどうあるべきなのかを説くところであるが、その時は、ただ驚くばかりであった。
「この子たちは、そんなことを夢見てテニスに取り組んでいるのか!」と感動すら覚えていた。
その頃、私は大学の監督をしていたのだが、選手のモチベーションの低さや、学校における選手育成に対してやる気が萎えていた時期でもあったので、より一層新鮮に感じられ、「大きな夢に向かって、熱い心を持ってがんばっている選手にテニスを教えたい!」と硬く心に決めてしまったのである。
半年後には、調査のためにアメリカに2ヶ月間ほど出向き、その半年後には、教員を辞めて渡米していた。
もちろん、その間に紆余曲折もあったが、このときに感じた「思い」が私を「行動」に駆り立てた。
まさに、私にとっては「ターニングポイント」だったのである。
人生において、なかなかこのように「強く心に刻む」という出来事は少ないと思う。
しかし、そのとき私は、教員としてのテニス選手の育成には限界を感じていたし、本当の意味での(こころが揺さぶられるような思いを持って、といったほうが良いかもしれない)選手育成に携わっていきたいという気持ちが強かった。
その気持ちをずっと強く持ち続けていたことによって、ちょっとした「きっかけ」で考え方(意識)が大きく変わったのである。
ということは、強くなりたければ、どれくらいこころに「強く刻む」出来事に「めぐり合う」ことができるのか、が鍵となる。
以前、「人間が飛躍的に大きくなるためには、死ぬような大病をすること、浪人すること、破廉恥罪ではなく刑務所に入ることだ」(東山紘久「悩みのコントロール術」岩波アクティブ新書)と書いた。
大きな意識の変革をもたらすには、それくらい強いインパクトが必要なのである。
多くの選手はただ「強くなりたい」といっているだけで、それを強く心に刻んではいない。
自分の人生を賭けても惜しくないほどの「刻み」は、やはり強くなるには必要である。
かといって、このような衝撃的な出来事は、あまりあっては大変だ(大病ばかりしていたら、意識は変わってもテニスどころではないだろうし、刑務所で自由にテニスができるとは考えにくい)。
実際には、大きな出来事ではなくても、「心に大きく響く」出来事は多い。
ちいさなきっかけでも、それを大きな出来事として捉えるかどうかは、先にも書いたがどれくらい「深く思考」しているかによるのである。
ニュートンではないが、物理法則について考えに考えていたからこそ、りんごが落ちたという(些細な)ことを見たときに、絡んだ紐を解くがごとく明快に方程式を整理することができたのである。
「深く考えること」、このことなくしてこのようなターニングポイントは、「そこ」にあってもあなたを揺さぶりはしない。
また、ターニングポイントをその後の成功に結びつけるためには、すぐに「行動」することだ。
またしても私の好きなテレビ番組で申し訳ないが、おすぎとピーコが司会をする「金持ちA様、貧乏B様」という番組があったのだが、その番組では、成功にむすびついたターニングポイントと失敗に結びついたターニングポイントを紹介していた。
正直、どちらに結びつくのかは、やってみなくてはわからないというのが本当のところだろうが、成功した場合は、すぐにそのアイディアを実行に移し、そのことについてじつに深く考えていたことが、成功者のインタビューから読んで取れる。
「熟考し、行動する」、これがまさに成功への、強くなるための「法則」なのである。
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2007年09月01日
波に乗る-信心の強さ(984)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -43-
私がトレーニングを指導する愛工大名電高校野球部が3年前の明治神宮大会で初の全国大会制覇を成し遂げた。
そのチームは、ドラフトでプロ球団から指名を受けるような選手のいたチームに比べて、「打てない」チームと評され、前評判もそれほど高くはなかった。
実際、県大会の準決勝では優勝した高校にコールド負けを喫し、3位決定戦を勝ち上がって、やっとの思いで東海大会の出場権を手に入れたのである。
そのチームが東海大会であれよあれよというまに優勝して、その「勢いに乗って」全国制覇まで成し遂げたのである。
まさに「波に乗った」、「勢いに乗った」という表現がぴったりの快挙ではないだろうか。
では、どうして「波に乗る」ことができたのだろうか。
そのチームは「打てない」チームであることは間違いない。
だからバントを多用する作戦をとることで成功したのだが、このことを取り上げて、「作戦がばっちりだったからチームが勝った」、というのではない。
そういう作戦を「勝つためには絶対に必要なのだ」と、選手自身が心底「信じる」ことで「波に乗る」ことに成功したのである。
「流れ」はちょっとしたきっかけでつかむことができる。「運」に恵まれて「波に乗る」こともあるだろう。
財団法人日本テニス協会発行のオフィシャルメールマガジンの中で、元デ杯監督の福井烈さんは「一流といわれる多くの指導者の方々の言葉を借りれば、『運に恵まれるのは努力の味を知っている選手だけ』と言われています。この全日本に出場している選手の皆が努力の味を知っている中で誰がその「運」を引き寄せる事ができるのか?勝負のあやもゲーム同様に楽しんで下さい。」と言っている。
このように努力するものだけに「運」が味方し、「波に乗る」ことができるのだが、もっと大切なことは、その「流れ」を止めないように、「沈みの方向」に持っていかないようにすることだ。
そのためには、いま自分がやっていることをどれくらいの「深」さまで「信じる」ことができるのか、が大変重要である。
その「深さ」がじゅうぶん深ければ、きっと「流れ」は止まらない、ずっと続いていくのである。
また、その意識が高いレベルにあれば、必ず「流れ」はくるのだが、その「流れ」が来ることを「期待」している(しすぎている)ときは「流れ」は来ないという不思議な性質を持っている。
無我夢中、一意専心、一所懸命、無私無欲、などの言葉は「意識」がどうあるべきなのかをうまく表現している、と思う。
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私がトレーニングを指導する愛工大名電高校野球部が3年前の明治神宮大会で初の全国大会制覇を成し遂げた。
そのチームは、ドラフトでプロ球団から指名を受けるような選手のいたチームに比べて、「打てない」チームと評され、前評判もそれほど高くはなかった。
実際、県大会の準決勝では優勝した高校にコールド負けを喫し、3位決定戦を勝ち上がって、やっとの思いで東海大会の出場権を手に入れたのである。
そのチームが東海大会であれよあれよというまに優勝して、その「勢いに乗って」全国制覇まで成し遂げたのである。
まさに「波に乗った」、「勢いに乗った」という表現がぴったりの快挙ではないだろうか。
では、どうして「波に乗る」ことができたのだろうか。
そのチームは「打てない」チームであることは間違いない。
だからバントを多用する作戦をとることで成功したのだが、このことを取り上げて、「作戦がばっちりだったからチームが勝った」、というのではない。
そういう作戦を「勝つためには絶対に必要なのだ」と、選手自身が心底「信じる」ことで「波に乗る」ことに成功したのである。
「流れ」はちょっとしたきっかけでつかむことができる。「運」に恵まれて「波に乗る」こともあるだろう。
財団法人日本テニス協会発行のオフィシャルメールマガジンの中で、元デ杯監督の福井烈さんは「一流といわれる多くの指導者の方々の言葉を借りれば、『運に恵まれるのは努力の味を知っている選手だけ』と言われています。この全日本に出場している選手の皆が努力の味を知っている中で誰がその「運」を引き寄せる事ができるのか?勝負のあやもゲーム同様に楽しんで下さい。」と言っている。
このように努力するものだけに「運」が味方し、「波に乗る」ことができるのだが、もっと大切なことは、その「流れ」を止めないように、「沈みの方向」に持っていかないようにすることだ。
そのためには、いま自分がやっていることをどれくらいの「深」さまで「信じる」ことができるのか、が大変重要である。
その「深さ」がじゅうぶん深ければ、きっと「流れ」は止まらない、ずっと続いていくのである。
また、その意識が高いレベルにあれば、必ず「流れ」はくるのだが、その「流れ」が来ることを「期待」している(しすぎている)ときは「流れ」は来ないという不思議な性質を持っている。
無我夢中、一意専心、一所懸命、無私無欲、などの言葉は「意識」がどうあるべきなのかをうまく表現している、と思う。
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2007年08月29日
成功をまねるな(982)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -42-
苦労して目標を達成したスポーツ選手は、多くの人に感動を与えるエピソードを数多く持っている。
また、イチローなどのようなスーパーヒーローについての成功秘話はごまんとある。
それらの本を読んでいると、「なるほど!」と感心することも多いのだが、「一流の選手はこのようなことを実践して成功したのだから、あなたもそれに倣ってがんばって成功しなさい」みたいなことをいわれると、「それはちょっと無理だよね」と思ってしまう。
過去の成功事例に学ぶことは大切なことだ。
しかし、成功した事例をまねてみても、まず成功することは無い。
「強くなるため」に学ばなければならないことは、成功した人はすべて独自の方法で成功したということ、そして、誰のまねもしようとしなかったということである。
自分ひとりで考えて(もちろん、時にはコーチと一緒に)、悩み、試行錯誤し、運もあっただろうが、自分だけの挑戦をやり続けることで成功したのだ。
私の尊敬するスポーツ選手に、ハンマー投げの室伏浩二選手のコーチであり、父親でもある室伏重信先生がいる。
研究室が隣だったことや大学院で陸上の授業を受けたことが縁で、いろいろと話をする機会があったのだが、世界では誰もやったことのない4回転ターンを考え、それにただ一人挑み続けたことはまさに賞賛に値する(その遺伝子が確実に息子に受け継がれ、世界の舞台で大輪の花を咲かせた)。
誰も教えてはくれない、教えてくれるはずはないのだ、誰もやったことがないのだから。
スポーツに限らず、強くなるためには、人と同じことをやっていてはだめだ。
なにか自分独自のものを見つけ出そうとしない限り、ナンバーワンにはなれない。
繰り返していうが、成功者の行動や考え方に触れることは大切であるが、成功者の考え方をそのまま受け入れてまねてもだめだ。
それをヒントにして自分独自の方法や考え方を持つことが何よりも大切であることを忘れてはならない。
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苦労して目標を達成したスポーツ選手は、多くの人に感動を与えるエピソードを数多く持っている。
また、イチローなどのようなスーパーヒーローについての成功秘話はごまんとある。
それらの本を読んでいると、「なるほど!」と感心することも多いのだが、「一流の選手はこのようなことを実践して成功したのだから、あなたもそれに倣ってがんばって成功しなさい」みたいなことをいわれると、「それはちょっと無理だよね」と思ってしまう。
過去の成功事例に学ぶことは大切なことだ。
しかし、成功した事例をまねてみても、まず成功することは無い。
「強くなるため」に学ばなければならないことは、成功した人はすべて独自の方法で成功したということ、そして、誰のまねもしようとしなかったということである。
自分ひとりで考えて(もちろん、時にはコーチと一緒に)、悩み、試行錯誤し、運もあっただろうが、自分だけの挑戦をやり続けることで成功したのだ。
私の尊敬するスポーツ選手に、ハンマー投げの室伏浩二選手のコーチであり、父親でもある室伏重信先生がいる。
研究室が隣だったことや大学院で陸上の授業を受けたことが縁で、いろいろと話をする機会があったのだが、世界では誰もやったことのない4回転ターンを考え、それにただ一人挑み続けたことはまさに賞賛に値する(その遺伝子が確実に息子に受け継がれ、世界の舞台で大輪の花を咲かせた)。
誰も教えてはくれない、教えてくれるはずはないのだ、誰もやったことがないのだから。
スポーツに限らず、強くなるためには、人と同じことをやっていてはだめだ。
なにか自分独自のものを見つけ出そうとしない限り、ナンバーワンにはなれない。
繰り返していうが、成功者の行動や考え方に触れることは大切であるが、成功者の考え方をそのまま受け入れてまねてもだめだ。
それをヒントにして自分独自の方法や考え方を持つことが何よりも大切であることを忘れてはならない。
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2007年08月25日
目標はいらない(979)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -41-
今までにメンタルトレーニングの本などに目標設定の重要性を説明してある箇所を読んで、実際に目標設定をしたことのある人は、その目標を書いたものをもう一度持ち出してきてほしい。チェックしてみよう。
①その目標は変わっていないか?
②目標を達成するための意欲は衰えていないのか?
③その目標を達成するために今何をしているのか?
を自問してほしい。
<タイプ1>
もし、何も変わっているところはなく、その目標に向かって自分のできることが明確になっているのなら、あなたは成績によらず自分の持っている力をいかんなく発揮する可能性は高まっているかもしれないが、強い選手になるかどうかはまだわからないといったところだ。
<タイプ2>
次に、①は変わっていないが、②と③は変わってしまっている。意欲が衰えてしまい、自分のなすべきことが明確でないならば、残念ながら強くなることはむつかしい。目標は、あなたに達成されるのじっと待っていてはくれない。つかみとるための意欲と努力が少なければはるかかなたに遠ざかってしまう、という当たり前のことを忘れている。
<タイプ3>
最後に、①は変わってしまったが、②と③はまったく変わっていないどころか、その達成意欲は高まり、自分の課題はより明確ですべきことがはっきりと自覚できている、という人はそのままやり続けてほしい。きっと強い選手になる。
このように、3つのタイプに分けて考えてみた。
まあ、なにごとも完璧に類別できるわけではないが、このようにタイプ別に分けて考えていくことで、「目標を正しく設定する」ということの意味がわかりやすくなると思ったのでこのような手法を試みた。
あなたはどのタイプだろうか?
ここで言いたいことは、自分で掲げた目標に向かって突き進むことができるのは、その可能性を感じているときだけだということだ。
夢のような目標でも何でもよいが、その目標は実現できるという確信がある程度無ければ、その目標によって自分自身の気持ちが高まり、それに向かっていくという行動力は生まれてはこない。
そして、大きな目標を掲げているにもかかわらず、すぐ前の小さな壁をなかなか越えられないときには、目標を掲げたことがマイナスになってしまう場合もある。
例えば、「全日本のチャンピオンになる」という目標を掲げている者が、どうしても地域大会でチャンピオンになれないときに、なんだかテニスがどんどん楽しくなくなってくる。
そして、自分の掲げた目標を忘れてしまうか、進んで忘れようとする。
こうなると、目標を達成するためにがんばってきたことが無意味に思えてきて、楽しくなくなってしまったテニスを辞めてしまうかもしれない。
そういう場合もあるということだ。これが、わたしの言うところの「目標の弊害」である。
では、「強くなるために毎日10キロ走る」という目標を立てた場合はどうであろうか。
この場合は、たとえ全日本のチャンピオンになれなくても、その目標は自分自身にとって意味を持っている。
行動の目標が具体的なだけに意欲も駆り立てられやすいが、「強くなる」ということが何かの大会に優勝するという結果に置かれるのではなく、あくまでも昨日の自分よりも強くなるためにという自己評価に拠っていなくてはならない。
しかし、このような目標を掲げた場合、雨の日でも風の日でも、はたまた自分が風邪を引いて寝込んだときでもやり続けなくてはならない。
単純に繰り返される目標ほど継続することはむつかしい。だいたい3日で終わる(だから3日坊主という)。
このように自分で目標を掲げたのにも関わらず、途中で中断することが何度か続くと「自分は意欲が足りないだめな奴だ」というレッテルを自分に張ってしまい、やる気をなくすことも多い。そのかわりに言い訳は上手になるかもしれない。
このように具体的な行動目標は意欲を高める効果があることは認めるが、継続することははなはだむつかしい。
では、「全力を尽くす」、「ベストを尽くす」という目標はどうか。
R.マートン(「メンタルトレーニング」大修館書店)は「この目標のよいところは、選手は決してその目標を超えることはできない、というところだ。なぜなら自分のベストがどれくらいなのかなんてだれもわかっていないのだから。そして、ベストをつくしているかどうか定義のしようがないのだから、これは安全な目標でもあった。しかし、この目標の短所はまさにその不明確さにある」と述べている。
私もこのような目標を設定することをすすめてきた。
合宿などの短期の集中した練習環境では、毎日の自己評価をチェックするなどの方法をとることで練習意欲が向上し、よい成果を生むことは確かにある。
しかし、不明確であるがゆえに、単純な繰り返し目標と同じように継続することはむつかしく、長期間掲げる目標としては適切ではないのかもしれない。
こう考えてくると、「世界チャンピオンになる」とか「この試合に優勝する」というような結果目標よりは、「何キロ走る」とか「腹筋100回やる」というような具体的な行動目標のほうがよい効果を生むかもしれない。
また、毎日の練習で「ベストを尽くす」ことをやり続けることができれば強くなるのだが、継続することはむつかしい。
つまり、どの目標を掲げるにしろ、目標を掲げるだけで意欲的に行動し、積極的に練習を行うようになり、その結果期待するものが手にはいる、というものではないようだ。
私は、コーチとして子どもたちにどのような目標を持ってもらえばよいのか、はたまた目標などいらないものなのかを悩んできた。
そんなときに面白い本(デイル・ドーテン「仕事は楽しいかね?」きこ書房)に出会った。
この本はビジネス関係の啓蒙書なのだが、「人生はそんなに扱いやすいものじゃない。僕は人生の中で何をすべきかなんて、問いかけなくなった-どうせ、人生なんて思いどおりにはならないからね。僕がいままでに掲げた目標が一つだけある。それは“明日は今日と違う自分になる”だよ。」という文がとても印象に残り、自分も“明日は今日と違う自分になる”という目標を揚げるようになった。
この目標は簡単ではない。
本の中では、「僕のたった一つの目標は、簡単なんてものじゃない。<毎日>変わっていくんだよ?それは、ただひたすら、よりよくなろうとすることだ。人は<違うもの>になって初めて<より良く>なれるんだから。それも一日も欠かさず変わらないといけない。いいかい、これはものすごく大変なことだ。そう、僕が言ってるマンネリ打開策は簡単なんかじゃない。とんでもなく疲れる方法だ。だけど、わくわくするし、<活気に満ちた>方法でもあるんだ」「人生は進化だ。そして進化の素晴らしいところは、最終的にどこに行き着くか、まったくわからないところなんだ」「毎日毎日違う自分になること。これは“試すこと”を続けなければならないということだ。そして試すこととは、あっちにぶつかりこっちにぶつかり、試行錯誤を繰り返しながら、それでもどうにかこうにか、手当たり次第に、あれこれやってみるということだ」と書かれている。
このように考えていれば、「自分が強くなるために必要なことは何か」が明確になってくるはずだ。
目標を立てようと思わなくても、「明日は~をしよう!」という目標が自然と思い浮かんでくる。もちろん、それが「明日20キロ走ろう」でも「明日の試合では全力を尽くしてベスト8に入る」でもかまわない、“明日は今日と違う自分になる”ことを決意していればよい。
この連載の1回目に、「苦心」と題して、次のようなことを書いた。
「テニスの選手を志す以上、チャンピオンになることを夢見るに違いない。でも、現実は大変に厳しい。あなたは、がんばっても、がんばっても届かない栄冠に対して、「なぜ、私だけがこんなに不幸なのだ。」と嘆き悲しむかもしれない。しかし、もしすべてあなたの想像するようにうまくいったとして、果たしてあなたは幸せだろうか。苦しみがなくなれば、喜びもないといわれる。苦労して、苦労して手に入れたときに人間は感動するのである。しかし、もっと強い人間は、苦労そのものに喜びを見出すのである。今、まさに苦労していて、それを乗り越えるためにさまざまな工夫をしている自分、その苦心の中から何かひらめきを得たときに感動できる自分がいたなら、きっとあなたは強くなる」と。
私は、まさにこのことを何度も言いたいのである
ある目標を掲げたとしよう。その目標は世界チャンピオンかもしれない。
しかし、その目標が手に入ったとして、それで苦労がなくなるわけではない。
苦労は、さらに毎日続く。「それ」を自分の目標にしない限り強くはなれないのである。
長田一臣(「勝者の条件」春秋社)は、メンタルトレーニングは「選手生活が終わってもなお人生のどんな局面でも通用するという生き方ということを訓練する」ことだといっている。
“明日は今日と違う自分になる”という目標を持って、毎日変わることができるのなら人生は豊かになると思う。強さを手に入れるのもすぐそこだ。
話は変わるが、私は、「銭形金太郎」というテレビ番組が好きだ。
自分の人生の目標を達成するために貧乏生活を余儀なくされて(これが本当に悲惨な生活である場合が多い)もなお、志を持ってがんばる姿(なかにはがんばっていない奴も多いが)をドキュメンタリータッチで、ギャグを交えておもしろおかしく紹介する番組なのであるが、見ているとなんとなく勇気が湧いてくることも多い。
なぜなら、究極的な貧乏生活を享受しながら、それにめげることなく意志をつらぬこうとする姿に共感するからだ。
「高い志を持つ」ことが根幹にあってこそ、目標を持つことに意味があることを思い出させてくれる素晴らしい番組だと思うのだが、あなたは見たことがありますか?
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今までにメンタルトレーニングの本などに目標設定の重要性を説明してある箇所を読んで、実際に目標設定をしたことのある人は、その目標を書いたものをもう一度持ち出してきてほしい。チェックしてみよう。
①その目標は変わっていないか?
②目標を達成するための意欲は衰えていないのか?
③その目標を達成するために今何をしているのか?
を自問してほしい。
<タイプ1>
もし、何も変わっているところはなく、その目標に向かって自分のできることが明確になっているのなら、あなたは成績によらず自分の持っている力をいかんなく発揮する可能性は高まっているかもしれないが、強い選手になるかどうかはまだわからないといったところだ。
<タイプ2>
次に、①は変わっていないが、②と③は変わってしまっている。意欲が衰えてしまい、自分のなすべきことが明確でないならば、残念ながら強くなることはむつかしい。目標は、あなたに達成されるのじっと待っていてはくれない。つかみとるための意欲と努力が少なければはるかかなたに遠ざかってしまう、という当たり前のことを忘れている。
<タイプ3>
最後に、①は変わってしまったが、②と③はまったく変わっていないどころか、その達成意欲は高まり、自分の課題はより明確ですべきことがはっきりと自覚できている、という人はそのままやり続けてほしい。きっと強い選手になる。
このように、3つのタイプに分けて考えてみた。
まあ、なにごとも完璧に類別できるわけではないが、このようにタイプ別に分けて考えていくことで、「目標を正しく設定する」ということの意味がわかりやすくなると思ったのでこのような手法を試みた。
あなたはどのタイプだろうか?
ここで言いたいことは、自分で掲げた目標に向かって突き進むことができるのは、その可能性を感じているときだけだということだ。
夢のような目標でも何でもよいが、その目標は実現できるという確信がある程度無ければ、その目標によって自分自身の気持ちが高まり、それに向かっていくという行動力は生まれてはこない。
そして、大きな目標を掲げているにもかかわらず、すぐ前の小さな壁をなかなか越えられないときには、目標を掲げたことがマイナスになってしまう場合もある。
例えば、「全日本のチャンピオンになる」という目標を掲げている者が、どうしても地域大会でチャンピオンになれないときに、なんだかテニスがどんどん楽しくなくなってくる。
そして、自分の掲げた目標を忘れてしまうか、進んで忘れようとする。
こうなると、目標を達成するためにがんばってきたことが無意味に思えてきて、楽しくなくなってしまったテニスを辞めてしまうかもしれない。
そういう場合もあるということだ。これが、わたしの言うところの「目標の弊害」である。
では、「強くなるために毎日10キロ走る」という目標を立てた場合はどうであろうか。
この場合は、たとえ全日本のチャンピオンになれなくても、その目標は自分自身にとって意味を持っている。
行動の目標が具体的なだけに意欲も駆り立てられやすいが、「強くなる」ということが何かの大会に優勝するという結果に置かれるのではなく、あくまでも昨日の自分よりも強くなるためにという自己評価に拠っていなくてはならない。
しかし、このような目標を掲げた場合、雨の日でも風の日でも、はたまた自分が風邪を引いて寝込んだときでもやり続けなくてはならない。
単純に繰り返される目標ほど継続することはむつかしい。だいたい3日で終わる(だから3日坊主という)。
このように自分で目標を掲げたのにも関わらず、途中で中断することが何度か続くと「自分は意欲が足りないだめな奴だ」というレッテルを自分に張ってしまい、やる気をなくすことも多い。そのかわりに言い訳は上手になるかもしれない。
このように具体的な行動目標は意欲を高める効果があることは認めるが、継続することははなはだむつかしい。
では、「全力を尽くす」、「ベストを尽くす」という目標はどうか。
R.マートン(「メンタルトレーニング」大修館書店)は「この目標のよいところは、選手は決してその目標を超えることはできない、というところだ。なぜなら自分のベストがどれくらいなのかなんてだれもわかっていないのだから。そして、ベストをつくしているかどうか定義のしようがないのだから、これは安全な目標でもあった。しかし、この目標の短所はまさにその不明確さにある」と述べている。
私もこのような目標を設定することをすすめてきた。
合宿などの短期の集中した練習環境では、毎日の自己評価をチェックするなどの方法をとることで練習意欲が向上し、よい成果を生むことは確かにある。
しかし、不明確であるがゆえに、単純な繰り返し目標と同じように継続することはむつかしく、長期間掲げる目標としては適切ではないのかもしれない。
こう考えてくると、「世界チャンピオンになる」とか「この試合に優勝する」というような結果目標よりは、「何キロ走る」とか「腹筋100回やる」というような具体的な行動目標のほうがよい効果を生むかもしれない。
また、毎日の練習で「ベストを尽くす」ことをやり続けることができれば強くなるのだが、継続することはむつかしい。
つまり、どの目標を掲げるにしろ、目標を掲げるだけで意欲的に行動し、積極的に練習を行うようになり、その結果期待するものが手にはいる、というものではないようだ。
私は、コーチとして子どもたちにどのような目標を持ってもらえばよいのか、はたまた目標などいらないものなのかを悩んできた。
そんなときに面白い本(デイル・ドーテン「仕事は楽しいかね?」きこ書房)に出会った。
この本はビジネス関係の啓蒙書なのだが、「人生はそんなに扱いやすいものじゃない。僕は人生の中で何をすべきかなんて、問いかけなくなった-どうせ、人生なんて思いどおりにはならないからね。僕がいままでに掲げた目標が一つだけある。それは“明日は今日と違う自分になる”だよ。」という文がとても印象に残り、自分も“明日は今日と違う自分になる”という目標を揚げるようになった。
この目標は簡単ではない。
本の中では、「僕のたった一つの目標は、簡単なんてものじゃない。<毎日>変わっていくんだよ?それは、ただひたすら、よりよくなろうとすることだ。人は<違うもの>になって初めて<より良く>なれるんだから。それも一日も欠かさず変わらないといけない。いいかい、これはものすごく大変なことだ。そう、僕が言ってるマンネリ打開策は簡単なんかじゃない。とんでもなく疲れる方法だ。だけど、わくわくするし、<活気に満ちた>方法でもあるんだ」「人生は進化だ。そして進化の素晴らしいところは、最終的にどこに行き着くか、まったくわからないところなんだ」「毎日毎日違う自分になること。これは“試すこと”を続けなければならないということだ。そして試すこととは、あっちにぶつかりこっちにぶつかり、試行錯誤を繰り返しながら、それでもどうにかこうにか、手当たり次第に、あれこれやってみるということだ」と書かれている。
このように考えていれば、「自分が強くなるために必要なことは何か」が明確になってくるはずだ。
目標を立てようと思わなくても、「明日は~をしよう!」という目標が自然と思い浮かんでくる。もちろん、それが「明日20キロ走ろう」でも「明日の試合では全力を尽くしてベスト8に入る」でもかまわない、“明日は今日と違う自分になる”ことを決意していればよい。
この連載の1回目に、「苦心」と題して、次のようなことを書いた。
「テニスの選手を志す以上、チャンピオンになることを夢見るに違いない。でも、現実は大変に厳しい。あなたは、がんばっても、がんばっても届かない栄冠に対して、「なぜ、私だけがこんなに不幸なのだ。」と嘆き悲しむかもしれない。しかし、もしすべてあなたの想像するようにうまくいったとして、果たしてあなたは幸せだろうか。苦しみがなくなれば、喜びもないといわれる。苦労して、苦労して手に入れたときに人間は感動するのである。しかし、もっと強い人間は、苦労そのものに喜びを見出すのである。今、まさに苦労していて、それを乗り越えるためにさまざまな工夫をしている自分、その苦心の中から何かひらめきを得たときに感動できる自分がいたなら、きっとあなたは強くなる」と。
私は、まさにこのことを何度も言いたいのである
ある目標を掲げたとしよう。その目標は世界チャンピオンかもしれない。
しかし、その目標が手に入ったとして、それで苦労がなくなるわけではない。
苦労は、さらに毎日続く。「それ」を自分の目標にしない限り強くはなれないのである。
長田一臣(「勝者の条件」春秋社)は、メンタルトレーニングは「選手生活が終わってもなお人生のどんな局面でも通用するという生き方ということを訓練する」ことだといっている。
“明日は今日と違う自分になる”という目標を持って、毎日変わることができるのなら人生は豊かになると思う。強さを手に入れるのもすぐそこだ。
話は変わるが、私は、「銭形金太郎」というテレビ番組が好きだ。
自分の人生の目標を達成するために貧乏生活を余儀なくされて(これが本当に悲惨な生活である場合が多い)もなお、志を持ってがんばる姿(なかにはがんばっていない奴も多いが)をドキュメンタリータッチで、ギャグを交えておもしろおかしく紹介する番組なのであるが、見ているとなんとなく勇気が湧いてくることも多い。
なぜなら、究極的な貧乏生活を享受しながら、それにめげることなく意志をつらぬこうとする姿に共感するからだ。
「高い志を持つ」ことが根幹にあってこそ、目標を持つことに意味があることを思い出させてくれる素晴らしい番組だと思うのだが、あなたは見たことがありますか?
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2007年08月23日
忍耐力は競争の中で培われる(977)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -40-
何事にも「耐え」「忍ぶ」能力は、過酷な状況の中でさらに磨きがかけられる。
スポーツにおいてもっとも過酷な状況のひとつは、「競争」に負けることだ。
野球の世界では、幼少の頃より大変熾烈な競争が繰り広げられる。
名門高校では、何人かに一人の割合でしか入学を許可されない。
また、たとえ入学できたとしても、3年間一度も公式戦に出場できない選手は何人もいる。ポジション争いも熾烈だ。
ある選手が怪我をしたら、そのポジションを巡って、他のポジションの選手もレギュラーになるために果敢に競争を挑んでくる。
もちろん、いじめや暴力など、スポーツのマイナスの面も多くある。
このような熾烈な競争の世界に常にさらされているのだ。
それに耐えられない奴は生き残ることができない。
そして、そのような激烈な競争を経験してこそ、「この一勝」に賭ける気持ちが極限にまで高まり、自分を追い込むことができる。
だからこそ敗戦によって全身を覆う虚脱感に苛まれ、泣いて我を忘れるしかなくなるのである。
それほどまでに「賭けて」いないと、この世界では通用しない。
一方、テニスというスポーツは個人スポーツであり、誰もが試合に出ようと思えば出ることができる。
試合に「出る」ための競争はない。
団体戦があるにしても、テニスは個人戦のポイント制であり、そのメンバーは単純に技量の高低で決まる場合が多い。
野球のように、足が抜群に速い奴とか、バントがめちゃくちゃうまい奴(巨人の川相みたいな選手)とか、声がやたらにでかいムードメーカー(野球ではこういう選手はいざという試合にはとても重要な役割を果たす)などが選ばれることはない。
交代要員も少ないので、メンバーをもぎ取ろうとする意欲を持ちにくいのだ。
また、最近は民間クラブから育成が始まるので、親やコーチのサポートが手厚く、理不尽な要求に耐えるなどのスポーツ本来の忍耐力を求められる場面が大変少なくなっている。
こう考えると、テニスの世界、特にジュニアを取り巻く世界は、スポーツの中ではもっとも「甘い」と言わざるを得ない。
真に競争を経験していないものは、やはりもろい。
ちょっとしたことで動揺し、自分をコントロールできなくなるような選手が大変多い。
競争を経験していないので、「戦う」ことの本質がわからないのかもしれない。
磯貝芳郎と福島脩美(「自己抑制と自己実現-がまんの心理学-」講談社現代新書)は、「今は、周囲に何でもある。そんな中で前向きな希望のある目標を探し出して、粘り強く自分を成長させる我慢をするのが、本当の我慢である。とすれば、今ほど我慢する心を作るのにこんないい時代はない。」と言っている。
テニスに当てはめてみれば、競争のはげしくない世界だからこそ、自ら進んで競争し(戦いを挑み)、忍耐力を磨くことで誰よりも強くなるチャンスは大きくなるということだ。
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何事にも「耐え」「忍ぶ」能力は、過酷な状況の中でさらに磨きがかけられる。
スポーツにおいてもっとも過酷な状況のひとつは、「競争」に負けることだ。
野球の世界では、幼少の頃より大変熾烈な競争が繰り広げられる。
名門高校では、何人かに一人の割合でしか入学を許可されない。
また、たとえ入学できたとしても、3年間一度も公式戦に出場できない選手は何人もいる。ポジション争いも熾烈だ。
ある選手が怪我をしたら、そのポジションを巡って、他のポジションの選手もレギュラーになるために果敢に競争を挑んでくる。
もちろん、いじめや暴力など、スポーツのマイナスの面も多くある。
このような熾烈な競争の世界に常にさらされているのだ。
それに耐えられない奴は生き残ることができない。
そして、そのような激烈な競争を経験してこそ、「この一勝」に賭ける気持ちが極限にまで高まり、自分を追い込むことができる。
だからこそ敗戦によって全身を覆う虚脱感に苛まれ、泣いて我を忘れるしかなくなるのである。
それほどまでに「賭けて」いないと、この世界では通用しない。
一方、テニスというスポーツは個人スポーツであり、誰もが試合に出ようと思えば出ることができる。
試合に「出る」ための競争はない。
団体戦があるにしても、テニスは個人戦のポイント制であり、そのメンバーは単純に技量の高低で決まる場合が多い。
野球のように、足が抜群に速い奴とか、バントがめちゃくちゃうまい奴(巨人の川相みたいな選手)とか、声がやたらにでかいムードメーカー(野球ではこういう選手はいざという試合にはとても重要な役割を果たす)などが選ばれることはない。
交代要員も少ないので、メンバーをもぎ取ろうとする意欲を持ちにくいのだ。
また、最近は民間クラブから育成が始まるので、親やコーチのサポートが手厚く、理不尽な要求に耐えるなどのスポーツ本来の忍耐力を求められる場面が大変少なくなっている。
こう考えると、テニスの世界、特にジュニアを取り巻く世界は、スポーツの中ではもっとも「甘い」と言わざるを得ない。
真に競争を経験していないものは、やはりもろい。
ちょっとしたことで動揺し、自分をコントロールできなくなるような選手が大変多い。
競争を経験していないので、「戦う」ことの本質がわからないのかもしれない。
磯貝芳郎と福島脩美(「自己抑制と自己実現-がまんの心理学-」講談社現代新書)は、「今は、周囲に何でもある。そんな中で前向きな希望のある目標を探し出して、粘り強く自分を成長させる我慢をするのが、本当の我慢である。とすれば、今ほど我慢する心を作るのにこんないい時代はない。」と言っている。
テニスに当てはめてみれば、競争のはげしくない世界だからこそ、自ら進んで競争し(戦いを挑み)、忍耐力を磨くことで誰よりも強くなるチャンスは大きくなるということだ。
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2007年08月19日
正しい自己中のありかた(975)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -39-
スポーツに真剣に取り組んでいる人は「さわやかで」、「思いやりがあって」、「我慢強い」というような一般的な概念がある。
しかし、実際にスポーツを指導していると、「ほんとかあぁぁぁぁ!」と突っ込みを入れたくなるようなことのほうが圧倒的に多い。
もちろん、青少年の正しい(と思われる)人格形成や道徳的な行動を身につけるためにスポーツが役に立つことを否定するものではないが、実際にはもっとどろどろとした、人間の本質的なエゴが噴出していることのほうが多い。
それを多くの指導者やマスコミは否定するのだが、実はそのどろどろとしたエゴの中に「強さの秘密」が隠されていることには気がつかない。
いや気がついてはいるけれど、美的に表現しようとしすぎているのだ。
だいたい、(巨人の星で)幼少のころより大リーグボール養成ギブスをつけていてさわやかなスポーツマンになるとは思えないし、超お金持ちの御曹司が身体がぼろぼろになるまで何キロもある鉄球を打ち続けるなんて無理くさい。
わが子の野球生命が絶たれるかもしれない戦いに敵として臨む親なんてのは、スポーツというものをどう考えていたのか聞いてみたいものだ。
そういった意味で巨人の星は、スポーツのどろどろとした部分を見事に描いた傑作なのだ。
このように、「怒り」とか「エゴ」とか、人間が本質的に持っている「戦う」ための感情や資質が低ければ、やはり戦いに勝つことは難しい。
しかし、その資質がいくら高くても、コントロールできなければスポーツの場面で生かすことはできないというのも真実である。
やみくもに怒っていたり、わがまま放題の奴は「自己中」といわれて敬遠されるだけだ。
単なるわがままと「正しい自己中」とはどういう違いがあるのかを理解していないと、その自己中心性がスポーツで強くなる資質だとしても、十分に生かされるようにはならないのだ。
ここでは、スポーツに生かすことのできる正しい自己中のあり方について学んでみよう。
まず、斎藤勇(「自己チュウにはわけがある」文藝春秋)のいうように、「人の自己中心性はなくならない」ということをはっきりと認識することからはじめよう。
自分の行動はいつも見ているからよく知っているが、他人の行動については断片的にしかみえないので、ちょっと自分の気に入らない行動を他人がとると、不平不満がアメーバのごとく増殖する。
このようなことは日常茶飯事に起こる。
あるとき、試合前に子どもたちに自主的な練習を行わせたところ、一部のご父兄の方から「コーチは試合前なのぜんぜん練習を見てくれない」、「もし自主練でよいというなら、スクールに通う必要はない」という指摘を受けた。
自主練を始める前に、子どもたちには「試合前は単純な練習を集中力を切らすことなくやり続けることがとても大切で、その中で自分の課題をつねに意識して取り組まなければならない。」と十分に説明したし、その時間以外のレッスンでは課題などを入念にチェックしてきたにも関わらず、このような指摘を受けたことに対しては、正直とまどった。
しかし、親というのは自分の子どもの利を第一に考えるものだし、そのときの断片的な状況を判断して不満に思ったということは、私の説明も不十分だったのだろうと反省もしている。
もちろん、私の指導に対する考え方が間違っていたとは思っていない。
自主的な練習が上達のためには必要であることは確かなことだし、基本的にこのやり方を変えるつもりもない。
自分が正しいと思うことに対しては、信念を持って行動をとることが大切だと考えるからだ。
ただ、ご父兄の方がそのような考え方をもつことを理解することで、より良いレッスンにつながるとは思っている。
わがままな考え方かもしれないが、このような「自立した自己中心性」が強くなるためには必要である。
勢子浩爾(「ぶざまな人生」洋泉社)は、「わたしの言い方で言えば、「個人」というのは、まず最低限の条件として、一人ひとりの存在が世界で唯一の価値と意味を持った存在(「自分」)である、ということを互いに尊重することによって成立する個人のことである。つまり他者をもっている。このことが第一義である。この条件をすっ飛ばしたところでは、自分の主張も、自己決定も、国や社会からの自立もへったくれもない。」といっている。
また、福田和也(「悪の恋愛術」講談社現代新書)は、「自分のものとは異なる視点をどれだけ許容できるか、包含できるかということが、人間の成熟、成長の尺度でもあるわけです。」という。
ちょっと難しい表現であるが、他人を一方的に非難するのではなく、他人の考えを尊重した上で、自分の信念を貫く姿勢が「正しい自己中」であるということだ。
単なる「わがまま」とは違う、スポーツ選手としての資質を伸ばすためのただしい自己中心性があなたに備わっているかを良く考えてほしい。
・相手のミスジャッジに対して、悪態をつき、わめき散らしていないか
・審判のジャッジに対して、審判を馬鹿にしたような態度をとっていないか
・自分のミスに対して怒りが収まらず、ふてくされて試合をしていないか
・リードされて、やる気をなくし、うなだれて試合をしていないか
私はこのような試合を何度も見てきた。
もし、このような試合をしているのなら、あなたに正しい「自己中心性」は備わっていない。
他人を尊重し、信念にもとづいて行動することが欠けているからである。
「怒り」に自分を見失うことなく、戦う姿勢を失わず、冷静に自分の信念にしたがって行動し続ける選手であってほしい。
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スポーツに真剣に取り組んでいる人は「さわやかで」、「思いやりがあって」、「我慢強い」というような一般的な概念がある。
しかし、実際にスポーツを指導していると、「ほんとかあぁぁぁぁ!」と突っ込みを入れたくなるようなことのほうが圧倒的に多い。
もちろん、青少年の正しい(と思われる)人格形成や道徳的な行動を身につけるためにスポーツが役に立つことを否定するものではないが、実際にはもっとどろどろとした、人間の本質的なエゴが噴出していることのほうが多い。
それを多くの指導者やマスコミは否定するのだが、実はそのどろどろとしたエゴの中に「強さの秘密」が隠されていることには気がつかない。
いや気がついてはいるけれど、美的に表現しようとしすぎているのだ。
だいたい、(巨人の星で)幼少のころより大リーグボール養成ギブスをつけていてさわやかなスポーツマンになるとは思えないし、超お金持ちの御曹司が身体がぼろぼろになるまで何キロもある鉄球を打ち続けるなんて無理くさい。
わが子の野球生命が絶たれるかもしれない戦いに敵として臨む親なんてのは、スポーツというものをどう考えていたのか聞いてみたいものだ。
そういった意味で巨人の星は、スポーツのどろどろとした部分を見事に描いた傑作なのだ。
このように、「怒り」とか「エゴ」とか、人間が本質的に持っている「戦う」ための感情や資質が低ければ、やはり戦いに勝つことは難しい。
しかし、その資質がいくら高くても、コントロールできなければスポーツの場面で生かすことはできないというのも真実である。
やみくもに怒っていたり、わがまま放題の奴は「自己中」といわれて敬遠されるだけだ。
単なるわがままと「正しい自己中」とはどういう違いがあるのかを理解していないと、その自己中心性がスポーツで強くなる資質だとしても、十分に生かされるようにはならないのだ。
ここでは、スポーツに生かすことのできる正しい自己中のあり方について学んでみよう。
まず、斎藤勇(「自己チュウにはわけがある」文藝春秋)のいうように、「人の自己中心性はなくならない」ということをはっきりと認識することからはじめよう。
自分の行動はいつも見ているからよく知っているが、他人の行動については断片的にしかみえないので、ちょっと自分の気に入らない行動を他人がとると、不平不満がアメーバのごとく増殖する。
このようなことは日常茶飯事に起こる。
あるとき、試合前に子どもたちに自主的な練習を行わせたところ、一部のご父兄の方から「コーチは試合前なのぜんぜん練習を見てくれない」、「もし自主練でよいというなら、スクールに通う必要はない」という指摘を受けた。
自主練を始める前に、子どもたちには「試合前は単純な練習を集中力を切らすことなくやり続けることがとても大切で、その中で自分の課題をつねに意識して取り組まなければならない。」と十分に説明したし、その時間以外のレッスンでは課題などを入念にチェックしてきたにも関わらず、このような指摘を受けたことに対しては、正直とまどった。
しかし、親というのは自分の子どもの利を第一に考えるものだし、そのときの断片的な状況を判断して不満に思ったということは、私の説明も不十分だったのだろうと反省もしている。
もちろん、私の指導に対する考え方が間違っていたとは思っていない。
自主的な練習が上達のためには必要であることは確かなことだし、基本的にこのやり方を変えるつもりもない。
自分が正しいと思うことに対しては、信念を持って行動をとることが大切だと考えるからだ。
ただ、ご父兄の方がそのような考え方をもつことを理解することで、より良いレッスンにつながるとは思っている。
わがままな考え方かもしれないが、このような「自立した自己中心性」が強くなるためには必要である。
勢子浩爾(「ぶざまな人生」洋泉社)は、「わたしの言い方で言えば、「個人」というのは、まず最低限の条件として、一人ひとりの存在が世界で唯一の価値と意味を持った存在(「自分」)である、ということを互いに尊重することによって成立する個人のことである。つまり他者をもっている。このことが第一義である。この条件をすっ飛ばしたところでは、自分の主張も、自己決定も、国や社会からの自立もへったくれもない。」といっている。
また、福田和也(「悪の恋愛術」講談社現代新書)は、「自分のものとは異なる視点をどれだけ許容できるか、包含できるかということが、人間の成熟、成長の尺度でもあるわけです。」という。
ちょっと難しい表現であるが、他人を一方的に非難するのではなく、他人の考えを尊重した上で、自分の信念を貫く姿勢が「正しい自己中」であるということだ。
単なる「わがまま」とは違う、スポーツ選手としての資質を伸ばすためのただしい自己中心性があなたに備わっているかを良く考えてほしい。
・相手のミスジャッジに対して、悪態をつき、わめき散らしていないか
・審判のジャッジに対して、審判を馬鹿にしたような態度をとっていないか
・自分のミスに対して怒りが収まらず、ふてくされて試合をしていないか
・リードされて、やる気をなくし、うなだれて試合をしていないか
私はこのような試合を何度も見てきた。
もし、このような試合をしているのなら、あなたに正しい「自己中心性」は備わっていない。
他人を尊重し、信念にもとづいて行動することが欠けているからである。
「怒り」に自分を見失うことなく、戦う姿勢を失わず、冷静に自分の信念にしたがって行動し続ける選手であってほしい。
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2007年08月17日
コートの上で怒れ!(973)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -38-
コートの上で怒れない奴は強くはなれない。
現在ヨーロッパに在住して日本のトップジュニアの指導にあたっている米沢徹さんに「私がアメリカに来て最初に教えられたことは、コートの上で怒ることだった。」と聞いたことがある。
私の経験の中でも、やはり日本人はおとなしいと感じるし、コート上で怒っている場面に出くわすことは少ない。
これを日本人は美徳とみなす場合が多いのだが、はたしてそうであろうか。
特に、スポーツの場面では美徳とばかりはいっていられないと思うのだが。
中島義道(「怒る技術」PHP)は、「「怒り」とは「悲しみ」や「寂しさ」や「虚しさ」や「苦しさ」といった単なる受動的な感情ではなく、表出とコミになった感情です。怒りとは、身体に密着した感情であり、怒りが高じるとぶるぶる身体が震えてきたり、頬が紅潮してくる。弱い場合でも、歯を食いしばったり、心臓の鼓動が速くなったり、目つきが鋭くなり目が据わってくる。つまり、攻撃性をはじめから含みもつ感情であり、まだ具体的に相手を攻撃しないまでも、身体の全体がすでに攻撃の準備段階に入っている、そんな感情です。ですから、怒りを感ずることができない人とは、こういう攻撃の準備段階へと身体をもっていくことができない人と言いかえることができましょう。」と述べている。
テニスは戦いであると何度も述べてきた。
戦うためには相手に対して怒りの感情を持っていなくてはならないのだ。
「怒りを感ずることができない人とは、こういう攻撃の準備段階へと身体をもっていくことができない人」という文を強く心に留めなければならない。
また、「怒りは相手に積極的に向かっていくベクトルをもっているのに、それが恐れに変化してしまったとき、ただただ相手から逃れる方向に全身体が動いていく。自分を崩れないように保持するだけでせいいっぱいで、なるべく考えず感じずひたすらに生き延びようとする。」と述べている。
「怒り」の感情と「恐れ」の感情の押し合いでどちらの感情に支配されるのかということである。
弱い選手は、この感情の押し合いに負ける。恐れて、自分の力を信じることができなくて、相手と戦うことができなくて、負けていくのだ。
「怒り」の感情は戦いの場での勝敗を左右することを学んだとして、どのように訓練すれば「怒り」の感情を高めることができるのか。
怒りを表現しろといってもそれをコントロールできなければ、単なる「嫌な奴」になってしまう。
中島(同)は「いつも本当に怒っていたら身がもたない。社会心理学の用語を使えば「感情管理」が必要なわけで、自分の怒りに呑み込まれてしまうのではなく、いかにはげしい怒りであっても、怒りながら冷静にそれを自覚し観察している技術が必要です。」という。
つまり、上手に怒れる人が強くなるということだ。
「怒り」は、身体動作と表出一体の感情なので、身体動作をコントロールすることは大変有効な訓練になる。
大きな声を上げる。
ガッツポーズを激しくやる。
相手に(正しく)クレームをつける
気合いを入れる。
これらを実際の試合で、コートの上でやり続けるのだ。
簡単ではない。
怒りを表すことを訓練してこなかったものは、身体動作と感情の一致が起こらないので、「恥ずかしい」とか、「別にいいや」とか、「私には無理」と、その行動を拒否する方向に気持ちを向けてしまう。
そういう選手ほど、弱々しい態度を取り続ける自分に腹が立っているはずなのに、そして相手に対して「怒って」いるはずなのに、それを行動として表すことができないのだ。
残念ながら強くなることはできないだろう。
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コートの上で怒れない奴は強くはなれない。
現在ヨーロッパに在住して日本のトップジュニアの指導にあたっている米沢徹さんに「私がアメリカに来て最初に教えられたことは、コートの上で怒ることだった。」と聞いたことがある。
私の経験の中でも、やはり日本人はおとなしいと感じるし、コート上で怒っている場面に出くわすことは少ない。
これを日本人は美徳とみなす場合が多いのだが、はたしてそうであろうか。
特に、スポーツの場面では美徳とばかりはいっていられないと思うのだが。
中島義道(「怒る技術」PHP)は、「「怒り」とは「悲しみ」や「寂しさ」や「虚しさ」や「苦しさ」といった単なる受動的な感情ではなく、表出とコミになった感情です。怒りとは、身体に密着した感情であり、怒りが高じるとぶるぶる身体が震えてきたり、頬が紅潮してくる。弱い場合でも、歯を食いしばったり、心臓の鼓動が速くなったり、目つきが鋭くなり目が据わってくる。つまり、攻撃性をはじめから含みもつ感情であり、まだ具体的に相手を攻撃しないまでも、身体の全体がすでに攻撃の準備段階に入っている、そんな感情です。ですから、怒りを感ずることができない人とは、こういう攻撃の準備段階へと身体をもっていくことができない人と言いかえることができましょう。」と述べている。
テニスは戦いであると何度も述べてきた。
戦うためには相手に対して怒りの感情を持っていなくてはならないのだ。
「怒りを感ずることができない人とは、こういう攻撃の準備段階へと身体をもっていくことができない人」という文を強く心に留めなければならない。
また、「怒りは相手に積極的に向かっていくベクトルをもっているのに、それが恐れに変化してしまったとき、ただただ相手から逃れる方向に全身体が動いていく。自分を崩れないように保持するだけでせいいっぱいで、なるべく考えず感じずひたすらに生き延びようとする。」と述べている。
「怒り」の感情と「恐れ」の感情の押し合いでどちらの感情に支配されるのかということである。
弱い選手は、この感情の押し合いに負ける。恐れて、自分の力を信じることができなくて、相手と戦うことができなくて、負けていくのだ。
「怒り」の感情は戦いの場での勝敗を左右することを学んだとして、どのように訓練すれば「怒り」の感情を高めることができるのか。
怒りを表現しろといってもそれをコントロールできなければ、単なる「嫌な奴」になってしまう。
中島(同)は「いつも本当に怒っていたら身がもたない。社会心理学の用語を使えば「感情管理」が必要なわけで、自分の怒りに呑み込まれてしまうのではなく、いかにはげしい怒りであっても、怒りながら冷静にそれを自覚し観察している技術が必要です。」という。
つまり、上手に怒れる人が強くなるということだ。
「怒り」は、身体動作と表出一体の感情なので、身体動作をコントロールすることは大変有効な訓練になる。
大きな声を上げる。
ガッツポーズを激しくやる。
相手に(正しく)クレームをつける
気合いを入れる。
これらを実際の試合で、コートの上でやり続けるのだ。
簡単ではない。
怒りを表すことを訓練してこなかったものは、身体動作と感情の一致が起こらないので、「恥ずかしい」とか、「別にいいや」とか、「私には無理」と、その行動を拒否する方向に気持ちを向けてしまう。
そういう選手ほど、弱々しい態度を取り続ける自分に腹が立っているはずなのに、そして相手に対して「怒って」いるはずなのに、それを行動として表すことができないのだ。
残念ながら強くなることはできないだろう。
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2007年08月11日
やる気と行動力の法則(967)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -37-
何度も書いたが、行動を起こした者だけが成功のチャンスをつかむ可能性がある。
それを支えるのは情熱だ。
情熱があり、やる気が根本的に高まっていなくては行動を起こす力が湧いてこない。
山下富美代(「集中力」講談社現代新書)は、「やる気とは、自分からすすんでという自発性がもとになっているので、金銭や賞などの報酬や外的評価が導入されると、自律性が失われてしまうのではないかと考えられる。」と述べている。
つまり、何かのためにやるというのではなく、「自分がそれをやりたい」という自発的な意志に支えられて行動を起こさなくてはならないのである。
この純粋性を持った自発性は、同じスポーツをやり続けていると徐々に失われていく。
そうなると、なにか外的なものを求める気持ちが強くなり、周りにいる者がそうした気持ちを助長する傾向も強くなってくるので、それが得られないことが続くと、自発的な行動をやめてしまうケースは少なくない。
このような純粋性を持った自発性を長い期間維持することは可能なのだろうか。
それは大変難しい問題だと思う。
ここでは私が情熱を維持している法則について述べてみたいと思う。
それは、「死」を意識することだ。
こんなことを書くと、なにか怪しい宗教めいた内容になってしまうと思われるかもしれないが、そうではない。
私がアメリカに渡って数ヶ月が経った頃、私の妻が子どもを連れてアメリカにやってきたときのことだ。
家族に会うことができた喜びと緊張から解き放たれた安堵感で満たされたときに、それまで休みなく働いてきた疲れがでたのだろう、私はドライブに出かけた帰りの高速道路で居眠り運転をして、事故を起こしてしまった。
時速120km以上のスピードでの事故では命の補償はない。
ところが、いくつかの幸運が重なり、車は大破したが、妻が軽い擦り傷を負った程度で済んだのである。
事故直後は、道路封鎖をしたパトカー、駆けつけたレスキューや救急車などで騒然としていたので、無傷でぴんぴんしている自分がなんとなく恥ずかしく思えて、命が助かったことに対する感謝の気持ちを持つどころではなかった。
ところが、ホテルに帰ってから事故を振り返ったときに、その恐怖がよみがえってきて震えが止まらなかったのを覚えている。
そして、疲れて眠っている子どもを抱きしめて生きていることに感謝した。
そのときに私は「死」を明確に意識した。
「人間はいつか死ぬ、それが明日かもしれない」と強く思うようになった。
そして、「もし、明日死ぬとしたら、お前は満足して死ぬことができるのか?」と問い続けるようになった。
宗教には「死生観」というものがある。
これは簡単に言うと、「「死」を意識することで「生」を活き活きとしたものにすることができる」という教えである。
「悔いのないように今を生きる」、この考えが私の情熱を生み出しているし、自発的な行動力の源になっている。
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何度も書いたが、行動を起こした者だけが成功のチャンスをつかむ可能性がある。
それを支えるのは情熱だ。
情熱があり、やる気が根本的に高まっていなくては行動を起こす力が湧いてこない。
山下富美代(「集中力」講談社現代新書)は、「やる気とは、自分からすすんでという自発性がもとになっているので、金銭や賞などの報酬や外的評価が導入されると、自律性が失われてしまうのではないかと考えられる。」と述べている。
つまり、何かのためにやるというのではなく、「自分がそれをやりたい」という自発的な意志に支えられて行動を起こさなくてはならないのである。
この純粋性を持った自発性は、同じスポーツをやり続けていると徐々に失われていく。
そうなると、なにか外的なものを求める気持ちが強くなり、周りにいる者がそうした気持ちを助長する傾向も強くなってくるので、それが得られないことが続くと、自発的な行動をやめてしまうケースは少なくない。
このような純粋性を持った自発性を長い期間維持することは可能なのだろうか。
それは大変難しい問題だと思う。
ここでは私が情熱を維持している法則について述べてみたいと思う。
それは、「死」を意識することだ。
こんなことを書くと、なにか怪しい宗教めいた内容になってしまうと思われるかもしれないが、そうではない。
私がアメリカに渡って数ヶ月が経った頃、私の妻が子どもを連れてアメリカにやってきたときのことだ。
家族に会うことができた喜びと緊張から解き放たれた安堵感で満たされたときに、それまで休みなく働いてきた疲れがでたのだろう、私はドライブに出かけた帰りの高速道路で居眠り運転をして、事故を起こしてしまった。
時速120km以上のスピードでの事故では命の補償はない。
ところが、いくつかの幸運が重なり、車は大破したが、妻が軽い擦り傷を負った程度で済んだのである。
事故直後は、道路封鎖をしたパトカー、駆けつけたレスキューや救急車などで騒然としていたので、無傷でぴんぴんしている自分がなんとなく恥ずかしく思えて、命が助かったことに対する感謝の気持ちを持つどころではなかった。
ところが、ホテルに帰ってから事故を振り返ったときに、その恐怖がよみがえってきて震えが止まらなかったのを覚えている。
そして、疲れて眠っている子どもを抱きしめて生きていることに感謝した。
そのときに私は「死」を明確に意識した。
「人間はいつか死ぬ、それが明日かもしれない」と強く思うようになった。
そして、「もし、明日死ぬとしたら、お前は満足して死ぬことができるのか?」と問い続けるようになった。
宗教には「死生観」というものがある。
これは簡単に言うと、「「死」を意識することで「生」を活き活きとしたものにすることができる」という教えである。
「悔いのないように今を生きる」、この考えが私の情熱を生み出しているし、自発的な行動力の源になっている。
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2007年08月09日
自分流で戦う(965)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -36-
「自分はどういう戦い方をしたいのだろうか」と考えたことはないだろうか。
ある選手の試合を見て、「かっこいいな、こんなふうに試合してみたいな」と思ったことぐらいはあるだろう。
私がテニスを始めたとき、世界ランキングナンバーワンはスウェーデンのビヨン・ボルグであった。
テニスブームもあいまって、巷のテニスクラブでは、ドネーのカラフルなカラーリングのラケットを抱え(しかもテンションは80ポンド)、ピチピチのフィラのウェアに身を包み、ズボンのすそを靴下の中に入れ込んで、ヘアーバンドで武装した、とんでもない素人軍団がコートを占拠していた(まったくテニスもできないのに、テニスマシンの横で軟派するためだけにクラブにやってくる奴も何人もいた)。
ボルグの戦いは、ひたすらトップスピンで守り抜くスタイルだ。
そのプレースタイルにあこがれて、トップスピンを武器に戦っていた選手も多かっただろう。
しかし、私はどうもそのプレースタイルが好きではなかった。
私があこがれたのは、低い弾道のフラットボールを渾身の力で打ち続けるジミー・コナーズであった。
私がテニスを始めた頃は、コナーズの強さに陰りが見え始め、代わってボルグやマッケンローなどの個性派選手が台頭してきた頃なので、多くの選手はフラットドライブよりも、ぐりぐり(今はこんな表現しないのかな?)のトップスピンや変則サービスからのサーブアンドボレーでの戦い方にあこがれていたが、私はコナーズのようにひたむきに打ち続けるプレースタイルにこだわってきた。
何度も何度もそのプレースタイルを真似て打つ練習をしたが、技術レベルも低く(そのうえ両手打ちのバックハンドは否定されていた)、当時はビデオなどの便利な機械もないのでイメージを持続することが難しく、コナーズとはまったく違うフォームになってしまった(あのときビデオさえあったら、私のコナーズ化計画はうまくいったかもしれない)が、執拗にストロークでの強打にこだわるプレースタイルは、フォアの逆クロスで執拗に相手のバックハンドにボールを打ち続ける「私独自のプレースタイル」を作り上げることには成功した。
周りの連中は私のフォームを「ゴキブリ」と評したが、確かな「自分流」のフォームとプレースタイルで戦うことで強くなったのは事実である。
野球では、「まさかり投法」や「トルネード投法」、「振り子打法」といった独自のスタイルを持っている一流選手は多い。
そのスタイルに名前がなくても、「佐々木の高速フォーク」や「山田のシンカー」など、そのボールの変化が他のピッチャーとは大きく違うことから名前を付けられることもある。
この独自性が、強さの秘訣であると言っても良いだろう。
他の選手とは違う「何か」を持っているのなら、強くなることは容易かもしれない。
しかし、そうは簡単に「自分流」を作り出すことはできない。
もちろん、単に人と違うというだけでは「自分流」とは呼べない(そういう人は、「変わった人」と呼ばれる)。
「自分流」を作り出すには、何でも「自分で考える習慣」が身につけていなくてはならない。
斎藤孝(「「できる人」はどこが違うのか」ちくま新書)は、「「自分はいま何のためにやっているのか」ということについての、正確な認識力を育てることが上達の秘訣である」と述べている。
強くなりたければ、自分が強くなるためには何が足りなくて、何が必要で、何を変えなければならないのか、何をしなければならないのかについて、正確に認識することが大切であることを教えてくれる。
そのことを考え続けて、試行錯誤を繰り返し、何度も挫折を味わいながらも、しつこく食らいつき、「自分流」に到達したとき、はじめて「自分流」が強さの源となる。
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「自分はどういう戦い方をしたいのだろうか」と考えたことはないだろうか。
ある選手の試合を見て、「かっこいいな、こんなふうに試合してみたいな」と思ったことぐらいはあるだろう。
私がテニスを始めたとき、世界ランキングナンバーワンはスウェーデンのビヨン・ボルグであった。
テニスブームもあいまって、巷のテニスクラブでは、ドネーのカラフルなカラーリングのラケットを抱え(しかもテンションは80ポンド)、ピチピチのフィラのウェアに身を包み、ズボンのすそを靴下の中に入れ込んで、ヘアーバンドで武装した、とんでもない素人軍団がコートを占拠していた(まったくテニスもできないのに、テニスマシンの横で軟派するためだけにクラブにやってくる奴も何人もいた)。
ボルグの戦いは、ひたすらトップスピンで守り抜くスタイルだ。
そのプレースタイルにあこがれて、トップスピンを武器に戦っていた選手も多かっただろう。
しかし、私はどうもそのプレースタイルが好きではなかった。
私があこがれたのは、低い弾道のフラットボールを渾身の力で打ち続けるジミー・コナーズであった。
私がテニスを始めた頃は、コナーズの強さに陰りが見え始め、代わってボルグやマッケンローなどの個性派選手が台頭してきた頃なので、多くの選手はフラットドライブよりも、ぐりぐり(今はこんな表現しないのかな?)のトップスピンや変則サービスからのサーブアンドボレーでの戦い方にあこがれていたが、私はコナーズのようにひたむきに打ち続けるプレースタイルにこだわってきた。
何度も何度もそのプレースタイルを真似て打つ練習をしたが、技術レベルも低く(そのうえ両手打ちのバックハンドは否定されていた)、当時はビデオなどの便利な機械もないのでイメージを持続することが難しく、コナーズとはまったく違うフォームになってしまった(あのときビデオさえあったら、私のコナーズ化計画はうまくいったかもしれない)が、執拗にストロークでの強打にこだわるプレースタイルは、フォアの逆クロスで執拗に相手のバックハンドにボールを打ち続ける「私独自のプレースタイル」を作り上げることには成功した。
周りの連中は私のフォームを「ゴキブリ」と評したが、確かな「自分流」のフォームとプレースタイルで戦うことで強くなったのは事実である。
野球では、「まさかり投法」や「トルネード投法」、「振り子打法」といった独自のスタイルを持っている一流選手は多い。
そのスタイルに名前がなくても、「佐々木の高速フォーク」や「山田のシンカー」など、そのボールの変化が他のピッチャーとは大きく違うことから名前を付けられることもある。
この独自性が、強さの秘訣であると言っても良いだろう。
他の選手とは違う「何か」を持っているのなら、強くなることは容易かもしれない。
しかし、そうは簡単に「自分流」を作り出すことはできない。
もちろん、単に人と違うというだけでは「自分流」とは呼べない(そういう人は、「変わった人」と呼ばれる)。
「自分流」を作り出すには、何でも「自分で考える習慣」が身につけていなくてはならない。
斎藤孝(「「できる人」はどこが違うのか」ちくま新書)は、「「自分はいま何のためにやっているのか」ということについての、正確な認識力を育てることが上達の秘訣である」と述べている。
強くなりたければ、自分が強くなるためには何が足りなくて、何が必要で、何を変えなければならないのか、何をしなければならないのかについて、正確に認識することが大切であることを教えてくれる。
そのことを考え続けて、試行錯誤を繰り返し、何度も挫折を味わいながらも、しつこく食らいつき、「自分流」に到達したとき、はじめて「自分流」が強さの源となる。
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2007年08月07日
決断を口に出す(963)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -35-
「けっ、やっぱ口だけの奴か」は、男にとって「ケツの青い奴だなあ」に匹敵する最大の侮辱である。
この意識はスポーツをやっている男は少なからず持っていることだろう。
自分の決断を口にせず、結果が出てから、それが成功したときには「そうだったんだぜ」と言い、だめだったときには「最初からそれが目標じゃあなかったのさ」と嘘ぶくことがもっとも男として情けないと思うのだが、あなたはどう思う?
決断することが難しいことは知っている。
しかし、もっと難しいのは決断を実行に移すことである。
これができてはじめて、強くなるための扉を叩いたことになる。
決断を実行に移すとき、やはり、そこには「戸惑い」も「恐怖」もある。
提案しよう、そういうときこそ、おもいきって自分の決断を口に出すのである。
これは目標を掲げるというのとは違う。
強いて言えば、自分に「渇を入れる」が最も近い表現だろう。
例えば、「もう二度とタバコは吸わない」でもいいだろうし、「毎日ランニングする」でもいいだろう。
強くなるために自分がしなくてはならないことが、いくつか頭に浮かんでくるに違いない。
それを実行しようとしている自分はそこにいる。
しかし、踏み出せないか、もしくは踏み出したとしても、すぐに戻ってきては自分の弱さを嘆くのが常だ。
そんなときこそ思い切ってその「決断を口に出す」ことだ。
弱い自分に渇を入れ、叱咤激励して、困難に立ち向かわせるもっともよい方法である。
なぜなら、それをやれないことを侮辱されることが人間にとって最もつらいからだ。
私もそうだった教員を辞めてアメリカに行こうと決断したのだが、子どもはまだ2歳だったし、英語の問題や収入の問題、将来の問題など、いくつも私の決断を鈍らせる問題は存在した。
そうすると、不安や恐怖に襲われてきて、寝付けない夜が続く。
「もう、止めてしまおうかな」と何度も思った。
そこで私は、自分の決断が鈍らないように「俺はアメリカに行くぞ!」、「アメリカでプロのテニストレーナーになる!」と会う人ごとに宣言し、もうどうにも後に引けないように自分自身を追い詰めたのである。
私を悩ませるどんな問題よりも、「けっ、やっぱ口だけの奴か」と侮辱されることがたまらなく嫌だったから、なんとか不安や恐怖に耐えていた。
そうすると、あるとき、開き直ったように「何とかなるだろう」と思えるようになるのだから不思議なものだ。
私は、あのとき「決断を口に出して」、本当に良かったと思っている。
じつはアメリカに永住するつもりだったので、志半ばでの帰国であるが、そのステージに上がって経験したことと、その決断を実行に移すことができたことが大きな自信と経験となった。
今のコーチという仕事にも生きているように思う。
これを読んでいる方の中にも、「あのとき決断していれば良かった」と思っている人も多いだろう。
そんな人は、スピリチャルな癒し本(最近流行らしい)を読んで、自分を慰めてみても無駄だ。
新たに何かを決断することがよい。
そして、その「決断を口に出し」、実行に移すように努力してみることだ。
そうすると、あら不思議、今までの自分とは違う見方でものごとを捉え、考えることができるようになる。自信も湧いてくるである。
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「けっ、やっぱ口だけの奴か」は、男にとって「ケツの青い奴だなあ」に匹敵する最大の侮辱である。
この意識はスポーツをやっている男は少なからず持っていることだろう。
自分の決断を口にせず、結果が出てから、それが成功したときには「そうだったんだぜ」と言い、だめだったときには「最初からそれが目標じゃあなかったのさ」と嘘ぶくことがもっとも男として情けないと思うのだが、あなたはどう思う?
決断することが難しいことは知っている。
しかし、もっと難しいのは決断を実行に移すことである。
これができてはじめて、強くなるための扉を叩いたことになる。
決断を実行に移すとき、やはり、そこには「戸惑い」も「恐怖」もある。
提案しよう、そういうときこそ、おもいきって自分の決断を口に出すのである。
これは目標を掲げるというのとは違う。
強いて言えば、自分に「渇を入れる」が最も近い表現だろう。
例えば、「もう二度とタバコは吸わない」でもいいだろうし、「毎日ランニングする」でもいいだろう。
強くなるために自分がしなくてはならないことが、いくつか頭に浮かんでくるに違いない。
それを実行しようとしている自分はそこにいる。
しかし、踏み出せないか、もしくは踏み出したとしても、すぐに戻ってきては自分の弱さを嘆くのが常だ。
そんなときこそ思い切ってその「決断を口に出す」ことだ。
弱い自分に渇を入れ、叱咤激励して、困難に立ち向かわせるもっともよい方法である。
なぜなら、それをやれないことを侮辱されることが人間にとって最もつらいからだ。
私もそうだった教員を辞めてアメリカに行こうと決断したのだが、子どもはまだ2歳だったし、英語の問題や収入の問題、将来の問題など、いくつも私の決断を鈍らせる問題は存在した。
そうすると、不安や恐怖に襲われてきて、寝付けない夜が続く。
「もう、止めてしまおうかな」と何度も思った。
そこで私は、自分の決断が鈍らないように「俺はアメリカに行くぞ!」、「アメリカでプロのテニストレーナーになる!」と会う人ごとに宣言し、もうどうにも後に引けないように自分自身を追い詰めたのである。
私を悩ませるどんな問題よりも、「けっ、やっぱ口だけの奴か」と侮辱されることがたまらなく嫌だったから、なんとか不安や恐怖に耐えていた。
そうすると、あるとき、開き直ったように「何とかなるだろう」と思えるようになるのだから不思議なものだ。
私は、あのとき「決断を口に出して」、本当に良かったと思っている。
じつはアメリカに永住するつもりだったので、志半ばでの帰国であるが、そのステージに上がって経験したことと、その決断を実行に移すことができたことが大きな自信と経験となった。
今のコーチという仕事にも生きているように思う。
これを読んでいる方の中にも、「あのとき決断していれば良かった」と思っている人も多いだろう。
そんな人は、スピリチャルな癒し本(最近流行らしい)を読んで、自分を慰めてみても無駄だ。
新たに何かを決断することがよい。
そして、その「決断を口に出し」、実行に移すように努力してみることだ。
そうすると、あら不思議、今までの自分とは違う見方でものごとを捉え、考えることができるようになる。自信も湧いてくるである。
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2007年08月05日
変化を怖がるな(961)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -34-
よく、「強くなるためにはいろいろな経験がいる」といわれる。その通りだ。
今までとは違う環境や方法で練習をすることで、今までとは違う感覚や発想が生まれるからだ(だからこそ、遠征を強く勧める)。選手はそのような「変化」を通じて成長していく。
しかし、技術的なことに関して、今までのやり方なり、感覚を変えることは大変に難しい、というより「勇気」がいる。
グリップを少し変えただけでもガクッと成績が落ちてしまうこともあるからだ。
しかし、「変化」を怖がってはいけない。
もちろん「変化」は一時的にパフォーマンスを落とす場合もあるので、いままでの方法のほうがよいと感じて戻ってしまう場合もあるだろう。
それでも一度「変化」を経験すれば、「もと」の良さを再認識して、より自信を持って戦うことができることもある。
ただ、今までの方法では乗り越えることができないと感じる壁にぶつかったときは、自分自身が変わり、より大きく成長することに「賭ける」しかないのではないか。
「変化」は怖い、しかし、「強さ」を生み出すもっとも大切なキーワードだ。
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よく、「強くなるためにはいろいろな経験がいる」といわれる。その通りだ。
今までとは違う環境や方法で練習をすることで、今までとは違う感覚や発想が生まれるからだ(だからこそ、遠征を強く勧める)。選手はそのような「変化」を通じて成長していく。
しかし、技術的なことに関して、今までのやり方なり、感覚を変えることは大変に難しい、というより「勇気」がいる。
グリップを少し変えただけでもガクッと成績が落ちてしまうこともあるからだ。
しかし、「変化」を怖がってはいけない。
もちろん「変化」は一時的にパフォーマンスを落とす場合もあるので、いままでの方法のほうがよいと感じて戻ってしまう場合もあるだろう。
それでも一度「変化」を経験すれば、「もと」の良さを再認識して、より自信を持って戦うことができることもある。
ただ、今までの方法では乗り越えることができないと感じる壁にぶつかったときは、自分自身が変わり、より大きく成長することに「賭ける」しかないのではないか。
「変化」は怖い、しかし、「強さ」を生み出すもっとも大切なキーワードだ。
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2007年08月01日
変化ほど安定したものは無い(958)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -33-
いつも自分が安住していられる場所に居続けることで、「強さ」は確実に失われる。
「変化を求める」こと(積極的に遠征などに出かけることも含まれる)で、自分の「強さを維持」できることを覚えておいてほしい。
「変化」は安定した強さを維持するにはもっとも大切な考え方である。
選手として成長する例ではないが、変化することで強さを維持する例を挙げて話をしよう。
私は仕事柄いろいろなクラブを観てまわることも多い。
強い選手を輩出するクラブにはいろいろな秘訣はあるだろうが、そのひとつに「システムに固執しないこと」が挙げられる。
よく、「このシステムは完璧です。このシステムに沿って取り組めば強い選手になりますよ」と宣伝するクラブがあるが、「あほか!」と思う。
人間を育成するシステムに完璧はない。
完璧があるとしたら、その人間の育成にとって完璧なのであって、他の人にとっては迷惑極まりないシステムかもしれない(星飛雄馬を成功とするならば、星一徹の徹底したスパルタ指導は完璧といってもよいかもしれないが、あなたは好んで養成ギブスを付けられないでしょ?)。
このような考え方に陥るのは、人間を育成するという考え方に立っていないのである。
人間は刻一刻と変化しており、いかにそれに対応すべく智恵を絞るのかが、人間を扱う上での基本である。
ごくあたりまえの考え方なのだが、指導する側からのエゴを推し進めると、ひとつのシステムさえ作れば良いという考え方に固執してしまうのである。
私は「人間を育成する」という考え方に立って指導のカリキュラムを作っている(作ろうと努力している)。
だから、そのときにそのときの状況にあわせて(子どもを指導していると、身体的にも精神的にも大きな成長をするので、その変化は大変に大きい)、どの方法がよいだろうかと智恵を絞って考える。
考えに考えて、「よしこれでいこう!」と納得できるアイディアが浮かべば、それをできるだけ速やかに実行するようにしている。
今までとはまったく違うシステムになることもある。
システムを変更することは大変な労力を必要とするので、正直面倒くさいと思うことも多い(反感をかうことさえある)が、私のクラブが順調に成長してきたのは、「変化」を望んで受け入れたからだと思っている。
そういえば、星一徹も飛雄馬の成長(変化)に合わせて、養成ギブスの強度を上げていたように記憶している。
きっと飛雄馬の筋肉のつき方などをよく観察し、絶妙のタイミングを探っていたのだろう。
養成ギブスをつけながらの食事などが楽にできるようになった頃を見計らって強度が上げられるので、飛雄馬は「ええっ!どうして!」と驚きを隠せないようであった(そのときの表情はまさに「どん底」に突き落とされたかのような絶妙の描写であり、姉の明子の戸惑った泣き顔もなんともいえないくらい素晴らしいのだ)。
ん~、やはり、星一徹はすごい指導者だ。
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いつも自分が安住していられる場所に居続けることで、「強さ」は確実に失われる。
「変化を求める」こと(積極的に遠征などに出かけることも含まれる)で、自分の「強さを維持」できることを覚えておいてほしい。
「変化」は安定した強さを維持するにはもっとも大切な考え方である。
選手として成長する例ではないが、変化することで強さを維持する例を挙げて話をしよう。
私は仕事柄いろいろなクラブを観てまわることも多い。
強い選手を輩出するクラブにはいろいろな秘訣はあるだろうが、そのひとつに「システムに固執しないこと」が挙げられる。
よく、「このシステムは完璧です。このシステムに沿って取り組めば強い選手になりますよ」と宣伝するクラブがあるが、「あほか!」と思う。
人間を育成するシステムに完璧はない。
完璧があるとしたら、その人間の育成にとって完璧なのであって、他の人にとっては迷惑極まりないシステムかもしれない(星飛雄馬を成功とするならば、星一徹の徹底したスパルタ指導は完璧といってもよいかもしれないが、あなたは好んで養成ギブスを付けられないでしょ?)。
このような考え方に陥るのは、人間を育成するという考え方に立っていないのである。
人間は刻一刻と変化しており、いかにそれに対応すべく智恵を絞るのかが、人間を扱う上での基本である。
ごくあたりまえの考え方なのだが、指導する側からのエゴを推し進めると、ひとつのシステムさえ作れば良いという考え方に固執してしまうのである。
私は「人間を育成する」という考え方に立って指導のカリキュラムを作っている(作ろうと努力している)。
だから、そのときにそのときの状況にあわせて(子どもを指導していると、身体的にも精神的にも大きな成長をするので、その変化は大変に大きい)、どの方法がよいだろうかと智恵を絞って考える。
考えに考えて、「よしこれでいこう!」と納得できるアイディアが浮かべば、それをできるだけ速やかに実行するようにしている。
今までとはまったく違うシステムになることもある。
システムを変更することは大変な労力を必要とするので、正直面倒くさいと思うことも多い(反感をかうことさえある)が、私のクラブが順調に成長してきたのは、「変化」を望んで受け入れたからだと思っている。
そういえば、星一徹も飛雄馬の成長(変化)に合わせて、養成ギブスの強度を上げていたように記憶している。
きっと飛雄馬の筋肉のつき方などをよく観察し、絶妙のタイミングを探っていたのだろう。
養成ギブスをつけながらの食事などが楽にできるようになった頃を見計らって強度が上げられるので、飛雄馬は「ええっ!どうして!」と驚きを隠せないようであった(そのときの表情はまさに「どん底」に突き落とされたかのような絶妙の描写であり、姉の明子の戸惑った泣き顔もなんともいえないくらい素晴らしいのだ)。
ん~、やはり、星一徹はすごい指導者だ。
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2007年07月30日
枠からはみ出せ(956)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -32-
多くの人間は、「自己を徹底的に否定されないような、枠を持とうとする」(福田和也「悪の恋愛術」講談社現代新書)。
上の世界で戦うこと、今まで以上にレベルの高い大会で戦うことは、今までの自分が完全に否定されるかもしれない。
弱い選手は負けても(否定されても)言い訳できるように仲間とつるんだり、練習を怠けたりするものだ。
「自分は目いっぱいやっていないのだから」という言い訳(枠)の中で、「だからもう少しがんばればきっと勝てるさ」という幻想を持とうとする。
周恩来は「破壊なくして真の建設はない」と言った。
これは政治的スローガンかもしれないが、今までの枠を打ち破り、真のチャレンジャーとして上の世界を目指すものが強くなるのだ。
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多くの人間は、「自己を徹底的に否定されないような、枠を持とうとする」(福田和也「悪の恋愛術」講談社現代新書)。
上の世界で戦うこと、今まで以上にレベルの高い大会で戦うことは、今までの自分が完全に否定されるかもしれない。
弱い選手は負けても(否定されても)言い訳できるように仲間とつるんだり、練習を怠けたりするものだ。
「自分は目いっぱいやっていないのだから」という言い訳(枠)の中で、「だからもう少しがんばればきっと勝てるさ」という幻想を持とうとする。
周恩来は「破壊なくして真の建設はない」と言った。
これは政治的スローガンかもしれないが、今までの枠を打ち破り、真のチャレンジャーとして上の世界を目指すものが強くなるのだ。
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2007年07月28日
上の世界でもまれろ(954)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -31-
ジュニア選手にどれくらい強くなりたいのかと聞くと、「国際レベルで戦える選手」とか「全国でもトップクラスの選手」、「全日本チャンピオン」などと答える選手も多い。
しかし、そう言っていても、地域大会などで戦っているときは、チャンピオンとしてそれなりの風格を持って堂々と戦うことができる選手が、目標としているはずの全国大会にくると、その感じられた風格は消え去り、おどおどとした落ち着きのない態度を見せることは多い。
自分がチャンピオンでいられる場所から、いちチャレンジャーにならなければならない場所に来ると、自分自身のコントロールを失ってしまうのだ。
役者で言えば舞台慣れしていないということになる。これは誰にもあることだ。
強くなる選手は、場所が変わってもとるべき行動にそれほど大きな差はない(といっても、その場所、ステージが上がればそれになりに行動パターンは違ってくる)。
自分がその舞台にいることに慣れ、その舞台で自分自身をうまく表現するためにはやはり場数がいるのだ。
斎藤孝(「「できる人」はどこがちがうのか」ちくま新書)は、「未熟な頃から上手な人に交じって、謗られ笑われても恥ずかしがらずに平気で通して稽古する人は、生まれつきの素質がなくても、自分勝手なことをしないで長年稽古を積んでいけば、最終的に上手の境地に達して世間に並ぶものなき名声を得る」という「徒然草」の文を紹介している。
もちろん、最終的にはイチローのように、舞台が大きくなっても自分のすべきことは同じであると言い切って、なおかつその通りに行動できるようになることが目標かもしれないが、まずは、怖がらずに自分の居場所のあるところから、まったくないところに立つ訓練が必要である。
またまた私の例で申し訳ないが、教員を辞めてアメリカに渡ったとき、誰も自分のことを評価するものがいない、今まで日本で蓄えてきた知識や力を試す機会が与えられないときは、正直あせったしストレスにもなった。
しかし、自分が相手にするのはプロの選手たちである。自分の意識がプロフェッショナルにならなければ通用しないことを痛感した。
今までとは違うステージに立っているのだと言うことを思い知らされたのだ。
そして、日本ではいかに低い意識で指導をおこなってきたのかを反省し、とても高い緊張感と意識を持って一つ一つの仕事を丁寧にこなしていった。
その結果、多くの選手が私にトレーニングやケアを依頼するようになってきて、そのような選手のトレーニングを指導したり、試合に同行したりするうちにだんだんと自分の力を出せるようになってきた。
私は、このように今までより高いレベルの試合で戦うことを「ステージを上げる」といっている。
以前、私が指導する選手にITFへの参戦を薦めたとき、「私のような弱いものが、試合に出てもよいのですか?」と言ったことに対して、「強い奴がチャレンジするのではなく、チャレンジする奴が強いのだ。」と強い口調で諭したことがある。
ステージを上げることは勇気がいるに決まっている。
それを決断できなければ、今の世界に安住するしかない。
<-あなたは、今の世界に安住していないか?->
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ジュニア選手にどれくらい強くなりたいのかと聞くと、「国際レベルで戦える選手」とか「全国でもトップクラスの選手」、「全日本チャンピオン」などと答える選手も多い。
しかし、そう言っていても、地域大会などで戦っているときは、チャンピオンとしてそれなりの風格を持って堂々と戦うことができる選手が、目標としているはずの全国大会にくると、その感じられた風格は消え去り、おどおどとした落ち着きのない態度を見せることは多い。
自分がチャンピオンでいられる場所から、いちチャレンジャーにならなければならない場所に来ると、自分自身のコントロールを失ってしまうのだ。
役者で言えば舞台慣れしていないということになる。これは誰にもあることだ。
強くなる選手は、場所が変わってもとるべき行動にそれほど大きな差はない(といっても、その場所、ステージが上がればそれになりに行動パターンは違ってくる)。
自分がその舞台にいることに慣れ、その舞台で自分自身をうまく表現するためにはやはり場数がいるのだ。
斎藤孝(「「できる人」はどこがちがうのか」ちくま新書)は、「未熟な頃から上手な人に交じって、謗られ笑われても恥ずかしがらずに平気で通して稽古する人は、生まれつきの素質がなくても、自分勝手なことをしないで長年稽古を積んでいけば、最終的に上手の境地に達して世間に並ぶものなき名声を得る」という「徒然草」の文を紹介している。
もちろん、最終的にはイチローのように、舞台が大きくなっても自分のすべきことは同じであると言い切って、なおかつその通りに行動できるようになることが目標かもしれないが、まずは、怖がらずに自分の居場所のあるところから、まったくないところに立つ訓練が必要である。
またまた私の例で申し訳ないが、教員を辞めてアメリカに渡ったとき、誰も自分のことを評価するものがいない、今まで日本で蓄えてきた知識や力を試す機会が与えられないときは、正直あせったしストレスにもなった。
しかし、自分が相手にするのはプロの選手たちである。自分の意識がプロフェッショナルにならなければ通用しないことを痛感した。
今までとは違うステージに立っているのだと言うことを思い知らされたのだ。
そして、日本ではいかに低い意識で指導をおこなってきたのかを反省し、とても高い緊張感と意識を持って一つ一つの仕事を丁寧にこなしていった。
その結果、多くの選手が私にトレーニングやケアを依頼するようになってきて、そのような選手のトレーニングを指導したり、試合に同行したりするうちにだんだんと自分の力を出せるようになってきた。
私は、このように今までより高いレベルの試合で戦うことを「ステージを上げる」といっている。
以前、私が指導する選手にITFへの参戦を薦めたとき、「私のような弱いものが、試合に出てもよいのですか?」と言ったことに対して、「強い奴がチャレンジするのではなく、チャレンジする奴が強いのだ。」と強い口調で諭したことがある。
ステージを上げることは勇気がいるに決まっている。
それを決断できなければ、今の世界に安住するしかない。
<-あなたは、今の世界に安住していないか?->
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2007年07月26日
やり続ける(951)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -30-
決断して行動しても、すぐに振り出しにもどる奴は多い。
試合に負けた後は誰でも悔しい思いをする。
そして、自分の甘さを痛感し、次にチャレンジする意欲も湧いてくることだろう。
しかし、弱い選手はその意欲が長続きしない。
強くなるには、それをどれくらい持続させることができるのかが何よりも必要な資質だと思う。
イチローのコラムを何度も紹介したが、「当たり前のことを当たり前にする」、そして、それを「やり続ける」ことができてはじめて強くなる選手として第一歩が始まるのではないだろうか。
正直こう書いていて、私も反省することしきりである。
弱音を吐き、ついつい言い訳して怠惰な自分を正当化しようとするずるい考えに支配されてしまう。
そんな時は次のような言葉を思い浮かべるようにしている。
これらの言葉は、座右の銘ではないが怠けそうになる自分を叱咤激励する効果が私にはある。
L.レゲット「成功というのは、コーチや選手にとっては95%まで継続のたまものである」
坂口安吾「負けないとは戦い続けることである」
モーパッサン「才能とは持続する情熱のことである」
どうです、けっこういい言葉でしょう。
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決断して行動しても、すぐに振り出しにもどる奴は多い。
試合に負けた後は誰でも悔しい思いをする。
そして、自分の甘さを痛感し、次にチャレンジする意欲も湧いてくることだろう。
しかし、弱い選手はその意欲が長続きしない。
強くなるには、それをどれくらい持続させることができるのかが何よりも必要な資質だと思う。
イチローのコラムを何度も紹介したが、「当たり前のことを当たり前にする」、そして、それを「やり続ける」ことができてはじめて強くなる選手として第一歩が始まるのではないだろうか。
正直こう書いていて、私も反省することしきりである。
弱音を吐き、ついつい言い訳して怠惰な自分を正当化しようとするずるい考えに支配されてしまう。
そんな時は次のような言葉を思い浮かべるようにしている。
これらの言葉は、座右の銘ではないが怠けそうになる自分を叱咤激励する効果が私にはある。
L.レゲット「成功というのは、コーチや選手にとっては95%まで継続のたまものである」
坂口安吾「負けないとは戦い続けることである」
モーパッサン「才能とは持続する情熱のことである」
どうです、けっこういい言葉でしょう。
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2007年07月24日
できない理由を探すな(949)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -29-
瞬間に行動できない者や、基本的に行動力の乏しい者は、いつでも「できない理由」を探している。
「強くなりたい」、「上手くなりたい」と口では言いながら、休む口実を勉強や体の不調にすぐに求める。
そういう奴は、いざぎりぎりの勝負になったときに、「自分を甘やかしてきた付け」が出るものだ。
しかし、この辺のはなしは簡単ではない。
本当に休息が必要な場合でも無理をして体調を壊したり、調子を崩したりする場合も少なくないからである。
だからこそ、自分が本当にどこまでできるのかを確かめておく必要がある。
強くなるために厳しい訓練が必要なのは、ひとつには身体的にどの程度が限界に近いのかを実感として感じることが、正しいコンディショニングつくりに結びつくからである。
私の指導の経験を少し話そう。
私はトレーニングの専門家として、テニスに限らず、陸上やゴルフ、野球などの選手のトレーニングを指導している。
そうした指導の経験の中でとても印象に残っている選手がいる。
この選手は、陸上の長距離からトライアスロンに転進して、オリンピックの候補選手にもなった双子の姉妹なのだが、この姉妹が実によく練習する。
もっともその練習のしすぎで体調を壊して、私のところに指導を受けに来たのではあるが(わざわざ宮崎県から飛行機に乗って)。
なにしろ、朝の5時頃からランニングし、朝食後午前中は自転車、午後は水泳とトレーニングという日課を毎日のようにこなすのである(オリンピックの候補選考会が間近に迫っていたこともあって、少しあせっていたようではあるが)。
身体的は陸上選手の障害としてはよくある前部コンパートメント症候群(すねのあたりの障害)や腰痛などの障害を抱えて、満身創痍である。
それでも「まだここまではできます」とつねに「やること」を目指すのである。
「今はできません」とか「これはできません」などという言葉は一度として出てこない。
つねに「自分たちがやれることはなんだろうか」ということを探しているようである。
そうでもなければ、わざわざ宮崎から名古屋までトレーニングの指導を受けにはこないだろう。
とにかくその練習は「すごい!」の一言である。
トレーナーとして、どれくらいトレーニングを制限するのかということを考えながら、カリキュラムを作らなければならなかった。
残念ながら二人はオリンピックの切符はまだ手に入れてはいないが、トレーニングに対してすぐに弱気な言葉を吐く奴を見るたびに、彼女たちのことが思い浮かんでくる。
このように、強い選手というのは、「できない理由」など見つけはしない。
つねに「何ができるのか」を探し続ける意欲と信念に支えられているものだ。
長田一臣(「スランプに挑む」文化書房博文社)は、「そう在りたいと願うならばまず心にそう思うことが必要である。そう思っても成らないことがある以上、そう思うことをせずに何事が成りうるだろうか。「信念の魔術」という言い方があるが、心にそう思うことによって、生活がその方向に規正されていくからである。」と言っている。
はっきりと言っておこう。「できない理由を探すな」、これは法則である。
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瞬間に行動できない者や、基本的に行動力の乏しい者は、いつでも「できない理由」を探している。
「強くなりたい」、「上手くなりたい」と口では言いながら、休む口実を勉強や体の不調にすぐに求める。
そういう奴は、いざぎりぎりの勝負になったときに、「自分を甘やかしてきた付け」が出るものだ。
しかし、この辺のはなしは簡単ではない。
本当に休息が必要な場合でも無理をして体調を壊したり、調子を崩したりする場合も少なくないからである。
だからこそ、自分が本当にどこまでできるのかを確かめておく必要がある。
強くなるために厳しい訓練が必要なのは、ひとつには身体的にどの程度が限界に近いのかを実感として感じることが、正しいコンディショニングつくりに結びつくからである。
私の指導の経験を少し話そう。
私はトレーニングの専門家として、テニスに限らず、陸上やゴルフ、野球などの選手のトレーニングを指導している。
そうした指導の経験の中でとても印象に残っている選手がいる。
この選手は、陸上の長距離からトライアスロンに転進して、オリンピックの候補選手にもなった双子の姉妹なのだが、この姉妹が実によく練習する。
もっともその練習のしすぎで体調を壊して、私のところに指導を受けに来たのではあるが(わざわざ宮崎県から飛行機に乗って)。
なにしろ、朝の5時頃からランニングし、朝食後午前中は自転車、午後は水泳とトレーニングという日課を毎日のようにこなすのである(オリンピックの候補選考会が間近に迫っていたこともあって、少しあせっていたようではあるが)。
身体的は陸上選手の障害としてはよくある前部コンパートメント症候群(すねのあたりの障害)や腰痛などの障害を抱えて、満身創痍である。
それでも「まだここまではできます」とつねに「やること」を目指すのである。
「今はできません」とか「これはできません」などという言葉は一度として出てこない。
つねに「自分たちがやれることはなんだろうか」ということを探しているようである。
そうでもなければ、わざわざ宮崎から名古屋までトレーニングの指導を受けにはこないだろう。
とにかくその練習は「すごい!」の一言である。
トレーナーとして、どれくらいトレーニングを制限するのかということを考えながら、カリキュラムを作らなければならなかった。
残念ながら二人はオリンピックの切符はまだ手に入れてはいないが、トレーニングに対してすぐに弱気な言葉を吐く奴を見るたびに、彼女たちのことが思い浮かんでくる。
このように、強い選手というのは、「できない理由」など見つけはしない。
つねに「何ができるのか」を探し続ける意欲と信念に支えられているものだ。
長田一臣(「スランプに挑む」文化書房博文社)は、「そう在りたいと願うならばまず心にそう思うことが必要である。そう思っても成らないことがある以上、そう思うことをせずに何事が成りうるだろうか。「信念の魔術」という言い方があるが、心にそう思うことによって、生活がその方向に規正されていくからである。」と言っている。
はっきりと言っておこう。「できない理由を探すな」、これは法則である。
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2007年07月19日
瞬間に動く(947)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -28-
質問力にしろ、対話力にしろ素早いレスポンス(応答)が求められることは言うまでもない。
相手の話を聞いていて、その場で瞬間的に反応しなければ対話は成り立たないし、質問もピントはずれに終わってしまう。
また、話の中で向上につながるヒントを得たならば、すぐに試してみるぐらいの俊敏な行動力は必要である。
「これだ!」と思った瞬間に動くように訓練していなければ、チャンスを逃すことも多いはずだ。
思慮深く行動することは大切であるが、スポーツ選手として強くなりたければ、「まず行動して、それから考える」タイプのほうが望ましいように思う。
何よりもいけないのは、動かないことに対する言い訳をする奴だ。
自分が動かない正当性をいくら主張しても空しいだけだ。
瞬間に動くことができるためには、いつもそのことを考えていなくてはならない。
練習がしたくてしたくてたまらないのに、練習コートに空きがないとしよう。
どの選手も空きコートができるのを待っている。
そして、空きコートができた時に真っ先に確保するのは、そのことを誰よりも強く思っている奴だ。
勝負に対して貪欲な奴は、自分の欲望に関しても貪欲であり、時には自己中心的な振る舞いになる場合もある(正しい自己中のあり方についてはいずれ述べる)が、このような機敏な動きができないものは強くはなれない。
いつでも死の危険がある状態では、いつでもそのことに気を配り、自分の有利な状況になると判断した場合にいかに迅速に行動できるかでその人の寿命が決まってしまう。
何度も言うように、戦いに勝利するものが強いのだ。
そのために常に自分の利になるような状況を敏感に察知し、とっさの素早い行動ができるように訓練を積んでほしい。
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質問力にしろ、対話力にしろ素早いレスポンス(応答)が求められることは言うまでもない。
相手の話を聞いていて、その場で瞬間的に反応しなければ対話は成り立たないし、質問もピントはずれに終わってしまう。
また、話の中で向上につながるヒントを得たならば、すぐに試してみるぐらいの俊敏な行動力は必要である。
「これだ!」と思った瞬間に動くように訓練していなければ、チャンスを逃すことも多いはずだ。
思慮深く行動することは大切であるが、スポーツ選手として強くなりたければ、「まず行動して、それから考える」タイプのほうが望ましいように思う。
何よりもいけないのは、動かないことに対する言い訳をする奴だ。
自分が動かない正当性をいくら主張しても空しいだけだ。
瞬間に動くことができるためには、いつもそのことを考えていなくてはならない。
練習がしたくてしたくてたまらないのに、練習コートに空きがないとしよう。
どの選手も空きコートができるのを待っている。
そして、空きコートができた時に真っ先に確保するのは、そのことを誰よりも強く思っている奴だ。
勝負に対して貪欲な奴は、自分の欲望に関しても貪欲であり、時には自己中心的な振る舞いになる場合もある(正しい自己中のあり方についてはいずれ述べる)が、このような機敏な動きができないものは強くはなれない。
いつでも死の危険がある状態では、いつでもそのことに気を配り、自分の有利な状況になると判断した場合にいかに迅速に行動できるかでその人の寿命が決まってしまう。
何度も言うように、戦いに勝利するものが強いのだ。
そのために常に自分の利になるような状況を敏感に察知し、とっさの素早い行動ができるように訓練を積んでほしい。
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2007年07月17日
正しく質問する(945)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -27-
対話の力を高めるためには、正しく質問する力を備えていなければならない。
なぜなら、正しく質問することは、そのことに関して大いなる好奇心があり、さらに知識を深め強くなりたいという願望に支えられているからである。
斎藤孝(「子どもに伝えたい<三つの力>」NHKブックス)は、「質問が相手からより高次なものを引き出す」という。
あなたの周りには、きっとあなたよりもテニスが強く、テニスやテニスの指導に関する経験や知識の豊富な人がいるはずである。
その人の知識なり経験はあなたに役立つことも多いはずだ(まあ、時にはマイナスになる場合もあるが)。
それを的確な質問によって引き出すことができれば、あなたのレベルを引き上げることができる。
ただ、なかなか積極的に質問してくる者は少ない。
日本では目上の人の言うことはただ聞けばよいという風習があり、不躾な質問はしてはならないという暗黙の了解があるからだ。
だから、日本では聞くことが完全な受身であると思われがちである。
しかし、斎藤(同)は、「聞くことは、アクティブな構えでなされなければ本当に聞くことにはならない。話し手に対してレスポンス(応答)することを前提にして聞くことによって、話は身に入ってくる。質問するということは、自分を「さらす」ことになるので、ためらいが生まれる。相手の話を妨げたり不愉快にさせたりするのではないかと危惧するからだ。こうしたためらいを乗り越えていくための概念が、質問力である。」と言っている。
つまり何事も積極的に受け入れようとこころ構えて、なおかつ自分の考えしっかりともっていないと正しく質問することはできないのである。
私が指導してきた“しつこい質問者”は例外なく強い選手である。
とてもしっかりと自分の考えを述べることができることに感心したものだ。
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対話の力を高めるためには、正しく質問する力を備えていなければならない。
なぜなら、正しく質問することは、そのことに関して大いなる好奇心があり、さらに知識を深め強くなりたいという願望に支えられているからである。
斎藤孝(「子どもに伝えたい<三つの力>」NHKブックス)は、「質問が相手からより高次なものを引き出す」という。
あなたの周りには、きっとあなたよりもテニスが強く、テニスやテニスの指導に関する経験や知識の豊富な人がいるはずである。
その人の知識なり経験はあなたに役立つことも多いはずだ(まあ、時にはマイナスになる場合もあるが)。
それを的確な質問によって引き出すことができれば、あなたのレベルを引き上げることができる。
ただ、なかなか積極的に質問してくる者は少ない。
日本では目上の人の言うことはただ聞けばよいという風習があり、不躾な質問はしてはならないという暗黙の了解があるからだ。
だから、日本では聞くことが完全な受身であると思われがちである。
しかし、斎藤(同)は、「聞くことは、アクティブな構えでなされなければ本当に聞くことにはならない。話し手に対してレスポンス(応答)することを前提にして聞くことによって、話は身に入ってくる。質問するということは、自分を「さらす」ことになるので、ためらいが生まれる。相手の話を妨げたり不愉快にさせたりするのではないかと危惧するからだ。こうしたためらいを乗り越えていくための概念が、質問力である。」と言っている。
つまり何事も積極的に受け入れようとこころ構えて、なおかつ自分の考えしっかりともっていないと正しく質問することはできないのである。
私が指導してきた“しつこい質問者”は例外なく強い選手である。
とてもしっかりと自分の考えを述べることができることに感心したものだ。
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2007年07月15日
対話する力を鍛えろ(943)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -26-
行動力を鍛える第一歩として、自分の考えていることをきちんと主張できるかどうかがとても大きな要因となる。
今まで指導してきた選手で印象に残った選手がいる。
今はプロとして活躍する近藤大生選手である。
彼に「フォアハンドストロークにおける切り返し動作をより素早く行うためには、何を改善しなくてはならないのか」について説明をしたとき、何度もしつこく質問し、「自分はこう思う」と敢然と主張してきたことを思い出す。
彼にしてみれば、自信を持っていたフォアハンドについての問題であったので、自分なりの考えに自信を持っていた。
それを改善するように薦められても、容易に受け入れることができなかったのだろう。
しかし、そうしたことをきちんと主張してくれたことで、彼がどのような考え方を持って取り組んでいるのかがわかり、私の問題意識と彼の問題意識のどこにずれがあるのかが明確になったことで、その後の指導がとてもやりやすくなったことを覚えている。
指導してもらう者に対して質問を浴びせることは日本人にはなかなか難しい。
その点について、中島義道(「対話のない社会」PHP新書)は、対話の重要性を語り、なぜ日本では対話が成り立ちにくいのかについて考察している。
その中で、「<対話>は、相手を議論で打ち負かすことではないが、さりとて相手の語ることに同意し頷くことではない。むしろわからないことを「わかりません」とはっきり言うこと、相手の見解と自分の見解との小さな差異を見逃さず、それにこだわり、「いいえ」と反応することである。」と述べている。
近藤選手は、まさに「相手の見解と自分の見解との小さな差異を見逃さず、それにこだわり、「いいえ」と反応した」のである。
このように対話が行われれば、お互い小さな差異を確認しながらより深い理解につながっていく。
新しい発見も多いはずである。
しかし、「<対話>は個人と個人とが「生きた」言葉を投げあうことであるから、人生を丸ごと背負って語ること」(同)なので、お互いに真剣にそのことを考えていなければ、対話は成り立たない。
真剣にそのことを考えていないものは、ただ押し黙るしかないのである。
また、対話は「場の雰囲気」によっても左右されるので、選手が自分の考え方を主張できるような「場の雰囲気」を作ることが大切である。
このような場を作り出すことで選手の対話能力が向上し、行動力を高めることにつながるからだ。
そのためには感情をコントロールして接することは最も重要である。
間違っても「てめえ、俺の言う事が聞けないのならでていけ!」と星一徹のように怒鳴り散らして、ちゃぶ台をひっくり返してはいけないのである。
ましてや、子どもにグランドスラム養成ギブスをつけてはいけないのである。
しかし、よく考えてみると、星飛雄馬はよくあのような環境で純粋にスポーツに打ち込むことができたものだ。
たぶん本音は「このくそおやじ、いつかはぶん殴ってやる」という復讐心のようなものが彼の支えであったのだろう。
それも苦しいスポーツに向かわせる行動力を高めるためには必要なことかもしれないが、「いつかがみがみ言ったコーチに一撃を食らわす」ためにテニスをがんばる子どもたちに囲まれてテニスを教えるのは耐えられない。
そう考えると、星一徹はやはりすごい指導者なのかもしれない。
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行動力を鍛える第一歩として、自分の考えていることをきちんと主張できるかどうかがとても大きな要因となる。
今まで指導してきた選手で印象に残った選手がいる。
今はプロとして活躍する近藤大生選手である。
彼に「フォアハンドストロークにおける切り返し動作をより素早く行うためには、何を改善しなくてはならないのか」について説明をしたとき、何度もしつこく質問し、「自分はこう思う」と敢然と主張してきたことを思い出す。
彼にしてみれば、自信を持っていたフォアハンドについての問題であったので、自分なりの考えに自信を持っていた。
それを改善するように薦められても、容易に受け入れることができなかったのだろう。
しかし、そうしたことをきちんと主張してくれたことで、彼がどのような考え方を持って取り組んでいるのかがわかり、私の問題意識と彼の問題意識のどこにずれがあるのかが明確になったことで、その後の指導がとてもやりやすくなったことを覚えている。
指導してもらう者に対して質問を浴びせることは日本人にはなかなか難しい。
その点について、中島義道(「対話のない社会」PHP新書)は、対話の重要性を語り、なぜ日本では対話が成り立ちにくいのかについて考察している。
その中で、「<対話>は、相手を議論で打ち負かすことではないが、さりとて相手の語ることに同意し頷くことではない。むしろわからないことを「わかりません」とはっきり言うこと、相手の見解と自分の見解との小さな差異を見逃さず、それにこだわり、「いいえ」と反応することである。」と述べている。
近藤選手は、まさに「相手の見解と自分の見解との小さな差異を見逃さず、それにこだわり、「いいえ」と反応した」のである。
このように対話が行われれば、お互い小さな差異を確認しながらより深い理解につながっていく。
新しい発見も多いはずである。
しかし、「<対話>は個人と個人とが「生きた」言葉を投げあうことであるから、人生を丸ごと背負って語ること」(同)なので、お互いに真剣にそのことを考えていなければ、対話は成り立たない。
真剣にそのことを考えていないものは、ただ押し黙るしかないのである。
また、対話は「場の雰囲気」によっても左右されるので、選手が自分の考え方を主張できるような「場の雰囲気」を作ることが大切である。
このような場を作り出すことで選手の対話能力が向上し、行動力を高めることにつながるからだ。
そのためには感情をコントロールして接することは最も重要である。
間違っても「てめえ、俺の言う事が聞けないのならでていけ!」と星一徹のように怒鳴り散らして、ちゃぶ台をひっくり返してはいけないのである。
ましてや、子どもにグランドスラム養成ギブスをつけてはいけないのである。
しかし、よく考えてみると、星飛雄馬はよくあのような環境で純粋にスポーツに打ち込むことができたものだ。
たぶん本音は「このくそおやじ、いつかはぶん殴ってやる」という復讐心のようなものが彼の支えであったのだろう。
それも苦しいスポーツに向かわせる行動力を高めるためには必要なことかもしれないが、「いつかがみがみ言ったコーチに一撃を食らわす」ためにテニスをがんばる子どもたちに囲まれてテニスを教えるのは耐えられない。
そう考えると、星一徹はやはりすごい指導者なのかもしれない。
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2007年07月12日
練習と同じボールを打て(940)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -25-
強い選手の練習をよく観察してみよう。
ジュニアのレベルでは、練習での様子を見ていてもその強さを判別することが難しい。
もちろん、打球の鋭さや将来性を感じるフォーム、コート上での振る舞いなどで判別することは可能であるが、弱い選手とどれほどの差があるのかについては明確でない場合も多い。
しかし、練習の様子とあわせて試合を観察すると、強い選手と弱い選手との差は歴然としていることに気づく。
それは、「強い選手は練習と同じボールを打つことができる」ということだ。
練習では伸び伸びと鋭い打球を打つ選手が、試合になると弱々しいボールでラリーを続けることは多い。
練習とはまるで違うボール打っているのを見て、「これは、強くなれないかもしれないな」と思ってしまう。
私が見てきた強い選手は、例外なく、試合で練習と同じボールを打つことができる。
もちろん、練習ではミスするかもしれない課題に全力で取り組むのだから、試合よりもミスが多くなる場合もあるだろう。
しかし、練習で少しでもよい感触を得たら、迷わず実際の試合でチャレンジしているのを見て、「これは強くなるな」と感じたものだ。
失点やミスを恐れず、果敢にチャレンジし続ける、簡単そうにみえるが、これを実際の試合でやることは大変に難しい。
強くなる選手とそうでない選手を分ける最も大きな要因であると言ってもよいだろう。
斎藤孝(「「できる人」はどこがちがうのか」ちくま新書)は、所属する大学のテニスクラブに入ってきた、尋常でない速度で上達する選手に関するエピソードで、「私がインパクトを受けたのは、彼が試合でも練習同様にハードヒットできるということであった。(中略)練習と試合とのギャップの少なさを目のあたりにして、技を限定して磨くことの重要性をいっそう痛感した。」と述べている。
練習は何のためにするのかといえば、試合に勝つためだ。
人間を磨くためというような崇高な目的で練習に取り組む場合もあるだろうが(それはそれですごいことである)、その多くは試合に勝つためにやる。
なのに、試合で打つボールと練習で打つボールがまったく違えば、今までのやってきた練習の意味がわからなくなってしまう。
あたりまえの話なのだが、試合では練習してきたボールを打たなくてはならない。
なんだか、こう書くと簡単なことのように思うのだが、本当は大変難しい。
なぜなら、試合では一球に対する「重み」が違う。
ミスに対する不安や負けること対する恐怖などが大きくなるので、練習どおりのボールが打てなくてあたりまえだ。
だからこそ、訓練するのだ。
マッチポイントなど、緊張する場面で本当に信じて使うことのできる技は一つか二つである。
その技を限定して磨くことが重要だと斎藤は言っているのである。
これは普段忘れがちな教訓である。
テニスは実にさまざまな技術が要求される。
もちろん、それぞれの技術のレベルを向上させるために時間をかけて練習しなければならないのだが、自分が本当に信じることができる技に磨きをかけなくては、勝負をかけなくてはならない場面で勝負にいけない。
そんな選手では強くなれない。
あなたは「信じることのできる技」を持っているのか。
持っていないのなら、「これだけはどんな場面でも使うことができる!」と自信を持って言える技をひとつでもよいから持つことだ。
私の経験をお話しよう(なんかいつも自分の話ばかりで申し訳ないが、将来これを元に自叙伝を書いて儲けようなどとは思っていないのでご安心いただきたい)。
私の高校のテニス部はコートが一面しかなく、練習する人数も多いので、必然的に半面での練習(時には3分の1面での練習ということもあった)やダブルス練習が多くなる。
私はバックサイド(いまどきはアドバンテージコートといったほうがよいだろうか)を守っていたので、バックサイド側にはいって練習することが多かった。
当然、ラリーでは逆クロスを中心とした練習になる。
また、私の時代は、高校からテニスをはじめる者も多く、当然、フォアに比べてバックハンドが弱い者が多い。
私もそうだった。
だから、自分ではバックハンドを打たないように、相手のバックをフォアで徹底的に狙うという作戦をとるのが普通だった(というより、それしか作戦がなかったといったほうがよいかもしれない)。
それを徹底して行ったおかげ(そうするしかなかった)で、フォアの逆クロスには自信を持つことができた。
これが、私の強さを支えていたといってもよいだろう。
はっきりいって、フォームはきたない(まわりの連中は、私のフォームを評して「ゴキブリ」のようだと言い放った。そうだよなK.N!)。
でも、相手が私の打つ逆クロスに窮して、嫌そうな顔を見るのがすこぶる快感であった。
もちろん、私も人の子である(たぶん?)。
緊張したことは何度もある(ように思う)。
そんなとき、自分の信じる逆クロスを執拗に打っていたように記憶している。
だからこそ、苦しい場面でも勝負をかけることができた。
強くなるにはやはり、自信のある技、武器を持つことが大切なのだ。
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強い選手の練習をよく観察してみよう。
ジュニアのレベルでは、練習での様子を見ていてもその強さを判別することが難しい。
もちろん、打球の鋭さや将来性を感じるフォーム、コート上での振る舞いなどで判別することは可能であるが、弱い選手とどれほどの差があるのかについては明確でない場合も多い。
しかし、練習の様子とあわせて試合を観察すると、強い選手と弱い選手との差は歴然としていることに気づく。
それは、「強い選手は練習と同じボールを打つことができる」ということだ。
練習では伸び伸びと鋭い打球を打つ選手が、試合になると弱々しいボールでラリーを続けることは多い。
練習とはまるで違うボール打っているのを見て、「これは、強くなれないかもしれないな」と思ってしまう。
私が見てきた強い選手は、例外なく、試合で練習と同じボールを打つことができる。
もちろん、練習ではミスするかもしれない課題に全力で取り組むのだから、試合よりもミスが多くなる場合もあるだろう。
しかし、練習で少しでもよい感触を得たら、迷わず実際の試合でチャレンジしているのを見て、「これは強くなるな」と感じたものだ。
失点やミスを恐れず、果敢にチャレンジし続ける、簡単そうにみえるが、これを実際の試合でやることは大変に難しい。
強くなる選手とそうでない選手を分ける最も大きな要因であると言ってもよいだろう。
斎藤孝(「「できる人」はどこがちがうのか」ちくま新書)は、所属する大学のテニスクラブに入ってきた、尋常でない速度で上達する選手に関するエピソードで、「私がインパクトを受けたのは、彼が試合でも練習同様にハードヒットできるということであった。(中略)練習と試合とのギャップの少なさを目のあたりにして、技を限定して磨くことの重要性をいっそう痛感した。」と述べている。
練習は何のためにするのかといえば、試合に勝つためだ。
人間を磨くためというような崇高な目的で練習に取り組む場合もあるだろうが(それはそれですごいことである)、その多くは試合に勝つためにやる。
なのに、試合で打つボールと練習で打つボールがまったく違えば、今までのやってきた練習の意味がわからなくなってしまう。
あたりまえの話なのだが、試合では練習してきたボールを打たなくてはならない。
なんだか、こう書くと簡単なことのように思うのだが、本当は大変難しい。
なぜなら、試合では一球に対する「重み」が違う。
ミスに対する不安や負けること対する恐怖などが大きくなるので、練習どおりのボールが打てなくてあたりまえだ。
だからこそ、訓練するのだ。
マッチポイントなど、緊張する場面で本当に信じて使うことのできる技は一つか二つである。
その技を限定して磨くことが重要だと斎藤は言っているのである。
これは普段忘れがちな教訓である。
テニスは実にさまざまな技術が要求される。
もちろん、それぞれの技術のレベルを向上させるために時間をかけて練習しなければならないのだが、自分が本当に信じることができる技に磨きをかけなくては、勝負をかけなくてはならない場面で勝負にいけない。
そんな選手では強くなれない。
あなたは「信じることのできる技」を持っているのか。
持っていないのなら、「これだけはどんな場面でも使うことができる!」と自信を持って言える技をひとつでもよいから持つことだ。
私の経験をお話しよう(なんかいつも自分の話ばかりで申し訳ないが、将来これを元に自叙伝を書いて儲けようなどとは思っていないのでご安心いただきたい)。
私の高校のテニス部はコートが一面しかなく、練習する人数も多いので、必然的に半面での練習(時には3分の1面での練習ということもあった)やダブルス練習が多くなる。
私はバックサイド(いまどきはアドバンテージコートといったほうがよいだろうか)を守っていたので、バックサイド側にはいって練習することが多かった。
当然、ラリーでは逆クロスを中心とした練習になる。
また、私の時代は、高校からテニスをはじめる者も多く、当然、フォアに比べてバックハンドが弱い者が多い。
私もそうだった。
だから、自分ではバックハンドを打たないように、相手のバックをフォアで徹底的に狙うという作戦をとるのが普通だった(というより、それしか作戦がなかったといったほうがよいかもしれない)。
それを徹底して行ったおかげ(そうするしかなかった)で、フォアの逆クロスには自信を持つことができた。
これが、私の強さを支えていたといってもよいだろう。
はっきりいって、フォームはきたない(まわりの連中は、私のフォームを評して「ゴキブリ」のようだと言い放った。そうだよなK.N!)。
でも、相手が私の打つ逆クロスに窮して、嫌そうな顔を見るのがすこぶる快感であった。
もちろん、私も人の子である(たぶん?)。
緊張したことは何度もある(ように思う)。
そんなとき、自分の信じる逆クロスを執拗に打っていたように記憶している。
だからこそ、苦しい場面でも勝負をかけることができた。
強くなるにはやはり、自信のある技、武器を持つことが大切なのだ。
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2007年07月10日
自己分析を明確に行え(938)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -24-
試合後に感想を聞くと、「なんとなく」、「なんか微妙」、「よくわかんない」などの感想を述べる選手がいる。
これは、実際に私が指導する選手の試合後のコメントである(このような言葉を聴くと、信頼されていないのかと少し落ち込む)。
なぜ、このようなあいまいな言葉でごまかそうとするのか。
報告することが面倒くさいという場合もあるし、コーチとの信頼関係がなくて、話をするのがうっとうしいという場合もあるだろう(これはコーチの責任でもある)。
負けて落ち込んでいるときにいろいろと話すのはつらいことかもしれない。
しかし、私はこのような時に、試合後のコメントをきちんと言えないことを敢えて指摘し、時間をかけて話し合いをする。
この時間は、自分(コーチ)の意見を伝える場ではない。
この場で技術的な問題点を数多く指摘してもあまり効果はない。
自分の弱さを認め、それを克服するために自分の課題を整理し、強くなるためのヒントを探るための時間なのだ。
しっかりと時間をかけることで、次の戦いに向けて自分の気持ちを奮い立たせることができる場合も多く、それを繰り返すことで強い選手に必要なメンタリティーを獲得していくことは少なくない。
だからこそ、きちんと報告をしてほしいと思う。
斎藤孝(「子どもに伝えたい<三つの力>-生きる力を鍛える-」NHKブックス)は、「何かを経験した後に、何もコメントすることがなかったり、あるいはまともなコメントをすることができなかったりするとすれば、その経験の質自体が疑われる。」と厳しく述べている。
また、「コメントする習慣が欧米に比べて日本に乏しいのは、コメントすることがひとつの責任だという意識が希薄だ、というところにあるのではないだろうか。」とも述べている。
そのとおりだと思う。
もし、真剣に勝負を挑んだ試合であれば、勝ち負けに関わらずなにかしら感じるものがあるはずであり、それを素直にきちんと話すことで、感性のエネルギー(斎藤孝(同))を高めることができる。
そのエネルギーの蓄積が強い選手になるためにもっとも大切であることを覚えておいてほしい。
しかし、ひとりで戦っている選手も多いだろう。
そういう選手は、ノートに自分の気持ちや分析した内容を記録するのもよい方法である。
松岡修造はノート(日記)の効用を強調している。私も同感である(最近はノートのかわりにメールで報告するように指導している)。
しかし、「書く」という行為には文章力などの適性もあるだろうし、試合後の報告に十分な時間を取ることができるのなら、「話す」ことがとても良いトレーニングになる。
実際に話を聞いていると、その子どもの思考や感性を感じ取ることができる場合は多いが、文章からそれを読み取ることは難しい。
よく話を聞き、それを記憶するのがコーチの役目だと考える。だから、コーチにこそノートが必要なのだ。
もちろん、私のノートにはそのような内容がしっかりと記録されている(字は大変きたなく、他人が読んでもよくわからないので、情報が外に漏れることはない。どうだ!!)。
いつも持ち歩き、必要なときには子どもに見せながら説明するときもある(もちろん、読めるように清書して・・・)。
大切なことは、何度も確認をすることだ。
そうすることで子どもたちの感性が磨かれると信じることである。
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試合後に感想を聞くと、「なんとなく」、「なんか微妙」、「よくわかんない」などの感想を述べる選手がいる。
これは、実際に私が指導する選手の試合後のコメントである(このような言葉を聴くと、信頼されていないのかと少し落ち込む)。
なぜ、このようなあいまいな言葉でごまかそうとするのか。
報告することが面倒くさいという場合もあるし、コーチとの信頼関係がなくて、話をするのがうっとうしいという場合もあるだろう(これはコーチの責任でもある)。
負けて落ち込んでいるときにいろいろと話すのはつらいことかもしれない。
しかし、私はこのような時に、試合後のコメントをきちんと言えないことを敢えて指摘し、時間をかけて話し合いをする。
この時間は、自分(コーチ)の意見を伝える場ではない。
この場で技術的な問題点を数多く指摘してもあまり効果はない。
自分の弱さを認め、それを克服するために自分の課題を整理し、強くなるためのヒントを探るための時間なのだ。
しっかりと時間をかけることで、次の戦いに向けて自分の気持ちを奮い立たせることができる場合も多く、それを繰り返すことで強い選手に必要なメンタリティーを獲得していくことは少なくない。
だからこそ、きちんと報告をしてほしいと思う。
斎藤孝(「子どもに伝えたい<三つの力>-生きる力を鍛える-」NHKブックス)は、「何かを経験した後に、何もコメントすることがなかったり、あるいはまともなコメントをすることができなかったりするとすれば、その経験の質自体が疑われる。」と厳しく述べている。
また、「コメントする習慣が欧米に比べて日本に乏しいのは、コメントすることがひとつの責任だという意識が希薄だ、というところにあるのではないだろうか。」とも述べている。
そのとおりだと思う。
もし、真剣に勝負を挑んだ試合であれば、勝ち負けに関わらずなにかしら感じるものがあるはずであり、それを素直にきちんと話すことで、感性のエネルギー(斎藤孝(同))を高めることができる。
そのエネルギーの蓄積が強い選手になるためにもっとも大切であることを覚えておいてほしい。
しかし、ひとりで戦っている選手も多いだろう。
そういう選手は、ノートに自分の気持ちや分析した内容を記録するのもよい方法である。
松岡修造はノート(日記)の効用を強調している。私も同感である(最近はノートのかわりにメールで報告するように指導している)。
しかし、「書く」という行為には文章力などの適性もあるだろうし、試合後の報告に十分な時間を取ることができるのなら、「話す」ことがとても良いトレーニングになる。
実際に話を聞いていると、その子どもの思考や感性を感じ取ることができる場合は多いが、文章からそれを読み取ることは難しい。
よく話を聞き、それを記憶するのがコーチの役目だと考える。だから、コーチにこそノートが必要なのだ。
もちろん、私のノートにはそのような内容がしっかりと記録されている(字は大変きたなく、他人が読んでもよくわからないので、情報が外に漏れることはない。どうだ!!)。
いつも持ち歩き、必要なときには子どもに見せながら説明するときもある(もちろん、読めるように清書して・・・)。
大切なことは、何度も確認をすることだ。
そうすることで子どもたちの感性が磨かれると信じることである。
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2007年07月07日
勝負に対して貪欲であれ(936)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -23-
試合の日は練習コートが用意される。
予約表に自分の名前を記入して練習コートを確保するのだが、強い選手は練習コートの確保がすばやく、少しでも空きがあれば、すぐに自分の練習コートにしてしまう。
ある試合でも、練習時間は20分と決められていたのだが、強い選手は少しでも空いているコートがあれば、さっと名前を記入して練習時間を確保していることに感心したものだ(単なるわがままで、他人の迷惑をかえりみないような奴は後ろから思いっきりけりを入れたくなるが)。
それに対して、弱い選手は、ただ与えられるコートでの練習で良しとしてしまうことが多い。
ある選手は、自分の練習時間が来るまで仲間としゃべっていて、十分に体を動かすこともできないままに練習にはいっていた。
その対戦相手をみると、練習時間前に十分なウォーミングアップを終え、コートに入ればすぐにベースラインからフルスイングできる状態になっている。
もちろん、余分に確保した練習時間で実践的な練習に取り組んでいた。もう何も言うことはない。
・
・
この時点で勝負はすでについている。
強い選手は、勝利することに対して大変に貪欲だ。
・
・
そのための準備は万端である。
単に身体的にウォーミングアップができているというのとは違う。
勝つために自分の気持ちを高めることができ、そのための行動をしっかりと行うことができる。
ここでもう一度、イチローのコメントを載せておこう。
「やれることはすべてやったし、手を抜いたことは一度もない。常にやれることをやろうとした自分がいたこと、それに対して準備ができた自分がいたことを、誇りに思っている。」
君たちにこのプライドがあるのか?なければ強い選手になることは不可能だと言うことを自覚してほしい。
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試合の日は練習コートが用意される。
予約表に自分の名前を記入して練習コートを確保するのだが、強い選手は練習コートの確保がすばやく、少しでも空きがあれば、すぐに自分の練習コートにしてしまう。
ある試合でも、練習時間は20分と決められていたのだが、強い選手は少しでも空いているコートがあれば、さっと名前を記入して練習時間を確保していることに感心したものだ(単なるわがままで、他人の迷惑をかえりみないような奴は後ろから思いっきりけりを入れたくなるが)。
それに対して、弱い選手は、ただ与えられるコートでの練習で良しとしてしまうことが多い。
ある選手は、自分の練習時間が来るまで仲間としゃべっていて、十分に体を動かすこともできないままに練習にはいっていた。
その対戦相手をみると、練習時間前に十分なウォーミングアップを終え、コートに入ればすぐにベースラインからフルスイングできる状態になっている。
もちろん、余分に確保した練習時間で実践的な練習に取り組んでいた。もう何も言うことはない。
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この時点で勝負はすでについている。
強い選手は、勝利することに対して大変に貪欲だ。
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そのための準備は万端である。
単に身体的にウォーミングアップができているというのとは違う。
勝つために自分の気持ちを高めることができ、そのための行動をしっかりと行うことができる。
ここでもう一度、イチローのコメントを載せておこう。
「やれることはすべてやったし、手を抜いたことは一度もない。常にやれることをやろうとした自分がいたこと、それに対して準備ができた自分がいたことを、誇りに思っている。」
君たちにこのプライドがあるのか?なければ強い選手になることは不可能だと言うことを自覚してほしい。
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2007年07月05日
弱気な言葉を口にするな(933)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -22-
一日中試合会場をうろついていると、いろいろな会話が聞こえてくる。
そのほとんどは「くだらねぇな。やっぱガキの会話だな。」という程度のものだ。
まだ会話があれば良いほうなのかもしれない。あちこちでメールのやり取りをしている姿が、本当によく目につく。
メールは新しい時代のコミュニケーションの手段なのだろうが、私は「電話なんて話せりゃいいじゃん」と思う(ダウンタウンの松本仁志もそう思っている)。
ただ、テニスの話になると、特に試合前は、それなりの緊張感やけん制の入り混じった、なんとなく堅苦しい会話になるようだ。
そんな会話の中にも強い者とそうでない者を明確に隔てる法則が存在しているのだが、あなたにはお分かりであろうか。
それは、ずばり!「強い選手は弱気な言葉を吐かない」というものだ。
もちろん、単に強気な言葉を口にするというのとは違う。
弱気な自分をごまかしたり、奮い立たせるために「俺が絶対に勝つ」と言い張るのは単なるツッパリだ(いまどきこんな言葉を使って意味が通じるのかなあ)。
また、「絶対負けないよ」とか「負けるはずないじゃん」と、自分の強さを過信し、慢心しているときにでてくる言葉でもない(宇宙戦艦ヤマトで、宿敵デスラーが「ヤマトの諸君、私に勝てるかな?」と嘲笑するように見下して言う言葉のようだといえばわかりやすいか)。
そうではなく、「確かに厳しいけれど、集中力が切れなければ大丈夫」、「相手のフォアの攻撃を防ぐことができれば勝てる」など、相手の観察と自己分析によって、戦うためにどうすればよいのかが明確になっており、それを実践しようとする意志をはっきりと口にできる奴が強い選手だ。
それに対して、弱い選手は、「もう無理、無理」、「多分負ける」、「どうしようもない」などという弱気な言葉を平気で吐く。
心理的には「弱気な言葉を吐いて、負けたときの言い訳を用意する」ことを意味している。
強い奴がこういう気持ちで向かってくるのに、それに怯んでいたら勝ち目は100%ない。
どうすれば勝つチャンスが生まれるか、そのために自分のすべきことはなにかついて焦点をきっちりと向けられる奴でなければ、可能性は開けない。
ヤマトは圧倒的に不利な状況でも決してあきらめなかった。
常にそのときにできる最善策を模索しながら、なにがなんでもイスカンダルにたどり着くのだという強い意志に支えられて行動した。
だから、絶対の力に慢心していたデスラーは敗れ去ったのだ。君はヤマトになれるのか!!!(すみません。なにしろ最も好きなアニメなので、興奮してしまった)。
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一日中試合会場をうろついていると、いろいろな会話が聞こえてくる。
そのほとんどは「くだらねぇな。やっぱガキの会話だな。」という程度のものだ。
まだ会話があれば良いほうなのかもしれない。あちこちでメールのやり取りをしている姿が、本当によく目につく。
メールは新しい時代のコミュニケーションの手段なのだろうが、私は「電話なんて話せりゃいいじゃん」と思う(ダウンタウンの松本仁志もそう思っている)。
ただ、テニスの話になると、特に試合前は、それなりの緊張感やけん制の入り混じった、なんとなく堅苦しい会話になるようだ。
そんな会話の中にも強い者とそうでない者を明確に隔てる法則が存在しているのだが、あなたにはお分かりであろうか。
それは、ずばり!「強い選手は弱気な言葉を吐かない」というものだ。
もちろん、単に強気な言葉を口にするというのとは違う。
弱気な自分をごまかしたり、奮い立たせるために「俺が絶対に勝つ」と言い張るのは単なるツッパリだ(いまどきこんな言葉を使って意味が通じるのかなあ)。
また、「絶対負けないよ」とか「負けるはずないじゃん」と、自分の強さを過信し、慢心しているときにでてくる言葉でもない(宇宙戦艦ヤマトで、宿敵デスラーが「ヤマトの諸君、私に勝てるかな?」と嘲笑するように見下して言う言葉のようだといえばわかりやすいか)。
そうではなく、「確かに厳しいけれど、集中力が切れなければ大丈夫」、「相手のフォアの攻撃を防ぐことができれば勝てる」など、相手の観察と自己分析によって、戦うためにどうすればよいのかが明確になっており、それを実践しようとする意志をはっきりと口にできる奴が強い選手だ。
それに対して、弱い選手は、「もう無理、無理」、「多分負ける」、「どうしようもない」などという弱気な言葉を平気で吐く。
心理的には「弱気な言葉を吐いて、負けたときの言い訳を用意する」ことを意味している。
強い奴がこういう気持ちで向かってくるのに、それに怯んでいたら勝ち目は100%ない。
どうすれば勝つチャンスが生まれるか、そのために自分のすべきことはなにかついて焦点をきっちりと向けられる奴でなければ、可能性は開けない。
ヤマトは圧倒的に不利な状況でも決してあきらめなかった。
常にそのときにできる最善策を模索しながら、なにがなんでもイスカンダルにたどり着くのだという強い意志に支えられて行動した。
だから、絶対の力に慢心していたデスラーは敗れ去ったのだ。君はヤマトになれるのか!!!(すみません。なにしろ最も好きなアニメなので、興奮してしまった)。
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2007年07月02日
心のプロ意識(931)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -21-
ひとりで戦うことは「勇気」や「忍耐力」などが高いレベルで必要になる。今まで安易に取り組んできた奴が、いきなり「自立」して戦えるようになることはほとんどないだろう。
長田一臣(同)は、「時代が変わり、環境が変わっても、人間が根本から変わることはない。」と言っている。怠惰に流される奴は怠惰に流される性質が身に染み付いているのだ。
これを変えることは、はなはだ難しいことは承知している。しかし、意識が変わることで劇的に強い選手になることもある。これを「強さの降臨」と呼んだことを覚えている読者も多いはずだ(そんなに多くはないか)。
長田も「変わるとは「意識」が変わるということだ。意識が変われば新しい人間が生まれる。人間が変わらないで、どうして新しい局面、新しい世界が展開するだろうか。」と意識の変革によって人間が変われることを示唆している。
ひょっとしたら、この文を読んで感動し、素晴らしく意識が変わって強い選手になる人もでてくるかもしれない。(だといいなあ)
意識を変えるきっかけとして、クラブ活動に参加したり、遠征にでかけたりして苦しい経験や悲しい思いをすることなどが必要であると述べた。
しかし、そのような経験が定期的にないと人間はつい怠惰なほうへ流れてしまうのが常だ。
そこで、日常的に自分の活動の基準を上げて、より強い自分を作り上げるために意識しておくとよいことがある。
それは“プロ意識”である。
“プロ”とは何かというと、簡単に言えば、それで飯を食っている奴のことだ。そして、テニスのためには多くのものを犠牲にできる意識を持った存在である。この意識は強烈に自分を変えてくれる可能性を秘めている。
私はプロのトレーナーとしての立場を強く意識したときに、タバコをきっぱりとやめることができた。それまで、何度となく禁煙に失敗し(禁煙ガムもだめ、禁煙本ももちろんだめだった)、そのつど適当な言い訳を考え、自分自身をごまかしていた意志の弱い自分が、ある日を境にキッパリとタバコをやめることができたのである。
「タバコを吸っている(プロの)トレーナーっているの?」と、何気なく投げかけられた言葉にがんと頭を打たれた。その時、「多くの人は、トレーナーとは自分自身をきちんとコントロールすることができる人だという認識を持っている。もし、タバコを吸っている私の姿を見たら、誰もトレーニングを指導してほしいだろうとは思わないだろう。」との考えが頭を駆け巡った。それと同時に、それまでの浅はかな自分の考えを痛感させられた。このことは鮮明に覚えている。そして、そのときから一度としてタバコを口にしていない。その日からプロのトレーナーとしての意識を強く持つようになった。担当していた選手のトレーニングメニューを再確認し、構成しなおすことを一生懸命にやった。担当しているクラブのトレーニングメニューなどを毎回のようにチェックする習慣がついたのもこのときからだ。まさに意識が変わったのだ。
もちろん、私は実際のプロなので、プロ意識を持つことは当たり前かもしれないが。強くなりたいと切実に願うのならば、戦績や体裁、資格などは関係ない、「自分はプロである」との意識を持って行動することだ。
プロ意識とは、決して素晴らしい高みにある意識ではない。いつも結果や他人の評価に怯え、自分に隙がないように細心の注意を払い、それでも拭いきれない不安を感じるから一生懸命勉強したり、行動したり、練習する。とても弱き存在としての自分、不安な自分を強く感じる人間の意識である。
それを知りながら、それを克服しようと不断の努力をしようとする意志に支えられた意識とでもいうべきものである。それが、「強くなるための鍵」となる。
元プロ選手の遠藤愛(「スポーツの知と技」大修館書店)は、「大学入学当初から気持ち的にはプロでいようと思っていました。アマチュアでもプロの試合に出られるし、ウィンブルドンにも出られます。ですから、表面的なもので区別するのはあまり意味がありません。実際プロになってみてはじめてわかったことですが、アマとプロの違いは、自分の気持ちのなかで何を最優先するかという問題だと思います。そして、そのためにどれだけものを犠牲にできるか、どれだけの比率をテニスにつぎ込むことができるか、それが違うのではないかと思います。」と述べている。
そして、「誘惑に負けない気持ち、テニス対する真摯な考え方ができるようになったのが、大学の指導教官の「心のプロになれ」という言葉だった。」と言っています。
区別は自分でつけるものだ。多くの読者の方は、資格的にはもちろんアマチュアだろう(プロの方も読んでいるかもしれないが)。
でも、「心はいつでもプロ」になることができる。
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ひとりで戦うことは「勇気」や「忍耐力」などが高いレベルで必要になる。今まで安易に取り組んできた奴が、いきなり「自立」して戦えるようになることはほとんどないだろう。
長田一臣(同)は、「時代が変わり、環境が変わっても、人間が根本から変わることはない。」と言っている。怠惰に流される奴は怠惰に流される性質が身に染み付いているのだ。
これを変えることは、はなはだ難しいことは承知している。しかし、意識が変わることで劇的に強い選手になることもある。これを「強さの降臨」と呼んだことを覚えている読者も多いはずだ(そんなに多くはないか)。
長田も「変わるとは「意識」が変わるということだ。意識が変われば新しい人間が生まれる。人間が変わらないで、どうして新しい局面、新しい世界が展開するだろうか。」と意識の変革によって人間が変われることを示唆している。
ひょっとしたら、この文を読んで感動し、素晴らしく意識が変わって強い選手になる人もでてくるかもしれない。(だといいなあ)
意識を変えるきっかけとして、クラブ活動に参加したり、遠征にでかけたりして苦しい経験や悲しい思いをすることなどが必要であると述べた。
しかし、そのような経験が定期的にないと人間はつい怠惰なほうへ流れてしまうのが常だ。
そこで、日常的に自分の活動の基準を上げて、より強い自分を作り上げるために意識しておくとよいことがある。
それは“プロ意識”である。
“プロ”とは何かというと、簡単に言えば、それで飯を食っている奴のことだ。そして、テニスのためには多くのものを犠牲にできる意識を持った存在である。この意識は強烈に自分を変えてくれる可能性を秘めている。
私はプロのトレーナーとしての立場を強く意識したときに、タバコをきっぱりとやめることができた。それまで、何度となく禁煙に失敗し(禁煙ガムもだめ、禁煙本ももちろんだめだった)、そのつど適当な言い訳を考え、自分自身をごまかしていた意志の弱い自分が、ある日を境にキッパリとタバコをやめることができたのである。
「タバコを吸っている(プロの)トレーナーっているの?」と、何気なく投げかけられた言葉にがんと頭を打たれた。その時、「多くの人は、トレーナーとは自分自身をきちんとコントロールすることができる人だという認識を持っている。もし、タバコを吸っている私の姿を見たら、誰もトレーニングを指導してほしいだろうとは思わないだろう。」との考えが頭を駆け巡った。それと同時に、それまでの浅はかな自分の考えを痛感させられた。このことは鮮明に覚えている。そして、そのときから一度としてタバコを口にしていない。その日からプロのトレーナーとしての意識を強く持つようになった。担当していた選手のトレーニングメニューを再確認し、構成しなおすことを一生懸命にやった。担当しているクラブのトレーニングメニューなどを毎回のようにチェックする習慣がついたのもこのときからだ。まさに意識が変わったのだ。
もちろん、私は実際のプロなので、プロ意識を持つことは当たり前かもしれないが。強くなりたいと切実に願うのならば、戦績や体裁、資格などは関係ない、「自分はプロである」との意識を持って行動することだ。
プロ意識とは、決して素晴らしい高みにある意識ではない。いつも結果や他人の評価に怯え、自分に隙がないように細心の注意を払い、それでも拭いきれない不安を感じるから一生懸命勉強したり、行動したり、練習する。とても弱き存在としての自分、不安な自分を強く感じる人間の意識である。
それを知りながら、それを克服しようと不断の努力をしようとする意志に支えられた意識とでもいうべきものである。それが、「強くなるための鍵」となる。
元プロ選手の遠藤愛(「スポーツの知と技」大修館書店)は、「大学入学当初から気持ち的にはプロでいようと思っていました。アマチュアでもプロの試合に出られるし、ウィンブルドンにも出られます。ですから、表面的なもので区別するのはあまり意味がありません。実際プロになってみてはじめてわかったことですが、アマとプロの違いは、自分の気持ちのなかで何を最優先するかという問題だと思います。そして、そのためにどれだけものを犠牲にできるか、どれだけの比率をテニスにつぎ込むことができるか、それが違うのではないかと思います。」と述べている。
そして、「誘惑に負けない気持ち、テニス対する真摯な考え方ができるようになったのが、大学の指導教官の「心のプロになれ」という言葉だった。」と言っています。
区別は自分でつけるものだ。多くの読者の方は、資格的にはもちろんアマチュアだろう(プロの方も読んでいるかもしれないが)。
でも、「心はいつでもプロ」になることができる。
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2007年06月30日
仲間とつるむな-自立のすすめ-(929)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -20-
私は自己管理ができない選手が多いことを嘆いているのではない。
試合直前なのに心身の状態を最高にもっていこうとする努力が見られないことを嘆くのだ。
試合前のウォーミングアップでさえ、「自分ひとりでやることが恥ずかしい。」という選手がいることに驚かされる。特に男子選手にはこの傾向が顕著であるように思われる。
戦う以前の問題だ。なぜ戦うために準備することを恥ずかしいと思うのか。ここに、大きな問題が潜んでいる。
岡本浩一(「無責任の構造」PHP新書)は、「日本社会は同調の規範度が高いと考えられる。」と言い、「人間は自分が精一杯努力をしているつもりでも、グループのときは、やはりどこかで手を抜いてしまっているようである。」と述べている。
つまり、多くの(弱い日本人)選手は、仲間とつるむことで、ほかの人がやっていることと同じことをやっているという安心感を得ると同時に、きちんとウォーミングアップをやっていない自分を正当化しようとする「ずるがしこい考え方」に支配されてしまうのだ。
このような傾向は、「自信のなさの表れ」であるとの指摘もある(榎本博明「<本当の自分>のつくり方」講談社現代新書)。
諸富祥彦(「孤独であるためのレッスン」NHKブックス)は「現代の若者の多くは「ひとり」でいる状態をひどく恐れ、避けようとする傾向が見られる。長じてもなお妙に子供っぽく、あたかも成熟を拒否しているように感じられるのは、青年期の心の成長に不可欠な「自己との対話」がなされていないためであり、原因の一端は「ひとりじゃいられない症候群」を助長する携帯電話、電子メール、インターネットなどの社会環境にもある。」と述べている。
「ひとりじゃいられない症候群」とは良い命名だと思う。
しかし、人生どう生きるか、しょせん己ひとりの道であるし、スポーツは孤独な戦いに決まっている。なのに、それを恐れていて戦えるものなのか?
ただ友達と仲良くテニスがしたいという選択があることを否定はしない。ならば、「強くなりたい!」とは口が避けても言ってはならないのだ。
強くなりたいのならば、まず仲間から離れよ。
橋本治(「橋本治の男になるのだ」ごま書房)は、「「戦いに勝つ」は、「なれあいの群れから離れて、自分の信念に従って生きる-そのことを押し通せる」です。このことこそが「自立」で、「自立」とは「戦い」が成り立たなくなった現代に唯一残された「戦い」なんです。」という。
実に男らしい言葉ではないか。「自立」できなくて、何が男だ(なんだか若かりし時に見た「俺は男だ!」の森田健作(今は参議院議員だっけ)のような気分になってきた)。
また、「男にとって「自立よりも重要なこと」というのはなにか?それは「一人前になること」です。」と言っている。
この一人前とは、「「自分のすべきことはなんでもする」です。「自分のするべきことは何でもすると覚悟して、なんでもする」です。そしてこのことは、もちろん、「できないこと、わからないこと、知らないことを、できない、わからない、知らないと素直に認める」と同じです。」と述べている。
このような「覚悟」を貫くことははなはだ困難であろう。しかし、「孤高に耐え」、「個」の強さを身につけない限り強くはなれない。これは法則である。
イチローが2年目のシーズンを終えたときのインタビュー記事が中日新聞(ローカルな新聞でごめんなさい)に載っていた。
その中で、「やれることはすべてやったし、手を抜いたことは一度もない。常にやれることをやろうとした自分がいたこと、それに対して準備ができた自分がいたことを、誇りに思っている。」と述べている。
「準備ができた自分がいたことを、誇りに思っている。」とさらりと言ってのけるところに惹きつけられる。イチローは「一人前」だなあと思う。
強くなるための条件、それは高い資質を求めるのではない。戦うための準備をやり続けることにこそ真意があるのだ。
このことを忘れて「強くなりたい!」は単なる欺瞞である。おいおい、そこでつるんでジョギングしている君!それで強くなれると本気で思っているの?
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私は自己管理ができない選手が多いことを嘆いているのではない。
試合直前なのに心身の状態を最高にもっていこうとする努力が見られないことを嘆くのだ。
試合前のウォーミングアップでさえ、「自分ひとりでやることが恥ずかしい。」という選手がいることに驚かされる。特に男子選手にはこの傾向が顕著であるように思われる。
戦う以前の問題だ。なぜ戦うために準備することを恥ずかしいと思うのか。ここに、大きな問題が潜んでいる。
岡本浩一(「無責任の構造」PHP新書)は、「日本社会は同調の規範度が高いと考えられる。」と言い、「人間は自分が精一杯努力をしているつもりでも、グループのときは、やはりどこかで手を抜いてしまっているようである。」と述べている。
つまり、多くの(弱い日本人)選手は、仲間とつるむことで、ほかの人がやっていることと同じことをやっているという安心感を得ると同時に、きちんとウォーミングアップをやっていない自分を正当化しようとする「ずるがしこい考え方」に支配されてしまうのだ。
このような傾向は、「自信のなさの表れ」であるとの指摘もある(榎本博明「<本当の自分>のつくり方」講談社現代新書)。
諸富祥彦(「孤独であるためのレッスン」NHKブックス)は「現代の若者の多くは「ひとり」でいる状態をひどく恐れ、避けようとする傾向が見られる。長じてもなお妙に子供っぽく、あたかも成熟を拒否しているように感じられるのは、青年期の心の成長に不可欠な「自己との対話」がなされていないためであり、原因の一端は「ひとりじゃいられない症候群」を助長する携帯電話、電子メール、インターネットなどの社会環境にもある。」と述べている。
「ひとりじゃいられない症候群」とは良い命名だと思う。
しかし、人生どう生きるか、しょせん己ひとりの道であるし、スポーツは孤独な戦いに決まっている。なのに、それを恐れていて戦えるものなのか?
ただ友達と仲良くテニスがしたいという選択があることを否定はしない。ならば、「強くなりたい!」とは口が避けても言ってはならないのだ。
強くなりたいのならば、まず仲間から離れよ。
橋本治(「橋本治の男になるのだ」ごま書房)は、「「戦いに勝つ」は、「なれあいの群れから離れて、自分の信念に従って生きる-そのことを押し通せる」です。このことこそが「自立」で、「自立」とは「戦い」が成り立たなくなった現代に唯一残された「戦い」なんです。」という。
実に男らしい言葉ではないか。「自立」できなくて、何が男だ(なんだか若かりし時に見た「俺は男だ!」の森田健作(今は参議院議員だっけ)のような気分になってきた)。
また、「男にとって「自立よりも重要なこと」というのはなにか?それは「一人前になること」です。」と言っている。
この一人前とは、「「自分のすべきことはなんでもする」です。「自分のするべきことは何でもすると覚悟して、なんでもする」です。そしてこのことは、もちろん、「できないこと、わからないこと、知らないことを、できない、わからない、知らないと素直に認める」と同じです。」と述べている。
このような「覚悟」を貫くことははなはだ困難であろう。しかし、「孤高に耐え」、「個」の強さを身につけない限り強くはなれない。これは法則である。
イチローが2年目のシーズンを終えたときのインタビュー記事が中日新聞(ローカルな新聞でごめんなさい)に載っていた。
その中で、「やれることはすべてやったし、手を抜いたことは一度もない。常にやれることをやろうとした自分がいたこと、それに対して準備ができた自分がいたことを、誇りに思っている。」と述べている。
「準備ができた自分がいたことを、誇りに思っている。」とさらりと言ってのけるところに惹きつけられる。イチローは「一人前」だなあと思う。
強くなるための条件、それは高い資質を求めるのではない。戦うための準備をやり続けることにこそ真意があるのだ。
このことを忘れて「強くなりたい!」は単なる欺瞞である。おいおい、そこでつるんでジョギングしている君!それで強くなれると本気で思っているの?
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2007年06月29日
あたりまえの自己管理(928)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -19-
大切なのは、勝負に対して十分な準備をすることだ。
ブラッド・ギルバート(「読めばテニスが強くなる-ウイニング・アグリー-」日本文化出版)は、「本当に勝ちたいと心底思うプレーヤーは試合中何が起ころうとそれに対応するための準備を整えてコートに入る。その心遣いといったらたいへんなものだ。ジョークではない。君もライバルに負けるのが嫌なら、用意周到な彼らの心配りを見習うべきだ。」と言っている。
また、「わたしの妻は徹底したわたしの準備を“やりすぎ”だと思っているらしい。何しろ練習のときも試合と同じ準備をしてゆき、忘れ物がないかどうか細心の注意を払ってチェックするのだから素人が見れば異常なくらい神経質に映るだろう。」とも述べている。
ここまで徹底的に準備をすることが今のあなたに必要かどうかは知らないが、強くなりたいと思えば、ある程度の自己管理ができてあたりまえだ。
そのことを今ここで強調するつもりはない。あたりまえのようにやってほしい。
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大切なのは、勝負に対して十分な準備をすることだ。
ブラッド・ギルバート(「読めばテニスが強くなる-ウイニング・アグリー-」日本文化出版)は、「本当に勝ちたいと心底思うプレーヤーは試合中何が起ころうとそれに対応するための準備を整えてコートに入る。その心遣いといったらたいへんなものだ。ジョークではない。君もライバルに負けるのが嫌なら、用意周到な彼らの心配りを見習うべきだ。」と言っている。
また、「わたしの妻は徹底したわたしの準備を“やりすぎ”だと思っているらしい。何しろ練習のときも試合と同じ準備をしてゆき、忘れ物がないかどうか細心の注意を払ってチェックするのだから素人が見れば異常なくらい神経質に映るだろう。」とも述べている。
ここまで徹底的に準備をすることが今のあなたに必要かどうかは知らないが、強くなりたいと思えば、ある程度の自己管理ができてあたりまえだ。
そのことを今ここで強調するつもりはない。あたりまえのようにやってほしい。
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2007年06月28日
覚悟を持って戦う(926)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -18-
テニスはうまい、でも何かが足りない。感じることは、「風格」が足りないということだ(もちろん、すべての選手がそうだというのではない)。
「風格」を国語辞典で引いてみると、「存在者・行為者としてのスケールの大きさと、重み」とある。
そう、まさに「これ」が足りないと感じるのだ。
スケールの「大きさ」はなんとなく理解できる(ダイナミックにスイングできるとか、ミスを恐れずにチャレンジするプレースタイルといったようなものか)。
では、スケールの「重さ」とはいったい何なのか。
「重さ」とは「質」のことであり、この「重さ=質」こそが強い選手になるためにもっとも大切であることを強調しておきたい。
例えば、ここに同じような大きさの球体があるとしよう。ひとつは鉄でできている。もうひとつは銀でできているとでも仮定しておこう。
鉄の表面もよく磨かれており、一見すると違いが判らない。
しかし、比べるまでもなく、洞察力の鋭い人ならば、ひと目でその違いに気がつく。光沢の違いもあるだろうが、その質感に違いを感じるのだ。
質的な違いは、隠していても「じわっと湧き出て」感知されるものだ。
いくらスケールの大きなプレーができたとしても、その「質=重さ」が伴っていなければ、優れた強い選手にはなりえない。これはよく覚えておいてほしい。
では、どうすれば「質」を向上させることができるのか。
大切なことは、「覚悟を持って戦う」ことだ。
船越正康(「スポーツ心理学の世界」福村出版)は、「試合とは、全人格の勝負である。」と述べている。
すべてを賭けて戦う気持ちがなければ勝負するに至らないのだ。
テレビで「はじめの一歩」(少年マガジン連載のボクシング漫画。これを知らない人はスポーツをする資格はないと言い切ってしまおう)の映画を見た。
その中で、身体的に極限に追い込まれた状態でも(チャンピオンでありながら)挑戦者として戦い続ける姿が見事に描写されている。
これは漫画だからありえる話ではない。私は実際にそういう選手を何人か見てきた。
自分自身を極限に追い込んで(極限まで追い込むので、身体はぼろぼろである場合も多い)試合に臨むことができる人間がいることを知ってほしい。
ただ、勘違いしないでいただきたいのは、がむしゃらなガンバリズムで勝負を挑むのではない。
山下富美子(「集中力」講談社現代新書)は、「集中力を発揮できるように万全の環境条件を整え、競争相手を想定し、何が何でもやり抜いてみせるというような悲壮な「ガンバリズム」よりも、これから取りかかる課題や作業そのものに対して、興味や関心、魅力を感じて、虚心に集中できるような「無心型」の方がかえって集中できるのである。」と言う。
そして、勝ち負けとか、自分が得られる名誉とか信頼に依存しないで、「ただ戦うことのみにすべてを賭ける意志」を持って戦うことだ。
もちろん簡単なことではない。自分の意志をそこまで自律的にコントロールできるのであれば、まちがいなくあなたは強くなる。
長田一臣(「日本人のメンタルトレーニング」スキージャーナル)は、「本当に強いとは「心の強さ」をいう。だから結論はここにくる。すなわち、ものの見方、考え方である。人生どう生きるか、しょせん己ひとりの道である。それを決めるのは心である。己の人生観、世界観を確立して自分の道を歩むのである。」と言っている。
人生を賭けた取り組みをしている者は、必然的に質が磨かれる。周りで見ている多くの人に、その質の高さは感じられるはずだ。
ある人が、「人間的な魅力を感じない選手が素晴らしいショットを放っても感動などしない。」言っていたのを思い出す。
打つショットで見ている人に感動与える選手、そんな選手が本当に強い選手だ!
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テニスはうまい、でも何かが足りない。感じることは、「風格」が足りないということだ(もちろん、すべての選手がそうだというのではない)。
「風格」を国語辞典で引いてみると、「存在者・行為者としてのスケールの大きさと、重み」とある。
そう、まさに「これ」が足りないと感じるのだ。
スケールの「大きさ」はなんとなく理解できる(ダイナミックにスイングできるとか、ミスを恐れずにチャレンジするプレースタイルといったようなものか)。
では、スケールの「重さ」とはいったい何なのか。
「重さ」とは「質」のことであり、この「重さ=質」こそが強い選手になるためにもっとも大切であることを強調しておきたい。
例えば、ここに同じような大きさの球体があるとしよう。ひとつは鉄でできている。もうひとつは銀でできているとでも仮定しておこう。
鉄の表面もよく磨かれており、一見すると違いが判らない。
しかし、比べるまでもなく、洞察力の鋭い人ならば、ひと目でその違いに気がつく。光沢の違いもあるだろうが、その質感に違いを感じるのだ。
質的な違いは、隠していても「じわっと湧き出て」感知されるものだ。
いくらスケールの大きなプレーができたとしても、その「質=重さ」が伴っていなければ、優れた強い選手にはなりえない。これはよく覚えておいてほしい。
では、どうすれば「質」を向上させることができるのか。
大切なことは、「覚悟を持って戦う」ことだ。
船越正康(「スポーツ心理学の世界」福村出版)は、「試合とは、全人格の勝負である。」と述べている。
すべてを賭けて戦う気持ちがなければ勝負するに至らないのだ。
テレビで「はじめの一歩」(少年マガジン連載のボクシング漫画。これを知らない人はスポーツをする資格はないと言い切ってしまおう)の映画を見た。
その中で、身体的に極限に追い込まれた状態でも(チャンピオンでありながら)挑戦者として戦い続ける姿が見事に描写されている。
これは漫画だからありえる話ではない。私は実際にそういう選手を何人か見てきた。
自分自身を極限に追い込んで(極限まで追い込むので、身体はぼろぼろである場合も多い)試合に臨むことができる人間がいることを知ってほしい。
ただ、勘違いしないでいただきたいのは、がむしゃらなガンバリズムで勝負を挑むのではない。
山下富美子(「集中力」講談社現代新書)は、「集中力を発揮できるように万全の環境条件を整え、競争相手を想定し、何が何でもやり抜いてみせるというような悲壮な「ガンバリズム」よりも、これから取りかかる課題や作業そのものに対して、興味や関心、魅力を感じて、虚心に集中できるような「無心型」の方がかえって集中できるのである。」と言う。
そして、勝ち負けとか、自分が得られる名誉とか信頼に依存しないで、「ただ戦うことのみにすべてを賭ける意志」を持って戦うことだ。
もちろん簡単なことではない。自分の意志をそこまで自律的にコントロールできるのであれば、まちがいなくあなたは強くなる。
長田一臣(「日本人のメンタルトレーニング」スキージャーナル)は、「本当に強いとは「心の強さ」をいう。だから結論はここにくる。すなわち、ものの見方、考え方である。人生どう生きるか、しょせん己ひとりの道である。それを決めるのは心である。己の人生観、世界観を確立して自分の道を歩むのである。」と言っている。
人生を賭けた取り組みをしている者は、必然的に質が磨かれる。周りで見ている多くの人に、その質の高さは感じられるはずだ。
ある人が、「人間的な魅力を感じない選手が素晴らしいショットを放っても感動などしない。」言っていたのを思い出す。
打つショットで見ている人に感動与える選手、そんな選手が本当に強い選手だ!
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2007年06月26日
敗戦から学ぶ(923)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -17-
海外の遠征では、自分の弱さをみせつけられることも多い。
敗戦から学ぶことは、<自分の弱さ>だ。
弱いから負ける。まず、この事実を認識することからはじめなければならない。
それが十分に認識できたら、次は、弱さの原因についてとことん考えてみよう。
技術的に未熟な点、体力面で補わなければならないポイント、試合中に感じたメンタル面での課題など、多くの原因が考えられるだろう。
戦術的なミスが思い浮かぶかもしれない。それらを書き出してみるのも良い。
それも本当は試合直後が望ましいが、試合直後は敗戦のショックで頭が混乱している場合も多いだろう。
しかし、その敗戦によって打ちひしがれ、テニスを辞める瀬戸際まで追い込まれていないのなら(追い込まれていたら分析どころではない)、できるだけ早いうちに強く記憶にとどめるべきだ。
一流選手は、このような自己分析が明確にできる。
一流選手は、勝ち負けに関係なく試合後のインタビューが義務付けられているので、記者の質問などに答えながら冷静に試合を振り返り、自己分析をする習慣が身についている。
そうすることによって、ミスや敗因を強く記憶にとどめ、弱点を克服する方法や次に勝つための戦術などについての質の高いイメージを持つことができるのだ(杉原ほか「スポーツ心理学の世界」福村出版)。
また、自分の弱さを認識し、次の戦いに向けて自分の気持ちを奮い立たせるには、敗れた悔しさや、負けた選手に対する嫉妬心を強く感じるような感性が必要だと思う。
もし、あなたが、負けた悔しさを感じないのなら、敗れた相手に嫉妬しないのなら選手としての感性はあまり高くないのかもしれない。
本当の意味で自分の弱さを知る。
・
・
・
ここから本当の強さはスタートする。
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海外の遠征では、自分の弱さをみせつけられることも多い。
敗戦から学ぶことは、<自分の弱さ>だ。
弱いから負ける。まず、この事実を認識することからはじめなければならない。
それが十分に認識できたら、次は、弱さの原因についてとことん考えてみよう。
技術的に未熟な点、体力面で補わなければならないポイント、試合中に感じたメンタル面での課題など、多くの原因が考えられるだろう。
戦術的なミスが思い浮かぶかもしれない。それらを書き出してみるのも良い。
それも本当は試合直後が望ましいが、試合直後は敗戦のショックで頭が混乱している場合も多いだろう。
しかし、その敗戦によって打ちひしがれ、テニスを辞める瀬戸際まで追い込まれていないのなら(追い込まれていたら分析どころではない)、できるだけ早いうちに強く記憶にとどめるべきだ。
一流選手は、このような自己分析が明確にできる。
一流選手は、勝ち負けに関係なく試合後のインタビューが義務付けられているので、記者の質問などに答えながら冷静に試合を振り返り、自己分析をする習慣が身についている。
そうすることによって、ミスや敗因を強く記憶にとどめ、弱点を克服する方法や次に勝つための戦術などについての質の高いイメージを持つことができるのだ(杉原ほか「スポーツ心理学の世界」福村出版)。
また、自分の弱さを認識し、次の戦いに向けて自分の気持ちを奮い立たせるには、敗れた悔しさや、負けた選手に対する嫉妬心を強く感じるような感性が必要だと思う。
もし、あなたが、負けた悔しさを感じないのなら、敗れた相手に嫉妬しないのなら選手としての感性はあまり高くないのかもしれない。
本当の意味で自分の弱さを知る。
・
・
・
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2007年06月24日
遠征に出る-冒険の薦め-(921)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -16-
現在のテニスを取り巻く環境では、なかなかこうしたサバイバル的な過酷な状況に身を置くことは難しいだろう。
また、学校を卒業してしまった人もいる。
では、一人で海外の試合やキャンプに遠征に出るのはどうだろうか。
異国の地に一人で足を踏み入れるのは、正直言って怖い。
少なくとも私はそうだった。
初めての外国で言葉が通じず、ハンバーガーばかり食べていたのを思い出す(日本のハンバーガーと味が変わらないことに妙に感心した覚えがある)。
遠征は一種の冒険である。
頼る者のいない中で、恐怖や不安と戦いながら、すべてのことを自分でするという経験は、感性を磨くまたとないチャンスなのだ。
岩月謙司(同)は、<冒険のような経験を通して智恵と勇気を獲得する>と言っている。
私もその通りだと思う。
もちろん、自律した意志と自立した精神(自立についてはいずれ述べる)がなければ何の効果も無いが、そんな奴は敢えてチャレンジしようとはしない。
海外が無理でも、国内の試合にチャレンジしたり、高名なコーチに教えを請うことも勇気がいるだろう。
大切なのは怖くても<冒険する勇気を持つ>ということである。
以前、紹介した元フェド杯監督の本井満氏は、過酷な南米への遠征を毎年のように行っている。
その遠征中の練習やトレーニング内容は相当ハードだし、選手に自立を促す大変きつい言葉を投げかける(この人は普段は温厚なのに、コートに入ると人が変わったように厳しくなる)。
なぜ、過酷な南米の遠征を好んで行うのかという質問には、「厳しいから」とあっさりと言う(本当、めちゃめちゃ厳しいっすよ)。
過酷な環境下において、厳しい長期の遠征を行うことで選手としての感性が大きく伸びると確信しているのだ。
その方法が正しいのかどうかを私には判断できないが、少なくとも苦しみを体験して、そこから何かをつかむとても良い機会になっていると思う。
冒険は可能性を開く大きなチャンスである。
ぜひトライしていただきたい。
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現在のテニスを取り巻く環境では、なかなかこうしたサバイバル的な過酷な状況に身を置くことは難しいだろう。
また、学校を卒業してしまった人もいる。
では、一人で海外の試合やキャンプに遠征に出るのはどうだろうか。
異国の地に一人で足を踏み入れるのは、正直言って怖い。
少なくとも私はそうだった。
初めての外国で言葉が通じず、ハンバーガーばかり食べていたのを思い出す(日本のハンバーガーと味が変わらないことに妙に感心した覚えがある)。
遠征は一種の冒険である。
頼る者のいない中で、恐怖や不安と戦いながら、すべてのことを自分でするという経験は、感性を磨くまたとないチャンスなのだ。
岩月謙司(同)は、<冒険のような経験を通して智恵と勇気を獲得する>と言っている。
私もその通りだと思う。
もちろん、自律した意志と自立した精神(自立についてはいずれ述べる)がなければ何の効果も無いが、そんな奴は敢えてチャレンジしようとはしない。
海外が無理でも、国内の試合にチャレンジしたり、高名なコーチに教えを請うことも勇気がいるだろう。
大切なのは怖くても<冒険する勇気を持つ>ということである。
以前、紹介した元フェド杯監督の本井満氏は、過酷な南米への遠征を毎年のように行っている。
その遠征中の練習やトレーニング内容は相当ハードだし、選手に自立を促す大変きつい言葉を投げかける(この人は普段は温厚なのに、コートに入ると人が変わったように厳しくなる)。
なぜ、過酷な南米の遠征を好んで行うのかという質問には、「厳しいから」とあっさりと言う(本当、めちゃめちゃ厳しいっすよ)。
過酷な環境下において、厳しい長期の遠征を行うことで選手としての感性が大きく伸びると確信しているのだ。
その方法が正しいのかどうかを私には判断できないが、少なくとも苦しみを体験して、そこから何かをつかむとても良い機会になっていると思う。
冒険は可能性を開く大きなチャンスである。
ぜひトライしていただきたい。
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2007年06月23日
プライドを持つ(919)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -15-
私がそのような過酷な状況に耐えることができたもっとも大きな理由は、テニスをやっているという<プライド>である。
「俺は、テニスを、こんなに苦しくてもがんばっている。」
「お前たちとは違うんだ!」
「俺は青春をテニスというスポーツにかけている。」
・
・
・
という<思い>が自分を支えていた。
スポーツに打ち込んでいる人間は、何もしていない人間よりも価値があると強く信じていたのだ(今も少なからずそう思っている)。
強い絆で結ばれる仲間でも、「あいつが辞めないのに、俺が辞めてなるものか。」という意地のぶつかり合いがある。
これが人間を行動に駆り立てる。
そこには毎日繰り返される過酷な状況に対する絶望はない。
V・E・フランクル(「夜と霧」みすず書房)は、第二次大戦下のドイツ軍強制収容所における人間の心理を克明に記している。
その中には、「どのような過酷な状況でも人間としての尊厳を失わず、自分に与えられた仕事を誇りを持ってやり遂げようとする人がいた」と書かれている。
生き残った多くの人は、このような尊厳を持ち続けることができた人なのだ。
もちろん、そのような人でも惨殺された人は何万もいるだろうが、少なくとも、絶望に打ちひしがれ、生きる気力を失ってしまった人にはそのチャンスは少なかったと思われる。
また、その本の中で、「苦しむことはなにかをなしとげること」という言葉が大変印象に残っている。
なにかを本気になって成し遂げようとすれば、苦しみは避けては通れない。
その苦しみの中でもプライドを失わず、それにかける思いを持ち続けることで強くなれることを教えてくれているように思う。
<本当の苦しさ>を味わったとき、この言葉の<本当の意味>が見えてくるのかもしれない。
実は、私はテニスがそれほど好きではない。
練習もあまり好きではなかった。
テニスをしなければフラストレーションがたまるというようなことはない。
もちろん嫌いではないが、私にとってテニスは自己実現のための手段である。
つまり、テニスをやっている自分や、テニスを教えている自分が好きなのであり、それをより高みにもっていきたいからプライドを高く持って努力する。
そうなると、すべての人間がライバルである。
スポーツの枠を超えて、あらゆる成功者に負けたくない気持ちでいる。
成功者の活躍には賛辞を送りながら、それを超える自分になるにはどうしたら良いのかをいつも考えている。
絶望している暇など無いのだ。
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私がそのような過酷な状況に耐えることができたもっとも大きな理由は、テニスをやっているという<プライド>である。
「俺は、テニスを、こんなに苦しくてもがんばっている。」
「お前たちとは違うんだ!」
「俺は青春をテニスというスポーツにかけている。」
・
・
・
という<思い>が自分を支えていた。
スポーツに打ち込んでいる人間は、何もしていない人間よりも価値があると強く信じていたのだ(今も少なからずそう思っている)。
強い絆で結ばれる仲間でも、「あいつが辞めないのに、俺が辞めてなるものか。」という意地のぶつかり合いがある。
これが人間を行動に駆り立てる。
そこには毎日繰り返される過酷な状況に対する絶望はない。
V・E・フランクル(「夜と霧」みすず書房)は、第二次大戦下のドイツ軍強制収容所における人間の心理を克明に記している。
その中には、「どのような過酷な状況でも人間としての尊厳を失わず、自分に与えられた仕事を誇りを持ってやり遂げようとする人がいた」と書かれている。
生き残った多くの人は、このような尊厳を持ち続けることができた人なのだ。
もちろん、そのような人でも惨殺された人は何万もいるだろうが、少なくとも、絶望に打ちひしがれ、生きる気力を失ってしまった人にはそのチャンスは少なかったと思われる。
また、その本の中で、「苦しむことはなにかをなしとげること」という言葉が大変印象に残っている。
なにかを本気になって成し遂げようとすれば、苦しみは避けては通れない。
その苦しみの中でもプライドを失わず、それにかける思いを持ち続けることで強くなれることを教えてくれているように思う。
<本当の苦しさ>を味わったとき、この言葉の<本当の意味>が見えてくるのかもしれない。
実は、私はテニスがそれほど好きではない。
練習もあまり好きではなかった。
テニスをしなければフラストレーションがたまるというようなことはない。
もちろん嫌いではないが、私にとってテニスは自己実現のための手段である。
つまり、テニスをやっている自分や、テニスを教えている自分が好きなのであり、それをより高みにもっていきたいからプライドを高く持って努力する。
そうなると、すべての人間がライバルである。
スポーツの枠を超えて、あらゆる成功者に負けたくない気持ちでいる。
成功者の活躍には賛辞を送りながら、それを超える自分になるにはどうしたら良いのかをいつも考えている。
絶望している暇など無いのだ。
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2007年06月21日
クラブ活動の薦め-本物の友人に出会う-(917)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -14-
苦しさの中に本当のスポーツの素晴らしさが潜んでいるのなら、自ら進んで苦しい思いに身を投じてみるのはいかがだろう。
いまどきのクラブ活動は、それほどでもないかもしれないが、それなりに適度な理不尽(?)の存在するクラブも多いはずだ。
私が以前コーチを務めていた慶應義塾大学テニス部は、昔ながらの理不尽、非合理を体験できる貴重なクラブと言ってよい(でも、とても良いクラブだった)。
このようなクラブに身を置くと、自分がなぜテニスをやるのかという意味をしっかりと認識できるチャンスになる(本当かな?)。
私たちの時代のクラブ活動について話をしよう。
岡本浩一(「無責任の構造」PHP新書)は、「すぐに過去の話を持ち出して、それを栄光の業績であるかのように語るのは、権威的傾向の強い人である」というが、勝負に弱い日本人が増えてきたのは、<スポーツの苦しみ>について語らなくなったことが原因のひとつであると考えるので、あえて批判を覚悟で述べてみたい。
ひと昔前のクラブ活動は、理不尽極まりないことがまかり通っていた(一部のクラブは今もそうであろう)。
3年神様、2年人間、1年畜生という言葉ができるくらい、1年生は1年間の過酷な試練に耐えなければクラブ活動を続けることさえできないのだ。
私が高校でテニスを始めたときは、コートが1面しかないクラブにもかかわらず入部希望者はざっと40名くらい(実際は一日で辞める部員もいるので、もっと多いはずである)。
それが、8月の合宿を終えるころには6、7人に激減する。
練習中の飲水はもちろん禁止、一日中ボール拾いに追われ、何百回と繰り返される素振りに耐え(当時は、ラケットカバーをつけて素振りをするのが主流(?)であった)、非合理的で理不尽なトレーニング(両手両足を縛られて、学校から先輩の乗るバスのバス停までピョンピョン跳びながら見送りに行かされるなど-ええ加減にせえよ!)に歯を食いしばり、やっと日没近くなって5分程度の練習が許されるという状況では、辞めていくのは無理もない。
では、辞めずに生き残った者(?)は、なぜそのような過酷な状況に耐えることができたのであろうか。
東山紘久(「悩みのコントロール術」岩波アクティブ新書)は「人間がピンチに出会ったとき、悩むことが飛躍につながる人と、そのままなかなか立ち直れずに、より深刻な問題に落ち込んでいく人との違いは、サポーターがいるかいないかが大きな分かれ目になる。」と述べている。
私の場合は仲間の存在が大きかった。
ともに励ましあい、競い合う仲間がいなければ辞めていただろう。
本当に良い友人たちに恵まれた。
私は、もちろん戦争を経験していないので大きなことは言えないが、これを<戦友意識>と呼びたい。
過酷な状況では、友情はより強く結ばれる(もちろん、逆に反感や憎悪が大きくなる場合があることは知っている。俺の嫌いなM!お前のことだよ!)。
そして、くじけそうになるとき、強く結ばれた友情が何よりも助けになるのだ。
彼らは今でも私の大きな支えである。
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苦しさの中に本当のスポーツの素晴らしさが潜んでいるのなら、自ら進んで苦しい思いに身を投じてみるのはいかがだろう。
いまどきのクラブ活動は、それほどでもないかもしれないが、それなりに適度な理不尽(?)の存在するクラブも多いはずだ。
私が以前コーチを務めていた慶應義塾大学テニス部は、昔ながらの理不尽、非合理を体験できる貴重なクラブと言ってよい(でも、とても良いクラブだった)。
このようなクラブに身を置くと、自分がなぜテニスをやるのかという意味をしっかりと認識できるチャンスになる(本当かな?)。
私たちの時代のクラブ活動について話をしよう。
岡本浩一(「無責任の構造」PHP新書)は、「すぐに過去の話を持ち出して、それを栄光の業績であるかのように語るのは、権威的傾向の強い人である」というが、勝負に弱い日本人が増えてきたのは、<スポーツの苦しみ>について語らなくなったことが原因のひとつであると考えるので、あえて批判を覚悟で述べてみたい。
ひと昔前のクラブ活動は、理不尽極まりないことがまかり通っていた(一部のクラブは今もそうであろう)。
3年神様、2年人間、1年畜生という言葉ができるくらい、1年生は1年間の過酷な試練に耐えなければクラブ活動を続けることさえできないのだ。
私が高校でテニスを始めたときは、コートが1面しかないクラブにもかかわらず入部希望者はざっと40名くらい(実際は一日で辞める部員もいるので、もっと多いはずである)。
それが、8月の合宿を終えるころには6、7人に激減する。
練習中の飲水はもちろん禁止、一日中ボール拾いに追われ、何百回と繰り返される素振りに耐え(当時は、ラケットカバーをつけて素振りをするのが主流(?)であった)、非合理的で理不尽なトレーニング(両手両足を縛られて、学校から先輩の乗るバスのバス停までピョンピョン跳びながら見送りに行かされるなど-ええ加減にせえよ!)に歯を食いしばり、やっと日没近くなって5分程度の練習が許されるという状況では、辞めていくのは無理もない。
では、辞めずに生き残った者(?)は、なぜそのような過酷な状況に耐えることができたのであろうか。
東山紘久(「悩みのコントロール術」岩波アクティブ新書)は「人間がピンチに出会ったとき、悩むことが飛躍につながる人と、そのままなかなか立ち直れずに、より深刻な問題に落ち込んでいく人との違いは、サポーターがいるかいないかが大きな分かれ目になる。」と述べている。
私の場合は仲間の存在が大きかった。
ともに励ましあい、競い合う仲間がいなければ辞めていただろう。
本当に良い友人たちに恵まれた。
私は、もちろん戦争を経験していないので大きなことは言えないが、これを<戦友意識>と呼びたい。
過酷な状況では、友情はより強く結ばれる(もちろん、逆に反感や憎悪が大きくなる場合があることは知っている。俺の嫌いなM!お前のことだよ!)。
そして、くじけそうになるとき、強く結ばれた友情が何よりも助けになるのだ。
彼らは今でも私の大きな支えである。
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2007年06月20日
苦しみは成長の条件であると思え(915)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -13-
一度くらいはテニスを辞めてしまおうと思うほどの衝撃を受けることがある。
テニスは一生懸命やってきた。
でも・・・
やっても、やっても
思うように成績が上がらなかったり、
小さいころの成績が良かったために親の過剰な期待がプレッシャーになったり、
コーチの思いがけない一言で大きく傷ついたり、
テニスを辞めたくなるきっかけは至る所にある。
人間は所詮弱い生き物であり、些細なことで情熱を失うこともあるだろう。
私は多くのそんな選手たちを見てきた。
かける言葉はない。
正直言えば、胸の詰まるような何ともいえない悲しい気持ちになるが、それはその選手の選択だと言い聞かせるようにしている(でも、寝れない時だってあるのだ)。
東山紘久(「悩みのコントロール術」岩波アクティブ新書)によると、「人間が飛躍的に大きくなるためには、死ぬような大病をすること、浪人すること、破廉恥罪ではなく刑務所に入ることだ」といわれる。
好きでテニスを始めたのに、それが苦しくて、耐え切れないのは、大げさに言えば大病で死線を彷徨うようなものだ。
でも、その気持ちを振り払い、立ち上がってきた選手は、やはり何かが違う。
多分、テニスに対する<考え方>が変わったのだろう。
「強さ」と選手としての「感性」を身につけている。
これがスポーツの本当の素晴らしさ、本当の歓びだと思う。
多くの選手には良い選択をしてほしい。
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一度くらいはテニスを辞めてしまおうと思うほどの衝撃を受けることがある。
テニスは一生懸命やってきた。
でも・・・
やっても、やっても
思うように成績が上がらなかったり、
小さいころの成績が良かったために親の過剰な期待がプレッシャーになったり、
コーチの思いがけない一言で大きく傷ついたり、
テニスを辞めたくなるきっかけは至る所にある。
人間は所詮弱い生き物であり、些細なことで情熱を失うこともあるだろう。
私は多くのそんな選手たちを見てきた。
かける言葉はない。
正直言えば、胸の詰まるような何ともいえない悲しい気持ちになるが、それはその選手の選択だと言い聞かせるようにしている(でも、寝れない時だってあるのだ)。
東山紘久(「悩みのコントロール術」岩波アクティブ新書)によると、「人間が飛躍的に大きくなるためには、死ぬような大病をすること、浪人すること、破廉恥罪ではなく刑務所に入ることだ」といわれる。
好きでテニスを始めたのに、それが苦しくて、耐え切れないのは、大げさに言えば大病で死線を彷徨うようなものだ。
でも、その気持ちを振り払い、立ち上がってきた選手は、やはり何かが違う。
多分、テニスに対する<考え方>が変わったのだろう。
「強さ」と選手としての「感性」を身につけている。
これがスポーツの本当の素晴らしさ、本当の歓びだと思う。
多くの選手には良い選択をしてほしい。
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2007年06月18日
言い訳するな(913)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -12-
一生懸命にやっていない者は、そんなにやっていないから負けても仕方がないという言い訳を自分の中に作っている。
だから、負けることに対する恐怖は大きくはない。
「テニスは楽しいからがんばります。」は、その悲しみや苦しみという恐怖を経験しようとする一歩手前で引いている自分自身に対する言い訳に過ぎない。
言い訳をする者は、大切な場面でも、まず言い訳をして自分自身を安全な場所(人には非難されないように)に置きながら、自分自身をもごまかしてしまうのだ。
岩月謙司(「女は男のどこを見ているか」ちくま新書)は、「言い訳という行為は、自分にウソをつく行為」と、<言い訳というウソ>を厳しく批判している(男はこうはなりたくないものだ!)。
「テニスは苦しい。でも、テニスをやっている自分が大好き。だから苦しくてもがんばる。がんばっているから、また喜びも大きい。だから楽しい。」
が、本当の意味である。
楽しんで、趣味の域でやっているテニスに本当の喜びはないし、<強さの降臨>はない。
<死にもの狂い>、これは古い言葉ながらとても大切な言葉だ。
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一生懸命にやっていない者は、そんなにやっていないから負けても仕方がないという言い訳を自分の中に作っている。
だから、負けることに対する恐怖は大きくはない。
「テニスは楽しいからがんばります。」は、その悲しみや苦しみという恐怖を経験しようとする一歩手前で引いている自分自身に対する言い訳に過ぎない。
言い訳をする者は、大切な場面でも、まず言い訳をして自分自身を安全な場所(人には非難されないように)に置きながら、自分自身をもごまかしてしまうのだ。
岩月謙司(「女は男のどこを見ているか」ちくま新書)は、「言い訳という行為は、自分にウソをつく行為」と、<言い訳というウソ>を厳しく批判している(男はこうはなりたくないものだ!)。
「テニスは苦しい。でも、テニスをやっている自分が大好き。だから苦しくてもがんばる。がんばっているから、また喜びも大きい。だから楽しい。」
が、本当の意味である。
楽しんで、趣味の域でやっているテニスに本当の喜びはないし、<強さの降臨>はない。
<死にもの狂い>、これは古い言葉ながらとても大切な言葉だ。
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2007年06月15日
テニスを楽しむな-どん底を経験する-(911)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -11-
試合では、悔しい敗戦を喫した子どもにかける言葉に窮するのが常だ。
安田女子大学の友末先生の連載に「どんな励まし方をしたとしても、君の気持ちは切り替わらないでしょう。ああ、困ったなあ……。」と書いてある。
この「ああ、困ったなあ……。」は、まさにそのときの私の心境である(友末先生は10年以上の付き合いのある私の先輩であるが、何よりもこの人に惹かれるのは、このような<人に対する感性>である)。
巷にあふれるポジティブ・シンキング的なメンタル・トレーニングは、敗戦のショックから立ち直り、またもう一度テニスをやってみようかという気持ちに差し掛かったときに、なんとなく、心にすうっと入っていくものであり、容赦のない限界を突きつけられたときに、そのような考え方にたどり着くとは思えない。
選手は誰もが懸命に戦っている。
負けたいと思って戦う者などいない。
しかし、打っても打っても通用しない。
何をして良いのかわからない。
本当に残酷なのだが、努力で埋まらない限界がはっきりと示されるのだ。
こんなときに、何をかける言葉があるのか。
私も友末先生と同じように、一緒に肩を落とし、ため息をつき、気持ちが自然に切り替わるのをじっと待つしかない。
スポーツの残酷さを嘆きながら、一緒に涙することしかできないのだ。
このような<苦しみ>がスポーツの本質である。
しかし、その<苦しみ>の中に、選手としての感性を磨く種がまかれているのも真実である。
このような<苦しみ>を幾度となく経験し、「どん底の中であがいた人間だけが感じる本当の歓び」(友末)を手に入れた者が強くなる。
しかし、<どん底を経験する>ことは大変に難しい。
実はどん底を経験するにはいくつかの条件があるのだ。
なによりもテニスに対して一生懸命に取り組んでいなければならない。
あるテレビ番組で、コーチが指導する生徒に対して「一生懸命やればやるほど、その悲しみは大きくなる。それがスポーツだし、スポーツとは本来そういうもので、残酷なものだ。」と説いていた。
そう、スポーツは一生懸命にやればやるほど、苦しみ、悲しみは大きくなるということをこのコーチは知っている。
一生懸命に努力すると、なんとなく自信が付いてくるのだが、その反面、「こんなにやったのに負けたらどうしよう!」と、負けることに対する恐怖が大きくなる。
その恐怖は振り払うことができない。
なぜなら一生懸命に取り組んでいる<自分自身が恐怖を作っている>からである。
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試合では、悔しい敗戦を喫した子どもにかける言葉に窮するのが常だ。
安田女子大学の友末先生の連載に「どんな励まし方をしたとしても、君の気持ちは切り替わらないでしょう。ああ、困ったなあ……。」と書いてある。
この「ああ、困ったなあ……。」は、まさにそのときの私の心境である(友末先生は10年以上の付き合いのある私の先輩であるが、何よりもこの人に惹かれるのは、このような<人に対する感性>である)。
巷にあふれるポジティブ・シンキング的なメンタル・トレーニングは、敗戦のショックから立ち直り、またもう一度テニスをやってみようかという気持ちに差し掛かったときに、なんとなく、心にすうっと入っていくものであり、容赦のない限界を突きつけられたときに、そのような考え方にたどり着くとは思えない。
選手は誰もが懸命に戦っている。
負けたいと思って戦う者などいない。
しかし、打っても打っても通用しない。
何をして良いのかわからない。
本当に残酷なのだが、努力で埋まらない限界がはっきりと示されるのだ。
こんなときに、何をかける言葉があるのか。
私も友末先生と同じように、一緒に肩を落とし、ため息をつき、気持ちが自然に切り替わるのをじっと待つしかない。
スポーツの残酷さを嘆きながら、一緒に涙することしかできないのだ。
このような<苦しみ>がスポーツの本質である。
しかし、その<苦しみ>の中に、選手としての感性を磨く種がまかれているのも真実である。
このような<苦しみ>を幾度となく経験し、「どん底の中であがいた人間だけが感じる本当の歓び」(友末)を手に入れた者が強くなる。
しかし、<どん底を経験する>ことは大変に難しい。
実はどん底を経験するにはいくつかの条件があるのだ。
なによりもテニスに対して一生懸命に取り組んでいなければならない。
あるテレビ番組で、コーチが指導する生徒に対して「一生懸命やればやるほど、その悲しみは大きくなる。それがスポーツだし、スポーツとは本来そういうもので、残酷なものだ。」と説いていた。
そう、スポーツは一生懸命にやればやるほど、苦しみ、悲しみは大きくなるということをこのコーチは知っている。
一生懸命に努力すると、なんとなく自信が付いてくるのだが、その反面、「こんなにやったのに負けたらどうしよう!」と、負けることに対する恐怖が大きくなる。
その恐怖は振り払うことができない。
なぜなら一生懸命に取り組んでいる<自分自身が恐怖を作っている>からである。
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2007年06月12日
勝負師としての感性を磨け-勝負するこころを高める-(908)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -10-
嶋田出雲(「スポーツに強くなる方法」不味堂)は面白いことを書いている。
「スポーツにおいて何をしてよいか分からないほど不幸なことはない。賭けられないのは無知だからである。囲碁、将棋、麻雀の面白さは、誰でも一回一回多くの選択肢があり、その強さは「選ぶ力(ベスト・チョイスの力)」にある。これは人生もスポーツも同様である。そのため、賭けの力が勝負(幸と不幸)の分岐点になるといっても過言ではないだろう。」
テニスはもちろん勝敗のつくスポーツである。
そして、圧倒的な技量の差がある場合を除いて、競り合いの中で勝敗を決するのはこの「賭けの力」である。
私の指導する選手にも、当然、勝負強い奴と勝負弱い奴はいる。
勝負強い奴は、「よくこんなところで勝負にいけるなあ」というところで思い切って攻めたり、相手の攻勢に対して辛抱強く防御したり、その判断が適切であると感じる。
嶋田は、「賭けの力」として、過去の経験や成績(データ)から確率の高いものを選んで実行する確率の力、攻守待の使い分けの力、攻め手のレパートリーの力、深さ、正確さ、速さが勝負を決する読みの力、賭ける根拠を引き出す情報の力を挙げている。まさにその通りだと思う。
また、高橋浩(「頭のいい人悪い人」PHP)によると、大石内臓助の師であった江戸時代の兵法学者の山鹿素行は、「察気というのは、まず実際の細かな動き・現象をよく見て十分に現象を把握し、ついでにその背後にあるものを見抜き、そしてそれが生ずる根本要因を洞察する。これが察気ということである。」と著したそうである。
よく観察して相手の状態を知り、その上で勝つための最良の方法を選択することが重要なのはいうまでもなく、<今そうした状態にある>という心理までも洞察して、最も優れた選択をすることで勝利は確実に自分のものになることを示している。
私は不良学生(不良浪人生であった時期もあるが)であったことが功を奏して(?)、麻雀とトランプ、パチンコで生活を支えた時期がある。
私の相手は主に同じテニスクラブのコーチ連中であり、支払いは月末清算という形を取っていたのだが、一度としてお金を払ったことがない。
この方たちに生活を支えていただいた、という感謝の気持ちでいっぱいである。本当にありがとう!
振り返って考えてみると、私が負けなかったのは何よりも研究熱心であったことに尽きる。
お金があまりないのだから<負けられない>のだ。そのためには負けない工夫を誰よりもする必要があった。
もちろん!本はたくさん読んだ(このときはお金があまりなかったので、立ち読みに結構な時間を使った)。
ひとつの手を作るときも、常に相手の動向に気を配り、その一枚のカードや牌が出されたときの背景を推察し、攻めるべきか引くべきかを判断し、決断する。そうして勝ってきた。
そのようなことをやり続けることは大変な集中力を必要とするが、<負けられない意志>が強ければ平気である。
よく、麻雀やパチンコは<運>が良ければ勝てるといわれるが、このようなことを平気で言えるのは<勝負師としての感性>がない証拠である。
私は、不正なことをしないで勝ち続ける純然たるプロが存在するものには、勝利の法則が存在することを疑わない。
麻雀では、20年間無敗の伝説の雀師桜井章一がいる。勝負師としての感性を磨きたいのなら、この人の書いた本(「雀鬼流」三五館など)を一読することを薦める。
偶然や運が大きく勝敗を左右するといわれるパチンコでさえも、谷村ひとしという漫画家兼パチンカーはその収支をはっきりと示し、何千万円も勝っているのだ。
私も不正なことはただの一度もすることなく、百万円以上勝っている(最近はあまり行けないのが悩みであるが・・・・)。
もちろん、自分自身のものの考え方もあるし、好き嫌いや相性の問題もあるので、その通りに行動して勝つことを期待しているのではない。
ただ、厳しい勝負の世界で不正をすることなく確実に勝っている人がいる、そして、そうした人たちは<勝負師として感性>を高いレベルで持っているという事実を受け止めてほしいだけである。
負ける人は、<勝つためにやらなければならないこと>をやっていないから負ける。
どのような勝負事であれ、準備を万全にし、よく観察し、よく思考して作戦を立て、思い切って決断することができて勝利することができる。
負ける人はそれを忘れているか、もしくは偶然の勝利を期待して努力することを放棄しているのである。
もちろん偶然で勝つこともあるだろう。しかし、偶然の勝利に浮かれているうちは勝負師としての感性や勘は磨かれないことは肝に銘じておこう。
斎藤勇(「自己チュウにはわけがある」文藝春秋)は、「75%当たっても、それが偶然であることをしっかりと受け止め、有頂天にならない人もいるのです。たとえそのことに成功しても、やり方は自分にはわかっていない、だから自分はコントロールしていないのだ、と冷静に状況を判断している人もいるのです。こういう人こそ賢人と言えるかもしれません。」と賢人たる資質について示唆を与えている。
真の賢人になるには遠い道のりだが、一歩踏み出したほうが得だと思う。
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嶋田出雲(「スポーツに強くなる方法」不味堂)は面白いことを書いている。
「スポーツにおいて何をしてよいか分からないほど不幸なことはない。賭けられないのは無知だからである。囲碁、将棋、麻雀の面白さは、誰でも一回一回多くの選択肢があり、その強さは「選ぶ力(ベスト・チョイスの力)」にある。これは人生もスポーツも同様である。そのため、賭けの力が勝負(幸と不幸)の分岐点になるといっても過言ではないだろう。」
テニスはもちろん勝敗のつくスポーツである。
そして、圧倒的な技量の差がある場合を除いて、競り合いの中で勝敗を決するのはこの「賭けの力」である。
私の指導する選手にも、当然、勝負強い奴と勝負弱い奴はいる。
勝負強い奴は、「よくこんなところで勝負にいけるなあ」というところで思い切って攻めたり、相手の攻勢に対して辛抱強く防御したり、その判断が適切であると感じる。
嶋田は、「賭けの力」として、過去の経験や成績(データ)から確率の高いものを選んで実行する確率の力、攻守待の使い分けの力、攻め手のレパートリーの力、深さ、正確さ、速さが勝負を決する読みの力、賭ける根拠を引き出す情報の力を挙げている。まさにその通りだと思う。
また、高橋浩(「頭のいい人悪い人」PHP)によると、大石内臓助の師であった江戸時代の兵法学者の山鹿素行は、「察気というのは、まず実際の細かな動き・現象をよく見て十分に現象を把握し、ついでにその背後にあるものを見抜き、そしてそれが生ずる根本要因を洞察する。これが察気ということである。」と著したそうである。
よく観察して相手の状態を知り、その上で勝つための最良の方法を選択することが重要なのはいうまでもなく、<今そうした状態にある>という心理までも洞察して、最も優れた選択をすることで勝利は確実に自分のものになることを示している。
私は不良学生(不良浪人生であった時期もあるが)であったことが功を奏して(?)、麻雀とトランプ、パチンコで生活を支えた時期がある。
私の相手は主に同じテニスクラブのコーチ連中であり、支払いは月末清算という形を取っていたのだが、一度としてお金を払ったことがない。
この方たちに生活を支えていただいた、という感謝の気持ちでいっぱいである。本当にありがとう!
振り返って考えてみると、私が負けなかったのは何よりも研究熱心であったことに尽きる。
お金があまりないのだから<負けられない>のだ。そのためには負けない工夫を誰よりもする必要があった。
もちろん!本はたくさん読んだ(このときはお金があまりなかったので、立ち読みに結構な時間を使った)。
ひとつの手を作るときも、常に相手の動向に気を配り、その一枚のカードや牌が出されたときの背景を推察し、攻めるべきか引くべきかを判断し、決断する。そうして勝ってきた。
そのようなことをやり続けることは大変な集中力を必要とするが、<負けられない意志>が強ければ平気である。
よく、麻雀やパチンコは<運>が良ければ勝てるといわれるが、このようなことを平気で言えるのは<勝負師としての感性>がない証拠である。
私は、不正なことをしないで勝ち続ける純然たるプロが存在するものには、勝利の法則が存在することを疑わない。
麻雀では、20年間無敗の伝説の雀師桜井章一がいる。勝負師としての感性を磨きたいのなら、この人の書いた本(「雀鬼流」三五館など)を一読することを薦める。
偶然や運が大きく勝敗を左右するといわれるパチンコでさえも、谷村ひとしという漫画家兼パチンカーはその収支をはっきりと示し、何千万円も勝っているのだ。
私も不正なことはただの一度もすることなく、百万円以上勝っている(最近はあまり行けないのが悩みであるが・・・・)。
もちろん、自分自身のものの考え方もあるし、好き嫌いや相性の問題もあるので、その通りに行動して勝つことを期待しているのではない。
ただ、厳しい勝負の世界で不正をすることなく確実に勝っている人がいる、そして、そうした人たちは<勝負師として感性>を高いレベルで持っているという事実を受け止めてほしいだけである。
負ける人は、<勝つためにやらなければならないこと>をやっていないから負ける。
どのような勝負事であれ、準備を万全にし、よく観察し、よく思考して作戦を立て、思い切って決断することができて勝利することができる。
負ける人はそれを忘れているか、もしくは偶然の勝利を期待して努力することを放棄しているのである。
もちろん偶然で勝つこともあるだろう。しかし、偶然の勝利に浮かれているうちは勝負師としての感性や勘は磨かれないことは肝に銘じておこう。
斎藤勇(「自己チュウにはわけがある」文藝春秋)は、「75%当たっても、それが偶然であることをしっかりと受け止め、有頂天にならない人もいるのです。たとえそのことに成功しても、やり方は自分にはわかっていない、だから自分はコントロールしていないのだ、と冷静に状況を判断している人もいるのです。こういう人こそ賢人と言えるかもしれません。」と賢人たる資質について示唆を与えている。
真の賢人になるには遠い道のりだが、一歩踏み出したほうが得だと思う。
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2007年06月10日
強くなりたいあなたに -9- (906)
強くなる法則 -9- 「本に頼ってはいけない」
感性は放っておいて磨かれるものではない。
本もただ読めばよいというものではない。
その中から自分の指標となるものを探り出し、そして記憶することが感性や思考力を磨く第一歩となる。
本の内容をただ丸暗記しても意味はない(全部暗記できたら、それはそれでかなりすごいことだが)。
著者が言わんとすることを、その立場にたって理解すること、そして、それを自分の考えに結び付けて適切な意味づけをすることがとても大切なのだ。
斎藤孝の言うように、「読んだ本の内容を人に話す」ことは、本の内容を記憶することには大変効果的であるが、ちょっとかじり読みした本の文を自慢げに話す奴に限ってろくな奴はいない。
本物の前にはもろくもその愚かしさを露呈してしまう。
学者のように深く研究した人が本物であるということではない(学者に対する批判を吉本隆明(「幸福論」青春出版社)は痛快に述べているが、まさにその通りである)。
本物とは自分の言葉で話すことができる人のことである。
自分が本当にそう感じたことを飾らず素直に語ることができれば、あなたも本物になれる。
もちろん、どの本も崇高な目的のために書かれているのではない。
真実とは異なることを堂々と書いて、あなたを困惑させる本も少なくない。
それに惑わされないように、自分の理念を持ち、それに照らし合わせて判断したいものだ。
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感性は放っておいて磨かれるものではない。
本もただ読めばよいというものではない。
その中から自分の指標となるものを探り出し、そして記憶することが感性や思考力を磨く第一歩となる。
本の内容をただ丸暗記しても意味はない(全部暗記できたら、それはそれでかなりすごいことだが)。
著者が言わんとすることを、その立場にたって理解すること、そして、それを自分の考えに結び付けて適切な意味づけをすることがとても大切なのだ。
斎藤孝の言うように、「読んだ本の内容を人に話す」ことは、本の内容を記憶することには大変効果的であるが、ちょっとかじり読みした本の文を自慢げに話す奴に限ってろくな奴はいない。
本物の前にはもろくもその愚かしさを露呈してしまう。
学者のように深く研究した人が本物であるということではない(学者に対する批判を吉本隆明(「幸福論」青春出版社)は痛快に述べているが、まさにその通りである)。
本物とは自分の言葉で話すことができる人のことである。
自分が本当にそう感じたことを飾らず素直に語ることができれば、あなたも本物になれる。
もちろん、どの本も崇高な目的のために書かれているのではない。
真実とは異なることを堂々と書いて、あなたを困惑させる本も少なくない。
それに惑わされないように、自分の理念を持ち、それに照らし合わせて判断したいものだ。
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2007年06月07日
強くなりたいあなたに -8- (903)
強くなる法則 -8- 「本を読め」
感性を磨くとして、いったいどのような方法があるのだろう。
一番身近な方法としては本を読むことである。
私がどれくらいの本を読むのかというと、スポーツ・運動関係の専門誌を6誌、テニス専門誌を1誌、その他学会の関係雑誌を4誌ほど定期的に講読している。
それ以外には、コンピューター専門誌とDIY(日曜大工)の専門誌を1誌づつ半分趣味として購読している。
本は新刊、文庫を問わず、頻繁に本屋に足を運んだり、インターネット上の仮想書店での注文書を含め毎月かなりの冊数の本を購入し、読んでいる(自慢げにみえたらごめんなさい!)。
中には、そのような本という知識(?)に頼らずに自分の感性を磨く奴もいる。
私の友人に本誌のコラムや連載でもおなじみの松島徹(あえて敬称略)がいるが、彼とは同じ年ということで(とてもそうは見えない!私のほうが10歳は若く見えるぞ!)、懇意にテニスの話をしたりする。
彼は、自分のホームページに「本など読まない!」と書いているが、それを補う<行動力>を持っている(<行動力>を鍛える方法についてはいずれ述べる)。
まさに<体で学習する>タイプの人間なのだ。
ただし、並み大抵の行動力では学び得ること、感性を磨くことは到底不可能である。そこまでの労力を払い、貧乏生活を甘受できないのであれば、本を読むほうが実際的であると思う。
斎藤孝(「読書力」岩波新書)は、「読書とは単に情報の摂取のためにあるばかりではない。思考力を鍛え、人間を作るものだと。」明言し、「本は読まなければならない。」と断言している。
たしかに、自分自身の生き方を大きく左右するような本にめぐり合うこともあるので、できる限り本は読んだほうが良いとは思うが、勢子浩爾(「ぶざまな人生」洋泉社)がいうように、私も「本を読むバカを見すぎた」ので、本を読むことだけで人間の品格や、感性が磨かれるものでないことは承知している。ただ、実際的な方法としては大変有効であることはたしかだ。
なにも難しい本を額に汗して、無理して読む必要はない。マンガ本でも良いのである。
「なにっ!マンガだ!」と訝しく思った人もいるのではないだろうか。
「ちょっと待て!」、マンガ本を馬鹿にしてはいけない。そこにはとても深い示唆に富んだ、ひょっとしたらあなたの感性を揺さぶる場面に出くわすことになるかもしれないのだ。
私の愛読する<週間少年マガジン(講談社)>には「はじめの一歩」や「ゴッドハンド輝」など、実に素晴らしいマンガが連載されている。毎回感動し、涙することも多い。ここでは、2003年第7号より読者の皆さんに感動の内容をお伝えしたい。
感性を磨くとして、いったいどのような方法があるのだろう。
一番身近な方法としては本を読むことである。
私がどれくらいの本を読むのかというと、スポーツ・運動関係の専門誌を6誌、テニス専門誌を1誌、その他学会の関係雑誌を4誌ほど定期的に講読している。
それ以外には、コンピューター専門誌とDIY(日曜大工)の専門誌を1誌づつ半分趣味として購読している。
本は新刊、文庫を問わず、頻繁に本屋に足を運んだり、インターネット上の仮想書店での注文書を含め毎月かなりの冊数の本を購入し、読んでいる(自慢げにみえたらごめんなさい!)。
中には、そのような本という知識(?)に頼らずに自分の感性を磨く奴もいる。
私の友人に本誌のコラムや連載でもおなじみの松島徹(あえて敬称略)がいるが、彼とは同じ年ということで(とてもそうは見えない!私のほうが10歳は若く見えるぞ!)、懇意にテニスの話をしたりする。
彼は、自分のホームページに「本など読まない!」と書いているが、それを補う<行動力>を持っている(<行動力>を鍛える方法についてはいずれ述べる)。
まさに<体で学習する>タイプの人間なのだ。
ただし、並み大抵の行動力では学び得ること、感性を磨くことは到底不可能である。そこまでの労力を払い、貧乏生活を甘受できないのであれば、本を読むほうが実際的であると思う。
斎藤孝(「読書力」岩波新書)は、「読書とは単に情報の摂取のためにあるばかりではない。思考力を鍛え、人間を作るものだと。」明言し、「本は読まなければならない。」と断言している。
たしかに、自分自身の生き方を大きく左右するような本にめぐり合うこともあるので、できる限り本は読んだほうが良いとは思うが、勢子浩爾(「ぶざまな人生」洋泉社)がいうように、私も「本を読むバカを見すぎた」ので、本を読むことだけで人間の品格や、感性が磨かれるものでないことは承知している。ただ、実際的な方法としては大変有効であることはたしかだ。
なにも難しい本を額に汗して、無理して読む必要はない。マンガ本でも良いのである。
「なにっ!マンガだ!」と訝しく思った人もいるのではないだろうか。
「ちょっと待て!」、マンガ本を馬鹿にしてはいけない。そこにはとても深い示唆に富んだ、ひょっとしたらあなたの感性を揺さぶる場面に出くわすことになるかもしれないのだ。
私の愛読する<週間少年マガジン(講談社)>には「はじめの一歩」や「ゴッドハンド輝」など、実に素晴らしいマンガが連載されている。毎回感動し、涙することも多い。ここでは、2003年第7号より読者の皆さんに感動の内容をお伝えしたい。
2007年06月05日
強くなりたいあなたに -7- (901)
強くなる法則 -7- 「基本法則-7つの(K) ⑦コーチ」
これは厳密に言えば、Cであるが、日本語的にKということでお許し願いたい。
強くなるためにコーチの存在は欠かせない。
しかし、なかなか良いコーチにめぐり合うことは少ない。
良いコーチとは、ずばり「視野の広い」コーチである。
知識の量、人間的な度量、幅広い交友関係など様々な選手の感性を幅広く受け止めることができるコーチが良いコーチである。
そういうコーチにめぐり合うには、自分のアンテナも広く張っておかなければならない。
志向性が偏っていると、めぐり合いの機会は少ないだろう。
西に良いコーチあると聞けば行って話を聞き、東に良いコーチがあると聞けば実際に指導を受けてみるといった行動力が求められる。
そして、自分の感性に従って、「あっ、この人だ!」とピンときたら、その門戸を強引にでもたたいてみることが必要である。
私も、その一人として、あなたが門戸をたたいてくれるのを待っている。
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これは厳密に言えば、Cであるが、日本語的にKということでお許し願いたい。
強くなるためにコーチの存在は欠かせない。
しかし、なかなか良いコーチにめぐり合うことは少ない。
良いコーチとは、ずばり「視野の広い」コーチである。
知識の量、人間的な度量、幅広い交友関係など様々な選手の感性を幅広く受け止めることができるコーチが良いコーチである。
そういうコーチにめぐり合うには、自分のアンテナも広く張っておかなければならない。
志向性が偏っていると、めぐり合いの機会は少ないだろう。
西に良いコーチあると聞けば行って話を聞き、東に良いコーチがあると聞けば実際に指導を受けてみるといった行動力が求められる。
そして、自分の感性に従って、「あっ、この人だ!」とピンときたら、その門戸を強引にでもたたいてみることが必要である。
私も、その一人として、あなたが門戸をたたいてくれるのを待っている。
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2007年06月03日
強くなりたいあなたに -6- (899)
強くなる法則 -6- 「基本法則-7つの(K) ⑥苦心」
テニスの選手を志す以上、チャンピオンになることを夢見るに違いない。
でも、現実は大変に厳しい。
あなたは、がんばっても、がんばっても届かない栄冠に対して、「なぜ、私だけがこんなに不幸なのだ。」と嘆き悲しむかもしれない。
しかし、もしすべてあなたの想像するようにうまくいったとして、果たしてあなたは幸せだろうか。
苦しみがなくなれば、喜びもないといわれる。
苦労して、苦労して手に入れたときに人間は感動するのである。
しかし、もっと強い人間は、苦労そのものに喜びを見出すのである。
今、まさに苦労していて、それを乗り越えるためにさまざまな工夫をしている自分、その苦心の中から何かひらめきを得たときに感動できる自分がいたなら、きっとあなたは強くなる。
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テニスの選手を志す以上、チャンピオンになることを夢見るに違いない。
でも、現実は大変に厳しい。
あなたは、がんばっても、がんばっても届かない栄冠に対して、「なぜ、私だけがこんなに不幸なのだ。」と嘆き悲しむかもしれない。
しかし、もしすべてあなたの想像するようにうまくいったとして、果たしてあなたは幸せだろうか。
苦しみがなくなれば、喜びもないといわれる。
苦労して、苦労して手に入れたときに人間は感動するのである。
しかし、もっと強い人間は、苦労そのものに喜びを見出すのである。
今、まさに苦労していて、それを乗り越えるためにさまざまな工夫をしている自分、その苦心の中から何かひらめきを得たときに感動できる自分がいたなら、きっとあなたは強くなる。
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2007年06月02日
強くなりたいあなたに -5- (898)
強くなる法則 -5- 「基本法則-7つの(K) ⑤観察、興味、好奇心」
テニスの試合の興味を示さない人は成長しない。
真剣にテレビにかじりついて試合を見てほしい。
できれば、多くの試合に出かけていって実際の試合をじっくり見てほしい。
その選手のフットワークが素晴らしいとか、フォアハンドのストロークに切れがあるとか、そんな分析は必要ない。
ただ、じっと見れば良いのである。
もし、あなたが人並み以上の好奇心を持って試合を見続けるなら、あなたはその試合のプレーヤーに成り代わる。
ひとつひとつのショットに感情が移入される。
あなたは自分が経験できる以上の最高の舞台でプレーすることができる喜びで満ち溢れるに違いない。
素晴らしい試合は壮大なドラマである。
そのドラマの中の主役を想像上でも演じることで、いつのまにかあなたを素晴らしい高みに導いてくれることもある。
もし、あなたがこのような経験に興味も好奇心もなければ、自分が参加できる試合で勝った、負けたと騒ぐしか方法がない。
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テニスの試合の興味を示さない人は成長しない。
真剣にテレビにかじりついて試合を見てほしい。
できれば、多くの試合に出かけていって実際の試合をじっくり見てほしい。
その選手のフットワークが素晴らしいとか、フォアハンドのストロークに切れがあるとか、そんな分析は必要ない。
ただ、じっと見れば良いのである。
もし、あなたが人並み以上の好奇心を持って試合を見続けるなら、あなたはその試合のプレーヤーに成り代わる。
ひとつひとつのショットに感情が移入される。
あなたは自分が経験できる以上の最高の舞台でプレーすることができる喜びで満ち溢れるに違いない。
素晴らしい試合は壮大なドラマである。
そのドラマの中の主役を想像上でも演じることで、いつのまにかあなたを素晴らしい高みに導いてくれることもある。
もし、あなたがこのような経験に興味も好奇心もなければ、自分が参加できる試合で勝った、負けたと騒ぐしか方法がない。
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2007年06月01日
強くなりたいあなたに -4- (896)
強くなる法則 -4- 「基本法則-7つの(K)④カン」
「カン」が働くということはどういうことだろうか。
直感で物事を判断する第六感の能力のことで、自分の気が広く張り巡らされて、なんとなく自分にとって有利に働く方向が察知できるということだ。
道に迷っても、あらぬ方向に行かなくてすむ人は「カン」に優れている人だ。
「カン」は勝負場面ではとても大切な能力である。このコースにサービスを打てばうまくいく、相手は必ずここにボレーを打ってくる、それを瞬時に判断している。
道に迷ったときでも、なにげに目印からのルートが頭にはいっているし、状況から東西南北を察知して方向を決定するなど、知識、経験的なものがベースにあるのだが、それだけでは判断が下せない場面でも、「カン」の鋭い人は、それがぴたりとはまる。
あなたも一度くらい、見知らぬ土地で地図も持たずに旅に出てみると良いかもしれない。そして、どれだけ無駄なく目的地につけるか自分の「カン」を試してみてはいかがだろうか。
私の経験をお話しする。またしてもウィンブルドンに観戦に行ったときの話しだ。
空港でレンタカーを借りて、ロンドン市内のホテルに向かったのだが、地図が大きな縮尺のものしかなく、ほとんど役に立たないという状況であった。
しかも、ロンドンは交差点が少なく(ラウンドアウトという代物だ!)、大きな一方通行が多かったりと、運転するにはとても大変なとこなのだ。
そうこうするうちに日が暮れてきて、このままではホテルに着くのは難しいかもしれないと思いはじめたころ、なにげにすっと左に曲がった目の前に目的のホテルがあった。
ロンドンは看板の規制があり、派手な看板がないので、よく眼を凝らさないとそこがホテルかどうかも良く分からない。
ましてや、英語がそれほど得意でもない日本人旅行者にとってはなおさらである。
でも、不思議と私には自信があった。そして、その通り無事に目的のホテルに着くことができた。
このような経験は一度や二度ではない。私の持っている能力である。「カン」だけに頼ることの危険性は無論承知しているが、土壇場で、自分の力を発揮できる人は、この能力に優れている場合が多いことを知っておいて損は無い。
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「カン」が働くということはどういうことだろうか。
直感で物事を判断する第六感の能力のことで、自分の気が広く張り巡らされて、なんとなく自分にとって有利に働く方向が察知できるということだ。
道に迷っても、あらぬ方向に行かなくてすむ人は「カン」に優れている人だ。
「カン」は勝負場面ではとても大切な能力である。このコースにサービスを打てばうまくいく、相手は必ずここにボレーを打ってくる、それを瞬時に判断している。
道に迷ったときでも、なにげに目印からのルートが頭にはいっているし、状況から東西南北を察知して方向を決定するなど、知識、経験的なものがベースにあるのだが、それだけでは判断が下せない場面でも、「カン」の鋭い人は、それがぴたりとはまる。
あなたも一度くらい、見知らぬ土地で地図も持たずに旅に出てみると良いかもしれない。そして、どれだけ無駄なく目的地につけるか自分の「カン」を試してみてはいかがだろうか。
私の経験をお話しする。またしてもウィンブルドンに観戦に行ったときの話しだ。
空港でレンタカーを借りて、ロンドン市内のホテルに向かったのだが、地図が大きな縮尺のものしかなく、ほとんど役に立たないという状況であった。
しかも、ロンドンは交差点が少なく(ラウンドアウトという代物だ!)、大きな一方通行が多かったりと、運転するにはとても大変なとこなのだ。
そうこうするうちに日が暮れてきて、このままではホテルに着くのは難しいかもしれないと思いはじめたころ、なにげにすっと左に曲がった目の前に目的のホテルがあった。
ロンドンは看板の規制があり、派手な看板がないので、よく眼を凝らさないとそこがホテルかどうかも良く分からない。
ましてや、英語がそれほど得意でもない日本人旅行者にとってはなおさらである。
でも、不思議と私には自信があった。そして、その通り無事に目的のホテルに着くことができた。
このような経験は一度や二度ではない。私の持っている能力である。「カン」だけに頼ることの危険性は無論承知しているが、土壇場で、自分の力を発揮できる人は、この能力に優れている場合が多いことを知っておいて損は無い。
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2007年05月30日
強くなりたいあなたに -3- (893)
強くなる法則 -3- 「基本法則-7つの(K)③感性」
「感性」とは、哲学の用語で、感覚的刺激や印象を受容したり、経験を伴う刺激に反応する心の能力。直観の能力。意志や知性と区別された、感覚的衝動、欲求、感情、情緒を含んだ心の能力と定義されている。
「なんのこっちゃいな?」というぐらい難解な解説ではあるが、ようは心に深く感じる能力のことである。
これは「理屈」ではない。
私は高校時代にある女の子のことがとても好きになった。
試合をやっている姿を見たときに、「ああ、この子だ!」と感じてしまったのだ。
なにがそれほどまでに魅力的だったのかを説明することはできない。強いて言えば、当時、キャンディーズ(古くてごめんなさい!m(_ _)m)のスーチャンが好きで、その子が似ていたからかもしれない。
でも、だれがなんと言おうと、どうしようもなく好きなのである。
これが「感性」である(変なたとえで申し訳ない!m(_ _)m×2)。
「感性」は人それぞれ違うので、その「感性」を否定したり、強制したりすることなどできない。
そして、強くなるためには有効に働く「感性」がある。
ものごとに「感動するこころ」である。
私の知人にインターハイで3度の全国優勝を成し遂げた名古屋高校の宮尾監督がいる。
私と宮尾監督が近藤大生プロ(当時は名古屋高校生)の試合を見に、ウィンブルドンを観戦に訪れたきのことだ。
IDカードを発行してもらったおかげで、日曜日(セカンドサンデー)のだれも観客のいないスタジアムに入ることができた。
そのときはあいにくの小雨模様で、警備のため巡回するアルバイト警備員のお姉さんと我々二人だけがそのスタジアムにいた。
もちろん試合などやっていない。
雨なので、練習する選手もいない。
そんな中、何時間もそのスタジアムでぼーっとしていた。
ただ静かに時間が過ぎ去っていく中、テニスの聖地にいる自分に酔いしれていた。
感動していた。
私は、この舞台に来ることを目指して選手の育成に取り組んでいることの幸せを本当に実感できた。
監督も同じ気持ちだったろう。
だから、だれもいないスタジアムで何時間もたたずんでいることができたのである。
この「感動するこころ」があれば、テニスをやっていることの喜びを必ず実感できる。
強くなるに決まっている。
「感性」はとても難しい言葉かもしれないが、「テニスをする自分を本当に好き」になれば、放っておいても磨かれるものだ。
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「感性」とは、哲学の用語で、感覚的刺激や印象を受容したり、経験を伴う刺激に反応する心の能力。直観の能力。意志や知性と区別された、感覚的衝動、欲求、感情、情緒を含んだ心の能力と定義されている。
「なんのこっちゃいな?」というぐらい難解な解説ではあるが、ようは心に深く感じる能力のことである。
これは「理屈」ではない。
私は高校時代にある女の子のことがとても好きになった。
試合をやっている姿を見たときに、「ああ、この子だ!」と感じてしまったのだ。
なにがそれほどまでに魅力的だったのかを説明することはできない。強いて言えば、当時、キャンディーズ(古くてごめんなさい!m(_ _)m)のスーチャンが好きで、その子が似ていたからかもしれない。
でも、だれがなんと言おうと、どうしようもなく好きなのである。
これが「感性」である(変なたとえで申し訳ない!m(_ _)m×2)。
「感性」は人それぞれ違うので、その「感性」を否定したり、強制したりすることなどできない。
そして、強くなるためには有効に働く「感性」がある。
ものごとに「感動するこころ」である。
私の知人にインターハイで3度の全国優勝を成し遂げた名古屋高校の宮尾監督がいる。
私と宮尾監督が近藤大生プロ(当時は名古屋高校生)の試合を見に、ウィンブルドンを観戦に訪れたきのことだ。
IDカードを発行してもらったおかげで、日曜日(セカンドサンデー)のだれも観客のいないスタジアムに入ることができた。
そのときはあいにくの小雨模様で、警備のため巡回するアルバイト警備員のお姉さんと我々二人だけがそのスタジアムにいた。
もちろん試合などやっていない。
雨なので、練習する選手もいない。
そんな中、何時間もそのスタジアムでぼーっとしていた。
ただ静かに時間が過ぎ去っていく中、テニスの聖地にいる自分に酔いしれていた。
感動していた。
私は、この舞台に来ることを目指して選手の育成に取り組んでいることの幸せを本当に実感できた。
監督も同じ気持ちだったろう。
だから、だれもいないスタジアムで何時間もたたずんでいることができたのである。
この「感動するこころ」があれば、テニスをやっていることの喜びを必ず実感できる。
強くなるに決まっている。
「感性」はとても難しい言葉かもしれないが、「テニスをする自分を本当に好き」になれば、放っておいても磨かれるものだ。
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2007年05月29日
強くなりたいあなたに -2- (892)
強くなる法則 -2- 「基本法則-7つの(K)②気」
何かに賭けている人には「オーラ」が見えると言うことがあるが、それは実際にある。見えるという表現は適切でなく、感じるが最も適している。これが「気」である。何か特別なことをしているわけではないのに、その人にはついつい眼がいってしまう。そんな人は「気」を発している。
このことに関して、そのような思いの強い人は、行動が積極的で目立つので、いろいろな人の眼に止まり、話がうまくいくというように行動心理学的に分析することもできる。しかし、客観的データだけで推し量ることのできないものを実際に感じることがある。
私には、そのひとがその試合に勝つかどうかが試合をやる前になんとなくわかる。その選手の「気」を感じ取ることができるからだ。野球のチームを見ている関係で、そのチームの力を測るときも「気」を感じるようにしている。どのチームが甲子園に出場できるかどうかを今まで全て言い当てている。
もちろん個々人の能力を知っているから、比較して、分析して分かるという側面もあるが、チームの和やそれぞれの選手の持つ雰囲気を感じ取り、「ああこのチームは良いチームだなあ。」と思えるときには勝てる強いチームに成長するのである。
毎日「絶対強くなる!」と念じて続けて、自分のからだの変化を感じてみると良い。自分の中に何かしらの変化を感じることができるようになれば、不思議なことに「あなた、最近何か変わったわね。」などと、「気」を察するのに敏感な人たちが声をかけてくるはずだ。それだけであなたは強くなっている(北斗の拳のケンシロウの口調で)。ただ単に願うだけではだめである。「信念は願望よりも強し」、強く思うことが何よりも大切である。
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何かに賭けている人には「オーラ」が見えると言うことがあるが、それは実際にある。見えるという表現は適切でなく、感じるが最も適している。これが「気」である。何か特別なことをしているわけではないのに、その人にはついつい眼がいってしまう。そんな人は「気」を発している。
このことに関して、そのような思いの強い人は、行動が積極的で目立つので、いろいろな人の眼に止まり、話がうまくいくというように行動心理学的に分析することもできる。しかし、客観的データだけで推し量ることのできないものを実際に感じることがある。
私には、そのひとがその試合に勝つかどうかが試合をやる前になんとなくわかる。その選手の「気」を感じ取ることができるからだ。野球のチームを見ている関係で、そのチームの力を測るときも「気」を感じるようにしている。どのチームが甲子園に出場できるかどうかを今まで全て言い当てている。
もちろん個々人の能力を知っているから、比較して、分析して分かるという側面もあるが、チームの和やそれぞれの選手の持つ雰囲気を感じ取り、「ああこのチームは良いチームだなあ。」と思えるときには勝てる強いチームに成長するのである。
毎日「絶対強くなる!」と念じて続けて、自分のからだの変化を感じてみると良い。自分の中に何かしらの変化を感じることができるようになれば、不思議なことに「あなた、最近何か変わったわね。」などと、「気」を察するのに敏感な人たちが声をかけてくるはずだ。それだけであなたは強くなっている(北斗の拳のケンシロウの口調で)。ただ単に願うだけではだめである。「信念は願望よりも強し」、強く思うことが何よりも大切である。
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2007年05月27日
強くなりたいあなたに(890)
テニスジャーナルの「強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則」の連載が終了することをお伝えしたところ、何人かの方から「残念な思いである」というようなメールをいただいて大変うれしく思います。
編集部宛にも「大島さんの文章にぐっときて、前向きな気持ちになれました」という手紙やメールが届いたりして、私の書く文章がそれなりの「影響力」を持っていることを嬉しく思うとともに、「責任の重さ」のようなことも感じます。
「こころにぐっとくる」文章に出会うと、なんだかわくわくするような気持ちになります。最近では、「女王の教室」の阿久津真矢先生が言った、
「大切なのは、耐える力や解決する方法を身に付けることです。人生に不安があるのは当たり前です。大事なのはそのせいで自信を失ったり、根も葉もないうわさにのったり、人を傷つけたりしないことです。それより今をもっと見つめなさい。私たちの周りには美しいものがいっぱいある。そういう大切なものをしっかり目を開いて見なさい、耳を済まして聞きなさい。全身で感じなさい。それが生きているということです。今しかできないことをしっかりしなさい。今しかできないことがいっぱいある。それをちゃんとやらずに将来のことばかり気にするのはやめなさい。いつまでたっても何にも気づいたりしません。」
という言葉と、
「人生においては苦しいことや悲しいことがあるのは当たり前で、それを乗り越えていく力を付けさせることが私(教師)の役目です。」
という言葉ですね。
どちらも「こころにぐっと」きました。
そういう感動を覚えると、気持ちはとても「前向き」になります。これが「言葉の力」です。そして、そんな「力を持った言葉」を伝えていきたい、という気持ちで連載を続けてきました。
せっかく長い間続けて書いてきたので、「強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則」の法則らしきものの「まとめ」を続けて書いていこうと思います。名付けて「強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則-ブログ版連載」です。
さあ、いつまで続きますことやら・・・・。
記念すべき(?)第1回は「基本法則-7つの(K)①基準」です。
強くなる法則【その1】「基本法則-7つの(K)①基準」
強くなろうと思ったら、いくつかの苦しい訓練や、辛い練習はやはり必要である。何かをやり遂げようとする意志が弱くては何事もなされはしない。与えられた練習メニューをいやいややっていてもしょうがない。当たり前のことだが、自ら取り組み姿勢が大切である。
しかし、人間は本質的に怠惰な生き物なので、ついつい楽をしたり、さぼったりするものだ。それに流され続けていると、強くなることは不可能だ。
そこで大切なるのは「自己基準」である。これは、誰がなんと言おうとこれだけはするという自分で自分に課した課題のようなものだ。
例えば、1週間に3日はランニングをするといった課題目標でも良いのだが、このようなことはあたりまえのようにこなしてほしい。ここで言う「基準」はもっと高みにある。
今できることに全力を尽くす、ミスは自分にチャンスをくれていると思い通すことなどの基準を自分に設けるのである。一見すると簡単なことだが、それをいつもやり通すことがいかに大変なことかわかるだろう。
たとえば、あなたが何か社会的に貢献できる活動をしようと考えたとき、ボランティア活動は思い切れば気合ででもできるかもしれないが、毎日の節水を徹底したり、節電のために見たいテレビを我慢し続けることは気合だけでは難しい。それはあなたの「生き方」に関係しているからだ。いや、生き方そのものといっても良い。
そして、いつでも自分の行動を監視し、叱咤激励する別の人格を自分の中に作り上げることである。その意思に沿うべく、怠惰な自分を打ち消していく。こういう人は、強いばかりではなく、人生でも成功する。
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