2007年08月31日
遅い夏休み(983)
トップジュニア委員会の「海外遠征派遣選手選考会」が、途中激しい雷雨に見舞われましたが、無事に終了しました。
12歳以下、14歳以下の男女34名が参加して行われた「選考会」ですが、やはり、どう選手を選考するのかが大きな仕事になります。
単なる大会運営であれば、選手の動向をそれほど注意深く見ることはありませんが、「選考」するとなると「見る目」は真剣です。
できるだけ興味のある対戦が行われるようにリーグ戦方式でドローを作り、トップジュニア委員会顧問の小西コーチとIWAMOTOインドアの岩本コーチ、それと私でたくさん試合を見ました。
途中、ちょっとした休憩を挟みながら、選手の課題や様子について報告し、選考について話し合いをしました。
こういうことを一日中やっていると大変疲れます。
前日までの「ヤングスターカップ」の運営や朝練の疲れもあり、かなりしんどい思いがありましたので、途中2時間ほどの雷雨による中断は大変良い休憩になりました。
夕方の7時ごろにはすべての試合を終了し、現在、選手の選考を進めています。
遠征の候補地は、韓国、中国、フィリピン、オーストラリア、シンガポール、インドネシアなどですが、選手を選考し、どの選手をどの遠征に参加させるのかということは難しい問題です。
その遠征が選手にとって大きな経験となるようにしっかりと考えて選考したいと思います。
これで夏休みの間のイベントはすべて終了です。
印象はどうかと聞かれると、「全力で駆け抜けた」という感じが強くあります。
今年の夏は、試合はもちろんのこと、毎日のように行う朝練、合宿、キャンプ、遠征サポートに加えて、寮の管理に大会運営と、イベント満載の暑い夏でした。
ついでに史上最高気温を記録したりもしました。
それでも、考えるのは「子ども達にとって良い夏だったのか?」ということです。
たくさん練習し、勝つ喜びを感じ、負ける悔しさを噛み締め、泣いて笑った夏休み。
この夏の成果がどう現れてくるのか、大変楽しみです。
私もいろいろなことを経験し、思いを深め、ますますやる気が出てきました。
まあ、それでもそれ程若くはない身体はちょっとだけ休めてあげなくてはいけませんね。
今日から3日間ほど、「遅い夏休み」をいただきます。
別に何をすると決めているわけではありませんが、リフレッシュして、夏休み明けには、元気にみんなと会いたいと思います。
宿題終わっていない子は、がんばってちゃんと終らせるんだよ!
ささ、寝よ、寝よ。結局はこれですね(笑)。
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2007年08月29日
成功をまねるな(982)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -42-
苦労して目標を達成したスポーツ選手は、多くの人に感動を与えるエピソードを数多く持っている。
また、イチローなどのようなスーパーヒーローについての成功秘話はごまんとある。
それらの本を読んでいると、「なるほど!」と感心することも多いのだが、「一流の選手はこのようなことを実践して成功したのだから、あなたもそれに倣ってがんばって成功しなさい」みたいなことをいわれると、「それはちょっと無理だよね」と思ってしまう。
過去の成功事例に学ぶことは大切なことだ。
しかし、成功した事例をまねてみても、まず成功することは無い。
「強くなるため」に学ばなければならないことは、成功した人はすべて独自の方法で成功したということ、そして、誰のまねもしようとしなかったということである。
自分ひとりで考えて(もちろん、時にはコーチと一緒に)、悩み、試行錯誤し、運もあっただろうが、自分だけの挑戦をやり続けることで成功したのだ。
私の尊敬するスポーツ選手に、ハンマー投げの室伏浩二選手のコーチであり、父親でもある室伏重信先生がいる。
研究室が隣だったことや大学院で陸上の授業を受けたことが縁で、いろいろと話をする機会があったのだが、世界では誰もやったことのない4回転ターンを考え、それにただ一人挑み続けたことはまさに賞賛に値する(その遺伝子が確実に息子に受け継がれ、世界の舞台で大輪の花を咲かせた)。
誰も教えてはくれない、教えてくれるはずはないのだ、誰もやったことがないのだから。
スポーツに限らず、強くなるためには、人と同じことをやっていてはだめだ。
なにか自分独自のものを見つけ出そうとしない限り、ナンバーワンにはなれない。
繰り返していうが、成功者の行動や考え方に触れることは大切であるが、成功者の考え方をそのまま受け入れてまねてもだめだ。
それをヒントにして自分独自の方法や考え方を持つことが何よりも大切であることを忘れてはならない。
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苦労して目標を達成したスポーツ選手は、多くの人に感動を与えるエピソードを数多く持っている。
また、イチローなどのようなスーパーヒーローについての成功秘話はごまんとある。
それらの本を読んでいると、「なるほど!」と感心することも多いのだが、「一流の選手はこのようなことを実践して成功したのだから、あなたもそれに倣ってがんばって成功しなさい」みたいなことをいわれると、「それはちょっと無理だよね」と思ってしまう。
過去の成功事例に学ぶことは大切なことだ。
しかし、成功した事例をまねてみても、まず成功することは無い。
「強くなるため」に学ばなければならないことは、成功した人はすべて独自の方法で成功したということ、そして、誰のまねもしようとしなかったということである。
自分ひとりで考えて(もちろん、時にはコーチと一緒に)、悩み、試行錯誤し、運もあっただろうが、自分だけの挑戦をやり続けることで成功したのだ。
私の尊敬するスポーツ選手に、ハンマー投げの室伏浩二選手のコーチであり、父親でもある室伏重信先生がいる。
研究室が隣だったことや大学院で陸上の授業を受けたことが縁で、いろいろと話をする機会があったのだが、世界では誰もやったことのない4回転ターンを考え、それにただ一人挑み続けたことはまさに賞賛に値する(その遺伝子が確実に息子に受け継がれ、世界の舞台で大輪の花を咲かせた)。
誰も教えてはくれない、教えてくれるはずはないのだ、誰もやったことがないのだから。
スポーツに限らず、強くなるためには、人と同じことをやっていてはだめだ。
なにか自分独自のものを見つけ出そうとしない限り、ナンバーワンにはなれない。
繰り返していうが、成功者の行動や考え方に触れることは大切であるが、成功者の考え方をそのまま受け入れてまねてもだめだ。
それをヒントにして自分独自の方法や考え方を持つことが何よりも大切であることを忘れてはならない。
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2007年08月28日
選考会方式(981)
「ヤングスターカップ2007」14歳以下の大会初日を無事に終えました。
今回の大会の特徴は、初めて「選考会」という方式を採用したことです。
今までは、どちらかというと「大会の賞品」として海外遠征や国内遠征を行ってきましたが、やはり、その可能性や能力を統合的に判断して選手を選考する方法が必要なのではないかと考えたからです。
ジュニアデビスカップやワールドジュニアなどのナショナルチームの選考に関しても、従来のある大会の上位入賞者を自動的に選出する方法から、何度かの選考会を実施して、候補選手からもっとも妥当な選手を選考するようになってきました。
その方が、選考会に臨む選手のモチベーションはあがりますし、選手の特徴や特性なども十分に把握できる機会が多くなるので、選出の妥当性も向上します。
そうした背景を鑑みて、今回の大会は「選考会方式」を採用したという次第です。
ですから、トーナメントも、単なるトーナメントではなく、1回戦敗退者によるファーストラウンド・コンソレーションだけではなく、セカンドラウンド敗退者のコンソレーションも行い、その上位進出者とトーナメントの上位進出者による対戦も考えています。
私達はトップジュニア委員会は、選手の本当の力を見たいと考えるからです。
ひとつのトーナメントで、しかも1回の勝負だけではなく、できるだけ多くの試合を見て、結果を踏まえながら総合的な判断をしたいと思っています。
そういう大会にすると、運営は結構大変です。
トーナメントが進んでも、たくさん試合が組まれるので、なかなか試合が終りません。
しかし、2日間のトーナメントではありますが、かなりの試合を見ることができます。
そして、そのトーナメントから選出された選手と、すでに選考会に選出された選手の試合や練習を見て、海外遠征派遣選手を選考することができるので、判断の妥当性は向上し、可能性豊かな選手に大きなチャンスを与えることができると思います。
明日もたくさん試合が行われます。
朝練もあるので、ちょっとしんどい思いはありますが、今日も試合の後に練習をしていく子ども達を見ながら、この子達に「夢を与える仕事」ができて本当に幸せだと感じています。
この思いを持って明日も一日がんばりたいと思います。
明日、試合を行う選手諸君は、その持てる力を精一杯に出し切ってほしいと思います。
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2007年08月27日
練習は裏切らない(980)
昨日で中牟田杯の東海予選が終了し、この夏の大会も残すところ「ヤングスターカップ」だけとなりました。
ITF兵庫に参戦している選手は、今週と来週の2週にわたって大会が開催されるので、息つく暇はありませんが自分の力を出し切って戦ってほしいと思います。
この夏の大会では、本当に良くがんばって、とても大きな成果を残してくれました。その中でも、
鵜飼元一 インターハイベスト4
中川 航 全国中学生大会ベスト4
は素晴らしい成果です。
この二人は遠いところからクラブに通ってきます。それだけでも大きなエネルギーが必要です。
これが大きな支えになったのかもしれません。
「強くなる」ということは、「何かを犠牲にする」ことです。
彼らは、自分の「時間」を犠牲にして、テニスのために、テニスが強くなるために懸命に努力してきました。
それだけ練習したことが大きな自信となり、それが成果となって表れて本当に嬉しく思います。
その報には涙しましたが、コーチとしてもっとも嬉しい瞬間であることは間違いありません。
やはり、「練習は裏切らない」ことを確信した時でもあります。
その他の子ども達も、自分なりに大きな成果や自信のようなものを感じているのではないでしょうか。
今年は、例年以上にたくさん朝練をしました。
少ないスタッフの中で、「よく、ここまでがんばることができたなあ」と、あらためて佐藤コーチのがんばりに感謝しています。
また、キャンプや合宿では卒業生のみんなに助けられて、とても充実した練習ができました。
「ジュニアテニスネットワーク」を支える輪が大きくなり、大きな力をつけてきたと感じることができます。
こころから感謝しています。
それも、「子ども達の情熱」に動かされた結果です。
朝練に参加したい子は、朝5時ごろに起きて、まずテレビのスイッチを入れ、天気を確認すると待ちきれずに準備をして6時前には玄関にいるそうです。
私は朝練の時は、基本的には6時30分前にクラブに行きますが、すでに何人もの子が扉の前で待っています。
多い時は、40人以上の子ども達が一斉に朝練を始めます。
私が選手コースの運営を始めた頃に夢見た光景がそこに広がっています。
それが嬉しくて、私も朝起きるのが楽しみになっていました。
もちろん、がんばっても成果が思うように出せずに悔しい思いや涙も流したと思います。
それでもテニス賭ける思いがあれば、誰かの歌ではありませんが、きっと「涙の数だけ強くなれる」、その感じる今年の夏でした。
来年にはどんな「夏」が待っているのでしょうか。
わくわくするような気持ちで思いを馳せることができる自分を幸せに思います。
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2007年08月25日
目標はいらない(979)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -41-
今までにメンタルトレーニングの本などに目標設定の重要性を説明してある箇所を読んで、実際に目標設定をしたことのある人は、その目標を書いたものをもう一度持ち出してきてほしい。チェックしてみよう。
①その目標は変わっていないか?
②目標を達成するための意欲は衰えていないのか?
③その目標を達成するために今何をしているのか?
を自問してほしい。
<タイプ1>
もし、何も変わっているところはなく、その目標に向かって自分のできることが明確になっているのなら、あなたは成績によらず自分の持っている力をいかんなく発揮する可能性は高まっているかもしれないが、強い選手になるかどうかはまだわからないといったところだ。
<タイプ2>
次に、①は変わっていないが、②と③は変わってしまっている。意欲が衰えてしまい、自分のなすべきことが明確でないならば、残念ながら強くなることはむつかしい。目標は、あなたに達成されるのじっと待っていてはくれない。つかみとるための意欲と努力が少なければはるかかなたに遠ざかってしまう、という当たり前のことを忘れている。
<タイプ3>
最後に、①は変わってしまったが、②と③はまったく変わっていないどころか、その達成意欲は高まり、自分の課題はより明確ですべきことがはっきりと自覚できている、という人はそのままやり続けてほしい。きっと強い選手になる。
このように、3つのタイプに分けて考えてみた。
まあ、なにごとも完璧に類別できるわけではないが、このようにタイプ別に分けて考えていくことで、「目標を正しく設定する」ということの意味がわかりやすくなると思ったのでこのような手法を試みた。
あなたはどのタイプだろうか?
ここで言いたいことは、自分で掲げた目標に向かって突き進むことができるのは、その可能性を感じているときだけだということだ。
夢のような目標でも何でもよいが、その目標は実現できるという確信がある程度無ければ、その目標によって自分自身の気持ちが高まり、それに向かっていくという行動力は生まれてはこない。
そして、大きな目標を掲げているにもかかわらず、すぐ前の小さな壁をなかなか越えられないときには、目標を掲げたことがマイナスになってしまう場合もある。
例えば、「全日本のチャンピオンになる」という目標を掲げている者が、どうしても地域大会でチャンピオンになれないときに、なんだかテニスがどんどん楽しくなくなってくる。
そして、自分の掲げた目標を忘れてしまうか、進んで忘れようとする。
こうなると、目標を達成するためにがんばってきたことが無意味に思えてきて、楽しくなくなってしまったテニスを辞めてしまうかもしれない。
そういう場合もあるということだ。これが、わたしの言うところの「目標の弊害」である。
では、「強くなるために毎日10キロ走る」という目標を立てた場合はどうであろうか。
この場合は、たとえ全日本のチャンピオンになれなくても、その目標は自分自身にとって意味を持っている。
行動の目標が具体的なだけに意欲も駆り立てられやすいが、「強くなる」ということが何かの大会に優勝するという結果に置かれるのではなく、あくまでも昨日の自分よりも強くなるためにという自己評価に拠っていなくてはならない。
しかし、このような目標を掲げた場合、雨の日でも風の日でも、はたまた自分が風邪を引いて寝込んだときでもやり続けなくてはならない。
単純に繰り返される目標ほど継続することはむつかしい。だいたい3日で終わる(だから3日坊主という)。
このように自分で目標を掲げたのにも関わらず、途中で中断することが何度か続くと「自分は意欲が足りないだめな奴だ」というレッテルを自分に張ってしまい、やる気をなくすことも多い。そのかわりに言い訳は上手になるかもしれない。
このように具体的な行動目標は意欲を高める効果があることは認めるが、継続することははなはだむつかしい。
では、「全力を尽くす」、「ベストを尽くす」という目標はどうか。
R.マートン(「メンタルトレーニング」大修館書店)は「この目標のよいところは、選手は決してその目標を超えることはできない、というところだ。なぜなら自分のベストがどれくらいなのかなんてだれもわかっていないのだから。そして、ベストをつくしているかどうか定義のしようがないのだから、これは安全な目標でもあった。しかし、この目標の短所はまさにその不明確さにある」と述べている。
私もこのような目標を設定することをすすめてきた。
合宿などの短期の集中した練習環境では、毎日の自己評価をチェックするなどの方法をとることで練習意欲が向上し、よい成果を生むことは確かにある。
しかし、不明確であるがゆえに、単純な繰り返し目標と同じように継続することはむつかしく、長期間掲げる目標としては適切ではないのかもしれない。
こう考えてくると、「世界チャンピオンになる」とか「この試合に優勝する」というような結果目標よりは、「何キロ走る」とか「腹筋100回やる」というような具体的な行動目標のほうがよい効果を生むかもしれない。
また、毎日の練習で「ベストを尽くす」ことをやり続けることができれば強くなるのだが、継続することはむつかしい。
つまり、どの目標を掲げるにしろ、目標を掲げるだけで意欲的に行動し、積極的に練習を行うようになり、その結果期待するものが手にはいる、というものではないようだ。
私は、コーチとして子どもたちにどのような目標を持ってもらえばよいのか、はたまた目標などいらないものなのかを悩んできた。
そんなときに面白い本(デイル・ドーテン「仕事は楽しいかね?」きこ書房)に出会った。
この本はビジネス関係の啓蒙書なのだが、「人生はそんなに扱いやすいものじゃない。僕は人生の中で何をすべきかなんて、問いかけなくなった-どうせ、人生なんて思いどおりにはならないからね。僕がいままでに掲げた目標が一つだけある。それは“明日は今日と違う自分になる”だよ。」という文がとても印象に残り、自分も“明日は今日と違う自分になる”という目標を揚げるようになった。
この目標は簡単ではない。
本の中では、「僕のたった一つの目標は、簡単なんてものじゃない。<毎日>変わっていくんだよ?それは、ただひたすら、よりよくなろうとすることだ。人は<違うもの>になって初めて<より良く>なれるんだから。それも一日も欠かさず変わらないといけない。いいかい、これはものすごく大変なことだ。そう、僕が言ってるマンネリ打開策は簡単なんかじゃない。とんでもなく疲れる方法だ。だけど、わくわくするし、<活気に満ちた>方法でもあるんだ」「人生は進化だ。そして進化の素晴らしいところは、最終的にどこに行き着くか、まったくわからないところなんだ」「毎日毎日違う自分になること。これは“試すこと”を続けなければならないということだ。そして試すこととは、あっちにぶつかりこっちにぶつかり、試行錯誤を繰り返しながら、それでもどうにかこうにか、手当たり次第に、あれこれやってみるということだ」と書かれている。
このように考えていれば、「自分が強くなるために必要なことは何か」が明確になってくるはずだ。
目標を立てようと思わなくても、「明日は~をしよう!」という目標が自然と思い浮かんでくる。もちろん、それが「明日20キロ走ろう」でも「明日の試合では全力を尽くしてベスト8に入る」でもかまわない、“明日は今日と違う自分になる”ことを決意していればよい。
この連載の1回目に、「苦心」と題して、次のようなことを書いた。
「テニスの選手を志す以上、チャンピオンになることを夢見るに違いない。でも、現実は大変に厳しい。あなたは、がんばっても、がんばっても届かない栄冠に対して、「なぜ、私だけがこんなに不幸なのだ。」と嘆き悲しむかもしれない。しかし、もしすべてあなたの想像するようにうまくいったとして、果たしてあなたは幸せだろうか。苦しみがなくなれば、喜びもないといわれる。苦労して、苦労して手に入れたときに人間は感動するのである。しかし、もっと強い人間は、苦労そのものに喜びを見出すのである。今、まさに苦労していて、それを乗り越えるためにさまざまな工夫をしている自分、その苦心の中から何かひらめきを得たときに感動できる自分がいたなら、きっとあなたは強くなる」と。
私は、まさにこのことを何度も言いたいのである
ある目標を掲げたとしよう。その目標は世界チャンピオンかもしれない。
しかし、その目標が手に入ったとして、それで苦労がなくなるわけではない。
苦労は、さらに毎日続く。「それ」を自分の目標にしない限り強くはなれないのである。
長田一臣(「勝者の条件」春秋社)は、メンタルトレーニングは「選手生活が終わってもなお人生のどんな局面でも通用するという生き方ということを訓練する」ことだといっている。
“明日は今日と違う自分になる”という目標を持って、毎日変わることができるのなら人生は豊かになると思う。強さを手に入れるのもすぐそこだ。
話は変わるが、私は、「銭形金太郎」というテレビ番組が好きだ。
自分の人生の目標を達成するために貧乏生活を余儀なくされて(これが本当に悲惨な生活である場合が多い)もなお、志を持ってがんばる姿(なかにはがんばっていない奴も多いが)をドキュメンタリータッチで、ギャグを交えておもしろおかしく紹介する番組なのであるが、見ているとなんとなく勇気が湧いてくることも多い。
なぜなら、究極的な貧乏生活を享受しながら、それにめげることなく意志をつらぬこうとする姿に共感するからだ。
「高い志を持つ」ことが根幹にあってこそ、目標を持つことに意味があることを思い出させてくれる素晴らしい番組だと思うのだが、あなたは見たことがありますか?
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今までにメンタルトレーニングの本などに目標設定の重要性を説明してある箇所を読んで、実際に目標設定をしたことのある人は、その目標を書いたものをもう一度持ち出してきてほしい。チェックしてみよう。
①その目標は変わっていないか?
②目標を達成するための意欲は衰えていないのか?
③その目標を達成するために今何をしているのか?
を自問してほしい。
<タイプ1>
もし、何も変わっているところはなく、その目標に向かって自分のできることが明確になっているのなら、あなたは成績によらず自分の持っている力をいかんなく発揮する可能性は高まっているかもしれないが、強い選手になるかどうかはまだわからないといったところだ。
<タイプ2>
次に、①は変わっていないが、②と③は変わってしまっている。意欲が衰えてしまい、自分のなすべきことが明確でないならば、残念ながら強くなることはむつかしい。目標は、あなたに達成されるのじっと待っていてはくれない。つかみとるための意欲と努力が少なければはるかかなたに遠ざかってしまう、という当たり前のことを忘れている。
<タイプ3>
最後に、①は変わってしまったが、②と③はまったく変わっていないどころか、その達成意欲は高まり、自分の課題はより明確ですべきことがはっきりと自覚できている、という人はそのままやり続けてほしい。きっと強い選手になる。
このように、3つのタイプに分けて考えてみた。
まあ、なにごとも完璧に類別できるわけではないが、このようにタイプ別に分けて考えていくことで、「目標を正しく設定する」ということの意味がわかりやすくなると思ったのでこのような手法を試みた。
あなたはどのタイプだろうか?
ここで言いたいことは、自分で掲げた目標に向かって突き進むことができるのは、その可能性を感じているときだけだということだ。
夢のような目標でも何でもよいが、その目標は実現できるという確信がある程度無ければ、その目標によって自分自身の気持ちが高まり、それに向かっていくという行動力は生まれてはこない。
そして、大きな目標を掲げているにもかかわらず、すぐ前の小さな壁をなかなか越えられないときには、目標を掲げたことがマイナスになってしまう場合もある。
例えば、「全日本のチャンピオンになる」という目標を掲げている者が、どうしても地域大会でチャンピオンになれないときに、なんだかテニスがどんどん楽しくなくなってくる。
そして、自分の掲げた目標を忘れてしまうか、進んで忘れようとする。
こうなると、目標を達成するためにがんばってきたことが無意味に思えてきて、楽しくなくなってしまったテニスを辞めてしまうかもしれない。
そういう場合もあるということだ。これが、わたしの言うところの「目標の弊害」である。
では、「強くなるために毎日10キロ走る」という目標を立てた場合はどうであろうか。
この場合は、たとえ全日本のチャンピオンになれなくても、その目標は自分自身にとって意味を持っている。
行動の目標が具体的なだけに意欲も駆り立てられやすいが、「強くなる」ということが何かの大会に優勝するという結果に置かれるのではなく、あくまでも昨日の自分よりも強くなるためにという自己評価に拠っていなくてはならない。
しかし、このような目標を掲げた場合、雨の日でも風の日でも、はたまた自分が風邪を引いて寝込んだときでもやり続けなくてはならない。
単純に繰り返される目標ほど継続することはむつかしい。だいたい3日で終わる(だから3日坊主という)。
このように自分で目標を掲げたのにも関わらず、途中で中断することが何度か続くと「自分は意欲が足りないだめな奴だ」というレッテルを自分に張ってしまい、やる気をなくすことも多い。そのかわりに言い訳は上手になるかもしれない。
このように具体的な行動目標は意欲を高める効果があることは認めるが、継続することははなはだむつかしい。
では、「全力を尽くす」、「ベストを尽くす」という目標はどうか。
R.マートン(「メンタルトレーニング」大修館書店)は「この目標のよいところは、選手は決してその目標を超えることはできない、というところだ。なぜなら自分のベストがどれくらいなのかなんてだれもわかっていないのだから。そして、ベストをつくしているかどうか定義のしようがないのだから、これは安全な目標でもあった。しかし、この目標の短所はまさにその不明確さにある」と述べている。
私もこのような目標を設定することをすすめてきた。
合宿などの短期の集中した練習環境では、毎日の自己評価をチェックするなどの方法をとることで練習意欲が向上し、よい成果を生むことは確かにある。
しかし、不明確であるがゆえに、単純な繰り返し目標と同じように継続することはむつかしく、長期間掲げる目標としては適切ではないのかもしれない。
こう考えてくると、「世界チャンピオンになる」とか「この試合に優勝する」というような結果目標よりは、「何キロ走る」とか「腹筋100回やる」というような具体的な行動目標のほうがよい効果を生むかもしれない。
また、毎日の練習で「ベストを尽くす」ことをやり続けることができれば強くなるのだが、継続することはむつかしい。
つまり、どの目標を掲げるにしろ、目標を掲げるだけで意欲的に行動し、積極的に練習を行うようになり、その結果期待するものが手にはいる、というものではないようだ。
私は、コーチとして子どもたちにどのような目標を持ってもらえばよいのか、はたまた目標などいらないものなのかを悩んできた。
そんなときに面白い本(デイル・ドーテン「仕事は楽しいかね?」きこ書房)に出会った。
この本はビジネス関係の啓蒙書なのだが、「人生はそんなに扱いやすいものじゃない。僕は人生の中で何をすべきかなんて、問いかけなくなった-どうせ、人生なんて思いどおりにはならないからね。僕がいままでに掲げた目標が一つだけある。それは“明日は今日と違う自分になる”だよ。」という文がとても印象に残り、自分も“明日は今日と違う自分になる”という目標を揚げるようになった。
この目標は簡単ではない。
本の中では、「僕のたった一つの目標は、簡単なんてものじゃない。<毎日>変わっていくんだよ?それは、ただひたすら、よりよくなろうとすることだ。人は<違うもの>になって初めて<より良く>なれるんだから。それも一日も欠かさず変わらないといけない。いいかい、これはものすごく大変なことだ。そう、僕が言ってるマンネリ打開策は簡単なんかじゃない。とんでもなく疲れる方法だ。だけど、わくわくするし、<活気に満ちた>方法でもあるんだ」「人生は進化だ。そして進化の素晴らしいところは、最終的にどこに行き着くか、まったくわからないところなんだ」「毎日毎日違う自分になること。これは“試すこと”を続けなければならないということだ。そして試すこととは、あっちにぶつかりこっちにぶつかり、試行錯誤を繰り返しながら、それでもどうにかこうにか、手当たり次第に、あれこれやってみるということだ」と書かれている。
このように考えていれば、「自分が強くなるために必要なことは何か」が明確になってくるはずだ。
目標を立てようと思わなくても、「明日は~をしよう!」という目標が自然と思い浮かんでくる。もちろん、それが「明日20キロ走ろう」でも「明日の試合では全力を尽くしてベスト8に入る」でもかまわない、“明日は今日と違う自分になる”ことを決意していればよい。
この連載の1回目に、「苦心」と題して、次のようなことを書いた。
「テニスの選手を志す以上、チャンピオンになることを夢見るに違いない。でも、現実は大変に厳しい。あなたは、がんばっても、がんばっても届かない栄冠に対して、「なぜ、私だけがこんなに不幸なのだ。」と嘆き悲しむかもしれない。しかし、もしすべてあなたの想像するようにうまくいったとして、果たしてあなたは幸せだろうか。苦しみがなくなれば、喜びもないといわれる。苦労して、苦労して手に入れたときに人間は感動するのである。しかし、もっと強い人間は、苦労そのものに喜びを見出すのである。今、まさに苦労していて、それを乗り越えるためにさまざまな工夫をしている自分、その苦心の中から何かひらめきを得たときに感動できる自分がいたなら、きっとあなたは強くなる」と。
私は、まさにこのことを何度も言いたいのである
ある目標を掲げたとしよう。その目標は世界チャンピオンかもしれない。
しかし、その目標が手に入ったとして、それで苦労がなくなるわけではない。
苦労は、さらに毎日続く。「それ」を自分の目標にしない限り強くはなれないのである。
長田一臣(「勝者の条件」春秋社)は、メンタルトレーニングは「選手生活が終わってもなお人生のどんな局面でも通用するという生き方ということを訓練する」ことだといっている。
“明日は今日と違う自分になる”という目標を持って、毎日変わることができるのなら人生は豊かになると思う。強さを手に入れるのもすぐそこだ。
話は変わるが、私は、「銭形金太郎」というテレビ番組が好きだ。
自分の人生の目標を達成するために貧乏生活を余儀なくされて(これが本当に悲惨な生活である場合が多い)もなお、志を持ってがんばる姿(なかにはがんばっていない奴も多いが)をドキュメンタリータッチで、ギャグを交えておもしろおかしく紹介する番組なのであるが、見ているとなんとなく勇気が湧いてくることも多い。
なぜなら、究極的な貧乏生活を享受しながら、それにめげることなく意志をつらぬこうとする姿に共感するからだ。
「高い志を持つ」ことが根幹にあってこそ、目標を持つことに意味があることを思い出させてくれる素晴らしい番組だと思うのだが、あなたは見たことがありますか?
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2007年08月24日
応援マナー(978)
東山公園テニスコートでは全国中学生大会が行われています。
日本の中学生のナンバーワンを決める大きな大会です。
地元の中学生や高校生が運営に協力し、大会を盛り上げるために懸命に働いています。
そんな素晴らしい大会の中、「応援のマナー」についての苦言が耳に届きました。
この夏の大会を振りかえっても、応援のマナーについては疑問に思えるような場面をたくさん見ました。
・相手のミスに大きな拍手をする。
・応援する選手のナイスショットに対しても過大な拍手や歓声をあげる。
などの行為は、マナー違反であり、厳密には規則違反でもあります。
そのような行為が当たり前のように行われているのであれば、せっかくの大会の意義は半減してしまいます。
私のチームの選手には、常に堂々と戦うことを誇りにする選手になってほしいと思っていますし、そう指導しているつもりです。
そのためには選手本人だけではなく、それを応援する方も毅然とした態度で、選手の動向を忍耐強く見守ることが何よりも大切です。
応援は選手本人のためのみならず、その戦いをより素晴らしいものにするために必要不可欠なものです。
それが戦いの価値を下げることにならないことを心から望みます。
これからもテニスが強いだけではなく、誰からも尊敬されるマナーの良い選手の育成に努力していきたいと思います。
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2007年08月23日
忍耐力は競争の中で培われる(977)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -40-
何事にも「耐え」「忍ぶ」能力は、過酷な状況の中でさらに磨きがかけられる。
スポーツにおいてもっとも過酷な状況のひとつは、「競争」に負けることだ。
野球の世界では、幼少の頃より大変熾烈な競争が繰り広げられる。
名門高校では、何人かに一人の割合でしか入学を許可されない。
また、たとえ入学できたとしても、3年間一度も公式戦に出場できない選手は何人もいる。ポジション争いも熾烈だ。
ある選手が怪我をしたら、そのポジションを巡って、他のポジションの選手もレギュラーになるために果敢に競争を挑んでくる。
もちろん、いじめや暴力など、スポーツのマイナスの面も多くある。
このような熾烈な競争の世界に常にさらされているのだ。
それに耐えられない奴は生き残ることができない。
そして、そのような激烈な競争を経験してこそ、「この一勝」に賭ける気持ちが極限にまで高まり、自分を追い込むことができる。
だからこそ敗戦によって全身を覆う虚脱感に苛まれ、泣いて我を忘れるしかなくなるのである。
それほどまでに「賭けて」いないと、この世界では通用しない。
一方、テニスというスポーツは個人スポーツであり、誰もが試合に出ようと思えば出ることができる。
試合に「出る」ための競争はない。
団体戦があるにしても、テニスは個人戦のポイント制であり、そのメンバーは単純に技量の高低で決まる場合が多い。
野球のように、足が抜群に速い奴とか、バントがめちゃくちゃうまい奴(巨人の川相みたいな選手)とか、声がやたらにでかいムードメーカー(野球ではこういう選手はいざという試合にはとても重要な役割を果たす)などが選ばれることはない。
交代要員も少ないので、メンバーをもぎ取ろうとする意欲を持ちにくいのだ。
また、最近は民間クラブから育成が始まるので、親やコーチのサポートが手厚く、理不尽な要求に耐えるなどのスポーツ本来の忍耐力を求められる場面が大変少なくなっている。
こう考えると、テニスの世界、特にジュニアを取り巻く世界は、スポーツの中ではもっとも「甘い」と言わざるを得ない。
真に競争を経験していないものは、やはりもろい。
ちょっとしたことで動揺し、自分をコントロールできなくなるような選手が大変多い。
競争を経験していないので、「戦う」ことの本質がわからないのかもしれない。
磯貝芳郎と福島脩美(「自己抑制と自己実現-がまんの心理学-」講談社現代新書)は、「今は、周囲に何でもある。そんな中で前向きな希望のある目標を探し出して、粘り強く自分を成長させる我慢をするのが、本当の我慢である。とすれば、今ほど我慢する心を作るのにこんないい時代はない。」と言っている。
テニスに当てはめてみれば、競争のはげしくない世界だからこそ、自ら進んで競争し(戦いを挑み)、忍耐力を磨くことで誰よりも強くなるチャンスは大きくなるということだ。
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何事にも「耐え」「忍ぶ」能力は、過酷な状況の中でさらに磨きがかけられる。
スポーツにおいてもっとも過酷な状況のひとつは、「競争」に負けることだ。
野球の世界では、幼少の頃より大変熾烈な競争が繰り広げられる。
名門高校では、何人かに一人の割合でしか入学を許可されない。
また、たとえ入学できたとしても、3年間一度も公式戦に出場できない選手は何人もいる。ポジション争いも熾烈だ。
ある選手が怪我をしたら、そのポジションを巡って、他のポジションの選手もレギュラーになるために果敢に競争を挑んでくる。
もちろん、いじめや暴力など、スポーツのマイナスの面も多くある。
このような熾烈な競争の世界に常にさらされているのだ。
それに耐えられない奴は生き残ることができない。
そして、そのような激烈な競争を経験してこそ、「この一勝」に賭ける気持ちが極限にまで高まり、自分を追い込むことができる。
だからこそ敗戦によって全身を覆う虚脱感に苛まれ、泣いて我を忘れるしかなくなるのである。
それほどまでに「賭けて」いないと、この世界では通用しない。
一方、テニスというスポーツは個人スポーツであり、誰もが試合に出ようと思えば出ることができる。
試合に「出る」ための競争はない。
団体戦があるにしても、テニスは個人戦のポイント制であり、そのメンバーは単純に技量の高低で決まる場合が多い。
野球のように、足が抜群に速い奴とか、バントがめちゃくちゃうまい奴(巨人の川相みたいな選手)とか、声がやたらにでかいムードメーカー(野球ではこういう選手はいざという試合にはとても重要な役割を果たす)などが選ばれることはない。
交代要員も少ないので、メンバーをもぎ取ろうとする意欲を持ちにくいのだ。
また、最近は民間クラブから育成が始まるので、親やコーチのサポートが手厚く、理不尽な要求に耐えるなどのスポーツ本来の忍耐力を求められる場面が大変少なくなっている。
こう考えると、テニスの世界、特にジュニアを取り巻く世界は、スポーツの中ではもっとも「甘い」と言わざるを得ない。
真に競争を経験していないものは、やはりもろい。
ちょっとしたことで動揺し、自分をコントロールできなくなるような選手が大変多い。
競争を経験していないので、「戦う」ことの本質がわからないのかもしれない。
磯貝芳郎と福島脩美(「自己抑制と自己実現-がまんの心理学-」講談社現代新書)は、「今は、周囲に何でもある。そんな中で前向きな希望のある目標を探し出して、粘り強く自分を成長させる我慢をするのが、本当の我慢である。とすれば、今ほど我慢する心を作るのにこんないい時代はない。」と言っている。
テニスに当てはめてみれば、競争のはげしくない世界だからこそ、自ら進んで競争し(戦いを挑み)、忍耐力を磨くことで誰よりも強くなるチャンスは大きくなるということだ。
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2007年08月21日
よみがえる思い(976)
今、名古屋では全国中学生大会が開催されています。
全国から選手が集まってきて大会は大いに盛り上がっているようです。
私のクラブにも全国選抜ジュニア14歳以下優勝のS君や東北中学生チャンピオンのMちゃんなど、何人か練習に来ていて、いつもと雰囲気のちょっと違う緊張感のある練習になっています。
この夏の最後の全国大会なので、悔いのないように精一杯戦ってほしいですね。
この大会が終ると全国大会も終了して、秋の全国大会の予選や来年に向けての大会が始まります。
休んでる暇はありませんが、高校3年生にとってはほっとする時期でもあります。
私も夏の大会が終って引退が決まると(といっても私の時代は正式な3年生の引退は11月頃でしたが・・・)、なんだか寂しいような、ほっとするような、ちょっと複雑な気持ちだったことを思い出します。
そんな時に、高校時代の同級生から懐かしい写真が送られてきました。
片づけをしている時に、偶然見つけたそうですが、その写真を見ながら当時のことを思い出していました。
これはインターハイの愛知県予選で、私の高校が初めて出場を決めた後の写真ですが、私のテニス人生の中でもっとも感動し、輝いた時(スラムダンクの赤道みたいに?)の写真なので、今もありありとその時の情景や思いがよみがえってきます(添田豪選手のコーチのSSC笠原コーチもいますよ。全然変わってない!)。
私は多くの子ども達に、こうした感動を味わってほしくてテニスのコーチをしています。
そんな初心を再確認する大切な機会にもなりました(ありがとうよ、ぼっち!)。
子ども達はこれからもたくさんの試合を経験します。
悔しい思いもいっぱいするでしょうが、素晴らしい感動も味わうことができるはずです。
そんな機会がたくさんあれば良いなあ、と思います。
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2007年08月19日
正しい自己中のありかた(975)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -39-
スポーツに真剣に取り組んでいる人は「さわやかで」、「思いやりがあって」、「我慢強い」というような一般的な概念がある。
しかし、実際にスポーツを指導していると、「ほんとかあぁぁぁぁ!」と突っ込みを入れたくなるようなことのほうが圧倒的に多い。
もちろん、青少年の正しい(と思われる)人格形成や道徳的な行動を身につけるためにスポーツが役に立つことを否定するものではないが、実際にはもっとどろどろとした、人間の本質的なエゴが噴出していることのほうが多い。
それを多くの指導者やマスコミは否定するのだが、実はそのどろどろとしたエゴの中に「強さの秘密」が隠されていることには気がつかない。
いや気がついてはいるけれど、美的に表現しようとしすぎているのだ。
だいたい、(巨人の星で)幼少のころより大リーグボール養成ギブスをつけていてさわやかなスポーツマンになるとは思えないし、超お金持ちの御曹司が身体がぼろぼろになるまで何キロもある鉄球を打ち続けるなんて無理くさい。
わが子の野球生命が絶たれるかもしれない戦いに敵として臨む親なんてのは、スポーツというものをどう考えていたのか聞いてみたいものだ。
そういった意味で巨人の星は、スポーツのどろどろとした部分を見事に描いた傑作なのだ。
このように、「怒り」とか「エゴ」とか、人間が本質的に持っている「戦う」ための感情や資質が低ければ、やはり戦いに勝つことは難しい。
しかし、その資質がいくら高くても、コントロールできなければスポーツの場面で生かすことはできないというのも真実である。
やみくもに怒っていたり、わがまま放題の奴は「自己中」といわれて敬遠されるだけだ。
単なるわがままと「正しい自己中」とはどういう違いがあるのかを理解していないと、その自己中心性がスポーツで強くなる資質だとしても、十分に生かされるようにはならないのだ。
ここでは、スポーツに生かすことのできる正しい自己中のあり方について学んでみよう。
まず、斎藤勇(「自己チュウにはわけがある」文藝春秋)のいうように、「人の自己中心性はなくならない」ということをはっきりと認識することからはじめよう。
自分の行動はいつも見ているからよく知っているが、他人の行動については断片的にしかみえないので、ちょっと自分の気に入らない行動を他人がとると、不平不満がアメーバのごとく増殖する。
このようなことは日常茶飯事に起こる。
あるとき、試合前に子どもたちに自主的な練習を行わせたところ、一部のご父兄の方から「コーチは試合前なのぜんぜん練習を見てくれない」、「もし自主練でよいというなら、スクールに通う必要はない」という指摘を受けた。
自主練を始める前に、子どもたちには「試合前は単純な練習を集中力を切らすことなくやり続けることがとても大切で、その中で自分の課題をつねに意識して取り組まなければならない。」と十分に説明したし、その時間以外のレッスンでは課題などを入念にチェックしてきたにも関わらず、このような指摘を受けたことに対しては、正直とまどった。
しかし、親というのは自分の子どもの利を第一に考えるものだし、そのときの断片的な状況を判断して不満に思ったということは、私の説明も不十分だったのだろうと反省もしている。
もちろん、私の指導に対する考え方が間違っていたとは思っていない。
自主的な練習が上達のためには必要であることは確かなことだし、基本的にこのやり方を変えるつもりもない。
自分が正しいと思うことに対しては、信念を持って行動をとることが大切だと考えるからだ。
ただ、ご父兄の方がそのような考え方をもつことを理解することで、より良いレッスンにつながるとは思っている。
わがままな考え方かもしれないが、このような「自立した自己中心性」が強くなるためには必要である。
勢子浩爾(「ぶざまな人生」洋泉社)は、「わたしの言い方で言えば、「個人」というのは、まず最低限の条件として、一人ひとりの存在が世界で唯一の価値と意味を持った存在(「自分」)である、ということを互いに尊重することによって成立する個人のことである。つまり他者をもっている。このことが第一義である。この条件をすっ飛ばしたところでは、自分の主張も、自己決定も、国や社会からの自立もへったくれもない。」といっている。
また、福田和也(「悪の恋愛術」講談社現代新書)は、「自分のものとは異なる視点をどれだけ許容できるか、包含できるかということが、人間の成熟、成長の尺度でもあるわけです。」という。
ちょっと難しい表現であるが、他人を一方的に非難するのではなく、他人の考えを尊重した上で、自分の信念を貫く姿勢が「正しい自己中」であるということだ。
単なる「わがまま」とは違う、スポーツ選手としての資質を伸ばすためのただしい自己中心性があなたに備わっているかを良く考えてほしい。
・相手のミスジャッジに対して、悪態をつき、わめき散らしていないか
・審判のジャッジに対して、審判を馬鹿にしたような態度をとっていないか
・自分のミスに対して怒りが収まらず、ふてくされて試合をしていないか
・リードされて、やる気をなくし、うなだれて試合をしていないか
私はこのような試合を何度も見てきた。
もし、このような試合をしているのなら、あなたに正しい「自己中心性」は備わっていない。
他人を尊重し、信念にもとづいて行動することが欠けているからである。
「怒り」に自分を見失うことなく、戦う姿勢を失わず、冷静に自分の信念にしたがって行動し続ける選手であってほしい。
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スポーツに真剣に取り組んでいる人は「さわやかで」、「思いやりがあって」、「我慢強い」というような一般的な概念がある。
しかし、実際にスポーツを指導していると、「ほんとかあぁぁぁぁ!」と突っ込みを入れたくなるようなことのほうが圧倒的に多い。
もちろん、青少年の正しい(と思われる)人格形成や道徳的な行動を身につけるためにスポーツが役に立つことを否定するものではないが、実際にはもっとどろどろとした、人間の本質的なエゴが噴出していることのほうが多い。
それを多くの指導者やマスコミは否定するのだが、実はそのどろどろとしたエゴの中に「強さの秘密」が隠されていることには気がつかない。
いや気がついてはいるけれど、美的に表現しようとしすぎているのだ。
だいたい、(巨人の星で)幼少のころより大リーグボール養成ギブスをつけていてさわやかなスポーツマンになるとは思えないし、超お金持ちの御曹司が身体がぼろぼろになるまで何キロもある鉄球を打ち続けるなんて無理くさい。
わが子の野球生命が絶たれるかもしれない戦いに敵として臨む親なんてのは、スポーツというものをどう考えていたのか聞いてみたいものだ。
そういった意味で巨人の星は、スポーツのどろどろとした部分を見事に描いた傑作なのだ。
このように、「怒り」とか「エゴ」とか、人間が本質的に持っている「戦う」ための感情や資質が低ければ、やはり戦いに勝つことは難しい。
しかし、その資質がいくら高くても、コントロールできなければスポーツの場面で生かすことはできないというのも真実である。
やみくもに怒っていたり、わがまま放題の奴は「自己中」といわれて敬遠されるだけだ。
単なるわがままと「正しい自己中」とはどういう違いがあるのかを理解していないと、その自己中心性がスポーツで強くなる資質だとしても、十分に生かされるようにはならないのだ。
ここでは、スポーツに生かすことのできる正しい自己中のあり方について学んでみよう。
まず、斎藤勇(「自己チュウにはわけがある」文藝春秋)のいうように、「人の自己中心性はなくならない」ということをはっきりと認識することからはじめよう。
自分の行動はいつも見ているからよく知っているが、他人の行動については断片的にしかみえないので、ちょっと自分の気に入らない行動を他人がとると、不平不満がアメーバのごとく増殖する。
このようなことは日常茶飯事に起こる。
あるとき、試合前に子どもたちに自主的な練習を行わせたところ、一部のご父兄の方から「コーチは試合前なのぜんぜん練習を見てくれない」、「もし自主練でよいというなら、スクールに通う必要はない」という指摘を受けた。
自主練を始める前に、子どもたちには「試合前は単純な練習を集中力を切らすことなくやり続けることがとても大切で、その中で自分の課題をつねに意識して取り組まなければならない。」と十分に説明したし、その時間以外のレッスンでは課題などを入念にチェックしてきたにも関わらず、このような指摘を受けたことに対しては、正直とまどった。
しかし、親というのは自分の子どもの利を第一に考えるものだし、そのときの断片的な状況を判断して不満に思ったということは、私の説明も不十分だったのだろうと反省もしている。
もちろん、私の指導に対する考え方が間違っていたとは思っていない。
自主的な練習が上達のためには必要であることは確かなことだし、基本的にこのやり方を変えるつもりもない。
自分が正しいと思うことに対しては、信念を持って行動をとることが大切だと考えるからだ。
ただ、ご父兄の方がそのような考え方をもつことを理解することで、より良いレッスンにつながるとは思っている。
わがままな考え方かもしれないが、このような「自立した自己中心性」が強くなるためには必要である。
勢子浩爾(「ぶざまな人生」洋泉社)は、「わたしの言い方で言えば、「個人」というのは、まず最低限の条件として、一人ひとりの存在が世界で唯一の価値と意味を持った存在(「自分」)である、ということを互いに尊重することによって成立する個人のことである。つまり他者をもっている。このことが第一義である。この条件をすっ飛ばしたところでは、自分の主張も、自己決定も、国や社会からの自立もへったくれもない。」といっている。
また、福田和也(「悪の恋愛術」講談社現代新書)は、「自分のものとは異なる視点をどれだけ許容できるか、包含できるかということが、人間の成熟、成長の尺度でもあるわけです。」という。
ちょっと難しい表現であるが、他人を一方的に非難するのではなく、他人の考えを尊重した上で、自分の信念を貫く姿勢が「正しい自己中」であるということだ。
単なる「わがまま」とは違う、スポーツ選手としての資質を伸ばすためのただしい自己中心性があなたに備わっているかを良く考えてほしい。
・相手のミスジャッジに対して、悪態をつき、わめき散らしていないか
・審判のジャッジに対して、審判を馬鹿にしたような態度をとっていないか
・自分のミスに対して怒りが収まらず、ふてくされて試合をしていないか
・リードされて、やる気をなくし、うなだれて試合をしていないか
私はこのような試合を何度も見てきた。
もし、このような試合をしているのなら、あなたに正しい「自己中心性」は備わっていない。
他人を尊重し、信念にもとづいて行動することが欠けているからである。
「怒り」に自分を見失うことなく、戦う姿勢を失わず、冷静に自分の信念にしたがって行動し続ける選手であってほしい。
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2007年08月18日
ずるい(974)
大阪で行われていた全日本ジュニアも終了しました。関係者の皆さん、ご苦労様でした。
ちょっと一息と言いたいところですが、すぐに全国中学生大会がはじまります。休んでる暇はないですね。
そんな大会の中「ずるい!」という言葉を2回聞きました。
ひとつは、全日本ジュニアが大阪開催なので、出場する選手を応援するために大阪に来る家族が、ついでに「USJ」に行って来たことに対して「ずるい!」と言っていました。
ん~、これは理解できますね。
試合が終ってからにすれば、みんなで行くことができたのにとは思います。
でも、「USJはチケットを買えば誰でもいくことができるけれども、この大会に出るにはたくさんの試合を勝ち抜かなければならないんだよ。そうして切符を手に入れた君達をみんなはきっとずるいと思っているかもしれないね。そういう意味で君達はすごくラッキーなんだから、この幸運に感謝して精一杯自分の力を出し切ってごらん。」と言ったところ、納得したようでした。
誰でもが出場することができない大会だからこそ、その舞台に立ったことには思いっきり感謝して戦ってほしいですね。
もうひとつは、地域格差に対して「ずるい!」ということです。
レベルの高くない地域から選出された選手は、強豪ひしめく地域から選出された選手に比べて、やはり実力は劣る場合は多いものです。
強豪地区では勝ち上がることができなかった選手でも、ある地域に行けば十分に出場のチャンスがある場合もあるでしょう。
もし、それを「ずるい!」というのであれば、そこに引っ越すという手もありますね。
でも、そうまでして出場の機会を得ることにどれほどの意味があるのでしょうか。
レベルの高くない地域の選手は、練習環境が乏しい場合も多く、その環境を求めて自分達の力で努力しています。
競争も激しくないので、自分の力を磨く機会もそれほど多くはありません。
全日本ジュニアに出場することは大きな夢ではありますが、まずは自分の力を磨くことを大切にしてほしいと思うのです。
そういう意味で、レベルの高い地域の選手は自分の力を磨く機会がたくさんあります。
強い選手が多いので、悔しい負けを経験することも多いと思います。
しかし、そうした厳しい条件の中から勝ちあがる力をつけた時、それはきっと大きな力になっているはずです。
多くの選手が、自分の力を磨くために、敢えて厳しい地域にチャレンジするケースが増えているように感じます。
それは純粋に自分の力を高めたい、磨きたいという気持ちがそういう行動に表れているのではないかと思います。
全日本の舞台は遠いかもしれませんが、そのチャレンジはきっと君達の人生を豊かにしてくれます。
私たち指導者は、そうしたチャレンジを応援し、本当の力をつけるために精一杯サポートし、そしてより大きな舞台に立つ日を夢見て、ともにがんばる存在でありたいと思います。
名古屋は今日も大変暑いです。
でも、「その情熱は太陽よりも熱い!」と叫びながらがんばります!
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2007年08月17日
コートの上で怒れ!(973)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -38-
コートの上で怒れない奴は強くはなれない。
現在ヨーロッパに在住して日本のトップジュニアの指導にあたっている米沢徹さんに「私がアメリカに来て最初に教えられたことは、コートの上で怒ることだった。」と聞いたことがある。
私の経験の中でも、やはり日本人はおとなしいと感じるし、コート上で怒っている場面に出くわすことは少ない。
これを日本人は美徳とみなす場合が多いのだが、はたしてそうであろうか。
特に、スポーツの場面では美徳とばかりはいっていられないと思うのだが。
中島義道(「怒る技術」PHP)は、「「怒り」とは「悲しみ」や「寂しさ」や「虚しさ」や「苦しさ」といった単なる受動的な感情ではなく、表出とコミになった感情です。怒りとは、身体に密着した感情であり、怒りが高じるとぶるぶる身体が震えてきたり、頬が紅潮してくる。弱い場合でも、歯を食いしばったり、心臓の鼓動が速くなったり、目つきが鋭くなり目が据わってくる。つまり、攻撃性をはじめから含みもつ感情であり、まだ具体的に相手を攻撃しないまでも、身体の全体がすでに攻撃の準備段階に入っている、そんな感情です。ですから、怒りを感ずることができない人とは、こういう攻撃の準備段階へと身体をもっていくことができない人と言いかえることができましょう。」と述べている。
テニスは戦いであると何度も述べてきた。
戦うためには相手に対して怒りの感情を持っていなくてはならないのだ。
「怒りを感ずることができない人とは、こういう攻撃の準備段階へと身体をもっていくことができない人」という文を強く心に留めなければならない。
また、「怒りは相手に積極的に向かっていくベクトルをもっているのに、それが恐れに変化してしまったとき、ただただ相手から逃れる方向に全身体が動いていく。自分を崩れないように保持するだけでせいいっぱいで、なるべく考えず感じずひたすらに生き延びようとする。」と述べている。
「怒り」の感情と「恐れ」の感情の押し合いでどちらの感情に支配されるのかということである。
弱い選手は、この感情の押し合いに負ける。恐れて、自分の力を信じることができなくて、相手と戦うことができなくて、負けていくのだ。
「怒り」の感情は戦いの場での勝敗を左右することを学んだとして、どのように訓練すれば「怒り」の感情を高めることができるのか。
怒りを表現しろといってもそれをコントロールできなければ、単なる「嫌な奴」になってしまう。
中島(同)は「いつも本当に怒っていたら身がもたない。社会心理学の用語を使えば「感情管理」が必要なわけで、自分の怒りに呑み込まれてしまうのではなく、いかにはげしい怒りであっても、怒りながら冷静にそれを自覚し観察している技術が必要です。」という。
つまり、上手に怒れる人が強くなるということだ。
「怒り」は、身体動作と表出一体の感情なので、身体動作をコントロールすることは大変有効な訓練になる。
大きな声を上げる。
ガッツポーズを激しくやる。
相手に(正しく)クレームをつける
気合いを入れる。
これらを実際の試合で、コートの上でやり続けるのだ。
簡単ではない。
怒りを表すことを訓練してこなかったものは、身体動作と感情の一致が起こらないので、「恥ずかしい」とか、「別にいいや」とか、「私には無理」と、その行動を拒否する方向に気持ちを向けてしまう。
そういう選手ほど、弱々しい態度を取り続ける自分に腹が立っているはずなのに、そして相手に対して「怒って」いるはずなのに、それを行動として表すことができないのだ。
残念ながら強くなることはできないだろう。
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コートの上で怒れない奴は強くはなれない。
現在ヨーロッパに在住して日本のトップジュニアの指導にあたっている米沢徹さんに「私がアメリカに来て最初に教えられたことは、コートの上で怒ることだった。」と聞いたことがある。
私の経験の中でも、やはり日本人はおとなしいと感じるし、コート上で怒っている場面に出くわすことは少ない。
これを日本人は美徳とみなす場合が多いのだが、はたしてそうであろうか。
特に、スポーツの場面では美徳とばかりはいっていられないと思うのだが。
中島義道(「怒る技術」PHP)は、「「怒り」とは「悲しみ」や「寂しさ」や「虚しさ」や「苦しさ」といった単なる受動的な感情ではなく、表出とコミになった感情です。怒りとは、身体に密着した感情であり、怒りが高じるとぶるぶる身体が震えてきたり、頬が紅潮してくる。弱い場合でも、歯を食いしばったり、心臓の鼓動が速くなったり、目つきが鋭くなり目が据わってくる。つまり、攻撃性をはじめから含みもつ感情であり、まだ具体的に相手を攻撃しないまでも、身体の全体がすでに攻撃の準備段階に入っている、そんな感情です。ですから、怒りを感ずることができない人とは、こういう攻撃の準備段階へと身体をもっていくことができない人と言いかえることができましょう。」と述べている。
テニスは戦いであると何度も述べてきた。
戦うためには相手に対して怒りの感情を持っていなくてはならないのだ。
「怒りを感ずることができない人とは、こういう攻撃の準備段階へと身体をもっていくことができない人」という文を強く心に留めなければならない。
また、「怒りは相手に積極的に向かっていくベクトルをもっているのに、それが恐れに変化してしまったとき、ただただ相手から逃れる方向に全身体が動いていく。自分を崩れないように保持するだけでせいいっぱいで、なるべく考えず感じずひたすらに生き延びようとする。」と述べている。
「怒り」の感情と「恐れ」の感情の押し合いでどちらの感情に支配されるのかということである。
弱い選手は、この感情の押し合いに負ける。恐れて、自分の力を信じることができなくて、相手と戦うことができなくて、負けていくのだ。
「怒り」の感情は戦いの場での勝敗を左右することを学んだとして、どのように訓練すれば「怒り」の感情を高めることができるのか。
怒りを表現しろといってもそれをコントロールできなければ、単なる「嫌な奴」になってしまう。
中島(同)は「いつも本当に怒っていたら身がもたない。社会心理学の用語を使えば「感情管理」が必要なわけで、自分の怒りに呑み込まれてしまうのではなく、いかにはげしい怒りであっても、怒りながら冷静にそれを自覚し観察している技術が必要です。」という。
つまり、上手に怒れる人が強くなるということだ。
「怒り」は、身体動作と表出一体の感情なので、身体動作をコントロールすることは大変有効な訓練になる。
大きな声を上げる。
ガッツポーズを激しくやる。
相手に(正しく)クレームをつける
気合いを入れる。
これらを実際の試合で、コートの上でやり続けるのだ。
簡単ではない。
怒りを表すことを訓練してこなかったものは、身体動作と感情の一致が起こらないので、「恥ずかしい」とか、「別にいいや」とか、「私には無理」と、その行動を拒否する方向に気持ちを向けてしまう。
そういう選手ほど、弱々しい態度を取り続ける自分に腹が立っているはずなのに、そして相手に対して「怒って」いるはずなのに、それを行動として表すことができないのだ。
残念ながら強くなることはできないだろう。
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2007年08月16日
忙しい誕生日(972)
今日は私の40数回目の誕生日でした。たくさんの方からお祝いメールをいただいて嬉しく思います。
まあ、この年齢になると特別「誕生日だあ!」という感激はありませんが、子ども達は、それを口実においしいものを食べたり、行きたいところに行ったりできるので私以上に嬉しそうです。
今日はお墓参りを済ませ、その後は愛・地球博跡地に作られた「モリコロパーク」のアイススケートリンクでスケートです。
いやあ、ここはいいですね。まず、何よりも涼しい(寒い?)です。
なんせ、観測史上最高の暑さを記録した日なので、この涼しさは、もうそれだけで来る価値があるってもんですよ。
暑い時に、外に出かけるのは大変おっくうですが、ここは超お勧めです。
難点は、スケートを滑ることができないと、子ども達に馬鹿にされたり、転んであちこち痛い思いをしなければならないことぐらいですかね。
幸い私はスケートは滑ることができますので、自分自身も楽しむことができますし、子ども達と一緒に滑って「おっ、パパすごいじゃん!」なんて尊敬されたりします(本当かな?)。
とにかく、涼しいし、半袖でも寒くはないくらいの温度で快適に過ごすことができます。
是非お試し下さい。なお、滑走には手袋が必需品ですのでお忘れなく。
そして、帰ってきてからは「誕生日パーティ」ですね。
子ども達は主役の私よりも豪華なケーキをねだったようで、一応私には「こっちにする?」なんて聞いてきますが、「そっちをよこせ!」とは言えないのが辛いところですね。
まあ、そんなこんなでおいしい焼肉を食べ、ケーキも食べ、ついでにアイスやデザートも食べ、おいしさ満載の素晴らしい「誕生パーティ」となりました。
その後は、夏恒例の「花火」です。2年くらいやっていなかったので、以前に買ってあった花火が大量にありました。
これを今年は一気に散らします。時間もかかって、汗だくでの花火となりましたが、やはりこうして子ども達と過ごす時間はとても大切な時間です。
花火が終っても、下の娘は興奮状態なので、ついでに夏休みの宿題の鉄棒の訓練をしました。
「だんごむし」と「こうもり」という名前のついた種目を3回づつやらなければならないそうで、それに付き合う羽目になりました。
見ているとやりたくなる性分なので、久しぶりに鉄棒にチャレンジしましたが、自分の体重増加を確認して寂しい思いをするだけでした。やめときゃ良かった(泣)。
私のような仕事していると、子ども達が休みになるととたんに忙しくなるので、なかなか子ども達と過ごす時間がありません。
今年は、私の誕生日に休みの時間があることを感謝しなければなりませんね。
明日からは通常のレッスンが始まり、全国中学生大会、RSK・中牟田東海予選、県ジュニア本戦、ヤングスターカップなどの試合に向けた練習が始まります。
なかなかゆっくり休む時間はありませんが、気持ちを切り替えて集中して指導していきます。
明日からは少し暑さも緩むようなので、しっかりと練習していきたいと思います。
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まあ、この年齢になると特別「誕生日だあ!」という感激はありませんが、子ども達は、それを口実においしいものを食べたり、行きたいところに行ったりできるので私以上に嬉しそうです。
今日はお墓参りを済ませ、その後は愛・地球博跡地に作られた「モリコロパーク」のアイススケートリンクでスケートです。
いやあ、ここはいいですね。まず、何よりも涼しい(寒い?)です。
なんせ、観測史上最高の暑さを記録した日なので、この涼しさは、もうそれだけで来る価値があるってもんですよ。
暑い時に、外に出かけるのは大変おっくうですが、ここは超お勧めです。
難点は、スケートを滑ることができないと、子ども達に馬鹿にされたり、転んであちこち痛い思いをしなければならないことぐらいですかね。
幸い私はスケートは滑ることができますので、自分自身も楽しむことができますし、子ども達と一緒に滑って「おっ、パパすごいじゃん!」なんて尊敬されたりします(本当かな?)。
とにかく、涼しいし、半袖でも寒くはないくらいの温度で快適に過ごすことができます。
是非お試し下さい。なお、滑走には手袋が必需品ですのでお忘れなく。
そして、帰ってきてからは「誕生日パーティ」ですね。
子ども達は主役の私よりも豪華なケーキをねだったようで、一応私には「こっちにする?」なんて聞いてきますが、「そっちをよこせ!」とは言えないのが辛いところですね。
まあ、そんなこんなでおいしい焼肉を食べ、ケーキも食べ、ついでにアイスやデザートも食べ、おいしさ満載の素晴らしい「誕生パーティ」となりました。
その後は、夏恒例の「花火」です。2年くらいやっていなかったので、以前に買ってあった花火が大量にありました。
これを今年は一気に散らします。時間もかかって、汗だくでの花火となりましたが、やはりこうして子ども達と過ごす時間はとても大切な時間です。
花火が終っても、下の娘は興奮状態なので、ついでに夏休みの宿題の鉄棒の訓練をしました。
「だんごむし」と「こうもり」という名前のついた種目を3回づつやらなければならないそうで、それに付き合う羽目になりました。
見ているとやりたくなる性分なので、久しぶりに鉄棒にチャレンジしましたが、自分の体重増加を確認して寂しい思いをするだけでした。やめときゃ良かった(泣)。
私のような仕事していると、子ども達が休みになるととたんに忙しくなるので、なかなか子ども達と過ごす時間がありません。
今年は、私の誕生日に休みの時間があることを感謝しなければなりませんね。
明日からは通常のレッスンが始まり、全国中学生大会、RSK・中牟田東海予選、県ジュニア本戦、ヤングスターカップなどの試合に向けた練習が始まります。
なかなかゆっくり休む時間はありませんが、気持ちを切り替えて集中して指導していきます。
明日からは少し暑さも緩むようなので、しっかりと練習していきたいと思います。
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2007年08月15日
自己評価(971)
4日間にわたる「テニストレーニングキャンプ」を無事に終了しました。
今回のキャンプは4日間とも厳しい暑さの中での練習となりましたが、病人やけが人もなく終れたことが何よりも良かったと思います。
「よく、がんばった!」と言ってあげたいと思いますが、「がんばったかどうかは自分で評価するもの」です。
自分で「よくがんばったな、偉いぞ自分!」と言い切れるのであれば、きっとこのキャンプは大変充実したものだったことでしょう。
「本当はもっとがんばれたんだけどなあ」と思っている人は、明日からの練習やトレーニングで今まで以上のがんばりを出すようにすれば良いと思います。
キャンプですから、たくさんの時間を子ども達と過ごし、いっぱい練習し、仲間達とたくさん話しました。
その一つ一つが何か成長のきっかけになるようにすること、これがキャンプを開催する目的のひとつです。
子ども達はどんな思いを持ってキャンプを乗り切ったのでしょうか。子ども達からのレポートが大変楽しみです。
今回のキャンプは、天候に恵まれ(過ぎ?)、合計で27時間の練習とトレーニング、2時間のミーティングを行いました。
当初の計画ではもう少し練習時間は短かったのですが、子ども達の様子を見ていると、へばった様子もないので練習時間は長くなりました。
これだけ練習したにもかかわらず「もっと練習したい!」と言い出す子が何人かいることを嬉しく思います。
強くなるためには多くの練習が必要です。
しかし、どんな環境であろうとも「自分のできることに集中できること」、「今できることを全力で行うこと」の方がはるかに大切です。
はじめに書きましたが、その評価は自分自身で下すものです。
その評価が高いものであれば、きっとその成果は近いうちに表れてきます。それを期待したいと思います。
2時過ぎに家に戻りました。そのまま2時間ほど寝込みました。心地よい疲れです。
明日はこの夏休み唯一の休みです。それが私の誕生日だというのも不思議なめぐり合わせですね。
どこにも連れて行ってあげられない家族のために、明日は一日サービスしようと思います。
あんまり暑くないといいなあ・・・・。
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2007年08月14日
大家族(971)
テニストレーニングキャンプに参加するために寮に宿泊している子ども達は18人にもなります。
私を入れて19人の大家族です。
もちろんこの家の主は私です。子ども思いのやさしいお父さんってところですね。
私の家には、ちょっとできの悪い長男を中心に、悪がき坊主達が5人、わいわいやっています。口の悪い弟達に振り回されている長男の姿は滑稽でもあり、ほほえましくもあります。
次兄と3男坊は、ちょっとはにかみ屋さんのしっかり者です。4男坊はよく見て行動します。要領は良いですね。口の悪い5男坊はいつもからかわれて(可愛がられて?)います。
寝るのが趣味で物忘れの多い次姉とちょっとオタクなお姉ちゃんと、どう接するのが良いのかいつも考えあぐねているしっかり者の妹がいます。
宿題が終らなくてあたふたしている子が二人、かなりハイテンションなリーダー的な存在の妹のオカルト話で盛り上がるちょっと行動の遅い妹に、ボケが魅力的な(?)妹達が二人います。
いつもハイテンションで大声が特徴の妹と長兄と仲の悪い、でも本当は長兄のことが大好きな妹もいます。なんと、私と同じ誕生日の気の強い末っ子が控えています。
久しぶりに家に戻ってきた長姉は、久しぶりの大騒動にかなり戸惑っています。
こんな感じで楽しくやっています。大変騒がしいですが、なんともにぎやかですね。
本当の大家族だったらいろいろと大変なことも多いのでしょうが、たまにはこんな大家族も楽しいものですね。
いずれ、この子達はこの家から巣立っていくのでしょうが、その巣立ちを見送るまで大黒柱として支えていきたいと思います。
きっと、その時も泣くんだろうなあ・・・・。
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2007年08月14日
ちょっといい仕事(970)
今日も厳しい暑さの中、トレーニングキャンプ3日目を終了しました。
今日の午前中の練習テーマは「シングルスのゲーム感覚を高める」ことをでした。
シングルスコートを使ったラリー練習を中心としたカリキュラムでしたが、なかなか集中力を持続することができません。
2対1でのパターン練習の時にきちんとボールをコントロールできず、試合とはまったく違う雰囲気の練習になっていました。
球出しができなかったり、初球のミスが目立ったり、インコートの意識が低かったりしたので練習を途中で中止して注意をしました。
きちんとした配球ができなければゲームを支配することはむつかしいですね。
そのことを理解していながら、そのための練習ができないのでは、実際の試合の場面で自分の力を発揮することはむつかしいです。
練習の目的を理解し、想像力を発揮し、高い集中力を持って練習に臨む、という当たり前のことが、当たり前にできてはじめて練習の効果が現れてきます。
そういうことを考えて練習できるようになれば、「思考力」も高まってきます。
これが私が指導の一番の目標に挙げていることです。
トレーニングキャンプは、それを経験することで実力をつけたり、向上させることではありません。
よく合宿などをすると「この合宿を通して子ども達の上達を確認することだできた」ということがありますが、実際にはなかなかそれを実感することはできません。
指導・運営する側は、いろいろと大変な思いもするし、子ども達と接する時間も多くなるので、何となく今まで以上の成果を感じると思い込んでしまうのかもしれません。
でも、成果はそれほど単純に表れてくるものではありません。
今までとは違う雰囲気や仲間とのふれあい、長時間の練習、深いミーティングなどは大きな刺激となります。
そこで「何を感じるのか」がもっとも大切なことで、そこで「感じたこと」をどれくらい持続させるのかが鍵になります。
そのために、この「テニストレーニングキャンプ」はあります。
能力を向上させるためのヒントを与え、刺激を強め、違う雰囲気を経験することは、その「感性」を高めます。
それが一番の目的であり、それが少しでも功を奏したのであれば、これ以上の喜びはありません。
子ども達には、何度も刺激を与えていきます。
何度も記憶してもらいます。
何度も繰り返して確認してもらいます。
こうした忍耐強い指導を続けていくことが「私の仕事」です。
今回のトレーニングキャンプは、自分では「ちょっといい仕事」をしたかな、と自負しています。
評価は子ども達が下すものですが、私の仕事が褒められるよりも、子ども達の成果として表れてくれば良いと思います。
ある残り半日となったトレーニングキャンプですが、自分の仕事を全うしたいと思います。
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今日の午前中の練習テーマは「シングルスのゲーム感覚を高める」ことをでした。
シングルスコートを使ったラリー練習を中心としたカリキュラムでしたが、なかなか集中力を持続することができません。
2対1でのパターン練習の時にきちんとボールをコントロールできず、試合とはまったく違う雰囲気の練習になっていました。
球出しができなかったり、初球のミスが目立ったり、インコートの意識が低かったりしたので練習を途中で中止して注意をしました。
きちんとした配球ができなければゲームを支配することはむつかしいですね。
そのことを理解していながら、そのための練習ができないのでは、実際の試合の場面で自分の力を発揮することはむつかしいです。
練習の目的を理解し、想像力を発揮し、高い集中力を持って練習に臨む、という当たり前のことが、当たり前にできてはじめて練習の効果が現れてきます。
そういうことを考えて練習できるようになれば、「思考力」も高まってきます。
これが私が指導の一番の目標に挙げていることです。
トレーニングキャンプは、それを経験することで実力をつけたり、向上させることではありません。
よく合宿などをすると「この合宿を通して子ども達の上達を確認することだできた」ということがありますが、実際にはなかなかそれを実感することはできません。
指導・運営する側は、いろいろと大変な思いもするし、子ども達と接する時間も多くなるので、何となく今まで以上の成果を感じると思い込んでしまうのかもしれません。
でも、成果はそれほど単純に表れてくるものではありません。
今までとは違う雰囲気や仲間とのふれあい、長時間の練習、深いミーティングなどは大きな刺激となります。
そこで「何を感じるのか」がもっとも大切なことで、そこで「感じたこと」をどれくらい持続させるのかが鍵になります。
そのために、この「テニストレーニングキャンプ」はあります。
能力を向上させるためのヒントを与え、刺激を強め、違う雰囲気を経験することは、その「感性」を高めます。
それが一番の目的であり、それが少しでも功を奏したのであれば、これ以上の喜びはありません。
子ども達には、何度も刺激を与えていきます。
何度も記憶してもらいます。
何度も繰り返して確認してもらいます。
こうした忍耐強い指導を続けていくことが「私の仕事」です。
今回のトレーニングキャンプは、自分では「ちょっといい仕事」をしたかな、と自負しています。
評価は子ども達が下すものですが、私の仕事が褒められるよりも、子ども達の成果として表れてくれば良いと思います。
ある残り半日となったトレーニングキャンプですが、自分の仕事を全うしたいと思います。
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2007年08月13日
猛暑の中(969)
札幌では34度を記録し、暑さで火災報知器が誤動作するほどの猛暑の中、トレーニングキャンプ2日目を終了しました。
全国的な猛暑で、名古屋でも34度を記録する中でのキャンプなので体調不良の選手が出ることを心配していましたが、誰一人としてそういう選手は居らず、多くの子ども達がタフな選手に成長したことを確認できて嬉しく思います。
まあ、こちらはちょっとばてばてですが、弱みは見せません。
今日の練習は、インコートを意識しながらネットプレーやリカバリーショットの練習なんかも取り入れて、少々大めの運動量の練習でしたが、へばる様子も少なく、淡々と練習をこなしていく様子には驚きすら感じます。
今日行われた試合に参加して何試合かこなしたあとに再びキャンプに参加する子もいます。
前に「大島さんのところの子ども達はタフですねえ。」と言われたことを思い出します。
これは指導者にとっては最高の褒め言葉だと思います。
トレーニングキャンプを始めた頃は、暑い中での長時間の練習をやる意味はあるのか、選手の体調管理の立場からも望ましいキャンプではないのではないか、そんなキャンプに参加してくれる子は少ないのではないか、などと心配事ばかりでしたが、杞憂に終っています。
今は猛暑の中だからこそ、タフな選手を育成するのにもっとも適したキャンプではないのかと思えるようになりました。
コーチももちろんしんどい思いはします。
東海中日、全国小学生、新人戦、県ジュニア、全日本ジュニアと続く試合の朝練や観戦がひと段落した頃なので、身体的にはかなり厳しい状況ですが、そんな思いを子ども達のタフさが吹き飛ばします。
負けてはおれません。弱音ははきません。練習中はできるだけ寝ませんそんな決意で明日もがんばります。
明日の天気?もちろん、「猛暑」です。バンザイ!
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全国的な猛暑で、名古屋でも34度を記録する中でのキャンプなので体調不良の選手が出ることを心配していましたが、誰一人としてそういう選手は居らず、多くの子ども達がタフな選手に成長したことを確認できて嬉しく思います。
まあ、こちらはちょっとばてばてですが、弱みは見せません。
今日の練習は、インコートを意識しながらネットプレーやリカバリーショットの練習なんかも取り入れて、少々大めの運動量の練習でしたが、へばる様子も少なく、淡々と練習をこなしていく様子には驚きすら感じます。
今日行われた試合に参加して何試合かこなしたあとに再びキャンプに参加する子もいます。
前に「大島さんのところの子ども達はタフですねえ。」と言われたことを思い出します。
これは指導者にとっては最高の褒め言葉だと思います。
トレーニングキャンプを始めた頃は、暑い中での長時間の練習をやる意味はあるのか、選手の体調管理の立場からも望ましいキャンプではないのではないか、そんなキャンプに参加してくれる子は少ないのではないか、などと心配事ばかりでしたが、杞憂に終っています。
今は猛暑の中だからこそ、タフな選手を育成するのにもっとも適したキャンプではないのかと思えるようになりました。
コーチももちろんしんどい思いはします。
東海中日、全国小学生、新人戦、県ジュニア、全日本ジュニアと続く試合の朝練や観戦がひと段落した頃なので、身体的にはかなり厳しい状況ですが、そんな思いを子ども達のタフさが吹き飛ばします。
負けてはおれません。弱音ははきません。練習中はできるだけ寝ませんそんな決意で明日もがんばります。
明日の天気?もちろん、「猛暑」です。バンザイ!
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2007年08月12日
トレーニングキャンプ(968)
今日からトレーニングキャンプが始まりました。
トレーニングキャンプを始めて4年目になりますが、今年たくさんの子ども達が参加してくれてにぎやかなキャンプになっています。
いつも一緒に練習する子だけではなく、シンガポールや石川、静岡からも参加してくれる子がいるので多少の緊張感もあって集中して練習できているようです。
今年のキャンプのテーマは「インコート」と「セカンドサービス」です。
多くの試合を見てきて、やはりコートに入れることができる能力が勝敗を左右すると強く感じるからです。
そのための技術を磨くことは簡単なことではありませんが、どういう考え方を持って練習すれば良いのかを学んでほしいと思います。
コートに入れる能力を高めるためには、コートを広く使うように心がけて、そのための技術を磨かなければなりません。
具体的には、「コースを変える」、「回転を変える」、「距離を変える(立つ位置を変える)」、「高さを変える」ことを意識して、まずは正確にショットをコントロールすることから始めます。
キャンプでは基本的は練習から始めていますが、なかなかうまくいかないようです。
強い忍耐力と集中力を持って練習を続けてほしいと思います。
明日はネットプレーの応用練習も取り入れていきます。最後のミーティングで言ったように「相手と戦う気持ち」を高く持って練習してほしいと思います。
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トレーニングキャンプを始めて4年目になりますが、今年たくさんの子ども達が参加してくれてにぎやかなキャンプになっています。
いつも一緒に練習する子だけではなく、シンガポールや石川、静岡からも参加してくれる子がいるので多少の緊張感もあって集中して練習できているようです。
今年のキャンプのテーマは「インコート」と「セカンドサービス」です。
多くの試合を見てきて、やはりコートに入れることができる能力が勝敗を左右すると強く感じるからです。
そのための技術を磨くことは簡単なことではありませんが、どういう考え方を持って練習すれば良いのかを学んでほしいと思います。
コートに入れる能力を高めるためには、コートを広く使うように心がけて、そのための技術を磨かなければなりません。
具体的には、「コースを変える」、「回転を変える」、「距離を変える(立つ位置を変える)」、「高さを変える」ことを意識して、まずは正確にショットをコントロールすることから始めます。
キャンプでは基本的は練習から始めていますが、なかなかうまくいかないようです。
強い忍耐力と集中力を持って練習を続けてほしいと思います。
明日はネットプレーの応用練習も取り入れていきます。最後のミーティングで言ったように「相手と戦う気持ち」を高く持って練習してほしいと思います。
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2007年08月11日
やる気と行動力の法則(967)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -37-
何度も書いたが、行動を起こした者だけが成功のチャンスをつかむ可能性がある。
それを支えるのは情熱だ。
情熱があり、やる気が根本的に高まっていなくては行動を起こす力が湧いてこない。
山下富美代(「集中力」講談社現代新書)は、「やる気とは、自分からすすんでという自発性がもとになっているので、金銭や賞などの報酬や外的評価が導入されると、自律性が失われてしまうのではないかと考えられる。」と述べている。
つまり、何かのためにやるというのではなく、「自分がそれをやりたい」という自発的な意志に支えられて行動を起こさなくてはならないのである。
この純粋性を持った自発性は、同じスポーツをやり続けていると徐々に失われていく。
そうなると、なにか外的なものを求める気持ちが強くなり、周りにいる者がそうした気持ちを助長する傾向も強くなってくるので、それが得られないことが続くと、自発的な行動をやめてしまうケースは少なくない。
このような純粋性を持った自発性を長い期間維持することは可能なのだろうか。
それは大変難しい問題だと思う。
ここでは私が情熱を維持している法則について述べてみたいと思う。
それは、「死」を意識することだ。
こんなことを書くと、なにか怪しい宗教めいた内容になってしまうと思われるかもしれないが、そうではない。
私がアメリカに渡って数ヶ月が経った頃、私の妻が子どもを連れてアメリカにやってきたときのことだ。
家族に会うことができた喜びと緊張から解き放たれた安堵感で満たされたときに、それまで休みなく働いてきた疲れがでたのだろう、私はドライブに出かけた帰りの高速道路で居眠り運転をして、事故を起こしてしまった。
時速120km以上のスピードでの事故では命の補償はない。
ところが、いくつかの幸運が重なり、車は大破したが、妻が軽い擦り傷を負った程度で済んだのである。
事故直後は、道路封鎖をしたパトカー、駆けつけたレスキューや救急車などで騒然としていたので、無傷でぴんぴんしている自分がなんとなく恥ずかしく思えて、命が助かったことに対する感謝の気持ちを持つどころではなかった。
ところが、ホテルに帰ってから事故を振り返ったときに、その恐怖がよみがえってきて震えが止まらなかったのを覚えている。
そして、疲れて眠っている子どもを抱きしめて生きていることに感謝した。
そのときに私は「死」を明確に意識した。
「人間はいつか死ぬ、それが明日かもしれない」と強く思うようになった。
そして、「もし、明日死ぬとしたら、お前は満足して死ぬことができるのか?」と問い続けるようになった。
宗教には「死生観」というものがある。
これは簡単に言うと、「「死」を意識することで「生」を活き活きとしたものにすることができる」という教えである。
「悔いのないように今を生きる」、この考えが私の情熱を生み出しているし、自発的な行動力の源になっている。
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何度も書いたが、行動を起こした者だけが成功のチャンスをつかむ可能性がある。
それを支えるのは情熱だ。
情熱があり、やる気が根本的に高まっていなくては行動を起こす力が湧いてこない。
山下富美代(「集中力」講談社現代新書)は、「やる気とは、自分からすすんでという自発性がもとになっているので、金銭や賞などの報酬や外的評価が導入されると、自律性が失われてしまうのではないかと考えられる。」と述べている。
つまり、何かのためにやるというのではなく、「自分がそれをやりたい」という自発的な意志に支えられて行動を起こさなくてはならないのである。
この純粋性を持った自発性は、同じスポーツをやり続けていると徐々に失われていく。
そうなると、なにか外的なものを求める気持ちが強くなり、周りにいる者がそうした気持ちを助長する傾向も強くなってくるので、それが得られないことが続くと、自発的な行動をやめてしまうケースは少なくない。
このような純粋性を持った自発性を長い期間維持することは可能なのだろうか。
それは大変難しい問題だと思う。
ここでは私が情熱を維持している法則について述べてみたいと思う。
それは、「死」を意識することだ。
こんなことを書くと、なにか怪しい宗教めいた内容になってしまうと思われるかもしれないが、そうではない。
私がアメリカに渡って数ヶ月が経った頃、私の妻が子どもを連れてアメリカにやってきたときのことだ。
家族に会うことができた喜びと緊張から解き放たれた安堵感で満たされたときに、それまで休みなく働いてきた疲れがでたのだろう、私はドライブに出かけた帰りの高速道路で居眠り運転をして、事故を起こしてしまった。
時速120km以上のスピードでの事故では命の補償はない。
ところが、いくつかの幸運が重なり、車は大破したが、妻が軽い擦り傷を負った程度で済んだのである。
事故直後は、道路封鎖をしたパトカー、駆けつけたレスキューや救急車などで騒然としていたので、無傷でぴんぴんしている自分がなんとなく恥ずかしく思えて、命が助かったことに対する感謝の気持ちを持つどころではなかった。
ところが、ホテルに帰ってから事故を振り返ったときに、その恐怖がよみがえってきて震えが止まらなかったのを覚えている。
そして、疲れて眠っている子どもを抱きしめて生きていることに感謝した。
そのときに私は「死」を明確に意識した。
「人間はいつか死ぬ、それが明日かもしれない」と強く思うようになった。
そして、「もし、明日死ぬとしたら、お前は満足して死ぬことができるのか?」と問い続けるようになった。
宗教には「死生観」というものがある。
これは簡単に言うと、「「死」を意識することで「生」を活き活きとしたものにすることができる」という教えである。
「悔いのないように今を生きる」、この考えが私の情熱を生み出しているし、自発的な行動力の源になっている。
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2007年08月10日
次の戦いに向けて(966)
全日本ジュニアのサポートを終え、トレーニングキャンプの準備のために名古屋に戻ってきました。
この大会を最後にジュニアを卒業していく選手も多く、一区切りをつけて何となく虚脱感のようなものを感じます。
こういう感じのときは少し休みたいとは思いますが、もうすでに次の戦いが始まります。
トレーニングキャンプでは、この夏の大会を通して感じたことをテーマにして、ステップアップに繋がる有意義なキャンプにしたいと思います。
夏の暑さの中、厳しいキャンプになると思いますが、自分に妥協しないように高い目標意識を持って臨んでください。
さあ、気合を入れなおしてがんばりますよ!その前にそうじしなきゃ・・・(泣)
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この大会を最後にジュニアを卒業していく選手も多く、一区切りをつけて何となく虚脱感のようなものを感じます。
こういう感じのときは少し休みたいとは思いますが、もうすでに次の戦いが始まります。
トレーニングキャンプでは、この夏の大会を通して感じたことをテーマにして、ステップアップに繋がる有意義なキャンプにしたいと思います。
夏の暑さの中、厳しいキャンプになると思いますが、自分に妥協しないように高い目標意識を持って臨んでください。
さあ、気合を入れなおしてがんばりますよ!その前にそうじしなきゃ・・・(泣)
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2007年08月09日
自分流で戦う(965)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -36-
「自分はどういう戦い方をしたいのだろうか」と考えたことはないだろうか。
ある選手の試合を見て、「かっこいいな、こんなふうに試合してみたいな」と思ったことぐらいはあるだろう。
私がテニスを始めたとき、世界ランキングナンバーワンはスウェーデンのビヨン・ボルグであった。
テニスブームもあいまって、巷のテニスクラブでは、ドネーのカラフルなカラーリングのラケットを抱え(しかもテンションは80ポンド)、ピチピチのフィラのウェアに身を包み、ズボンのすそを靴下の中に入れ込んで、ヘアーバンドで武装した、とんでもない素人軍団がコートを占拠していた(まったくテニスもできないのに、テニスマシンの横で軟派するためだけにクラブにやってくる奴も何人もいた)。
ボルグの戦いは、ひたすらトップスピンで守り抜くスタイルだ。
そのプレースタイルにあこがれて、トップスピンを武器に戦っていた選手も多かっただろう。
しかし、私はどうもそのプレースタイルが好きではなかった。
私があこがれたのは、低い弾道のフラットボールを渾身の力で打ち続けるジミー・コナーズであった。
私がテニスを始めた頃は、コナーズの強さに陰りが見え始め、代わってボルグやマッケンローなどの個性派選手が台頭してきた頃なので、多くの選手はフラットドライブよりも、ぐりぐり(今はこんな表現しないのかな?)のトップスピンや変則サービスからのサーブアンドボレーでの戦い方にあこがれていたが、私はコナーズのようにひたむきに打ち続けるプレースタイルにこだわってきた。
何度も何度もそのプレースタイルを真似て打つ練習をしたが、技術レベルも低く(そのうえ両手打ちのバックハンドは否定されていた)、当時はビデオなどの便利な機械もないのでイメージを持続することが難しく、コナーズとはまったく違うフォームになってしまった(あのときビデオさえあったら、私のコナーズ化計画はうまくいったかもしれない)が、執拗にストロークでの強打にこだわるプレースタイルは、フォアの逆クロスで執拗に相手のバックハンドにボールを打ち続ける「私独自のプレースタイル」を作り上げることには成功した。
周りの連中は私のフォームを「ゴキブリ」と評したが、確かな「自分流」のフォームとプレースタイルで戦うことで強くなったのは事実である。
野球では、「まさかり投法」や「トルネード投法」、「振り子打法」といった独自のスタイルを持っている一流選手は多い。
そのスタイルに名前がなくても、「佐々木の高速フォーク」や「山田のシンカー」など、そのボールの変化が他のピッチャーとは大きく違うことから名前を付けられることもある。
この独自性が、強さの秘訣であると言っても良いだろう。
他の選手とは違う「何か」を持っているのなら、強くなることは容易かもしれない。
しかし、そうは簡単に「自分流」を作り出すことはできない。
もちろん、単に人と違うというだけでは「自分流」とは呼べない(そういう人は、「変わった人」と呼ばれる)。
「自分流」を作り出すには、何でも「自分で考える習慣」が身につけていなくてはならない。
斎藤孝(「「できる人」はどこが違うのか」ちくま新書)は、「「自分はいま何のためにやっているのか」ということについての、正確な認識力を育てることが上達の秘訣である」と述べている。
強くなりたければ、自分が強くなるためには何が足りなくて、何が必要で、何を変えなければならないのか、何をしなければならないのかについて、正確に認識することが大切であることを教えてくれる。
そのことを考え続けて、試行錯誤を繰り返し、何度も挫折を味わいながらも、しつこく食らいつき、「自分流」に到達したとき、はじめて「自分流」が強さの源となる。
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「自分はどういう戦い方をしたいのだろうか」と考えたことはないだろうか。
ある選手の試合を見て、「かっこいいな、こんなふうに試合してみたいな」と思ったことぐらいはあるだろう。
私がテニスを始めたとき、世界ランキングナンバーワンはスウェーデンのビヨン・ボルグであった。
テニスブームもあいまって、巷のテニスクラブでは、ドネーのカラフルなカラーリングのラケットを抱え(しかもテンションは80ポンド)、ピチピチのフィラのウェアに身を包み、ズボンのすそを靴下の中に入れ込んで、ヘアーバンドで武装した、とんでもない素人軍団がコートを占拠していた(まったくテニスもできないのに、テニスマシンの横で軟派するためだけにクラブにやってくる奴も何人もいた)。
ボルグの戦いは、ひたすらトップスピンで守り抜くスタイルだ。
そのプレースタイルにあこがれて、トップスピンを武器に戦っていた選手も多かっただろう。
しかし、私はどうもそのプレースタイルが好きではなかった。
私があこがれたのは、低い弾道のフラットボールを渾身の力で打ち続けるジミー・コナーズであった。
私がテニスを始めた頃は、コナーズの強さに陰りが見え始め、代わってボルグやマッケンローなどの個性派選手が台頭してきた頃なので、多くの選手はフラットドライブよりも、ぐりぐり(今はこんな表現しないのかな?)のトップスピンや変則サービスからのサーブアンドボレーでの戦い方にあこがれていたが、私はコナーズのようにひたむきに打ち続けるプレースタイルにこだわってきた。
何度も何度もそのプレースタイルを真似て打つ練習をしたが、技術レベルも低く(そのうえ両手打ちのバックハンドは否定されていた)、当時はビデオなどの便利な機械もないのでイメージを持続することが難しく、コナーズとはまったく違うフォームになってしまった(あのときビデオさえあったら、私のコナーズ化計画はうまくいったかもしれない)が、執拗にストロークでの強打にこだわるプレースタイルは、フォアの逆クロスで執拗に相手のバックハンドにボールを打ち続ける「私独自のプレースタイル」を作り上げることには成功した。
周りの連中は私のフォームを「ゴキブリ」と評したが、確かな「自分流」のフォームとプレースタイルで戦うことで強くなったのは事実である。
野球では、「まさかり投法」や「トルネード投法」、「振り子打法」といった独自のスタイルを持っている一流選手は多い。
そのスタイルに名前がなくても、「佐々木の高速フォーク」や「山田のシンカー」など、そのボールの変化が他のピッチャーとは大きく違うことから名前を付けられることもある。
この独自性が、強さの秘訣であると言っても良いだろう。
他の選手とは違う「何か」を持っているのなら、強くなることは容易かもしれない。
しかし、そうは簡単に「自分流」を作り出すことはできない。
もちろん、単に人と違うというだけでは「自分流」とは呼べない(そういう人は、「変わった人」と呼ばれる)。
「自分流」を作り出すには、何でも「自分で考える習慣」が身につけていなくてはならない。
斎藤孝(「「できる人」はどこが違うのか」ちくま新書)は、「「自分はいま何のためにやっているのか」ということについての、正確な認識力を育てることが上達の秘訣である」と述べている。
強くなりたければ、自分が強くなるためには何が足りなくて、何が必要で、何を変えなければならないのか、何をしなければならないのかについて、正確に認識することが大切であることを教えてくれる。
そのことを考え続けて、試行錯誤を繰り返し、何度も挫折を味わいながらも、しつこく食らいつき、「自分流」に到達したとき、はじめて「自分流」が強さの源となる。
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2007年08月08日
ダブルス王国?(964)
全日本ジュニアは4日目を終了し、14歳以下と12歳以下のダブルス準々決勝を戦った私のチームの選手は残念ながら敗退し、前半戦の全日程を終えました。
まだ勝ち残っている選手諸君には優勝目指してがんばってほしいですね。
今大会の前半戦を振り返ってみると、ダブルスの検討が目立ちました。
男子14歳以下のダブルスに出場した東海地区のペアはすべて初戦を突破し、なんとベスト8に4組が勝ち残るという成果を残しています。
14歳以下ではダブルスの練習を定期的に時間をかけて練習することは難しいので、なかなかダブルスとしての技術は向上しません。
そんな中でこの成績は、やはり戦いの中でその技術が磨かれていったと考えるべきで、東海地区は「ダブルス王国」ということができるのかもしれません。
ダブルスはシングルスよりも多様な技術が要求されます。
多くのペアが単なるシングルスの2人組という印象が強いのに対して、うまくダブルスとしてのコンビネーションを学んでいるようです。
これは大きな財産になりますね。
日本テニス協会が12歳以下にもダブルスの種目を設置したのには、そういうことを大会を通じて学ぶことを意図しているからです。
そういう意味で、今大会では大会を通じて多くのことを学ぶことができたように思います。
ダブルスの技術の向上を目指すことの重要性を再認識したことは大きな収穫ですね。
こうした新しい発見や認識を新たにすることができるので大会のサポートは重要に意味があります。
明日は18歳以下と16歳以下の選手のサポートが始まります。
どんな発見があるのか大変楽しみです。
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まだ勝ち残っている選手諸君には優勝目指してがんばってほしいですね。
今大会の前半戦を振り返ってみると、ダブルスの検討が目立ちました。
男子14歳以下のダブルスに出場した東海地区のペアはすべて初戦を突破し、なんとベスト8に4組が勝ち残るという成果を残しています。
14歳以下ではダブルスの練習を定期的に時間をかけて練習することは難しいので、なかなかダブルスとしての技術は向上しません。
そんな中でこの成績は、やはり戦いの中でその技術が磨かれていったと考えるべきで、東海地区は「ダブルス王国」ということができるのかもしれません。
ダブルスはシングルスよりも多様な技術が要求されます。
多くのペアが単なるシングルスの2人組という印象が強いのに対して、うまくダブルスとしてのコンビネーションを学んでいるようです。
これは大きな財産になりますね。
日本テニス協会が12歳以下にもダブルスの種目を設置したのには、そういうことを大会を通じて学ぶことを意図しているからです。
そういう意味で、今大会では大会を通じて多くのことを学ぶことができたように思います。
ダブルスの技術の向上を目指すことの重要性を再認識したことは大きな収穫ですね。
こうした新しい発見や認識を新たにすることができるので大会のサポートは重要に意味があります。
明日は18歳以下と16歳以下の選手のサポートが始まります。
どんな発見があるのか大変楽しみです。
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2007年08月07日
決断を口に出す(963)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -35-
「けっ、やっぱ口だけの奴か」は、男にとって「ケツの青い奴だなあ」に匹敵する最大の侮辱である。
この意識はスポーツをやっている男は少なからず持っていることだろう。
自分の決断を口にせず、結果が出てから、それが成功したときには「そうだったんだぜ」と言い、だめだったときには「最初からそれが目標じゃあなかったのさ」と嘘ぶくことがもっとも男として情けないと思うのだが、あなたはどう思う?
決断することが難しいことは知っている。
しかし、もっと難しいのは決断を実行に移すことである。
これができてはじめて、強くなるための扉を叩いたことになる。
決断を実行に移すとき、やはり、そこには「戸惑い」も「恐怖」もある。
提案しよう、そういうときこそ、おもいきって自分の決断を口に出すのである。
これは目標を掲げるというのとは違う。
強いて言えば、自分に「渇を入れる」が最も近い表現だろう。
例えば、「もう二度とタバコは吸わない」でもいいだろうし、「毎日ランニングする」でもいいだろう。
強くなるために自分がしなくてはならないことが、いくつか頭に浮かんでくるに違いない。
それを実行しようとしている自分はそこにいる。
しかし、踏み出せないか、もしくは踏み出したとしても、すぐに戻ってきては自分の弱さを嘆くのが常だ。
そんなときこそ思い切ってその「決断を口に出す」ことだ。
弱い自分に渇を入れ、叱咤激励して、困難に立ち向かわせるもっともよい方法である。
なぜなら、それをやれないことを侮辱されることが人間にとって最もつらいからだ。
私もそうだった教員を辞めてアメリカに行こうと決断したのだが、子どもはまだ2歳だったし、英語の問題や収入の問題、将来の問題など、いくつも私の決断を鈍らせる問題は存在した。
そうすると、不安や恐怖に襲われてきて、寝付けない夜が続く。
「もう、止めてしまおうかな」と何度も思った。
そこで私は、自分の決断が鈍らないように「俺はアメリカに行くぞ!」、「アメリカでプロのテニストレーナーになる!」と会う人ごとに宣言し、もうどうにも後に引けないように自分自身を追い詰めたのである。
私を悩ませるどんな問題よりも、「けっ、やっぱ口だけの奴か」と侮辱されることがたまらなく嫌だったから、なんとか不安や恐怖に耐えていた。
そうすると、あるとき、開き直ったように「何とかなるだろう」と思えるようになるのだから不思議なものだ。
私は、あのとき「決断を口に出して」、本当に良かったと思っている。
じつはアメリカに永住するつもりだったので、志半ばでの帰国であるが、そのステージに上がって経験したことと、その決断を実行に移すことができたことが大きな自信と経験となった。
今のコーチという仕事にも生きているように思う。
これを読んでいる方の中にも、「あのとき決断していれば良かった」と思っている人も多いだろう。
そんな人は、スピリチャルな癒し本(最近流行らしい)を読んで、自分を慰めてみても無駄だ。
新たに何かを決断することがよい。
そして、その「決断を口に出し」、実行に移すように努力してみることだ。
そうすると、あら不思議、今までの自分とは違う見方でものごとを捉え、考えることができるようになる。自信も湧いてくるである。
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「けっ、やっぱ口だけの奴か」は、男にとって「ケツの青い奴だなあ」に匹敵する最大の侮辱である。
この意識はスポーツをやっている男は少なからず持っていることだろう。
自分の決断を口にせず、結果が出てから、それが成功したときには「そうだったんだぜ」と言い、だめだったときには「最初からそれが目標じゃあなかったのさ」と嘘ぶくことがもっとも男として情けないと思うのだが、あなたはどう思う?
決断することが難しいことは知っている。
しかし、もっと難しいのは決断を実行に移すことである。
これができてはじめて、強くなるための扉を叩いたことになる。
決断を実行に移すとき、やはり、そこには「戸惑い」も「恐怖」もある。
提案しよう、そういうときこそ、おもいきって自分の決断を口に出すのである。
これは目標を掲げるというのとは違う。
強いて言えば、自分に「渇を入れる」が最も近い表現だろう。
例えば、「もう二度とタバコは吸わない」でもいいだろうし、「毎日ランニングする」でもいいだろう。
強くなるために自分がしなくてはならないことが、いくつか頭に浮かんでくるに違いない。
それを実行しようとしている自分はそこにいる。
しかし、踏み出せないか、もしくは踏み出したとしても、すぐに戻ってきては自分の弱さを嘆くのが常だ。
そんなときこそ思い切ってその「決断を口に出す」ことだ。
弱い自分に渇を入れ、叱咤激励して、困難に立ち向かわせるもっともよい方法である。
なぜなら、それをやれないことを侮辱されることが人間にとって最もつらいからだ。
私もそうだった教員を辞めてアメリカに行こうと決断したのだが、子どもはまだ2歳だったし、英語の問題や収入の問題、将来の問題など、いくつも私の決断を鈍らせる問題は存在した。
そうすると、不安や恐怖に襲われてきて、寝付けない夜が続く。
「もう、止めてしまおうかな」と何度も思った。
そこで私は、自分の決断が鈍らないように「俺はアメリカに行くぞ!」、「アメリカでプロのテニストレーナーになる!」と会う人ごとに宣言し、もうどうにも後に引けないように自分自身を追い詰めたのである。
私を悩ませるどんな問題よりも、「けっ、やっぱ口だけの奴か」と侮辱されることがたまらなく嫌だったから、なんとか不安や恐怖に耐えていた。
そうすると、あるとき、開き直ったように「何とかなるだろう」と思えるようになるのだから不思議なものだ。
私は、あのとき「決断を口に出して」、本当に良かったと思っている。
じつはアメリカに永住するつもりだったので、志半ばでの帰国であるが、そのステージに上がって経験したことと、その決断を実行に移すことができたことが大きな自信と経験となった。
今のコーチという仕事にも生きているように思う。
これを読んでいる方の中にも、「あのとき決断していれば良かった」と思っている人も多いだろう。
そんな人は、スピリチャルな癒し本(最近流行らしい)を読んで、自分を慰めてみても無駄だ。
新たに何かを決断することがよい。
そして、その「決断を口に出し」、実行に移すように努力してみることだ。
そうすると、あら不思議、今までの自分とは違う見方でものごとを捉え、考えることができるようになる。自信も湧いてくるである。
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2007年08月06日
敗戦の後に(962)
全日本ジュニアも2日目を終了しました。夏らしいぎらぎらする日差しの中、懸命の戦いが繰り広げられました。
どの選手も負けまいと必死に戦いますが、力及ばず敗れ去る選手も大勢います。
私のチームにも残念ながら敗退してしまった選手はいます。
ねぎらいの言葉をかけ、次の戦いに向けて意識を高めるように説き、帰宅を見送るつもりでした。
しかし、試合後に解放された練習コートで、明日の試合のために練習している私のところにその選手達が来て、「練習するのでボールを貸してください。」と言ってきました。
はじめは「えっ、まじで!」と思いましたが、「練習コートをとりました。」と言うのでボールを貸しました。
いやあ、うれしかったですね。「敗戦を次のステップにする意識」が高い証拠です。
全日本ジュニアという舞台が「単なるお祭り」になっていないことを心からうれしく思うのです。
もちろん、練習後のランニングとクールダウンもきっちりこなしていきました。
子ども達は、私の想像以上に選手として成長してきているんですね。
その「思い」を実現するために、私自身が強い信念を持って指導していかなくてはならないと気持ちを新たにしました。
また子ども達に教えてもらいました。心から感謝します。
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どの選手も負けまいと必死に戦いますが、力及ばず敗れ去る選手も大勢います。
私のチームにも残念ながら敗退してしまった選手はいます。
ねぎらいの言葉をかけ、次の戦いに向けて意識を高めるように説き、帰宅を見送るつもりでした。
しかし、試合後に解放された練習コートで、明日の試合のために練習している私のところにその選手達が来て、「練習するのでボールを貸してください。」と言ってきました。
はじめは「えっ、まじで!」と思いましたが、「練習コートをとりました。」と言うのでボールを貸しました。
いやあ、うれしかったですね。「敗戦を次のステップにする意識」が高い証拠です。
全日本ジュニアという舞台が「単なるお祭り」になっていないことを心からうれしく思うのです。
もちろん、練習後のランニングとクールダウンもきっちりこなしていきました。
子ども達は、私の想像以上に選手として成長してきているんですね。
その「思い」を実現するために、私自身が強い信念を持って指導していかなくてはならないと気持ちを新たにしました。
また子ども達に教えてもらいました。心から感謝します。
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2007年08月05日
変化を怖がるな(961)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -34-
よく、「強くなるためにはいろいろな経験がいる」といわれる。その通りだ。
今までとは違う環境や方法で練習をすることで、今までとは違う感覚や発想が生まれるからだ(だからこそ、遠征を強く勧める)。選手はそのような「変化」を通じて成長していく。
しかし、技術的なことに関して、今までのやり方なり、感覚を変えることは大変に難しい、というより「勇気」がいる。
グリップを少し変えただけでもガクッと成績が落ちてしまうこともあるからだ。
しかし、「変化」を怖がってはいけない。
もちろん「変化」は一時的にパフォーマンスを落とす場合もあるので、いままでの方法のほうがよいと感じて戻ってしまう場合もあるだろう。
それでも一度「変化」を経験すれば、「もと」の良さを再認識して、より自信を持って戦うことができることもある。
ただ、今までの方法では乗り越えることができないと感じる壁にぶつかったときは、自分自身が変わり、より大きく成長することに「賭ける」しかないのではないか。
「変化」は怖い、しかし、「強さ」を生み出すもっとも大切なキーワードだ。
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よく、「強くなるためにはいろいろな経験がいる」といわれる。その通りだ。
今までとは違う環境や方法で練習をすることで、今までとは違う感覚や発想が生まれるからだ(だからこそ、遠征を強く勧める)。選手はそのような「変化」を通じて成長していく。
しかし、技術的なことに関して、今までのやり方なり、感覚を変えることは大変に難しい、というより「勇気」がいる。
グリップを少し変えただけでもガクッと成績が落ちてしまうこともあるからだ。
しかし、「変化」を怖がってはいけない。
もちろん「変化」は一時的にパフォーマンスを落とす場合もあるので、いままでの方法のほうがよいと感じて戻ってしまう場合もあるだろう。
それでも一度「変化」を経験すれば、「もと」の良さを再認識して、より自信を持って戦うことができることもある。
ただ、今までの方法では乗り越えることができないと感じる壁にぶつかったときは、自分自身が変わり、より大きく成長することに「賭ける」しかないのではないか。
「変化」は怖い、しかし、「強さ」を生み出すもっとも大切なキーワードだ。
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2007年08月04日
素晴らしい成果(960)
大阪では全日本ジュニアが始まっています。明日から暑くなりそうですが、それに負けないような熱い闘いを期待しています。
佐賀で行われていたインターハイも無事に終わったようで、大変うれしい知らせが届いています。
私が日頃指導している鵜飼元一とトレーニングの指導をしている伊藤潤がともにベスト4という素晴らしい成績を残してくれました。
元一からの「やっちゃいました!」という本当にうれしそうな知らせを聞いたとき、潤の「トレーニングの成果が出たといわれました」という報告を聞いたときは思わず涙がこぼれそうになりました。
二人がこれまで真剣にテニスに取り組んできた成果が、ジュニア最後の年の大きな舞台で花開いたことを本当にうれしく思います。
また、この成果をステップにしてさらに上を目指してがんばる姿が思い浮かびます。
何年か先にはもっと大きな舞台で競い合う二人の姿を見てみたいと思います。
そうそう、子ども達にまたまた「泣き虫コーチ」と言われるのは恥ずかしいので、泣いちゃったことは内緒でお願いします。
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佐賀で行われていたインターハイも無事に終わったようで、大変うれしい知らせが届いています。
私が日頃指導している鵜飼元一とトレーニングの指導をしている伊藤潤がともにベスト4という素晴らしい成績を残してくれました。
元一からの「やっちゃいました!」という本当にうれしそうな知らせを聞いたとき、潤の「トレーニングの成果が出たといわれました」という報告を聞いたときは思わず涙がこぼれそうになりました。
二人がこれまで真剣にテニスに取り組んできた成果が、ジュニア最後の年の大きな舞台で花開いたことを本当にうれしく思います。
また、この成果をステップにしてさらに上を目指してがんばる姿が思い浮かびます。
何年か先にはもっと大きな舞台で競い合う二人の姿を見てみたいと思います。
そうそう、子ども達にまたまた「泣き虫コーチ」と言われるのは恥ずかしいので、泣いちゃったことは内緒でお願いします。
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2007年08月02日
感情のコントロール(959)
愛知県ジュニアもほとんどの試合を終えて、明日から全日本ジュニアに参戦する選手を乗せて大阪に出発します。
この夏もたくさんの試合を見ました(それが仕事ですから・・・)。
毎日、毎日、子ども達の試合を食い入るように見ていると時間はあっという間に過ぎていきます。
昼食を食べることを忘れてしまうこともしばしばです。
それほど熱中できるドラマを見ることができることを本当に幸せに思います。
そんな試合の中では、いろいろなことが起こります。
私はいつも子ども達の感情などのメンタルの状態を洞察するようにしていますが、なかなか感情をコントロールすることはむつかしいようです。
試合中に泣き出したり、ラケットを放り投げたり、いらいらして集中力を欠いたり、むかついて(この言葉は好きではありません)粗暴な行動をとったり、じつに様々な表現をします。
そんな時、やはりそういう行動は優れた選手として望ましくはないので厳しい態度で注意をしたり、諭したりしますが、でも、そのことを一方的に批判するものではありません。
スポーツは競い合いです。
相手と戦う「強い気持ち」がなければ勝つことはむつかしいと思います。
そういう気持ちが強い選手ほど、感情的になることはある程度は止むを得ないと思うのです。
勝ちたい気持ちがあるのかないのか良く分からないような感じで淡々と試合をする選手よりも、将来の可能性を感じます。
だから、指導者としては「それ」をまず認めなくてはなりません。
そして、どうすればその「勝ちたい気持ち」や「強い感情」を「勝つ」ことに結びつけることができるのかを辛抱強く教えていかなくてはなりません。
簡単なことではありません。
「人間は感情の動物」であり、それが唯一他の動物と人間とを区別するものだからです。
だからこそ「忍耐力」を選手も指導者も学び、メンタルコントロールの方法を学び、自分の考え方を少し変えて、持っている大きなエネルギーを「勝つ」ためにできるだけ有効に使う方法を身につけなくてはなりません。
それがある程度できた時(完璧なコントロールはむつかしいですね)、きっと、その「強い気持ち」は素晴らしい成果に結びついていきます。
私はそう信じています。
明後日からの全日本ジュニアの舞台での戦いでは、どんな可能性を見せてくれるのでしょうか。
どんな状況になっても「強い気持ち」を持って戦い続けてほしいと思います。
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2007年08月01日
変化ほど安定したものは無い(958)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -33-
いつも自分が安住していられる場所に居続けることで、「強さ」は確実に失われる。
「変化を求める」こと(積極的に遠征などに出かけることも含まれる)で、自分の「強さを維持」できることを覚えておいてほしい。
「変化」は安定した強さを維持するにはもっとも大切な考え方である。
選手として成長する例ではないが、変化することで強さを維持する例を挙げて話をしよう。
私は仕事柄いろいろなクラブを観てまわることも多い。
強い選手を輩出するクラブにはいろいろな秘訣はあるだろうが、そのひとつに「システムに固執しないこと」が挙げられる。
よく、「このシステムは完璧です。このシステムに沿って取り組めば強い選手になりますよ」と宣伝するクラブがあるが、「あほか!」と思う。
人間を育成するシステムに完璧はない。
完璧があるとしたら、その人間の育成にとって完璧なのであって、他の人にとっては迷惑極まりないシステムかもしれない(星飛雄馬を成功とするならば、星一徹の徹底したスパルタ指導は完璧といってもよいかもしれないが、あなたは好んで養成ギブスを付けられないでしょ?)。
このような考え方に陥るのは、人間を育成するという考え方に立っていないのである。
人間は刻一刻と変化しており、いかにそれに対応すべく智恵を絞るのかが、人間を扱う上での基本である。
ごくあたりまえの考え方なのだが、指導する側からのエゴを推し進めると、ひとつのシステムさえ作れば良いという考え方に固執してしまうのである。
私は「人間を育成する」という考え方に立って指導のカリキュラムを作っている(作ろうと努力している)。
だから、そのときにそのときの状況にあわせて(子どもを指導していると、身体的にも精神的にも大きな成長をするので、その変化は大変に大きい)、どの方法がよいだろうかと智恵を絞って考える。
考えに考えて、「よしこれでいこう!」と納得できるアイディアが浮かべば、それをできるだけ速やかに実行するようにしている。
今までとはまったく違うシステムになることもある。
システムを変更することは大変な労力を必要とするので、正直面倒くさいと思うことも多い(反感をかうことさえある)が、私のクラブが順調に成長してきたのは、「変化」を望んで受け入れたからだと思っている。
そういえば、星一徹も飛雄馬の成長(変化)に合わせて、養成ギブスの強度を上げていたように記憶している。
きっと飛雄馬の筋肉のつき方などをよく観察し、絶妙のタイミングを探っていたのだろう。
養成ギブスをつけながらの食事などが楽にできるようになった頃を見計らって強度が上げられるので、飛雄馬は「ええっ!どうして!」と驚きを隠せないようであった(そのときの表情はまさに「どん底」に突き落とされたかのような絶妙の描写であり、姉の明子の戸惑った泣き顔もなんともいえないくらい素晴らしいのだ)。
ん~、やはり、星一徹はすごい指導者だ。
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いつも自分が安住していられる場所に居続けることで、「強さ」は確実に失われる。
「変化を求める」こと(積極的に遠征などに出かけることも含まれる)で、自分の「強さを維持」できることを覚えておいてほしい。
「変化」は安定した強さを維持するにはもっとも大切な考え方である。
選手として成長する例ではないが、変化することで強さを維持する例を挙げて話をしよう。
私は仕事柄いろいろなクラブを観てまわることも多い。
強い選手を輩出するクラブにはいろいろな秘訣はあるだろうが、そのひとつに「システムに固執しないこと」が挙げられる。
よく、「このシステムは完璧です。このシステムに沿って取り組めば強い選手になりますよ」と宣伝するクラブがあるが、「あほか!」と思う。
人間を育成するシステムに完璧はない。
完璧があるとしたら、その人間の育成にとって完璧なのであって、他の人にとっては迷惑極まりないシステムかもしれない(星飛雄馬を成功とするならば、星一徹の徹底したスパルタ指導は完璧といってもよいかもしれないが、あなたは好んで養成ギブスを付けられないでしょ?)。
このような考え方に陥るのは、人間を育成するという考え方に立っていないのである。
人間は刻一刻と変化しており、いかにそれに対応すべく智恵を絞るのかが、人間を扱う上での基本である。
ごくあたりまえの考え方なのだが、指導する側からのエゴを推し進めると、ひとつのシステムさえ作れば良いという考え方に固執してしまうのである。
私は「人間を育成する」という考え方に立って指導のカリキュラムを作っている(作ろうと努力している)。
だから、そのときにそのときの状況にあわせて(子どもを指導していると、身体的にも精神的にも大きな成長をするので、その変化は大変に大きい)、どの方法がよいだろうかと智恵を絞って考える。
考えに考えて、「よしこれでいこう!」と納得できるアイディアが浮かべば、それをできるだけ速やかに実行するようにしている。
今までとはまったく違うシステムになることもある。
システムを変更することは大変な労力を必要とするので、正直面倒くさいと思うことも多い(反感をかうことさえある)が、私のクラブが順調に成長してきたのは、「変化」を望んで受け入れたからだと思っている。
そういえば、星一徹も飛雄馬の成長(変化)に合わせて、養成ギブスの強度を上げていたように記憶している。
きっと飛雄馬の筋肉のつき方などをよく観察し、絶妙のタイミングを探っていたのだろう。
養成ギブスをつけながらの食事などが楽にできるようになった頃を見計らって強度が上げられるので、飛雄馬は「ええっ!どうして!」と驚きを隠せないようであった(そのときの表情はまさに「どん底」に突き落とされたかのような絶妙の描写であり、姉の明子の戸惑った泣き顔もなんともいえないくらい素晴らしいのだ)。
ん~、やはり、星一徹はすごい指導者だ。
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2007年08月01日
甲子園出場(957)
愛工大名電高校野球部が愛知県大会決勝で中京大中京高校を破り、3年連続9回目の夏の甲子園出場を決めました。
やはり甲子園出場は何度経験しても嬉しいものですね。
選手諸君!良くがんばりました。本当におめでとう!甲子園でも優勝目指してがんばってください。
私が指導をし始めて春夏通算で10回目の甲子園となりますが、今までのチームと今年のチームは少し雰囲気が違いました。
今までのチームは「チームの柱」となるべき選手がいて、そういう選手を中心にするチーム力で戦ってきましたが、今年のチームはそういう傑出した力を持った選手がいるわけではありません。
戦前の予想もそれほど絶対視されるようなチームでもありませんでしたが、仲間を信頼する気持ちが強く結ばれた、まさに「チーム一丸」の戦いで勝利しました。
トレーニングの指導に行っても「俺が!」という強い自我を表す選手も少なく、大変仲の良い、まとまったチームでした。
身体的な能力も、技術力もそれほど優れた選手がいないだけに、どの選手も大変謙虚な姿勢で取り組みます。
これが「強さ」かなと思います。
そして、私が「目指すチーム」は「」こういうチーム」かなとも思います。
傑出した力がなくても、お互いの信頼関係が強く結ばれ、祖互いの力を心から信じることができるチーム作り、これが私のライフワークであると、愛工大名電高校の野球部の戦いを見ながら思っていました。
テニスは団体戦ではないだけに、なかなかチームに対する意識は持ちにくいものですが、自分の力を高めるためには仲間やクラブの存在は大変大きなものです。
そうした意識を高く持つことができるチームを作ることができた時、きっとここに集う子ども達は大きくその力を伸ばすことができると思います。
東海中日ジュニア、新人戦、県ジュニアと続く試合の中で、その力を何となく感じることができるようになってきました。
まだまだ理想には遠いとは思いますが、一歩づつ進んでいこうと思います。
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