2008年01月31日
明るいオタク(1108)
先週の土曜日と日曜日は、プリンスの関係の測定をしました。
今流行りのフィットウェアを着て、その効果としてスイングスピードの違いを測定するというものです。
大学院時代から大学教員を務めていた頃は、頻繁に測定や実験をしていましたが、最近はなかなかそういう機会には恵まれません。
ジュニアの指導や、トレーニング指導で忙しくなってきたことが大きな要因なので喜ぶべきことかもしれませんね。
今回の測定は、本当に久しぶりなので、手順の確認を忘れたり、機材のチェックが不十分だったりと、スムースに事は運びません。
こうしたものはやはり「慣れ」が必要で、久しぶりであれば、その分もっときちんと準備をすべきであった、とちょっぴり反省しています。
でも、もともとこうした測定や分析は好き、というか性に合っているので、分析を始めるとそれにのめり込んで時間を忘れます。
みなさんは意外に思われるかもしれませんが、実は私はちょっと「オタク」(まだ死語じゃないですよね)なので、こうした作業があまり苦になりません。
外で大声を張り上げて、アクティブに活動する仕事なので、そのギャップがあって、違うイメージを持たれることは多いですが、みなさんには「私は超明るいオタクです。」と言うようにしています。
分析の方も久しぶりで、思い出しながら進むのでなかなか思うようにはいきませんが、その過程を十分に楽しんでいます。
そもそもこのグッズは自分的にも気に入っているので、どんな効果があるのか大変興味があります。
研究でも指導でも同じです。
やはり、自分自身が興味のあることは深く知りたいと思う気持ちが強いので、面倒な作業が気になりません。
「よくそんな面倒なことができますね。」と言われることもありますが、面倒だとか、無理して努力するとか、というような気持はなく、それが興味や関心によって動かされているので、いわば楽しみなんですね。
「何かをしよう」と思いすぎることなく、自然に、当たり前にようにことを成すことが大切だと思います。
今はそんな時間を楽しんでいます。
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2008年01月30日
賭ける思い(1107)
じつは、テニスというスポーツは、「賭ける思い」を持ちにくいスポーツです。
なぜなら、個人スポーツであり、誰もが試合に出ようと思えば出ることができます。
試合に出るための「競争」がそもそもありません(インターハイ予選や地域大会の予選にランキングによって出場できないことはあります)。
団体戦があるにしても、そのメンバーは技量の高低で決まる場合が多く、それ意外の要素でメンバーが決まることはめったになりません。
つまり、「努力」だけを猛烈にしている人間が認められにくいのです。
だから「努力」をする意志が揺らぎます。
また、最近のテニスは、民間クラブから育成が始まるので、親やコーチのサポートが手厚く、スポーツ本来の「忍耐力」を強要される場面が大変少ないからです。
野球の世界では、大変熾烈な「競争」が繰り広げられます。
名門高校では、何人かに一人の割合でしか入学を許可されません。
入学しても3年間一度も公式戦に出場できない選手は何人もいます。
ポジションの争いも熾烈です。
ある選手が怪我をしたら、そのポジションを巡って他のポジションの選手もレギュラーになるために果敢に競争を挑んできます。
もちろん、いじめや暴力など、スポーツのマイナスの面も多くあります。
このような熾烈な「競争」の世界に常に晒されているのです。
だからこそ、「この一勝」に「賭ける思い」が極限にまで高まるのです。
その中での敗戦は、全身を覆う虚脱感に苛まれます。
だからこそ泣いて泣いて、我を忘れるのです。
それほどまでに「賭けて」いないと、この世界では通用しないからです。
こう考えると、テニスの世界は、特にジュニアを取り巻く世界は、スポーツの中ではもっとも「甘い」と言わざるを得ません。
でも、私は思うのです、だからこそ「賭ける思い」を強く持てたものが強くなると。
「甘い」世界に安住することなく、自分の思いを高く持つものは強くなる、そんなことを子どもたちに伝えていけたらいいな、と思っています。
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2008年01月29日
オーラが見える?(1106)
全国選抜ジュニア室内テニス選手権で、私がトレーニング指導をしている廣田耕作選手が見事に優勝を果たしました。
本当によく頑張りました!おめでとう!
佐賀グリーンテニスクラブのトレーニングの一環として指導はしてきましたが、彼のトレーニングを個人的に、本格的にみるようになったのは、昨年の9月からです。
今年も先々週にトレーニングに来ましたが、その真摯な取り組み方がはっきりとわかるほど「体つき」が変わってきました。
「体つき」とは、単に筋肉のボリュームが増えたとか、身長が大きくなったということではなく、身体の中からエネルギーが放出されているような感じがあるかどうかということです。
相撲の世界などでは、「今日の横綱の体にははりがありますね」と解説者が言うところの、「はり」にあたるようなものですね。
それは、身体的な状態を示しているのではなく、その選手の意識レベルを表すものとして使われたりします。
そして、私がそれを感じた時には、不思議なぐらいちゃんと成果が現れてきます。
今回の廣田選手の活躍も、彼の身体から放出されるエネルギーを感じて、「予感」が大いにありました。
結果論ではなく、そういう感覚がはっきりと感じられるくらいにあったということです。
よく霊能者が「オーラが見える」というのと同じなのでしょうか?
私には残念ながら「オーラ」は見えませんが、エネルギーははっきりと感じることができます。
これでちょっとは霊能者の仲間入りができますかねえ。
不思議の世界にはちょっと興味があります。
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2008年01月28日
体が覚える(1105)
あるテレビ番組で、運動神経について紹介していました。
運動神経=記憶力という内容で、達人とよばれる人は、その適切な運動プログラムを体にしっかりと記憶しているということです。
さらに詳しく言うと、単に記憶して正確な反復動作を行うことができるというだけではなく、多くの情報を瞬時にネットワークで結んで、そのときにおけるもっとも適切な反応動作を、無意識に行うことができるレベルにあるということです。
そのようなすぐれた記憶力を発揮し、ネットワークを構築するには何度も反復練習しなければなりませんね。
まずは課題を確認し、その原因をできるだけ深く理解し、自分のイメージするスイングを意識し続けることから始めなくてはなりません。
今日は、課題確認のためのビデオを撮りましたが、残念ながら設定ミスで撮れていませんでした(みんな、ごめんな!来週もう一回チャレンジします!)。
そして、基本的な練習の繰り返しが大切で、「素振り」が最も効果のある練習の一つだと思います。
武道における「型」の練習だと思ってください。
「型」は単にフォームの習得だけではなく、運動プログラム記憶とネットワークの基礎的構築にあります。
テニスの練習にはこれが日本人には最も合っているのですが、最も少ない練習方法のような気がします。
ドリル練習の時、後ろで待っている時間に「素振り」を行わせますが、真剣に取り組んでいる子はだんだんと良い振りになってきています。
番組の言葉で言えば、「運動神経が良くなってきている」ということです(生理学的な意味での運動神経とは違います)。
体の大きさなどは遺伝的な要因が大きく関係しますが、運動神経は努力しだいで何とかなるということを確認しました。
「努力に勝る天才なし!」ん~、いい言葉だなあ。
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2008年01月27日
強くなるために練習する(1104)
今日のミーティングで「練習は何のためにするのか?」ということについて話をしました。
練習やトレーニングは「何のため」にするのかといえば、自分を磨くためにするという場合もあるかもしれませんが、基本的には試合で勝つため、強くなるためです。
もちろん、「自分」のためです。
しかし、今日の朝の練習では、そのような意識がまったく見られませんでした。
課題練習なので、自分の課題は当たり前のように理解していなくてはなりませんが、その理解が中途半端で、「ただボールを打つ」練習になっています。
ボール出しをする選手も、いい加減な気持ちでボールを出すので、正確に送球できず、集中力も高まりません。
もし、自分の課題を何としてでも克服したいのであれば、ボールを正確に出すように要求したり、自分の練習したいボールを指示したいるするはずですが、そのような様子はまったくありません。
これで強くなれるほど甘くはありません。
それに加えて、ボールをコントロールする技術があまりに低いことにがっかりしました。
あまりにできないので、ターゲットを決めてそこを狙いように指示し、それを繰り返して練習するうちに、だんだんとコントールが良くなってきます。
つまりは、日常的にそういう意識で練習をやっていなかったということです。
技術を磨く、特にコントロールを磨くためには、どのようなボールを出すにしても、ターゲットを決めて、そこに寸分の狂いもなく狙うことができるように訓練しなくてはなりません。
それができなくて、相手の打球を正確にリターンできるはずはありません。
それにすら気付かずに練習をしていたことを大いに反省すべきだと思います。
もちろん、それは私の指導不足であることも認めています。
だから、時間をとってミーティングをしました。
試合で負けると多くの子供たちは泣きます。
なぜ泣くとかといえば、負けて悔しいからであり、それは「負けることが怖い」、という「恐怖心」と戦ったからです。
そう、試合と練習で最も違うことは、恐怖する瞬間があるかどうかなのです。
試合でも、自分よりもはるかに強い相手や弱い相手と戦っても恐怖する瞬間はこないので、泣くような気持ちになることはありません。
勝てる、勝ちたい、という気持ちで戦うとき、こころには負けたくないという「恐怖心」も生まれてくる、だからこそぎりぎりの勝負で負けたとき、時には勝ったときでさえ涙があふれてくるのです。
このような感情は試合でしか「味わう」ことができません。
そのための練習では何をすればよいのか。
「試合と同じ気持ちになって練習しろ!」と言ってみても、それがとても難しいことはわかっています。
しかし、その練習をどれくらい試合と同じ意識に近づけることができるかで「練習の質」は大きく変わってきます。
試合でも恐怖を味わうことができないときは、プレーが雑になる場合が多いものです。
もちろん恐怖がないのでのびのび打てるということはあるでしょうが、コースを狙って打つ、ミスしないように細心の注意を払う、丁寧にしつこくボールを拾う、という感覚が薄くなって雑にプレーすることのほうが多くなります。
そう、つまりは雑なプレーをしないように心がけなければ「勝つための練習」にはなりえないのです。
一生懸命に練習していることは感心するばかりですが、その「練習の質」をどれくらい上げることができるのかが強くなるためにはもっとも大切なことです。
ミーティングの後の練習で、私に積極的にアドバイスを求める選手が何人かいました。
こうした姿勢が自分を変えていきます。
そして、ミスすることを恐れ、ボールを追うことをあきらめる自分を責める、そんな気持ちで練習していれば、きっと強くなります。
それを信じて頑張ってほしいと思います。
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2008年01月26日
思い切る(1103)
ミスを恐れるということと、思い切って打つ、ということは何か矛盾しているように思うかもしれませんが、実は表裏一体のものです。
そもそも思い切るとは、「思い」を「切る」ことであり、その「思い」とは、負けるかも知れないという不安だったり、ミスを恐れる気持ちだったり、親の期待や周りの期待に応えなくてはならないというプレッシャーです。
その圧力に押されて「思い」を切れないと、良いプレーはできませんが、「思い」があってそれを「切る」ことで最高のプレーができるものなのです。
実際、最高のショットは切羽詰った、苦しい場面で思い切ったショットを打ったときに放たれるものです。
つまり、「思い」がないと最高のショットは打てないのですね。
ミスを恐れながら、負けるかもしれないという不安を背負いながら、なんとかそれを振り払って最高のショットを打つ、そんなプレーヤーに多くの人は感動するのではないでしょうか。
多くの子どもたちに、最高のショットを打った瞬間の快感を感じてほしいし、そのショットで感動を生むプレーヤになってほしいと願っています。
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2008年01月25日
全体を見る(1102)
アプライドキネシオロジーという学問では、特定の内臓に何らかのストレスが生じると、特定の筋肉に変化が起きることを内臓筋肉反射といいます。
内臓が精神的なストレスや感情でその状態が大きく変化することは広く知られているので、そう考えると、感情や思考が、筋肉レベルの状態に大きく影響することはある程度は証明されているということです。
そのような関係性を深く探っていくなかで、怒りの感情と腰痛を引き起こす筋肉との関係が大きいことが見出され、それに対するアプローチの方法が試行錯誤の上で確立されてきたのではないかと考えられます。
私が受講した講座でも、感情と筋肉アプローチというものを学びました。
そのアプローチを経験することで、確かに筋バランスは向上し、腰痛などの症状は改善されます。
また、無意識に強縮していた筋肉を、感情のコントロールと筋肉へのアプローチで改善することで、呼吸数は劇的に減少します。
ちなみに私の場合は、普通に楽にした場合で1分間に8回程度、リラクゼーションが進むと1分間に3回くらいの呼吸(身体的なアプローチを加えた場合には1分間に1回の呼吸も経験できました)が楽にできるようになります。
このように、人間はロボットではないので、感情や思考などのメンタルの状態が身体的にも大きな影響を及ぼすので、単に身体的、筋肉的なことに捉われるのではなく、メンタルも含めて全体的にその人の状態を見ようという動きは活発になってきています。
ホリスティック医学のような考え方は、そのような考え方に拠っていますが、共感できることは多いと思います。
テニスの指導でも同じではないでしょうか?
その選手の調子が良い悪い、良いボールが打てる、打てないを単にフォームが悪いと決め付けたり、体力的なことが劣っているからだと短絡的な判断することなく、メンタルや成長も考慮して、全体的にみて判断するよう心がけなくてはならないと思います。
大変難しい問題ですが、これは常にそのことを心がけてことに臨むしかありませんね。
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2008年01月24日
体脂肪率(1101)
今日は新しく入った寮生の歓迎会(?)を兼ねて、焼き肉を食べに行きました。
ダイエットしている私の横で、まあ、その食欲の旺盛なこと・・・びっくりです。
でも、食べることができない選手は強くなることはむつかしいので、ここはその「能力」を褒めてあげようと思います。
と、思っていましたが、そんだけ食べておきながら「太っちゃう!」とか「絶対、やせる!」とか言っているのを聞くと大笑いですね。
きっと、この子たちは、自分たちより私の方が太っているという確信があるので、「やせなきゃ」と思っていながら、「コーチより太らなければいいや」ぐらいの軽い気持ちがあって、旺盛な食欲を止めることができません。
なので、最近買った体脂肪計で体重と体脂肪率を計ってみることにしました。
私は「太る努力」を放棄したおかげで、順調に体重も減り、現在6㎏減に体脂肪率23.3%と、目標通りの数値を示しています。
さてさて、寮生はと言いますと、なんとなんと、全員私よりも高い体脂肪率を示しました。
もちろん、彼らの名誉(?)のために数値は公開しませんが、いやあ、気分爽快ですね。
正直、この結果を予想していたわけではないし、別に競争でもないのですが、うれしい気持ちを抑えられません。
まあ、女の子は、思春期の後半から、だんだんと大人の体に変化してくるので、体脂肪率が上昇するのはある程度やむを得ないと思います。
大切なのは、自分のベストの状態を知り、その状態を維持するために毎日の食事を少しだけ気をつけたり、間食を制限したりする意志をしっかりと持つことです。
みんなで体脂肪率を報告しあって、打ちひしがれている寮生たちに、少し女の子の体の変化について講義もしました。
何年か振りに体育教師になったみたいで、ちょっぴり昔を思い出しました。
そして、ちょっと前の私の写真を見て、「すごく、やせたあ」と感心してくれました。
まだダイエットは始まったばかりなので、自分のベストな状態を把握するところまでは来ていませんが、自分の身体の変化を感じる時、俄然好奇心がわいてきますね。
寮生の子どもたちには、これを機に、自分の身体のことについて理解し、トレーニングや日常生活での訓練について、好奇心を持ちながら取り組んでほしいと思います。
体脂肪率は、高いから、低いから、ということが良いとか悪いということではなく、自分の身体の状態を知るアイテムとして活用できたら良いと思います。
でも、残念ながら、今日の勝負(?)は私の勝ちだ!
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2008年01月23日
スタンダード(1100)
昨日は東海毎日ジュニア愛知県予選のドロー会議でした。
いつものことながら、申し込みの手順をきちんと守っていないとエントリーできず、もちろん出場することもできませんので、大変な緊張を強いるエントリーとなります。
過去にいろいろな試行錯誤があって、厳格なルールを決めて、それを順守できないものについては一切に認めないというのは、そういうルールであれば仕方ないと思いますが、そうしたルールや現行の方式をどうしていくべきかという議論の場がもっとあっても良いのではないでしょうか。
しかし、現実にはなかなかそういう方向には進んではいきません。
今回の会議では、私のところに他府県から転入してきた子のランキング決めで大分時間を使ってしまいました。
その子の愛知県のランキングがないので、他府県や他地域、もしくは全国大会の成績などを参考に決めることになるのですが、それを厳格に規定することはできません。
なので、私のクラブの子との実力などと比較して「だいたいこれくらい」という提案をしても、「通常はそれより低い位置に置いてきた」とか、「上のシードに入れることはむつかしい」というようなことを言われ、通常がどれくらいのことをいうのか、なぜ上のシードに入れることができないのか、という明確な説明もないままに、「これくらい」でランキングが決められました。
確かに難しい仕事だと思います。
全国の地域格差や県格差がどれくらいあるのか、などということは明確には決められないからです。
もし、全国の大会にグレードをつけて、ITFのトーナメントのように、そのグレードごとのポイントによってランキングが決まるようなシステムであればすっきりとしていいかなと思います。
ここでも、なかなか「スタンダード」は通用しません。
いくら世界がそうだといっても、日本は日本独自のシステムに固執し、また県ごとのシステムに固執し、自由度を奪い、子どもたちがトライできる範囲を狭くしているような気がします。
全国大会を目指すのはいいですが、すべての子どもたちができるだけ等しくチャレンジできるシステムは、やはり世界のテニスを参考にするのが「スタンダード」です。
そういうシステムができれば、いつでも他府県の大会にエントリーでき、実力に見合ったグレードで切磋琢磨し、かなり明確に日本国内におけるランキングが規定できると思うのですが、いかかでしょうか。
やっぱり、むつかしいのかなあ?
全国をひとつのシステムに統一して、全国の子どもたちが一斉にその頂点を目指す、なんてとてもかっこいい思うんですが・・・。
前に「お前(の発言)は歴史を知らないから、ちょっとだまっていてください」というようなことを言われました。
歴史の重み、先人の努力は認めます。
でも、やはり子どもたちにとって、より良い環境を作ろうと思えば、できるだけ「スタンダード」に近いシステムを構築しようとする努力が必要ではないのかなと思います。
じゃあ、お前やってみろ!と言われても別に困りません。
そういう仕事を任されるのであれば、いつでも受ける覚悟はあります。
こんなこと言うから迷惑がられるのかなあ???
より良い方向に進むことを期待して、そういう気持を持ち続けていこうと思います。
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2008年01月22日
コーチング(1099)
「コーチ」としてもっとも大切な資質とは何だろう、と考えることがあります。
「コーチ」という言葉は、もともと「馬車」を意味し、「大切な人をその人が望むところまで送り届ける」という意味から派生しているそうです。
そういう「ものの考え方」が「哲学」として「確立」されていなければならない、そう考えます。
同じような言葉に、「ティーチング」というのがありますが、「ティーチング」は、技術やルールを教えること、これまでの経験を「伝える」こと、場面によって礼儀作法を「教える」ことです。
このように何かを「教える・伝える」ことを「ティーチング」とするならば、選手の意思や思いに「触れる・引き出す」ことを「コーチング」として位置づけています。
「コーチング」は指導者にもまだ見えていない新しい領域に踏み込んで行われます(コーチング・クリニック、2008年2月号より)。
ただ「教える」のではなく、ともに進むべき道を試行錯誤しながら進んでいく、というイメージが浮かびます。
このように「コーチング」が目指すのは「自己実現」であり、まさに「個の確立」なのです(同)。
私自身が目指すものは、このような「コーチング」を通した私自身の「自己実現」であり、子どもたちの「自己実現」のサポーターとして信頼を得ることです。
そのために、一番心がけていることは、「子どもたちを信頼する」ということです。
子どもたちの可能性、その能力を信じて、それに向けての子どもたちの懸命の努力を認めることです。
謙虚に自分の能力を認め、得られる結果が満足いくものでなかった時はそれを認め、向上意欲の糧とすることです。
そうした「哲学」にもとづいて、「コーチング」を忍耐強く続けていくことで「何か」が見つかります。
この「何か」が自分の人生を豊かにするもの、まさに「自己実現」の成果だと思っています。
その道のスタートラインに立ったばかりです。
自分の力を信じ、子どもたちの力を信じ、こつこつと進んでいこうと思います。
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2008年01月21日
二重生活(1098)
昨年の6月から寮の管理をするようになってから、約半年ほどが過ぎました。
レッスンが終わったら家に帰って食事をし、お風呂に入って寮に戻ってきて仕事をしてから寝ます(最近は、家に帰れないことも多くなってきました)。
朝、寮生を見送ってから家に帰って、下の娘と朝ごはんを食べて学校に行くのを見送ります。
はじめのころはこの「二重生活」は結構大変でしたが、最近はペースもつかんで、それほど苦ではなくなりました。
私はまったくお酒が飲めないので、家に帰っての晩酌が楽しみだったらちょっとつらいだろうと思いますが、飲めなくて良かったと思っています。
でも、急に生活のパターンが変わって、やはり家族はちょっと戸惑いいますね。
いろいろと考えて、自分が考えるアカデミーを作るためには、どうしても寮が必要だという信念にしたがって思い切って決心しました。
学校の寮を利用する、というのとは違って、自分の力で一から作っていくものなので、それなりにお金もかかるし、子どもたちができるだけ快適にテニスに打ち込める環境を作るためにたくさんの時間を使います。
そもそも寮を作ろうと決めたのは、子どもたちの熱意に押されたというのがもっとも大きな理由ですが、知り合いのFコーチが、自分の教え子を家に下宿させて指導した、という話を聞いたことが最後のひと押しになりました。
さすがに自分の家に下宿させるとなると、以前に近藤大生プロを下宿させてトレーニングの指導を行った経験も踏まえ、家族の理解も深く必要だし、プライバシーのことなどを考えると難しいかなと考え、それならば寮を別に作ってしまえ!、ということになりました。
まあ、簡単にいえば「勢い」ってやつですね。
その時は、寮の管理がこれほど大変だとは思わず、また、このような「二重生活」になるとは考えていませんでしたので、戸惑いは大きかったですね。
でも、子どもたちと生活をするようになって、深く子どもたちのことを考えるようになりました。
今は、もっと多くの子どもたちがここに集い、生活をともにしながら強くなることを本気で目指すことができるような環境を作っていこうと思っています。
いろいろなことがありますが、最後はやっぱり「愛」だなあ、と思います。
子どもたちのことが愛おしいと思う気持ちが原動力になりますね。
多くの子どもたちが、ここで大きな「夢」を見ることができればいいなあと思います。
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2008年01月20日
指導力(1097)
優れた「指導力」を持っている方ほど、自分の「指導力」に対していつも「謙虚」な態度でいます。
子ども達が思うような成果が上げられなかったり、思い通りのプレーができない時には自分の「指導力」のなさを嘆きます。
いつも、そういう態度で接しているから徐々に指導の成果があがってきます。
「それ」を忘れないように教えていきたいと思っています。
ところで、「指導力」と一言で言いますが、「指導力」があるということはどういうことだろうかと良く考えます。
成果が上がることで評価されるべきものであるとは思いますが、そこに至るまでにどういう「力」を発揮すればよいのかは大変気になります。
私が考える「指導力」とは、まずは指導する人としての「雰囲気」がある、ということです。
時間にルーズだったり、服装が不潔だったり、言葉使いがあまりにも乱暴だったり、指導する人間としてふさわしくない態度や行動をできるだけ(このできるだけは、一般的に見てできるだけと評価できるものでなければならないと思います)しないように心がけなければならないと思います。
次に大切なのは、「忍耐力」がある、ということです。
人は何度も失敗します。スポーツでは挫折することの方が多いものです。
思い通りに成長しないことも多く、態度や行動が気に入らないことも日常的にあります。
そうなると指導する気力が失われていきます。
それでも、子ども達がそのスポーツを続ける限り、指導することをあきらめない強い「忍耐力」が必要です。
必要であれば何度でも話をします。
同じアドバイスを繰り返します。
これは「忍耐力」の要る仕事です。
でも、子ども達は自分の言ったことを「覚えていない」と考える方が普通です。
忘れてしまって、同じミスを繰り返すのが当たり前です。
そのことを忘れて、「前にも言っただろう」と思うのは指導者の「エゴ」です。
そして、向上する「意欲」を失わないことです。
テニスの指導に関してはたくさん勉強してきました。
理論派の私としては、できるだけわからないことはないように多くの学問分野の情報を集めるように努力しています。
しかし、それでも分からないことはたくさんあります。
自分の経験や理論では理解できないことにもたくさん遭遇します。
それだけスポーツはむつかしいということですね。
というよりも人間を扱うことがむつかしいということです。
だから、いつでも「知ろうとする意志」を持ち続けなければならないと思います。
興味、関心、好奇心が大切であると書きましたが、これは指導する立場にある人ほど大切なことです。
その気持ちを忘れずに指導していれば、きっと「感動」があります。
その経験が強い指導者に育ててくれると思います。
強い選手を育てたければ、自分自身が強くなるために努力する姿勢を失わないこと、これが一番大切かもしれません。
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2008年01月19日
ランキング1位(1096)
本に関して、面白い(のかどうかわかりませんが)情報を手に入れました。
ヒマだったので、「テニスが強くなりたいあなたに贈る100の法則」で検索してみました。
たくさんの方に紹介していただいていたり、扱っている書店が思っている以上に多かったりと、ちょっと驚きネタもたくさんあります。
その中で、「”強くなりたい” に関連する商品(売れ筋順)」というランキングのページでは、何と「1位」に輝いています。
いったいどれくらいの本がエントリーしているのかわからないので、素直に「1位」を喜んでよいのかどうか微妙なところですが、とにもかくにも「1位」というのは素晴らしいことですね。
ここは素直に喜んでおくことにします。
それで、その後に、書籍(たぶん発刊されている書籍すべて)のうちのランキングが併せて載っていまして、そこでは「売り上げランキング(49458位)」らしいです。
この49458位というのも、一体全体、売れているのか、売れていないのかさっぱりわからないので、喜んでいいやら悲しんでいいやらよく分りません。
でも、第3位にランクされている書籍の売り上げランキングは、218092位なので、少なくとも250000冊くらいは世に出ているということですね。
ひとりで何冊も書いている人もいると思いますが、それでも相当数の作者の方が本を出しているということです。
その中の一人として、エントリーできたということをそれなりに評価したいですね。
実は、この本が売れれば、「続編」も検討されています。
そして、じつはじつは、今回出版した技術編よりも、初めのほうに書いていた「メンタル」(とはまっすぐには言えませんが)に関することの方が、自分なりには気に入っています。
なので、「続編」が出版されることを一番期待しているのは私なのではないでしょうか。
まあ、この本がたくさん売れてくれないと、次、はないので、できるだけ多くの人に読んでもらえるように、背中に背負って行商にでも出るとしますか。
ダイエットにもなってちょうど良いかもしれませんね。
でも、かなりしんどそうだ・・・・。
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2008年01月18日
本を読む(1095)
昨日はなかなか寝付けなくて、続けざまに2冊の本を読みました。
今、関心があるのは「子どもたちのこころ」です。
思春期の子どもたちを預かるので、その心理的な特徴についてよく知っておかなくてはならないと思うからです。
選手育成のコーチは、「トータル・デベロップメント」を意識し、そのための技術や能力を高めなくてはなりません。
単に技術に関することではなく、身体的、メンタル的なケアや進学サポートなど、子どもたちの成長に必要と思うことは何でもコーチの力でできることを目指すということですね。
もちろん、一人でうまくいかない時は信頼できる人に任すということは大切な考え方ですが、まずは自分でできる力を身につけるべく努力する姿勢は必要です。
その中でも「メンタルケア」に関する知識はとても大切になってくると思います。
なかなか一対一で向き合う時間は少ないので、一般論を押し付けてしまうことも多いですし、スポーツの世界で強くなるにはケアに重きを置きすぎてはいけないことも経験的に理解しているので、どうしても投げかける言葉が強くなったり、その子にとって配慮を欠くと感じられることも多いものです。
でも、私はいつでも子どもたちのことを見ています。
その行動や表情、言葉などをできるだけ注意深く見るようにしています。
子どもたちが発する信号をできるだけ的確にキャッチしたいからです。
そのような「感性」を磨いていくためにも、やはり「知識」は必要で、その「知識」を深めるためには本を読み続けることが大切だと考えています。
集中して本を読んでいるときは、あっという間に時間が過ぎていきます。
昨日も気がつくと夜明け近くになっていました。
でも、本を読みながら、その世界に没頭している時間は、まるで違う世界を経験しているようなものなので、心地よさを感じています。
最近、少し本を読むペースが落ちていたので、自分の「感性」が鈍ってきたようにも感じます。
ペースを取り戻すために、思い切って十何冊かの本をインターネットで購入しました。
次はどんな世界に入り込むことができるのか、今から楽しみです。
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2008年01月17日
売れ筋商品(1094)
ある書店のウェブストアにおいて、テニス関連書籍の売れ筋おすすめ商品の第3位に「テニスが強くなりたいあなたに贈る100の法則」がランクされています。
自分の書いた本が売れ筋商品として上位にランクされているのは気持の良いものですね。
これは何度も言ってきていることですが、私は書くことがあまり得意ではありません。
テニスジャーナルに連載を始めたのも、きっかけは「止むを得ず」です。
でも、自分の思いや考えをできるだけ多くの方に伝えていくことが仕事の一つだと考えていたので、訓練のつもりでたくさん書いてきました。
今、こうしてブログを書いているのもその訓練の一つですね。
そうしてつづけてきた訓練が、「本」という形になって、より多くの人に読んでいただけるようになるとは、正直、夢にも思いませんでした。
将来、本にしようとか、形として残そうとか、というようなことは全く考えないで、このブログ「メモリー・ボード」のサブタイトルにもあるように、その時その時に、自分が感じたことや思いをできるだけ素直に書いてきたつもりです。
変に格好をつけずに、自分のスタイルで書き続けてきたことが良かったのかもしれません。
テニスでも一緒ですね。
この試合に勝ちたいとか、全日本に出たいという目標は大切ですが、それに捉われてはいけません。
そのために、「今、何をすべきか」にきちんと気持の焦点を合わせていないと、その結果が得られなかった時のことを想像して不安になったり、焦ったりして自分のすべきことを見失い、調子を落とすことも多いものです。
そんな時は、テレビドラマ「女王の教室」で阿久津真矢先生が言った言葉を思い出します・・・・・。
大切なのは、耐える力や解決する方法を身に付けることです。
人生に不安があるのは当たり前です。
大事なのはそのせいで自信を失ったり、根も葉もないうわさにのったり、人を傷つけたりしないことです。
それより今をもっと見つめなさい。
私たちの周りには美しいものがいっぱいある。
そういう大切なものをしっかり目を開いて見なさい、耳を済まして聞きなさい。
全身で感じなさい。
それが生きているということです。
今しかできないことをしっかりしなさい。
今しかできないことがいっぱいある。
それをちゃんとやらずに将来のことばかり気にするのはやめなさい。
いつまでたっても何にも気づいたりしません。
・・・・・まさにこのことを言いたいのです。
「今をもっと見つめなさい。」、このことを心に刻んで、毎日の生活で実践できる人は、「強い生き方」ができている人だと思います。
「強い」とは「生き方の強さ」を言います。
子どもたちには、テニスを通して「強い生き方」を学んでほしいし、私自身も「強く」生きていきたいと思っています。
そして、それを続けているうちに、何か「形」として残すことができたら良いですね。
そんな「思い」を持ちながら、これからも素直に自分の思いを書いていくつもりです。
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2008年01月16日
記憶する(1093)
テニスに限らず、スポーツの上達においてもっとも大切なことは「思考力」と「想像力」です。
ただやみくもに練習するのと、練習の目的を理解し、注意点やポイントを明確に意識して行う練習とでは、その成果に大きな違いが出ます。
そうして深く考えて行う練習の中からしか「ひらめき」は生まれません。
そして、その「ひらめき」なくしてスポーツで上達すること、強くなることはあり得ないのです。
そのことは今まで何度も言ってきましたが、練習が日常化し、その集中力も低下してくるにつれ、練習の目的も忘れ、徐々に「ただ行う練習」へと移行してしまいます。
そうなると「思考力」や「想像力」を高めることはできず、「ひらめき」は生まれませんね。
それを防ぐには「記憶」する能力を高めることです。
ノートというアイテムを使うのもいいでしょう。
コーチにアドバイスされたことや自分で感じたことを書き留め、強く「記憶」に留めることが大切です。
そうでなくても、「これだ!」と思うことを明確に記憶することができなくては効率の良い練習へと「昇華」させるのは難しいでしょう。
私が指導してきたトップ選手は、例外なく、この「記憶」する能力に長けています。
だから、前回行ったトレーニングや練習の内容、ポイントなどを質問すると、すぐさま答えが返ってくるし、自分の感じたことや意見もきちんと述べることができます。
その内容を全く記憶できていない選手に比べれば、その差は歴然としています。
それが練習の質の差を生み、能力の差を広げ、勝負の行方すら左右することを忘れてはならないと思います。
今日の練習でも、今までやり続けてきた練習ですら、その注意点や大切なポイントを明確に答えることができる選手はいませんでした。
そのまま練習をやり続けていて強くなれるかどうかをしっかりと自問してほしいと思います。
子どもたちには強くなってほしい、そう強く思うので投げかける言葉は厳しいものになります。
そして、何度も何度も忍耐強く繰り返し教えていきます。
それが私の仕事です。
その繰り返しの中で、強く「記憶」できたことで何かが変わっていくことを知っているからです。
面倒な仕事ですが、それを続けていくことで、子どもたちの「思考力」と「想像力」が高まっていけば良いと思います。
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2008年01月15日
強い思い(1092)
昨日は、久しぶりにコーチ会があって、夜遅くまでわいわいと楽しくやってきました。
この仲間たちと過ごす時間が楽しく感じられるのは、みんながコーチとして、指導者として、心底子どもたちのことについて考えている、その深さや方向性に共通することが多いからですね。
彼らは、本当にいつも子どもたちのことを真剣に考えています。
その真摯な態度に魅かれるし、ライバルとして、とても良い刺激を受けています。
だから、話はいつもテニスの指導のことにになります(もちろん、くだらない話も多いのですが・・・特にYコーチは)。
そして、いつも一致することは、コーチという仕事は大変難しいけれど、とても魅力のある素晴らしい仕事だということです。
子どもたちのことを深く考えれば考えるほど、その仕事は難しいものになりますが、その努力の分だけ見返りがあるとも限りません。
それでも、いつでも深く子どもたちのことを考えることができるコーチが、「本物のコーチ」になっていくのだと思います。
コーチの仕事について、以前、こんな事を書きました・・・・・・。
コーチとして「考えさせられるとき」は大変多いものです。
とくに試合に負けたときに何を考えるのかは、自分自身の成長のためにとても大切な時間だと思います。
他のコーチの子どもたちに対する振る舞いについても考えさせられるときがあります。
私がそのとき何を考えるのかについて、文章としてまとめてみよう思ったですが、うまくまとめることができないので、思うがままに箇条書きにしてみます。
・本当にその戦い方を評価できているのか。
・戦うまでに何を指導してきたのか。
・自分の思いを伝えることが出来たのか。
・本当に勝ち負けにこだわっていない自分がいるのか。
・負けたことから学ぶことはたくさんある。
・次に立ち向かうために何が必要なのかを発見できたのか。
・涙するわけをきちんと聞いているのか。
・負けたくないと思って戦ったのに「なぜ負けた!」はないだろう。
・メンタルタフネスはコーチが上だ!何があっても負けない。
・ともに戦うコーチでありたい。
・涙するコーチでありたい。
・夢を語るコーチでありたい。
コーチはいつも戦っています。
一人の選手を育てるには、いくつもの困難があります。
それを乗り越えるための「勇気」と「信念」を持って戦うことができるコーチだけが本物です。
コーチが、試合前や試合後に選手かける言葉は大変「重い」です。
その言葉によって、やる気が出たり、次の目標に向かう勇気を持つことができますが、反対に負けたことにとらわれて自信を失ったり、やる気が失せたりもします。
どのような言葉が良いのかはわかりません。
強くなってほしいと思う気持ちが強ければ、自然と勇気を与えるような言葉が出てくると思います。
「強く思う」こと、やはりこれが大切です。
・・・・・・彼らと過ごす時間が楽しいのは、この「思い」がとても「深い」からですね。
これからもお互いにその気持ちを失わないように、自分のできることを精一杯やっていくつもりです。
とても良い仲間に巡り合うことができた、本当にそう思います。
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2008年01月14日
自分の人生(1091)
昨日は「新年会」でした。
いつ頃から始まったのかは定かではありませんが、高校生を家に招待したり、ボーリングに行ったりすることから始まりました。
まあ、子どもたちとわいわいするのは楽しいので、それなりに楽しみにはしていますが、高校3年生はもうすぐ卒業してクラブから離れていく子も多いので、ちょっぴりさみしい気もします。
昨日も食事をしながら、「コーチも人が離れていくのはさみしいでしょ?」と聞かれました。
もちろん、さみしいに決まっています。
でも、コーチという職業は、何年もの間、長い時間にわたって子どもたちと過ごす時間があります。
高校の先生で、クラブの顧問をやっているとすると、実際に子どもたちと接する時間は2年とちょっとということになりますね。
その短い期間の中で、子どもたちと強く結ばれて、時間を共有することは難しいと思います。
そういう意味では、コーチは、子どもたちの人生に深くかかわることもある素晴らしい職業だと思っています。
その分、人間関係に気を使ったり、うまく導いてあげられなかった時にはひどく落ち込んだり、時には傷つけてしまうことあるかもしれない、ちょっと難しい仕事かもしれません。
だからこそ、子どもたちが笑顔で巣立っていくとき、とてもうれしい気持ちになります。
子どもたちが、「コーチが死んだら、いっぱい人が集まるね。」と言ってくれる時、ちょっとうれしい気持ちになります。
でも、子どもたちは「自分の人生」を歩んでいます。
いずれ私のことも忘れて、多くの人たちとの関係の中で懸命に生きていくんだなあ、としみじみと考えたりします。
そんな「子どもたちの未来」を想像しながら、一緒に食事をするというのは楽しいものですよ。
でもなあ、もうちょっと食事のマナーは覚えたほうがいいぞ!МとD!
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2008年01月13日
戦友(1090)
何年か振りに高校時代の友人に会いました。
友人は、ちょっぴり老けたなあとは思いますが(それは私も同じか・・・)、会って話をしていると時は過ぎたことを忘れてしまいますね。
それは、「思い」が強いからです。
私たちの高校時代の時の状況と友人たちとの関わりについて、以前こんなことを書きました。
**************************************
私たちの時代のクラブ活動について話をしよう。
岡本浩一(「無責任の構造」PHP新書)は、「すぐに過去の話を持ち出して、それを栄光の業績であるかのように語るのは、権威的傾向の強い人である」というが、勝負に弱い日本人が増えてきたのは、<スポーツの苦しみ>について語らなくなったことが原因のひとつであると考えるので、あえて批判を覚悟で述べてみたい。
ひと昔前のクラブ活動は、理不尽極まりないことがまかり通っていた(一部のクラブは今もそうであろう)。
3年天皇、2年人間、1年畜生という言葉ができるくらい、1年生は1年間の過酷な試練に耐えなければクラブ活動を続けることさえできないのだ。
私が高校でテニスを始めたときは、入部希望者はざっと40名くらい(実際は一日で辞める部員もいるので、もっと多いはずである)。
それが、8月の合宿を終えるころには6、7人に激減する。
練習中の飲水はもちろん禁止、一日中ボール拾いに追われ、何百回と繰り返される素振りに耐え(当時は、ラケットカバーをつけて素振りをするのが主流(?)であった)、非合理的で理不尽なトレーニング(両手両足を縛られて、学校から先輩の乗るバスのバス停までピョンピョン跳びながら見送りに行かされるなど-ええ加減にせえよ!)に歯を食いしばり、やっと日没近くなって5分程度の練習が許されるという状況では、辞めていくのは無理もない。
では、辞めずに生き残った者は、なぜそのような過酷な状況に耐えることができたのであろうか。
東山紘久(同)は「人間がピンチに出会ったとき、悩むことが飛躍につながる人と、そのままなかなか立ち直れずに、より深刻な問題に落ち込んでいく人との違いは、サポーターがいるかいないかが大きな分かれ目になる。」と述べている。
私の場合は仲間の存在が大きかった。
ともに励ましあい、競い合う仲間がいなければ辞めていただろう。
本当に良い友人たちに恵まれた。
私は、もちろん戦争を経験していないので大きなことは言えないが、これを<戦友意識>と呼びたい。
過酷な状況では、友情はより強く結ばれる(もちろん、逆に反感や憎悪が大きくなる場合があることは知っている)。
そして、くじけそうになるとき、強く結ばれた友情が何よりも助けになるのだ。
彼らは今でも私の大きな支えである。
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ということである。
今の子どもたちは深く結ばれる友情を知らないのかもしれない。
ともに戦い、ともに涙する感情を共有できないかもしれない。
でも、少なくとも私のクラブで練習する子どもたちには、深い友情で結ばれた友人との出会いを経験してほしいと思う。
友人とはなかなか会う機会もなく、それぞれにまったく異なる仕事についているので、今の状況について話が合うわけではないが、深く結ばれた絆は決して解けはしない、そんな気持ちの良い時間を過ごしました。
次会った時も、きっと同じように昔の話をするのでしょうが、私たちには、それは今まさに「その時」を生きているような感覚ですね。
でも、1年生に戻るのは勘弁だなあ・・・。
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2008年01月12日
パートナー (1089)
コーチを信頼することができなくなることで、パフォーマンスの低下を招くことがあります。
単純に練習量だけを多くすれば強くなるというわけではありません。
「このまま練習していて本当に強くなるのか?」
「つらい練習をしていても強くなれない」
「自分に自信がもてない」
など、多くの選手は不安を抱えています。
コーチの役割は、技術を教えたり、練習の環境を整えるだけではありません。
選手のこころの不安を打ち消すことができるように、強い信頼関係やパートナーシップを築くことができるかどうかで能力が評価されるのです。
私が出会った優秀なコーチたちは、選手が強くなれることを信じて疑いません。
また、その手法についても確固たる自信を持っています。
そのような自信に満ち溢れた態度や振る舞いを見ると、選手は安心できるので良好な信頼関係を築くことができます。
クラブ内での友人関係やコーチに対する信頼感の希薄さが原因で、パフォーマンスの向上が見られないケースをよく目にします。
もし、今のコーチに対して信頼できないと感じるならば、大変勇気がいる決断ですが、「環境を変えること」は能力の向上には大変重要な決断です。
また、コーチは自分が提供できる情報や環境がすべての選手にあっているかどうかをチェックして、よりよい環境が準備できるよう最善の努力をしなければならないと思います。
そんなコーチを目指しています。
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2008年01月11日
「続ける」理由(1088)
コラムで何度も「続ける」という言葉が出てきましたが、「続ける」ためにはエネルギーが必要なわけで、代価を得るとか、好きだ!、という一般的な理由以外にも何らかの理由がなければ「続ける」ことは難しいものです。
私がこうした仕事を「続けて」いられるのにもやはり理由はあります。
それは、「小さな感動や喜びを見つける」ということです。
人を相手にする仕事というのは、これで全てが上手く行く、という定型的なパターンが成り立たない場合も多いので、その点はわずらわしいと思うこともあります。
それ以上に、「おっ、こいついつのまにこんなに上手くなったんだ」とか、「こんなにしんどい練習なのに良くがんばれるなあ」とか、「負けて悔しくて泣くのはしょうがないよな。それだけ一生懸命に練習した証拠だよ」など、子どもたちが見せてくれる日常の中に感動が詰まっていて、それを発見できる喜びを感じることができるから「続けて」いられる、ということなのです。
そうした喜びを見出すことで「自分が存在している理由」を確認できるということでもあります。
人間は、常に「自分とは何か」を探し続けている、と言われます。
哲学の世界でも「自分の発見」は大きなテーマです。
私はそんなに大きな命題にチャレンジしているのではないですが、「小さな感動」を覚えたとき、やはり自分がそこにいる喜びを感じます。
これからも、きっと小さな喜びを感じつつ「続けて」いくことでしょう。
そのためにはこだわりを持ちつつ、その時に最善と思う方法を大胆に試し、改革を行う勇気を持ち続けることも大切だと考えます。
ある一流企業のトップが「改革こそが継続の鍵だ!」ということを言っていましたが、「続ける」ためには常にチャレンジし、その中でより良いものを求めていく姿勢を失ってはならないということでしょう。
小さな喜びを発見しつつ、チャレンジャーでいることを銘にこれからもがんばっていこうと思っています。
でも、あんまり寒いと外でのレッスンはつらいなあ….。早く春にならないかな…。
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2008年01月10日
柔軟になる(1087)
子どもたちの成長を見ると、「なぜ子どもたちは早く上手くなるのかな?」ということをよく考えます。
もちろん、成長しているので、体が大きくしっかりしてきて、ラケットを十分にスイングできることはそうでしょうが、では短期間で急激に上手くなることがあるのはなぜでしょうか。
最近の練習でも、ちょっとの間に急にうまくなっているのを見てびっくりしました。
私が考えるのには、それは、身体も心も「柔軟」だからです。
大人のように既成概念や過去の経験に縛られていない子どもたちは、「ただ好きだからがんばる」、「たくさんボールを打ちたいからあきらめない」など、単純な発想で練習に臨むので、体もこわばらず、夢中になっているので、柔軟に対応することができ、その中で「コツ」をつかんでいくものです。
ということは、成長するには「柔軟に」、「自由に」、「楽に」、「楽しく」など、テニスのことであれば何にでも「心地よい」と感じる感性を持ち続けることが大切であることを教えてくれます。
私は、よく色々なところに講習に出かけます。
その中で話をするのも「柔軟になる」ということです。
体も心も柔軟にゆるんでいれば、感情的に自分を見失うことも、身体の機能を低下させることも少ない、というようなことを言います。
子どもたちは、これから徐々にその柔軟性を失うことが多くなります。
そんなときこの話を思い出して、いつまでも素直に「テニスが好きだ!だからがんばる!」と大きな声で言えるようになってほしいを思います。
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2008年01月09日
心構え(1086)
フェド杯監督の植田さんより、年賀メールとして以下のような文を送っていただきました。
1961年J.F.ケネディー大統領が「我が国は60年代末までに人類を月面着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標の達成に取り組むべきと考えている」と演説をした。
当時の宇宙開発はソ連の技術がはるかに進んでいた。そんな絶望的な中、期限を決めて先に人類を月面に着陸させた。
その時の技術レベルなどほとんど問題にならない。
月面着陸は、私たちの「心構え」が変わったことによって現実となった。
つまり、私たちの「心構え」が「能力」をしのいだ時、不可能を可能にする「突破力」が生まれる。
毎日の「心構え」がどれだけ大切かということを、あらためて痛感したしだいです。
ということです。
ありがとうございます。
毎日の「心構え」、私が言うところの「生活力」と根本的には同じことですね。
前に、こんな文章を読んだことがあります。
一日のボランティア活動を一生懸命やることは、その気になれば誰でも出来ます。
しかし、毎日決まったことをやり通すことは、それ自体が自分の「生活」となっていなければなない、という点で大変難しいものになる。
というような内容でした。
ある一日を頑張ることはできても、毎日の決まった練習を頑張り「続ける」ことは、それが「当たり前」であって、特別意識していなくてもできるという「身体意識」を備えていなくてはなりません。
それが本当の「強さ」です。
昨日から佐賀の廣田選手がトレーニングに来ています。
今年の全国大会で優勝を狙う意気込みがとても強く感じられます。
彼がこう言いました。
「最近トレーニングが楽しんです。特に厳しいレジストのトレーニングをした後の練習で、自分の身体感覚が変わっていることを感じることができます。これを続ければきっと成果が出ると確信できるんです。」
そんなようなことを言いました(いつもながらはっきりと記憶できないのは情けないですが、明日、彼に確認してみます。ぽりぽり・・・・)。
とても力強い言葉ですね。
彼のトレーニングが「日常化」、「生活化」していることは、私の目から見れば一目瞭然に分かります。
本当の「強さ」を身につけてきたなあ、と感じることができてとてもうれしく思います。
私がトレーニングの指導で目指すのは、こうした「身体意識」の構築です。
単なる気持ちの問題ではなく、それが身体に刻まれ、当たり前のように行動できる「意識の構造」のことです。
ちょっと難しい表現ですが、食事をしておいしいと感じるのと同じように、トレーニングをして、体を動かして、その感覚の違いを感じてうれしく思うような気持であり、それが毎日のように続いていくのが当たり前であるという意識です。
こうした「心構え」ができれば、強くなるに決まっています。
多くの子どもたちが「強さ」を身につけてくれるといいなあと思います。
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2008年01月08日
生活力、再び(1085)
人間は怠惰な生き物です。
基本的に、面倒くさいことをやるのは嫌いなはずです。
では、そういう面倒くさいことをやれる人間と、結局は放ってしまう人間とは何が違うんでしょうか。
簡単に言ってしまえば、「ものの考え方」が違うということです。
面倒くさくても、何とか時間とか気持ちとかの折り合いをつけて仕事を片付けることができる人間は、「どうせやるんだったら今やっておくか」とか、「これが終わると気持ちいいんだろうな」とか、前向きにものを考えることができます。
そうじゃない人は、言い訳ばかりと考えて時間を浪費するので、後で今やる以上の時間をかけなくては仕事を終えることはできません。
だから結局やらない時も多いものです。
この差は大きいですね。
このような前向きな「ものの考え方」ができている人は、「生活力」も高い人が多いです。
「生活力」が高いとは、結局、今自分がやることは何かを的確に判断して、時間をうまく使って、できるだけ無駄のないように過ごしている人のことです。
この「力」が強いと、試合における状況判断は格段に良くなります。
だから、私は「生活」のことをうるさく言います。
多くの子どもたちは、頭では理解しているはずですが、怠惰な本能に「思考力」や「判断力」を奪われてしまっている場合が多いように思います。
いいですか、強さは「生活」から生まれます。
常に今自分がすべきことは何かを考えて行動してください。
思ったら行動する「習慣」を付けてください。
いつもいつもは難しいかもしれません。実際に、私も完璧にできているわけではありません。
でも、7割を目指してください。
がんばって、がんばって、時々さぼるぐらいがちょうどいいですね。
それができれば「強さ」を手に入れるのも時間の問題です。
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2008年01月07日
チャレンジ(1084)
チャレンジし続けることで人間は強くなります。
これは当たり前のことなんですが、チャレンジするには、やはり相当の勇気がいったりもするので、なかなかそうはいかないことが多いものです。
それでも、コーチとして、子どもたちにどうしても強くなってほしいと思うので、「チャレンジしろ!」と言い続けます。
で、ふと我れにかえってみて、自分自身は何かにチャレンジしているのかな、と考えました。
まあ、アカデミーを作るために、寮を作ったり、遠征に出たり、とそれなりにはやってはいますが、全然別の分野でもチャンレジしておかなくては示しがつかんぞ、と思ってしまったわけですね。
そこで、何をしたのかというと、ホームページのコンテストに応募しました。パチパチパチ・・・。
新しく作ったホームページを作るために購入したソフトを作っている会社が、その出来栄えを評価するコンテストを実施しています。
何かチャレンジするなら、これがいいかな、と簡単な気持ちで応募しました。
簡単な、と書きましたが、応募するには少々戸惑いや、照れくささ、ちょっぴり恥ずかしい気持ちもありました。
所詮は素人が作ったサイトなので、プロから見ればちんけなものかもしれませんが、そういう人たちの目から見て、何か足りないものがあれば、それは次につながるので、少々照れくさいですが、チャレンジすることにしました。
よく、自分が取り組んでいることを人に見せないようにする美学を持っている人がいます。
プロゴルファーで、今年の賞金女王になった上田桃子選手はそんな選手だと伝えられています。
でも、基本的には、やっていることを人に見せたほうが、いろいろな意見も聞けるので、その方が有利なことが多いような気がします。
これは、「海外なんかに試合に行かないで、日本で練習していればいいんだ!」という理屈と似ていますね。
外にチャレンジすることは、大きな勇気がいったり、その後にプレッシャーが大きくなったりと、人が成長できるチャンスは間違いなく大きくなります。
それを、チャレンジもしないで、ただ祈るようなことではステップアップできないと考えます。
なので、これからも「チャレンジしろ!」と言い続けます。
もちろん、私もチャレンジし続けます。
それがどんなチャレンジであるにしろ、それは間違いなく自分にとって成長の糧となることを疑わないからです。
今日から新学期の人も多いかと思いますが、何か心に期するものを持って、チャレンジできるといいと思います。
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2008年01月06日
ガイド(1083)
昨日は、下の娘と甥っ子、姪っ子を連れてモリコロパーク(愛知万博の跡地に作った公園です)にアイススケートをしに行ってきました。
さすがに冬休みも最後となって、大勢の人で賑わっていましたが、思いのほか寒くはなく、快適に遊ぶことができました。
初めてスケートを滑る甥っ子は、おっかなぶっくりで進みますが、怖いもの知らずの姪っ子は、何度も転びながらも果敢に進んでいきます。
そうしていううちに、ふっと気がつくと一人で勝手に滑れるようになっていました。
子どもの「対応力」には驚かされますね。
2時間ほどノンストップで滑り続けてちょっと疲れたので、ベンチで休んでリンクの様子を見ていました。
中ではたくさんの子どもたちが滑っていますが、姪っ子のように転んでも転んでもめげずにチャレンジする子どもはあっという間にうまくなっていきます。
一方、小学校の高学年の子でしょうか、一生懸命にお母さんが教えています。
右足がどうとか、姿勢がどうとか、あまりスケートがうまくなさそうなお母さんがちょっとヒステリックに教えています。
子どもは、言われるたびにミスを恐れるようにちょっと身体がこわばるようにも見えます。
やはり上達は遅いですね。
スポーツの上達には、こうした「ガイド」は大切ですが、一方的な「ガイド」はマイナスであることも多いものです。
一番大切なことは、「ガイド」するには必ず2つの選択肢を与えることです。
ひとつは「必要とされた時にきちんと教える」ということです。
コーチは、選手の上達にどうしても必要だと思うことについては、選手自身よりも深く知っておかなくてはなりません。
それを「求められた時」にはきちんと答えることができなくては、指導者としての価値がないとも言えます。
しかし、その力を発揮するのは、あくまでも「求めらた時」にあるということです。
もう一つの選択肢は、「すべては自分で考える」という選択です。
「ガイド」はいつでも必要というものではありません。
一番大切なのは、「自分で考える」という基本的な姿勢ですね。
私は常々、スポーツで一番大切なことは「思考力」と「想像力」だと言っていることと同じです。
まずは「自分で考え」て、いろいろと試行錯誤し、どうしても分からなければ「聞く」ということを基本的なものの考え方として持っていなくてはならないということですね。
その基本姿勢を奪ってしまうように「ガイド」するのは、マイナスになるということを知っていなくてはなりません。
選手よりも深くその技術について知っているので、どうしても「教えたく」なってしまいますが、その気持ちをぐっと抑えて見守ることが指導者には大切ですね。
室伏先生の言葉を再び思い出してみると、
「言うことではなく、見る、ことこそ指導者の役目なのです。思ったことを未消化のまま言うことはあってはならない。技術は、日によって、時間によって、ハンマーにおいては一本一本変わるのかもしれない。それくらい繊細なものの中で安定を築くのです。しっかり見極めねばならないのです。しかし、静観とは見るだけではない。見て、チャンスを待つという意味です。仮に選手が間違った動きをしていても、それが後にどういう形で技術に効いてくるのか、これは瞬時にダメだと判断できないからです。何を、いつ言うのか、そのタイミングを待つ。 」
ということです。
この姿勢だけは忘れないように指導していきたいと思います。
そこの教えすぎるお母さん、それでは子どもは伸び伸びとその力を伸ばせませんよ。
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2008年01月05日
日々育てる(1082)
1月2日にホームページをリニューアルしましたが、もう見ていただけましたか?
以前のサイトはスクロールが多かったり、ページの移動が煩雑だったりして、ちょっと分かりにくいという指摘も多かったので、思い切ってリニューアルしました。
作って、公開するまでは勢いでだけで勝負していましたが(まあ、それはそれで大変ではありますが)、本当に大変なのは公開してから細かい所を修正していく作業です。
昔、自分で分析用のプログラムを作っていた時もそうですが、何度も何度もデータを打ち込んではバグ(今もこの言葉をつかんですかねえ)を修正するという作業を延々と繰り返していたのを思い出します。
特に分析用のプログラムは、ちょっとでも間違っていると信頼性に関わるので、まさに必死の思いで修正していました。
ホームページも同じですね。
作り始めて公開する段階までは、作成用のソフトがだんだんと手に馴染んで、いろいろなことを試したりして、好奇心や興味も高いので、ゲーム感覚で、寝なくても頑張って作れます(徹夜はちょとつらいです・・・)。
しかし、一旦公開してからの修正は、そういった目新しい感激のようなものがあまりないので、地道に、こつこつと頑張るしかないんですね。
多くの方には目に留まらないだろうと思えるような文章の修正や、ちょっとした配置や構成を変えることなどをかなりまめにやっていかなくてはなりません。
そういった日々育てていくというような感覚がなければ、良いサイトには成長していきません。
よく何日も何年も更新していないサイトを見かけますが、これだといくら初めにきばって作ったとしても、決して良いサイトには育ってはいかないですね。
私は、できるだけ多くの方に自分の思いや情報を伝えていくのが仕事の一つだと思っていますので、そういう日々の積み重ねを大事にしたいと思っています。
そういうことを大事にしていくと、なかなか顔を合わすことができない人や、時間をとって話を聞いてあげられない子どもたちにも少しは役立つのかな?
今回のリニューアルもできるだけ多くの方に見ていただいて、いろいろと細かなところも指摘してもらえたらいいなあと思っています。
テニスの上達には、毎日毎日の積み重ねと修正が必要なように、どんなことでも日々育てる、日々成長することを何よりも大切しなければいけませんね。
こつこつとがんばります。
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2008年01月04日
前に進み続ける(1081)
今日は娘二人と映画を見に行ってきました。
年が7つも離れている娘たちなので、なかなか一緒に見る映画なんていうのはないものですが、今日はディズニーの「ルイスと未来泥棒」という映画でした。
ディズニーやジブリは大人も楽しめるアニメなどを作るので、いつまでも人気があるのはわかるような気がします。
まあ、ジブリはちょっとむつかしい内容もあるので、小さい子どもには向いてないものもありますね。
私は、個人的には「トトロ」が大好きです。
挿入歌の「歩こう歩こう」は、私にもっとも元気をくれる歌の一つですね。
話がそれましたが、映画はそれなりに良く作られていて面白い映画でしたよ。
また、「ミスターインクレディブル」ファンの私にとっては、このCGアニメの表情が大好きなので、ポケモン映画では必ず爆睡する私も最後までしっかり見届けることができました。
そして、映画の最後にウォールト・ディズニーの名言がテロップされるのですが、それは、
「前に進み続けることが何よりも大切だ。好奇心を持って進み続けなさい。」
というような内容でした(正確な内容は覚えきれませんでした。とほほ・・・)
今年のスローガンに「前へ」を掲げてる私にとっては、ここで偉大な業績を残した先人の言葉に出会えたことを単なる偶然とは思えませんでした。
私は、ある人に「お前はマグロだ。止まると死んでしまうから、死ぬまで泳ぎ続けなくてなはらない。」と言われたことがあります。
その時も今も、常にそういう気持でいることは間違いないですね。
何かを成そうと思えば、前に進み続けるしかないんですね。
立ち止まったり、振り返ることはあっても、その歩みを止めてはいけません。
今年は、その意志を自分自身で確認するために「前へ」をスローガンとしたので、この言葉はすっと胸に入ります。
そして、やはり、そのエネルギーは、「好奇心」ですね。
前はちっとも見えませんが、その向こうには何があるんだろうと、「好奇心」に動かされて前に進みます。
そういう意味では、私は人一倍「好奇心」が強いほうです。
何があるんだろう、とわくわくするような「好奇心」に動かされる時、人はその進む道の困難を忘れます。
そして、気がつくと「強さ」を手に入れているものなのかもしれません。
なんだかちょっとエネルギーが増えました。
ウォールト・ディズニーさん、ありがとうございます。
前に進み続けますよ。見ていてくださいね。
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2008年01月03日
リニューアル(1080)
ホームページをリニューアルしました。
以前のサイトはわかりにくい、ということをよく言われていたので、もう少し見やすいサイトを作ろうと思ったからです。
でも、なかなか腰を据えて作る時間がなくて、しばらく放っておきました。
しかし、なんとか元旦に間に合わそうと年末のヤングスターカップが始まったことから作り始めて、1週間ほどほとんど寝ないで懸命に作りました。
ページ数が21ページにもなる大きなサイトなので、リンクのチェックなどにも時間を割きましたが、まずまず見やすいサイトになったのではないかと思います。
大掃除と一緒で、やっているときはなかなかに苦しいものがありますが、出来上がってしまうと爽快感のようなものがありますね。
また何年か後には新しく作り直すかもしれませんが、しばらくはこのサイトがメインになります。
多くの方が訪れてくれればよいと思います。
ああ、しんどかった。
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2008年01月02日
13回忌(1079)
今日は親父の13回忌でした。
なんで13年経って故人を偲ぶのか、なんて理由もわからずにただお経をじっと聞いていました(ん~、足が痛い)。
親父が死んでから、もう13年も経つのか、という感慨のようなものはありますが、生前の故人のことについて親族であれやこれや話をするということもほとんどなく、久しぶりに集まった甥っ子や姪っ子をからかって遊んでいました。
親父が死んでからの13年は(実際には12年だと思いますが)、自分なりに懸命に仕事をしてきたように思うので、もし、親父が生きていたらなんて思うのかな、などとは少しは考えます。
時の経つのはとっても早いものですね。
親父がいくつの時に死んだのかははっきりとは覚えていませんが、60の前半だったように思います。
もし、私がその年齢で逝くと考えると、もう15年くらいしかないことになりますね。
よく、「自分が死ぬことなんか考えるんじゃない!」などと言われますが、自分が死ぬことをはっきりと自覚して「今」を生きるほうが良いと思います。
人生を生きるのは苦しいことのほうが多いものです。
自分の思うままに生きてきた私にも苦しいことは多かったと思います。
そんな時は、「いつ死ぬからわかんないだから、今やれることをやりきれ」と自分自身に叱咤激励をしながら生きてきたように思います。
あとどれくらい生きられるのかなんてことは、誰にも分るものではありません。
だからこそ、今を精いっぱ生きる、そんな気持ちだけはしっかりと持って生きていこうと思います。
そういう意味では、これからの人生のほうが、その自覚がはっきりと持てるので、壁の乗り切り方もうまくなって行くんだろうなと思います。
自分の人生です。
悔いのないように生きていきたいものです。
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2008年01月01日
前へ(1078)
一年の計は元旦にあり、ということで、今日は今年の目標を立てた人も多いのではないでしょうか。
私もしっかりと目標を立てました。
ひとつは、ダイエットですね。
昨年末から始めたダイエットは、今のところ順調に進んでいます。
2週間で4kg減なのでまずまずの成果ではないでしょうか。
この正月のおせち料理攻勢に対抗するのはなかなか難しいので、できるだけこの期間は現状維持を心がけたいと思っています。
でも、今までの感覚と違って、今回は「心に期する」ものがはっきりと自覚できるので、ちょっぴり自信があります。
体重計も買ったので、毎日の記録を楽しみに頑張ってみようと思います。
もうひとつは、「前へ」です。
昨年は、いろいろなことにチャレンジをした年でもありましたが、まだまだ試行錯誤が続いて、はっきりと進むべき道が見えてこないような感じもします。
こんな時にひとは迷うんですね。
でも、そこからもう一歩前に進むことができれば、きっと新しい展開が現れてきます。
「前へ」は、今年は、そんな年にしたいという願いですね。
そして、周りの人からも、「前に」進んでいるエネルギーのようなものを感じてもらうことができるように、力の限り進むということです。
振り向きながらでも、立ち止まらずに前に進むことが一年を通してできた時、きっと何かが見えてきます。
今年は、そんな年にします。
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