2007年07月30日
枠からはみ出せ(956)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -32-
多くの人間は、「自己を徹底的に否定されないような、枠を持とうとする」(福田和也「悪の恋愛術」講談社現代新書)。
上の世界で戦うこと、今まで以上にレベルの高い大会で戦うことは、今までの自分が完全に否定されるかもしれない。
弱い選手は負けても(否定されても)言い訳できるように仲間とつるんだり、練習を怠けたりするものだ。
「自分は目いっぱいやっていないのだから」という言い訳(枠)の中で、「だからもう少しがんばればきっと勝てるさ」という幻想を持とうとする。
周恩来は「破壊なくして真の建設はない」と言った。
これは政治的スローガンかもしれないが、今までの枠を打ち破り、真のチャレンジャーとして上の世界を目指すものが強くなるのだ。
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多くの人間は、「自己を徹底的に否定されないような、枠を持とうとする」(福田和也「悪の恋愛術」講談社現代新書)。
上の世界で戦うこと、今まで以上にレベルの高い大会で戦うことは、今までの自分が完全に否定されるかもしれない。
弱い選手は負けても(否定されても)言い訳できるように仲間とつるんだり、練習を怠けたりするものだ。
「自分は目いっぱいやっていないのだから」という言い訳(枠)の中で、「だからもう少しがんばればきっと勝てるさ」という幻想を持とうとする。
周恩来は「破壊なくして真の建設はない」と言った。
これは政治的スローガンかもしれないが、今までの枠を打ち破り、真のチャレンジャーとして上の世界を目指すものが強くなるのだ。
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2007年07月29日
焼肉(955)
今日は約束の焼肉を食べに行きました。
なぜ?おごりなのか?とちょっと疑問に思いますが、一度約束したことを果たさないというのは尊ばれるべき大人の行為ではないので、約束通りのおごりです。
まあ、ついでにこの夏でジュニアを引退する子ども達のお疲れさん会も兼ねることができたので、結果としては良かったかなと思います。
しかし、まあ、食べること、食べること・・・・。
自分が高校生のころのことを思い出せば、それ以上に食べていたので何とも言えませんが、久しぶりに若い連中の食欲を目の当たりにしてちょっとびっくりです。
でも、食べ方がちょっと美しくないのが気になりますね。
食事の順番もむちゃくちゃで、ちょっと信じられません。
食事の最中にアイスを食べ、デザートを食べたあとに再び焼肉を食べるというのはどうかと思いますね。
食欲旺盛は結構なことですが、正しい食事の仕方はある程度は意識した方が良いと思います。
中国では医食同源という言葉あります。
食事をするということは、それすなわち健康の源であり、予防医学的な見地からもっとも大切な行為だということです。
そういう意味から言えばちょっと問題があるということですが、たくさん食べることができない子どもがたくさんいる中で、とにかくも量は食べることができる、ということを評価してあげたいと思います。
夏はたくさん試合があって、ぎりぎりの勝負が続く時、最後の最後は「体力」が勝負になります。
そういう戦いになった時にあわてて何かをしても遅いわけで、そのために今から「食べる」訓練をしておいた方が良いと思います。
まだまだ夏は始まったばかり。しっかり食べて、元気に暑い夏を乗り切ってほしいですね。
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2007年07月28日
上の世界でもまれろ(954)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -31-
ジュニア選手にどれくらい強くなりたいのかと聞くと、「国際レベルで戦える選手」とか「全国でもトップクラスの選手」、「全日本チャンピオン」などと答える選手も多い。
しかし、そう言っていても、地域大会などで戦っているときは、チャンピオンとしてそれなりの風格を持って堂々と戦うことができる選手が、目標としているはずの全国大会にくると、その感じられた風格は消え去り、おどおどとした落ち着きのない態度を見せることは多い。
自分がチャンピオンでいられる場所から、いちチャレンジャーにならなければならない場所に来ると、自分自身のコントロールを失ってしまうのだ。
役者で言えば舞台慣れしていないということになる。これは誰にもあることだ。
強くなる選手は、場所が変わってもとるべき行動にそれほど大きな差はない(といっても、その場所、ステージが上がればそれになりに行動パターンは違ってくる)。
自分がその舞台にいることに慣れ、その舞台で自分自身をうまく表現するためにはやはり場数がいるのだ。
斎藤孝(「「できる人」はどこがちがうのか」ちくま新書)は、「未熟な頃から上手な人に交じって、謗られ笑われても恥ずかしがらずに平気で通して稽古する人は、生まれつきの素質がなくても、自分勝手なことをしないで長年稽古を積んでいけば、最終的に上手の境地に達して世間に並ぶものなき名声を得る」という「徒然草」の文を紹介している。
もちろん、最終的にはイチローのように、舞台が大きくなっても自分のすべきことは同じであると言い切って、なおかつその通りに行動できるようになることが目標かもしれないが、まずは、怖がらずに自分の居場所のあるところから、まったくないところに立つ訓練が必要である。
またまた私の例で申し訳ないが、教員を辞めてアメリカに渡ったとき、誰も自分のことを評価するものがいない、今まで日本で蓄えてきた知識や力を試す機会が与えられないときは、正直あせったしストレスにもなった。
しかし、自分が相手にするのはプロの選手たちである。自分の意識がプロフェッショナルにならなければ通用しないことを痛感した。
今までとは違うステージに立っているのだと言うことを思い知らされたのだ。
そして、日本ではいかに低い意識で指導をおこなってきたのかを反省し、とても高い緊張感と意識を持って一つ一つの仕事を丁寧にこなしていった。
その結果、多くの選手が私にトレーニングやケアを依頼するようになってきて、そのような選手のトレーニングを指導したり、試合に同行したりするうちにだんだんと自分の力を出せるようになってきた。
私は、このように今までより高いレベルの試合で戦うことを「ステージを上げる」といっている。
以前、私が指導する選手にITFへの参戦を薦めたとき、「私のような弱いものが、試合に出てもよいのですか?」と言ったことに対して、「強い奴がチャレンジするのではなく、チャレンジする奴が強いのだ。」と強い口調で諭したことがある。
ステージを上げることは勇気がいるに決まっている。
それを決断できなければ、今の世界に安住するしかない。
<-あなたは、今の世界に安住していないか?->
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ジュニア選手にどれくらい強くなりたいのかと聞くと、「国際レベルで戦える選手」とか「全国でもトップクラスの選手」、「全日本チャンピオン」などと答える選手も多い。
しかし、そう言っていても、地域大会などで戦っているときは、チャンピオンとしてそれなりの風格を持って堂々と戦うことができる選手が、目標としているはずの全国大会にくると、その感じられた風格は消え去り、おどおどとした落ち着きのない態度を見せることは多い。
自分がチャンピオンでいられる場所から、いちチャレンジャーにならなければならない場所に来ると、自分自身のコントロールを失ってしまうのだ。
役者で言えば舞台慣れしていないということになる。これは誰にもあることだ。
強くなる選手は、場所が変わってもとるべき行動にそれほど大きな差はない(といっても、その場所、ステージが上がればそれになりに行動パターンは違ってくる)。
自分がその舞台にいることに慣れ、その舞台で自分自身をうまく表現するためにはやはり場数がいるのだ。
斎藤孝(「「できる人」はどこがちがうのか」ちくま新書)は、「未熟な頃から上手な人に交じって、謗られ笑われても恥ずかしがらずに平気で通して稽古する人は、生まれつきの素質がなくても、自分勝手なことをしないで長年稽古を積んでいけば、最終的に上手の境地に達して世間に並ぶものなき名声を得る」という「徒然草」の文を紹介している。
もちろん、最終的にはイチローのように、舞台が大きくなっても自分のすべきことは同じであると言い切って、なおかつその通りに行動できるようになることが目標かもしれないが、まずは、怖がらずに自分の居場所のあるところから、まったくないところに立つ訓練が必要である。
またまた私の例で申し訳ないが、教員を辞めてアメリカに渡ったとき、誰も自分のことを評価するものがいない、今まで日本で蓄えてきた知識や力を試す機会が与えられないときは、正直あせったしストレスにもなった。
しかし、自分が相手にするのはプロの選手たちである。自分の意識がプロフェッショナルにならなければ通用しないことを痛感した。
今までとは違うステージに立っているのだと言うことを思い知らされたのだ。
そして、日本ではいかに低い意識で指導をおこなってきたのかを反省し、とても高い緊張感と意識を持って一つ一つの仕事を丁寧にこなしていった。
その結果、多くの選手が私にトレーニングやケアを依頼するようになってきて、そのような選手のトレーニングを指導したり、試合に同行したりするうちにだんだんと自分の力を出せるようになってきた。
私は、このように今までより高いレベルの試合で戦うことを「ステージを上げる」といっている。
以前、私が指導する選手にITFへの参戦を薦めたとき、「私のような弱いものが、試合に出てもよいのですか?」と言ったことに対して、「強い奴がチャレンジするのではなく、チャレンジする奴が強いのだ。」と強い口調で諭したことがある。
ステージを上げることは勇気がいるに決まっている。
それを決断できなければ、今の世界に安住するしかない。
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2007年07月27日
リラクゼーション(953)
毎日試合が続き、暑さには慣れてきましたが、身体的にはちょっと疲労がたまってきています。
そんな時、私はどうするのかというと、お風呂でリラクゼーションを行います。
別にむつかしいことではありません。
ぬるめのお湯にゆっくりとつかって、ゆっくりとした呼吸を何度か繰り返すというものです。
人間の身体に対してもっともリラックスの効果があるといわれているのは、体温よりちょっと高い38度くらいですが、私の場合はそれよりも少し低い温度に入ります。
夏場は上がった時の爽快感を大切にしたいからです。
これをする時に注意してほしいのは、とにかくリラックスすることです。
腕や肩の力を抜いて、お湯に浮かばせます。
呼吸、とくにゆっくり吐いて全身の筋肉を緩めます。
時間は30分くらいですかね。
これをした後は、すっきりとした気分と同時に、筋肉の中の疲労物質がうまく流れ出ていくような感覚になります。
しばらくその余韻に浸っていると、だんだんと元気を取り戻します。
これが私のリラクゼーションです。
でも、私の後にお風呂に入る人には「こんな冷たいお風呂に入れない!」と怒られます。
一番最後にはいるといいですね。
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2007年07月26日
見るのが仕事(952)
私の職業はテニスコーチです。見るのが仕事です。
夏休みに入るとたくさん試合が行われるので、いっぱい試合を見ます。
昨日も朝から夕方7時までずっと試合を見ていました(途中1時間ほど寝ちゃいましたが・・・)。
試合を見ていると子ども達はいろいろな顔を見せてくれます。
勝った嬉しい顔、満足できる試合をした時の自慢げな顔、負けた時の悔しい顔、泣き顔・・・、などです。
そのすべてにドラマがあるのですね。
それを見るのは楽しみでもあり、そこから「何か」を見つける「大切な仕事」になります。
情熱のある指導者は一様に「大会会場に足を運ばないといけません」と言います。
会場に行かなくても、試合を直接見なくても子ども達がどんな試合をするのかは分かると言い放ち、会場にまったく顔を見せない指導者もいますが、すごい能力だと思います。
私にはそうした能力は備わっていないので、会場に行ってできるだけ試合を見なければならないと思います。
もちろん試合ではいろいろなことがおきます。
うまくプレーできない時がほとんどです。
相手がジャッジを公正にできないこともあるでしょう。
自分のジャッジにクレームをつけられることも多々あります(あまり見たくはありませんが、親がクレームをつける場合もあります)。
そんな時は子ども達はどんなふうに解決していくのでしょう。
自分ではうまく解決できなかったり、間違った考え方を持つこともあるかもしれません。
そんな時、その場に指導者がいたら、うまい解決の方法を教えてくれるかもしれません。
それが一番大切なことだと思います。
そういことをたくさん経験しながら、相手と戦うこと、自分と戦うこと、自分がテニスをするということ、そういうことがどういうことなのかを学んでいくのでしょう。
そのためのお手伝いをすること、それがコーチの「仕事」です。
だから明日も試合を見に行きます。
できるだけずっと試合を見ます。
できるだけたくさんの試合を見ます。
それが「仕事」ですから!
なんとか途中で寝ないようにがんばります!
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夏休みに入るとたくさん試合が行われるので、いっぱい試合を見ます。
昨日も朝から夕方7時までずっと試合を見ていました(途中1時間ほど寝ちゃいましたが・・・)。
試合を見ていると子ども達はいろいろな顔を見せてくれます。
勝った嬉しい顔、満足できる試合をした時の自慢げな顔、負けた時の悔しい顔、泣き顔・・・、などです。
そのすべてにドラマがあるのですね。
それを見るのは楽しみでもあり、そこから「何か」を見つける「大切な仕事」になります。
情熱のある指導者は一様に「大会会場に足を運ばないといけません」と言います。
会場に行かなくても、試合を直接見なくても子ども達がどんな試合をするのかは分かると言い放ち、会場にまったく顔を見せない指導者もいますが、すごい能力だと思います。
私にはそうした能力は備わっていないので、会場に行ってできるだけ試合を見なければならないと思います。
もちろん試合ではいろいろなことがおきます。
うまくプレーできない時がほとんどです。
相手がジャッジを公正にできないこともあるでしょう。
自分のジャッジにクレームをつけられることも多々あります(あまり見たくはありませんが、親がクレームをつける場合もあります)。
そんな時は子ども達はどんなふうに解決していくのでしょう。
自分ではうまく解決できなかったり、間違った考え方を持つこともあるかもしれません。
そんな時、その場に指導者がいたら、うまい解決の方法を教えてくれるかもしれません。
それが一番大切なことだと思います。
そういことをたくさん経験しながら、相手と戦うこと、自分と戦うこと、自分がテニスをするということ、そういうことがどういうことなのかを学んでいくのでしょう。
そのためのお手伝いをすること、それがコーチの「仕事」です。
だから明日も試合を見に行きます。
できるだけずっと試合を見ます。
できるだけたくさんの試合を見ます。
それが「仕事」ですから!
なんとか途中で寝ないようにがんばります!
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2007年07月26日
やり続ける(951)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -30-
決断して行動しても、すぐに振り出しにもどる奴は多い。
試合に負けた後は誰でも悔しい思いをする。
そして、自分の甘さを痛感し、次にチャレンジする意欲も湧いてくることだろう。
しかし、弱い選手はその意欲が長続きしない。
強くなるには、それをどれくらい持続させることができるのかが何よりも必要な資質だと思う。
イチローのコラムを何度も紹介したが、「当たり前のことを当たり前にする」、そして、それを「やり続ける」ことができてはじめて強くなる選手として第一歩が始まるのではないだろうか。
正直こう書いていて、私も反省することしきりである。
弱音を吐き、ついつい言い訳して怠惰な自分を正当化しようとするずるい考えに支配されてしまう。
そんな時は次のような言葉を思い浮かべるようにしている。
これらの言葉は、座右の銘ではないが怠けそうになる自分を叱咤激励する効果が私にはある。
L.レゲット「成功というのは、コーチや選手にとっては95%まで継続のたまものである」
坂口安吾「負けないとは戦い続けることである」
モーパッサン「才能とは持続する情熱のことである」
どうです、けっこういい言葉でしょう。
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決断して行動しても、すぐに振り出しにもどる奴は多い。
試合に負けた後は誰でも悔しい思いをする。
そして、自分の甘さを痛感し、次にチャレンジする意欲も湧いてくることだろう。
しかし、弱い選手はその意欲が長続きしない。
強くなるには、それをどれくらい持続させることができるのかが何よりも必要な資質だと思う。
イチローのコラムを何度も紹介したが、「当たり前のことを当たり前にする」、そして、それを「やり続ける」ことができてはじめて強くなる選手として第一歩が始まるのではないだろうか。
正直こう書いていて、私も反省することしきりである。
弱音を吐き、ついつい言い訳して怠惰な自分を正当化しようとするずるい考えに支配されてしまう。
そんな時は次のような言葉を思い浮かべるようにしている。
これらの言葉は、座右の銘ではないが怠けそうになる自分を叱咤激励する効果が私にはある。
L.レゲット「成功というのは、コーチや選手にとっては95%まで継続のたまものである」
坂口安吾「負けないとは戦い続けることである」
モーパッサン「才能とは持続する情熱のことである」
どうです、けっこういい言葉でしょう。
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2007年07月25日
いろいろな名前(950)
昨日でやっと東海中日が終ったと思ったら、今日からは新人戦が始まりました。
この大会がはじめての試合の選手も多いので、なんとなくほのぼのとした雰囲気はありますが、選手は真剣勝負ですね。
夏の本格的な暑さの始まりと同時に開催となったので、さらに厳しい戦いになると思いますが、自分自身の持てる力を存分に発揮すること、それだけを期待しています。
今日が開催日なので、残念ながら今日で今大会の全日程が終了となってしまった選手もいますが、すぐに次の大会が始まります。
自分の課題を整理して、ステップアップにつなげてください。
試合の後は、できるだけうまく課題を整理して修正できるように考えて練習メニューを作ります。
たくさんの子ども達がいるので決まったパターンの練習になることも多いですが、できるだけ効率的に練習効果が上がるような練習メニューを工夫しているつもりです。
このような練習メニューは、オリジナルで考え出したものよりも真似たものがたくさんあります。
どこで考え付いたのか、誰がやっていたのかがわかるように名前をつけています。
どんな名前の練習メニューがあるのかというと、「豊田」、「国際」、「フロリダ」、「京都」、なんていうのがあります。
トレーニングメニューには「スイス」なんてのもあります。
これは単純にスイスのチームがやっていたトレーニングだからです。
でも、変にこむつかしい名前よりもシンプルで親しみやすくていいかなと思っています。
最近は「豊田」がお気に入りです。
これは、さわだ先生のところの練習会に参加させていただいた時に見た、2組の試合を1ポイントごとに入れ替わりながら行うマッチ練習の方式です。
この方法だと4面で16人の選手が一度にシングルスの練習ができます。
ボール拾いも迅速になるので大変効率的にマッチが消化できますし、終ったところに随時次の選手を入れることもできるので、コートが倍あるようにアレンジできるのも気に入っています。
多くの指導者は、限られた環境の中でいろいろな練習メニューを工夫しているものだと感心させられます。
そして、そうした良い練習メニューは積極的に取り入れていくことでより良い練習環境が作られていきます。
そのためには、やはりいろいろなところに積極的に出かけていくようにしなければなりませんね。
きっと、まだまだもっと面白い練習法やトレーニングメニューが見つかるはずです。
それを見つけるためにも自分の「行動力」を磨いていこうと思います。
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2007年07月24日
できない理由を探すな(949)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -29-
瞬間に行動できない者や、基本的に行動力の乏しい者は、いつでも「できない理由」を探している。
「強くなりたい」、「上手くなりたい」と口では言いながら、休む口実を勉強や体の不調にすぐに求める。
そういう奴は、いざぎりぎりの勝負になったときに、「自分を甘やかしてきた付け」が出るものだ。
しかし、この辺のはなしは簡単ではない。
本当に休息が必要な場合でも無理をして体調を壊したり、調子を崩したりする場合も少なくないからである。
だからこそ、自分が本当にどこまでできるのかを確かめておく必要がある。
強くなるために厳しい訓練が必要なのは、ひとつには身体的にどの程度が限界に近いのかを実感として感じることが、正しいコンディショニングつくりに結びつくからである。
私の指導の経験を少し話そう。
私はトレーニングの専門家として、テニスに限らず、陸上やゴルフ、野球などの選手のトレーニングを指導している。
そうした指導の経験の中でとても印象に残っている選手がいる。
この選手は、陸上の長距離からトライアスロンに転進して、オリンピックの候補選手にもなった双子の姉妹なのだが、この姉妹が実によく練習する。
もっともその練習のしすぎで体調を壊して、私のところに指導を受けに来たのではあるが(わざわざ宮崎県から飛行機に乗って)。
なにしろ、朝の5時頃からランニングし、朝食後午前中は自転車、午後は水泳とトレーニングという日課を毎日のようにこなすのである(オリンピックの候補選考会が間近に迫っていたこともあって、少しあせっていたようではあるが)。
身体的は陸上選手の障害としてはよくある前部コンパートメント症候群(すねのあたりの障害)や腰痛などの障害を抱えて、満身創痍である。
それでも「まだここまではできます」とつねに「やること」を目指すのである。
「今はできません」とか「これはできません」などという言葉は一度として出てこない。
つねに「自分たちがやれることはなんだろうか」ということを探しているようである。
そうでもなければ、わざわざ宮崎から名古屋までトレーニングの指導を受けにはこないだろう。
とにかくその練習は「すごい!」の一言である。
トレーナーとして、どれくらいトレーニングを制限するのかということを考えながら、カリキュラムを作らなければならなかった。
残念ながら二人はオリンピックの切符はまだ手に入れてはいないが、トレーニングに対してすぐに弱気な言葉を吐く奴を見るたびに、彼女たちのことが思い浮かんでくる。
このように、強い選手というのは、「できない理由」など見つけはしない。
つねに「何ができるのか」を探し続ける意欲と信念に支えられているものだ。
長田一臣(「スランプに挑む」文化書房博文社)は、「そう在りたいと願うならばまず心にそう思うことが必要である。そう思っても成らないことがある以上、そう思うことをせずに何事が成りうるだろうか。「信念の魔術」という言い方があるが、心にそう思うことによって、生活がその方向に規正されていくからである。」と言っている。
はっきりと言っておこう。「できない理由を探すな」、これは法則である。
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瞬間に行動できない者や、基本的に行動力の乏しい者は、いつでも「できない理由」を探している。
「強くなりたい」、「上手くなりたい」と口では言いながら、休む口実を勉強や体の不調にすぐに求める。
そういう奴は、いざぎりぎりの勝負になったときに、「自分を甘やかしてきた付け」が出るものだ。
しかし、この辺のはなしは簡単ではない。
本当に休息が必要な場合でも無理をして体調を壊したり、調子を崩したりする場合も少なくないからである。
だからこそ、自分が本当にどこまでできるのかを確かめておく必要がある。
強くなるために厳しい訓練が必要なのは、ひとつには身体的にどの程度が限界に近いのかを実感として感じることが、正しいコンディショニングつくりに結びつくからである。
私の指導の経験を少し話そう。
私はトレーニングの専門家として、テニスに限らず、陸上やゴルフ、野球などの選手のトレーニングを指導している。
そうした指導の経験の中でとても印象に残っている選手がいる。
この選手は、陸上の長距離からトライアスロンに転進して、オリンピックの候補選手にもなった双子の姉妹なのだが、この姉妹が実によく練習する。
もっともその練習のしすぎで体調を壊して、私のところに指導を受けに来たのではあるが(わざわざ宮崎県から飛行機に乗って)。
なにしろ、朝の5時頃からランニングし、朝食後午前中は自転車、午後は水泳とトレーニングという日課を毎日のようにこなすのである(オリンピックの候補選考会が間近に迫っていたこともあって、少しあせっていたようではあるが)。
身体的は陸上選手の障害としてはよくある前部コンパートメント症候群(すねのあたりの障害)や腰痛などの障害を抱えて、満身創痍である。
それでも「まだここまではできます」とつねに「やること」を目指すのである。
「今はできません」とか「これはできません」などという言葉は一度として出てこない。
つねに「自分たちがやれることはなんだろうか」ということを探しているようである。
そうでもなければ、わざわざ宮崎から名古屋までトレーニングの指導を受けにはこないだろう。
とにかくその練習は「すごい!」の一言である。
トレーナーとして、どれくらいトレーニングを制限するのかということを考えながら、カリキュラムを作らなければならなかった。
残念ながら二人はオリンピックの切符はまだ手に入れてはいないが、トレーニングに対してすぐに弱気な言葉を吐く奴を見るたびに、彼女たちのことが思い浮かんでくる。
このように、強い選手というのは、「できない理由」など見つけはしない。
つねに「何ができるのか」を探し続ける意欲と信念に支えられているものだ。
長田一臣(「スランプに挑む」文化書房博文社)は、「そう在りたいと願うならばまず心にそう思うことが必要である。そう思っても成らないことがある以上、そう思うことをせずに何事が成りうるだろうか。「信念の魔術」という言い方があるが、心にそう思うことによって、生活がその方向に規正されていくからである。」と言っている。
はっきりと言っておこう。「できない理由を探すな」、これは法則である。
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2007年07月23日
忙しい日々(948)
私の仕事は夏休みなるととたんに忙しくなります。
まず朝練がはじまるので毎日5時30分頃に起きます。
そして、6時30分にはクラブに行って、朝練の準備をしてだいたい8時30分か9時ごろまで練習を行います。
それから試合を見に行きます。
一日中試合を観戦し、夕方からレッスンを行います。
レッスンが終ると一旦家に帰って、食事をしてお風呂に入って寮に戻って管理諸事を行って寝ます。
こんな生活が毎日続きます。
こう書くととても忙しそうですが、その通りです。
なかなかブログを書く時間も取れません。
特にはじめの2、3日ぐらいが生活のペースに慣れないので疲労感を感じます。
でも、人間というのは不思議なもので、毎日そういう生活を続けてくると、勝手に慣れてしまうんですね。
特に私は目覚まし時計がなくても時間が来ると目覚めるタイプの人間(ニュータイプか?)なので、2、3日もすると時間通りに勝手に目覚めて活動します。
そうなってくると疲労感もあまり感じません。
これが思いっきりストレスたまる仕事だと辛いかもしれませんが、子ども達の元気に触れることができる仕事なので、その元気をもらってこちらも元気になります。
今日、全日本ジュニアに向けての地域予選の最終日が行われます。
今のところ8名ぐらいの選手が全日本の切符を手に入れたようです。
惜しくも負けてしまった選手ももうすぐに次の戦いが始まります。
休む時間がないのは私以上に子ども達ですね。
今週からは全国小学生大会と新人戦、来週には県ジュニアや各県の大会が始まります。
そうそう、インターハイも始まりますね。
日焼けした身体はもはや日本人の域を脱しているかもしれません。
休んでなんかいられません。
子ども達に負けないように元気いっぱいでがんばります。
でも、秋になるとちょっとへばるんだよなあ。
もう、あんまり若くない・・・(しょぼん)
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2007年07月19日
瞬間に動く(947)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -28-
質問力にしろ、対話力にしろ素早いレスポンス(応答)が求められることは言うまでもない。
相手の話を聞いていて、その場で瞬間的に反応しなければ対話は成り立たないし、質問もピントはずれに終わってしまう。
また、話の中で向上につながるヒントを得たならば、すぐに試してみるぐらいの俊敏な行動力は必要である。
「これだ!」と思った瞬間に動くように訓練していなければ、チャンスを逃すことも多いはずだ。
思慮深く行動することは大切であるが、スポーツ選手として強くなりたければ、「まず行動して、それから考える」タイプのほうが望ましいように思う。
何よりもいけないのは、動かないことに対する言い訳をする奴だ。
自分が動かない正当性をいくら主張しても空しいだけだ。
瞬間に動くことができるためには、いつもそのことを考えていなくてはならない。
練習がしたくてしたくてたまらないのに、練習コートに空きがないとしよう。
どの選手も空きコートができるのを待っている。
そして、空きコートができた時に真っ先に確保するのは、そのことを誰よりも強く思っている奴だ。
勝負に対して貪欲な奴は、自分の欲望に関しても貪欲であり、時には自己中心的な振る舞いになる場合もある(正しい自己中のあり方についてはいずれ述べる)が、このような機敏な動きができないものは強くはなれない。
いつでも死の危険がある状態では、いつでもそのことに気を配り、自分の有利な状況になると判断した場合にいかに迅速に行動できるかでその人の寿命が決まってしまう。
何度も言うように、戦いに勝利するものが強いのだ。
そのために常に自分の利になるような状況を敏感に察知し、とっさの素早い行動ができるように訓練を積んでほしい。
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質問力にしろ、対話力にしろ素早いレスポンス(応答)が求められることは言うまでもない。
相手の話を聞いていて、その場で瞬間的に反応しなければ対話は成り立たないし、質問もピントはずれに終わってしまう。
また、話の中で向上につながるヒントを得たならば、すぐに試してみるぐらいの俊敏な行動力は必要である。
「これだ!」と思った瞬間に動くように訓練していなければ、チャンスを逃すことも多いはずだ。
思慮深く行動することは大切であるが、スポーツ選手として強くなりたければ、「まず行動して、それから考える」タイプのほうが望ましいように思う。
何よりもいけないのは、動かないことに対する言い訳をする奴だ。
自分が動かない正当性をいくら主張しても空しいだけだ。
瞬間に動くことができるためには、いつもそのことを考えていなくてはならない。
練習がしたくてしたくてたまらないのに、練習コートに空きがないとしよう。
どの選手も空きコートができるのを待っている。
そして、空きコートができた時に真っ先に確保するのは、そのことを誰よりも強く思っている奴だ。
勝負に対して貪欲な奴は、自分の欲望に関しても貪欲であり、時には自己中心的な振る舞いになる場合もある(正しい自己中のあり方についてはいずれ述べる)が、このような機敏な動きができないものは強くはなれない。
いつでも死の危険がある状態では、いつでもそのことに気を配り、自分の有利な状況になると判断した場合にいかに迅速に行動できるかでその人の寿命が決まってしまう。
何度も言うように、戦いに勝利するものが強いのだ。
そのために常に自分の利になるような状況を敏感に察知し、とっさの素早い行動ができるように訓練を積んでほしい。
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2007年07月18日
選抜合宿ミーティングレポート(946)
今回の合宿で行ったミーティングについてまとめておきます。(このレポートは、実際にある選手から送られてきたレポートをほんの少し手直ししてあるだけです。素晴らしいレポートです。これだけ立派なレポートを書くことが出来る選手がいることを大変嬉しく思います。)
<試合に負ける原因を考える>
試合に負ける原因は3つあります。技術、体力、メンタルです。技術的な問題は練習をすれば克服できるかもしれません。体力的な問題はトレーニングをすれば解決するかもしれません。しかし、メンタルの問題はどう対応し、解決したら良いのかなかなか分かりません。
メンタルの問題でも技術的な問題や体力的な問題と一緒で、練習やトレーニングが必要であることは変わりありません。ただメンタルの問題は、周りの環境や性格によって対処する方法が違うので、「この方法で良い」ということがはっきりと分からないことが多いのです。だから、自分でいろいろと解決法を見つけていこうとする意志や努力がとても大切です。
メンタルトレーニングの目的は「物の考え方を変える」ことです。目的は「試合中にキレたりしない」ということかと思っているかもしれませんが、ただ「キレない」だけでもだめなのです。試合中に起こる様々なストレスに対して対応する「考え方」を学び、「気持ちの動揺を少なくする」ということが大切です。
<自分の戦い方を宣言する>
そうした「考え方」をきちんと持つことができるように、「自分はこう戦う」と自分自身に「宣言」しなくてはなりません。例えば、「しっかりとラリーをしてミスをすぐせずオープンコートを狙って積極的に打ってチャンスを確実に決める」というようにです。
「これが私のしたい戦い方です」と力強く宣言してください。「一番変えないといけないのはミスをしないということだ。ミスが早いとオープンコートを狙ったり積極的に攻撃するところまでいかないからだ。」と自分の課題を明確にして、それを強く意識しながら繰り返し練習しなければなりません。
「テニス(スポーツ)で一番大切なものは?」と聞かれた時、「気持ち(メンタル)」かなと思う人は多いと思います。でも一大切なことは「思考力」と「想像力」です。よく考えて、「こういう戦い方をするんだ」と強く思うことが何よりも大切です。
<呼吸をコントロールする>
緊張した時に大きく動揺しないために「呼吸」をコントロールすることが大切です。胸の筋肉を緩めて、ゆっくりと呼吸することでメンタル的に安定します。
普段の呼吸で、1分間に15回くらいの人も、トレーニングの後は1分間に3回ぐらいの呼吸になります。もっと練習すれば、1分に1回ぐらいの呼吸はすぐにできるようになります。このように筋肉を緩めることで、人間の持っている能力を高めることができるようになります。
「トレーニングのなかで一番大切なものは何ですか?」という問いに対する答えは「ストレッチ」です。ストレッチがなぜ一番大切なのかというと、自分の筋肉をゆるめてリラックスさせるためです。リラックスすることで人間の持っている能力を高めることができることを知っておいてください。
<実際型の人間になれ>
テニスが急に強くなることを「ブレークスルー」といいます。これは、頭だけで考える「観念型」の人よりも、自分の体を使って試してみる「実際型」の人に起こりやすいものです。今の子ども達はどちらかというと「観念型」の人が多いと思います。「ブレークスルー」が起きないと強くはなれないので、意識して「実際型」の人間になるように努力してみる価値はあります。
<試合中にパニックにならないために>
試合中にパニックにならないためには、
①自分の行動にプライドを持つ
②準備をする
③自分の体をコントロールする
ことが大切です。
①は、「自分はたくさん練習をしたという自信」を持つこと、そして勝つためにしなければならないことを一生懸命にやってきたという「自信」を持つことが大切だということです。そして、負けたくなければ「+α」が必要で、人より以上の「何をしたのか」という「行動に対する自信(プライド)」が強さを高めます。
②は、物理的な準備はもちろんですが、テンションをあげて(気持ちの準備をしっかりとして)試合に入ることがとても大切だということです。そうでなければぎりぎりの競った試合には勝てません。
③の身体コントロールには3つあります。
1つめは「姿勢」のコントロールです。試合中は堂々としていなくてはなりません。弱い姿を相手に見せてしまうと、相手の自信が高まるからです。ミスをするとすぐ下を向く選手は、自分のショットに自信がなくなり、相手に自信を与えてしまうことになるということを理解してほしいと思います。
2つめは「体」のコントロールです。ウォーミングアップをやっている選手は多いですが、練習のときと試合のときのウォーミングアップが大きく違う選手がいます。試合のときのウォーミングアップの方が少ない選手も多いものです。周りのみんながやっていないから「恥ずかしい」と思うような選手は強くなりません。どんな状況でも「自分のすべきこと」を「当たり前」にやれる選手だけが強くなります。
そして3つめは、「リラックス」することです。できるだけ気持ちの動揺が少なくなるように、ストレッチをして筋肉を緩め、呼吸をコントロールすることが大切です。
<ブレークスルーが起こる条件>
「ブレークスルー」は誰にも起きる可能性はありますが、それには「条件」があります。
①テニスにかける力がどれだけあるか
②恐怖を断ち切る
③開き直る
ということです。
人間が大きく変わるためには、大病をすることなどの大きなショックが必要で、そういう挫折から立ち上がってきた時に強さを身につけています。負けて悔しくない選手は強くなりません。悔しさを心に刻んで、それを乗り越える強さを身につけなければなりません。
試合で負けることは怖いものです。だから試合を嫌がる選手は多いものですが、それでは壁を乗り越えることはできないし、ブレークスルーは起こりません。「何が何でも」という「強い意志」が試されるのです。
このような恐怖心は試合にはマイナスになるのではないのかと思うかもしれません。恐怖でびくびくしていたら気持ちが弱くなってしまうと考えるからです。しかし、怖い時はその恐怖心を振り払おうと一生懸命に行動しようとします。恐怖心が行動力に変わるときに、その怖さが大きくプラスに働くのです。そういう行動力が高まり、より強い気持ちになった時、人間は思いもよらない力を発揮します。だから恐怖する気持ちは大切なのです。それを振り払う強い気持ちや行動力を身につける原動力になるからです。
だから、試合に負けた後はその悔しい気持ちを心に刻み、「今度は勝つ!」と強く思って、すぐに行動しなければならないと思います。残念ながら前の試合の結果を引きずってしまうことも多いですが、壁を越えるために、試合を嫌がらずに積極的に行動することが大切です。
<正しく質問する力を身につける>
テニスが強くなるためにはいろいろなことを学ばなくてはなりません。自分で考えることは何よりも大切です。しかし、考えても考えても解決の方法が見つからなければ誰かに聞いた方が早道です。その時に自分の考えをしっかりと持って、正しく質問することが大切です。的確な質問によって明確な答えを引き出すことができれば、テニスのレベルを引き上げることができます。
今回の合宿で学んだことは多いと思います。
そうした「思い」を実際の「行動」に変えてください。
「何が何でも」という強い思いを持って練習してください。
そうした行動が「当たり前」である選手になってください。
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2007年07月17日
正しく質問する(945)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -27-
対話の力を高めるためには、正しく質問する力を備えていなければならない。
なぜなら、正しく質問することは、そのことに関して大いなる好奇心があり、さらに知識を深め強くなりたいという願望に支えられているからである。
斎藤孝(「子どもに伝えたい<三つの力>」NHKブックス)は、「質問が相手からより高次なものを引き出す」という。
あなたの周りには、きっとあなたよりもテニスが強く、テニスやテニスの指導に関する経験や知識の豊富な人がいるはずである。
その人の知識なり経験はあなたに役立つことも多いはずだ(まあ、時にはマイナスになる場合もあるが)。
それを的確な質問によって引き出すことができれば、あなたのレベルを引き上げることができる。
ただ、なかなか積極的に質問してくる者は少ない。
日本では目上の人の言うことはただ聞けばよいという風習があり、不躾な質問はしてはならないという暗黙の了解があるからだ。
だから、日本では聞くことが完全な受身であると思われがちである。
しかし、斎藤(同)は、「聞くことは、アクティブな構えでなされなければ本当に聞くことにはならない。話し手に対してレスポンス(応答)することを前提にして聞くことによって、話は身に入ってくる。質問するということは、自分を「さらす」ことになるので、ためらいが生まれる。相手の話を妨げたり不愉快にさせたりするのではないかと危惧するからだ。こうしたためらいを乗り越えていくための概念が、質問力である。」と言っている。
つまり何事も積極的に受け入れようとこころ構えて、なおかつ自分の考えしっかりともっていないと正しく質問することはできないのである。
私が指導してきた“しつこい質問者”は例外なく強い選手である。
とてもしっかりと自分の考えを述べることができることに感心したものだ。
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対話の力を高めるためには、正しく質問する力を備えていなければならない。
なぜなら、正しく質問することは、そのことに関して大いなる好奇心があり、さらに知識を深め強くなりたいという願望に支えられているからである。
斎藤孝(「子どもに伝えたい<三つの力>」NHKブックス)は、「質問が相手からより高次なものを引き出す」という。
あなたの周りには、きっとあなたよりもテニスが強く、テニスやテニスの指導に関する経験や知識の豊富な人がいるはずである。
その人の知識なり経験はあなたに役立つことも多いはずだ(まあ、時にはマイナスになる場合もあるが)。
それを的確な質問によって引き出すことができれば、あなたのレベルを引き上げることができる。
ただ、なかなか積極的に質問してくる者は少ない。
日本では目上の人の言うことはただ聞けばよいという風習があり、不躾な質問はしてはならないという暗黙の了解があるからだ。
だから、日本では聞くことが完全な受身であると思われがちである。
しかし、斎藤(同)は、「聞くことは、アクティブな構えでなされなければ本当に聞くことにはならない。話し手に対してレスポンス(応答)することを前提にして聞くことによって、話は身に入ってくる。質問するということは、自分を「さらす」ことになるので、ためらいが生まれる。相手の話を妨げたり不愉快にさせたりするのではないかと危惧するからだ。こうしたためらいを乗り越えていくための概念が、質問力である。」と言っている。
つまり何事も積極的に受け入れようとこころ構えて、なおかつ自分の考えしっかりともっていないと正しく質問することはできないのである。
私が指導してきた“しつこい質問者”は例外なく強い選手である。
とてもしっかりと自分の考えを述べることができることに感心したものだ。
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2007年07月16日
合宿終了(944)
夏の大会前の合宿を無事に終了しましたが、初日は、7月に上陸した台風の中では史上最強の台風の影響で、講義と体育館でのトレーニングとなりました。
雨のおかげで、久しぶり、ん?ひょっとしたら初めて?の本格的な講義をしたような気がします。
テーマは「テニスが強くなるためのトレーニング」についてです。
いろいろなところで講義をしていますので、話す内容については何も見なくてもすらすらと言葉が出てきますが、いつも教えている子ども達が相手だとちょっと感覚が違いますね。
私のことを初めて見る子ども達は、「一体このおっさんは何やねん」みたいな目で見てきますが、いつも教えている子ども達は「おっ、(普段はおちゃらけている)大島コーチが何かまじめにしゃべっているぞ」みたいな違和感を表します。
そんな雰囲気の中でしゃべるのはちょっと話しづらい感じもありますが、子ども達にとって大切だと思っていることはひと通り話ができたと思います。
もちろん、合宿では夜もミーティングがありますので、たくさん学ぶことができた「学宿」(合宿のことをDDはこう書いていました)になったのではないでしょうか。
2日目からは台風一過の猛暑の中(2日目の午前中は無風の上に湿度むんむんで、36度ありました)、子ども達はマッチ練習を中心によくがんばって練習したと思います。
ミーティングの効果なのか、いつもと違ってとてもよい雰囲気で試合をしてる選手が多かったと感じています。
大きな声で「カモーン」と叫ぶ、小さいながらもしっかりとガッツポーズをする、思い切ったショットでエースをとる、そんな姿を見ていると涙が出そうになりました。
2日目のミーティングで「質問力」について解説し、私が指名した子ども達に質問をさせましたが、その中の一人は「コーチをやっていて一番嬉しかったことは何ですか?」と聞いてきました。
いろいろと嬉しかったことについて話をしましたが、今回の合宿でそういう雰囲気を出そうと努力している子ども達の姿を見たときは嬉しかったですね。泣かないで良かったです。
合宿に向かう車の中では雨のことを心配しましたが、そんなことはどうでもいいんですね。
私にとっては子ども達と一緒にいる時間が何よりも大切な時間であり、うれしい時だということを改めて感じる合宿となりました。
この合宿をサポートしてくれたのもOBののりあきとあやです。
一生懸命に後輩のためにがんばってくれました。一体感を感じる素晴らしいチームになってきたと感じています。
その成果がこの夏の大会で試されるわけですが、この瞬間の喜びや感動、思いを忘れなければきっと素晴らしい成果がついてくると思います。
本当に良くがんばりました。
みんなの一途な姿勢に感動しました。
私がみんなに感謝する合宿でした。
ありがとう!
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2007年07月15日
対話する力を鍛えろ(943)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -26-
行動力を鍛える第一歩として、自分の考えていることをきちんと主張できるかどうかがとても大きな要因となる。
今まで指導してきた選手で印象に残った選手がいる。
今はプロとして活躍する近藤大生選手である。
彼に「フォアハンドストロークにおける切り返し動作をより素早く行うためには、何を改善しなくてはならないのか」について説明をしたとき、何度もしつこく質問し、「自分はこう思う」と敢然と主張してきたことを思い出す。
彼にしてみれば、自信を持っていたフォアハンドについての問題であったので、自分なりの考えに自信を持っていた。
それを改善するように薦められても、容易に受け入れることができなかったのだろう。
しかし、そうしたことをきちんと主張してくれたことで、彼がどのような考え方を持って取り組んでいるのかがわかり、私の問題意識と彼の問題意識のどこにずれがあるのかが明確になったことで、その後の指導がとてもやりやすくなったことを覚えている。
指導してもらう者に対して質問を浴びせることは日本人にはなかなか難しい。
その点について、中島義道(「対話のない社会」PHP新書)は、対話の重要性を語り、なぜ日本では対話が成り立ちにくいのかについて考察している。
その中で、「<対話>は、相手を議論で打ち負かすことではないが、さりとて相手の語ることに同意し頷くことではない。むしろわからないことを「わかりません」とはっきり言うこと、相手の見解と自分の見解との小さな差異を見逃さず、それにこだわり、「いいえ」と反応することである。」と述べている。
近藤選手は、まさに「相手の見解と自分の見解との小さな差異を見逃さず、それにこだわり、「いいえ」と反応した」のである。
このように対話が行われれば、お互い小さな差異を確認しながらより深い理解につながっていく。
新しい発見も多いはずである。
しかし、「<対話>は個人と個人とが「生きた」言葉を投げあうことであるから、人生を丸ごと背負って語ること」(同)なので、お互いに真剣にそのことを考えていなければ、対話は成り立たない。
真剣にそのことを考えていないものは、ただ押し黙るしかないのである。
また、対話は「場の雰囲気」によっても左右されるので、選手が自分の考え方を主張できるような「場の雰囲気」を作ることが大切である。
このような場を作り出すことで選手の対話能力が向上し、行動力を高めることにつながるからだ。
そのためには感情をコントロールして接することは最も重要である。
間違っても「てめえ、俺の言う事が聞けないのならでていけ!」と星一徹のように怒鳴り散らして、ちゃぶ台をひっくり返してはいけないのである。
ましてや、子どもにグランドスラム養成ギブスをつけてはいけないのである。
しかし、よく考えてみると、星飛雄馬はよくあのような環境で純粋にスポーツに打ち込むことができたものだ。
たぶん本音は「このくそおやじ、いつかはぶん殴ってやる」という復讐心のようなものが彼の支えであったのだろう。
それも苦しいスポーツに向かわせる行動力を高めるためには必要なことかもしれないが、「いつかがみがみ言ったコーチに一撃を食らわす」ためにテニスをがんばる子どもたちに囲まれてテニスを教えるのは耐えられない。
そう考えると、星一徹はやはりすごい指導者なのかもしれない。
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行動力を鍛える第一歩として、自分の考えていることをきちんと主張できるかどうかがとても大きな要因となる。
今まで指導してきた選手で印象に残った選手がいる。
今はプロとして活躍する近藤大生選手である。
彼に「フォアハンドストロークにおける切り返し動作をより素早く行うためには、何を改善しなくてはならないのか」について説明をしたとき、何度もしつこく質問し、「自分はこう思う」と敢然と主張してきたことを思い出す。
彼にしてみれば、自信を持っていたフォアハンドについての問題であったので、自分なりの考えに自信を持っていた。
それを改善するように薦められても、容易に受け入れることができなかったのだろう。
しかし、そうしたことをきちんと主張してくれたことで、彼がどのような考え方を持って取り組んでいるのかがわかり、私の問題意識と彼の問題意識のどこにずれがあるのかが明確になったことで、その後の指導がとてもやりやすくなったことを覚えている。
指導してもらう者に対して質問を浴びせることは日本人にはなかなか難しい。
その点について、中島義道(「対話のない社会」PHP新書)は、対話の重要性を語り、なぜ日本では対話が成り立ちにくいのかについて考察している。
その中で、「<対話>は、相手を議論で打ち負かすことではないが、さりとて相手の語ることに同意し頷くことではない。むしろわからないことを「わかりません」とはっきり言うこと、相手の見解と自分の見解との小さな差異を見逃さず、それにこだわり、「いいえ」と反応することである。」と述べている。
近藤選手は、まさに「相手の見解と自分の見解との小さな差異を見逃さず、それにこだわり、「いいえ」と反応した」のである。
このように対話が行われれば、お互い小さな差異を確認しながらより深い理解につながっていく。
新しい発見も多いはずである。
しかし、「<対話>は個人と個人とが「生きた」言葉を投げあうことであるから、人生を丸ごと背負って語ること」(同)なので、お互いに真剣にそのことを考えていなければ、対話は成り立たない。
真剣にそのことを考えていないものは、ただ押し黙るしかないのである。
また、対話は「場の雰囲気」によっても左右されるので、選手が自分の考え方を主張できるような「場の雰囲気」を作ることが大切である。
このような場を作り出すことで選手の対話能力が向上し、行動力を高めることにつながるからだ。
そのためには感情をコントロールして接することは最も重要である。
間違っても「てめえ、俺の言う事が聞けないのならでていけ!」と星一徹のように怒鳴り散らして、ちゃぶ台をひっくり返してはいけないのである。
ましてや、子どもにグランドスラム養成ギブスをつけてはいけないのである。
しかし、よく考えてみると、星飛雄馬はよくあのような環境で純粋にスポーツに打ち込むことができたものだ。
たぶん本音は「このくそおやじ、いつかはぶん殴ってやる」という復讐心のようなものが彼の支えであったのだろう。
それも苦しいスポーツに向かわせる行動力を高めるためには必要なことかもしれないが、「いつかがみがみ言ったコーチに一撃を食らわす」ためにテニスをがんばる子どもたちに囲まれてテニスを教えるのは耐えられない。
そう考えると、星一徹はやはりすごい指導者なのかもしれない。
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2007年07月14日
雨に感謝(942)
今日から合宿が始まりますが、私の「照る照るパワー」も今回は力及ばず、ということになりそうです。
でも、雨が降ってテニスができないということで、子ども達にいろいろな話をしてあげる時間が持てそうです。
これはちょっと良いかも知れません。
私はいろいろな所で講義や指導をしますが、身近にいる子ども達にはなかなかそうした話をする機会がありません。
レッスンの時の合間に話をすることはもちろんありますが、きちんと講義として話をすることはあまりないですね。
合宿などではそうした時間を取る時間はありますが、今までほとんど雨に降られたことがないので時間がありませんでした。
そういう意味では「雨に感謝」かもしれません。
子ども達どんな話をしてあげようかといろいろと考えています。
「コートで練習する以上に大切なことを学んだ」と言ってもらうことができるようにがんばって話をしようと思っています。
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2007年07月13日
実際型(941)
明日から合宿ですが、天気予報は最悪ですね。
明後日には暴風圏内らしいです。
以前にもこういうことがありました。浜松の合宿だったと思いますが、台風の影響で時々大雨が降る中、練習を行いました。
まあ、これはこれで結構楽しいものです。
天候などの状況は自分の力でどうなるものではないので、そのような状況の中で何をしたら良いのか、どうすればその時間を楽しく有意義に過ごすことができるのかを考えた方が得なような気がします。
「プラス暗示の心理学」という本の中には、こういう考え方を持って行動する人のことを「実際型」というらしいです。
私はまさに「実際型」の人間ですね。
本にはこう書いてあります。
「自分で能力をどんどん高めていく人は、『今の自分には何ができるか』という発想で物事に取り組むが、悩みやすい人、ノイローゼになる人、スランプに陥りやすい人には、このような発想が欠如している。『なぜうまくいかないのか』『なぜ悩むのか』などと観念的に思索するだけで、実際的な対処は念頭にない。前者のパターンを持つ人を実際型、後者を観念型と呼ぶことにしよう。では、観念型の人と実際型の人の根本的な違いは何だろうか。まず、実際型の人は、いつも自分の行動のレパートリーに注意が向いている。ところが、観念型の人はこの当たり前のことに気づかない」
実際に行動を起こすことでいろいろな状況に対する対処法を身につけることができます。
ということは、どんな状況でも「自分のできることは何か」を真剣に考えて、実際的な行動を起こすことに力を注ぐという考え方を持つことがとても大切だということです。
雨は嫌かもしれません。
風は大嫌いかもしれません。
でも、この世界は、特にスポーツの世界は「自分の思い通り」にならないことばかりです。
そのことを気にして、「どうしよう、どうしよう」とうろたえたり、迷ったりしていては勝負にならないかもしれませんね。
困難な状況は、自分の実際的な行動が試されるとても貴重な経験であると考えて、積極的に行動してほしいと思います。
それが「力」になります。
でも、雨、降らんでほしいなあ・・・・。
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2007年07月12日
練習と同じボールを打て(940)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -25-
強い選手の練習をよく観察してみよう。
ジュニアのレベルでは、練習での様子を見ていてもその強さを判別することが難しい。
もちろん、打球の鋭さや将来性を感じるフォーム、コート上での振る舞いなどで判別することは可能であるが、弱い選手とどれほどの差があるのかについては明確でない場合も多い。
しかし、練習の様子とあわせて試合を観察すると、強い選手と弱い選手との差は歴然としていることに気づく。
それは、「強い選手は練習と同じボールを打つことができる」ということだ。
練習では伸び伸びと鋭い打球を打つ選手が、試合になると弱々しいボールでラリーを続けることは多い。
練習とはまるで違うボール打っているのを見て、「これは、強くなれないかもしれないな」と思ってしまう。
私が見てきた強い選手は、例外なく、試合で練習と同じボールを打つことができる。
もちろん、練習ではミスするかもしれない課題に全力で取り組むのだから、試合よりもミスが多くなる場合もあるだろう。
しかし、練習で少しでもよい感触を得たら、迷わず実際の試合でチャレンジしているのを見て、「これは強くなるな」と感じたものだ。
失点やミスを恐れず、果敢にチャレンジし続ける、簡単そうにみえるが、これを実際の試合でやることは大変に難しい。
強くなる選手とそうでない選手を分ける最も大きな要因であると言ってもよいだろう。
斎藤孝(「「できる人」はどこがちがうのか」ちくま新書)は、所属する大学のテニスクラブに入ってきた、尋常でない速度で上達する選手に関するエピソードで、「私がインパクトを受けたのは、彼が試合でも練習同様にハードヒットできるということであった。(中略)練習と試合とのギャップの少なさを目のあたりにして、技を限定して磨くことの重要性をいっそう痛感した。」と述べている。
練習は何のためにするのかといえば、試合に勝つためだ。
人間を磨くためというような崇高な目的で練習に取り組む場合もあるだろうが(それはそれですごいことである)、その多くは試合に勝つためにやる。
なのに、試合で打つボールと練習で打つボールがまったく違えば、今までのやってきた練習の意味がわからなくなってしまう。
あたりまえの話なのだが、試合では練習してきたボールを打たなくてはならない。
なんだか、こう書くと簡単なことのように思うのだが、本当は大変難しい。
なぜなら、試合では一球に対する「重み」が違う。
ミスに対する不安や負けること対する恐怖などが大きくなるので、練習どおりのボールが打てなくてあたりまえだ。
だからこそ、訓練するのだ。
マッチポイントなど、緊張する場面で本当に信じて使うことのできる技は一つか二つである。
その技を限定して磨くことが重要だと斎藤は言っているのである。
これは普段忘れがちな教訓である。
テニスは実にさまざまな技術が要求される。
もちろん、それぞれの技術のレベルを向上させるために時間をかけて練習しなければならないのだが、自分が本当に信じることができる技に磨きをかけなくては、勝負をかけなくてはならない場面で勝負にいけない。
そんな選手では強くなれない。
あなたは「信じることのできる技」を持っているのか。
持っていないのなら、「これだけはどんな場面でも使うことができる!」と自信を持って言える技をひとつでもよいから持つことだ。
私の経験をお話しよう(なんかいつも自分の話ばかりで申し訳ないが、将来これを元に自叙伝を書いて儲けようなどとは思っていないのでご安心いただきたい)。
私の高校のテニス部はコートが一面しかなく、練習する人数も多いので、必然的に半面での練習(時には3分の1面での練習ということもあった)やダブルス練習が多くなる。
私はバックサイド(いまどきはアドバンテージコートといったほうがよいだろうか)を守っていたので、バックサイド側にはいって練習することが多かった。
当然、ラリーでは逆クロスを中心とした練習になる。
また、私の時代は、高校からテニスをはじめる者も多く、当然、フォアに比べてバックハンドが弱い者が多い。
私もそうだった。
だから、自分ではバックハンドを打たないように、相手のバックをフォアで徹底的に狙うという作戦をとるのが普通だった(というより、それしか作戦がなかったといったほうがよいかもしれない)。
それを徹底して行ったおかげ(そうするしかなかった)で、フォアの逆クロスには自信を持つことができた。
これが、私の強さを支えていたといってもよいだろう。
はっきりいって、フォームはきたない(まわりの連中は、私のフォームを評して「ゴキブリ」のようだと言い放った。そうだよなK.N!)。
でも、相手が私の打つ逆クロスに窮して、嫌そうな顔を見るのがすこぶる快感であった。
もちろん、私も人の子である(たぶん?)。
緊張したことは何度もある(ように思う)。
そんなとき、自分の信じる逆クロスを執拗に打っていたように記憶している。
だからこそ、苦しい場面でも勝負をかけることができた。
強くなるにはやはり、自信のある技、武器を持つことが大切なのだ。
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強い選手の練習をよく観察してみよう。
ジュニアのレベルでは、練習での様子を見ていてもその強さを判別することが難しい。
もちろん、打球の鋭さや将来性を感じるフォーム、コート上での振る舞いなどで判別することは可能であるが、弱い選手とどれほどの差があるのかについては明確でない場合も多い。
しかし、練習の様子とあわせて試合を観察すると、強い選手と弱い選手との差は歴然としていることに気づく。
それは、「強い選手は練習と同じボールを打つことができる」ということだ。
練習では伸び伸びと鋭い打球を打つ選手が、試合になると弱々しいボールでラリーを続けることは多い。
練習とはまるで違うボール打っているのを見て、「これは、強くなれないかもしれないな」と思ってしまう。
私が見てきた強い選手は、例外なく、試合で練習と同じボールを打つことができる。
もちろん、練習ではミスするかもしれない課題に全力で取り組むのだから、試合よりもミスが多くなる場合もあるだろう。
しかし、練習で少しでもよい感触を得たら、迷わず実際の試合でチャレンジしているのを見て、「これは強くなるな」と感じたものだ。
失点やミスを恐れず、果敢にチャレンジし続ける、簡単そうにみえるが、これを実際の試合でやることは大変に難しい。
強くなる選手とそうでない選手を分ける最も大きな要因であると言ってもよいだろう。
斎藤孝(「「できる人」はどこがちがうのか」ちくま新書)は、所属する大学のテニスクラブに入ってきた、尋常でない速度で上達する選手に関するエピソードで、「私がインパクトを受けたのは、彼が試合でも練習同様にハードヒットできるということであった。(中略)練習と試合とのギャップの少なさを目のあたりにして、技を限定して磨くことの重要性をいっそう痛感した。」と述べている。
練習は何のためにするのかといえば、試合に勝つためだ。
人間を磨くためというような崇高な目的で練習に取り組む場合もあるだろうが(それはそれですごいことである)、その多くは試合に勝つためにやる。
なのに、試合で打つボールと練習で打つボールがまったく違えば、今までのやってきた練習の意味がわからなくなってしまう。
あたりまえの話なのだが、試合では練習してきたボールを打たなくてはならない。
なんだか、こう書くと簡単なことのように思うのだが、本当は大変難しい。
なぜなら、試合では一球に対する「重み」が違う。
ミスに対する不安や負けること対する恐怖などが大きくなるので、練習どおりのボールが打てなくてあたりまえだ。
だからこそ、訓練するのだ。
マッチポイントなど、緊張する場面で本当に信じて使うことのできる技は一つか二つである。
その技を限定して磨くことが重要だと斎藤は言っているのである。
これは普段忘れがちな教訓である。
テニスは実にさまざまな技術が要求される。
もちろん、それぞれの技術のレベルを向上させるために時間をかけて練習しなければならないのだが、自分が本当に信じることができる技に磨きをかけなくては、勝負をかけなくてはならない場面で勝負にいけない。
そんな選手では強くなれない。
あなたは「信じることのできる技」を持っているのか。
持っていないのなら、「これだけはどんな場面でも使うことができる!」と自信を持って言える技をひとつでもよいから持つことだ。
私の経験をお話しよう(なんかいつも自分の話ばかりで申し訳ないが、将来これを元に自叙伝を書いて儲けようなどとは思っていないのでご安心いただきたい)。
私の高校のテニス部はコートが一面しかなく、練習する人数も多いので、必然的に半面での練習(時には3分の1面での練習ということもあった)やダブルス練習が多くなる。
私はバックサイド(いまどきはアドバンテージコートといったほうがよいだろうか)を守っていたので、バックサイド側にはいって練習することが多かった。
当然、ラリーでは逆クロスを中心とした練習になる。
また、私の時代は、高校からテニスをはじめる者も多く、当然、フォアに比べてバックハンドが弱い者が多い。
私もそうだった。
だから、自分ではバックハンドを打たないように、相手のバックをフォアで徹底的に狙うという作戦をとるのが普通だった(というより、それしか作戦がなかったといったほうがよいかもしれない)。
それを徹底して行ったおかげ(そうするしかなかった)で、フォアの逆クロスには自信を持つことができた。
これが、私の強さを支えていたといってもよいだろう。
はっきりいって、フォームはきたない(まわりの連中は、私のフォームを評して「ゴキブリ」のようだと言い放った。そうだよなK.N!)。
でも、相手が私の打つ逆クロスに窮して、嫌そうな顔を見るのがすこぶる快感であった。
もちろん、私も人の子である(たぶん?)。
緊張したことは何度もある(ように思う)。
そんなとき、自分の信じる逆クロスを執拗に打っていたように記憶している。
だからこそ、苦しい場面でも勝負をかけることができた。
強くなるにはやはり、自信のある技、武器を持つことが大切なのだ。
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2007年07月11日
晴れ男(939)
しとしとと雨の降り続く梅雨空が続いています。
名古屋地方では、入梅してからあまり梅雨らしくない天気が続いていましたが、ここにきて「らしく」なってきたように思います。
今週末には東海大会に向けた合宿があるので、ちょっぴり心配ではありますが、私は不思議と雨に降られることが少ないんです。
鳥取での練習会でもそうです。雨の予報に反してまったく雨は降りませんでした。練習会が終ってから雨だったようです。
そう、私は「晴れ男」なのです。
本当に不思議なくらい、練習会などのイベントや合宿で雨に降られたことがありません。
私は何度も講習会や練習会の指導に行きましたが、雨が降ってできなかったり、無理やりに講義に変更するなんてことがとても少ないです。
10年間合宿をやっていて、一日中雨に降られてできなかったのはたったの2日しかありません。
昨日もそんな話を寮生の子ども達と話していました。
アメリカの高速道路での居眠り運転で、私を含め、家族全員が奇跡的に無傷で済んだことに「私には守護霊が、それもとても力の強い霊がついている」という話をしました。
私は霊力とか不思議なパワーなどは信じませんが、もうこうなると「何かある」と思わざるを得ませんね。
そんなに大きなパワーはいりませんが、ほんの2,3日合宿中だけ雨が降らないように力を貸してくれたらなあと思っています。
それよりもみんなの「照る照る坊主」パワーにすがろうかとも思いますが、この「照る照る坊主」っていう言葉が嫌いなんだよなあ・・・・。
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2007年07月10日
自己分析を明確に行え(938)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -24-
試合後に感想を聞くと、「なんとなく」、「なんか微妙」、「よくわかんない」などの感想を述べる選手がいる。
これは、実際に私が指導する選手の試合後のコメントである(このような言葉を聴くと、信頼されていないのかと少し落ち込む)。
なぜ、このようなあいまいな言葉でごまかそうとするのか。
報告することが面倒くさいという場合もあるし、コーチとの信頼関係がなくて、話をするのがうっとうしいという場合もあるだろう(これはコーチの責任でもある)。
負けて落ち込んでいるときにいろいろと話すのはつらいことかもしれない。
しかし、私はこのような時に、試合後のコメントをきちんと言えないことを敢えて指摘し、時間をかけて話し合いをする。
この時間は、自分(コーチ)の意見を伝える場ではない。
この場で技術的な問題点を数多く指摘してもあまり効果はない。
自分の弱さを認め、それを克服するために自分の課題を整理し、強くなるためのヒントを探るための時間なのだ。
しっかりと時間をかけることで、次の戦いに向けて自分の気持ちを奮い立たせることができる場合も多く、それを繰り返すことで強い選手に必要なメンタリティーを獲得していくことは少なくない。
だからこそ、きちんと報告をしてほしいと思う。
斎藤孝(「子どもに伝えたい<三つの力>-生きる力を鍛える-」NHKブックス)は、「何かを経験した後に、何もコメントすることがなかったり、あるいはまともなコメントをすることができなかったりするとすれば、その経験の質自体が疑われる。」と厳しく述べている。
また、「コメントする習慣が欧米に比べて日本に乏しいのは、コメントすることがひとつの責任だという意識が希薄だ、というところにあるのではないだろうか。」とも述べている。
そのとおりだと思う。
もし、真剣に勝負を挑んだ試合であれば、勝ち負けに関わらずなにかしら感じるものがあるはずであり、それを素直にきちんと話すことで、感性のエネルギー(斎藤孝(同))を高めることができる。
そのエネルギーの蓄積が強い選手になるためにもっとも大切であることを覚えておいてほしい。
しかし、ひとりで戦っている選手も多いだろう。
そういう選手は、ノートに自分の気持ちや分析した内容を記録するのもよい方法である。
松岡修造はノート(日記)の効用を強調している。私も同感である(最近はノートのかわりにメールで報告するように指導している)。
しかし、「書く」という行為には文章力などの適性もあるだろうし、試合後の報告に十分な時間を取ることができるのなら、「話す」ことがとても良いトレーニングになる。
実際に話を聞いていると、その子どもの思考や感性を感じ取ることができる場合は多いが、文章からそれを読み取ることは難しい。
よく話を聞き、それを記憶するのがコーチの役目だと考える。だから、コーチにこそノートが必要なのだ。
もちろん、私のノートにはそのような内容がしっかりと記録されている(字は大変きたなく、他人が読んでもよくわからないので、情報が外に漏れることはない。どうだ!!)。
いつも持ち歩き、必要なときには子どもに見せながら説明するときもある(もちろん、読めるように清書して・・・)。
大切なことは、何度も確認をすることだ。
そうすることで子どもたちの感性が磨かれると信じることである。
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試合後に感想を聞くと、「なんとなく」、「なんか微妙」、「よくわかんない」などの感想を述べる選手がいる。
これは、実際に私が指導する選手の試合後のコメントである(このような言葉を聴くと、信頼されていないのかと少し落ち込む)。
なぜ、このようなあいまいな言葉でごまかそうとするのか。
報告することが面倒くさいという場合もあるし、コーチとの信頼関係がなくて、話をするのがうっとうしいという場合もあるだろう(これはコーチの責任でもある)。
負けて落ち込んでいるときにいろいろと話すのはつらいことかもしれない。
しかし、私はこのような時に、試合後のコメントをきちんと言えないことを敢えて指摘し、時間をかけて話し合いをする。
この時間は、自分(コーチ)の意見を伝える場ではない。
この場で技術的な問題点を数多く指摘してもあまり効果はない。
自分の弱さを認め、それを克服するために自分の課題を整理し、強くなるためのヒントを探るための時間なのだ。
しっかりと時間をかけることで、次の戦いに向けて自分の気持ちを奮い立たせることができる場合も多く、それを繰り返すことで強い選手に必要なメンタリティーを獲得していくことは少なくない。
だからこそ、きちんと報告をしてほしいと思う。
斎藤孝(「子どもに伝えたい<三つの力>-生きる力を鍛える-」NHKブックス)は、「何かを経験した後に、何もコメントすることがなかったり、あるいはまともなコメントをすることができなかったりするとすれば、その経験の質自体が疑われる。」と厳しく述べている。
また、「コメントする習慣が欧米に比べて日本に乏しいのは、コメントすることがひとつの責任だという意識が希薄だ、というところにあるのではないだろうか。」とも述べている。
そのとおりだと思う。
もし、真剣に勝負を挑んだ試合であれば、勝ち負けに関わらずなにかしら感じるものがあるはずであり、それを素直にきちんと話すことで、感性のエネルギー(斎藤孝(同))を高めることができる。
そのエネルギーの蓄積が強い選手になるためにもっとも大切であることを覚えておいてほしい。
しかし、ひとりで戦っている選手も多いだろう。
そういう選手は、ノートに自分の気持ちや分析した内容を記録するのもよい方法である。
松岡修造はノート(日記)の効用を強調している。私も同感である(最近はノートのかわりにメールで報告するように指導している)。
しかし、「書く」という行為には文章力などの適性もあるだろうし、試合後の報告に十分な時間を取ることができるのなら、「話す」ことがとても良いトレーニングになる。
実際に話を聞いていると、その子どもの思考や感性を感じ取ることができる場合は多いが、文章からそれを読み取ることは難しい。
よく話を聞き、それを記憶するのがコーチの役目だと考える。だから、コーチにこそノートが必要なのだ。
もちろん、私のノートにはそのような内容がしっかりと記録されている(字は大変きたなく、他人が読んでもよくわからないので、情報が外に漏れることはない。どうだ!!)。
いつも持ち歩き、必要なときには子どもに見せながら説明するときもある(もちろん、読めるように清書して・・・)。
大切なことは、何度も確認をすることだ。
そうすることで子どもたちの感性が磨かれると信じることである。
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2007年07月09日
鳥取ジュニア(937)
鳥取県ジュニアの強化練習会の指導に行ってきました。今回で2回目です。
古くからの知り合い(12,3年になります)の石光コーチが鳥取県テニス協会の強化委員長に就任したこと(おっ、すごいぞ)に伴ってこうした機会を与えていただくことができました。とても嬉しいことですね。
はじめて会う子も多く、始めのうちはコミュニケーションもなかなか上手くとれないものですが、今回参加してくれた子ども達は大変素直な子が多く、まるで前から指導してきたような感覚ですっと入っていくことができました。
土地柄もあるでしょうが、鳥取高体連テニス専門委員長の澤田先生をはじめとして、指導されている先生方の人柄によるところが大きいと感じます。
子ども達の雰囲気というのは、指導する側の気持ちや対応で変わってきます。
指導の「何」が優れているのかということを具体的に示すことはむつかしいですが、練習している子ども達の雰囲気や態度を見ればどんな気持ちで指導されているのかは分かります。
そのことに気づかない指導者も多いものですが、子ども達が伸び伸びと、しかし、良い緊張感を持って練習している、そんな雰囲気を作っていきたいと常々思いながら指導してます。これからも、もちろんそうです。
そういう意味で、鳥取の子ども達はテニスを楽しむ感覚をちゃんと持っていると思います。素晴らしいことですね。
短時間間ではありましたが、私の伝えたいことを一生懸命に教えました。私の指導が子ども達にとってどれくらい有益なものかも分かりませんが、何か少しでもヒントになったのであればいいなあと思います。
そして、こうして知り合うことができた子ども達と、またどこかで会い、その成長を見ることができればといいですね。ほんと、テニスのコーチっていいよなあ、と実感できる時です。
鳥取の子ども達!またどこかで会おうなあ!
ちゃんと練習しろよ!
強くなれよ!
名古屋にも遊びに来いよ!
待ってるからなあ!
ちゃんと声が届いたかな
(写真は、2年前の強化練習会のメンバーです)
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2007年07月07日
勝負に対して貪欲であれ(936)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -23-
試合の日は練習コートが用意される。
予約表に自分の名前を記入して練習コートを確保するのだが、強い選手は練習コートの確保がすばやく、少しでも空きがあれば、すぐに自分の練習コートにしてしまう。
ある試合でも、練習時間は20分と決められていたのだが、強い選手は少しでも空いているコートがあれば、さっと名前を記入して練習時間を確保していることに感心したものだ(単なるわがままで、他人の迷惑をかえりみないような奴は後ろから思いっきりけりを入れたくなるが)。
それに対して、弱い選手は、ただ与えられるコートでの練習で良しとしてしまうことが多い。
ある選手は、自分の練習時間が来るまで仲間としゃべっていて、十分に体を動かすこともできないままに練習にはいっていた。
その対戦相手をみると、練習時間前に十分なウォーミングアップを終え、コートに入ればすぐにベースラインからフルスイングできる状態になっている。
もちろん、余分に確保した練習時間で実践的な練習に取り組んでいた。もう何も言うことはない。
・
・
この時点で勝負はすでについている。
強い選手は、勝利することに対して大変に貪欲だ。
・
・
そのための準備は万端である。
単に身体的にウォーミングアップができているというのとは違う。
勝つために自分の気持ちを高めることができ、そのための行動をしっかりと行うことができる。
ここでもう一度、イチローのコメントを載せておこう。
「やれることはすべてやったし、手を抜いたことは一度もない。常にやれることをやろうとした自分がいたこと、それに対して準備ができた自分がいたことを、誇りに思っている。」
君たちにこのプライドがあるのか?なければ強い選手になることは不可能だと言うことを自覚してほしい。
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試合の日は練習コートが用意される。
予約表に自分の名前を記入して練習コートを確保するのだが、強い選手は練習コートの確保がすばやく、少しでも空きがあれば、すぐに自分の練習コートにしてしまう。
ある試合でも、練習時間は20分と決められていたのだが、強い選手は少しでも空いているコートがあれば、さっと名前を記入して練習時間を確保していることに感心したものだ(単なるわがままで、他人の迷惑をかえりみないような奴は後ろから思いっきりけりを入れたくなるが)。
それに対して、弱い選手は、ただ与えられるコートでの練習で良しとしてしまうことが多い。
ある選手は、自分の練習時間が来るまで仲間としゃべっていて、十分に体を動かすこともできないままに練習にはいっていた。
その対戦相手をみると、練習時間前に十分なウォーミングアップを終え、コートに入ればすぐにベースラインからフルスイングできる状態になっている。
もちろん、余分に確保した練習時間で実践的な練習に取り組んでいた。もう何も言うことはない。
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この時点で勝負はすでについている。
強い選手は、勝利することに対して大変に貪欲だ。
・
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そのための準備は万端である。
単に身体的にウォーミングアップができているというのとは違う。
勝つために自分の気持ちを高めることができ、そのための行動をしっかりと行うことができる。
ここでもう一度、イチローのコメントを載せておこう。
「やれることはすべてやったし、手を抜いたことは一度もない。常にやれることをやろうとした自分がいたこと、それに対して準備ができた自分がいたことを、誇りに思っている。」
君たちにこのプライドがあるのか?なければ強い選手になることは不可能だと言うことを自覚してほしい。
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2007年07月06日
ウィンブルドン裏情報(935)
テニスの祭典「ウィンブルドン」はいよいよ大詰めですね。
総合テレビでの放送が少ないのはちょっと寂しい気もしますが、森上選手対V・ウィイリアムズ選手、シャラポワ選手対V・ウィイリアムズ選手の試合は久しぶりに心躍る素晴らしい試合でした(翌日の寝不足が辛かったですが)。
私は3度ほどウィンブルドンに行って、生で観戦したことがあります。
やっぱり迫力も違い、何よりも「テニスの聖地」にいる感激に浸ることができるのは素晴らしいことだと思います。
その中でもIDパスを発行してもらい、普段見ることができないウィンブルドンを知る機会に恵まれたことは大きな経験になりました。
その時にいろいろと見てまわった情報を少し提供したいと思います(ウィンブルドンが始まる前にすれば良かったですね)。
多少の思い違いもあるかもしれませんので、「違うやないか!」という突っ込みは無しでお願いします。
--------------------------------------------
選手は、控え室から大型スクリーンの下を通って練習に行くので、ここでサインをもらうことができます。
ランキング10位以内の選手には特別なロッカールームが与えられます。かなり立派なロッカーでしたよ。
ベスト8に入った選手だけが入ることができる会員制のクラブがあります。すいません、名前は忘れました。
ウィンブルドン博物館があります。でも、あまりたいした展示はありません。
IDがあれば「ミドルサンデー」でも入場できます。選手もほとんど練習していません。特に私が言った時は、幸い(?)雨だったので、警備の人以外誰もいませんでした。誰もいないコートを見たければこれしかないですね。
意外と簡単にチケットは並べば手にはいります。ただし、2週目のスタディアムのチケットはなかなかに入りません。それを手に入れるために何日もテントを張って並びます。
並んでいるといろいろなものがもらえます。だから並ぶことはそれほど苦痛ではありません。
近くのホテルなどは倍ぐらい(ちょっと大げさかも?)に値上がりします。突然の特別価格にちょっとびっくりです。
出店には多くの贋物グッズがならびます。でも安いです。
観客にもっとも近い大会です。選手は目の前でプレーします。手を伸ばせば触れそうなぐらいです。もちろん、トップ選手はスタディアムコートなのでちょっと距離がありますね。
「ウィンブルドン」は実は公共のコートです。誰かの推薦があれば基本的に誰でもプレーすることができると聞きました。もちろん、スタディアムコートではプレーできません。
王室関係の席とその周りの指定された席ではネクタイの着用が義務付けられています。緊張して観戦どころではないかもしれませんね。
でも、王室の席はそれほど豪華ではありません。だいぶ古くなっています。王室関係者の部屋も思っていたよりも質素です。
無料の観客席では一度席を立つとまた並び直しです。それを知らなかったので、席に戻ろうとして呼び止められました。始めは意味が分からなくて、ちょっとむっとしてしまいました(人間ができていない証拠だなあ)。
名物のイチゴはあまり冷えてもなくて、600円ぐらいと高いです。私はあまりおいしいとは思いませんでした。
毎日芝生の長さを調整し刈る専門の人がいます。朝、その人は地面にはいつくばってメジャーのようなもので芝生の長さを計っています。
プレーヤーズラウンジでダペンポートの隣で食事をしました。でも、やはりロンドン、あまりおいしくはありません。
「風格」が違います。「テニスの聖地」、一度は訪れてみる価値があります。何度でも訪れてみたい、そんな気持ちになるに違いありません。
※詳しくは、私のホームページの「JTNレポート」をご覧下さい。
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2007年07月06日
最後は体力(934)
テニスはとてもむつかしいスポーツです。
ネットをはさんで対峙して行うスポーツではもっとも大きなコートを使用します。
ラケットスポーツの中では、もっとも重いラケットを使用します。
もちろん、ボールも重いです。
覚えるべき技術はたくさんあります。
以前、テニスの技術項目を調べたことがあります。
他のスポーツでは、多くても30~40項目程度ですが、テニスは70以上にもなります。
フォアハンドストローク(FS)だけ取り上げてみても、
トップスピン、フラット、スライスなどのボールに回転をかける技術だけではなく、ロブやドロップショット、はてはブーメランスネークなんてのもあります(ほんと?)。
それだけたくさんの技術があって、名前を覚えるだけでも大変ですから、それを実際に行うのはとてもむつかしいものです。
たくさんの技術があると、どうしても技術練習が優先されます。
日本のように使用できるコートの時間が限られていればなおさらです。
でも、選手として成長するためには、「最後は体力」が勝負であることを忘れてはいけません。
この間の試合でも、前半一方的にリードしながら、中盤から競り合いになって、後半息切れして敗退する、という試合を見ました。
上のレベルの大会になればなるほど、「この差」が大きくなります。
技術だけではカバーしきれない限界がはっきりと見えてきます。
そうならないため今から準備をしなければなりません。
先日、大会終了後に協会の練習会が行われました。
試合が終わった後でもあり、急に気温が上がったので多くの選手がへばっていたそうです。
その中で、私のクラブの選手は最後まで元気に練習しているの見て感心したという報告をもらいました。
とても嬉しく思います。
選手として、さらにもう一歩すすむための土台ができたとも感じます。
トレーニングは苦しいものです。
でも、強くなりたければ避けては通れなません。
強い意志を持ってやり続け、それが当たり前になった時、まちがいなく強くなっています。
それを信じてほしいと思います。
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2007年07月05日
弱気な言葉を口にするな(933)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -22-
一日中試合会場をうろついていると、いろいろな会話が聞こえてくる。
そのほとんどは「くだらねぇな。やっぱガキの会話だな。」という程度のものだ。
まだ会話があれば良いほうなのかもしれない。あちこちでメールのやり取りをしている姿が、本当によく目につく。
メールは新しい時代のコミュニケーションの手段なのだろうが、私は「電話なんて話せりゃいいじゃん」と思う(ダウンタウンの松本仁志もそう思っている)。
ただ、テニスの話になると、特に試合前は、それなりの緊張感やけん制の入り混じった、なんとなく堅苦しい会話になるようだ。
そんな会話の中にも強い者とそうでない者を明確に隔てる法則が存在しているのだが、あなたにはお分かりであろうか。
それは、ずばり!「強い選手は弱気な言葉を吐かない」というものだ。
もちろん、単に強気な言葉を口にするというのとは違う。
弱気な自分をごまかしたり、奮い立たせるために「俺が絶対に勝つ」と言い張るのは単なるツッパリだ(いまどきこんな言葉を使って意味が通じるのかなあ)。
また、「絶対負けないよ」とか「負けるはずないじゃん」と、自分の強さを過信し、慢心しているときにでてくる言葉でもない(宇宙戦艦ヤマトで、宿敵デスラーが「ヤマトの諸君、私に勝てるかな?」と嘲笑するように見下して言う言葉のようだといえばわかりやすいか)。
そうではなく、「確かに厳しいけれど、集中力が切れなければ大丈夫」、「相手のフォアの攻撃を防ぐことができれば勝てる」など、相手の観察と自己分析によって、戦うためにどうすればよいのかが明確になっており、それを実践しようとする意志をはっきりと口にできる奴が強い選手だ。
それに対して、弱い選手は、「もう無理、無理」、「多分負ける」、「どうしようもない」などという弱気な言葉を平気で吐く。
心理的には「弱気な言葉を吐いて、負けたときの言い訳を用意する」ことを意味している。
強い奴がこういう気持ちで向かってくるのに、それに怯んでいたら勝ち目は100%ない。
どうすれば勝つチャンスが生まれるか、そのために自分のすべきことはなにかついて焦点をきっちりと向けられる奴でなければ、可能性は開けない。
ヤマトは圧倒的に不利な状況でも決してあきらめなかった。
常にそのときにできる最善策を模索しながら、なにがなんでもイスカンダルにたどり着くのだという強い意志に支えられて行動した。
だから、絶対の力に慢心していたデスラーは敗れ去ったのだ。君はヤマトになれるのか!!!(すみません。なにしろ最も好きなアニメなので、興奮してしまった)。
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一日中試合会場をうろついていると、いろいろな会話が聞こえてくる。
そのほとんどは「くだらねぇな。やっぱガキの会話だな。」という程度のものだ。
まだ会話があれば良いほうなのかもしれない。あちこちでメールのやり取りをしている姿が、本当によく目につく。
メールは新しい時代のコミュニケーションの手段なのだろうが、私は「電話なんて話せりゃいいじゃん」と思う(ダウンタウンの松本仁志もそう思っている)。
ただ、テニスの話になると、特に試合前は、それなりの緊張感やけん制の入り混じった、なんとなく堅苦しい会話になるようだ。
そんな会話の中にも強い者とそうでない者を明確に隔てる法則が存在しているのだが、あなたにはお分かりであろうか。
それは、ずばり!「強い選手は弱気な言葉を吐かない」というものだ。
もちろん、単に強気な言葉を口にするというのとは違う。
弱気な自分をごまかしたり、奮い立たせるために「俺が絶対に勝つ」と言い張るのは単なるツッパリだ(いまどきこんな言葉を使って意味が通じるのかなあ)。
また、「絶対負けないよ」とか「負けるはずないじゃん」と、自分の強さを過信し、慢心しているときにでてくる言葉でもない(宇宙戦艦ヤマトで、宿敵デスラーが「ヤマトの諸君、私に勝てるかな?」と嘲笑するように見下して言う言葉のようだといえばわかりやすいか)。
そうではなく、「確かに厳しいけれど、集中力が切れなければ大丈夫」、「相手のフォアの攻撃を防ぐことができれば勝てる」など、相手の観察と自己分析によって、戦うためにどうすればよいのかが明確になっており、それを実践しようとする意志をはっきりと口にできる奴が強い選手だ。
それに対して、弱い選手は、「もう無理、無理」、「多分負ける」、「どうしようもない」などという弱気な言葉を平気で吐く。
心理的には「弱気な言葉を吐いて、負けたときの言い訳を用意する」ことを意味している。
強い奴がこういう気持ちで向かってくるのに、それに怯んでいたら勝ち目は100%ない。
どうすれば勝つチャンスが生まれるか、そのために自分のすべきことはなにかついて焦点をきっちりと向けられる奴でなければ、可能性は開けない。
ヤマトは圧倒的に不利な状況でも決してあきらめなかった。
常にそのときにできる最善策を模索しながら、なにがなんでもイスカンダルにたどり着くのだという強い意志に支えられて行動した。
だから、絶対の力に慢心していたデスラーは敗れ去ったのだ。君はヤマトになれるのか!!!(すみません。なにしろ最も好きなアニメなので、興奮してしまった)。
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2007年07月03日
単行本(932)
じつは「強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則」の単行本の発刊企画が進んでいます。
今年の冬ぐらいの発刊を目指しているらしいですが、詳しい打ち合わせは今月中に行います。
本の発刊は結構大変な作業です。今までに2冊ほど関係してきましたが、執筆者の苦労はもとより編集者も大変な思いをして本が発行されます。
しかし、毎日のように書店には数多くの本が並びます。それだけ多くの執筆者がいるということは驚きですね。
なぜこんなに苦労するのに本を出すのかというと、もっとも大きな理由は「自分の足跡を残すことである」と誰かが言っていたのを覚えています。
確かに、何か自分の思いや業績のようなものを「形」として残すことは大変魅力的です。
今はブログが大全盛ですが、これも自分の思いを残す作業といっても良いと思います。
そのほかの理由としては「夢の印税生活」というのもあるかもしれません。
私もそれなりに書いていますので、多くの読者の方の目に留まっているとは思いますが、その印税で生活するなんてことは及びもつかないことです。
たまに「いいねえ、書くだけで儲かるなんて」と冗談半分に言われたりもしますが、作家として飯を食っている人は一体何人くらいいるんでしょうか。ほとんどいないように思います。
それくらい印税で生活するのは大変なことなんですね。私には夢のまた夢どころか夢でもありません。
私にとって「書く」ということは、自己実現のひとつの方法です。
あまり楽しみながら書くというようなこともありませんが、自分の考え方や思いが少しでも役立つのであればいいなという思いで書いています。
それでも長いこと書いてきてそれが「形」になるというのは嬉しいことです。
できるだけ多くの方に喜んでいただき、実践的に役立つような構成にしたいと考えています。今からその構想を練ってみたいと思います。
どんな本に仕上がるのか、とても楽しみです。
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2007年07月02日
心のプロ意識(931)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -21-
ひとりで戦うことは「勇気」や「忍耐力」などが高いレベルで必要になる。今まで安易に取り組んできた奴が、いきなり「自立」して戦えるようになることはほとんどないだろう。
長田一臣(同)は、「時代が変わり、環境が変わっても、人間が根本から変わることはない。」と言っている。怠惰に流される奴は怠惰に流される性質が身に染み付いているのだ。
これを変えることは、はなはだ難しいことは承知している。しかし、意識が変わることで劇的に強い選手になることもある。これを「強さの降臨」と呼んだことを覚えている読者も多いはずだ(そんなに多くはないか)。
長田も「変わるとは「意識」が変わるということだ。意識が変われば新しい人間が生まれる。人間が変わらないで、どうして新しい局面、新しい世界が展開するだろうか。」と意識の変革によって人間が変われることを示唆している。
ひょっとしたら、この文を読んで感動し、素晴らしく意識が変わって強い選手になる人もでてくるかもしれない。(だといいなあ)
意識を変えるきっかけとして、クラブ活動に参加したり、遠征にでかけたりして苦しい経験や悲しい思いをすることなどが必要であると述べた。
しかし、そのような経験が定期的にないと人間はつい怠惰なほうへ流れてしまうのが常だ。
そこで、日常的に自分の活動の基準を上げて、より強い自分を作り上げるために意識しておくとよいことがある。
それは“プロ意識”である。
“プロ”とは何かというと、簡単に言えば、それで飯を食っている奴のことだ。そして、テニスのためには多くのものを犠牲にできる意識を持った存在である。この意識は強烈に自分を変えてくれる可能性を秘めている。
私はプロのトレーナーとしての立場を強く意識したときに、タバコをきっぱりとやめることができた。それまで、何度となく禁煙に失敗し(禁煙ガムもだめ、禁煙本ももちろんだめだった)、そのつど適当な言い訳を考え、自分自身をごまかしていた意志の弱い自分が、ある日を境にキッパリとタバコをやめることができたのである。
「タバコを吸っている(プロの)トレーナーっているの?」と、何気なく投げかけられた言葉にがんと頭を打たれた。その時、「多くの人は、トレーナーとは自分自身をきちんとコントロールすることができる人だという認識を持っている。もし、タバコを吸っている私の姿を見たら、誰もトレーニングを指導してほしいだろうとは思わないだろう。」との考えが頭を駆け巡った。それと同時に、それまでの浅はかな自分の考えを痛感させられた。このことは鮮明に覚えている。そして、そのときから一度としてタバコを口にしていない。その日からプロのトレーナーとしての意識を強く持つようになった。担当していた選手のトレーニングメニューを再確認し、構成しなおすことを一生懸命にやった。担当しているクラブのトレーニングメニューなどを毎回のようにチェックする習慣がついたのもこのときからだ。まさに意識が変わったのだ。
もちろん、私は実際のプロなので、プロ意識を持つことは当たり前かもしれないが。強くなりたいと切実に願うのならば、戦績や体裁、資格などは関係ない、「自分はプロである」との意識を持って行動することだ。
プロ意識とは、決して素晴らしい高みにある意識ではない。いつも結果や他人の評価に怯え、自分に隙がないように細心の注意を払い、それでも拭いきれない不安を感じるから一生懸命勉強したり、行動したり、練習する。とても弱き存在としての自分、不安な自分を強く感じる人間の意識である。
それを知りながら、それを克服しようと不断の努力をしようとする意志に支えられた意識とでもいうべきものである。それが、「強くなるための鍵」となる。
元プロ選手の遠藤愛(「スポーツの知と技」大修館書店)は、「大学入学当初から気持ち的にはプロでいようと思っていました。アマチュアでもプロの試合に出られるし、ウィンブルドンにも出られます。ですから、表面的なもので区別するのはあまり意味がありません。実際プロになってみてはじめてわかったことですが、アマとプロの違いは、自分の気持ちのなかで何を最優先するかという問題だと思います。そして、そのためにどれだけものを犠牲にできるか、どれだけの比率をテニスにつぎ込むことができるか、それが違うのではないかと思います。」と述べている。
そして、「誘惑に負けない気持ち、テニス対する真摯な考え方ができるようになったのが、大学の指導教官の「心のプロになれ」という言葉だった。」と言っています。
区別は自分でつけるものだ。多くの読者の方は、資格的にはもちろんアマチュアだろう(プロの方も読んでいるかもしれないが)。
でも、「心はいつでもプロ」になることができる。
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ひとりで戦うことは「勇気」や「忍耐力」などが高いレベルで必要になる。今まで安易に取り組んできた奴が、いきなり「自立」して戦えるようになることはほとんどないだろう。
長田一臣(同)は、「時代が変わり、環境が変わっても、人間が根本から変わることはない。」と言っている。怠惰に流される奴は怠惰に流される性質が身に染み付いているのだ。
これを変えることは、はなはだ難しいことは承知している。しかし、意識が変わることで劇的に強い選手になることもある。これを「強さの降臨」と呼んだことを覚えている読者も多いはずだ(そんなに多くはないか)。
長田も「変わるとは「意識」が変わるということだ。意識が変われば新しい人間が生まれる。人間が変わらないで、どうして新しい局面、新しい世界が展開するだろうか。」と意識の変革によって人間が変われることを示唆している。
ひょっとしたら、この文を読んで感動し、素晴らしく意識が変わって強い選手になる人もでてくるかもしれない。(だといいなあ)
意識を変えるきっかけとして、クラブ活動に参加したり、遠征にでかけたりして苦しい経験や悲しい思いをすることなどが必要であると述べた。
しかし、そのような経験が定期的にないと人間はつい怠惰なほうへ流れてしまうのが常だ。
そこで、日常的に自分の活動の基準を上げて、より強い自分を作り上げるために意識しておくとよいことがある。
それは“プロ意識”である。
“プロ”とは何かというと、簡単に言えば、それで飯を食っている奴のことだ。そして、テニスのためには多くのものを犠牲にできる意識を持った存在である。この意識は強烈に自分を変えてくれる可能性を秘めている。
私はプロのトレーナーとしての立場を強く意識したときに、タバコをきっぱりとやめることができた。それまで、何度となく禁煙に失敗し(禁煙ガムもだめ、禁煙本ももちろんだめだった)、そのつど適当な言い訳を考え、自分自身をごまかしていた意志の弱い自分が、ある日を境にキッパリとタバコをやめることができたのである。
「タバコを吸っている(プロの)トレーナーっているの?」と、何気なく投げかけられた言葉にがんと頭を打たれた。その時、「多くの人は、トレーナーとは自分自身をきちんとコントロールすることができる人だという認識を持っている。もし、タバコを吸っている私の姿を見たら、誰もトレーニングを指導してほしいだろうとは思わないだろう。」との考えが頭を駆け巡った。それと同時に、それまでの浅はかな自分の考えを痛感させられた。このことは鮮明に覚えている。そして、そのときから一度としてタバコを口にしていない。その日からプロのトレーナーとしての意識を強く持つようになった。担当していた選手のトレーニングメニューを再確認し、構成しなおすことを一生懸命にやった。担当しているクラブのトレーニングメニューなどを毎回のようにチェックする習慣がついたのもこのときからだ。まさに意識が変わったのだ。
もちろん、私は実際のプロなので、プロ意識を持つことは当たり前かもしれないが。強くなりたいと切実に願うのならば、戦績や体裁、資格などは関係ない、「自分はプロである」との意識を持って行動することだ。
プロ意識とは、決して素晴らしい高みにある意識ではない。いつも結果や他人の評価に怯え、自分に隙がないように細心の注意を払い、それでも拭いきれない不安を感じるから一生懸命勉強したり、行動したり、練習する。とても弱き存在としての自分、不安な自分を強く感じる人間の意識である。
それを知りながら、それを克服しようと不断の努力をしようとする意志に支えられた意識とでもいうべきものである。それが、「強くなるための鍵」となる。
元プロ選手の遠藤愛(「スポーツの知と技」大修館書店)は、「大学入学当初から気持ち的にはプロでいようと思っていました。アマチュアでもプロの試合に出られるし、ウィンブルドンにも出られます。ですから、表面的なもので区別するのはあまり意味がありません。実際プロになってみてはじめてわかったことですが、アマとプロの違いは、自分の気持ちのなかで何を最優先するかという問題だと思います。そして、そのためにどれだけものを犠牲にできるか、どれだけの比率をテニスにつぎ込むことができるか、それが違うのではないかと思います。」と述べている。
そして、「誘惑に負けない気持ち、テニス対する真摯な考え方ができるようになったのが、大学の指導教官の「心のプロになれ」という言葉だった。」と言っています。
区別は自分でつけるものだ。多くの読者の方は、資格的にはもちろんアマチュアだろう(プロの方も読んでいるかもしれないが)。
でも、「心はいつでもプロ」になることができる。
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2007年07月01日
大切な時間(930)
この時期は、高校生最後の試合が終ってクラブをやめて行く子がいたり、大切な試合で力を発揮できないで負けていったりといろいろと辛いことや悲しいことが多くなります。
だから私はこの季節があまり好きではありません。そういうことがあるとやはり悲しい思いをします。
私はそういう落ち込みモードの時やストレスがたまってうまく考えがまとまらない時などに必ずすることがあります。
それは「ぬるいお湯に長い時間入る」ことです。
ある研究結果では身体的にもっともリラックスできるのは38度くらいといわれていますが、それよりも低い温度で入ります。温水プールよりもちょっと暖かいくらいですね。
それくらいの温度のお湯にゆったりと入り、湯船に身を委ねていると、いろいろなことが思い浮かびます。
うまく力を発揮できないで敗れ去った試合を見たときなどは、
うまく指導できなくて申し訳ないなあ・・・
私にもっと指導力があればなあ・・・
感情的になってごめんな・・・
もっといいアドバイスがあったんじゃないかなあ・・・
などと自分を責めるような言葉が浮かんできます。
その言葉にじっと耳を傾けます・・・
その事実を受け入れます・・・
その言葉が浮かんだ時に硬くなる身体の感じを積極的に感じるようにします・・・
そうすると、その言葉の意味が転換されてきます。
力がないならもっと勉強すればいいいやん!
もっとやれることがあると思うのなら、それが見つかれば今よりももっと良くなるやん!
苦しいとか悲しいとか思うからそれが前に進む力になるんや!
そういうことを考えてる今はとても素晴らしい時間やないか!
と前向きに考えることができるようになってきます。
そういう考えが浮かんできて、気持ちが楽になるまでずっとお湯に入っています。
長いときは1時間以上も入っています。
手もふやけて変な感じなりますが、湯船からでる時は何ともいえない爽快感がありますね。
世の中にはいろいろなリラクゼーションの方法があります。どの方法が効果があるのかは分かりませんが、私にはこの方法が、そしてこの時間がとても大切です。
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