2007年07月12日
練習と同じボールを打て(940)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -25-
強い選手の練習をよく観察してみよう。
ジュニアのレベルでは、練習での様子を見ていてもその強さを判別することが難しい。
もちろん、打球の鋭さや将来性を感じるフォーム、コート上での振る舞いなどで判別することは可能であるが、弱い選手とどれほどの差があるのかについては明確でない場合も多い。
しかし、練習の様子とあわせて試合を観察すると、強い選手と弱い選手との差は歴然としていることに気づく。
それは、「強い選手は練習と同じボールを打つことができる」ということだ。
練習では伸び伸びと鋭い打球を打つ選手が、試合になると弱々しいボールでラリーを続けることは多い。
練習とはまるで違うボール打っているのを見て、「これは、強くなれないかもしれないな」と思ってしまう。
私が見てきた強い選手は、例外なく、試合で練習と同じボールを打つことができる。
もちろん、練習ではミスするかもしれない課題に全力で取り組むのだから、試合よりもミスが多くなる場合もあるだろう。
しかし、練習で少しでもよい感触を得たら、迷わず実際の試合でチャレンジしているのを見て、「これは強くなるな」と感じたものだ。
失点やミスを恐れず、果敢にチャレンジし続ける、簡単そうにみえるが、これを実際の試合でやることは大変に難しい。
強くなる選手とそうでない選手を分ける最も大きな要因であると言ってもよいだろう。
斎藤孝(「「できる人」はどこがちがうのか」ちくま新書)は、所属する大学のテニスクラブに入ってきた、尋常でない速度で上達する選手に関するエピソードで、「私がインパクトを受けたのは、彼が試合でも練習同様にハードヒットできるということであった。(中略)練習と試合とのギャップの少なさを目のあたりにして、技を限定して磨くことの重要性をいっそう痛感した。」と述べている。
練習は何のためにするのかといえば、試合に勝つためだ。
人間を磨くためというような崇高な目的で練習に取り組む場合もあるだろうが(それはそれですごいことである)、その多くは試合に勝つためにやる。
なのに、試合で打つボールと練習で打つボールがまったく違えば、今までのやってきた練習の意味がわからなくなってしまう。
あたりまえの話なのだが、試合では練習してきたボールを打たなくてはならない。
なんだか、こう書くと簡単なことのように思うのだが、本当は大変難しい。
なぜなら、試合では一球に対する「重み」が違う。
ミスに対する不安や負けること対する恐怖などが大きくなるので、練習どおりのボールが打てなくてあたりまえだ。
だからこそ、訓練するのだ。
マッチポイントなど、緊張する場面で本当に信じて使うことのできる技は一つか二つである。
その技を限定して磨くことが重要だと斎藤は言っているのである。
これは普段忘れがちな教訓である。
テニスは実にさまざまな技術が要求される。
もちろん、それぞれの技術のレベルを向上させるために時間をかけて練習しなければならないのだが、自分が本当に信じることができる技に磨きをかけなくては、勝負をかけなくてはならない場面で勝負にいけない。
そんな選手では強くなれない。
あなたは「信じることのできる技」を持っているのか。
持っていないのなら、「これだけはどんな場面でも使うことができる!」と自信を持って言える技をひとつでもよいから持つことだ。
私の経験をお話しよう(なんかいつも自分の話ばかりで申し訳ないが、将来これを元に自叙伝を書いて儲けようなどとは思っていないのでご安心いただきたい)。
私の高校のテニス部はコートが一面しかなく、練習する人数も多いので、必然的に半面での練習(時には3分の1面での練習ということもあった)やダブルス練習が多くなる。
私はバックサイド(いまどきはアドバンテージコートといったほうがよいだろうか)を守っていたので、バックサイド側にはいって練習することが多かった。
当然、ラリーでは逆クロスを中心とした練習になる。
また、私の時代は、高校からテニスをはじめる者も多く、当然、フォアに比べてバックハンドが弱い者が多い。
私もそうだった。
だから、自分ではバックハンドを打たないように、相手のバックをフォアで徹底的に狙うという作戦をとるのが普通だった(というより、それしか作戦がなかったといったほうがよいかもしれない)。
それを徹底して行ったおかげ(そうするしかなかった)で、フォアの逆クロスには自信を持つことができた。
これが、私の強さを支えていたといってもよいだろう。
はっきりいって、フォームはきたない(まわりの連中は、私のフォームを評して「ゴキブリ」のようだと言い放った。そうだよなK.N!)。
でも、相手が私の打つ逆クロスに窮して、嫌そうな顔を見るのがすこぶる快感であった。
もちろん、私も人の子である(たぶん?)。
緊張したことは何度もある(ように思う)。
そんなとき、自分の信じる逆クロスを執拗に打っていたように記憶している。
だからこそ、苦しい場面でも勝負をかけることができた。
強くなるにはやはり、自信のある技、武器を持つことが大切なのだ。
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強い選手の練習をよく観察してみよう。
ジュニアのレベルでは、練習での様子を見ていてもその強さを判別することが難しい。
もちろん、打球の鋭さや将来性を感じるフォーム、コート上での振る舞いなどで判別することは可能であるが、弱い選手とどれほどの差があるのかについては明確でない場合も多い。
しかし、練習の様子とあわせて試合を観察すると、強い選手と弱い選手との差は歴然としていることに気づく。
それは、「強い選手は練習と同じボールを打つことができる」ということだ。
練習では伸び伸びと鋭い打球を打つ選手が、試合になると弱々しいボールでラリーを続けることは多い。
練習とはまるで違うボール打っているのを見て、「これは、強くなれないかもしれないな」と思ってしまう。
私が見てきた強い選手は、例外なく、試合で練習と同じボールを打つことができる。
もちろん、練習ではミスするかもしれない課題に全力で取り組むのだから、試合よりもミスが多くなる場合もあるだろう。
しかし、練習で少しでもよい感触を得たら、迷わず実際の試合でチャレンジしているのを見て、「これは強くなるな」と感じたものだ。
失点やミスを恐れず、果敢にチャレンジし続ける、簡単そうにみえるが、これを実際の試合でやることは大変に難しい。
強くなる選手とそうでない選手を分ける最も大きな要因であると言ってもよいだろう。
斎藤孝(「「できる人」はどこがちがうのか」ちくま新書)は、所属する大学のテニスクラブに入ってきた、尋常でない速度で上達する選手に関するエピソードで、「私がインパクトを受けたのは、彼が試合でも練習同様にハードヒットできるということであった。(中略)練習と試合とのギャップの少なさを目のあたりにして、技を限定して磨くことの重要性をいっそう痛感した。」と述べている。
練習は何のためにするのかといえば、試合に勝つためだ。
人間を磨くためというような崇高な目的で練習に取り組む場合もあるだろうが(それはそれですごいことである)、その多くは試合に勝つためにやる。
なのに、試合で打つボールと練習で打つボールがまったく違えば、今までのやってきた練習の意味がわからなくなってしまう。
あたりまえの話なのだが、試合では練習してきたボールを打たなくてはならない。
なんだか、こう書くと簡単なことのように思うのだが、本当は大変難しい。
なぜなら、試合では一球に対する「重み」が違う。
ミスに対する不安や負けること対する恐怖などが大きくなるので、練習どおりのボールが打てなくてあたりまえだ。
だからこそ、訓練するのだ。
マッチポイントなど、緊張する場面で本当に信じて使うことのできる技は一つか二つである。
その技を限定して磨くことが重要だと斎藤は言っているのである。
これは普段忘れがちな教訓である。
テニスは実にさまざまな技術が要求される。
もちろん、それぞれの技術のレベルを向上させるために時間をかけて練習しなければならないのだが、自分が本当に信じることができる技に磨きをかけなくては、勝負をかけなくてはならない場面で勝負にいけない。
そんな選手では強くなれない。
あなたは「信じることのできる技」を持っているのか。
持っていないのなら、「これだけはどんな場面でも使うことができる!」と自信を持って言える技をひとつでもよいから持つことだ。
私の経験をお話しよう(なんかいつも自分の話ばかりで申し訳ないが、将来これを元に自叙伝を書いて儲けようなどとは思っていないのでご安心いただきたい)。
私の高校のテニス部はコートが一面しかなく、練習する人数も多いので、必然的に半面での練習(時には3分の1面での練習ということもあった)やダブルス練習が多くなる。
私はバックサイド(いまどきはアドバンテージコートといったほうがよいだろうか)を守っていたので、バックサイド側にはいって練習することが多かった。
当然、ラリーでは逆クロスを中心とした練習になる。
また、私の時代は、高校からテニスをはじめる者も多く、当然、フォアに比べてバックハンドが弱い者が多い。
私もそうだった。
だから、自分ではバックハンドを打たないように、相手のバックをフォアで徹底的に狙うという作戦をとるのが普通だった(というより、それしか作戦がなかったといったほうがよいかもしれない)。
それを徹底して行ったおかげ(そうするしかなかった)で、フォアの逆クロスには自信を持つことができた。
これが、私の強さを支えていたといってもよいだろう。
はっきりいって、フォームはきたない(まわりの連中は、私のフォームを評して「ゴキブリ」のようだと言い放った。そうだよなK.N!)。
でも、相手が私の打つ逆クロスに窮して、嫌そうな顔を見るのがすこぶる快感であった。
もちろん、私も人の子である(たぶん?)。
緊張したことは何度もある(ように思う)。
そんなとき、自分の信じる逆クロスを執拗に打っていたように記憶している。
だからこそ、苦しい場面でも勝負をかけることができた。
強くなるにはやはり、自信のある技、武器を持つことが大切なのだ。
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