2007年07月02日
心のプロ意識(931)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -21-
ひとりで戦うことは「勇気」や「忍耐力」などが高いレベルで必要になる。今まで安易に取り組んできた奴が、いきなり「自立」して戦えるようになることはほとんどないだろう。
長田一臣(同)は、「時代が変わり、環境が変わっても、人間が根本から変わることはない。」と言っている。怠惰に流される奴は怠惰に流される性質が身に染み付いているのだ。
これを変えることは、はなはだ難しいことは承知している。しかし、意識が変わることで劇的に強い選手になることもある。これを「強さの降臨」と呼んだことを覚えている読者も多いはずだ(そんなに多くはないか)。
長田も「変わるとは「意識」が変わるということだ。意識が変われば新しい人間が生まれる。人間が変わらないで、どうして新しい局面、新しい世界が展開するだろうか。」と意識の変革によって人間が変われることを示唆している。
ひょっとしたら、この文を読んで感動し、素晴らしく意識が変わって強い選手になる人もでてくるかもしれない。(だといいなあ)
意識を変えるきっかけとして、クラブ活動に参加したり、遠征にでかけたりして苦しい経験や悲しい思いをすることなどが必要であると述べた。
しかし、そのような経験が定期的にないと人間はつい怠惰なほうへ流れてしまうのが常だ。
そこで、日常的に自分の活動の基準を上げて、より強い自分を作り上げるために意識しておくとよいことがある。
それは“プロ意識”である。
“プロ”とは何かというと、簡単に言えば、それで飯を食っている奴のことだ。そして、テニスのためには多くのものを犠牲にできる意識を持った存在である。この意識は強烈に自分を変えてくれる可能性を秘めている。
私はプロのトレーナーとしての立場を強く意識したときに、タバコをきっぱりとやめることができた。それまで、何度となく禁煙に失敗し(禁煙ガムもだめ、禁煙本ももちろんだめだった)、そのつど適当な言い訳を考え、自分自身をごまかしていた意志の弱い自分が、ある日を境にキッパリとタバコをやめることができたのである。
「タバコを吸っている(プロの)トレーナーっているの?」と、何気なく投げかけられた言葉にがんと頭を打たれた。その時、「多くの人は、トレーナーとは自分自身をきちんとコントロールすることができる人だという認識を持っている。もし、タバコを吸っている私の姿を見たら、誰もトレーニングを指導してほしいだろうとは思わないだろう。」との考えが頭を駆け巡った。それと同時に、それまでの浅はかな自分の考えを痛感させられた。このことは鮮明に覚えている。そして、そのときから一度としてタバコを口にしていない。その日からプロのトレーナーとしての意識を強く持つようになった。担当していた選手のトレーニングメニューを再確認し、構成しなおすことを一生懸命にやった。担当しているクラブのトレーニングメニューなどを毎回のようにチェックする習慣がついたのもこのときからだ。まさに意識が変わったのだ。
もちろん、私は実際のプロなので、プロ意識を持つことは当たり前かもしれないが。強くなりたいと切実に願うのならば、戦績や体裁、資格などは関係ない、「自分はプロである」との意識を持って行動することだ。
プロ意識とは、決して素晴らしい高みにある意識ではない。いつも結果や他人の評価に怯え、自分に隙がないように細心の注意を払い、それでも拭いきれない不安を感じるから一生懸命勉強したり、行動したり、練習する。とても弱き存在としての自分、不安な自分を強く感じる人間の意識である。
それを知りながら、それを克服しようと不断の努力をしようとする意志に支えられた意識とでもいうべきものである。それが、「強くなるための鍵」となる。
元プロ選手の遠藤愛(「スポーツの知と技」大修館書店)は、「大学入学当初から気持ち的にはプロでいようと思っていました。アマチュアでもプロの試合に出られるし、ウィンブルドンにも出られます。ですから、表面的なもので区別するのはあまり意味がありません。実際プロになってみてはじめてわかったことですが、アマとプロの違いは、自分の気持ちのなかで何を最優先するかという問題だと思います。そして、そのためにどれだけものを犠牲にできるか、どれだけの比率をテニスにつぎ込むことができるか、それが違うのではないかと思います。」と述べている。
そして、「誘惑に負けない気持ち、テニス対する真摯な考え方ができるようになったのが、大学の指導教官の「心のプロになれ」という言葉だった。」と言っています。
区別は自分でつけるものだ。多くの読者の方は、資格的にはもちろんアマチュアだろう(プロの方も読んでいるかもしれないが)。
でも、「心はいつでもプロ」になることができる。
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ひとりで戦うことは「勇気」や「忍耐力」などが高いレベルで必要になる。今まで安易に取り組んできた奴が、いきなり「自立」して戦えるようになることはほとんどないだろう。
長田一臣(同)は、「時代が変わり、環境が変わっても、人間が根本から変わることはない。」と言っている。怠惰に流される奴は怠惰に流される性質が身に染み付いているのだ。
これを変えることは、はなはだ難しいことは承知している。しかし、意識が変わることで劇的に強い選手になることもある。これを「強さの降臨」と呼んだことを覚えている読者も多いはずだ(そんなに多くはないか)。
長田も「変わるとは「意識」が変わるということだ。意識が変われば新しい人間が生まれる。人間が変わらないで、どうして新しい局面、新しい世界が展開するだろうか。」と意識の変革によって人間が変われることを示唆している。
ひょっとしたら、この文を読んで感動し、素晴らしく意識が変わって強い選手になる人もでてくるかもしれない。(だといいなあ)
意識を変えるきっかけとして、クラブ活動に参加したり、遠征にでかけたりして苦しい経験や悲しい思いをすることなどが必要であると述べた。
しかし、そのような経験が定期的にないと人間はつい怠惰なほうへ流れてしまうのが常だ。
そこで、日常的に自分の活動の基準を上げて、より強い自分を作り上げるために意識しておくとよいことがある。
それは“プロ意識”である。
“プロ”とは何かというと、簡単に言えば、それで飯を食っている奴のことだ。そして、テニスのためには多くのものを犠牲にできる意識を持った存在である。この意識は強烈に自分を変えてくれる可能性を秘めている。
私はプロのトレーナーとしての立場を強く意識したときに、タバコをきっぱりとやめることができた。それまで、何度となく禁煙に失敗し(禁煙ガムもだめ、禁煙本ももちろんだめだった)、そのつど適当な言い訳を考え、自分自身をごまかしていた意志の弱い自分が、ある日を境にキッパリとタバコをやめることができたのである。
「タバコを吸っている(プロの)トレーナーっているの?」と、何気なく投げかけられた言葉にがんと頭を打たれた。その時、「多くの人は、トレーナーとは自分自身をきちんとコントロールすることができる人だという認識を持っている。もし、タバコを吸っている私の姿を見たら、誰もトレーニングを指導してほしいだろうとは思わないだろう。」との考えが頭を駆け巡った。それと同時に、それまでの浅はかな自分の考えを痛感させられた。このことは鮮明に覚えている。そして、そのときから一度としてタバコを口にしていない。その日からプロのトレーナーとしての意識を強く持つようになった。担当していた選手のトレーニングメニューを再確認し、構成しなおすことを一生懸命にやった。担当しているクラブのトレーニングメニューなどを毎回のようにチェックする習慣がついたのもこのときからだ。まさに意識が変わったのだ。
もちろん、私は実際のプロなので、プロ意識を持つことは当たり前かもしれないが。強くなりたいと切実に願うのならば、戦績や体裁、資格などは関係ない、「自分はプロである」との意識を持って行動することだ。
プロ意識とは、決して素晴らしい高みにある意識ではない。いつも結果や他人の評価に怯え、自分に隙がないように細心の注意を払い、それでも拭いきれない不安を感じるから一生懸命勉強したり、行動したり、練習する。とても弱き存在としての自分、不安な自分を強く感じる人間の意識である。
それを知りながら、それを克服しようと不断の努力をしようとする意志に支えられた意識とでもいうべきものである。それが、「強くなるための鍵」となる。
元プロ選手の遠藤愛(「スポーツの知と技」大修館書店)は、「大学入学当初から気持ち的にはプロでいようと思っていました。アマチュアでもプロの試合に出られるし、ウィンブルドンにも出られます。ですから、表面的なもので区別するのはあまり意味がありません。実際プロになってみてはじめてわかったことですが、アマとプロの違いは、自分の気持ちのなかで何を最優先するかという問題だと思います。そして、そのためにどれだけものを犠牲にできるか、どれだけの比率をテニスにつぎ込むことができるか、それが違うのではないかと思います。」と述べている。
そして、「誘惑に負けない気持ち、テニス対する真摯な考え方ができるようになったのが、大学の指導教官の「心のプロになれ」という言葉だった。」と言っています。
区別は自分でつけるものだ。多くの読者の方は、資格的にはもちろんアマチュアだろう(プロの方も読んでいるかもしれないが)。
でも、「心はいつでもプロ」になることができる。
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