2007年07月15日
対話する力を鍛えろ(943)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -26-
行動力を鍛える第一歩として、自分の考えていることをきちんと主張できるかどうかがとても大きな要因となる。
今まで指導してきた選手で印象に残った選手がいる。
今はプロとして活躍する近藤大生選手である。
彼に「フォアハンドストロークにおける切り返し動作をより素早く行うためには、何を改善しなくてはならないのか」について説明をしたとき、何度もしつこく質問し、「自分はこう思う」と敢然と主張してきたことを思い出す。
彼にしてみれば、自信を持っていたフォアハンドについての問題であったので、自分なりの考えに自信を持っていた。
それを改善するように薦められても、容易に受け入れることができなかったのだろう。
しかし、そうしたことをきちんと主張してくれたことで、彼がどのような考え方を持って取り組んでいるのかがわかり、私の問題意識と彼の問題意識のどこにずれがあるのかが明確になったことで、その後の指導がとてもやりやすくなったことを覚えている。
指導してもらう者に対して質問を浴びせることは日本人にはなかなか難しい。
その点について、中島義道(「対話のない社会」PHP新書)は、対話の重要性を語り、なぜ日本では対話が成り立ちにくいのかについて考察している。
その中で、「<対話>は、相手を議論で打ち負かすことではないが、さりとて相手の語ることに同意し頷くことではない。むしろわからないことを「わかりません」とはっきり言うこと、相手の見解と自分の見解との小さな差異を見逃さず、それにこだわり、「いいえ」と反応することである。」と述べている。
近藤選手は、まさに「相手の見解と自分の見解との小さな差異を見逃さず、それにこだわり、「いいえ」と反応した」のである。
このように対話が行われれば、お互い小さな差異を確認しながらより深い理解につながっていく。
新しい発見も多いはずである。
しかし、「<対話>は個人と個人とが「生きた」言葉を投げあうことであるから、人生を丸ごと背負って語ること」(同)なので、お互いに真剣にそのことを考えていなければ、対話は成り立たない。
真剣にそのことを考えていないものは、ただ押し黙るしかないのである。
また、対話は「場の雰囲気」によっても左右されるので、選手が自分の考え方を主張できるような「場の雰囲気」を作ることが大切である。
このような場を作り出すことで選手の対話能力が向上し、行動力を高めることにつながるからだ。
そのためには感情をコントロールして接することは最も重要である。
間違っても「てめえ、俺の言う事が聞けないのならでていけ!」と星一徹のように怒鳴り散らして、ちゃぶ台をひっくり返してはいけないのである。
ましてや、子どもにグランドスラム養成ギブスをつけてはいけないのである。
しかし、よく考えてみると、星飛雄馬はよくあのような環境で純粋にスポーツに打ち込むことができたものだ。
たぶん本音は「このくそおやじ、いつかはぶん殴ってやる」という復讐心のようなものが彼の支えであったのだろう。
それも苦しいスポーツに向かわせる行動力を高めるためには必要なことかもしれないが、「いつかがみがみ言ったコーチに一撃を食らわす」ためにテニスをがんばる子どもたちに囲まれてテニスを教えるのは耐えられない。
そう考えると、星一徹はやはりすごい指導者なのかもしれない。
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行動力を鍛える第一歩として、自分の考えていることをきちんと主張できるかどうかがとても大きな要因となる。
今まで指導してきた選手で印象に残った選手がいる。
今はプロとして活躍する近藤大生選手である。
彼に「フォアハンドストロークにおける切り返し動作をより素早く行うためには、何を改善しなくてはならないのか」について説明をしたとき、何度もしつこく質問し、「自分はこう思う」と敢然と主張してきたことを思い出す。
彼にしてみれば、自信を持っていたフォアハンドについての問題であったので、自分なりの考えに自信を持っていた。
それを改善するように薦められても、容易に受け入れることができなかったのだろう。
しかし、そうしたことをきちんと主張してくれたことで、彼がどのような考え方を持って取り組んでいるのかがわかり、私の問題意識と彼の問題意識のどこにずれがあるのかが明確になったことで、その後の指導がとてもやりやすくなったことを覚えている。
指導してもらう者に対して質問を浴びせることは日本人にはなかなか難しい。
その点について、中島義道(「対話のない社会」PHP新書)は、対話の重要性を語り、なぜ日本では対話が成り立ちにくいのかについて考察している。
その中で、「<対話>は、相手を議論で打ち負かすことではないが、さりとて相手の語ることに同意し頷くことではない。むしろわからないことを「わかりません」とはっきり言うこと、相手の見解と自分の見解との小さな差異を見逃さず、それにこだわり、「いいえ」と反応することである。」と述べている。
近藤選手は、まさに「相手の見解と自分の見解との小さな差異を見逃さず、それにこだわり、「いいえ」と反応した」のである。
このように対話が行われれば、お互い小さな差異を確認しながらより深い理解につながっていく。
新しい発見も多いはずである。
しかし、「<対話>は個人と個人とが「生きた」言葉を投げあうことであるから、人生を丸ごと背負って語ること」(同)なので、お互いに真剣にそのことを考えていなければ、対話は成り立たない。
真剣にそのことを考えていないものは、ただ押し黙るしかないのである。
また、対話は「場の雰囲気」によっても左右されるので、選手が自分の考え方を主張できるような「場の雰囲気」を作ることが大切である。
このような場を作り出すことで選手の対話能力が向上し、行動力を高めることにつながるからだ。
そのためには感情をコントロールして接することは最も重要である。
間違っても「てめえ、俺の言う事が聞けないのならでていけ!」と星一徹のように怒鳴り散らして、ちゃぶ台をひっくり返してはいけないのである。
ましてや、子どもにグランドスラム養成ギブスをつけてはいけないのである。
しかし、よく考えてみると、星飛雄馬はよくあのような環境で純粋にスポーツに打ち込むことができたものだ。
たぶん本音は「このくそおやじ、いつかはぶん殴ってやる」という復讐心のようなものが彼の支えであったのだろう。
それも苦しいスポーツに向かわせる行動力を高めるためには必要なことかもしれないが、「いつかがみがみ言ったコーチに一撃を食らわす」ためにテニスをがんばる子どもたちに囲まれてテニスを教えるのは耐えられない。
そう考えると、星一徹はやはりすごい指導者なのかもしれない。
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