2007年12月31日
今年を振り返る(1077)
年末恒例になった(?)、今年を振り返ってみようと思います。
今年はジュニアの指導を始めて、一番忙しかった年だと思います。
年の初めにスタッフが抜けたというのが一番大きなことですが、名古屋国際高校の監督として生徒を受け入れたこと大変な仕事だったと思います。
まあ、監督としての仕事はほとんどありませんが、6月から受け継いだ寮の管理は思った以上に大変でした。
子どもたちの生活の管理をすることから始めるので、そのペースやリズムに慣れるのに随分かかったように思います。
そして、寮の生活においては子どもたちはさまざまなストレスを抱えます。
それをできるだけ低減する努力はしますが、なかなかうまくいかないことに悔しい思いをしたこともありました。
でも、子どもたちはそうした苦しい経験を乗り越えて、強く、たくましくなって行くんだという信念に支えられて進んでいるような気がします。
はじめての経験なので、戸惑いも苛立ちもありましたが、それがすべて、私を含めて力になれば良いと思います。
そういう意味で、今年は、新しいチャレンジが多かった年でもあります。
夏のトレーニングキャンプでは、18人の子どもたちが寝泊まりして練習をしました。
秋には初めて行う遠征を何度か経験しました。
プリンスのアドバイサリースタッフとしてたくさん講演もしました。
来年は、大学での授業が始まり、トップジュニア委員会の5周年記念大会の企画も持ち上がっています。
来年は今年以上に忙しくなりそうな予感がします。
でも、その忙しさが、すべて子どもたちにとって有意義な活動になるように頑張っていこうと思います。
今年、いろいろと支えてくださった方にこころからお礼申し上げます。
来年もよろしくお願いいたします。
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2007年12月24日
痙攣はなぜ起こるのか?(1076)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -78-
なぜ痙攣が起こるのか、ということについて考えてみよう。
その原因は、「これだ!」とは言い切れない。
その原因は様々なものがあるので、原因を特定するにはきちんとした検査も必要だということだ。
ただ、一般的には、疲労によって筋肉が局所的に強く収縮した状態になるということで、「つる」と言うこともある(名古屋弁じゃないですよね?)。
もう少し詳しく、痙攣とは何かをおさらいしてみると、
「痙攣とは、筋肉の局所的な強い収縮であり、痛みを伴う。一般的に、激しい運動による筋肉の疲労や脱水症状により引き起こされるが、ストレスや不安によって引き起こされることもある。」
ということだ。
筋肉の痙攣は、筋肉の疲労によってのみ引き起こされるのではなく、ストレスや不安によって筋肉の収縮をコントロールする神経のバランスが崩れて痙攣が起こることもある。
実際に、トーナメントなどに出て緊張した試合をすると、たとえ運動量が少なくても普段の練習試合とは比べものにならないくらい疲れる。
不安やストレスによって神経のバランスが崩れて筋肉が正常に機能せず、過度の筋収縮が起こり、筋肉が早く疲労するとともに、その感覚が鈍くなってくることが原因である。
もし、このような状態がいつも起こるのなら、いくら練習しても筋肉の機能が十分に働かず、痙攣の不安を抱えながら試合をしなくてはならない。
このような人は、長時間の試合や夏場の試合などにおいては不安も大きくなるので、早く決めようとあせったり、無理をしたりすることも多いので、試合で自分の力を十分に発揮することはできない。
では、どうすればそのような身体の機能を改善し、痙攣の不安なく戦える身体を手に入れることができるのであろうか。
もちろん、一生懸命にトレーニングして、身体を長時間の運動に耐えるようにトレーニングすることは素晴らしい。
もし、そう決断したのなら迷うことはない!私の研究所の門を叩くが良い。
きっと素晴らしき肉体に改造してあげよう(キャシャーンのように?)。
しかし、実際問題として、身体機能を改善するためのトレーニングは相当に厳しい。
それに耐える自信がないのなら、他の方法を考えよう。
答えはいたって簡単である。
それは、「力を抜く」ことを覚えるのである。
ストレスや不安によって神経の機能が低下し、筋肉が早く疲労するということは、筋肉が過度に緊張するということである。
痙攣を起こしやすい人というのは、筋肉の柔軟性が乏しく、力みがちで、ついでに言えば怒りっぽい人かもしれない。
すぐに焦る人もそうだろう。
このような人は、筋肉が緊張しやすいという特徴を持っている。
詳しく説明などしなくても、怒っているときは誰でも顔や肩に力を入れて、筋肉を硬くし、その緊張ゆえに体は小刻みに震え、こぶしを握り締め、脇にはじわっと汗をかくというような状態になっているだろう。
また、不安で怖いときは、体をこわばらせて、動きもぎくしゃくとぎこちなく、体の特に前面を過度に緊張させて、身をかがめて、恐る恐る歩を進めるに違いない。
緊張しやすく、痙攣を起こしやすい人というのは、普通の人よりもすぐにこのような状態になってしまう人だ。
それが無意識的に起こってしまうので、自分では落ち着こう、落ち着こうと思っても、身体は言うことを聞かず、それを思えば思うほどさらに緊張は高まり、気がつけば足は張り、今にもつりそうか、実際につってしまい、十分に動けず、悔しい負けを喫する、というようなことも多い。
こんな人は、筋肉が緊張しやすいのだから、力を抜くことを訓練して、精神的には緊張しても筋肉が過度に緊張しないような身体を手に入れる必要がある。
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なぜ痙攣が起こるのか、ということについて考えてみよう。
その原因は、「これだ!」とは言い切れない。
その原因は様々なものがあるので、原因を特定するにはきちんとした検査も必要だということだ。
ただ、一般的には、疲労によって筋肉が局所的に強く収縮した状態になるということで、「つる」と言うこともある(名古屋弁じゃないですよね?)。
もう少し詳しく、痙攣とは何かをおさらいしてみると、
「痙攣とは、筋肉の局所的な強い収縮であり、痛みを伴う。一般的に、激しい運動による筋肉の疲労や脱水症状により引き起こされるが、ストレスや不安によって引き起こされることもある。」
ということだ。
筋肉の痙攣は、筋肉の疲労によってのみ引き起こされるのではなく、ストレスや不安によって筋肉の収縮をコントロールする神経のバランスが崩れて痙攣が起こることもある。
実際に、トーナメントなどに出て緊張した試合をすると、たとえ運動量が少なくても普段の練習試合とは比べものにならないくらい疲れる。
不安やストレスによって神経のバランスが崩れて筋肉が正常に機能せず、過度の筋収縮が起こり、筋肉が早く疲労するとともに、その感覚が鈍くなってくることが原因である。
もし、このような状態がいつも起こるのなら、いくら練習しても筋肉の機能が十分に働かず、痙攣の不安を抱えながら試合をしなくてはならない。
このような人は、長時間の試合や夏場の試合などにおいては不安も大きくなるので、早く決めようとあせったり、無理をしたりすることも多いので、試合で自分の力を十分に発揮することはできない。
では、どうすればそのような身体の機能を改善し、痙攣の不安なく戦える身体を手に入れることができるのであろうか。
もちろん、一生懸命にトレーニングして、身体を長時間の運動に耐えるようにトレーニングすることは素晴らしい。
もし、そう決断したのなら迷うことはない!私の研究所の門を叩くが良い。
きっと素晴らしき肉体に改造してあげよう(キャシャーンのように?)。
しかし、実際問題として、身体機能を改善するためのトレーニングは相当に厳しい。
それに耐える自信がないのなら、他の方法を考えよう。
答えはいたって簡単である。
それは、「力を抜く」ことを覚えるのである。
ストレスや不安によって神経の機能が低下し、筋肉が早く疲労するということは、筋肉が過度に緊張するということである。
痙攣を起こしやすい人というのは、筋肉の柔軟性が乏しく、力みがちで、ついでに言えば怒りっぽい人かもしれない。
すぐに焦る人もそうだろう。
このような人は、筋肉が緊張しやすいという特徴を持っている。
詳しく説明などしなくても、怒っているときは誰でも顔や肩に力を入れて、筋肉を硬くし、その緊張ゆえに体は小刻みに震え、こぶしを握り締め、脇にはじわっと汗をかくというような状態になっているだろう。
また、不安で怖いときは、体をこわばらせて、動きもぎくしゃくとぎこちなく、体の特に前面を過度に緊張させて、身をかがめて、恐る恐る歩を進めるに違いない。
緊張しやすく、痙攣を起こしやすい人というのは、普通の人よりもすぐにこのような状態になってしまう人だ。
それが無意識的に起こってしまうので、自分では落ち着こう、落ち着こうと思っても、身体は言うことを聞かず、それを思えば思うほどさらに緊張は高まり、気がつけば足は張り、今にもつりそうか、実際につってしまい、十分に動けず、悔しい負けを喫する、というようなことも多い。
こんな人は、筋肉が緊張しやすいのだから、力を抜くことを訓練して、精神的には緊張しても筋肉が過度に緊張しないような身体を手に入れる必要がある。
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2007年12月23日
クリスマスプレゼント(1075)
冬休みのメインイベントといえば、やはり「クリスマス」ですね。
今日、下の娘のクリスマスのプレゼントを買いに「ジャスコ」に出かけましたが、大勢の人でにぎわっていました。
娘は、30分ぐらいいろいろと悩んでいましたが、「ドレスチェンジ」なるゲームのようなものを買いました。
買い終わってルンルンしている娘の姿を見るのは楽しいものですが、そこで「ふっ」と思いました。
クリスマスプレゼントは、基本的に「サンタ」が持ってくるものですよね。
それなのに、親がプレゼントを買い与えるのはちょっと不思議な気がしました。
子どもたちは、2つもプレゼントがもらえるので、大喜びですが、親は大変ですね。
だったら、サンタのだけにすれば良いのですが、サンタがいることを心から信じることができるように、親は別にプレゼントを買ったのだから、別のプレゼントは「サンタが持ってきたんだよ」ってことにしたいんですね。
無邪気な子どもたちは、朝起きて、枕元にある(いま時は靴下は準備しないようです)プレゼントを見て、びっくりするわけです。
面倒な習慣だと思うことはありますが、やっぱり子どもたちの喜ぶ顔が見たいから、ついつい親ばかと知りつつ、いそいそとプレゼントを買いに出かけます。
びっくり顔は25日の朝ですね。
どんな顔になるのか楽しみです。
そうそう、このブログを見ている無邪気な子どもたち、安心してくださいね、サンタはちゃんと、い・ま・す・か・ら・・・・・。
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2007年12月22日
「観る」ということ(1074)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -77-
コーチングで一番難しいこと、それは目に見えないものを感じ取ることです。
フォームの問題点を指摘することはそれほど困難ではありません。
しかし、そのフォームを形づくる根本的なものは、その人の「ものの考え方」や「身体感覚」です。
もちろん自分とは違います。
それを理解できるかどうかで、効率的な指導ができるかどうかが決まってしまうといっても過言ではありません。
指導する立場の人間が、指導される立場の人間に対して、いかに「洞察」できるか、つまりは、目に見えないものを感じ取ろうとする努力をするかどうかにかかっているのです。
そのためにもっとも大切なことは「観る」ということです。
「観る」は、「見る」とは違います。
「観る」は、まさに「洞察する」ということ、目で見るだけではなく、その心理状態をも「察するように深く見る」ということです。
だから私は、極力試合を見に出かけます。
大変疲れます。
でも、そこから見えてくることは大変大きいと思います。
そして、その「洞察」を指導に結びつけるための「アイディア」を持つことです。
そのためにはやはり「知識」が役に立ちます。
「知識」は絶対のものではないけれど、「洞察」を効果的に補完するものだと思っています。
選手の理解の仕方は千差万別だと言ってもよいでしょう。
その理解を深めるためには、多くの「知識」があることは大変有効です。
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コーチングで一番難しいこと、それは目に見えないものを感じ取ることです。
フォームの問題点を指摘することはそれほど困難ではありません。
しかし、そのフォームを形づくる根本的なものは、その人の「ものの考え方」や「身体感覚」です。
もちろん自分とは違います。
それを理解できるかどうかで、効率的な指導ができるかどうかが決まってしまうといっても過言ではありません。
指導する立場の人間が、指導される立場の人間に対して、いかに「洞察」できるか、つまりは、目に見えないものを感じ取ろうとする努力をするかどうかにかかっているのです。
そのためにもっとも大切なことは「観る」ということです。
「観る」は、「見る」とは違います。
「観る」は、まさに「洞察する」ということ、目で見るだけではなく、その心理状態をも「察するように深く見る」ということです。
だから私は、極力試合を見に出かけます。
大変疲れます。
でも、そこから見えてくることは大変大きいと思います。
そして、その「洞察」を指導に結びつけるための「アイディア」を持つことです。
そのためにはやはり「知識」が役に立ちます。
「知識」は絶対のものではないけれど、「洞察」を効果的に補完するものだと思っています。
選手の理解の仕方は千差万別だと言ってもよいでしょう。
その理解を深めるためには、多くの「知識」があることは大変有効です。
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2007年12月20日
対応力(1073)
今日もプリンスのセミナーで大阪に行ってきます。
関西人は「お笑い」にはシビアなので(?)、東京のセミナーのときみたいなおちゃらけた雰囲気が通用するのかどうかわかりませんが、一生懸命に話をしてこようと思います。
私が話をするのは、「民間クラブにおいて選手育成の環境をどう作っていけばよいのか」、ということです。
選手育成といっても幅は広いですが、主にはジュニアの選手育成になりますね。
私がこの仕事を本格的に初めて11年になりますが、本当に、本当にいろいろなことがありました。
もちろん、楽しいことばかりではなく、苦しいことも嫌なこともありましたが、そうした課題や問題点をできる範囲の中で解決してきた、解決しようと努力してきたことが今の環境を作ってきたと思います。
やはり、苦しいこと、嫌なことというのはより良いものを作り上げていくには必要なことなんですね。
しかし、今の子どもたちを見ていると、そうした問題点に立ち向かっていくバイタリティのようなものが欠けているように感じています。
ちょっと気に入らないことがあるとそれを避け、なんでもないトラブルでも親に甘えて自分で解決をしようとしない、コミュニケーションの力が不足しているので誤解や擦れ違いを修正できない、などの問題があると思います。
スポーツの世界では自分の思い通りにならないことのほうが多いに決まっています。
それを誰かのせいにしたり、自分で乗り越えていく力のないものは絶対に上には行けません。
そのためには、日常に起こる様々な問題に対しても、そうした姿勢で立ち向かうことができる力が必要だということです。
それを「対応力」と呼びます。
子どもたちには、その「対応力」をつけてもらいたいと強く思いますが、なかなか難しいことです。
「エースをねらえ」の主題歌ではないですが、「コートではひとりひとりきり、私の愛も苦しみも誰もわかってくれない」という認識から始めなければなりません。
だから「自分で」なんとかしようする、しなければならないと強く思うようになってきます。
それが「力」を生む原動力になります。
私が今の環境を作ってこれたのも、常に「自分」で考え、「自分」行動し、その「力」をつけてきたからだと思います。
多くの方にサポートいただきましたが、基本的にはそれに大きく依存することはありません。
最後の最後は、「自分」の力でしか乗り越えことはできないことを知っているからです。
そういう意味では、何年も続けてきて、それなりの「対応力」はついてきたと思います。
これは「人生における力」にもなっていますね。
子どもたちには、そんな「力」を身につけてほしいと思っています。
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2007年12月19日
柔軟なスイングのために(1072)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -76-
呼吸の機能を回復し、ある程度身体の柔軟性を取り戻したら、もっとも重要なポイントである「肩胛骨」の柔軟性を回復しよう。
テニスは、「腕を振る」ことでボールを打つ競技であるが、「腕を振る」ということは、実は腕そのものを使うのではなく、背中の筋肉を使って腕を後方に引き寄せ、その腕を身体の回転のパワーによって前方に引き出す動作であることを意識できない(していない)人は多い。
その時、上腕を十分に後ろに引き(前腕を引いてもあまり意味はありません)、腕を大きく振るためには、肩胛骨が柔軟に動かなくてはならないのだが、背中の筋肉は普段意識して使うことがない上に、上体を支えるために常に緊張状態にあるので、知らず知らずのうちに硬くなってしまい、その結果、肩胛骨を柔軟に使うことができなくなっているのだ。
もし、肩胛骨が柔軟に動かないと、上腕の付け根に負担がかかり肩を痛めることにもなるし、スムースな腕のスイングができなければ、ぎくしゃくしたぎこちない動きになり、イメージ通りに身体を動かすどころではないだろう。
そこで、腕をスムースに振ることができるように肩胛骨の柔軟性を回復する訓練をする必要がある。
肩胛骨は、上腕骨や前腕の骨のように、長細い構造を持っているのでははく、扁平な三角形のちょっと変わった形の骨である。
そして、胸郭の後ろ側とは薄い筋でもって分離しているので、あげたり、さげたり、前に引っぱったり、後ろに引き寄せたりと、かなり柔軟に動くようになっている。
そしてさらに、肩胛骨が回旋することによって腕の可動域は大きくなる。
肩胛骨は扁平な三角形のちょっと変わった形の骨であるので、ウィング(羽)と呼ばれることもある。
私は密かに「天使の羽」と呼んでいるのだが、この羽をうまく羽ばたかせることができるように訓練してみよう。
(訓練その2-羽を広げる)
この訓練は残念ながら(?)一人ではできませんので、誰かきちんと取り組んでくれるパートナーを探してください。
これを機会に愛を深めることもできます(本当かなあ?)。
ただし、真剣にやってくれないと肩を痛めることになるかもしれないので注意してくださいね。
この訓練は柔軟性を回復するためのマッサージといっても良いでしょう。
マッサージを受ける人は、手を腰の後ろに当ててリラックスして準備します。
マッサージをする人は、一方の手で肩を下に軽く押し、もう一方の手を肩胛骨の下の端に当てます。
そして、肩胛骨の下端をつかんで、軽く揺らしながら胴体から引き離すように徐々に力を入れていきます。
ある程度、肩胛骨が柔軟に動くようになったら、掴んだ指を肩胛骨の下に滑り込ませていきます。
あわてず、そして、あまり大きな痛みを感じないように行ってください(ある程度の痛みは我慢してください)。
柔軟性が十分にある人は、指がほとんど見えなくなるくらいまで肩胛骨の下に滑り込ませることができます。
このマッサージを行った後、肩を大きく回してみてください。
今まで、筋肉が硬く肩胛骨を柔軟に使うことができなかった人は、肩が驚くほどスムースに大きく回すことができるようになっています。
是非、トライしてみてください。
多くの人は、筋肉を知らず知らずのうちに硬くしてしまっているのだが、それに気づかないと、身体を柔軟に使うことはできず、当然イメージ通りに身体を動かすことなどできはしない。
まずは、身体をリラックスさせ、その機能が十分とまでは行かないまでも、ある程度は使えるようにしておかないと、技術の向上などは夢のまた夢である。
強くなることはむつかしいと思う。がんばってトレーニングしてほしい。
次回も身体の機能を回復し、向上させるための訓練法について解説してみたい。
その時までに、できるだけ今回紹介した訓練法を実践していただきたい。
残念ながらこればっかりは「読むだけでうまくいく!」というわけにはいかないので、地道に努力してほしい。
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呼吸の機能を回復し、ある程度身体の柔軟性を取り戻したら、もっとも重要なポイントである「肩胛骨」の柔軟性を回復しよう。
テニスは、「腕を振る」ことでボールを打つ競技であるが、「腕を振る」ということは、実は腕そのものを使うのではなく、背中の筋肉を使って腕を後方に引き寄せ、その腕を身体の回転のパワーによって前方に引き出す動作であることを意識できない(していない)人は多い。
その時、上腕を十分に後ろに引き(前腕を引いてもあまり意味はありません)、腕を大きく振るためには、肩胛骨が柔軟に動かなくてはならないのだが、背中の筋肉は普段意識して使うことがない上に、上体を支えるために常に緊張状態にあるので、知らず知らずのうちに硬くなってしまい、その結果、肩胛骨を柔軟に使うことができなくなっているのだ。
もし、肩胛骨が柔軟に動かないと、上腕の付け根に負担がかかり肩を痛めることにもなるし、スムースな腕のスイングができなければ、ぎくしゃくしたぎこちない動きになり、イメージ通りに身体を動かすどころではないだろう。
そこで、腕をスムースに振ることができるように肩胛骨の柔軟性を回復する訓練をする必要がある。
肩胛骨は、上腕骨や前腕の骨のように、長細い構造を持っているのでははく、扁平な三角形のちょっと変わった形の骨である。
そして、胸郭の後ろ側とは薄い筋でもって分離しているので、あげたり、さげたり、前に引っぱったり、後ろに引き寄せたりと、かなり柔軟に動くようになっている。
そしてさらに、肩胛骨が回旋することによって腕の可動域は大きくなる。
肩胛骨は扁平な三角形のちょっと変わった形の骨であるので、ウィング(羽)と呼ばれることもある。
私は密かに「天使の羽」と呼んでいるのだが、この羽をうまく羽ばたかせることができるように訓練してみよう。
(訓練その2-羽を広げる)
この訓練は残念ながら(?)一人ではできませんので、誰かきちんと取り組んでくれるパートナーを探してください。
これを機会に愛を深めることもできます(本当かなあ?)。
ただし、真剣にやってくれないと肩を痛めることになるかもしれないので注意してくださいね。
この訓練は柔軟性を回復するためのマッサージといっても良いでしょう。
マッサージを受ける人は、手を腰の後ろに当ててリラックスして準備します。
マッサージをする人は、一方の手で肩を下に軽く押し、もう一方の手を肩胛骨の下の端に当てます。
そして、肩胛骨の下端をつかんで、軽く揺らしながら胴体から引き離すように徐々に力を入れていきます。
ある程度、肩胛骨が柔軟に動くようになったら、掴んだ指を肩胛骨の下に滑り込ませていきます。
あわてず、そして、あまり大きな痛みを感じないように行ってください(ある程度の痛みは我慢してください)。
柔軟性が十分にある人は、指がほとんど見えなくなるくらいまで肩胛骨の下に滑り込ませることができます。
このマッサージを行った後、肩を大きく回してみてください。
今まで、筋肉が硬く肩胛骨を柔軟に使うことができなかった人は、肩が驚くほどスムースに大きく回すことができるようになっています。
是非、トライしてみてください。
多くの人は、筋肉を知らず知らずのうちに硬くしてしまっているのだが、それに気づかないと、身体を柔軟に使うことはできず、当然イメージ通りに身体を動かすことなどできはしない。
まずは、身体をリラックスさせ、その機能が十分とまでは行かないまでも、ある程度は使えるようにしておかないと、技術の向上などは夢のまた夢である。
強くなることはむつかしいと思う。がんばってトレーニングしてほしい。
次回も身体の機能を回復し、向上させるための訓練法について解説してみたい。
その時までに、できるだけ今回紹介した訓練法を実践していただきたい。
残念ながらこればっかりは「読むだけでうまくいく!」というわけにはいかないので、地道に努力してほしい。
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2007年12月18日
プリンスセミナー(1071)
昨日は東京で行われたプリンスのセミナーに行ってきました。
私以外の講師は、山本育史プロ、駒田政史フェド杯コーチ、杉山芙紗子さん(愛プロのお母さん、コーチ)、丸山薫ナショナルコーチ、とそうそうたる面々で、ちょっと緊張しました。
それぞれの方の話を聞きましたが、積んできた経験が大きいので、ためになるというか、刺激になることも多いものです。
まあ、私の話はちょいとおちゃらけた雰囲気で、良い気分転換になったのではないでしょうか。
今回のテーマは「ジュニア指導・育成・に関することなので、今までの私のやってきたこと、そして現在やっていることの中から、やってよかったと思えることや課題などを話をさせていただきました。
私がやってきてよかったと思うことは、
●ネットワーク
一つのクラブにこだわることなく、広く子どもたちはともに練習できる環境を作ること。
コーチ間の連携を強化すること。
●トータルデベロップメント
育成のコーチとして、技術の指導だけではなく、トレーニングやケア、遠征のマネージメント、進学サポート、学校部活動の連携など、多くの資質が必要である。
●グローバルな活動
海外遠征などは子どもたちの目標意識やモチベーションを高めるためには大変大切な経験になるが、それを個人の経済的負担にだけ負うことなく、より気軽に参加できるように、スポンサーを獲得したり、そのためのシステムを構築する必要がある。
などです。
実際には今も試行錯誤しながら、いろいろと模索していますが、そうした試行錯誤の中からアイディアが生まれ、それを行動に移すことができれば、きっと子どもたちにとってより良い環境が構築できると思っています。
課題としては、
●進学の問題
●親とのかかわり
●トレーニング
などが挙げられます。
そのような課題をクリアすべくいろいろとアイディアをひねることが大切で、ひとつの方法にこだわることなく、強い信念と行動力で努力を続けることが大切ですね。
そんなことを話させていただきましたが、懇親会などで熱心に話を聞いてくれるコーチも多く、そうした力が大きく広がっていくことで育成の環境はもっと良くなっていくんだろうなと思います。
明後日は、大阪で同じセミナーがあります。
多くの熱きハートを持ったコーチの方々と会えるのを楽しみにしています。
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2007年12月17日
身体をストレッチする(1070)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -75-
さて、みなさんは、
「テニスで最も大切な「訓練」、「トレーニング」は何だと思いますか?」
と質問されたとき、どう答えるだろうか。
数え切れないぐらいのトレーニング法がある中で、その答えと見つけるのはむつかしいかもしれないが、それは「ストレッチ」である。
「ストレッチ」という言葉を聴いて、意外に思う方もいるかもしれない。
ただし、ここでいう「ストレッチ」とは、「筋肉を柔軟に保つために筋肉を伸ばす」ということではなく、身体を「自分の意のままに動かす」ことができるように、筋肉の柔軟性を回復してリラックスした身体を取り戻すとともに、「身体感覚」を高めてその機能が十分に発揮できるような状態にするということだ。
ちょっと表現がむつかしいかもしれないが、「意のままに動かすことができるように」というのがポイントである。
実は、人間はその身体機能を十分に使っているとはいえない。
無意識のうちに、筋肉にこわばりを作ってしまい、身動きできないように身体を硬くしているのである。
論より証拠。今から下に示す訓練をやってみよう!
(訓練その1-呼吸の機能を回復する)
トレーニングに入る前に、自分の呼吸数を計ってみましょう。
時間は1分間です。
深呼吸ではなく、普段あなたが行っている呼吸をしてください。
吸って、吐いてを1回として数えます。
何回呼吸をしたでしょうか。
中には20回以上呼吸した人もいるかもしれません。
このような人は、呼吸の機能をほとんど使えていない状態です。
筋肉の緊張も強く、身体もうまくコントロールできない人が多いはずです。
まずはこの機能を改善することから始めましょう。
具体的には、胸の筋肉と横隔膜を使えるように訓練します。
手のひらをわき腹の肋骨の上において強く押します。
その手を外側に押し出すように大きく息を吸い込んでください。
次に胸の中心を押して、同じように手を前に押し出すように大きく呼吸をします。
最後に、背中の肩胛骨あたりを誰かに押してもらって、その手を押し上げるように大きく呼吸をします。
相手がいなければ、少し体を丸くして、肩胛骨と肩胛骨の間を広げるようにストレッチした状態で行ってください。
どの呼吸も3回から5回ぐらい、できるだけゆっくり大きく呼吸をしてください。
さあ、訓練が終わったら、もう一度呼吸数を計ってみましょう。
今度はどうですか。
呼吸数が格段に下がったはずです(びっくりするぐらい)。
手を押し付けながら大きく呼吸することで、肋骨と肋骨の間(肋間)の筋肉がストレッチされ、肋間を大きくひろげることができるようになるので、胸が大きく楽に膨らみます。
当然、肺も大きく膨らみ、それだけ少ない呼吸数で必要な酸素を取りこむことができるのです。
ところが、筋肉の緊張がいつも強い人は、肋間の筋肉が十分に使えないので、胸を大きく膨らませることができません。
だから、呼吸の数を多くすることでしか必要な酸素を取り入れることができないのです。
肋間の筋肉を柔軟にほぐして、胸を大きく膨らますことがある程度できるようになったら、次は腹式呼吸に挑戦してみましょう。
腹式呼吸をうまく行うためには、横隔膜のコントロールが大切です。
まず、できるだけ胸を膨らませないように、腹を膨らませながら大きな呼吸を行います。
この呼吸がうまくできない人は、下腹部に手を軽く押し当てて、その手を押し上げるように呼吸してみてください。
腹が膨らんだら息を留めて、今度は大きく腹をへこませ、胸を膨らませます。
2、3回繰り返して行ってください。
最後にもう一度大きく腹を膨らませたら、ゆっくりと息を吐きます。
3回から5回ほど行ってください。
横隔膜の収縮と弛緩をうまく行うことができるようになって、肺をさらに大きく膨らますことができるようになります。
当然、呼吸数もさらに下がります。
胸式呼吸と腹式呼吸がどちらもうまく行えるようになったら、両方を同時に使って大きな深呼吸を繰り返して行ってください。
リラックスできる環境で行えば、呼吸数は1分間に2、3回で済むはずです(場合によってはもっと少なく)。
そのとき、身体の感じはどうでしょうか。
だるいような重さと、暖かい感覚があるのではないでしょうか。
その感覚を感じることができれば、身体は十分リラックスしています。
リラックスは、メンタルトレーニングの基本であり、身体感覚を高めるための基本でもあるので、しっかりとマスターしてほしいと思います。
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さて、みなさんは、
「テニスで最も大切な「訓練」、「トレーニング」は何だと思いますか?」
と質問されたとき、どう答えるだろうか。
数え切れないぐらいのトレーニング法がある中で、その答えと見つけるのはむつかしいかもしれないが、それは「ストレッチ」である。
「ストレッチ」という言葉を聴いて、意外に思う方もいるかもしれない。
ただし、ここでいう「ストレッチ」とは、「筋肉を柔軟に保つために筋肉を伸ばす」ということではなく、身体を「自分の意のままに動かす」ことができるように、筋肉の柔軟性を回復してリラックスした身体を取り戻すとともに、「身体感覚」を高めてその機能が十分に発揮できるような状態にするということだ。
ちょっと表現がむつかしいかもしれないが、「意のままに動かすことができるように」というのがポイントである。
実は、人間はその身体機能を十分に使っているとはいえない。
無意識のうちに、筋肉にこわばりを作ってしまい、身動きできないように身体を硬くしているのである。
論より証拠。今から下に示す訓練をやってみよう!
(訓練その1-呼吸の機能を回復する)
トレーニングに入る前に、自分の呼吸数を計ってみましょう。
時間は1分間です。
深呼吸ではなく、普段あなたが行っている呼吸をしてください。
吸って、吐いてを1回として数えます。
何回呼吸をしたでしょうか。
中には20回以上呼吸した人もいるかもしれません。
このような人は、呼吸の機能をほとんど使えていない状態です。
筋肉の緊張も強く、身体もうまくコントロールできない人が多いはずです。
まずはこの機能を改善することから始めましょう。
具体的には、胸の筋肉と横隔膜を使えるように訓練します。
手のひらをわき腹の肋骨の上において強く押します。
その手を外側に押し出すように大きく息を吸い込んでください。
次に胸の中心を押して、同じように手を前に押し出すように大きく呼吸をします。
最後に、背中の肩胛骨あたりを誰かに押してもらって、その手を押し上げるように大きく呼吸をします。
相手がいなければ、少し体を丸くして、肩胛骨と肩胛骨の間を広げるようにストレッチした状態で行ってください。
どの呼吸も3回から5回ぐらい、できるだけゆっくり大きく呼吸をしてください。
さあ、訓練が終わったら、もう一度呼吸数を計ってみましょう。
今度はどうですか。
呼吸数が格段に下がったはずです(びっくりするぐらい)。
手を押し付けながら大きく呼吸することで、肋骨と肋骨の間(肋間)の筋肉がストレッチされ、肋間を大きくひろげることができるようになるので、胸が大きく楽に膨らみます。
当然、肺も大きく膨らみ、それだけ少ない呼吸数で必要な酸素を取りこむことができるのです。
ところが、筋肉の緊張がいつも強い人は、肋間の筋肉が十分に使えないので、胸を大きく膨らませることができません。
だから、呼吸の数を多くすることでしか必要な酸素を取り入れることができないのです。
肋間の筋肉を柔軟にほぐして、胸を大きく膨らますことがある程度できるようになったら、次は腹式呼吸に挑戦してみましょう。
腹式呼吸をうまく行うためには、横隔膜のコントロールが大切です。
まず、できるだけ胸を膨らませないように、腹を膨らませながら大きな呼吸を行います。
この呼吸がうまくできない人は、下腹部に手を軽く押し当てて、その手を押し上げるように呼吸してみてください。
腹が膨らんだら息を留めて、今度は大きく腹をへこませ、胸を膨らませます。
2、3回繰り返して行ってください。
最後にもう一度大きく腹を膨らませたら、ゆっくりと息を吐きます。
3回から5回ほど行ってください。
横隔膜の収縮と弛緩をうまく行うことができるようになって、肺をさらに大きく膨らますことができるようになります。
当然、呼吸数もさらに下がります。
胸式呼吸と腹式呼吸がどちらもうまく行えるようになったら、両方を同時に使って大きな深呼吸を繰り返して行ってください。
リラックスできる環境で行えば、呼吸数は1分間に2、3回で済むはずです(場合によってはもっと少なく)。
そのとき、身体の感じはどうでしょうか。
だるいような重さと、暖かい感覚があるのではないでしょうか。
その感覚を感じることができれば、身体は十分リラックスしています。
リラックスは、メンタルトレーニングの基本であり、身体感覚を高めるための基本でもあるので、しっかりとマスターしてほしいと思います。
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2007年12月16日
自分のフォームを知る(1069)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -74-
強くなるための技術を手に入れるためには、少なくとも自分のフォームをきちんと知らなくてはならない。
読者の皆さんは、ビデオを見たことがあるだろうか。
えっ、そっちの(?)ビデオじゃないよ。自分のフォームを撮ったビデオのことですよ。
私は、時々フォームをビデオに撮って見せることがある。
ビデオを見ることによって、実際に自分がどのように打っているのかを確認してもらうためだが、はじめて自分のフォームを見た生徒さんや子どもたちは、誰もが、
「私はこんなフォームで打ってるの?」
と驚きの声を上げる(恥ずかしくて叫ぶ場合もある)。
私もはじめて8mmフィルム(8mmフィルムといってもわかってもらえるかな?)で撮影した自分のフォームを見たときは、
「誰だよ、これ。変な打ち方やなあ、かっこわりい。」
と言って笑っていて、それが自分だと気づいて大変恥ずかしい思いをしたことを覚えている。
ということは、自分で<打っているつもり>と、実際に<打っているフォーム>には大変大きな違いがあるということだ。
ところが、何度かそういう経験をしてくると、ビデオに写ったフォームと自分のフォームに「ずれ」を感じなくなってくる。
だいたいイメージ通りに打つことができるようになってくる、ということだ。
もちろん、イメージ通りといっても、誰もがアガシのフォアハンドそっくりに打てるというのではなく、自分の姿勢やバランスなどを感覚としてきちんと捉え、自分の頭の中で、外からビデオを撮っているように自分自身のフォームをイメージできるということである。
つまり、ここでいう「自分のフォームがわかってくる」というのは、そういうことだ。
じつは、これが大変にむつかしい。
感覚の鈍い人はいくらやってもイメージとのずれが修正できない。
例えば、この感覚の鈍いコーチは、生徒の真似が大変下手である。
「あなたは今、こんな感じで打ってますよ。」
と指摘して、その人のフォームを再現したときに、あまりにそれが似ていないので、爆笑することもある。
感覚の鋭いコーチはそうではない。
例えば私(?)は、生徒さんのフォームを真似るのが非常にうまい。
その時指摘したフォームで打って見せると、その生徒さんは「むっ!」とするが、周りにいる人たちは、よく似ているので大笑いできる。
形態模写の優れている人は、そのイメージを掴むこと、そして、それを身体で表現できる感覚に大変優れているということだ。
この身体感覚に優れている人は、「よし、こんなふうに打ってみよう!」と思って、案外その通りに身体を動かして打つことができるので、色々と試しているうちに、感覚的に「ぴたっ!」と合う打ち方を発見できることも多い。
しかし、残念ながらそうではない人は、そもそも「こんなふうに打ってみよう」と思って打ってみても、それがまったくイメージとは違う打ち方なので、感覚的に「ぴたっ!」とくるようなことは起こりにくい。
ということは、技術を習得したり、高めたりする前に、まず自分の体をきちんとコントロールできるように、そして自分のイメージ通りに身体表現できるように訓練しておかなくてはならないということだ。
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強くなるための技術を手に入れるためには、少なくとも自分のフォームをきちんと知らなくてはならない。
読者の皆さんは、ビデオを見たことがあるだろうか。
えっ、そっちの(?)ビデオじゃないよ。自分のフォームを撮ったビデオのことですよ。
私は、時々フォームをビデオに撮って見せることがある。
ビデオを見ることによって、実際に自分がどのように打っているのかを確認してもらうためだが、はじめて自分のフォームを見た生徒さんや子どもたちは、誰もが、
「私はこんなフォームで打ってるの?」
と驚きの声を上げる(恥ずかしくて叫ぶ場合もある)。
私もはじめて8mmフィルム(8mmフィルムといってもわかってもらえるかな?)で撮影した自分のフォームを見たときは、
「誰だよ、これ。変な打ち方やなあ、かっこわりい。」
と言って笑っていて、それが自分だと気づいて大変恥ずかしい思いをしたことを覚えている。
ということは、自分で<打っているつもり>と、実際に<打っているフォーム>には大変大きな違いがあるということだ。
ところが、何度かそういう経験をしてくると、ビデオに写ったフォームと自分のフォームに「ずれ」を感じなくなってくる。
だいたいイメージ通りに打つことができるようになってくる、ということだ。
もちろん、イメージ通りといっても、誰もがアガシのフォアハンドそっくりに打てるというのではなく、自分の姿勢やバランスなどを感覚としてきちんと捉え、自分の頭の中で、外からビデオを撮っているように自分自身のフォームをイメージできるということである。
つまり、ここでいう「自分のフォームがわかってくる」というのは、そういうことだ。
じつは、これが大変にむつかしい。
感覚の鈍い人はいくらやってもイメージとのずれが修正できない。
例えば、この感覚の鈍いコーチは、生徒の真似が大変下手である。
「あなたは今、こんな感じで打ってますよ。」
と指摘して、その人のフォームを再現したときに、あまりにそれが似ていないので、爆笑することもある。
感覚の鋭いコーチはそうではない。
例えば私(?)は、生徒さんのフォームを真似るのが非常にうまい。
その時指摘したフォームで打って見せると、その生徒さんは「むっ!」とするが、周りにいる人たちは、よく似ているので大笑いできる。
形態模写の優れている人は、そのイメージを掴むこと、そして、それを身体で表現できる感覚に大変優れているということだ。
この身体感覚に優れている人は、「よし、こんなふうに打ってみよう!」と思って、案外その通りに身体を動かして打つことができるので、色々と試しているうちに、感覚的に「ぴたっ!」と合う打ち方を発見できることも多い。
しかし、残念ながらそうではない人は、そもそも「こんなふうに打ってみよう」と思って打ってみても、それがまったくイメージとは違う打ち方なので、感覚的に「ぴたっ!」とくるようなことは起こりにくい。
ということは、技術を習得したり、高めたりする前に、まず自分の体をきちんとコントロールできるように、そして自分のイメージ通りに身体表現できるように訓練しておかなくてはならないということだ。
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2007年12月15日
自分にしかできない(1068)
よく、「なんで寮なんか作ったの?」と聞かれます。
はじめは、週末にクラブに通ってくる子供たちのためにアパートを借りました。
そういう子どもたちの中から、名古屋に出て自分の力を試したい、とう子が何人かいて、その子たちが生活してテニスに打ち込める環境を作るために中古の一軒家を購入して本格的な「寮」を作りました。
たくさんお金も使いましたが、その運営管理のために本当にたくさんの時間を使います。
利益はありません。
「じゃあ、なんでやってるの?」という質問は至極あたりまえの質問ですね。
それは、「子どもたちの成長を見届けたい」、からです。
民間のクラブでのジュニア育成は、いくつもの課題を抱えています。
そのひとつが進学の問題であり、高校や中学に進学することでクラブを続けられなくなってしまうことがあります。
それはとても悲しいことです。
できれば大学に進学するまではきちんとその成長を見届けたいのです。
そのための環境作りに「寮」は欠かすことのできない存在です。
でも、誰もやりたがりません。
時間もお金もかかるのに、それに対する見返りなど期待できないからです。
何としてでもその「思い」を実らせるんだ、という「信念」だけが支えです。
それでも、時々、その「信念」が揺らぐこともあります。
そんな時ほど、「なんで寮なんか作ったんだろう?」と後ろ向きの考えになってしまいます。
そんなことをぼおっと考えていた時に、不良少年ばかりが集まるバスケット部の物語を読みました(マンガですけど・・・)。
そのバスケ部は問題ばかり起こして、休部状態にあり、廃部寸前です。
それを食い止めるために、強豪校との練習試合で勝つことが条件でした。
試合は白熱しましたが、最後は地力に勝る強豪校が勝ち、バスケ部の廃部が決まりました。
しかし、その試合を見ていた、前顧問の先生が子供たちのバスケにかける情熱に心を動かされ、誰もなり手のない顧問に就任することを決断するのです。
その時の第1子を出産したばかりの奥さんとの会話は、こうです。
「どうして?」
「断ったらいいじゃない」
「そもそも学校で(彼らは)アナタのことを・・・」
「いやいや、そうういうことじゃないんだっ」
「自分からやらせてほしいと頼んだんだ」
「!」
「見てくれはあんな奴らだが、皆、真剣なんだ」
「いいの?それで」
「前にアナタがよく口にしてたことよ」
「”人はそう簡単に変わらない”って」
「もし今度同じような不祥事を起こしたら・・・」
「だからだよ」
「ちゃんと見届けてやりたいんだ」
「図体はでかくても子供は子供だ」
「正面からちゃんと見てやれる大人の存在は必要だよ」
「誰もやらないからじゃない」
「自分にしかできないと思ったんだ」
この最後の言葉、「誰もやらないからじゃない、自分にしかできないと思ったんだ」を読んだ時は、その言葉が大きく胸に突き刺さりました。
そう、自分にしかできない、そう強く思うことが原動力です。
ちょっと忘れかけていた思いかもしれません。
強い思い、これをなくしたらいけませんね。
がんばります!
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2007年12月14日
折れない心(1067)
ここのところ忙しくてなかなか大好きなマンガを読む時間がありませんでした。
久しぶりにマンガ喫茶に入って愛読する「少年マガジン」の棚をみると、もうすでに1月号なんていうのが発刊されていて、ちょっとびっくりします。
遠い記憶をたどって、いったいいつ頃から読んでないのかと探していると、15週近く読んでいないことがわかりました。
夏休み明けぐらいからずっと読んでいないことになりますね。
まあ、それだけ他にもやることがあったということなので、それはそれでいいのかもしれませんが、ちょっと余裕がなかったのかなとも思います。
その分をしっかりと読もうと思って、好きな連載を連続して読み漁ったのですが、やはり「ゴッドハンド輝」や「はじめの一歩」など、大好きなものはぐっと気持ちを込めて読んでしまいます。
気がつけば2時間余りで、結局4冊くらいしか読めませんでした。
残りは、これからの楽しみにしたいと思います(たくさん楽しみがあってラッキーだなと思っています)。
その中で、「折れない心」という言葉に心が動かされました。
「はじめの一歩」で、一歩が強敵と対戦し、棄権負け寸前まで追い込まれ、そこから周りのスタッフや、信頼するジムの会長の思いにこたえるために、意識もうろうとしながらも敢然と相手に挑み、相手はそれに「恐怖」を覚えます。
さんざん打たれて顔面が腫れて、まったく目が見えない状態になった一歩のために、ジムの会長はずっと氷水の中で手を冷やして、その冷やした手で一歩の目を押さえつけて腫れを取り除き、戦闘可能な状態までに回復させました。
その処置によって意識まで強く回復した一歩は、「会長を信じ、自分の道を行くんだ」と今まで以上に果敢に相手に挑みます。
会長はその姿を見て、「折れない心、つきない力(パワー)」を持った一歩とともに「世界にいける」ことを確信します。
ボクシングは過酷なスポーツであり、生死をかけた壮絶な戦いになることがあります。
だからこそ、この「折れない心」が何よりも大切であり、それに支えられた」「強さ」を持っているものだけが「世界」にいけるのだと思います。
そして、3分ごとに繰り返されるリカバリータイムのときに交わされる言葉や処置によって大きく状況が変わることがあります。
そこには「ともに戦う」強い信頼関係が築かれていなくてはなりません。
テニスも個人スポーツですが、試合に入ると、コーチやトレーナーの仕事は「見守る」ことです。
直接的に言葉をかけ、調整することはできませんが、そこにはやはり、「ともに戦う」強い信頼関係と、「折れない心」がなくては「上の世界」では戦えないと思います。
そんな「思い」を持って読んでいると時間はあっという間に過ぎていきます。
でも、この漫画を読んで、何があっても「折れない心」を、まず自分自身が持っていなくてはならないことを再確認しました。
やっぱ、マンガはいいなあ!今日も行こうっと!
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2007年12月13日
読めばうまくなる?(1066)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -73-
今回からは、少しトレーニングや技術のことについて話を進めていくことにする。
この連載は、「強くなるための法則」を解き明かすことなので、ストロークの技術がどうのこうのと言う前に、「強くなるためのストローク」を打つにはどうしたら良いのかということを解明しておかなくてはならない。
よく市販の指導書には、「ストロークはこう打て!」みたいなことが書いてあるが、そのように打って、果たして良いボールが打てるのかについては、はなはだ疑問?である。
そもそも、そのように打てるかどうかも怪しいものだ。
しかし、ある指導者では、読者からの反響として、
「いやあ、この本を読んでその通りに打ってみたらすごいボールに伸びがでて、見違えるようなボールが打てるようになりました。」
「本を読んだだけで、今までとはまったく違うボールが打てるようになって、周りのみんなはびっくり!で、その秘密は何?としつこく聞かれますが、この本のことは内緒にしておくつもりです。」
「今まで試行錯誤で捜し求めていたものが、こんなに身近にあったなんて。なんて遠回りをしてきたのだろうかと、後悔ばかりが先にたちます。それほどの感動をこの本は与えてくれました。」
と、なにか怪しげな通信販売の広告のような文句が並んでいる。
そして、そのほとんどのコメントの最後には、
「ありがとう!私の一生の宝物にします!」
なんていうようなことが書いてあって、こっちまで照れくさくなってしまう。
確かに、本を読んで今までと違うやり方を試してみたときに、今までよりもスムースにスイングすることができて、何となくうまくなったような気がすることもあるし、実際にその瞬間にうまくなることはある。
以前、テニスがどのようにして上達していくのかについて解説したことがあるが、もう一度ここでおさらいしてみよう。
「テニスに限らず、スポーツはやればやっただけ成果がでるというものではない。まったくの初心者であれば別だが、ある程度のレベルに達した選手は、練習をやってもやってもうまくなれず、成績も伸びないことを経験するものだ。それでもあきらめずにがんばって練習し続けていると、あるとき何かのきっかけで、ふっと強くなる瞬間がある。これを私は「強さの降臨」と呼んだ。」
ということである。
その「何かのきっかけ」さえ与えれば、上達上昇ポイント(私が造った言葉であるが、上達のためのエネルギーが噴火する直前のマグマのようにその身体に蓄積されているような状態のことを言う)にいる選手が、このような本を読むことによってもすっと上達することは確かにある。
しかし、そんなことはそれほど多くはない。
まあ、どんなレベルの選手でも「これさえ読めば強くなる!」という本が出版されれば、爆発的に売れるはずだから、きっとお金持ちになれるに違いない。
でも、うたい文句どおりに売れていないところを見ると、やはりそれが真実とは思えないというのが私の感想である(決してひがみじゃありませんよ)。
この連載も、実はこのような「読めば強くなる!」ということを少しは(?)目指している。
単行本として出版されるとき、サブタイトルとして「読めば強くなる!」なんて文句を入れようかなとひそかに計画していたが、やはり躊躇した。
実際には、努力、努力が必要なわけで、それなくして強くなることはありえないというのが真実だ。
ただ、「どのように努力すれば良いのか?」、というヒントについて述べた本が今まであまり多くはなかったので、新しい試みとして、多くの方に役立つようなヒントを提供していこうと思っている。
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今回からは、少しトレーニングや技術のことについて話を進めていくことにする。
この連載は、「強くなるための法則」を解き明かすことなので、ストロークの技術がどうのこうのと言う前に、「強くなるためのストローク」を打つにはどうしたら良いのかということを解明しておかなくてはならない。
よく市販の指導書には、「ストロークはこう打て!」みたいなことが書いてあるが、そのように打って、果たして良いボールが打てるのかについては、はなはだ疑問?である。
そもそも、そのように打てるかどうかも怪しいものだ。
しかし、ある指導者では、読者からの反響として、
「いやあ、この本を読んでその通りに打ってみたらすごいボールに伸びがでて、見違えるようなボールが打てるようになりました。」
「本を読んだだけで、今までとはまったく違うボールが打てるようになって、周りのみんなはびっくり!で、その秘密は何?としつこく聞かれますが、この本のことは内緒にしておくつもりです。」
「今まで試行錯誤で捜し求めていたものが、こんなに身近にあったなんて。なんて遠回りをしてきたのだろうかと、後悔ばかりが先にたちます。それほどの感動をこの本は与えてくれました。」
と、なにか怪しげな通信販売の広告のような文句が並んでいる。
そして、そのほとんどのコメントの最後には、
「ありがとう!私の一生の宝物にします!」
なんていうようなことが書いてあって、こっちまで照れくさくなってしまう。
確かに、本を読んで今までと違うやり方を試してみたときに、今までよりもスムースにスイングすることができて、何となくうまくなったような気がすることもあるし、実際にその瞬間にうまくなることはある。
以前、テニスがどのようにして上達していくのかについて解説したことがあるが、もう一度ここでおさらいしてみよう。
「テニスに限らず、スポーツはやればやっただけ成果がでるというものではない。まったくの初心者であれば別だが、ある程度のレベルに達した選手は、練習をやってもやってもうまくなれず、成績も伸びないことを経験するものだ。それでもあきらめずにがんばって練習し続けていると、あるとき何かのきっかけで、ふっと強くなる瞬間がある。これを私は「強さの降臨」と呼んだ。」
ということである。
その「何かのきっかけ」さえ与えれば、上達上昇ポイント(私が造った言葉であるが、上達のためのエネルギーが噴火する直前のマグマのようにその身体に蓄積されているような状態のことを言う)にいる選手が、このような本を読むことによってもすっと上達することは確かにある。
しかし、そんなことはそれほど多くはない。
まあ、どんなレベルの選手でも「これさえ読めば強くなる!」という本が出版されれば、爆発的に売れるはずだから、きっとお金持ちになれるに違いない。
でも、うたい文句どおりに売れていないところを見ると、やはりそれが真実とは思えないというのが私の感想である(決してひがみじゃありませんよ)。
この連載も、実はこのような「読めば強くなる!」ということを少しは(?)目指している。
単行本として出版されるとき、サブタイトルとして「読めば強くなる!」なんて文句を入れようかなとひそかに計画していたが、やはり躊躇した。
実際には、努力、努力が必要なわけで、それなくして強くなることはありえないというのが真実だ。
ただ、「どのように努力すれば良いのか?」、というヒントについて述べた本が今まであまり多くはなかったので、新しい試みとして、多くの方に役立つようなヒントを提供していこうと思っている。
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2007年12月12日
エコドライブ(1065)
最近気をつけていることがあります。
それは「エコドライブ」です。
ガソリンが値上がりして、できるだけ燃料費がかからないようにとか、地球温暖化防止に貢献するんだ、というのも少しはありますが、何よりも「急がない」ことを心がけようと思ったからです。
私は結構せっかちです。
まあどちらかというと機転がきくほうなので、何でも要領よくぱっぱとやってしまうタチです。
それはそれほど悪いこととは思いませんが、12月というのもあってかなんとなく気が急くように感じています。
こういうときは、仕事の面でも、安全の面でもちょっとあぶないですね。
この間、自転車の少年が自動車にはねられるのを見ました。
幸い命に別条なないようですが、みんなが急いているときはこうした事故も起こりやすくなると思います。
なので「ゆっくり、ゆっくり」をこころがけて、無事に過ごしていきたいと思っています。
それと、いろいろな仕事を抱えてしまって、息が詰まるような感覚もあるので、ここはいちど気持ちをリセットしたいという思いもあります。
そんな思いでやっている「エコドライブ」ですが、新しい車は「ECO」の文字が表示される仕組みなっていますので、今の走りが「ECO」かどうかはっきりと分かるのでやりがいもありますね。
クラブとの行き帰りなどで、ほとんどを「ECO」で運転できたときは、何となくうれしくなるのは単純な証拠ですね。
それと同時に、今までの運転がいかに乱暴だったのかを思い知らされます。
幸い大きな事故には遭っていませんが、この「エコドライブ」を続けることで安全性はさらに高まります。
気が急いて、何かとあわただしい師走だからこそ、ゆっくり運転するのはいかかですか?
ぜひ、お試しあれ。
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2007年12月10日
マナーの良い選手になれ(1064)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -72-
「マナー」についても同様に、多くの誤解があるように思う。
「マナー」とは、単に礼儀正しいということではない。
対戦した相手に、「この子と試合をして良かった」と思わせることができるような態度で試合に臨むということだ。
普通なら相手の嫌がる派手なガッツポーズや大声を出しても、相手が「こいつ、真剣勝負でやっているな。よおし、負けてなるものか。」という気合いが生じてくるような雰囲気を作り出すことができる態度や振る舞いを総じて「マナー」と考えたい。
武士道では、死を賭けた戦いの場でも礼節を重んじるのは、どちらが死することになっても未練なく死んでいくことができるように、敗れたほうにあっても「良い戦いであった」と思うことができるようにするためだ。
単にきちんと挨拶できたからといって、このような気持ちで死んでいくことはむつかしいだろう。
実際の試合では、セルフジャッジであれば大きな声でジャッジする、そして、できるだけ感情のぶつかり合いが起こらないように毅然とした態度で試合を行うことが最も大切である。
また、間を取り、きちんと構え、リズミカルに体を動かすなど、集中して試合を行うことができるような行動を「一定のリズム」でとるように心がけることだ。
心がけて訓練を積んでいけば、感情を大きく乱すことなく、毅然とした態度で、集中して試合に臨むことができるようになる。
自然とマナーの良い素晴らしい選手に成長していくにちがいない。
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「マナー」についても同様に、多くの誤解があるように思う。
「マナー」とは、単に礼儀正しいということではない。
対戦した相手に、「この子と試合をして良かった」と思わせることができるような態度で試合に臨むということだ。
普通なら相手の嫌がる派手なガッツポーズや大声を出しても、相手が「こいつ、真剣勝負でやっているな。よおし、負けてなるものか。」という気合いが生じてくるような雰囲気を作り出すことができる態度や振る舞いを総じて「マナー」と考えたい。
武士道では、死を賭けた戦いの場でも礼節を重んじるのは、どちらが死することになっても未練なく死んでいくことができるように、敗れたほうにあっても「良い戦いであった」と思うことができるようにするためだ。
単にきちんと挨拶できたからといって、このような気持ちで死んでいくことはむつかしいだろう。
実際の試合では、セルフジャッジであれば大きな声でジャッジする、そして、できるだけ感情のぶつかり合いが起こらないように毅然とした態度で試合を行うことが最も大切である。
また、間を取り、きちんと構え、リズミカルに体を動かすなど、集中して試合を行うことができるような行動を「一定のリズム」でとるように心がけることだ。
心がけて訓練を積んでいけば、感情を大きく乱すことなく、毅然とした態度で、集中して試合に臨むことができるようになる。
自然とマナーの良い素晴らしい選手に成長していくにちがいない。
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2007年12月09日
新しいことの問題(1063)
新しくパソコンを買いました。
カミさんが仕事場と家で使えるノート型の大きなパソコンをほしがったので購入しました。
ところが、このパソコンは新しいOSである「Windows Vista」搭載パソコンなので、今まで使っていたXPとは使い勝手が違って戸惑います。
しかも、今まで使えていたソフトが動かないのもあるので、どうしても必要なものは最新バージョンにバージョンアップしなければなりません。
なので、はじめはXPに戻そうかと思ったのですが、せっかく新しくなったのを、古いものに戻すのが何となく癪だったのでいくつかのソフトをバージョンアップして何とか使えるようにしています。
でも、カミさんは使い勝手が変わるとお手上げな人なので、仕方なく私が使っています。
まあ新しくなったので新鮮な気持ちで操作できるのはいいことですが、なんとなく動作がとろかったり、煩わしさが増えていたりすることも多く、新しくなったことですべて良くなるというわけではありませんね。
どんな仕事でもそうでしょうが、その仕事をもっと発展させようと思うと、新しく何かを始めなければなりませんが、そのすべてが良い方向にいくとは限りません。
そんな時は、後戻りすることも大切な戦術であるように言われることもありますが、やはり新しく始めたことは「何が何でも」やりぬいた上でないと、その評価はわかりません。
ということは、やはり新しいことは積極的に取り入れていくべきものなんでしょうね。
もちろんはじめのうちは戸惑いますが、その中で試行錯誤し、より良いものを求める姿勢を持ち続けることができればきっとそのほうがうまくいくのではないかと思います。
今はまだ新しいパソコンと悪戦苦闘ですが、その快適さも感じることができるようになってきました。
今あるものを大切にしながら、常に新しいものを求める気持ちを忘れないでいたい、そう思う今日この頃です。
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2007年12月08日
メンタル面だけを強調するな(1062)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -71-
スポーツの世界は「礼儀」がとても大切だ、と説かれることは多い。
福田和也(「悪の対話術」講談社現代新書)は、
「なぜ、礼儀が大事なのか。挨拶が大事なのか。それは礼儀が、油断していないということの証しであるからです」と言っている。
私には、それが証しなのかどうかはわからないが、クラブにおいて「きちんと挨拶をしなさい!」と、ことさら強調されることに対してはどうも納得できない。
そんなことは親や学校がきちんと教育するべきものであり、あまり面識のない人に対して、いつでもきちんと挨拶することばかり気にしていたら、肝心の練習に身が入らないだろうし、挨拶しまくっている子供がいたら気持ち悪い。
もちろん、挨拶しなくて良いということではない。
面識のある人に、身近であったら挨拶することは当然だと思うし、ただし、それをことさら強調しすぎないほうがよいということだ。
斎藤孝(同)は、その点に関して室伏重信先生のコメントを紹介しながら、次のように述べている。
「技術か人間性か。この二項対立図式もまた、リアリティを見失わせ易いものだ。技術を離れて人間性だけを説けば、発展性がない。一方、技術偏重主義に陥れば、不毛感が残る。室伏重信は、礼儀の重要性はもちろん認識しつつも、「礼儀あってこそ技術が育つ」という主張に対して、次のような批判的見解を述べている。
「その流儀ではストレスが溜まってしょうがない。こうやったら伸びる、という技術の ヒントを教えるのが指導者であり、自分の器以上のものになってもらうことが前提です。 その厳しさと向き合ってこそ、人間が育つ。高い技術を追求する人間に、精神は後からついてきます。逆に精神から入ったら、競技者としての壁は越えられもせんね。」(同)
ただし技術の追求が、精神的な成長を完全に保証するわけではない。技術の追求をめぐって対話的な関係が成立していることが、精神的な成長をより促す。漠然とした人生論的指導を漫然と繰り返すのではなく、具体的な技術に対する認識を一つ一つ共有していく。このプロセスと通じて、人間性に厚みが増してくる。軽く方向性を示す一言でも成長にとっては重要だ。室伏の指導は言葉少なだと先に言ったが、それでも時折「よくなっている」といった言葉はかける。この一言だけでも選手の力になる。」
このことは、きちんと自分の技術を振り返ってみることが大切で、その技術レベルが低いのにメンタル面を強化することばかりに捉われることはあまり意味がないということを示している。
これは大変難しい問題である。
私はコーチの役目として、技術についてきちんと対話をしながら、「礼儀」を尽くすことで選手としての資質をどう高めることができるのか、ということを教えていきたいと思っている。
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スポーツの世界は「礼儀」がとても大切だ、と説かれることは多い。
福田和也(「悪の対話術」講談社現代新書)は、
「なぜ、礼儀が大事なのか。挨拶が大事なのか。それは礼儀が、油断していないということの証しであるからです」と言っている。
私には、それが証しなのかどうかはわからないが、クラブにおいて「きちんと挨拶をしなさい!」と、ことさら強調されることに対してはどうも納得できない。
そんなことは親や学校がきちんと教育するべきものであり、あまり面識のない人に対して、いつでもきちんと挨拶することばかり気にしていたら、肝心の練習に身が入らないだろうし、挨拶しまくっている子供がいたら気持ち悪い。
もちろん、挨拶しなくて良いということではない。
面識のある人に、身近であったら挨拶することは当然だと思うし、ただし、それをことさら強調しすぎないほうがよいということだ。
斎藤孝(同)は、その点に関して室伏重信先生のコメントを紹介しながら、次のように述べている。
「技術か人間性か。この二項対立図式もまた、リアリティを見失わせ易いものだ。技術を離れて人間性だけを説けば、発展性がない。一方、技術偏重主義に陥れば、不毛感が残る。室伏重信は、礼儀の重要性はもちろん認識しつつも、「礼儀あってこそ技術が育つ」という主張に対して、次のような批判的見解を述べている。
「その流儀ではストレスが溜まってしょうがない。こうやったら伸びる、という技術の ヒントを教えるのが指導者であり、自分の器以上のものになってもらうことが前提です。 その厳しさと向き合ってこそ、人間が育つ。高い技術を追求する人間に、精神は後からついてきます。逆に精神から入ったら、競技者としての壁は越えられもせんね。」(同)
ただし技術の追求が、精神的な成長を完全に保証するわけではない。技術の追求をめぐって対話的な関係が成立していることが、精神的な成長をより促す。漠然とした人生論的指導を漫然と繰り返すのではなく、具体的な技術に対する認識を一つ一つ共有していく。このプロセスと通じて、人間性に厚みが増してくる。軽く方向性を示す一言でも成長にとっては重要だ。室伏の指導は言葉少なだと先に言ったが、それでも時折「よくなっている」といった言葉はかける。この一言だけでも選手の力になる。」
このことは、きちんと自分の技術を振り返ってみることが大切で、その技術レベルが低いのにメンタル面を強化することばかりに捉われることはあまり意味がないということを示している。
これは大変難しい問題である。
私はコーチの役目として、技術についてきちんと対話をしながら、「礼儀」を尽くすことで選手としての資質をどう高めることができるのか、ということを教えていきたいと思っている。
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2007年12月07日
監督の責任(1061)
今回の関東学院大学ラグビー部の不祥事には心が痛みます。
春口監督は、私の母校の先輩であり、尊敬する指導者の一人でもあります。
名も、実力もないチームを一から率いて、全国で何度も優勝するような常勝チームに築き上げるのにどれだけのエネルギーと時間を費やしたのかは計り知れません。
それを馬鹿げた好奇心が何もかも奪ってしまった、という現実をなかなか受け入れられないで、心労に倒れたというのもやむからぬことだと感じています。
監督の責任は重いです。
だからこそ、誠心誠意、情熱をかけて取り組むべき価値のある仕事でもあります。
責任ある監督にあまり自分の時間はありません。
そのすべてをチームのために注ぐからこそ本当に強いチームができる、そう信じることで突き進むことができます。
そんな思いで作ってきたチームが崩壊するのを見るとき、監督は何を思うのでしょうか。
「今まで一緒にやってきた4年生をこういう形で送り出さなければならないことを何よりも申し訳なく思います。」という言葉がすべてを物語っているように思います。
監督の思いが、すべての選手に届くとは思いませんが、その意気を感じる選手が集い、互いの信頼関係を深め、その両者の思いに応えるべく互いに全力を尽くす、それがチームの理想の形だと思います。
私の理想はそんなチームであり、そういう監督になるべく努力していかなくてはならないと思っていますが、今回の事件では、その道は途方もなく厳しいことを知りました。
監督の仕事とは何でしょうか、その真の意味が問われているように感じています。
何を求めて、どうしていけば良いのか今はまだ良く分かってはいませんが、思いを伝えていくこと、そのことだけは自分をごまかさないでやっていかなくてはならないと思います。
春口監督には、是非もう一度立ち上がってほしいと思います。
それが悔しい思いをした選手に対する一番の報いのような気がします。
私はこれからも監督としての責任を重く受け止めながら、精一杯の努力をしていこうと思います。
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2007年12月06日
指導者の眼を信じる(1060)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -70-
強くなるには、よい指導者にめぐり合うことがとても大切だ。
しかし、なかなか自分に合う優れた指導者に出会うことはむつかしい。
どのような指導者が優れているのかを一言で言うことはできないが、斎藤孝(同)が、その著書の中で、室伏重信先生のコメントを紹介しているので、少々長いが、引用してみたいと思う。
「指導者の<コメント力>は、選手を見る眼力にかかっている。ハンマー投げでアジアの鉄人と言われた室伏重信が息子の室伏広治の指導をしているときの意識は、研ぎ澄まされている。余計な言葉がはさまれる余地のない沈黙が、場を支配する。室伏重信は、ひたすら見つめる。そして、こう言う。「言うことではなく、見る、ことこそ指導者の役目なのです。思ったことを未消化のまま言うことはあってはならない。技術は、日によって、時間によって、ハンマーにおいては一本一本変わるのかもしれない。それくらい繊細なものの中で安定を築くのです。しっかり見極めねばならないのです。」(「ナンバー」472号)
彼にとっては、指導とは「静観すること」だ。しかし、「静観とは見るだけではない。見て、チャンスを待つという意味です。仮に選手が間違った動きをしていても、それが後にどういう形で技術に効いてくるのか、これは瞬時にダメだと判断できないからです。何を、いつ言うのか、そのタイミングを待つ」(同)のである。
そのタイミングとは、選手本人に潮が満ちるように課題が見えてきたときだ。それまで自分から話すことはない。「自分からハンマーの話をしたことは一度もない。一方、選手本人が何かを聞いてきた時には、すべてを答えてやらなくてはなりません。(そうしたアドバイスのチャンスが来るまでは)仮に1年かかったとしても待ちます。指導者として問われるべきは、私自身が、いかに適切な準備をし続けているかなのです」(同)と言う。」
このような姿勢で指導に臨んでいる指導者はそう多くはないかもしれないが(私も志してはいるが、自分の未熟さを痛感するばかりである)、少なくともあなたの問いかけに対して、あなたが納得できる答えをいつでも示すことができる指導者でなければ、あなたの力を引き出すことはできない。
また、試合会場で、真剣に選手の試合を見続けている指導者を選択するのもよい方法だと思う。
多くの指導者は、「言うことではなく、見る、ことこそ指導者の役目」であることを忘れている。
「見る」、ことは指導者として「適切な準備をし続けている」ことの証しなのだ。
その証しをきちんと示すことができている指導者は、きっと優れた感性であなたを導いてくれるに違いない。
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強くなるには、よい指導者にめぐり合うことがとても大切だ。
しかし、なかなか自分に合う優れた指導者に出会うことはむつかしい。
どのような指導者が優れているのかを一言で言うことはできないが、斎藤孝(同)が、その著書の中で、室伏重信先生のコメントを紹介しているので、少々長いが、引用してみたいと思う。
「指導者の<コメント力>は、選手を見る眼力にかかっている。ハンマー投げでアジアの鉄人と言われた室伏重信が息子の室伏広治の指導をしているときの意識は、研ぎ澄まされている。余計な言葉がはさまれる余地のない沈黙が、場を支配する。室伏重信は、ひたすら見つめる。そして、こう言う。「言うことではなく、見る、ことこそ指導者の役目なのです。思ったことを未消化のまま言うことはあってはならない。技術は、日によって、時間によって、ハンマーにおいては一本一本変わるのかもしれない。それくらい繊細なものの中で安定を築くのです。しっかり見極めねばならないのです。」(「ナンバー」472号)
彼にとっては、指導とは「静観すること」だ。しかし、「静観とは見るだけではない。見て、チャンスを待つという意味です。仮に選手が間違った動きをしていても、それが後にどういう形で技術に効いてくるのか、これは瞬時にダメだと判断できないからです。何を、いつ言うのか、そのタイミングを待つ」(同)のである。
そのタイミングとは、選手本人に潮が満ちるように課題が見えてきたときだ。それまで自分から話すことはない。「自分からハンマーの話をしたことは一度もない。一方、選手本人が何かを聞いてきた時には、すべてを答えてやらなくてはなりません。(そうしたアドバイスのチャンスが来るまでは)仮に1年かかったとしても待ちます。指導者として問われるべきは、私自身が、いかに適切な準備をし続けているかなのです」(同)と言う。」
このような姿勢で指導に臨んでいる指導者はそう多くはないかもしれないが(私も志してはいるが、自分の未熟さを痛感するばかりである)、少なくともあなたの問いかけに対して、あなたが納得できる答えをいつでも示すことができる指導者でなければ、あなたの力を引き出すことはできない。
また、試合会場で、真剣に選手の試合を見続けている指導者を選択するのもよい方法だと思う。
多くの指導者は、「言うことではなく、見る、ことこそ指導者の役目」であることを忘れている。
「見る」、ことは指導者として「適切な準備をし続けている」ことの証しなのだ。
その証しをきちんと示すことができている指導者は、きっと優れた感性であなたを導いてくれるに違いない。
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2007年12月05日
自分の言葉で話す(1059)
昨日は、またまた通販番組のコメントの収録に東京まで行ってきました。
前回収録した「K-1サウナスーツ」の別番組のコメントを収録するというものですが、なかなか上手くいきませんでした。
前回の収録は「通販DJ」という番組の収録で、台本も流れしか書いていないもので、ほとんどがフリートークで司会者との掛け合いで進みました。
話を引き出すのが大変上手いので、その流れに乗ってポンポンと話が出て、なんと1発オーケーでした。
「なかなかそんなふうには話すことができる人はいませんよ。」というディレクターのお世辞にも乗せられて大変気持ちよく収録することができました。
でも、今回はある程度決まった内容をコメントするということで、そのコメントを覚えて話したのですが、「自分の言葉」ではなすのとはちょっと違って、何となく話しづらさを感じました。
それに加えて、もともと活舌が悪いので、何度か聞き取りづらいコメントになって撮り直しとなりました。
本物の俳優さんや女優さんは、こんな感じの中で、感情を豊かに表現したり、すらすらとセリフがいえるなんてすごいことだと思います。
前回の収録に気をよくして、「おっ、これは私には俳優の素質があるかも・・・。ちょっと道を間違えたかな?」なんて思っていたのが恥ずかしいですね。
でも、「自分の言葉」で思いを伝えることを訓練(?)してきているので、思っていることを話すのは得意な方だと思います。
俳優にまれそうもありませんが、これからも、ちゃんと「自分の言葉」で「思い」を伝えていこうと思います。
通販の番組なので、夜中にやっていることが多いのですが、何人もの方に「見たよ!」と言ってもらえます。
今回の収録もきっとどこかで目にすることもあるかと思いますが、その時は笑いながら見てやってください。
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2007年12月04日
ひらめき脳(1058)
しばらくインターネットに接続できない状態が続いたので、久しぶりのコラムになりました。
接続が上手くいかなくて悪戦苦闘しているときは何をやってもダメで、最後はパソコンを壊してしまいたくなるような衝動に駆られるのは私だけでしょうか?
でも、解決は突然現れてくるんですね。
それまでの苦労が何だったのかと思えるほどあっけなく問題が解決し、ほっとするとともに「時間を返して!」と言いたくなってしまいます。
しかし、この問題が解けた瞬間というのは、なんとも言えず気持ちの良いものです。
今、寮生の子ども達はテスト期間なので、時々数学や英語なんかを教えています。
数学の問題なんていうのは、30年ぐらい前にやったので記憶もおぼろで、何となくしか理解していないので、基本問題なんかを解きながら、記憶を呼び起こして対応しています。
それでもなかなか解けない問題もあるわけで、頭の中で「あーでもない、こーでもない」といろいろな考えが駆け巡り、それでも解答が見つけられずにイライラします。
そんな時に、突然、解答がひらめくことがあるもので、数学のような問題はこの「ひらめく」というのが大変大切なことだと思います。
これを「ひらめき脳」とか「数学的思考」とか言うそうですが、スポーツでもそのような「ひらめき」が大切ですね。
講習会などでも話をしますが、私のようなスポーツの指導者は、この「ひらめき」を導き出す、というのがもっとも重要な仕事です。
いろいろなアプローチをして、何度も試行錯誤して、それでも上手くいかずに苦しむ選手を、なんとかなだめながら、叱咤しながら追い込みます。
それは大変苦しいことですが、その苦しさの中から、「あっ!これだ!」とひらめくものを見つけ出した時の喜びは大変大きなものです。
私は「それ」を探し出すお手伝いをしているんですね。
数学の問題を解きながら、そんなことを考えていました。
スポーツは、やさしい数学の問題のようにすんなりと解答を見つけ出すことはできませんが、その分だけ喜びが大きいことを何度も言っていかなくてはなりません。
さてさて、寮生の子ども達のテストの結果はいかがなもんでしょうか?
この子達に、「ひらめき脳」があることを信じたいと思います。
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