2008年01月30日
賭ける思い(1107)
じつは、テニスというスポーツは、「賭ける思い」を持ちにくいスポーツです。
なぜなら、個人スポーツであり、誰もが試合に出ようと思えば出ることができます。
試合に出るための「競争」がそもそもありません(インターハイ予選や地域大会の予選にランキングによって出場できないことはあります)。
団体戦があるにしても、そのメンバーは技量の高低で決まる場合が多く、それ意外の要素でメンバーが決まることはめったになりません。
つまり、「努力」だけを猛烈にしている人間が認められにくいのです。
だから「努力」をする意志が揺らぎます。
また、最近のテニスは、民間クラブから育成が始まるので、親やコーチのサポートが手厚く、スポーツ本来の「忍耐力」を強要される場面が大変少ないからです。
野球の世界では、大変熾烈な「競争」が繰り広げられます。
名門高校では、何人かに一人の割合でしか入学を許可されません。
入学しても3年間一度も公式戦に出場できない選手は何人もいます。
ポジションの争いも熾烈です。
ある選手が怪我をしたら、そのポジションを巡って他のポジションの選手もレギュラーになるために果敢に競争を挑んできます。
もちろん、いじめや暴力など、スポーツのマイナスの面も多くあります。
このような熾烈な「競争」の世界に常に晒されているのです。
だからこそ、「この一勝」に「賭ける思い」が極限にまで高まるのです。
その中での敗戦は、全身を覆う虚脱感に苛まれます。
だからこそ泣いて泣いて、我を忘れるのです。
それほどまでに「賭けて」いないと、この世界では通用しないからです。
こう考えると、テニスの世界は、特にジュニアを取り巻く世界は、スポーツの中ではもっとも「甘い」と言わざるを得ません。
でも、私は思うのです、だからこそ「賭ける思い」を強く持てたものが強くなると。
「甘い」世界に安住することなく、自分の思いを高く持つものは強くなる、そんなことを子どもたちに伝えていけたらいいな、と思っています。
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