2007年08月09日
自分流で戦う(965)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -36-
「自分はどういう戦い方をしたいのだろうか」と考えたことはないだろうか。
ある選手の試合を見て、「かっこいいな、こんなふうに試合してみたいな」と思ったことぐらいはあるだろう。
私がテニスを始めたとき、世界ランキングナンバーワンはスウェーデンのビヨン・ボルグであった。
テニスブームもあいまって、巷のテニスクラブでは、ドネーのカラフルなカラーリングのラケットを抱え(しかもテンションは80ポンド)、ピチピチのフィラのウェアに身を包み、ズボンのすそを靴下の中に入れ込んで、ヘアーバンドで武装した、とんでもない素人軍団がコートを占拠していた(まったくテニスもできないのに、テニスマシンの横で軟派するためだけにクラブにやってくる奴も何人もいた)。
ボルグの戦いは、ひたすらトップスピンで守り抜くスタイルだ。
そのプレースタイルにあこがれて、トップスピンを武器に戦っていた選手も多かっただろう。
しかし、私はどうもそのプレースタイルが好きではなかった。
私があこがれたのは、低い弾道のフラットボールを渾身の力で打ち続けるジミー・コナーズであった。
私がテニスを始めた頃は、コナーズの強さに陰りが見え始め、代わってボルグやマッケンローなどの個性派選手が台頭してきた頃なので、多くの選手はフラットドライブよりも、ぐりぐり(今はこんな表現しないのかな?)のトップスピンや変則サービスからのサーブアンドボレーでの戦い方にあこがれていたが、私はコナーズのようにひたむきに打ち続けるプレースタイルにこだわってきた。
何度も何度もそのプレースタイルを真似て打つ練習をしたが、技術レベルも低く(そのうえ両手打ちのバックハンドは否定されていた)、当時はビデオなどの便利な機械もないのでイメージを持続することが難しく、コナーズとはまったく違うフォームになってしまった(あのときビデオさえあったら、私のコナーズ化計画はうまくいったかもしれない)が、執拗にストロークでの強打にこだわるプレースタイルは、フォアの逆クロスで執拗に相手のバックハンドにボールを打ち続ける「私独自のプレースタイル」を作り上げることには成功した。
周りの連中は私のフォームを「ゴキブリ」と評したが、確かな「自分流」のフォームとプレースタイルで戦うことで強くなったのは事実である。
野球では、「まさかり投法」や「トルネード投法」、「振り子打法」といった独自のスタイルを持っている一流選手は多い。
そのスタイルに名前がなくても、「佐々木の高速フォーク」や「山田のシンカー」など、そのボールの変化が他のピッチャーとは大きく違うことから名前を付けられることもある。
この独自性が、強さの秘訣であると言っても良いだろう。
他の選手とは違う「何か」を持っているのなら、強くなることは容易かもしれない。
しかし、そうは簡単に「自分流」を作り出すことはできない。
もちろん、単に人と違うというだけでは「自分流」とは呼べない(そういう人は、「変わった人」と呼ばれる)。
「自分流」を作り出すには、何でも「自分で考える習慣」が身につけていなくてはならない。
斎藤孝(「「できる人」はどこが違うのか」ちくま新書)は、「「自分はいま何のためにやっているのか」ということについての、正確な認識力を育てることが上達の秘訣である」と述べている。
強くなりたければ、自分が強くなるためには何が足りなくて、何が必要で、何を変えなければならないのか、何をしなければならないのかについて、正確に認識することが大切であることを教えてくれる。
そのことを考え続けて、試行錯誤を繰り返し、何度も挫折を味わいながらも、しつこく食らいつき、「自分流」に到達したとき、はじめて「自分流」が強さの源となる。
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「自分はどういう戦い方をしたいのだろうか」と考えたことはないだろうか。
ある選手の試合を見て、「かっこいいな、こんなふうに試合してみたいな」と思ったことぐらいはあるだろう。
私がテニスを始めたとき、世界ランキングナンバーワンはスウェーデンのビヨン・ボルグであった。
テニスブームもあいまって、巷のテニスクラブでは、ドネーのカラフルなカラーリングのラケットを抱え(しかもテンションは80ポンド)、ピチピチのフィラのウェアに身を包み、ズボンのすそを靴下の中に入れ込んで、ヘアーバンドで武装した、とんでもない素人軍団がコートを占拠していた(まったくテニスもできないのに、テニスマシンの横で軟派するためだけにクラブにやってくる奴も何人もいた)。
ボルグの戦いは、ひたすらトップスピンで守り抜くスタイルだ。
そのプレースタイルにあこがれて、トップスピンを武器に戦っていた選手も多かっただろう。
しかし、私はどうもそのプレースタイルが好きではなかった。
私があこがれたのは、低い弾道のフラットボールを渾身の力で打ち続けるジミー・コナーズであった。
私がテニスを始めた頃は、コナーズの強さに陰りが見え始め、代わってボルグやマッケンローなどの個性派選手が台頭してきた頃なので、多くの選手はフラットドライブよりも、ぐりぐり(今はこんな表現しないのかな?)のトップスピンや変則サービスからのサーブアンドボレーでの戦い方にあこがれていたが、私はコナーズのようにひたむきに打ち続けるプレースタイルにこだわってきた。
何度も何度もそのプレースタイルを真似て打つ練習をしたが、技術レベルも低く(そのうえ両手打ちのバックハンドは否定されていた)、当時はビデオなどの便利な機械もないのでイメージを持続することが難しく、コナーズとはまったく違うフォームになってしまった(あのときビデオさえあったら、私のコナーズ化計画はうまくいったかもしれない)が、執拗にストロークでの強打にこだわるプレースタイルは、フォアの逆クロスで執拗に相手のバックハンドにボールを打ち続ける「私独自のプレースタイル」を作り上げることには成功した。
周りの連中は私のフォームを「ゴキブリ」と評したが、確かな「自分流」のフォームとプレースタイルで戦うことで強くなったのは事実である。
野球では、「まさかり投法」や「トルネード投法」、「振り子打法」といった独自のスタイルを持っている一流選手は多い。
そのスタイルに名前がなくても、「佐々木の高速フォーク」や「山田のシンカー」など、そのボールの変化が他のピッチャーとは大きく違うことから名前を付けられることもある。
この独自性が、強さの秘訣であると言っても良いだろう。
他の選手とは違う「何か」を持っているのなら、強くなることは容易かもしれない。
しかし、そうは簡単に「自分流」を作り出すことはできない。
もちろん、単に人と違うというだけでは「自分流」とは呼べない(そういう人は、「変わった人」と呼ばれる)。
「自分流」を作り出すには、何でも「自分で考える習慣」が身につけていなくてはならない。
斎藤孝(「「できる人」はどこが違うのか」ちくま新書)は、「「自分はいま何のためにやっているのか」ということについての、正確な認識力を育てることが上達の秘訣である」と述べている。
強くなりたければ、自分が強くなるためには何が足りなくて、何が必要で、何を変えなければならないのか、何をしなければならないのかについて、正確に認識することが大切であることを教えてくれる。
そのことを考え続けて、試行錯誤を繰り返し、何度も挫折を味わいながらも、しつこく食らいつき、「自分流」に到達したとき、はじめて「自分流」が強さの源となる。
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