2007年08月17日
コートの上で怒れ!(973)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -38-
コートの上で怒れない奴は強くはなれない。
現在ヨーロッパに在住して日本のトップジュニアの指導にあたっている米沢徹さんに「私がアメリカに来て最初に教えられたことは、コートの上で怒ることだった。」と聞いたことがある。
私の経験の中でも、やはり日本人はおとなしいと感じるし、コート上で怒っている場面に出くわすことは少ない。
これを日本人は美徳とみなす場合が多いのだが、はたしてそうであろうか。
特に、スポーツの場面では美徳とばかりはいっていられないと思うのだが。
中島義道(「怒る技術」PHP)は、「「怒り」とは「悲しみ」や「寂しさ」や「虚しさ」や「苦しさ」といった単なる受動的な感情ではなく、表出とコミになった感情です。怒りとは、身体に密着した感情であり、怒りが高じるとぶるぶる身体が震えてきたり、頬が紅潮してくる。弱い場合でも、歯を食いしばったり、心臓の鼓動が速くなったり、目つきが鋭くなり目が据わってくる。つまり、攻撃性をはじめから含みもつ感情であり、まだ具体的に相手を攻撃しないまでも、身体の全体がすでに攻撃の準備段階に入っている、そんな感情です。ですから、怒りを感ずることができない人とは、こういう攻撃の準備段階へと身体をもっていくことができない人と言いかえることができましょう。」と述べている。
テニスは戦いであると何度も述べてきた。
戦うためには相手に対して怒りの感情を持っていなくてはならないのだ。
「怒りを感ずることができない人とは、こういう攻撃の準備段階へと身体をもっていくことができない人」という文を強く心に留めなければならない。
また、「怒りは相手に積極的に向かっていくベクトルをもっているのに、それが恐れに変化してしまったとき、ただただ相手から逃れる方向に全身体が動いていく。自分を崩れないように保持するだけでせいいっぱいで、なるべく考えず感じずひたすらに生き延びようとする。」と述べている。
「怒り」の感情と「恐れ」の感情の押し合いでどちらの感情に支配されるのかということである。
弱い選手は、この感情の押し合いに負ける。恐れて、自分の力を信じることができなくて、相手と戦うことができなくて、負けていくのだ。
「怒り」の感情は戦いの場での勝敗を左右することを学んだとして、どのように訓練すれば「怒り」の感情を高めることができるのか。
怒りを表現しろといってもそれをコントロールできなければ、単なる「嫌な奴」になってしまう。
中島(同)は「いつも本当に怒っていたら身がもたない。社会心理学の用語を使えば「感情管理」が必要なわけで、自分の怒りに呑み込まれてしまうのではなく、いかにはげしい怒りであっても、怒りながら冷静にそれを自覚し観察している技術が必要です。」という。
つまり、上手に怒れる人が強くなるということだ。
「怒り」は、身体動作と表出一体の感情なので、身体動作をコントロールすることは大変有効な訓練になる。
大きな声を上げる。
ガッツポーズを激しくやる。
相手に(正しく)クレームをつける
気合いを入れる。
これらを実際の試合で、コートの上でやり続けるのだ。
簡単ではない。
怒りを表すことを訓練してこなかったものは、身体動作と感情の一致が起こらないので、「恥ずかしい」とか、「別にいいや」とか、「私には無理」と、その行動を拒否する方向に気持ちを向けてしまう。
そういう選手ほど、弱々しい態度を取り続ける自分に腹が立っているはずなのに、そして相手に対して「怒って」いるはずなのに、それを行動として表すことができないのだ。
残念ながら強くなることはできないだろう。
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コートの上で怒れない奴は強くはなれない。
現在ヨーロッパに在住して日本のトップジュニアの指導にあたっている米沢徹さんに「私がアメリカに来て最初に教えられたことは、コートの上で怒ることだった。」と聞いたことがある。
私の経験の中でも、やはり日本人はおとなしいと感じるし、コート上で怒っている場面に出くわすことは少ない。
これを日本人は美徳とみなす場合が多いのだが、はたしてそうであろうか。
特に、スポーツの場面では美徳とばかりはいっていられないと思うのだが。
中島義道(「怒る技術」PHP)は、「「怒り」とは「悲しみ」や「寂しさ」や「虚しさ」や「苦しさ」といった単なる受動的な感情ではなく、表出とコミになった感情です。怒りとは、身体に密着した感情であり、怒りが高じるとぶるぶる身体が震えてきたり、頬が紅潮してくる。弱い場合でも、歯を食いしばったり、心臓の鼓動が速くなったり、目つきが鋭くなり目が据わってくる。つまり、攻撃性をはじめから含みもつ感情であり、まだ具体的に相手を攻撃しないまでも、身体の全体がすでに攻撃の準備段階に入っている、そんな感情です。ですから、怒りを感ずることができない人とは、こういう攻撃の準備段階へと身体をもっていくことができない人と言いかえることができましょう。」と述べている。
テニスは戦いであると何度も述べてきた。
戦うためには相手に対して怒りの感情を持っていなくてはならないのだ。
「怒りを感ずることができない人とは、こういう攻撃の準備段階へと身体をもっていくことができない人」という文を強く心に留めなければならない。
また、「怒りは相手に積極的に向かっていくベクトルをもっているのに、それが恐れに変化してしまったとき、ただただ相手から逃れる方向に全身体が動いていく。自分を崩れないように保持するだけでせいいっぱいで、なるべく考えず感じずひたすらに生き延びようとする。」と述べている。
「怒り」の感情と「恐れ」の感情の押し合いでどちらの感情に支配されるのかということである。
弱い選手は、この感情の押し合いに負ける。恐れて、自分の力を信じることができなくて、相手と戦うことができなくて、負けていくのだ。
「怒り」の感情は戦いの場での勝敗を左右することを学んだとして、どのように訓練すれば「怒り」の感情を高めることができるのか。
怒りを表現しろといってもそれをコントロールできなければ、単なる「嫌な奴」になってしまう。
中島(同)は「いつも本当に怒っていたら身がもたない。社会心理学の用語を使えば「感情管理」が必要なわけで、自分の怒りに呑み込まれてしまうのではなく、いかにはげしい怒りであっても、怒りながら冷静にそれを自覚し観察している技術が必要です。」という。
つまり、上手に怒れる人が強くなるということだ。
「怒り」は、身体動作と表出一体の感情なので、身体動作をコントロールすることは大変有効な訓練になる。
大きな声を上げる。
ガッツポーズを激しくやる。
相手に(正しく)クレームをつける
気合いを入れる。
これらを実際の試合で、コートの上でやり続けるのだ。
簡単ではない。
怒りを表すことを訓練してこなかったものは、身体動作と感情の一致が起こらないので、「恥ずかしい」とか、「別にいいや」とか、「私には無理」と、その行動を拒否する方向に気持ちを向けてしまう。
そういう選手ほど、弱々しい態度を取り続ける自分に腹が立っているはずなのに、そして相手に対して「怒って」いるはずなのに、それを行動として表すことができないのだ。
残念ながら強くなることはできないだろう。
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