2009年01月23日
テニスにかける思い(1554)
寮生を受け入れて2年になりました。
初めての経験なので戸惑いも大きく、多くの問題も経験しました。
後悔することはありませんが、その意味を考えることはあります。
私が寮生を受け入れることを決めたのには、大きく2つの理由があります。
ひとつは、「アカデミーの確立」のために必要だと強く思うからです。
「アカデミー」を作るということは、突き詰めて言うならば「コーチの存在価値」を高めることです。
コーチという職業は、一般的に高い評価を受けるものではありません。
インストラクターとの違いも明確ではありません。
コーチング論では、主に技術を教えるインストラクターや知識を伝えるティーチャーとコーチを明確に区別しています。
さらには、仲間や親といった、信頼できる知人と同様の存在価値を有しながらも、これとも明確に区別されています。
コーチとは、それらを統合的に併せ持った存在ということです。
技術や知識はもちろんのこと、人生の目標に対する指標を与え、時には悩みごとの相談に乗り、あらゆる面で支えになりうる存在だということです。
しかし、その価値が大きく認められているわけではない、ということは強く感じます。
民間クラブにおいては、教育的な拘束力もなく、金銭による契約が主であるので、その中で技術指導以外でのコーチの存在価値を高めることははなはだ困難なことです。
しかし、寮生を受け入れることで、その大きな責任とともに、コーチとはどういうものなのかということを理解してもらうきっかけになると考えました。
今までのやり方と違うことで混乱し、誤解されることはある程度覚悟しています。
それでも、「コーチの存在価値」を高めるという仕事は、コーチという仕事選んだ自分の使命ではないか、とも考えています。
まだ始まったばかりなので、試行錯誤の連続、不安の中の行動ばかりですが、夢を持って取り組んでいこうと思います。
もうひとつの理由は、やはり、子どもたちの「純粋性」に応えたいということです。
寮に入ってくる子どもたちは、「テニスにかけて」きます。
寮での生活は不自由なことが多いのは承知の上で、いろいろなことを犠牲にして挑んできます。
なぜ、そういう「選択」ができるのでしょうか?
純粋に「強くなりたい」、そう思うからです。
愛工大名電高校野球部のトレーナーになって、この野球部が強くなる過程をスタッフの一人として10年以上にわたってみてきました。
いろいろな要因はありますが、もっとも大きな理由は「寮での生活」にあります。
今の監督になって、ともに一からチーム作りにかかわってきましたが、まずはこの「寮の生活」をきちんと管理し、徹底することから始めました。
生活管理はもちろんのこと、トレーニング場の整備、ミーティングの充実など、寮における生活のすべてを野球にかけることができるように整備していきました。
もちろん、その分だけ寮での生活の自由度は少なく、練習以外にも苦しいことは多くなります。
ほっとする時間はあまりなく、ほとんどすべての時間を野球にかけています。
でも、そうした生活の中で、忍耐力を学び、野球に対する「思い」を深めていきます。
逆に考えれば、苦しいからこそ、「純粋性」は高まると言えるかもしれません。
そんなことを強く感じていました。
だから、今の寮生の「名古屋に行って強くなりたい」という言葉を聞いた時、そんな子どもたちの「テニスかける思い」に応えたい、そう思って寮生を受け入れることにしました。
あわただしく過ぎて行った2年ですが、充実感もあります。
子どもたちの「純粋性」に触れる時、「コーチとしての存在」を意識できます。
そんな「思い」を持って、これからもともに生活していこうと思います。
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