2008年06月26日
「プロ」という仕事(1344)
今日の午前中に圭選手の腰の状態をチェックして、その後でロンドン観光に出かけました。
3年振りのロンドンですが、記憶が薄れきた上に色々と変化もあって新鮮な気持ちで楽しむことができました。
今回のウィンブルドンでは、圭選手のご両親と食事をする機会が何回かありましたが、その中で「プロ」ということについて話がありました。
そして「プロ」という仕事を選ぶ以上は、それ以外のことに「ぶれてはならない」、ということで意見が一致しています。
リスクを減らすとか、他の選択の余地を残す、ということは一般的には必要なことかもしれませんが、そういう「感覚」を持つことはすでに「プロ」ではありません。
「それ」を職業とすることの誇りを持って、ただひたむきに進むべきが「プロ」です。
苦しいことも多いかもしれません。
迷うこともあるでしょう。
それでも「その道」しかない、という「覚悟」、そのものが「プロ」であるということです。
「プロ」ということについて、
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私が考えるプロフェッショナルとは、今自分ができることに対して隙を作らずに対応できる人で、自分のすべきことに365日、24時間打ち込むことができる人だと思います。
自分のやっていることに自信がなくなったり、意味を見いだせなくなることもあるかもしれません。
プロフェッショナルというのは、まったくそういう迷いがないというのではなく、そういう状態になっても(自分の意志の力で)取り組みを決してあきらめずにやり続ける人のことです。
求める気持ちや欲望に捉われずに「ただ取り組み続ける強さ」を持った人だと言っても良いかもしれません。
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と書きました。
そうした「生き様」をすごいと感じることが出来るので、多くの人が感動するのです。
その険しさ、苦しさを知りながら、「そこ」に挑む人生、そんな人生は巣晴らしと思います。
私も「プロ」としての生き様を出来る範囲で実践していきたいと思います。
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しかし”プロ”について定義ですがコーチの意見はある面危険で、あいまいだと思います。
24時間、365日打ち込むのがすごいとか、おまえはプロなんだから、という言い方はよくないと思います。
プロとは職業に就きお金をもらっている日とすべて(フリーターやワーキングプアも含め)の人のことを一般的には言います。
職業を持っている人がそれにすべてを賭けるのはある面すばらしいと思います。
しかしそれでは誰が道端で遊んでいる子供に気をかけてあげれるのでしょうか。誰が玄関の草花の花柄を摘んでいるのでしょか?
テニス選手がテニスを愛し24時間テニスのことを考えることはいいことだしすばらしいと思います。私も大学のある時期はそうでしたが、それとプロフェッショナルということばは関係ありません。
理屈をこねるようで申し訳ありませんが、”プロだから”という言葉が前から理解できないので意見を書いてみました。
強烈な「プロ意識」がないとやっていけない世界だと思います。
私が出会ったプロテニス選手は、みな高い意識に支えられてトーナメントを回っています。
私は、そういう高い意識を持って厳しい世界に挑む姿に感動し、そんな生き方ができたらいいなあ、という憧れも持っています。
そんな気持ちを持ってコメントさせていただきました。
かげながら応援しています。
子供たちが日々成長していくこと願っています。