2008年06月13日
「過去の栄光」もう必要ない(1331)
ある女子プロゴルファーが何年か振りの優勝を果たした瞬間、両膝をついたまま立ち上がれなかったそうです。
その時の記事の表題が「『過去の栄光』もう必要ない」でした(私にとって「過去の栄光会」は必要です!)。
長い間勝てない、というのはつらいことです。
初優勝までに時間がかかるということよりも、以前勝っていて、勝てなくなった期間が長い方が苦しいものです。
それはどんなスポーツでも同じです。
みな同様に「過去の栄光」に苦しみます。
その女子選手は、以前に圧倒的な強さで5勝をあげながらその後勝てなくなり、「体力的にも技術的にもどこも悪くないのに」と思い続け、「そこに戻りたいと思い、それに応えられない自分が悔しい」と思っていたそうです。
ところが、あるプロ野球のキャンプに参加してノックの特訓を受け、「5勝は勢いと運だけで勝った。もっと幅のある新しい自分をつくろう」と「過去の栄光」との決別を誓い、見事に復活優勝を遂げた、ということです。
「不思議な空間だった。そこにいたのは以前の私ではなく、他の人だと思った」と振り返っています。
「他の人だと思った」という感覚は大変面白い表現ですね。
テニスの世界でも小さい頃に勝っていた選手が勝てなくなって、その不安に押しつぶされ、自分の力を発揮することなくやめていってしまうことはたくさんあります。
「勝てない自分」にジレンマを感じ、「勝っていた自分」に戻りたいと願うから、それが叶えられないと思い込んでしまうと苦しくて耐えられなくなってしまうのですね。
私が指導する選手で、今勝てなくて苦しんでいる選手はいます。
私は「この苦しさはあなたがステップアップするために必要なんだ」と言い続けます。
そうした苦しみの中から、「新しい自分を創ろう」、「そのことにチャレンジしよう」と開き直ることができたのなら、そこにはきっと「以前の私」ではなく、「他の人」がいるはずです。
ある高校サッカー部の監督が、「自分で考えて身につけたものは、苦しいときやぎりぎりの勝負のときでも忘れない」と言っています。
その「忘れないもの」は自分の力を引き上げてくれるが、「教えられたもの」はすぐに忘れてしまう、その大切さを教えたいのだと思います。
私自身も過去の指導の苦い経験から、「教えること」の意味をいろいろと考えて、「思考力」の大切さを身にしみて感じています。
自分で考えても分からないときや迷っているときはとても苦しいものですが、スポーツをやっている人は必ず「ここ」を通ります。
「ここ」をがんばって通り抜けてきた人はきっといろいろなことが「分かる」し、「何か」が変わります。
そのための大切な「試練」だと思います。
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