2009年02月23日
ガッツポーズができない理由(1586)
よく、子どもたちに「なんでガッツポーズできないの?」と聞くことがあります。
素晴らしいショットを決めても下を向いたり、無表情な子どもたちの多いことに驚きます。
私たちコーチは、そんな時、
「自分の気持ちを高めることができないで、どうして勝つことができるんだ!」
と叱咤することもあります。
そんな時、剣道ではガッツポーズをとると一本が取り消しになるという話を思い出しました。
また、あるコラムに
「技を掛けた時に審判を見る事や、勝った時に大袈裟にガッツポーズをする事は単に「ポイント制スポーツ」としての柔道ではよろしく、...しかし、「武道」としての柔道、つまり嘉納先生が世界に広めたかった「日本の心」を伝承するものとして僕は認めたくありませんね。
理由はちゃんと説明できますよ。
まず簡単な理由。
技が決まった時、相手を投げた時、...その時相手は既に死んでいますか?...。
たとえポイントが決まっても、試合が終わっても、もしも相手が「参っていなかったら」、反撃してきたらどうしますか?。
これを武道では広く「残心」と言い、真剣で切り捨て、倒れた相手にでも気を抜かず、刀で低い構えを倒れた相手に取って、随分長い間これを維持します。
我が流派ではこれを「下段霞崩し」の構えで行います。
次に、武道での勝ち負けは一喜一憂するものではありません。
礼節を重んじます。
勝者は敗者に対し、心を一つにして精一杯戦った相手への礼儀として笑ったり喜んだりしません。
これが謙虚と言う事です。
今時分は相撲でも勝って笑う力士がいますが、日本の文化はもう既になくなっているのかも知れませんね。
ま、今一番こういった日本的精神世界を感じるのはイチローくらいですか。」
と書いてありました。
多くの子どもたちが、
「ガッツポーズを取る」ことができないのは、
実は薄れてきたとはいえ、「武士道の精神が文化的に身体に刻み込まれているのかもしれない」、
などと考えていましたが、
どうも最近の子どもたちが「ガッツポーズできない」のは、こういう日本伝統の武士道精神的に考察するものではないようです。
もし、武士道精神が薄れ揺らいでいるのなら、もっと派手にガッツポーズする子どもたちが増えてきてもおかしくありません。
これは社会的な構造変化に深く関係しています。
ここでは詳しくは書きませんが、武士道精神とはあまり関係ないことだけははっきりしています。
また、対人スポーツであるが、接触スポーツではないテニスでは、頭にきて相手をどついたり、蹴り飛ばすような行為は、ネットが邪魔でできないので(もししたらそれはそれですごいことかも)、その精神的な安定を、自分のいる場所にしか求めることができません。
なので、声を出し、ガッツポーズをするなど自分の気持ちを鼓舞する行為が必要となります。
マサイ族のダンスのようなものかも・・・。
もちろん、イチローのように、そして宮本武蔵のようにより高い精神構造を身につけることが究極的な目標かもしれませんが、まずは、勝つために自分の気持ちを高めることを訓練したほうがよさそうです。
しかし、
「礼節を重んじます。勝者は敗者に対し、心を一つにして精一杯戦った相手への礼儀として笑ったり喜んだりしません。これが謙虚と言う事です。」
ということだけは忘れないようにしてほしいものです。
これを忘れると、単なる、「自己中」で「わがままで」、ついでに「アホ」な奴といわれてしまうので注意してください。
ガッツポーズは、冷静に、自分に向かって、謙虚に行うのが日本人的かもしれませんね。
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