2008年05月01日
言葉の力(1200)
遊び半分に自分の名前で検索していたら、
http://www.meigennavi.net/word/020/020625.htm
に自分の書いた文章が、「名言」として掲載されているのを発見してびっくりしました。
何だかちょっと照れくさいですね。
言葉には「力」があります。
言葉によって勇気をもらったり、前向きな気持ちになったり、人生を左右することもあるかも知れません。
「座右の銘」とはいつも意識して行動をコントロールする「力を持った言葉」と言うことができるかもしれません。
私もそんな言葉といくつか出会いました。
もちろん、難しそうな本やテレビ番組にだけそうした言葉が存在するわけではありません。
マンガの中のセリフにも心を動かされる言葉に巡り合うことがあります。
私の愛読する「週間少年マガジン」には、「はじめの一歩」や「ゴッドハンド輝」など、実に素晴らしいマンガが連載されています。
毎回感動し、涙することも多いものです。
(「はじめの一歩」から―対戦前に弱気になっている後輩の学を一歩が元気づけるシーン)
学 「み~~~~んな
ボクが敗けると思っているんだろうな」
「くそ~~~」
一歩「周りがどう思うといいじゃない」
「大事なのはそれじゃないよ」
「キミはどう思っているの?」
学 「か・・・・勝ちますよ」
「ボクが!絶対に!!」
一歩「それが大事だと思うよ」
「自分のコトをどれだけ信じられるかが!」
「不安はしかたがない」
「試合前はあの鷹村さんだって少なからずあると思う」
「だから練習するんだ
少しでも自分のコトを信じられるように」
「走って サンドバッグ叩いて
勝てるかもしれない 勝てるだろうって」
「少しずつ自分を信じられるようになって」
「そして―」
「敗けるはずがない!
というところまで
身体(カラダ)と精神(こころ)を
作り込んでいくんだ」
学 「・・・・確かに
敗けると思ってリングに上がったら
絶対に勝てない」
一歩「ボクは 会長にそう叩き込まれたよ」
学 「ありがとうございます 先輩・・・・」
「胸にきた!
周りの意見や過去の結果なんて気にしない」
「自分を信じるんだ-自分を!!」
どうですか。絵を載せられないのが残念でたまりませんが、どんな素晴らしいメンタルトレーニングの本よりも心に響きます。
まさに「胸にきた!」という感じです(これは理屈ではなく、ハートに響いたという意味で使っています)。
また、「身体と精神を作り込んでいく」という表現にはアスリートとしての真髄がみえます。
そして、このときの物語はそれだけではなく、一歩が力強い言葉を吐いた後に、
一歩「い いやまあ 偉そうなコトを言っちゃったけど」
「それが理想というか・・・・」
「ボ ボクにとって
この世で一番信用できないのは
自分自身というか・・・・」
と、自分を信じられない自分がいることを素直に告白するのです。
自分を信じられない、自分の弱さを十分に自覚している、そういう人間が努力をする、そのことをこのマンガは教えてくれます。
こうした言葉に巡り合う経験を通して、自分なりの哲学のようなものが作られ、「自分の言葉」として成長していくのだと思います。
自分の言葉がどれくらいの人に影響を与えるのかは分かりませんが、素直に「自分の言葉」を伝えていこうと思います。
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長くなるのですが質問をさせていただけますか。
私は、テニスを習い始めて約2年の30代女性です。
基礎の練習から最近はコンペなども出始めて、とても楽しい時期で、ゲームにもどうしても勝ちたいという意思を持ち始めたところです。
ところが、先日プライベートコーチとの雑談から、「自分はもうゲームなどで勝ちたいと思えない」と聞きました。コーチは20台とまだ若いのですが、20年以上もテニスを続けたらしく、そういった気持ちをもつこともわかる気もします。
しかし、正直言って今の私にはショックでした。ミスを減らすことや、自分らしいテニスをすること、そして勝ちたいという思いが強く芽生えている時期に、もうゴールのような話を聞き、その彼のモチベーションが自分のテニスへの思いへも響くようで。
生徒である私にそういった発言をしたことをコーチは謝っていました。
勉強のため、とコーチの出ているコンペにも足を運び、丁寧で熱心な指導に本当に感謝していた矢先だけに、深く考えてしまいました。
コーチとして教えることやテニス自体は楽しいとのことです。
コーチとして勝つことへのモチベーションを常に持ち続けることは必須ではないと思うのですが、何かが非常に残念で・・・。
「私は私のテニスをやっていくだけだ、コーチのモチベーションは関係ない」と今は言い聞かせて頑張っています。
何かご意見いただけますと幸いです。
ありがとうございました。
テニスを教えることと、テニスをすることは根本的な志向性が違うように思います。
例えばある選手を強くしたいと思うのであれば、その選手の試合をずっと見続けます。
自分の時間を割いてでも選手と付き合おうとします。
当然、自分がテニスをする時間はあまりないですね。
そういうことを続けてくると、自分がテニスをすることよりもテニスを教えることの面白さや素晴らしさがわかってきます。
そうなると、自分がテニスをすることよりもどうやって教えれば良いのかということに意識は集中していきます。
多くのすぐれた指導者は、そのような志向性を持っているのではないでしょうか。
その情熱が、テニスが強くなりたいと思う選手に伝わり、信頼関係が築けた時、コーチとしての仕事ははじめてうまくいくものです。
そういった意味で、catchyさんのコーチは、コーチとしての面白さに築き、今までの志向性を変えていこうとしているのではないでしょうか。
そう考えれば、「コーチは自分の試合はいいから私の試合見て!」というような関係になっていくかもh知れませんね。
その関係はきっとcatchy さんが強くなり為には必要なことだと思います。
がんばって強くなってくださいね。
心のこもったお返事を頂き、ありがとうございます!
人に何かを教えるといった経験のない私には全くわからない部分でした。
コーチングというのは、奥が深いようですね(教師なども同じでしょうが)。
少し捕らえ方が広くなりますが、何かに関して一生懸命に努力するのであれば、その方向性は重要でないのかもしれませんね。目標に向かって進む生徒側から見て、コーチ自身も何かに一生懸命であってほしい、と思う私の想いがコーチ自身の「勝ち負け」に向いておりましたが、「コーチング」に向いているのならそれは素晴らしいこと、と捕らえたほうがいいですね。
頂いたアドバイスで、気持ちの整理がついた気がします。
これからも少しでも上達できるよう、そして楽しめるよう頑張ります。
ありがとうございました。
身体と精神を作り込んでいく。いいですね~
自分を信用できないから、信じられるようになるために兎に角練習する。
私の今年のテーマも「自分の力を信じて思い切りよく打つ」なんですよ。
7年間作り込んできた力を、そろそろ信じてあげようかと。
(別にプロにもコーチにもなるわけではないのですが・・・笑)
ちなみに、「魔法のことば」って絶対存在すると思います。
愛のあるコーチに、魔法をかけられながら上達してきましたもん。
大島コーチのブログもその一つです。
私もcatchyさんと同じ経験があります。
以前いたテニススクールで、このコーチこそはと思って期待していた矢先だっただけに
かなりテンション下がりましたね。そのお陰で「来期は絶対上のクラスにあがってみせる」と
闘志がもえましたが!
現在は心身ともにサポートしてくれるコーチとめぐり会えて充実したテニス生活を送っています。
大島コーチのおっしゃるとおり、情熱が信頼関係を結ぶものですよね。
教わる側からみても、いい指導者に共通してるのは、「観る力」があることだと思います。
コーチも生徒も同時進行で成長していければいいのでは。
コーチという仕事をしていますと、「言葉」には大変気を使います。
特に子どもたちに対してはその影響は大きいので、できるだけ良い効果があるように心がけてはいます。
実際には大変難しいもので、いつも反省ばかりですね。
backさんが言うように、こうした失敗や反省を通して指導者の成長していくのだと思います。
子どもたちから教えられながら、反省を生かし、子どもたちに夢を与えることができるようなコーチになりたいですね。
一生懸命頑張ります!