2008年05月18日
素晴らしき仲間(1307)
昨日は「過去の栄光会」なる集いがありました。
これは私の世代とひとつ下の世代のテニス仲間の集まりです。
高校を卒業して30年が経つので、確かに髪が薄くなったり、体型が崩れたり(私の変化が一番大きいらしい・・・ん?)、皮膚の衰えも隠すのが難しくはなってきましたが、「感覚」は当時のままです。
話は当然、高校時代の話が中心になりますが、時空を超えてその時の情景がありありと浮かび、今まさに「その時」を過ごしている「感覚」です。
苦しかった練習・・・
先輩に対する恨みつらみ・・・
好きな子との思い出・・・
ここでは書けない・・・
そこには確かに「仲間」がいます。
その「空間」には、「安堵感」のようなものも感じます。
私には確かに素晴らしき「仲間」がいる、という「安堵感」ですね。
今の子どもたちはこういう「感覚」を持ちにくくなってきていると思います。
以前に、
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ひと昔前のクラブ活動は、理不尽極まりないことがまかり通っていた(一部のクラブは今もそうであろう)。
3年天皇、2年人間、1年畜生という言葉ができるくらい、1年生は1年間の過酷な試練に耐えなければクラブ活動を続けることさえできないのだ。
私が高校でテニスを始めたときは、入部希望者はざっと40名くらい(実際は一日で辞める部員もいるので、もっと多いはずである)。
それが、8月の合宿を終えるころには6、7人に激減する。
練習中の飲水はもちろん禁止、一日中ボール拾いに追われ、何百回と繰り返される素振りに耐え(当時は、ラケットカバーをつけて素振りをするのが主流(?)であった)、非合理的で理不尽なトレーニング(両手両足を縛られて、学校から先輩の乗るバスのバス停までピョンピョン跳びながら見送りに行かされるなど-ええ加減にせえよ!)に歯を食いしばり、やっと日没近くなって5分程度の練習が許されるという状況では、辞めていくのは無理もない。
では、辞めずに生き残った(?)者は、なぜそのような過酷な状況に耐えることができたのであろうか。
東山紘久(同)は、
「人間がピンチに出会ったとき、悩むことが飛躍につながる人と、そのままなかなか立ち直れずに、より深刻な問題に落ち込んでいく人との違いは、サポーターがいるかいないかが大きな分かれ目になる。」
と述べている。
私の場合は仲間の存在が大きかった。
ともに励ましあい、競い合う仲間がいなければ辞めていただろう。
本当に良い友人たちに恵まれた。
私は、もちろん戦争を経験していないので大きなことは言えないが、これを<戦友意識>と呼びたい。
過酷な状況では、友情はより強く結ばれる
そして、くじけそうになるとき、強く結ばれた友情が何よりも助けになるのだ。彼らは今でも私の大きな支えである。
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と書きました。
その気持ちをもう一度強く確認し、多くの子どもたちにそのような「仲間」との出会いを経験してほしいと強く思います。
次回はいつになるのかわかりませんが、わくわくするような気持で待っています。
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