2008年02月13日
仲間、という存在(1121)
人間は弱い生き物なので、「拠り所」が必要だと書きました。
もちろん、私も弱い人間なので「拠り所」を必要としています。
私の場合は、やはり「仲間」です。
家族の理解と協力、子どもたちのがんばりも私の「支え」になりますが、落ち込んだり、気が滅入る時にエネルギーを与えてくれる「仲間」の存在は大きいですね。
この間も、みんなで集まって夜中遅くまで話をしたり、騒いだりしていました。
いつも同じようなことばかり話をしているのですが、不思議と飽きることはないですね。
こうした「仲間」は自分が望んで手に入るものではありません。
自分の「志」に素直に生きていると、自然と関係が出来上がってきます。
何よりも「自分」の生き方があって、それに共感する「仲間」が自然発生的に集い、関係が深まり、だんだんと「かけがえのない存在」となってきます。
いつもメールで連絡を取り合うとか、電話で話す、なんてこともありませんが、指導のことで悩んだり、気持ちが落ち込んでいたりすると、なんとなく場ができあがります。
そこで話をすると気持ちは盛り上がって、前向きにものを考えることができるようになってきます。
まさに「エネルギー」をもらえます。
実際にテニスを指導している人間が大勢いる中で、偶然知り合うことができ、エネルギーを与えてもらう「かけがいのない存在」に出会うことができたことに心から感謝しています。
これからもきっとこの関係は続いていきます。
お互いが「エネルギー」を与えあうことができる素晴らしい関係でありたいと思います。
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こんなことをまさに今日考えてました。
度々大島コーチの思いとリンクするんですよ!
・・・どうしてでしょうかね?
純粋に感じることって、時空を超えてやって来るものなのでしょうか??
「思い」が伝わることはありますね。
私がトップジュニア委員会の構想を練っていた時には、本当にいくつかの「思い」が短期間にひとつにまとまりました。
寮を作る時にも思いもかけない偶然で物件が手に入りました。
何とも不思議な感じがしますが、まさに純粋な「思い」は時空を超えるのかもしれませんね。
これからもその「純粋性」を失わないように生きていこうと思います。