2008年02月12日
シンボル(1120)
シンボルが消失した時の空しい気持ちはとても大きなものです。
今回、韓国のシンボルともいうべき「南大門」が焼失したニュースを見て、韓国に遠征に行った時に訪問した思い出もあり、何とも言えない気持ちになりました。
シンボルとは、自分の「拠り所」ともいうべきものです。
どんなに屈強そうに見えても、何事にも動じないように見えても、人間はどこかに「拠り所」を持っています。
自分が苦しくなったとき、そこに「思いを馳せる」ことで乗り越えていく勇気を与えてくれるような存在かもしれません。
私は「人間は弱い」という立場に立って指導をしています。
特にスポーツ選手は求めるものが大きいだけに、それを手に入れる困難さにくじけることも多く、大切な試合に負けたりすると虚しさに苛まれます。
そんな時、「拠り所」がはっきりとある選手は立ち直りも早く、次の目標に気持ちを切り替えることがうまいものです。
その「拠り所」は、好きな本であったり、あこがれの選手であったり、コーチであったり、友人であったり、恋人だったりします。
思いを馳せれば自然と勇気の湧く存在は、スポーツを強い思いで続けるためにも、自分の力を発揮するためにもとても大切な存在です。
今回の事件では、多くの韓国の方が悲しみに沈んでいることと思います。
早く心が癒されることを願います。
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