2009年04月05日
構えを科学する-1- (1587)
テニスの科学(49)
テニスにはレシーブの「構え」だけではなく、いろいろな「構え」があります。
サービスの「構え」
とか、
チェンジコートで休むときの「構え」
などです。
しかし、いったい「構え」とはなんでしょうか。
よく私たちは、
「こいつは良いリターンをしそうな構えだ」
とか、
「構えがすばやいので安定したストロークが打てる」
などと言います。
もちろん私たち目にしてきたのは、そのような素晴らしい「構え」だけではなく、とんでもなくユニークな「構え」もあります。
例えば、
ゴルフのパッティングにも見られるような、両肘を左右に大きく広げていかにも相手を威嚇しているような構えとか(そんなことでは威嚇になりませんよ、かえって相手を安心させるようなものです、と言ってあげたくなります。)、
マッケンロー(知っていますよね)よろしく両手をダラーンと下げて構えている人とか(こういう人に限って、スプリットステップを行ったときでもラケットを上方へ持ちあげないので、ヘッドが完全に下がって打球してアウトばかりだったりするのですが。)、
両手を完全に離して体の脇に構える人もいるのです。
しかし、このようなユニークな「構え」が果たして本当に悪い「構え」だと言えるのでしょうか。
そして、このようなとき、あまりカッコ良くはないけれど、その人が好きでやっているんだし、きっとその人にとっては良い構えなんだと割り切ってしまうことが多いのではないでしょうか。
この問題を解決するには、正しい合理的な「構え」とは何かを理解しなくてはなりません。
その「構え」にスポットをあてて解明していこうと思います。
これは非常に骨のおれる仕事です。
なぜなら「構え」とういうのは単にフォームを意味するのではなく、試合に対する「構え」など精神的な「心構え」をさすこともあるからです。
身体的な意味での「構え」をとってみても、そこには「美的な判断」も存在することが科学的な解明を困難にしています。
つまり、「構え」を評価するとき、その時の力や関節角度を測定なければわからない、というものではないのです。
科学的な手法を用いて客観的に数値に置き換えるのは困難な仕事なのです。
その困難な仕事に敢えて挑むのですが、まずは日本の伝統芸術や武道においてはどのように「構え」を捉えているのか見ていくことにします。
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