2008年10月25日
バーンアウトとドロップアウト(1464)
最近私の指導する子供がテニスをやめました。
このようなケースは、「ドロップアウト」といいます。
私の希望は、子供たちが一生涯テニスをやってくれることです。
どのような理由があるにせよ、子供たちがテニスをやめていくのはとてもつらいことです。
しかし、テニスのほかに何か打ち込めるものを見出すことができたので、そちらに情熱を向けることは、その子供にとってとても大切な選択だと思えるので、まだ納得できます。
問題は子供が「バーンアウト」している場合です。
「バーンアウト」とは、練習に対する意欲がわかなかったり、競技生活に嫌気がさしているにもかかわらず、今までずっとテニスを続けてきたので、ほかに情熱を傾けるものを見つけ出すことができなくて、「燃え尽き」というよりも「くすぶっている」ような状態です。
このような気持ちで練習をしていると、コーチのアドバイスは耳には入りません。
仲間の励ましも逆効果になってしまいます。
感情的に振舞う場合も多くあります。
しかし、そのような状況でも「自分自身を変えたい」と、誰もが思っています。
ただ、どうすれば良いのかという具体的な方策がわからなかったり、ほかのことにチャレンジする勇気が持てなかったり、そんな自分にいらいらしているのです。
親に問題がある場合もあります(そういう親は自分に問題があるとは考えません)。
そんなとき、共感して理解してくれる仲間やコーチが必要です。
何かのきっかけを与えてくれるからです。
何よりも自分を認めてくれることがうれしいのです。
そして、子供が主体的に取り組むことによって、テニスのすばらしさを再認識し、いま自分がやっていることに対して積極的な意味を見出すことができるようになるしかないのです。
このような状況に対応するためには、コーチはカウンセラーとして資質が要求されます。
多くの子供たちを指導しているので、特定の子供に深く付き合うのはむつかしいという現実はあります。
それでも、どれだけ自分の時間を割くことができるか、どれだけ深く思いをはせることができるかが鍵です。
報われることは少ないものですが、やり続けるしかないと思います。
私は、そのようなとき「これは私に成長するチャンスをくれたのだ。」と思うようにしています。
そう思うことで、コーチとしてのスランプは私に近づくことができません。
コーチも挑み続けるしかないのです。
「バーンアウト」している子供を預かるとき、少なからずこころは動揺します。
そんなとき読んだ本の中に、自分のこころの不安を軽くしてくれる文章に出会いました。
この文章を読んだとき、何とか救ってやろうなどとは思わず、ただそれを受け入れることに気づかされました。
「最初の間は親密にしています。歓迎され、愛されたいという思いから、教師と自分との関係に熱中します。当然、その期待は失望に変わり、どうしようもない感情のもつれが生じてきます。自分は利用され、裏切られたと感じ、幻滅します。こんな辛い気持ちには耐えられないと言って、去っていきます。そんなとき、だれに対しても背を向けず無条件に愛することです。」(「チベットの生きる魔法」ペマ・チョドロン著、えのめ有実子訳、はまの出版)
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