2008年04月24日
大学講義(1193)
先々週から大学での講義が始まりました。
ある大学で「コーチング論」なるものを教えています。
昨年オファーがあった時には、もう大学での教員をやるつもりはなかったので一度は断りましたが、紹介していただいた先生には昔お世話になったこともあり、また専門科目の授業なので自分自身の勉強にもなるかなと思いなおして講義を担当することにしました。
取り立てて緊張などはありませんでしたが、10数年ぶりに教壇に立つのでちょっと戸惑いはありました。
まあ、一番の戸惑いは学生の風貌ですね。
「コーチング論」という講義科目なので、当然スポーツの指導者を目指すような学生が受講するのだろうと考えていましたが、金髪に、いっぱいピアスの学生もいてちょっとびっくりです。
経営学部のスポーツマネージメントコースの講義科目なので、体育系の学生ばかりでないことは分かっていましたが、この学生たちが「コーチング論」を学んでどうするのかな、という疑問は大きかったですね。
最初の講義は、まずは「観察」から始めようと思いました。
よく観てみると、携帯を触りっぱなし、平気で飲食物を机に置き、キティーちゃんのスリッパにスウェットで平気、ノートをとる気は全くなし、と講義が成り立つのかどうかは微妙というか、ほとんどむつかしいだろうと思いました。
こういう姿勢で講義を聴くことを許してきた教員にも問題はあるかと思いますが、今時の学生はこんな風なんだろうな、と認識を新たにしたという次第です。
そこで、少なくとも講義を聴く、ということは聴く側と教える側の相互の理解に基づいて「契約」として成り立つものだということを理解してもらおうと思いました。
私の授業では、携帯は禁止、居眠りも認めない、毎回のレポート、遅刻は何かしらの理由があっても10分まで、ノートの提出を求める、テストは結構むつかしい、という私なりの講義の流儀のようなものをきちんと話をしました。
別に特別なことを求めるのではなく、最低のマナーとして守ってもらいたいことを挙げてみただけです。
その話を聞いた上で、受講を希望する人だけに聞いてほしいということを求めました。
相互の契約なので、受講を希望する場合は、全力で私の持っている知識や経験を伝える努力をするが、そうでなければ受講をする必要は全くない、ということも伝えました。
そもそも、単位取得のためだけに受講するという行為は、無駄な時間を過ごすだけだと強く主張しました。
自分が学びたい講義だけを真剣に聞くことが人生には役立ち、もっと言えば大学に興味がなければ辞めることも決断しなければならない、とも言いました。
ちょっと言いすぎかなとも思いましたが、それぐらいの自己主張もできなければ、「コーチング論」など学んでも意味がないと思います。
多くの学生は理解してくれたように思います。
2回目の授業では、レポートもきちんと書かれており、携帯の使用も認められませんでした。
何よりも、レポートに「コーチという立場で人に何かを教えることに対して大いに興味がある」ことが書かれていてうれしく思いましたね。
また、「コーチングでもっとも必要なことは何か?」というレポートの題目に対して、多くの学生が「コミュニケーション」であると答えていることに強く興味を覚え、そういうことを求める人が多いのかもしれないと思いました。
現代は人と人との「コミュニケーション」がとりにくくなっていると言われます。
安易に携帯やメールで連絡をとれることが大きな要因であるとは思いますが、そんな世の中にあって、強く人とのつながりを求めているのではないかと思います。
講義でも、学生と「コミュニケーション」をとることがもっとも大切なことになります。
それが「コーチング」と深く結び付いているので、どうすれば良いのかをよく考えて伝えていけたらいいなあと思います。
今は昨日行った講義での学生のレポートを楽しく読んでいます。
風貌は?ですが、結構熱いハートを持ってる学生とともに有意義な講義にしていこうと思います。
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