2008年04月20日
謙虚であることの強さ(1189)
ゴルフでは、注目のルーキーが首位を守り大いに注目を集めています。
これだけ注目される中で、首位に立っただけではなく、それを守るというのは快挙だと思います。
それだけの力があるということには違いありませんが、テレビで放送されるインタビューやトレーニングの様子を見ていると、「謙虚であることの強さ」を感じずにはいられません。
あるテレビ局のアナウンサーも「この選手の強さは謙虚であることにあると思いますね。」と感想を述べていました。
ある程度の成果を上げてくると、人間はだんだんと「謙虚さ」を失っていくものです。
そうした性情に流されることなく、「謙虚な姿勢」を貫くことはそれだけ難しいというとです。
全国選抜高校野球を制覇した愛工大名電高校ナインにも同じように「謙虚であることの強さ」を感じたことがあります。
その時、こんなふうに書いています。
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悲願の全国優勝を果たした愛工大名電高校であるが、巨人の工藤やマリナーズのイチローのような傑出した力を持った選手がいるわけではない(少なくとも現段階ではね)。
なのにこれほどの素晴らしい成果を上げることができたのは、「謙虚であること」に尽きると思う。
「おい、甲子園はどうだった?」
と聞いてみても、
「楽しかったっす」、
「観客が多くてめちゃ気持ち良かったっす」、
「勝てると思わなかったので、びっくりしています」、
「自分たちの力以上のものが出せました」
と、なにひとつ気負ったところのない、昨年準優勝したときと(まったく)同じような「謙虚な」コメントばかりが返ってくる。
昨年同じ選抜高校野球で準優勝し、秋の神宮大会でも2年連続で決勝に進み、優勝候補に挙げられていたので、
「優勝できる自信?あったに決まってるでしょ」
「甲子園?楽勝っすよ」
ぐらいの生意気な言葉が聞かれてもよさそうであるが、ん~、ほんとに無いねえ。
スポーツで強い奴は、自己中心的な奴も多く、どちらかというと近づきにくい雰囲気を持っていたりするのだが、どうも頂点に立つ「本当の強さ」とはちょっと違うような気もしてきた。
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こうした「姿勢」で何かに打ち込むことが「本当の強さ」を生み出すことになるのかな、と強く思います。
将棋の羽生善治が、一時の勢いを失って無冠になってから這い上がってくるきっかけも、かつての名人たちが謙虚に努力を続ける姿を見たからだそうです。
自分の才能を磨くことだけを求め、何が足りないのかを謙虚に認め、それを埋めるべく純粋に努力する、そのことの大切さに気づいたと言いきっています。
プライドを持つことは大切であるが、捨てるべきプライドは捨て、「謙虚に」強さを求める選手にだけ、「本当の強さ」が降臨することを忘れてはならないと思います。
自分自身にも・・・言い聞かせます。
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