2007年06月28日
変化を恐れるな(927)
「変化ほど安定したものはない」と書きましたが、これはテニスの技術にも当てはまります。
上達するということは「何かが変わる」ということですが、そのことを「恐れる」人がいます。
例えばラケットやストリングを変えることを恐れます。
もちろん、技術的にフォームを変えたりすることに対してはかたくなに拒むこともあります。
はたしてこういう感性(考え方)の人は上達するでしょうか?
もちろん、たくさん練習すれば上達しますが、いろいろとトライして考える方が早道だと思います。
「そんなことは分かっている」と言う人は多いものですが、変わることを恐れる人は、実際に練習で何か違うことにトライさせると、始めのうちはがんばってトライしていますが、すぐに元に戻ります。あっという間です。
指導者から見て、今の時点で強制したり覚えなくてはならない感覚やフォームというのはあります。
それを効率的に指導するために、今までのやり方を極端に変える場合もあります。
そのことを当たり前のようにトライして、自分なりの考えをきちんと主張し、気がついたら修正できて、すっかり自分のものにしてしまう、そんな選手が強くなっていくと思います。
変化は確かに一時的な後退を生むことがあります。でも、その「変化が新しい何かを生み出す」のです。
こうした後退を「積極的後退」と呼びます。
一旦、引いたように見せて陣形を立て直し、再度攻勢をかけたときには敵を完膚なきまでに粉砕することができる優れた作戦に例えられます。
そうした変化が「絶対に自分を強くする!」、そう確信している選手は強い!そのことを忘れないでほしいと思います。
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2007年06月28日
覚悟を持って戦う(926)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -18-
テニスはうまい、でも何かが足りない。感じることは、「風格」が足りないということだ(もちろん、すべての選手がそうだというのではない)。
「風格」を国語辞典で引いてみると、「存在者・行為者としてのスケールの大きさと、重み」とある。
そう、まさに「これ」が足りないと感じるのだ。
スケールの「大きさ」はなんとなく理解できる(ダイナミックにスイングできるとか、ミスを恐れずにチャレンジするプレースタイルといったようなものか)。
では、スケールの「重さ」とはいったい何なのか。
「重さ」とは「質」のことであり、この「重さ=質」こそが強い選手になるためにもっとも大切であることを強調しておきたい。
例えば、ここに同じような大きさの球体があるとしよう。ひとつは鉄でできている。もうひとつは銀でできているとでも仮定しておこう。
鉄の表面もよく磨かれており、一見すると違いが判らない。
しかし、比べるまでもなく、洞察力の鋭い人ならば、ひと目でその違いに気がつく。光沢の違いもあるだろうが、その質感に違いを感じるのだ。
質的な違いは、隠していても「じわっと湧き出て」感知されるものだ。
いくらスケールの大きなプレーができたとしても、その「質=重さ」が伴っていなければ、優れた強い選手にはなりえない。これはよく覚えておいてほしい。
では、どうすれば「質」を向上させることができるのか。
大切なことは、「覚悟を持って戦う」ことだ。
船越正康(「スポーツ心理学の世界」福村出版)は、「試合とは、全人格の勝負である。」と述べている。
すべてを賭けて戦う気持ちがなければ勝負するに至らないのだ。
テレビで「はじめの一歩」(少年マガジン連載のボクシング漫画。これを知らない人はスポーツをする資格はないと言い切ってしまおう)の映画を見た。
その中で、身体的に極限に追い込まれた状態でも(チャンピオンでありながら)挑戦者として戦い続ける姿が見事に描写されている。
これは漫画だからありえる話ではない。私は実際にそういう選手を何人か見てきた。
自分自身を極限に追い込んで(極限まで追い込むので、身体はぼろぼろである場合も多い)試合に臨むことができる人間がいることを知ってほしい。
ただ、勘違いしないでいただきたいのは、がむしゃらなガンバリズムで勝負を挑むのではない。
山下富美子(「集中力」講談社現代新書)は、「集中力を発揮できるように万全の環境条件を整え、競争相手を想定し、何が何でもやり抜いてみせるというような悲壮な「ガンバリズム」よりも、これから取りかかる課題や作業そのものに対して、興味や関心、魅力を感じて、虚心に集中できるような「無心型」の方がかえって集中できるのである。」と言う。
そして、勝ち負けとか、自分が得られる名誉とか信頼に依存しないで、「ただ戦うことのみにすべてを賭ける意志」を持って戦うことだ。
もちろん簡単なことではない。自分の意志をそこまで自律的にコントロールできるのであれば、まちがいなくあなたは強くなる。
長田一臣(「日本人のメンタルトレーニング」スキージャーナル)は、「本当に強いとは「心の強さ」をいう。だから結論はここにくる。すなわち、ものの見方、考え方である。人生どう生きるか、しょせん己ひとりの道である。それを決めるのは心である。己の人生観、世界観を確立して自分の道を歩むのである。」と言っている。
人生を賭けた取り組みをしている者は、必然的に質が磨かれる。周りで見ている多くの人に、その質の高さは感じられるはずだ。
ある人が、「人間的な魅力を感じない選手が素晴らしいショットを放っても感動などしない。」言っていたのを思い出す。
打つショットで見ている人に感動与える選手、そんな選手が本当に強い選手だ!
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テニスはうまい、でも何かが足りない。感じることは、「風格」が足りないということだ(もちろん、すべての選手がそうだというのではない)。
「風格」を国語辞典で引いてみると、「存在者・行為者としてのスケールの大きさと、重み」とある。
そう、まさに「これ」が足りないと感じるのだ。
スケールの「大きさ」はなんとなく理解できる(ダイナミックにスイングできるとか、ミスを恐れずにチャレンジするプレースタイルといったようなものか)。
では、スケールの「重さ」とはいったい何なのか。
「重さ」とは「質」のことであり、この「重さ=質」こそが強い選手になるためにもっとも大切であることを強調しておきたい。
例えば、ここに同じような大きさの球体があるとしよう。ひとつは鉄でできている。もうひとつは銀でできているとでも仮定しておこう。
鉄の表面もよく磨かれており、一見すると違いが判らない。
しかし、比べるまでもなく、洞察力の鋭い人ならば、ひと目でその違いに気がつく。光沢の違いもあるだろうが、その質感に違いを感じるのだ。
質的な違いは、隠していても「じわっと湧き出て」感知されるものだ。
いくらスケールの大きなプレーができたとしても、その「質=重さ」が伴っていなければ、優れた強い選手にはなりえない。これはよく覚えておいてほしい。
では、どうすれば「質」を向上させることができるのか。
大切なことは、「覚悟を持って戦う」ことだ。
船越正康(「スポーツ心理学の世界」福村出版)は、「試合とは、全人格の勝負である。」と述べている。
すべてを賭けて戦う気持ちがなければ勝負するに至らないのだ。
テレビで「はじめの一歩」(少年マガジン連載のボクシング漫画。これを知らない人はスポーツをする資格はないと言い切ってしまおう)の映画を見た。
その中で、身体的に極限に追い込まれた状態でも(チャンピオンでありながら)挑戦者として戦い続ける姿が見事に描写されている。
これは漫画だからありえる話ではない。私は実際にそういう選手を何人か見てきた。
自分自身を極限に追い込んで(極限まで追い込むので、身体はぼろぼろである場合も多い)試合に臨むことができる人間がいることを知ってほしい。
ただ、勘違いしないでいただきたいのは、がむしゃらなガンバリズムで勝負を挑むのではない。
山下富美子(「集中力」講談社現代新書)は、「集中力を発揮できるように万全の環境条件を整え、競争相手を想定し、何が何でもやり抜いてみせるというような悲壮な「ガンバリズム」よりも、これから取りかかる課題や作業そのものに対して、興味や関心、魅力を感じて、虚心に集中できるような「無心型」の方がかえって集中できるのである。」と言う。
そして、勝ち負けとか、自分が得られる名誉とか信頼に依存しないで、「ただ戦うことのみにすべてを賭ける意志」を持って戦うことだ。
もちろん簡単なことではない。自分の意志をそこまで自律的にコントロールできるのであれば、まちがいなくあなたは強くなる。
長田一臣(「日本人のメンタルトレーニング」スキージャーナル)は、「本当に強いとは「心の強さ」をいう。だから結論はここにくる。すなわち、ものの見方、考え方である。人生どう生きるか、しょせん己ひとりの道である。それを決めるのは心である。己の人生観、世界観を確立して自分の道を歩むのである。」と言っている。
人生を賭けた取り組みをしている者は、必然的に質が磨かれる。周りで見ている多くの人に、その質の高さは感じられるはずだ。
ある人が、「人間的な魅力を感じない選手が素晴らしいショットを放っても感動などしない。」言っていたのを思い出す。
打つショットで見ている人に感動与える選手、そんな選手が本当に強い選手だ!
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