2008年07月22日
強さはどこから生まれてくるのか(1369)
昨年から本格的に「寮」の生活がスタートしました。
管理する方は大変ですが、そこで生活する子ども達もそれなりに大変だと思います。
私が寮を作り、そこで生活しながらテニスをすることを薦めるのは、いろいろな理由がありますが、何よりも「強くなるために」は絶対に必要だと強く思うからです。
確かに寮の生活は今の子ども達にとっては息苦しいかもしれません。
親の庇護の元でわがままに育ってきた子どもが、他人との共同生活を行うことはむつかしいことだと思います。
当然、寮の生活では制限は多くなります。
私のところの寮では、基本的に携帯は禁止、時間厳守、整理整頓、ごみの管理などをきちんと指導しています。
徹底できているとは言えないところもあるが、子ども達は怒られながらそれなりに生活できているように思います。
週末だけのことであればそれなりに我慢できるかもしれませんが、寮生はそれが「日常」になります。
ここが苦しいところです。
トレーニングでも、1日2日だけがんばれば良いと思うのであればなんとかがんばれるかもしれませんが、それが毎日続くとなると気が滅入ります。
苦しいと思う気持ちが強くなって、続かなくなる、それが人間であり、弱いところです。
しかし、それを乗り越えてなお「テニスが強くなりたい」という強い意志に支えられて行動できるものだけが強くなる、これがスポーツの本質です。
だから寮生活を選びました。
苦しいからです。
嫌なことはいっぱいあります。
掃除も面倒くさい、自炊も面倒くさい、好きなテレビも見られない、人間関係がうまくいかない、勉強に集中できない、ゆっくり寝られない、そんなことが当たり前の生活です。
それを乗り越えてくる「力」を持っているもの、その選手は間違いなく強くなる、それを信じて疑いません。
私が愛工大名電高校野球部のコーチとなり、強くなるチームの過程を見てきて、一番感じたことが「それ」でした。
野球部は全寮制です。
しかも、全員が同じ大部屋に寝泊りし、寮の管理も基本的には子ども達が分担して行います。
ハードな練習をして疲れていても、生活をするためにはそこを避けては通れません。
そんな生活の中で、朝早くから起きて素振りをする、就寝時間ぎりぎりまでトレーニングする、ちゃんと勉強する、そんなことが当たり前になってきています。
野球をすることが「生活」になっている強さを感じます。
私の大学時代の友人達にも、汚くて狭い寮(人間が住むことができるぎりぎりだと感じていた)でこき使わされながら、貧しい食事を我慢し、スポーツでも勉強でも立派な成績を修めた奴がいます。
これが「強さ」だ、と思います。
「人間の『強さ』はどこから生まれてくるのだろう」、と考えることがあります。
それは「苦しさ」の中から生まれると思うのです。
どうしようもないほど悩み、苦しみ、逃げ出したくなる瞬間に「強さ」の原点があります。
私がアメリカに渡った時も大変苦しかった。
英語はうまくしゃべれない、知った人はいない、寮の生活に馴染めず、生活のリズムはうまく作れない、部屋に閉じこもっていることが多かったですね。
そして、「元大学教員である」という変なプライドが、一歩踏み出すことを拒んでいたように思います。
そんな中から、「どうしてもここで自分の仕事見つける」という強い意志が芽生えたました。
そこから一歩踏み出すことができました。
一歩踏み出す「勇気」と「強さ」を自分の中に感じたとき、「これでこの世界でやっていける」という「自信」もつきました。
自分が強くなった瞬間だと思う。
それ以降、あまり怖いもの、嫌なものはなくなりました。
それはすべて自分にとって必要なことだと思えるようにもなりました。
「強さ」はこうして生まれてくるものだと思う。
子ども達も親も、不安や恐れがあるだろうと思いますが、強くなる」ためにはとても良い経験になる、それを信じてがんばってほしい。
心からそう思います。
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