2007年11月22日
「謙虚」であることの強さ(1052)
強くなりたいあなたに贈る100ぐらいの法則 -67-
私がトレーニングを指導する愛工大名電高校野球部の秋の大会は、東海大会まで駒を進めたものの残念ながら初戦敗退し、春の選抜出場はりならなかった。
しかし、私が指導し始めて、秋の大会ではほとんどの年で東海大会に出場し、夏の県大会も今年で4年連続出場を果たし、毎年ベスト8以上に勝ち進む安定した「強さ」を発揮している。
多くの学校がその成果を求めて強化を進めている中にあって、しかも全国でも最多の参加校を誇る愛知で勝ち続けることは大変難しいことだと思う。
その「強さ」はどこにあるのかを考えることは、強くなるためのヒントを与えてくれると思う。
野球の名門校は、それこそ中学時代は4番でピッチャーのエリートばかりが入学を希望してくる。
しかも、愛工大名電高校野球部では、そんなエリートの中で10人に1人程度しか入学を許可されない、大変な狭き門なのである。
だから、それぞれの選手は大変「プライド」が高い(ここでは単に「自己顕示欲」という意味で)。
そして、その「プライド」が邪魔をして、ときには自己中心的な振る舞いや、自分を追い込むことに対する「ごまかし」などが横行するときもある。
私は、このチームを直接率いているわけではないので、そんなときでも「私は、君たちに必要なことは教える。それをやるかやらないかは君たち次第だ。」といつも言い続け、決してそれを非難したり、是正したりしないようにしている。
そして、「自分はやっています!」と大きく主張はするが、実際にはやっていないだろうと思われる選手に対しては、「思い」はかけないようにする(だって、そんな選手に思いをかけても虚しいだけでしょ)。
彼らは、そう主張すれば、自分たちを評価してくれるだろうと思っているかもしれないが、「プロの眼」から見れば、どれくらいのトレーニングを積んでいるのかは、一目見れば大体わかる。
まあ、「プロ」としては、大体では困るので、練習の状況を良く観察したり、「どうだ、調子は?」とか言いながら、肩を叩いたり、背中を叩いたりしながら、筋肉の状態を確認したりする。
女の子に、あまり頻繁にこのような行為をすると、セクハラを疑われそうであるが、その点、男の子は安心である(危ないこともあるかも?)。
例年は、そのような「謙虚でない」選手が何人かいて、しかも、その選手が主力だったりすると、そういうチームは大変指導しにくい、というか、「思い」をかけにくいので、同じ時間を指導しても大変疲れるものだ。
今風に言うと、「ムカつく」時も多い(決して怒りはしませんが…)。
ところが、最近のチームは誰一人として、そのような選手は見当たらない。
それどころか、トレーニングに対しての知識を深めようと私に何度も質問したり、トレーニングの指導が終わってから、自分の課題について納得するまで確認したりする選手が多い。
だから、指導する側としては大変「楽なチーム」であるといえる。
じつは、これが彼らの「強さ」であり、多くのスポーツ選手が学ばなければならない「資質」である。
人間は、誰も完璧ではない。
「足りない何か」を感じているから、それを「謙虚」な気持ちで求めていかなくてはならないと思うのだが、少しの成果で有頂天になり、「謙虚さ」を忘れて、自己中心的な振舞いをする選手は大変多い。
このような選手は(もちろん指導者も)、きっと自分の人生において、感動する機会は少ないだろうと思う。
自分の持っている力を最大限まで引き出すことはできない。
私の尊敬する指導者に、ハンマー投げの室伏重信先生がいる。
知っての通り、室伏広治選手の父であり、コーチでもある人だ。
彼は、まさに求道者である。
どんなときでも、自分の投法には満足せず、いろいろな情報を得るために、積極的に実験にも参加されて、自分の投法を完成させ、飛距離を伸ばすためにはどうしたら良いのかを常に考え続けた人だ。
もちろん、今も考え続けているだろう。
先生と話をすると、つねに「謙虚」に自分に足りないものを探し続けることの大切さを確認できた。
「足りないから努力する」、という当たり前のことを実行し続けた人だからこそ、誰もが彼の言葉に感嘆するのである。
このチームは、そんな「謙虚さ」を「強さ」に変えたチームである。
監督から頂いた、甲子園の優勝記念ボールは私の一生の宝物となった。
「謙虚さ」を忘れないシンボルでもある。
自分の信じることを納得するまでとことんやりきるには、「謙虚」でなくてはならない。
「謙虚」であることは、「弱さ」ではなく、「弱さを知ることから生まれる強さ」を引き出すためのキーワードである、そんなことをトレーニングを指導しながら考えていた。
私は、そんな「強さ」を持った選手を探しているのかもしれない。
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私がトレーニングを指導する愛工大名電高校野球部の秋の大会は、東海大会まで駒を進めたものの残念ながら初戦敗退し、春の選抜出場はりならなかった。
しかし、私が指導し始めて、秋の大会ではほとんどの年で東海大会に出場し、夏の県大会も今年で4年連続出場を果たし、毎年ベスト8以上に勝ち進む安定した「強さ」を発揮している。
多くの学校がその成果を求めて強化を進めている中にあって、しかも全国でも最多の参加校を誇る愛知で勝ち続けることは大変難しいことだと思う。
その「強さ」はどこにあるのかを考えることは、強くなるためのヒントを与えてくれると思う。
野球の名門校は、それこそ中学時代は4番でピッチャーのエリートばかりが入学を希望してくる。
しかも、愛工大名電高校野球部では、そんなエリートの中で10人に1人程度しか入学を許可されない、大変な狭き門なのである。
だから、それぞれの選手は大変「プライド」が高い(ここでは単に「自己顕示欲」という意味で)。
そして、その「プライド」が邪魔をして、ときには自己中心的な振る舞いや、自分を追い込むことに対する「ごまかし」などが横行するときもある。
私は、このチームを直接率いているわけではないので、そんなときでも「私は、君たちに必要なことは教える。それをやるかやらないかは君たち次第だ。」といつも言い続け、決してそれを非難したり、是正したりしないようにしている。
そして、「自分はやっています!」と大きく主張はするが、実際にはやっていないだろうと思われる選手に対しては、「思い」はかけないようにする(だって、そんな選手に思いをかけても虚しいだけでしょ)。
彼らは、そう主張すれば、自分たちを評価してくれるだろうと思っているかもしれないが、「プロの眼」から見れば、どれくらいのトレーニングを積んでいるのかは、一目見れば大体わかる。
まあ、「プロ」としては、大体では困るので、練習の状況を良く観察したり、「どうだ、調子は?」とか言いながら、肩を叩いたり、背中を叩いたりしながら、筋肉の状態を確認したりする。
女の子に、あまり頻繁にこのような行為をすると、セクハラを疑われそうであるが、その点、男の子は安心である(危ないこともあるかも?)。
例年は、そのような「謙虚でない」選手が何人かいて、しかも、その選手が主力だったりすると、そういうチームは大変指導しにくい、というか、「思い」をかけにくいので、同じ時間を指導しても大変疲れるものだ。
今風に言うと、「ムカつく」時も多い(決して怒りはしませんが…)。
ところが、最近のチームは誰一人として、そのような選手は見当たらない。
それどころか、トレーニングに対しての知識を深めようと私に何度も質問したり、トレーニングの指導が終わってから、自分の課題について納得するまで確認したりする選手が多い。
だから、指導する側としては大変「楽なチーム」であるといえる。
じつは、これが彼らの「強さ」であり、多くのスポーツ選手が学ばなければならない「資質」である。
人間は、誰も完璧ではない。
「足りない何か」を感じているから、それを「謙虚」な気持ちで求めていかなくてはならないと思うのだが、少しの成果で有頂天になり、「謙虚さ」を忘れて、自己中心的な振舞いをする選手は大変多い。
このような選手は(もちろん指導者も)、きっと自分の人生において、感動する機会は少ないだろうと思う。
自分の持っている力を最大限まで引き出すことはできない。
私の尊敬する指導者に、ハンマー投げの室伏重信先生がいる。
知っての通り、室伏広治選手の父であり、コーチでもある人だ。
彼は、まさに求道者である。
どんなときでも、自分の投法には満足せず、いろいろな情報を得るために、積極的に実験にも参加されて、自分の投法を完成させ、飛距離を伸ばすためにはどうしたら良いのかを常に考え続けた人だ。
もちろん、今も考え続けているだろう。
先生と話をすると、つねに「謙虚」に自分に足りないものを探し続けることの大切さを確認できた。
「足りないから努力する」、という当たり前のことを実行し続けた人だからこそ、誰もが彼の言葉に感嘆するのである。
このチームは、そんな「謙虚さ」を「強さ」に変えたチームである。
監督から頂いた、甲子園の優勝記念ボールは私の一生の宝物となった。
「謙虚さ」を忘れないシンボルでもある。
自分の信じることを納得するまでとことんやりきるには、「謙虚」でなくてはならない。
「謙虚」であることは、「弱さ」ではなく、「弱さを知ることから生まれる強さ」を引き出すためのキーワードである、そんなことをトレーニングを指導しながら考えていた。
私は、そんな「強さ」を持った選手を探しているのかもしれない。
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