2009年05月03日
教えない(1614)
コーチング論(6)
教えるということに関して、
「ティーチング」
「インストラクション」
「コーチング」
という言葉があります。
どれも、「教える」ということですが、その意味は違っています。
「ティーチング」は、多くの知識を持っている先生が、その知識を伝達するという意味合いが強く、「インストラクション」は、インストラクターが主に技術を教えるというように区別できると思います。
では、「コーチング」とは何が違うのでしょうか。
それは、「コーチング」は、「ともに考える」と捉えるということです。
指導力はもちろん必要ですが、選手の持っている能力を引き出すために、考えさせたり、練習を休ませたり、課題をともに見つける時間を作ったり、さりげない会話だったり、アイコンタクトだったり、すべてのことを、その能力を引き出すために向ける感覚が同じでなければなりません。
これを「指向性」と言いますが、それを同じくし、信頼関係で結ばれて初めて「コーチング」が成立します。
だから、「教えない」ことは「コーチング」として成り立ちます。
しかし、ただ「教えない」のではありません。
きちんと「観る」ことが大切になります。
その中で、教えるべき時には、つまり、選手が求める時にはきちんと答えるのがコーチの仕事になります。
室伏重信先生は、
「言うことではなく、見る、ことこそ指導者の役目なのです。
思ったことを未消化のまま言うことはあってはならない。
技術は、日によって、時間によって、ハン マーにおいては一本一本変わるのかもしれない。
それくらい繊細なものの中で安定を築くのです。
しっかり見極めねばならないのです。
しかし、静観とは見るだ けではない。
見て、チャンスを待つという意味です。
仮に選手が間違った動きをしていても、それが後にどういう形で技術に効いてくるのか、これは瞬時にダメ だと判断できないからです。
何を、いつ言うのか、そのタイミングを待つ。」
と言っています。
私は教員生活も経験してきたこともあって、どうも教えすぎる傾向が強いように思います。
教えすぎることは、「考える力」を奪うことにもなります。
人に依存する傾向を強めてしまうかもしれません。
昔の師と弟子の関係のように、何も教えないというのもあります。
より合理的にコーチングによって能力を引き出すためには、適切に指標を与え、考えることと教えることのバランスをとることが大切になります。
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